ギルティクラウン~The Devil's Hearts~   作:すぱーだ

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前回から続く今回のサブタイ…実はめっちゃ悩んだ。

ギルクラ 原作アニメの15話と、この作品の今回の話は全く別物なので、原作と同じサブタイは良くないと思って変えることにしました。


#45毒蛇-②〜chrysalid〜

 

 昼前、颯太は腹の虫と戦いながら、他の生徒達と一緒に階段下をホウキではいていた。

 雑用は好きな作業とはとても言えなかったが、自分に集達のように何かを管理するような仕事ができるとは思えなかった。

 劣等生と平凡を行ったり来たりしている自分が重要な仕事で責任を背負うのは、大きな抵抗があった。

 

 (ヴォイドランク制なんて酷い事を考えるもんだよな…!)

 

 一晩経ってもまだ怒りが収まらない。集の反応から見てヴォイドランク制が実在している事は確かなようだが、いったい誰がこんなヴォイドで差別するような事を考えたんだか。

 なんにせよ当の集が反対ならランク制は導入されないだろう。

 

 「みんな、これを見て!生徒会室のゴミを出した時に見つけたの!」

 

 そんな事を考えていると、一人の女子生徒がひどく焦った様子で走って来た。その場に居た生徒達は作業の手を止め、女子生徒の所へ集まった。

 颯太は嫌な予感がした。大丈夫だ…あの集だぞ?と自分に言い聞かせるが、生徒達の声はとうてい受け入れられ無い現実を突きつけて来た。

 

 「なんだよこれ!」

 

 「ヴォイドランク制!?AからFって…俺たちみんなFじゃねえか!!」

 

 どよめきが大きくなっていく様子を、颯太はただ立ち尽くして見ていた。

 

 「なんだよFって!何で俺が最低なんだよ!」

 

 「ねえ、私たちどうなるの?あなたも生徒会役員なんでしょ?なんとかしてよ!」

 

 「そうだよ、颯太!お前だってFランクじゃんか!」

 

 「お…俺はなにも…このランクが役に立つ順って事しか…」

 

 疑問と不安が渦巻く。颯太もそれは同じだった。

 こうしてランクの割り振りが終わっているという事は、いつでもランク制を始める準備は出来てるという事だ。

 全生徒たちのヴォイドの確認は既に七割近く完了していると聞いた。きっと今日、集は全員分のヴォイドを確認し終えるだろう。

 そうなれば、このきっとランクの構築は完成する。

 

 「役に…立てばいいの?」

 

 女子生徒の呟きに全員が黙り込んだ。

 

 「病院にまだワクチンが残ってるかもしれない。こんな事態だし、早く行かないと」

 

 「そうだ…そうだよ!ワクチンを沢山持って帰れば、誰だってオレ達に感謝するはず!」

 

 確かにあの悪魔達を出し抜いて、ワクチンを手に入れる事が出来れば、Aは無理でもCランクくらいには上がれるかもしれない。

 

 「どうする颯太?」

 

 「魂館くん…」

 

 しかし、本当に可能なのだろうか。悪魔だけでなくGHQのゴーチェも生存者達を襲っているという話を聞く。

 

 「…よし、行こう!」

 

 どのみち今回を逃せば機会は無いかもしれない。今が自分達の力を証明する最初で最後のチャンスだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 「ーーう?シュウ起きて」

 

 「集、大丈夫?」

 

 自分を呼ぶ声に目を開けるといのりと祭が集の顔を心配そうに覗き込んでいた。硬いコンクリートの感触を後頭部に感じながら、しばらくボンヤリ二人の顔を見て、ようやく自分がどこにいるのか思い出した。

 

 ダンテとの稽古で最終的に屋上から叩き落とされた後、階段を上るのも億劫だったので映研部の部室であるボロ屋で眠ってしまっていたのだ。

 

 「おはよう…。昨日鍛錬してただけだから大丈…っいてて!」

 

 身体を動かした途端思い出したかのように、傷が痛み始まる。

 

 ここ最近は悪魔の力と、祭のヴォイドに頼り切りだったから人間本来の治癒力というのを忘れかけていた。

 人間がいかに怪我が治りにくいのか、改めて思い知る。

 

 「もう!また無茶してたでしょ」

 

 火傷だらけの身体を見て、祭が怒った顔で集の顔を見る。 

 

 「はは…」

 

 「何かあったの?」

 

 「………」

 

 「……シュウ」

 

 「ちょっと…ね。失敗しちゃって」

 

 いのりの問い掛けに集は顔をそらして俯く。いのりと祭は一度互いに目を合わせる。

 

  「……どんな失敗をしたの?」

 

 祭が少し顔を覗き込むようにしながら優しい口調で尋ねた。

 

