ギルティクラウン~The Devil's Hearts~   作:すぱーだ

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リバガンゴブセデログギパベバギ。
ゴブセデゴギデバンザグ、ラザブサブベガディヅバザバギパヅズブ。
バブゴギデゾギギ。ババサズダンバギグスバサ、ガンギンギデゾギギ。

ゴンバパベゼジョドドロンザンギデブス





#46女王-③〜the farcical kingdom〜

ーーーーーーー

 

 「ーーっ」

 

 ルシアは身体中に刻まれた傷に思わず苦痛の声が漏れそうになる。

 だが、目の前の敵に隙を晒すわけにはいかない。

 

 『ーーホウ。ホウ。ホウ』

 

 呼吸とも鳴き声ともつかない声を定期的に出しながら、悪魔は梟のように首を傾げてルシアを見る。

 仕草だけ見るなら愛嬌すら感じさせられそうだったが、さんざんルシアを刻んだ長く伸びる爪がそれを否定する。

 爪の先端は釣り針のように折れ曲がり、手足や首もヒョロヒョロと細長い上に関節を感じない不定形な印象を受ける。二つの顔が一つの頭部にあり、それぞれに両目か口のどちらかが縫い付けられた仮面を着け、ボロボロの布のような衣服のように身に付けて、古来の部族を連想させるような装飾品を身体の至るところを飾り付けている。

 四メートルを超える巨躯でその異彩を放つ出立ちを、まるで体重を感じさせないヒラヒラした動きが不気味さに拍車を掛けていた。

 

 その悪魔の後ろには他にも多くの悪魔が居るが、ルシアとその悪魔の戦いに干渉する様子も、生徒達が避難する寮に手を出す様子もない。

 ルシア達の戦いを静かに見守っている。

 

 群で行動する悪魔の長は一対一で敵に挑み、部下に自分の力を誇示する者も居るという話を集から聞いた事がある。

 しかし、この悪魔を倒した所で、後ろから次々に部下の悪魔達が襲いくるだけだ。なら、ここは出来るだけ時間を稼ぐ為にーー

 

 「ーー違う…!」

 

 倒すんだ。ここを襲って来た悪魔は全て自分の手で退治するんだ。

 ーー思い出せ。殺戮人形だった頃の自分を、大切な人達を奪おうとする敵を討つために、自分の全てを込めろ。

 

 「ーーやあああああぁぁぁ!!」

 

 短刀を強く握りしめ、雄叫びを上げながら目の前の敵に飛び込もうとする。

 相手も待っていたと言わんばかりに、十本の針刃を持って返礼する。

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ツグミは車椅子を押しながら、全力で校舎内を駆けていた。

 人間に化けられる悪魔など、いつ曲がり角から飛び出してもおかしくない。もはや校舎全体でまともに機能している所などない事など明白だ。

 急いで隠れ家に身を隠さなければならない。

 

 「ーーん゛〜〜っぶはぁ!ちょっとツグミ!コレ外しなさいよ!」

 

 綾瀬が首を振って口に詰められた布を吐き出して、ツグミに抗議した。その両手も車椅子の左右それぞれ肘掛けに縛り付けられている。

 

 「だって綾ねえこうでもしないと、敵と戦いに飛び出すでしょ!」

 「そこまで考え無しじゃないわよ!」

 「絶対、嘘っ!どれだけの付き合いだと思ってるの。綾ねえの考えくらい分かるって!」

 

 密かに見つけた隠れ場所。悪魔にも生徒にも見つけるには難しいだろう。あそこなら他の場所より安全なはずだ。

 

 『ーーツグミ…』

 

 その時、ザッピング音と共に右耳のインカムから声が聞こえた。その声にツグミは目を丸くする。

 

 「いのりん?」

 「え?」

 

 綾瀬もツグミのインカムに視線を向けた。

 ツグミはノイズ混じりのいのりの声に耳を傾ける。

 

 『ーーよかった無事なのね。綾瀬も無事?』

 「え…」

 

 インカムから聞こえるいのりの声に綾瀬もツグミも言葉が出なかった。生徒会長代理に就任してからの彼女からは想像できない程、刺々しさは無く彼女の声は思いやりに満ちていた。

 

 『お願い…シュウを助けて』

 「いのーー」

 「勝手な事言わないで!今まで散々好き放題しておいて、困った時は利用すんの!?私達だって大変なの、他をあたってくれる!?」

 「ちょっと、ツグミ!」

 

 いのりの声が違う雰囲気を纏っている事くらい、ツグミにも分かっているはずだ。しかし、ツグミも綾瀬も他の生徒同様に尊厳を奪われ、侮辱されたのもまた事実なのだ。

 感情としていのりを許せない気持ちがあるのは分からない訳では無い。

 

 『…二人にしか頼めない』

 「自分で行けばいいでしょ!?」

 『私は行けない…行っちゃダメなの』

 「意味分かんない!愛しの集くんはアンタが助けろって言ってんのよ!私や綾ねえを巻き込むな!」

 

 鬱憤を晴らすかのように怒りをぶつけるツグミにいのりは悲しそうな声で答えた。

 

 綾瀬は怒りに任せて感情を剥き出しにするツグミと、彼女に縋るいのりの声を聞いている内に、ようやく分かった。

 いのりが何をしたかったのか、何をしようとしていたのか。

 

 「ーー……っ」

 

 歯を食い縛る。悔しかった。

 いのりの本当の意図に気付いてあげられなかった自分に憤りを覚える。同時に何故相談してくれなかったんだという想いが込み上げて来た。

 いのりと揉めているツグミの隙を突き、綾瀬は肘掛けに拘束されていた両手を力づくで引き抜いた。

 

 「ツグミっ、ごめん!」

 

 「ーーえっ 」

 

 ツグミが綾瀬の言葉に反応するのと同時に、彼女の小さな身体は空中に投げ出された。

 

