ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮)   作:暁刀魚

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84,それでも、私は忘れない

 水の跳ねる音がする。

 ――月の裏側、再びアクセスしたその場所は、まるでそれまでの騒動など何もなかったかのように静寂している。

 

 キアラの影響で歪んでいたであろう景色も、今は正常なものへと変化していた。

 その中を、愛歌とセイバーは、互いに言葉もなく進むのだ。

 ――ここまで来てしまった。

 その感覚は、互いにあった。

 

 かくしてそこは、ひとつの結果を帯びる。

 視線の先では、未だ月の観測機にして願望機、ムーンセルが佇んでいるのだ。

 記録する存在のなくなった世界で、単なる機械でしかない記録魔は、けれどもどこか静寂に近い駆動音とともに、今もその瞳を周囲へと向けている。

 

 ――一つ、役目を終えた(いのち)があった。

 ――一つ、行き場を失った(いし)があった。

 

 ――一つ、偽ることのできない滅びが、無限にあった。

 

「かくして戦いの世界は終わり、後には何も残らなかった、か」

 

「――残ったさ。そして残ったがゆえに、まだするべきことが、あるのだろうよ」

 

 ぼんやりとつぶやく愛歌に、セイバーは凛と澄ました声で答えた。

 思う。

 もしも、多くの人々の意思が望むなら、世界はこの終幕の中へ佇んでいるべきなのだろうか。

 終わってしまった過去を、掘り返すべきなのだろうか。

 

 ――柄にも無いことを、考えていた。

 

 誰に望まれずとも、それをするのが愛歌である。

 それに何より――ここまできた報酬が、この静かで穏やかで、けれども何もない、余りにも無残な世界であるというのなら、いっその事――

 

 愛歌は頭を振る。

 

 考えるべきことは幾らでもある。

 躊躇うべきでないことは赤子でも解る。

 

 愛歌は、そしてセイバーは、このどうしようもなく終わってしまった世界を、元の在り方に書き換えるのだ。

 そうでなければ、この月の裏側から脱出するため、共に戦った仲間へ顔向けができないではないか。

 

 あぁ、それ以前に――

 

「キアラは、それをさせないために立ち塞がったのだろう。……迷うでない、奏者よ」

 

 セイバーは指摘する。

 キアラの場合は、自分の欲を守るため、という意味もあるだろうがすなわち。

 “こうまで破滅することは望んでいなかった”であろう。

 あの女は、一瞬の愛を欲すると同時に、永遠の、無限の快楽を望んでいたはずなのだから。

 

 でも、それでも、であっても。

 

 ――ためらわなくてはならない事実が愛歌にはある。

 否、それはセイバーにもだ。

 

 元より、神にも類する者達が全力を振るった結果である。

 ある種それは自業自得でもあり、だからこそ――許容できない事実でもあった。

 

 ――やがて、愛歌達はムーンセルの足元へと到達する。

 そこに、透明のブロックが階段のように現れる。

 伸びている先はムーンセルの内部、愛歌とセイバーが望んだことではない。

 ムーンセルがそうしたのだ。

 

 ――何者による手助けか、はたまたムーンセル本人がそう判断したのか。

 どちらにせよ、それはつまり、“正規にムーンセルへアクセスする権限”を愛歌達が得たということであった。

 

 当然だ、ムーンセルとて“滅んでしまった世界”、つまり変化のない情景を記録する容量の余裕はない。

 だから求めたのである。

 この階段を登れば、すなわちそのものの望む通りに、世界の改変は始まるだろう。

 

 つまりはこういうことだ。

 ――本来であればイレギュラーであるはずの裏側からの不正アクセス者。

 これを特例的に“聖杯戦争の勝利者”として扱うのだ。

 そうすることでムーンセルはそのものへ願望機へのアクセス権を付与する。

 実際、現在月の表には、参加者など誰一人いないのだから。

 

 ――結果として、愛歌とセイバーが、この月の聖杯戦争の勝者となった。

 故に、彼女たちは世界を変革させる義務と、そこに個人的な私情を混ぜ込む権利があるのだ。

 

 そのどちらもを成すことで、ようやく戦いは終わる。

 

 ――――長かったムーンセルの動乱に、ケリが突く。

 

 だが、

 

 ――そう、だが、しかし。

 

