ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
水の跳ねる音がする。
――月の裏側、再びアクセスしたその場所は、まるでそれまでの騒動など何もなかったかのように静寂している。
キアラの影響で歪んでいたであろう景色も、今は正常なものへと変化していた。
その中を、愛歌とセイバーは、互いに言葉もなく進むのだ。
――ここまで来てしまった。
その感覚は、互いにあった。
かくしてそこは、ひとつの結果を帯びる。
視線の先では、未だ月の観測機にして願望機、ムーンセルが佇んでいるのだ。
記録する存在のなくなった世界で、単なる機械でしかない記録魔は、けれどもどこか静寂に近い駆動音とともに、今もその瞳を周囲へと向けている。
――一つ、役目を終えた
――一つ、行き場を失った
――一つ、偽ることのできない滅びが、無限にあった。
「かくして戦いの世界は終わり、後には何も残らなかった、か」
「――残ったさ。そして残ったがゆえに、まだするべきことが、あるのだろうよ」
ぼんやりとつぶやく愛歌に、セイバーは凛と澄ました声で答えた。
思う。
もしも、多くの人々の意思が望むなら、世界はこの終幕の中へ佇んでいるべきなのだろうか。
終わってしまった過去を、掘り返すべきなのだろうか。
――柄にも無いことを、考えていた。
誰に望まれずとも、それをするのが愛歌である。
それに何より――ここまできた報酬が、この静かで穏やかで、けれども何もない、余りにも無残な世界であるというのなら、いっその事――
愛歌は頭を振る。
考えるべきことは幾らでもある。
躊躇うべきでないことは赤子でも解る。
愛歌は、そしてセイバーは、このどうしようもなく終わってしまった世界を、元の在り方に書き換えるのだ。
そうでなければ、この月の裏側から脱出するため、共に戦った仲間へ顔向けができないではないか。
あぁ、それ以前に――
「キアラは、それをさせないために立ち塞がったのだろう。……迷うでない、奏者よ」
セイバーは指摘する。
キアラの場合は、自分の欲を守るため、という意味もあるだろうがすなわち。
“こうまで破滅することは望んでいなかった”であろう。
あの女は、一瞬の愛を欲すると同時に、永遠の、無限の快楽を望んでいたはずなのだから。
でも、それでも、であっても。
――ためらわなくてはならない事実が愛歌にはある。
否、それはセイバーにもだ。
元より、神にも類する者達が全力を振るった結果である。
ある種それは自業自得でもあり、だからこそ――許容できない事実でもあった。
――やがて、愛歌達はムーンセルの足元へと到達する。
そこに、透明のブロックが階段のように現れる。
伸びている先はムーンセルの内部、愛歌とセイバーが望んだことではない。
ムーンセルがそうしたのだ。
――何者による手助けか、はたまたムーンセル本人がそう判断したのか。
どちらにせよ、それはつまり、“正規にムーンセルへアクセスする権限”を愛歌達が得たということであった。
当然だ、ムーンセルとて“滅んでしまった世界”、つまり変化のない情景を記録する容量の余裕はない。
だから求めたのである。
この階段を登れば、すなわちそのものの望む通りに、世界の改変は始まるだろう。
つまりはこういうことだ。
――本来であればイレギュラーであるはずの裏側からの不正アクセス者。
これを特例的に“聖杯戦争の勝利者”として扱うのだ。
そうすることでムーンセルはそのものへ願望機へのアクセス権を付与する。
実際、現在月の表には、参加者など誰一人いないのだから。
――結果として、愛歌とセイバーが、この月の聖杯戦争の勝者となった。
故に、彼女たちは世界を変革させる義務と、そこに個人的な私情を混ぜ込む権利があるのだ。
そのどちらもを成すことで、ようやく戦いは終わる。
――――長かったムーンセルの動乱に、ケリが突く。
だが、
――そう、だが、しかし。
物事には、必ず裏がある、落とし穴と呼ぶべきものがある。
階段の手前――愛歌とセイバーは足を止めた。
セイバーは階段に一歩乗り上げて、愛歌はその少し手前で。
――階段の縁が、まるで両者を区切っているかのようだ。
愛歌は、口元を結んで顔を伏せ、セイバーは朗らかな笑みを浮かべる。
そして――――
「――――――――
少しだけ突き放すように、そういった。
そう、そこまで。
愛歌が進めるのは、ここまでだ。
何故か、――そう、落とし穴。
つまり義務の話だ。
セイバー達には、この世界を救う義務がある。
それを同時にこなさなくては、夢を叶える権利はムーンセルから与えられないのだ。
故に、それが示すところは――
――――願いの処理が続く間は、願いを“叶える者”が必要になるということだ。
ようはかつて、キアラが臥藤門司に放った“トラッシュ&クラッシュ”と、原理は同じである。
あの時、キアラはリモコンを自身と一体化スキルを行使していた。
そしてそれゆえに、“処理ができない状況”において、リモコンだけでなく、一体化していた自分自身まで行動不能に陥っていた。