 「あぎゅうっ!?」

 

 ぎゅるっと回転し地面にぶつかったツグミは鈍い悲鳴を上げた。

 咄嗟に受け身は取ったがすぐに立ち直す事は出来ず、その隙に綾瀬の車椅子はもと来た方向へ猛スピードで戻っていく。

 

 「綾ねえ、まって!」

 

 呼び止めるツグミの声を振り切り、綾瀬は無我夢中で車椅子を走らせた。脇目も振らず集のいる治療室へ向かう。

 

 (集、ごめん。私…気付けなかった)

 

 ーー集といのりへの罪悪感を胸に秘めながら。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 ツグミが綾瀬を呼び止めようとする声を最後に通信が切れる。

 いのりは唇を噛んだ。

 

 彼女達が自分の行いに異議を出せば、容赦なく罰して来た。恨まれて当然だという事は分かってる。

 しかし今は彼女達しか頼れる人物はいない。

 

 自分は集の所には行けない。もし助けようとすれば、今までして来た事が全て無駄になる。

 いのりはそう必死に自分に言い聞かせ、走り出したい衝動を抑える。

 

 「…私は…」

 

 ーーどうすれば良いのだろう。

 ーーどうすれば良かったのだろう。

 

 涯は居ない。集も居ない。教えてくれる人も導いてくれる人もここには居ない。

 逆に今その立場に自分自身が立ってしまっている。

 

 「だめ…考えなきゃ」

 

 ここまで来て、何も出来ないなんて許される筈がない。集が戻るまで代わりに皆を守ると決めた。

 その時、頭上からガラガラと瓦礫が落ちる音が聞こえ、上を見上げる。

 

 「あっ」

 

 落下する瓦礫を目で追って行ったその先に女生徒が立っている事に気付き、いのりは弾かれるように駆け出した。

 

 「きゃっ!」

 

 女子生徒に体当たりするように抱きしめ、地面に倒れ込んだ。

 「大丈夫?」と出かけた言葉をいのりは寸前にその言葉を呑み込んで、唇で力づくで口を閉ざした。

 

 「え…?楪会ちょーー」

 

 助けた女子生徒は信じられないものを見るかのように、いのりを見上げる。

 いのりは女子生徒の体から身を起こし、会長代理の楪いのりとして何か言うべきだと思った。

 しかし何も思い浮かばない。

 女子生徒は自分達を散々虐げて来た独裁者に助けられたという事実にしばらく呆然とした。訳が分からないという顔でいのりを警戒しながら立ち上がる。

 

 「ひっ」

 

 女子生徒はいのりの背後に視線を向けて、恐怖に引き攣った顔になった。いのりは素早く自分の背後を振り返る。

 歪なシルエットの敵がいのりの視界に収まり切る前に、襲いかかって来た。いのりは女子生徒を遠くに突き飛ばした。小さく悲鳴を上げ、女子生徒は再び地面に倒れ込んだ。

 

 「っーー!」

 

 いのりは悪魔に組み付かれ、壁に叩きつけられる。

 

 「ーー邪魔!行って!」

 「だ…だれか!」

 

 苦痛で顔を歪ませながら、いのりは取り繕うのも忘れて叫んだ。女子生徒は、戸惑いながら助けを呼びながら走り去る。

 いのりはそれには目もくれず…というより気にしてる余裕はなく、組みついて来る悪魔に抵抗する。

 しかし人並み外れたいのりの身体能力でも、悪魔の腕力を引き剥がす事は不可能だった。

 

 『ゴォオッ!』

 「ああ!」

 

 悪魔は苛立つようにいのりの身体を軽々放り投げ、瓦礫に叩き付けた。

 

 「う…」

 

 激痛に意識が朦朧とする中、コートの下に隠れていた銃をホルスターから引き抜いた。そのまま悪魔に照準を向けるが視界が歪んで、まともに狙いが定まらない。

 気を失う一歩手前の意識を戻すため、血が滲むほど唇を噛む。

 しかし悪魔が悠長にそんな事を待つ筈が無い。髑髏と昆虫の顔を混ぜたような素顔を晒し、カマキリの鎌に似た鋭利な腕を振り上げて襲って来た。

 鎌の先端がいのりの目の前まで迫った時、まるで見えない壁に阻まれたように鎌の動きが止まった。

 

 (……なに?)

 

 鎌だけではなく悪魔の動きそのものも、凍りついたかのように動かなくなった。

 次の瞬間ズダンッ!と銃声が空気を切り裂いた。

 悪魔は頭部から体液を噴き出し、横向きにグラッと大きく身体が傾いた。

 

  「ーーハレっ…?」

 

 銃を握る少女の姿を見て、いのりは目を見開いた。

 祭が再び銃の引き金引く。

 

 『グギュアアア!』

 

 悪魔の身体から鮮血が弾け飛び、悲鳴と怒りが混ざった叫び声を上げた。それに怯む事なく祭は銃を向け、何度も引き金を引く。

 

 ーー撃つ。ーー撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。

 

 悪魔は飛び掛かろうとして、銃弾を受けて怯むを何度も繰り返す。

 しかし、銃には避けられない時が遂に来た。

 カチンッと弾切れを知らせるように乾いた金属音が鳴る。

 祭の表情に露骨に焦りが浮かぶ。

 

 『ーーフウウゥゥ』

 

 次の弾が来ない事に気付いた悪魔は、身体中に空いた小さい穴から体液を流しながら怒るように低く唸った。

 しかしそれも新たな横やりで中断される。祭の方に気が取られた悪魔の首にいのりが鋭い蹴りを突き刺した。並外れた身体能力で放たれた蹴りを受けた悪魔の首は、ゴキッと不吉な音を立ててへし折れた。口から体液を吐き出し、あらぬ方向に曲がった頭のままいのりの方を見ようとした。