 物事には、必ず裏がある、落とし穴と呼ぶべきものがある。

 

 階段の手前――愛歌とセイバーは足を止めた。

 セイバーは階段に一歩乗り上げて、愛歌はその少し手前で。

 

 ――階段の縁が、まるで両者を区切っているかのようだ。

 

 愛歌は、口元を結んで顔を伏せ、セイバーは朗らかな笑みを浮かべる。

 そして――――

 

 

「――――――――ここまでだな(・・・・・・)、奏者よ」

 

 

 少しだけ突き放すように、そういった。

 

 そう、そこまで。

 愛歌が進めるのは、ここまでだ。

 

 何故か、――そう、落とし穴。

 つまり義務の話だ。

 セイバー達には、この世界を救う義務がある。

 それを同時にこなさなくては、夢を叶える権利はムーンセルから与えられないのだ。

 

 故に、それが示すところは――

 

 

 ――――願いの処理が続く間は、願いを“叶える者”が必要になるということだ。

 

 

 ようはかつて、キアラが臥藤門司に放った“トラッシュ&クラッシュ”と、原理は同じである。

 あの時、キアラはリモコンを自身と一体化スキルを行使していた。

 そしてそれゆえに、“処理ができない状況”において、リモコンだけでなく、一体化していた自分自身まで行動不能に陥っていた。

 

 同じことが、ムーンセルに入った時点で起こりうる。

 

 果たして、その処理にかかる時間は――兆か、京か――いや。

 

 そもそも“数字のうちで収まるかどうか”。

 きっと、それは人が数えられる単位をゆうに超えているだろう。

 愛歌達は“根源”に接続したことで、膨大な情報をそこから得た。

 だが、今回の修復にかかる規模はそれ以上、――根源の負荷など、比ではないことは想像に難くない。

 

 だから言った。

 

 セイバーは愛歌に告げるのだ。

 

 すなわち――此処から先は、セイバー一人で行うと。

 

 だから、愛歌は沈んでいた。

 わかっていたのだ、戦いが終わったその時にはもう、その事実を理解していた。

 ――セイバーは、それより少し前に理解していたのかもしれない。

 考える時間はいくらでもあったから――ずっと戦闘に集中していられた愛歌より、たどり着くのは早かっただろう。

 

「ねぇ――」

 

 暗く淀んだ声で、愛歌は懇願するように呼びかける。

 

「――それは、どうしてもそうしなければダメなの?」

 

「ダメだ」

 

 即答であった。

 憮然とした声でセイバーは応えてみせる。

 そこに、一切の妥協などありえない、譲るつもりはないと言うように。

 

 ――わかっている。

 

「……私では、ダメなの?」

 

「それも、ダメだ」

 

 ――――わかっているのだ。

 ここでそう決めたセイバーは揺らがない。

 何があっても、それを曲げることはしないだろう。

 

「――奏者は既に人の子だ。この時間を、耐えられるとも思わない。その点余ならば問題はない、なにせ今は人の身ではないのだからな」

 

 ふん、と少女は胸を張る。

 同時にニカッと頼もしげに笑って見せて、

 

「それにほら、考えても見よ――世界を終わらせるのは、きっと余にこそ相応しい役目だろう」

 

 ――暴君、ネロ・クラウディスはそう語る。

 まるで黙示録の獣のように、笑みを浮かべて――

 

 それでも、

 

「……ふざけないで」

 

 ――それ故に、愛歌のその言葉は、セイバーへと突き刺さる。

 

「何が相応しい、よ。役目がなに? 義務がなに? それは貴方を縛る鎖でしかない。――そんなもの、私はいらないわ」

 

 すがりつくように、けれどもそこへ手が伸びず、愛歌はセイバーを見上げ、懇願する。

 今にも泣きそうな顔は、けれどもぎりぎりの所で涙を浮かべていなかった。

 まだ、耐える時なのだと、そう告げている。

 

「――行かないで! 貴方を失いたくない! セイバー、私に取って、貴方こそが――!」

 

「――ダメだ!」

 

 それを、セイバーは遮る。

 それ以上は、ダメだ。

 ――それは否定だ。

 

「それは――奏者よ。その言葉は、自身の願いの否定である。――だから、ダメだ。それ以上は絶対に」

 