同じことが、ムーンセルに入った時点で起こりうる。
果たして、その処理にかかる時間は――兆か、京か――いや。
そもそも“数字のうちで収まるかどうか”。
きっと、それは人が数えられる単位をゆうに超えているだろう。
愛歌達は“根源”に接続したことで、膨大な情報をそこから得た。
だが、今回の修復にかかる規模はそれ以上、――根源の負荷など、比ではないことは想像に難くない。
だから言った。
セイバーは愛歌に告げるのだ。
すなわち――此処から先は、セイバー一人で行うと。
だから、愛歌は沈んでいた。
わかっていたのだ、戦いが終わったその時にはもう、その事実を理解していた。
――セイバーは、それより少し前に理解していたのかもしれない。
考える時間はいくらでもあったから――ずっと戦闘に集中していられた愛歌より、たどり着くのは早かっただろう。
「ねぇ――」
暗く淀んだ声で、愛歌は懇願するように呼びかける。
「――それは、どうしてもそうしなければダメなの?」
「ダメだ」
即答であった。
憮然とした声でセイバーは応えてみせる。
そこに、一切の妥協などありえない、譲るつもりはないと言うように。
――わかっている。
「……私では、ダメなの?」
「それも、ダメだ」
――――わかっているのだ。
ここでそう決めたセイバーは揺らがない。
何があっても、それを曲げることはしないだろう。
「――奏者は既に人の子だ。この時間を、耐えられるとも思わない。その点余ならば問題はない、なにせ今は人の身ではないのだからな」
ふん、と少女は胸を張る。
同時にニカッと頼もしげに笑って見せて、
「それにほら、考えても見よ――世界を終わらせるのは、きっと余にこそ相応しい役目だろう」
――暴君、ネロ・クラウディスはそう語る。
まるで黙示録の獣のように、笑みを浮かべて――
それでも、
「……ふざけないで」
――それ故に、愛歌のその言葉は、セイバーへと突き刺さる。
「何が相応しい、よ。役目がなに? 義務がなに? それは貴方を縛る鎖でしかない。――そんなもの、私はいらないわ」
すがりつくように、けれどもそこへ手が伸びず、愛歌はセイバーを見上げ、懇願する。
今にも泣きそうな顔は、けれどもぎりぎりの所で涙を浮かべていなかった。
まだ、耐える時なのだと、そう告げている。
「――行かないで! 貴方を失いたくない! セイバー、私に取って、貴方こそが――!」
「――ダメだ!」
それを、セイバーは遮る。
それ以上は、ダメだ。
――それは否定だ。
「それは――奏者よ。その言葉は、自身の願いの否定である。――だから、ダメだ。それ以上は絶対に」
もしも言葉にしてしまえばその瞬間に、愛歌はムーンセルへの権利を放棄することになる。
当然だろう、願いが必要ないのなら――それを行使する権利も必要ない。
代わりに義務を放棄することもできるが、だからこそ。
そして、それ以外にこの世界を救う方法はない。
さらに言えばこの解答は時限があるのだ、あまり長く、ここで話はしていられない。
――勿論、一日二日という短い期間ではないが、例えば。
その間に根源の知識を利用して、“もう一つのムーンセルを作り上げる”などというには時間が足りない。
そしてそれが完成したとして、“正しく動作する保証もない”のだ。
よってこの場には、確実な解答が必要とされていた。
この階段を登るか否か、その絶対の二択が。
「――余は、そのどちらもを失って欲しくない。奏者には、取り戻すべきものが幾らでもある」
「それは……それは、その中に――貴方も含まれているのよ?」
もしもセイバーが失われてしまえば、愛歌は自身の望むもののうち、半分を失うことになる。
そうすれば――ここまで来た意味が何処に在る。
どこにもそんなもの、ないでは、ないか。
「それでも、だ。――なぁ、マスター」
「……なぁに?」
少しだけ声のトーンを変えたセイバーに、愛歌は耳を傾ける。
「奏者は考えてみたことが在るか? ――余にとってはな、奏者。そなたこそが何よりも守らなくてはならない者なのだ。だから――」
だから、続ける。
どうしようもなくそれは優しい言葉で。
あまりにも無垢な嘆願で。
ゆえにこそ、絶対に否定出来ない命令で、高慢にも、皇は――
「――そなたの願いも、守らせてくれ」
そして、それを、
愛歌は――
「――卑怯よ、本当に、貴方は卑怯」
拒否できる、はずがない。
「わがままで、自分勝手で、変態で、好き勝手こっちの過去を覗き見て――なのに、私の全てを受け入れてくれて」
今にも泣きそうな、上ずった声で愛歌はまくし立てる。
けれども、一度も声がつまらないのは、きっとその全てが本心であるからか。
「自由すぎるの、気まますぎるの。それが、嬉しくてたまらなかった。たまらなかったのよ。なのに――」
どうして、
「どうして、今はこんなにも悲しいの?」
きつく、横に結んだ口で、ギリギリまで細められた眼で。
涙を隠すように、セイバーを睨みつける。
これは――困った。
本当に、困ってしまった。