 いのりは素早く銃を向け、祭は震える指で弾をリロードするといのりと同時に悪魔に向けて発砲した。

 

 『キイィィィイイ!』

 

 別々の方向の二人から何発も銃弾を浴び、悪魔は絶叫する。

 二人は弾倉が空になるまで撃ち続けると、ようやく悪魔は動かなくなった。

 

 「ーー…」

 「はー、はー、はー……うっ!」

 

 いのりは祭を見る。銃を構えたまま固く目を閉じて荒い呼吸をする。

 顔色が悪いといのりが思った時、突然嘔吐した。

 

 「っーーハレ!?」

 「…だ…大丈夫だよ。気が抜けたら、ちょっと立ちくらみ…あはは」

 「……」

 

 力無く笑う祭。青白い顔色で水をかぶったかのような汗を浮かべていては、とても平気そうには見えなかった。

 

 「……よかった」

 「え?」

 「いのりちゃん。私の知ってるいのりちゃんのままだ」

 「あっ……」

 「…あの時は“話し掛けるな”って言われちゃったし」

 「ーーそれは」

 「あっ、ごめんね?責めてる訳じゃないの。いのりちゃんは集のために頑張ってたんだよね?」

 

 いのりはグッとこぶしを握る。

 

 「いのりちゃん?」

 

 急に祭から背を向けて立ち去ろうとするいのりを、祭は慌てて追いかけようとする。

 

 「来ないで!!」

 「ーーっ!」

 「私と一緒にいたら…ハレまで私の仲間だと思われる。もし誰かに見られたら…」

 

 次の瞬間、心地の良い暖かさがいのりの手の平を包んだ。

 

 「ーーやめて」

 

 振り解くが、再び祭が両手でいのりの手を包み込む。

 

 「離して!」

 「ーー離さない…」

 

 静かに、力強く祭は言った。

 

 「なんで…何も言ってくれなかったの?」

 「………」

 「私にいのりちゃんの事嫌いになってもらうため?」

 「ーーでも、何も意味が無かった。シュウが守ろうとした物を、私は何も…」

 「ーーどうして…?」

 

 祭はいのりの手を強く握り締め、両目から流れる涙の雫が祭といのりの繋いだ手を濡らした。

 

 「ハレ……」

 「どうして…どうして一人で背負い込むの?どうしていのりちゃん一人が悪者にならなきゃいけないの?……どうしていのりちゃんが苦しまなきゃいけないの?」

 「ごめん……」

 

 「ーー許さないよ」

 

 「ーーぇっ」

 「絶対許さない。集と同じだよ…自分だけ苦しめばそれでいいと思ってる。どうして独りになろうとするの?」

 「……ごめん」

 

 嗚咽を漏らしながら涙を拭う祭をいのりは直視出来なかった。

 どんな結果になろうとも、いのりの決断は祭には苦しみしか与えない。それも分かった上でいのりは行動に移した。

 

 「……でも、誰かがやらなきゃ…」

 

 集には誰にとっても、彼自身にとっても優しい王様でいて欲しかった。自分勝手で自己満足なのかもしれない。結局は集を傷付けてしまうのかもしれない。

 だけど、彼が多くの人から恨まれたり憎まれたりする所をただ見ているよりはずっといい。そう思った。

 

 「ーー優しいね…いのりちゃんは」

 「ハレ…」

 「優しいし強いね。私もいのりちゃんが間違ってるとは思わない。誰かの為にここまで出来る人なんてそうは居ないよ。……だからーー」

 「ーー、………っ!」

 

 いのりは敵の気配を感じ、祭の手を握ると駆け出した。

 祭もいのりの手をしっかり握ってすぐ後ろを走る。

 

 「私、いのりちゃんの事嫌いになったりなんかしない!ーー他の…誰かが、どう思っても。他の誰かが敵になっても。絶対に独りになんかしないから!」

 

 敵の足音はすぐ後ろまで迫って来る。そんな中でも、いのりの心は満たされた気分だった。胸にたくさんの物が入ってくるとても心地の良い感覚を感じていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 悪魔達の間を潜って集が眠る特別隔離病室にたどり着いた綾瀬は、重く感じる腕でなんとかノブを回した。

 

 「ーーあっ」

 

 疲労でドアを開けた拍子にバランスを崩し車椅子から転げ落ちそうになった時、追い付いたツグミの腕が綾瀬の身体を捕まえた。

 

 「ーーおぉっと!」

 「ツグミ…」

 「全く綾ねえは無茶ばかりして…。ここまで来たんだから、最後まで付き合うしか無いじゃない」

 

 その時、バリンッとガラスが割れる音が聞こえた。廊下の奥を見ると、数体の悪魔が窓を突き破って飛び込んで来ている様子が見えた。

 こちらの存在に気付くと、悪魔達は大挙して押し寄せて来た。

 

 「ーー綾ねえ!」

 「くっ!」

 

 二人は飛び込むように病室に入り鍵を掛けるが、隔離された部屋に他の出入り口などあるはずがない。扉や分厚い特殊ガラスがはまった窓も瞬く間にズタズタにされていく。

 数秒ももたず完全に破壊されるだろう。

 

 「これ、マジでヤバいじゃん。ど…どうしよう綾ねえ」

 「ーー部屋の奥に!」

 

 ここの医療器具を工夫しようにも、圧倒的に時間が足りない。

 万事休すと諦め掛けた時、真横から飛んで来た剣が、窓とドアに張り付いていた悪魔をまとめて貫いてふっ飛ばした。

 

 「ーーメシの時間と病室では静かにしろって、ママから教わらなかったか?」

 

 廊下の端からダンテの声が響いて来た。

 悪魔達は歯を剥き出しにして咆哮と唸り声を上げながら、ゆっくり歩いて来るダンテに殺到する。

 