 「颯太が…何故か分からないけど、ヴォイドランク制の事を知っててそれで僕に聞いて来たんだ。“本当にやるのか”って」

 

 「シュウは…なんて答えたの?」

 

 今度はいのりが尋ねた。

 集はいのりの問い掛けに、少し深く息をはく。

 

 「“やるつもりない”って言った」

 

 「それがどうして失敗なの?」

 

 いのりの問い掛けに集は俯きどう言葉にすべきか少し考えると、絞り出すような声で言った。

 

 「だって、この先どうなるか分からないじゃないか…。裏切る事になるかもしれないのに。僕は嫌われたくない一心で……」

 

 「他人から嫌われたくないなんて当たり前だよ。誰でもそう。それじゃあダメなの?」

 

 「そりゃあダメだよ!リーダーなんだから!」

 

 当たり前の事を聞くなと言いたげに、集は頭を左右に振って強い口調で言った。

 

 「何時までここに居る事になるか分からないんだ…。みんなを守るために、皆んなが嫌がる事だってしなきゃいけなくなる。優しく事をしたからって、いい結果になるとはかぎらないんだ!その時が来たらきっとーー」

 

 「せーの」

 

 えいっと言う掛け声と同時に、二人は正面から集の首を抱き寄せた。

 

 「うぐっ!」

 

 集の首と胸の辺りに圧力をかけられ、体の奥があたたかくなるようないい匂いに包まれると同時に呼吸が一瞬止められる。その上、柔らかい感触を押し当てられている事に気付くと、一気に顔が熱くなった。

 

 「…ーーっあの…、これは一体…」

 

 その動揺を悟られないように、冷静をよそおって二人に尋ねる。

 

 「ねえ…私たちは、シュウにとって頼りにならない?」

 

 「え?」

 

 いのりのその言葉に思わず顔を見ようとする。しかし二人はしっかりと集の身体を抱き寄せていて、それは出来なかった。

 

 「一人で抱え込まないで。集…」

 

 「ーーっ」

 

 集の耳元で祭が囁くように言う。

 そこでようやく二人の真意を集は理解した。

 

 「ガイが…言ってた。“仲間は同じ目的のために、同じ罪を背負っていくものだ”って…」

 

 「…涯らしいな…」

 

 いのりは頷いて身体を離すと、吸い込まれそうな程澄んだ瞳で集の眼を覗き込んで来た。集は心の中をそのまま覗き込まれるような感覚になり、心臓が激しく脈打った。

 

 「シュウにとっての私たちは、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 「それは…」

 

 「集…言ってたよね?私達も戦わなくちゃならないって…。私は集やいのりちゃんみたいに、戦う事は出来ない」

 

 祭が自分のヴォイドの存在を感じようとするかのように、自分の胸の中心をそっとさすった。

 

 「それでも私は…集の力になりたい。私の力で大切な人達を守りたい」

 

 「ハレ…」

 

 「どんな事になっても、私は集の味方だから」

 

 祭は優しい微笑みを浮かべ、集の頬に触れる。

 

 「私も…シュウを一人にしない」

 

 「…いのり」

 

 いのりが集の右手にそっと手を重ねる。少女達の想いに触れ、集の頬が緩む。

 

 「ありがとう二人共…ごめん。一気に色々起こりすぎて、大事な事を忘れてた…」

 

 そんな想いを二人はずっと抱えていたのかと、集は下唇を噛んだ。

 彼女達は、ただ庇護の対象でいるつもりはさらさら無いのだ。互いに失敗や欠点を埋め合い、信頼し合う、そんな対等な仲間で居たいと願っていたのだ。

 集は傷つけたくない、失いたくない一心で彼女達を無意識のうちに突き放すように遠ざけていたのかも知れない。

 

 「大丈夫だよ?集なら優しい王様になれるって、ーー私は信じてる」

 

 祭の言葉にいのりは首を傾げる。

 

 「王様…?確かこの間も…」

 

 「いのりちゃん知らない?“優しい王様”ていう昔話」

 

 いのりはピンと来ず首を傾げるが、集は心当たりがあり「あーっ」と声を上げた。

 

 「ハレ、昔から好きだったよね?」

 

 「うん、小さい頃からずっと好きだったお話。ある国にいた王様がとても優しくてね、皆にお金をあげたり、土地を譲ったりしていたら、とうとう国がなくなってしまったの。王様は大臣とか、お妃さまとか、皆に怒られちゃうんだけど…でも、私はそんな王様が大好きだったの」

 

 「きっと私のーー」という小さな呟きが、いのりは祭がただその物語が好きなだけでは無い事に簡単に気付くことが出来た。

 

 「集はその王様に似てるの。優しくて、損しちゃうところとか…。大丈夫。集にはいい所いっぱいあるもん。きっと皆分かってくれるよ?」

 