セイバーはそんな風にぼやけた笑みを浮かべて、
「……奏者よ。そなたはまだ知らぬだろうが――別れとは、必ず訪れるものなのだ。それを嫌だと思う気持ちは誰にでも在る。――奏者の場合、それは人一倍強いものだろうが」
「だったら――」
「――だからこそ、知るべきなのだ。もしも、これから先、奏者が己の全てを失う時がくる。その時に、笑ってそれを受け入れられるように」
「無理よ無理、絶対にそんなこと」
否定する。
それは、愛歌にあっては禁忌のうち一つであるのだ。
だからこそ、受け入れるにはそれ相応の覚悟が必要となる。
これは、きっと――愛歌が今まで、ずっと眼を逸し続けてきたことなのだ。
愛歌の願いは死の否定。
否定しなければ耐えられないから、それを願った。
けれども、だからこそとセイバーは諭す。
「無理ではないのだ。奏者はきっと、今よりもずっと、これから先で強くなる。今の思いを、耐えられるようになる時が来る。つまりは、だ」
ニカっと、そこでセイバーは極上の笑みを浮かべた。
少なくとも、その一点に曇りはない。
「――そなたは大丈夫、大丈夫なのだ」
あぁ、それは――
「……………………」
それは――あまりにも、
あまりにも残酷で、けれどもそれでいて、何と優しい言葉であろうか。
そんなことを言われては、ひとたまりもない。
もう、愛歌には――
「……わかった、そうしてみる」
泣きそうなのを必死に押し隠し、そう肯定する他にないではないか。
「だから――」
――くるりと、愛歌は背を向けた。
かくしてここに裁定は下された、もう、互いは互いに向き合うことはない。
「だから――――絶対に、忘れないで」
今にもかすれてしまいそうな声で。
「私は貴方にそれを求める。最後のお願いよ、聞いてくれるわよね」
けれども、ゆっくりとそれは力の篭ったものへと変わり――
「――――私のことを、絶対に、忘れないで」
そうして、一つの祈りを得た。
愛歌の言葉に――
「あぁ……!」
どこかか細いけれど、はっきりとした声でセイバーは頷く。
――それが愛歌の胸の内にあるかぎり、セイバーの心の底にある限り。
二つの思いは離れることはありえない。
二人の絆は、逸れることなど、ありえないのだ。
そこで、一度両者の言葉は一度途切れた。
声をかけるべきか、否か。
――もう、振り返ることはできない、けれどもどうしても後一度、彼女の顔を見たい。
そんな思い故か、愛歌は数秒逡巡し――
そこに、
「――――なぁ、奏者よ」
ふと、魔が差したとでも言うように。
「――――――――もしも、もしも。余と一緒に来て欲しいと、言ったら。奏者はどうする?」
あまりにも弱々しい声で、セイバーは問いかけてきた。
それは、つまり、そういうことで――
ドクン、と。
愛歌の心臓が、一度震えた。
もしも、ここで振り返れば、――セイバーと共にムーンセルの中へ向かえば。
彼女は、一人ではなくなる。
そして――自分も、セイバーを、失わなくて、済む。
二人であれば、これから彼女が行く地獄は、地獄でなくなるかもしれない。
ドクン、ドクン、ドクン。
どうする――どうする――――どうする?
選べる。
今なら、彼女の手をとれる。
それが正解ではないか? ここで振り向くべきなのではないか?
だってそうだろう――そうすれば、もしかしたらその先に、全てが幸せに終わる、そんな世界があるかもしれないではないか。
望んでもいいのではないか?
願ってもいいのではないか?
――それが、愛歌には当然の権利ではないか?
そもそも、セイバーに全てを任せるということは、愛歌は義務を放り投げるということだ。
それは余りにも罪深いことで――許されない、ことなのではないか?
だとすれば、だとすれば、だとすれば――
跳ね上がる鼓動。
愛歌は、
そして、愛歌は――――
ゆっくりと――
「――――いや、すまない、世迷い事」
言いかけるセイバーを振りきって。
そして。
「――――――――ごめんなさい。私は、貴方と一緒にいけないわ」
そう、言葉を返した。
「…………」
セイバーは、言葉を途絶えさせていた。
少しだけ、驚いた様子で。
けれども、そこには明らかな、喜びがあって。
「――――そうか」
一言、それだけ返した。
あぁきっと――これが、正しい。
正しいのだ。
だってそうだ――どれだけこの選択が罪深かろうと。
誰よりもセイバーが、それを望んでいるのだから。
そして、愛歌は一歩を踏み出す。
最初の一歩目、いかにもそれがか細いものであるとわかっていながら――迷いはもう、顔にはなかった。
背後でまた、足音がする。
セイバーも、同様であるのだ。
新しい世界へ向けて――望むべき未来へ向けて。
互いは、
そうして、
一歩を踏み出し、
「マナカよ。私は、そなたのことを、忘れない」
その言葉とともに、消え行く少女の頬には、一滴、涙が伝う。
声にならない声を上げ、すがるような顔のまま。
ゆっくりと愛歌は駆け出す、もう二度と、後ろを振り返らなくてもいいように。
そして、
そして、
――――――――沙条愛歌の意識は、消失した。