 「ーーおいっ、俺を超えるんじゃなかったのか?お前の苦労なんざ興味もねえ。ーーさっさと戻って来きな!馬鹿ガキ」

 

 誰に向けた言葉か…考えるまでも無い。

 

 「ーー集っ!お願い目を覚まして!」

 

 集が寝るベッドに近付き、肩を揺らす。こんな状況でも、いつもと変わらずまるで反応が無い。

 

 「ねぇ!みんなを守ってくれるんじゃなかったの!このままじゃ何もかも無くなっちゃう。集が立ち上がらないで、誰がやるのよ…!」

 「綾ねえ……。ーーバカ集!皆待ってるのよ!いい加減起きて、カッコよくアタシ達を守ってよ!」

 

 綾瀬とツグミは半ばパニック状態のように、次々に激励と僅かに罵倒の言葉を浴びせる。

 それでも集は眠り続けている。安らかでもなければ、苦悶の表情も浮かべてもいない。意識が抜け落ちた命だけがそこにあるかのように横たわっている。

 

 「ねえ…集、ここまで来るのにみんな大変だったんだから。後は集だけなの…このままじゃーー」

 

 胸ぐらを掴んで揺すっていたのが、徐々に縋るように集の胸に顔をうずめていく。

 集の患者服が破れるのでは無いかと思うほど、握り締める。

 

 「ーーあの子、アナタの為に何もかも捨てる気なのよ。あんた平気なの?このままでいいの?ーーねぇ…起きて。いのりが可哀想よ…」

 

 

 すっーーと髪に何かが触れた感覚がした。

 指先で触れるような、そよ風の柔らかな感触。顔を見上げて集を見るがさっきと変わった様子は無いように見える。

 

 「?…綾ねえ?」

 

 綾瀬の挙動にツグミは眉を寄せる。

 

 同時にバチッと激しい火花が散る。ダンテが背負う一振りの魔剣が何かに反応するように青い稲妻が奔っていく。

 

 「ーーハッ…」

 

 ダンテはそれを見て口端を裂くように笑った。

 

 「ーーアラストル、()()()()()()()()()()()

 

 ダンテがそう告げた瞬間、アラストルは弾かれるようにダンテの背中から離れ、重力を無視して病室の窓を破るとグルンと切先を集の方向へ向けた。

 

 「な、何これ!いったい何をーー」

 「契約だ。ーー賭けではあるがな。巻き添え喰らいたくなけりゃ離れな」

 

 切先を集の胸に向けるアラストルを見て、綾瀬は肝が冷える感覚を覚えるが、ツグミも一緒にダンテの言葉に従い集から距離を取った。

 

 「契約って…まさか!」

 

 何が起こるか、容易に想像出来た。だが綾瀬には止める手立ては無い。剣から放たれる異様は気配は、綾瀬を見えない何かに縛るには十分な物だった。

 やがて剣は集の心臓に引き寄せられるように、まばたきする間もなくその切先を集の胸に突き立てた。

 集の胸を貫く骨や肉を断つ音は、雷の轟音に掻き消された。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 走っても走っても、足音は全く引き離せない。まだ戦闘音と悲鳴や怒号は聞こえている。

 祭の声にはっと顔を上げる。頭上から一体の悪魔が飛び掛かって来ていた。

 

 「いのりちゃん!」

 「っ!!」

 「きゃっ!」

 

 いのりは祭を突き飛ばし、祭が倒れたのと逆の方向に転がりながら銃を抜くと飛び掛かって来た悪魔に発砲した。

 しかし、悪魔の硬い外皮に銃弾が阻まれまるで効果が見られない。

 悪魔はいのりを一瞥しただけでまるで興味を示さず、祭の方を見た。

 

 「だめっ!」

 

 いのりは銃を放り投げ、ナイフを抜いて悪魔に飛び掛かった。両脚で挟むように組み付きナイフを突き立てた。

 しかし、ナイフは硬い外皮と拮抗すらせず、いのりの腕力がそのまま全て刀身に伝い半ばから折れた。

 

 「なっ!!」

 

 悪魔はいのりをあっさり振り落とし、そのまま何事も無かったかのように祭に迫る。

 

 「ーー待って…お願い狙うなら私を……」

 

 さらに背後からいのり達を追っていた悪魔達も、とうとう追い付いてしまった。だが、いのりに気を向ける個体はただの一体も居ない。全ていのりを無視して祭に殺到する。

 

 (…なぜ私は襲わないの?)

 

 理不尽な光景に祭もいのりも頭が真っ白になった。

 

 「ハレ逃げてぇ!!ハレ!!」

 

 祭を助けようと悪魔の群の中に飛び込もうとするが、何度も悪魔に軽くあしらわれる。

 ダンテもトリッシュもレディもネロも助けに来れる者は居ない、ルシアだって生徒達が避難する寮を守護するのに精一杯だ。

 誰も祭を助けてくれる人は居ない。いのりの頭から流血した血が地面を赤黒く染める。

 

 「ーーシュウ…」

 

 懺悔なのか懇願なのか、守りたかった愛おしい人の名前を呟く。

 その声も悪魔達のおぞましい咆哮に掻き消された。

 しかし同時にビュオッという風切る音がが突風と共にいのりの頬を叩き、いのりは顔を上げた。

 

 悪魔の牙が目の前に迫ったと思った時、祭の身体が宙に浮いた。

 まるで羽根にでもなったかのような、こそばゆい感触に祭は目を開けた。

 

 「ーー綾瀬…ちゃん」

 「ふう、間に合って良かった。ギリギリだったわね」

 

 目の前の綾瀬の顔が自信に満ちた表情で片目を閉じてウインクする。

 祭は状況を整理し切れず何度かまばたきをしてから、辺りを見渡してようやく自分が校舎よりも上空に居る事に気付いた。

 