 祭は子供のように綺麗で大きな瞳で集を見つめる。

 

 「………」

 

 「ねえ、シュウはどうしたいの?」

 

 「僕は……」

 

 「何をしなきゃいけない…とかじゃなくて、シュウの気持ちは?」

 

 いのりと祭は合理性ではなく、集らしい選択を望んでいた。

 彼に後悔する選択を選んで欲しくない。

 何より彼女達は集本人よりも、桜満集の事を信じていた。

 

 「…一緒に考えよう?集と皆が納得する方法を…」

 

 「………いのり、ハレ」

 

 集は少女達に微笑み返し、立ち上がった。

 覚悟は決まった。きっと怒り狂う人は居るだろう。「差別だ」と叫ぶ者も、そんな悪意を向けられるのが怖くないと言えば嘘になる。

 だけど…しっかり話し合うべきだと思う。

 話し合って、皆が助かる未来を探そう。

 

 「今日…皆にヴォイドランク制の事話すよ」

 

 「…うん」

 

 「私たちも協力するよ」

 

 ーー集には、喜びも苦しみも共有できる大切な人達がいる。

 集一人が守る者たちの重圧に苦しむ必要はないと、彼女達はそう言ってくれた。

 彼女達が居れば、桜満集はきっとーー。

 

 その時、祭の携帯が鳴った。

 

 「もしもし。花音ちゃん?ーー集?居るよ?」

 

 祭がしばらく電話の向こうの花音と話すと、集に携帯を差し出した。

 

 「花音ちゃんが“緊急”だって…」

 

 『桜満くん!?』

 

 携帯を受け取り耳に当てると、花音のひどく切羽詰まった様子の声が聞こえてきた。

 

 『魂館くんが四人の生徒と一緒にヴォイドを持って学校の外に出てるの!桜満くんが指示したの!?』

 

 「え!」

 

 『近くにGHQのロボットもいるの!!すぐ呼び戻さなきゃ!!』

 

 「通信は!?」

 

 『もうローカルネットの圏外に出ちゃったの!』

 

 「分かった。こっちから追ってみる。すぐレディさんに連絡して」

 

 「集…?」

 

 「二人はここに居て。近くにダンテもいる筈だから、一緒に連れ戻す」

 

 無論、いまだに黒電話しか持っていないダンテが、通信機の類いなど持っているわけが無いが、戦闘音に気付けばすぐに向かって来るはずだ。ダンテはこの辺りの孔は全て閉じたと言っていたが、油断は出来ない。

 

 駆け出そうとした集の制服の袖をいのりが掴んだ。

 

 「私も行く…」

 

 「いのり!」

 

 そして祭も集を引き止めるように、集の腕をしっかり捕まえた。

 

 「私も!こういう時にこそ私のヴォイドが役に立つはず!」

 

 「ハレまで!…何が起こるかわからないんだぞ!?さっきの話を気にしてるのかもしれないけど、これは全然別の話だ!!」

 

 「私だって怖いよ!?だけど…」

 

 「シュウが戦ってる間、誰が彼等を守るの?」

 

 集は僅かな間だけ悩むと、二人の手を取る。

 悩んでる時間が惜しかった。

 それにいのりが自分のヴォイドを持って戦えば、より安全に颯太達を避難させる事が出来るはずだ。

 

 「分かった。一緒に行こう」

 

 集は二人に頷いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「急げ!!」

 

 颯太は後ろから着いてくる生徒達を急かす。

 てっきりあの悪魔達がウヨウヨいるかと思っていたが、長いこと走っているのに一体たりとも見かけない。

 拍子抜けだが好都合。

 

 「あの高架橋を越えればもうすぐよ!」

 

 (頼む!あってくれ!!)

 

 すぐ後ろを走る女子生徒が息を切らしながら言う。

 颯太はただ病院のワクチンが残っている事だけをひたすら祈っていた。

 

 その時、背後から走って来た車が颯太達の進行を遮るように止まった。扉が開き助手席からいのり、後部座席から集とヴォイドを持った祭が飛び降りた。

 運転席にはツグミが操作する“ふゅ〜ねる”がハンドルを握っていた。

 

 「颯太っ!!馬鹿な事してないで戻るんだ!!」

 

 集がそう叫ぶと颯太の表情が怒りとも悲しみともつかない表情に歪み、ふざけんなと吐き捨てるように呟いた。

 

 「馬鹿ってなんだよ!Fランクだから馬鹿だって言いたいのか!?」

 

 「ランクとか関係無く馬鹿だ!!悪魔がどれだけ危険な連中かさんざん話しただろ!?皆を殺したいのか!!」

 