 もしも言葉にしてしまえばその瞬間に、愛歌はムーンセルへの権利を放棄することになる。

 当然だろう、願いが必要ないのなら――それを行使する権利も必要ない。

 代わりに義務を放棄することもできるが、だからこそ。

 

 そして、それ以外にこの世界を救う方法はない。

 さらに言えばこの解答は時限があるのだ、あまり長く、ここで話はしていられない。

 ――勿論、一日二日という短い期間ではないが、例えば。

 その間に根源の知識を利用して、“もう一つのムーンセルを作り上げる”などというには時間が足りない。

 そしてそれが完成したとして、“正しく動作する保証もない”のだ。

 

 よってこの場には、確実な解答が必要とされていた。

 この階段を登るか否か、その絶対の二択が。

 

「――余は、そのどちらもを失って欲しくない。奏者には、取り戻すべきものが幾らでもある」

 

「それは……それは、その中に――貴方も含まれているのよ?」

 

 もしもセイバーが失われてしまえば、愛歌は自身の望むもののうち、半分を失うことになる。

 そうすれば――ここまで来た意味が何処に在る。

 

 どこにもそんなもの、ないでは、ないか。

 

「それでも、だ。――なぁ、マスター」

 

「……なぁに?」

 

 少しだけ声のトーンを変えたセイバーに、愛歌は耳を傾ける。

 

「奏者は考えてみたことが在るか? ――余にとってはな、奏者。そなたこそが何よりも守らなくてはならない者なのだ。だから――」

 

 だから、続ける。

 

 どうしようもなくそれは優しい言葉で。

 あまりにも無垢な嘆願で。

 ゆえにこそ、絶対に否定出来ない命令で、高慢にも、皇は――

 

 

「――そなたの願いも、守らせてくれ」

 

 

 そして、それを、

 愛歌は――

 

「――卑怯よ、本当に、貴方は卑怯」

 

 拒否できる、はずがない。

 

「わがままで、自分勝手で、変態で、好き勝手こっちの過去を覗き見て――なのに、私の全てを受け入れてくれて」

 

 今にも泣きそうな、上ずった声で愛歌はまくし立てる。

 けれども、一度も声がつまらないのは、きっとその全てが本心であるからか。

 

「自由すぎるの、気まますぎるの。それが、嬉しくてたまらなかった。たまらなかったのよ。なのに――」

 

 どうして、

 

 

「どうして、今はこんなにも悲しいの?」

 

 

 きつく、横に結んだ口で、ギリギリまで細められた眼で。

 涙を隠すように、セイバーを睨みつける。

 

 これは――困った。

 本当に、困ってしまった。

 セイバーはそんな風にぼやけた笑みを浮かべて、

 

「……奏者よ。そなたはまだ知らぬだろうが――別れとは、必ず訪れるものなのだ。それを嫌だと思う気持ちは誰にでも在る。――奏者の場合、それは人一倍強いものだろうが」

 

「だったら――」

 

「――だからこそ、知るべきなのだ。もしも、これから先、奏者が己の全てを失う時がくる。その時に、笑ってそれを受け入れられるように」

 

「無理よ無理、絶対にそんなこと」

 

 否定する。

 それは、愛歌にあっては禁忌のうち一つであるのだ。

 だからこそ、受け入れるにはそれ相応の覚悟が必要となる。

 

 これは、きっと――愛歌が今まで、ずっと眼を逸し続けてきたことなのだ。

 

 愛歌の願いは死の否定。

 否定しなければ耐えられないから、それを願った。

 

 けれども、だからこそとセイバーは諭す。

 

「無理ではないのだ。奏者はきっと、今よりもずっと、これから先で強くなる。今の思いを、耐えられるようになる時が来る。つまりは、だ」

 

 ニカっと、そこでセイバーは極上の笑みを浮かべた。

 少なくとも、その一点に曇りはない。

 

 

「――そなたは大丈夫、大丈夫なのだ」

 

 

 あぁ、それは――

 

「……………………」

 

 それは――あまりにも、

 

 あまりにも残酷で、けれどもそれでいて、何と優しい言葉であろうか。

 

 そんなことを言われては、ひとたまりもない。

 もう、愛歌には――

 

 

「……わかった、そうしてみる」

 

 