 「飛んで…えぇ!?飛んでる!」

 「コレが私のヴォイド。なかなかいいでしょ」

 「ーーヴォイド…、綾瀬ちゃんの?」

 

 視線を下ろすと、綾瀬の両脚には鉛色で銀色の輝きを放つ靴があった。飛行機の翼にも妖精の羽根の様にも見える、小さな翼が踵についた《ロングブーツ》のような外見だ。

 

 「まさか…」

 

 屋上に降ろされた祭はフェンスに走り寄る。

 その視界の端に青白い稲妻が奔った。

 

 「ーー集っ!!」

 

 

 轟音と共に目の前に落ちた閃光に、いのりは思わず手をかざした。そして稲妻が落ちた場所から、ゆっくりと立つ集の後ろ姿に息をのんだ。

 

 「シュウ…」

 「ーー待たせてごめん。すぐに終わらせるから」

 

 振り返らずそれだけ言うと、右手に握るアラストルを地面に刃先を向けるように構え、ほんの一歩力強く地面を蹴った。

 稲妻のような速さで前列にいる悪魔達の胴体を切り払い、アラストルを宙高く放り投げる。

 

 「ーーアラストル!!」

 

 アラストルに手を掲げ、力強く握り拳を作ると叫んだ。

 バリバリと轟音を響かせ、その叫びに応えるようにアラストルの刀身から稲妻が広がり、ひとつの漏れなくその場にいた悪魔に降り注ぎ焼死させた。

 放電が止まりアラストルは集の手の平に吸い付くように落下する。集は絶命した悪魔の亡骸を、油断なく見渡しながらアラストルを受け止め、一度血払いの動作をすると背中に納めいのりに振り返った。

 

 「ーー……っ」

 「…………」

 

 お互いに言葉を交わす事は無かった。

 話したい事はお互い山とあるはずだが、ただ無言で視界を混じ合わせた。

 ふと集の姿に違和感を覚えた。

 髪が銀色に染まっているから、半魔人の状態になっているのかと思ったが、銀髪になっているのは全体の六割程だ。それに紅く変わるはずの瞳の色は黒目のままだ。いつもなら少なからず疲労の色が見えるはずなのにその様子も見られない。

 何かがいつもと違う。

 

 「……行くよ。いのり」

 

 いのりは何か覚悟を決めるかのように頷くと、胸を差し出すように両手を広げる。

 集の手が身体の中に差し込まれる。

 

 「んっーーあ」

 

 切なげな声が漏れる。懐かしさを感じるその感覚にいのりはようやく、桜満集が戻って来たのだという実感が持てた。

 

 (シュウ、ごめんなさい……)

 

 同時にこれまで自分が犯した所業、そしてこれから彼に背負わせてしまう重荷を想い、僅かな後悔と共に密かに涙を流した。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「ルシア…さん」

 

 亜里沙が寮の玄関を出た先で見た光景は、凄惨なものだった。

 血にまみれた少女が短刀で、切り落とされた悪魔の頭を串刺していた。さらに明らかに人間のものより大きい手首だけが、鋭く伸びる爪で彼女の右肩を貫いている。

 地面に転がった悪魔の腕の先が切断されている事を見るに、彼女の肩を刺し貫いている腕の持ち主なのはすぐに分かった。

 

 「ーーァ……リサ…」

 「ルシアさん!」

 

 亜里沙に気付いたルシアが立ち上がろうとして、力無く地面に崩れ落ちた。

 

 「少し…疲れた…だけっ、くっ!ぐぅぅ!」

 

 言いながら肩に刺さった爪を抜こうとするが、釣り針のように返しが付いた刃は簡単には抜けそうにない。抜こうとすれば傷を広げる結果になるのは想像に難くない。

 

 「ーーーっ!」

 

 亜里沙は苦痛に呻くルシアを亜里沙はただ見ている事しか出来なかった。無理に動くなと、言って上げたかった。

 だが、今はルシア以外に頼れる人物は居ない。彼女が戦えなければ、この寮は全滅する。

 

 「あ゛あぁ!!」

 

 ルシアが一気に刃を引き抜く、大量の血がバタバタと地面に落ちる。

 

 「ーー血が、」

 「……触らないで、…血を固まらなくする毒がある…みたい。私にはあまり意味無いけど、…人間は違う」

 

 息を激しく乱しながらも、みるみる傷が傷が塞がっていく様子に亜里沙は言葉を失った。

 彼女が人間では無いという事は、集の言動と悪魔達と繰り広げる苛烈な戦いで薄々勘付いてはいた。

 ずっと集やダンテのように悪魔の力を持つ者達が羨ましかった。「自分もこの力があればと、何度思ったことだろう。だがこうしてルシアの戦いを目の当たりにし、目の前の小さな少女からは胸を締め付けるような献身さと痛々しさを強く感じてしまう。

 

 (わたくしは…何をしているの…)

 

 自分よりずっと小さな身体で、重すぎる責任を背負わせるだけで無く、こんな苦痛を与え続けられるなんて。

 臆病な自分が恥ずかしい。

 たとえ悪魔の力のような超常的な能力を持ったとして、果たして彼らのように苦痛にたえて誰かも分からない他人のために戦えただろうか。転んで出来た擦り傷が激痛の世界しか知らない身で、確かな強さを持てたか断言出来るだろうか。

 ルシアもいのりだってそうだ。自分の全てを投げ打ってでも、誰かを助けようとしているのに、ひきかえ供奉院亜里沙はどうだ。

 

 まともに指揮も取れず、大きな波を恐れてさらに生徒達から反感買い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、挙げ句の果てに幼い少女の後ろで丸くなって。

 ーー恥ずかしいことこの上ない。

 

 「アリサは…中で隠れて……」

 