 集にしては珍しく罵声にも似た怒鳴り声を上げる。颯太はそんな集に驚いたのか、一瞬呆然と集の顔を見るが、もう引っ込みがつかないのかすぐに怒りの表情を浮かべる。

 

 「うるせえな!!俺たちは病院からワクチンを手に入れて、最低ランクじゃないって証明するんだ!!」

 

 「まさか…そのために?」

 

 「ああそうだよ!!ランク制やるつもり無いなんて嘘言いやがって!!しっかり準備出来てるじゃねえか!!」

 

 颯太は懐から紙束を取り出して地面に叩き付けた。集が地面に落ちた紙に谷尋がまとめていたFランクの印字がある事に気付いた。

 集は違和感を感じた。谷尋はランク制の編集をパソコンで進めていたはずで、紙に印刷などしてなかったはずだ。

 

 颯太達はこれをどこで見つけた?

 

 「颯太…」

 

 「俺たちを切り捨てるつもりだったんだろ!?友達だと思ってたのに!!」

 

 「ち、違う!僕はーー…っ。ツグミっ!車から降りろ!!」

 

 『えっ!?わわわっわ!!』

 

 集が突然言葉を止めて、叫ぶ。

 

 “ふゅ〜ねる”が慌てて車から飛び降りた瞬間、車が高く飛び上がり、高架橋に激突して見る影もなくへし折られた。

 集は背中に背負ったアラストルの柄を強く握り、一息に引き抜く。

 

 

 「いのり…」

 

 「うん」

 

 いのりが集の正面に立ち、集はいのりの目を覗き込む。そしてその胸から巨大な剣を引き抜いた。

 

 「時間をかせぐ。みんなと一緒に隠れて」

 

 そう言ってヴォイドの剣をいのりに渡すと、背後に現れた異形の者たちと向かい合った。

 

 「…わかった」

 

 「集っ!気を付けて」

 

 集は悪魔から目を離さず、二人に向けて親指を立てる。

 いのりが颯太に何かを言って、引きずるように物陰に連れて行く。他の生徒も大人しくその後に続く。

 それを横目でチラッと確認した瞬間、それをスキと見たのか悪魔達が雄叫びを上げて飛び掛かった。

 

 集は冷静に空中の悪魔を斬り落とすと、続く後続をバックステップで躱す。集はアラストルを振るい、右から左から襲ってくる悪魔達を次々と悪魔を斬り払っていく。

 しかし、その数はどんどん増していく。いのり達が逃げた方向からも、戦闘音が聞こえた。

 ダンテならもう戦いに気付いたと思うが、力を制限されている自分はもちろん、いのりの方もおそらく状況は芳しく無いだろう。

 ダンテがいのりの方へ助けに行ってくれる事を信じて、集は目の前の敵に意識を戻す。

 

 

 その時、空中から金属を裂く様な音が聞こえた。 

 何かが猛スピードで飛んで来ている音だ。

 

 ダンテでは無い。感じるのは無機質で強い殺意だ。

 

 

 「ーーーっ!!?」

 

 ほぼ反射的にその場を飛び退いた。

 その瞬間、地面を何かが激突した。隕石でも降って来たかの様な衝撃が辺りを襲い、土と石を巻き上げる。

 

 「ーーーづっぅ!!」

 

 吹き飛ばされ、地面に転がった集が土煙に視線を向けた。

 

 衝撃の起きた場所は小さなクレーター状になっており、その中心部には腕が入ってしまいそうな太さの穴が深く土を抉っていた。

 

 音が聞こえてきた方向を見る。

 ちょうど通り一つ分離れたビルの上に、大きな影が見えた。

 否、それは影そのものだ。

 

 「ファング…シャドウ…!」

 

 巨大な影の獣だ。虎の模様は絶え間無く赤い光が脈打ち、背中と四肢には湾曲した無数の刺が、肋骨が飛び出たように規則的に並んでいる。

 

 影の獣は頭部の顔半分から長い銃口を生やし、獣のままもう半分の顔で集を睨む付ける。

 

 「冗談だろ…」

 

 冷や汗が背中をじっとり濡らす。

 長い銃身の上に狙撃用のスコープが付いてなければ、戦車の砲塔を生やしているようにしか見えなかっただろう。

 

 狙撃銃の種類は多くあるが、とりわけ有名なのが“対物(アンチマテリアル)ライフル“だろう。集はそこまで銃器にあかるい訳では無いが、戦車の装甲に穴を空けて致命的なダメージを与える事が出来る物もあるという話くらいは聞いた事があった。

 

 もし…アレがそんな代物をベースにした物なら、あのサイズの銃弾でそんな威力。たとえ僅かに掠っただけで部位がもぎ取れる事は想像に難くない。

 

 ファングシャドウは再び銃口を集に狙いを定めた。

 

 「くそっ!!」

 