 泣きそうなのを必死に押し隠し、そう肯定する他にないではないか。

 

「だから――」

 

 ――くるりと、愛歌は背を向けた。

 かくしてここに裁定は下された、もう、互いは互いに向き合うことはない。

 

「だから――――絶対に、忘れないで」

 

 今にもかすれてしまいそうな声で。

 

「私は貴方にそれを求める。最後のお願いよ、聞いてくれるわよね」

 

 けれども、ゆっくりとそれは力の篭ったものへと変わり――

 

 

「――――私のことを、絶対に、忘れないで」

 

 

 そうして、一つの祈りを得た。

 愛歌の言葉に――

 

「あぁ……!」

 

 どこかか細いけれど、はっきりとした声でセイバーは頷く。

 

 ――それが愛歌の胸の内にあるかぎり、セイバーの心の底にある限り。

 二つの思いは離れることはありえない。

 二人の絆は、逸れることなど、ありえないのだ。

 

 そこで、一度両者の言葉は一度途切れた。

 声をかけるべきか、否か。

 ――もう、振り返ることはできない、けれどもどうしても後一度、彼女の顔を見たい。

 

 そんな思い故か、愛歌は数秒逡巡し――

 

 そこに、

 

 

「――――なぁ、奏者よ」

 

 

 ふと、魔が差したとでも言うように。

 

 

「――――――――もしも、もしも。余と一緒に来て欲しいと、言ったら。奏者はどうする?」

 

 

 あまりにも弱々しい声で、セイバーは問いかけてきた。

 

 

 それは、つまり、そういうことで――

 

 

 ドクン、と。

 

 

 愛歌の心臓が、一度震えた。

 

 

 もしも、ここで振り返れば、――セイバーと共にムーンセルの中へ向かえば。

 彼女は、一人ではなくなる。

 

 そして――自分も、セイバーを、失わなくて、済む。

 

 二人であれば、これから彼女が行く地獄は、地獄でなくなるかもしれない。

 

 ドクン、ドクン、ドクン。

 

 どうする――どうする――――どうする?

 

 選べる。

 今なら、彼女の手をとれる。

 

 それが正解ではないか? ここで振り向くべきなのではないか?

 だってそうだろう――そうすれば、もしかしたらその先に、全てが幸せに終わる、そんな世界があるかもしれないではないか。

 

 望んでもいいのではないか?

 願ってもいいのではないか?

 ――それが、愛歌には当然の権利ではないか?

 

 そもそも、セイバーに全てを任せるということは、愛歌は義務を放り投げるということだ。

 それは余りにも罪深いことで――許されない、ことなのではないか?

 

 だとすれば、だとすれば、だとすれば――

 

 跳ね上がる鼓動。

 

 愛歌は、

 

 

 そして、愛歌は――――

 

 

 ゆっくりと――

 

 

「――――いや、すまない、世迷い事」

 

 

 言いかけるセイバーを振りきって。

 

 そして。

 

 

「――――――――ごめんなさい。私は、貴方と一緒にいけないわ」

 

 

 そう、言葉を返した。

 

「…………」

 

 セイバーは、言葉を途絶えさせていた。

 少しだけ、驚いた様子で。

 けれども、そこには明らかな、喜びがあって。

 

「――――そうか」

 

 一言、それだけ返した。

 

 あぁきっと――これが、正しい。

 正しいのだ。

 だってそうだ――どれだけこの選択が罪深かろうと。

 

 誰よりもセイバーが、それを望んでいるのだから。

 

 そして、愛歌は一歩を踏み出す。

 最初の一歩目、いかにもそれがか細いものであるとわかっていながら――迷いはもう、顔にはなかった。

 

 背後でまた、足音がする。

 セイバーも、同様であるのだ。

 

 新しい世界へ向けて――望むべき未来へ向けて。

 

 互いは、

 

 そうして、

 

 一歩を踏み出し、

 

 

「マナカよ。私は、そなたのことを、忘れない」

 

 

 その言葉とともに、消え行く少女の頬には、一滴、涙が伝う。

 

 声にならない声を上げ、すがるような顔のまま。

 

 ゆっくりと愛歌は駆け出す、もう二度と、後ろを振り返らなくてもいいように。

 

 そして、

 

 そして、

 

 

 ――――――――沙条愛歌の意識は、消失した。


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