 傷が塞がっても、失った体力は戻らない。ルシアはおぼつかない足運びで、折れた片割れの短剣を拾おうとしてまた転倒する。

 その光景を悪魔達は嘲るように笑う。

 

 ーーその笑い声に亜里沙は、髪が逆立つような怒りを覚えた。

 

 「ーー何がおかしいのですか、この下衆共(げすども)!!」

 

 気付けばドスを抜いて悪魔達に啖呵を切っていた。

 悪魔達の嘲笑はさらに大きくなる。矮小な小枝を差し出して喚く木端が滑稽でしょうがないと笑う。

 

 「……リサ、死ん…じゃう」

 「もう怯えるのはたくさんです…」

 

 立ち上がろうとする度にもつれて倒れるルシアを背中で庇い、震えそうになる体を奮い立たせる。

 

 「私は供奉院亜里沙!貴方達のような下賤な者達に背を向けるくらいなら、最期の瞬間まで牙を突き立てます!」

 『ギゲエエエエ!!』

 

 一体の悪魔が我慢の限界だとばかりに、亜里沙に牙を剥き出して襲いかかって来た。

 頭どころか腰まで丸齧りに出来そうな大口を前にしても、亜里沙は目はギュッと閉じる事はあっても逃げようとはしなかった。

 

 

 「ーー(くせ)え息を、年端もいかないお嬢ちゃんに吐きかけるもんじゃねぇぜ」

 

 その声が聞こえた瞬間、悪魔の頭は上から押し潰され、体液と肉片が飛び散った。

 

 「ーーダンテさん……」

 「ハッ…、これだから飽きねえんだよ。ーー人間ってのは」

 「……?」

 

 いつもの不敵な笑みで言うダンテの言葉に、亜里沙はどこか父親のような温かさを僅かに感じた。

 悪魔の群れに向かって歩いていたダンテだったが、突然立ち止まって大きなため息をついた。

 

 「しくじったな…、シュウの野郎に俺の分を残しておくように言うのを忘れてたぜ」

 

 ダンテの視線を追って見上げると、いつの間にか学校全体を分厚い雲が覆っていた。そして、雲の中を縫うように雷が閃光を瞬かせーー

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 悪魔の襲撃を避けながら、校舎を移動していた花音は突然、空から目の前に現れた集に一瞬思考が固まった。

 

 「お…桜満君!?」

 「ーー委員長ごめん、ちょっと借りるよ」

 

 言うが早いか、集は花音が顔に掛けていた《メガネ》のヴォイドを奪うと、屋上に跳び上がった。

 屋上に設置された貯水タンクよりも上、アンテナの頂上まで登ると、《メガネ》を起動した。

 集の視界に白と赤の無数の光点が点滅しながら表示される。白は人間で、赤は悪魔だ。ダンテ達は黄色で表示される。

 さらに集はグラウンドを見て、人間の皮を被った悪魔を識別しようとする。集の想いにヴォイドと集の中にある魔力が互いに感応し、皮を被った招かれざる客の姿を浮かび上がらせた。

 膝を抱える者もいれば、彷徨い歩く者もいた。人間に紛れ込む彼らは恐ろしい程静かだった。

 

 「ーーこれで全部かな……?じゃあ、やるぞ」

 

 手元の相棒に静かに言うと、その刃先を空に掲げる。アラストルは魔力を解放し、青い雷と同じ色のオーラを纏う。

 雷雲がアラストルを中心に集まり始め、あちこちから雷が瞬く。

 

 「ーー……づっ!」

 

 急速に力が抜けていく感覚が集を襲う。長い時間眠っていて衰えた体力にはかなり負担がかかる。

 立ち眩みしながらも、なんとか耐えながらさらにアラストルを掲げ続ける。

 雷雲が限界まで膨れ上がったのを見て、集はレーダーに写る敵の全ての反応に意識を集中させた。

 

 「はああああ!」

 

 それ一つ一つに狙いを定め、雷雲を解き放つ。

 ゴロゴロと轟音を響かせ、無数の雷が校内の悪魔達に目掛けて、ピンポイントで降り注いだ。避難した人々に紛れた悪魔にも、周囲の人々を傷付ける事なくその悪魔を撃ち抜いた。

 

 「ーーこれがアラストルの本当の力…」

 

 実行した本人である集ですら、その光景に唖然とした。

 

 「あっ……」

 

 しかし同時にアラストルの中身が空になる感触が、柄から伝わって来た。今ので殆どの力を使い果たしてしまった事がすぐに分かった。

 今の規模で攻撃を行おうとすれば、数日間は休ませなければならないだろう。

 

 「……お疲れ様…」

 

 集はアラストルを背中に納めると、全校放送に繋がるインカムのスイッチを入れた。

 

 「ーーみんな、今雷に撃たれたのは悪魔だ!出来るだけ距離を空けて、戦える人はすぐに避難所に対処に向かって。まだ生き残りがいるかもしれない!前線に近い人は群を見張ってくれ!」

 

 最低限必要な命令を済ますと、集は一度大きく息をはいた。

 

 「ーー谷尋、校庭に来くれ」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 「今の声って……」

 「ーー桜満会長だ」

 「戻って来たんだ!」

 

 集の全校放送に生徒達が高揚する中、難波は心の中で舌打ちした。

 

 「ちょっと待てよ。君たち何を喜んでるんだ?さっきも言ったろだろ。ノンビリ眠りこけてた奴が、今更リーダー面するなんておかしい。ーー俺達のために戦うのは当然だろ?」

 「……たしかに」

 「俺は難波に賛成だ。アイツは気に喰わない」

 「遅れて来といて、ヒーローづらかよ…」

 

 「なんだよお前ら、俺は手伝いに行くぞ」

 「私も」

 

 難波の言葉に思う事がある生徒達が大半のようで、グラウンドに向かう生徒も迷いがある者が多い印象だ。

 