 集は無我夢中で駆け出し、高架橋の下に滑り込む。

 

 「アラストルっ!!」

 

 アラストルを信号機に向け、叫ぶ。

 信号機を壊したいわけでは無い。アラストルは僅かに雷を纏わすと、信号機との間に強力な磁場を発生させた。

 

 それに引っ張られる形で集の身体は、勢い良く高架橋の向こうへ飛び出した。

 

 その瞬間、影の獣から放たれた巨大な銃弾が高架橋を難なく貫通した。想像する事すら嫌になる威力を秘めた銃弾は、衝撃波で真空を作り出しながら弾丸の軌道を空間にしばらくの間焼き付けた。

 そのすぐ後、貫通して出来た穴を中心に高架橋は地響きと共に崩壊する。

 

 地面を転がった集はすぐさま身体を起こすと、ビルの屋上に居るファングシャドウにアラストルの刃先を向けた。

 大きな雷鳴と共に刀身から放たれた雷はファングシャドウを直撃する。

 

 ダンテから聞いていた通り、雷は直撃したがそのエネルギーは獣の表面に吸収され、複数の魔法陣から魔力の刃に変換して撃ち返してきた。

 

 「ーーっ!!?」

 

 雷を目眩しに逃げようとしていた集だったが、魔力の刃は集が逃げようとしていた先の地面を広範囲に渡って突き刺さる。

 屋上を見上げると、ファングシャドウの頭部は二本の牙を持つ元の獣の顔に戻り、飛び降りた直後だった。

 

 巨大な獣は重力を感じさせない優然とした風体で地に降り立つと、炎のように不定形な黒い影の立て髪を揺らしながら、敵意の籠もった眼で集を見る。

 

 「……?」

 

 集はふと妙な引っ掛かりを覚えた。

 しかし、それを考えてる間にファングシャドウは新たに頭部を巨大な機関銃に変えた。

 

 「やらせるかっ!!」

 

 集が再び雷を放つ。

 ファングシャドウは頭部を変形させながら、雷を飛び越えるように躱した。

 

 「っ!?」

 

 そう躱した。

 受けても一切ダメージが無いはずの攻撃を、()()()

 

 頭部の機関銃が着地の瞬間、ローリングと共に凄まじい轟音で弾を撃ち出した。地面やビルにレンコンみたいな穴を空け、集が居た場所を瞬く間に瓦礫の山に変えていく。

 周囲が瓦礫の山と土煙で満たされ、ファングシャドウは撃つのをやめた。

 

 獲物を撃ち抜いた感触が無い事に、ファングシャドウは訝しんだ。

 何処かに逃げ延びた獲物を探そうとした瞬間、ファングシャドウは真上から雷に撃たれた。

 

 『グルルルゥゥゥゥ』

 

 だが雷は既に“覚えた”。何百、何千うけた所でファングシャドウの命を脅かす事は無い。

 ファングシャドウは頭部を獣の姿に戻し、雷のエネルギーを再び自身の魔力へ置換する。

 

 「なるほど…、“変形”とカウンターは同時には出来ないんだな」

 

 集がビルの壁に貼り付いているのを発見したファングシャドウは、低く唸る。

 

 これはアリウスから受けた”改造“の弊害だろうか?理由はどうであれ目の前の凶悪な魔獣にもつけ入る隙があるということだ。

 

 ファングシャドウは地を蹴り付けると、一瞬で集の目の前に迫り頭部を槍に変えて串刺そうとした。

 集は槍を躱し、小さなヴォイドエフェクトを連続で発生させながら壁を駆け出す。

 

 ファングシャドウはその後を追いながら、何本もの槍を射出し、大剣に変えて薙ぎ払ったり、叩きつけたりして絶え間無く集を襲い続ける。

 それを左右に避け、空中のエフェクトを蹴りながら必死に身体を動かす。

 

 (なんとか…コイツを引き離さないと!)

 

 人間としての体力の限界が近付きつつあった。

 集は息を切らしながら、後ろから追いかけて来る影の獣に注意を払った。その時、ファングシャドウの口内から稲光りを発している事に気付いた。

 

 (来る!!)