 (あと一歩追い込みが必要だな…)

 

 特別な力を持っていても、所詮は役者不足な子供に過ぎない。綻びを突つけばボロが出るはずだ。せっかく鬱陶しい供奉院を引きずり下ろせたんだ。あんな訳の分からない奴に横取りされてたまるか。

 

 「ーー俺が一番上じゃなきゃいけないんだ。全部…」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 谷尋が集の姿を見た時、心の底から驚いたような顔をした。突然目覚めた事もそうだと思うが、集の見た目に変化が表れた事も大きいだろう。

 手の中の《ハサミ》を見ながら、集は校門の外まで向かっていた。

 すぐ後ろには綾瀬が地面をスケートのリングのように、滑るように移動している。

 

 校門から外に出た集は“もう一人の剣士”によって助けられた、数人の市民とすれ違う。彼がいる事は屋上でレーダーを見た時に気付いていたが、正直言って半信半疑だった。助けを求めた訳でもないのに、日本に来るはずが無いと思っていたからだ。集の無意識の願望がダンテの分身か何かを、誤ってキャッチしてしまったのだとばかり思っていた。

 

 しかし実際に視線の先で戦う見覚えのある青年を見て、集は懐かしさに思わず顔を綻ばせた。

 

 「ーーネロ!」

 「っ!ーーシュウか?」

 「久しぶり。最後に一緒に仕事して以来だね」

 「……ああ。身体におかしな事は無いか?」

 「全然平気、ちょっと身体が重い気はするけど…どうかした?」

 「別に…寝起きのとこ悪いが、ちと手を貸せ」

 

 少しネロの様子がよそよそしく感じたが集は頷くと、チラッと校門の方を振り返る。

 校門は祭がヴォイドで直したが、門を閉じなければ結界は不完全のままだとレディは言っていた。いつまでも開けたままにはして置けない。

 そしてネロが一人一人地道に助け出していた市民だったが、ネロは問題なくとも悪魔に囚われている人々は刻一刻と衰弱していっている。

 やはり時間的猶予は無いと思った方がいい。

 

 「…考えててもしょうがないか。ーーネロ、僕があの空中の悪魔達をなんとかするから、地上の悪魔をお願い。綾瀬はあの人達を助けて」

 「分かった」

 「……お前が仕切るのかよ。まっ、別に構わねえが…」

 

 集は二人より前に歩み出ると、地上の悪魔と空中で身体に人質を磔ている悪魔を見据え、静かに目を閉じた。

 自分自身の外見と能力が著しく変化している事を、集は理解している。

 

 『ーーシュウ、あなたの魔力にはあなたの心を写すチカラがある』

 

 少し前にレディから言われた言葉を思い出す。“魔具”を作れと言われたのも随分と昔の事に感じる。

 

 そしてとうとう集はその領域に踏み込んだ。

 

 

 

 「集…あんた、ソレ」

 「…………」

 

 綾瀬は集が持つ《ハサミ》のヴォイドに起きた変化に言葉を失った。

 校門から様子を見ていた谷尋達も、唖然としてその光景に目を奪われていた。

 

 「ーーっ!谷尋、ヴォイドがあんなになって身体はなんとも無いの?」

 「あ…ああ、俺はなんとも無い」

 

 花音が心配そうに言うので、谷尋もはっとして身体のあちこちを触ってみる。あの変化はヴォイドにだけ起こり、谷尋には何一つとして異変は起きていない。

 

 「ーーなんだ…ヴォイドのあの姿は…」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 集がヴォイドを強く握ると同時に《ハサミ》は獣の(あぎと)のような姿に変わっていた。

 元の形はかろうじて残しつつも、血のように赤い模様は血管のように非法則的に放射状に広がり、刃も持ち手の部分もほぼ大部分を爬虫類の鱗に似た物で覆われた異様というより、禍々しいとも言えるような形に変貌した。

 

 「………」

 

 集は姿の変わったヴォイドを水平に払うと、静かに敵を睨む。そして合図をした訳でも無いのに、三人はほぼ同時に駆け出した。

 

 「ーーっ!」

 「ハッハーー!!」

 

 集が空中に跳び上がると、その下をくぐってネロが悪魔の群に突進した。

 その光景を見届けたりはしない。集と綾瀬は悪魔達を飛び越え、さらに上昇する。人質を掲げるようにする悪魔を真っ直ぐ見ながら、集は一分の躊躇いも見せず人質ごと悪魔を切り払った。

 

 「うわああ!?」

 

 悲鳴を上げる人質だったが、すぐに痛みも何も無い事に気付き呆然とする。悪魔にも傷ひとつ着いていない。その瞬間、悪魔の身体は浮力を失い落下する。

 

 「大丈夫ですか?すぐ助けるから暴れないで」

 

 人質がまた悲鳴を上げそうになった時、綾瀬が悪魔の身体から人質を助け出した。大の大人がいくら暴れてもびくともしなかった拘束が、何の抵抗も無く手足が自由になった。

 そのまま、かすり傷ひとつ無く絶命した悪魔だけが地上に落下する。

 

 「集、もっとペース上げて大丈夫よ!」

 「分かった!」

 

 そう言うが早いか、集は次から次へと悪魔を切り付けていきその悪魔に拘束されていた人質を、綾瀬が次々に救出していく。

 先程までと違い、地上に落ちても爆発する悪魔は居ない。

 

 するとまだ人質がいる全ての悪魔が次々に人質を手放し始めた。

 

 「くっ!」

 

 集と綾瀬が落下する人質の救出する中、悪魔達が退却を始めた。地上の悪魔達も、人質が解放されると同時に背を向け退却する。

 ネロもあえてそれを追うような真似はしない。

 

 そして戦場は嘘のように静寂に包まれた。

 

 

**************

 

 悪魔の襲撃による被害は決して小さくなかった。

 死者も生徒達よりも、市民の方が多くパニックになって取り押さえられている者も居た。

 

 「……僕が眠っていたばっかりに…」

 「……っ」

 

 集の呟きに谷尋は唇を噛む。悔しいのは谷尋も同じだが、集の気持ちは谷尋の想像の及ぶ所ではないだろう。

 

 「……谷尋は本当に平気?身体はーー」

 「ああ、前より良いくらいだ。ところでアレは何だったんだ?」

 「…えっと、実は僕もよく分かってないんだけど…。ヴォイドを“魔具化”したって事だと思う」

 「魔具?」

 「悪魔達の使う武器や道具の事だよ。このアラストルもダンテの剣みたいなね」

 

 集は背中で休んでいるアラストルを見ながら言う。

 

 「元のままじゃダメだったのか?」

 「戦うだけならそれでも良かったんだけど、悪魔相手だと素のままのヴォイドの能力はほとんど効かなくて」

 「”命を奪う能力“が……か?」

 「うん…悪魔の生命力は魔力も関係あって、谷尋のヴォイドの場合だとその魔力を直接断つ事が出来なかったんだ」

 「それで奴らを殺せる武器に変えたって訳か」

 

 集は頷く。

 谷尋のヴォイドをただ剣のように物を切断する用途で使っては、人質を救出する効率はネロが一人で行うのとほぼ変わらないだろう。

 人間を傷付けず、悪魔を倒す為には能力の発動が必須だった。

 

 しかし、前に集が悪魔相手に谷尋のヴォイドを使っても、“命の糸”を守るように漂う悪魔の魔力に阻まれた。

 例え“命の糸”に届いたのだとしても、切断出来るか微妙だった。

 それもそのはず谷尋のヴォイドは弟の寒川潤を殺すという、暗い欲求が作り出した力だ。言い方は悪いが他のヴォイド含めあくまで人間の範疇を出ない物でしか無いのだ。

 だから、一瞬でも奴らの土台に立つ必要があった。

 

 集は改めて半分以上銀色に変わった自分の髪を引っ張ったりして弄っていた。

 

 「ーー確認させてくれ。お前は昏睡する前の事をどの程度覚えてる?」

 「ん?ーーファングシャドウと戦って、綾瀬に助けられて、視界が真っ白になってからは、暗闇に浮かぶような感覚がしたのを覚えてる」

 「意識を失ってた事は分かるのか?」

 「うん…なんとなく、長い時間眠ってたって感覚があるよ」

 「……そうか」

 

 集があの蛇を出して、颯太やいのりを襲った記憶が無い事は分った。

 だがそれでいいあの事を思い出せば、集は悪魔の能力を使う事はおろか、戦う事も出来なくなるかもしれない。

 

 しかし懸念材料であるのは確かだ。蛇を完全に抑えているのなら良いが、本人が覚えていなければ確認のしようが無い。

 ”魔具化“時のあの爬虫類の鱗に似た物に覆われた《ハサミ》の姿も気になる。

 ーー本当に集はあの蛇に打ち勝ったのか?

 

 ともかくこの事実は集の精神的に強い負担が掛かるのは、明らかだ。

 隠しておくべきだ。

 これから起こる事を考えれば、その方がいい。

 

 わざわざ集を苦しめる事を、増やすような真似はしたくない。

 

 

**************

 

 

 

 集の姿を見て、すぐに駆け寄りたかった。

 

 ーーだが、それは許されない。

 それは自分の役回りでは無い。自分で決めた事なのに、今大事な時に後悔の念が押し寄せて歩みが重くなる。

 生徒達は畏怖の表情でいのりに道を譲る。

 

 視界の隅に、ダンテの後ろ姿が目に入る。

 

 「ーーいのり?」

 

 その声が聞こえた瞬間、何かを振り払うようにいのりは駆け出した。そして自分の《剣》のヴォイドで集の首を水平に切ーーー

 

 

 

 「ーーえ?」

 

 何が起きたか分からなかった。

 ーー気付いたら、へたり込む様に倒れて放心していた。

 首筋に違和感を感じ、ほぼ無意識に手がその違和感に触れてみる。ドロリとした生温かい感触と鋭い痛みに、バッと触れた手を見る。

 赤い液体が手の平を真っ赤に染めていた。それが自分の血だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 

 ーー怪我をしたのか?ーー何故?

 

 呆然と手の平を見ていたすぐ真上で、張り裂けるような金属音がした。その音の方を見る。

 そこにはダンテの剣がいのりの《剣》と組み合い、火花を散らしているという、理解しがたい光景が広がっていた。

 

 「ーーは、反逆だ!!」

 

 その声を聞いても、集はまだ状況を理解出来なかった。

 

 (反逆?…誰が?…誰を?)

 

 ダンテがいのりの《剣》を弾き飛ばす音で、集は我に返った。

 止める間も無く、ダンテの拳がいのり腹部を貫いた。いのりは「かっ」と息とも声とも言えない音を吐き出し、そのままグッタリと気を失った。

 

 「ーーま……待って…」

 

 騒然とする中、集は誰にも届かないようなか細い声を出しながら、いのりの手が後ろに縛られる様子をただ見ていた。

 

 「集っ!ダメだ」

 「谷尋…なんで止めるんだ。いのりがーー」

 「これは計画なんだ。全部、楪の計画通りなんだよ!」

 「……は?」

 

 谷尋の顔を見ようとするが、上手く行かない。周りの音も遠くに聞こえる。

 

 「どういうこーーー……」

 

 

 

 

 ーーーそのまま、沈むように集の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




↑はグロンギ語の翻訳サイトで今回のあいさつをグロンギ語に訳したものです。
なんか面白くて、色々遊んでます。

みなさんは翻訳サイトは使わず解読してくださいね?

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