 

 次の瞬間、眩く激しいスパークと共に口から稲妻を吐き出した。

 

 集は咄嗟にアラストルとヴォイドエフェクトで、影の獣が放つ雷を防御する。巨大な稲妻がヴォイドエフェクトに直撃し、周囲の世界を閃光で覆い尽くす。

 集が放てる最大火力の数倍強力な雷だ。

 

 「ーーづっ!!」

 

 ヴォイドエフェクトで防御し、防ぎ切れない分をアラストルに吸収させる。これだけやっても防ぎ切れずアラストルを持つ集の指が焼け爛れていく。

 

 「がっ あ ああぁぁ!!」

 

 雷の威力が僅かに弱まった瞬間を見逃さず、集は吸収した雷にアラストルの雷を上乗せして放った。

 

 アラストルから放たれた雷はファングシャドウの雷を弾き飛ばし、ファングシャドウの身体に直撃した。

 その瞬間、ファングシャドウの黒い身体が粉々に砕け散った。

 

 「ーーっ!!」

 

 集はその光景に目を見張る。

 そして散り散りに飛ぶ黒い砂を見て、瞬時に理解した。

 ファングシャドウは砂鉄を磁力で操り、一瞬でデコイ人形を作り上げたのだ。

 

 集は砂鉄人形が立っていた壁に大きな穴が空いてる事にすぐ気付く。その意味を完全に把握する前に脚は壁を蹴った。

 

 周りの時間の流れがいやに遅く感じる。

 集の目に窓の内側にファングシャドウが頭部を先程の対物ライフルに変形させ自分に狙いを定めている様子が飛び込んだ。

 

 直後、ビルの窓ガラスが内側からの閃光と衝撃によって破裂するかのように砕け散った。

 発射された弾が集を撃ち抜こうと迫る。

 

 しかし、途方も無い威力を秘めていた事が逆に幸いした。

 銃口から放たれた衝撃波が、砕け散った窓ガラスの破片が、集の身体を遠くへ運んだのだ。

 おかげで殆ど防御らしい防御も、身体を捻って避ける事も出来なかったが、集の身体に弾丸が命中する事は無かった。

 

 窓ガラスが全身に突き刺さり、真空を作り出す弾道が鋭利な刃物のように、集の肩を切り裂く。

 

 「……ぁっ…?」

 

 それで命を拾った事に集は心の底から驚いた。

 

 何故ファングシャドウの弾丸から逃げられたのか集には理解出来なかった。

 

 「っ!!」

 

 地面が猛スピードで近づいている事に気付き、慌ててヴォイドエフェクトを展開しクッション代わりにした。

 

 「がっ…あぁぐっぎ…っ!!」

 

 全身がバラバラになるのではないかという程の衝撃に襲われ、集は歯を食いしばった。

 

 「げぁっ…がぱっ!?」

 

 痛みに呻きながら、縋るように土を掴み吐血する。

 ーー逃げなければ。今のはたまたま命を拾ったにすぎない。

 ーー次は無い。ーー奇跡は起こらない。

 

 「アラス…トル。…アラストル!!」

 

 いつもと同じだ。

 雷の剣は集の声に答えない。

 

 「こういう時くらい答えてくれよ!!」

 

 全身に走る激痛に耐えながら、アラストルを探して歩き回る。

 アラストルはすぐに見つかった。高架橋の瓦礫の上に突き刺さっていた。ほんの数歩走れば手が届く距離。

 

 「ーーっ!?」

 

 だが、真後ろに巨大な気配を感じ、集は金縛りにかかったように動けなくなった。

 目と鼻の距離から獣の唸り声と吐息が、集の後頭部を撫でる。

 そして湿った音を立てて獣の頭部が不定形に崩れ、銃口へ変わる。

 

 「はーーっあ…?!」

 

 もう逃げる事も、防ぐ事も出来ない。

 生存を訴える心臓が痛いほど鼓動する。それに同調し呼吸もどんどん激しくなっていく。

 

 『集っ!!伏せて!!』

 

 綾瀬の声と同時に、こちらへ猛スピードでシュタイナーの白い機体が向かって来る。シュタイナーはおもむろにグレネードランチャーを発射した。

 ファングシャドウの目の前で閃光弾が炸裂し、眩い白い光が太陽の光のように爆発的に広がった。

 

 『グルオォッ!!』

 

 影の魔物であるが故か、閃光弾の光にファングシャドウの変形は解け、ファングシャドウは一瞬動きを止める。

 

 『やああああ!!』

 

 綾瀬は咆哮を上げ、ファングシャドウに体当たりをする。

 渾身のタックルを受けたファングシャドウは、しばらくシュタイナーに押されていたが、ショックから立ち直ると逆に強靭な脚をさらに樹木の根のような物に変形させ機体を押し返し始める。

 ファングシャドウの身体がピタリと止まり、シュタイナーは土や瓦礫と車を巻き込みながら押され始めた。

 

 『くっ…!!このっ!…ーー集っ!早く逃げて!!』

 

 「けど!!」

 

 『あんたが逃げないと私も逃げられないでしょ!!』

 

 ファングシャドウの胴体から無数の鎌が生え、鞭のようにシュタイナーを打ち始めた。

 

 『キャアァッ!!』

 

 「綾瀬っ!!」

 

 機体が何度も切り裂かれ、無数の細い切り傷が出来ていく。

 腕を脚を胴を背中のミサイルハッチも、ファングシャドウは切り裂こうとする。

 

 『集っ!!ーー早く行って!!行けっての!!』

 

 「ーーっ!」

 

 綾瀬の声に後押しされ、集は立ち上がるとアラストルを目指して走る。そして柄を掴んだ時、ある光景が目に入った。

 

 颯太が祭の手を引いて走って来たのだ。

 

 「なんで…ここに…」

 

 颯太が祭に何かを言うと、祭は壊れた車に包帯のヴォイドを巻き始めた。車を直すつもりなのか?なんだってこんな時にーー。

 

 その時また一人、物影から飛び出した。

 

 「いのり?」

 

 集が呟いた時、ーーー

 

 『集っ!!』

 

 綾瀬が絶叫する。

 集の盾になるように立つシュタイナーの向こうで、ファングシャドウが身体が流体のように波打ちながら変形していた。

 今までとは明らかに違うものだ。

 ファングシャドウは核を露出させ、禍々しい光を放ちながら激しく、大きく、異質な変容を見せる。

 しかし形状が固まっていくにつれ、近未来的でライフルや機関銃と比べてもずっと複雑な機械のような物が姿を現し始めた。

 

 ファングシャドウの核を中心に、刃のようにも翼のようにも見える四枚の金属の羽が四方に並び、狙いを定めるように四枚全ての羽を集達へ向けられた。

 

 「銃…なのか?」

 

 ライフルや機関銃を含めた通常の銃火器にある筒状のライフリングとは大きくかけ離れたものだ。どう見ても弾丸を放つ為の形状ではない。

 ーーしかし、どこかで見た記憶があった。

 あんな突飛なデザインの武器なんか、一度でも見れば忘れるはずが無いと思うのだが、どうにも記憶の片隅に引っ掛かる。

 見たのはそう昔では無い。つい最近ーー。

 

 『まさか…』

 

 綾瀬が震える声で呟いた。

 

 『“ルーカサイト”…?』

 

 「なっーー!!?」

 

 その名を聞いて集は戦慄した。

 

 ーールーカサイト。

 かつて葬儀社を苦しめた衛星軌道兵器。空母どころか街すらも一瞬で焼き尽くす事ができる悪魔のような極光の星。

 

 「くっそ!!」

 

瞬間、集が弾けるように動いた。

 ファングシャドウの変形を喰い止めようと、アラストルの刀身に雷を溜め、一気に解放した。

 しかし、ザーーッという音と共に地面から起き上がった黒い壁が雷の行手を阻んだ。

 

 「くそっ、また砂鉄か!!」

 

 これでは十分な威力が届かない。閃光弾を撃っても、同じように防がれるだろう。

 

 シュタイナーが自分達の前に車や瓦礫を積み上げ、高架橋の瓦礫を持ち上げて壁にする。

 

 「綾瀬…っ!」

 

 『ーーいのり達を助けて!!』

 

 こんな壁で“ルーカサイト”の極光を防げるはずが無い。そんな事、綾瀬だって分かっているはずだ。

 

 『早くっ!!何をすべきかくらい分かるでしょ!!』

 

 集は三人に向かってめちゃくちゃに叫びながら走り出した。

 何とかこの危機を伝えようと、血を吐きながら懸命に声を出す。

 

 「ーーいのりっ!!ハレっ!!ーー逃げろぉお!!」

 

 三人が集の喉が裂けるような必死な叫びに気付き、振り向く。

 

 その瞬間、閃光弾を上回る太陽が地上に落ちて来たかのような光が集の意識を塗り潰す。

 世界が白く染まると同時に、灼熱の地獄が押し寄せて来た。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ーー数分前

 

 ダリルはゴーチェの編隊を引き連れて、楪いのりと戦闘を行なっていた。正確に言うと頼んでも無いのに、例の“悪魔”とかいう化け物達が勝手について来て、勝手に戦闘を始めたのだ。

 

 なんにせよ結局は嘘界の言う通りの展開になった。

 ダリル達に与えられた命令は、愚かにも安全な柵の外に出た生徒たちを襲うだけの単純なもの。

 ーー生徒を殺しても良い。ただし、楪いのりは決して殺すな。

 それが唯一設けられた制限だった。

 

 (何故だ?楪いのりは葬儀社の一員で敵だろ?)

 

 そう思ったが、聞いたところで教えてくれるはずが無い。案の定ローワンから極秘だと釘を刺された。ローワンの顔色を見るにどうせ彼も知らないだろうから、もうどうでも良かった。

 

 『あの、ダリル少尉…。このまま見てるだけで良いのでしょうか?』

 

 斜め後ろに立つゴーチェがダリルの顔色を伺うように言う。

 ダリルは生徒達を守って悪魔と戦う楪いのりに視線を戻す。ヴォイドの大剣を持ち、とても人間とは思えない動きで次々と悪魔達を両断する。

 

 それでも悪魔の数は一向に減らない。

 楪いのりにも疲労が見え始めている。

 

 『………』

 

 何故か以前のような意欲がまるで浮かばない。命令に従って、銃を向けるという軍人として当たり前の事に対して強い拒否感がある。

 いざ奴らに銃を向けて、引き金を引けるという確信が持てない。

 

 『少尉…?』

 

 『…撃ち方始め…』

 

 後ろの顔もよく覚えてないパイロットに苛立ちを覚えながら、ダリルは気怠げに命じた。

 その号令に従い後ろに控えていたゴーチェが二体、ダリルの両隣に並び一斉にサブマシンガンの弾を掃射した。

 

 「!!」

 

 いのりは素早く反応し、取り囲む悪魔を無視して剣の刃先をゴーチェ達に向ける。

 剣の刃先からヴォイドエフェクトが展開し、銃弾が全て弾かれるか、明後日の方向に飛んでいく。

 

 銃弾は全ていのりから外れ、いのりに襲い掛かろうとしていた悪魔をミンチにする。

 銃撃でいのりの姿が見えなくなった事で、ゴーチェ達は引き金から指を離した。その瞬間、銀と赤の残像を残して、いのりがゴーチェ達を肉薄する。

 

 「ーーはああっ!!」

 

 いのりは一振りで二体のゴーチェを切り捨てる。ダリルはバックダッシュでいのりの一撃から逃れた。

 いのりは顔を上げ、ダリルの機体と後ろで控えているもう三体のゴーチェに狙いをさだめる。

 両断した左右二体のゴーチェが爆発するのを背に、いのりは再び疾走する。ダリルは冷静にミサイルを発射した。

 

 「ーーっ!!」

 

 ミサイルの狙いが自分が守っている生徒達である事に気付いたいのりは、大剣をミサイルに向かって振った。刀身から銀の糸のような斬撃が放たれ、ミサイルは切断と誘爆によって全て落とされた。

 ミサイルの破片から自分の身を守った時、バシュッという空気を叩くような音と共に、いのりの身体にワイヤーが巻き付いた。

 

 「あぁ!!」

 

 両腕は身体と一緒に巻き取られ、両脚もピッタリくっつけられる形で拘束された。

 いのりは呻きながらも、何とか剣で斬ろうとする。しかしゴーチェの腕がいのりの身体を掴み上げ、建物の壁に抑え付けた。

 

 「ーーぐっ、あう!!?」

 

 いのりは右腕の骨が折られる痛みに、顔を歪ませる。

 それでも剣は手放さない。握っているだけで精一杯のはずでも、必死にゴーチェの腕をどかす方法を考える。

 

 『他人の事なんか放っておけば、こんな目に合わずに済むのに…やっぱり馬鹿だよな。お前達……』

 

 何故…何故ここまで真剣になれる?コイツにとって生徒達の大部分なんか、赤の他人だろ?

 にもかかわらず自分の身を犠牲にして戦う。全く理解出来ない。

 

 「いやああ!!」

 

 「うわ!来るな!来るな!」

 

 生徒達の悲鳴にいのりの顔が歪む。

 

 「やめてぇぇ!!」

 

 悪魔やゴーチェが生徒達に向かっていく光景に、いのりは必死にゴーチェの腕を振り解こうと抵抗する。

 いのりと生徒達の悲鳴が聞こえる度にとても苦い、気持ちの悪い感覚がダリルの胸を満たしていく。

 

 その時、ダリルの視界の隅に赤い残像の尾が見えた。先程のいのりを遥かに上回る速さで地面に降り立ち、前列の悪魔を残らず消し飛ばす。

 

 「よう…、弱い者虐めは楽しかったか?こっから先は俺とダンスに付き合えよ」

 

 不敵な笑みを浮かべて、ダンテは髑髏の長剣を肩に担ぐ。

 

 (来たか…)

 

 ダリルは僅かに感じた妙な安心感に気付かない振りをして、銀髪の長身の男を睨んだ。

 

 『「赤い男」だ。全機撤退』

 

 いのりから手を離すと、淡々と命じる。

 

 「え?」

 

 地面に落とされたいのりは、去っていくゴーチェ達に少しの間戸惑う。

 

 「いのりーーっ!」

 

 「ルシア…」

 

 駆け寄って来る褐色赤髪の少女に気付き、いのりは微笑みを浮かべた。ダンテの方を見れば、剣でなく拳と蹴りで悪魔達の頭蓋を叩き割っている様子が見えた。

 相変わらず凄まじい戦闘能力だ。これでもう生徒達は安全だろう。

 

 「大丈夫?」

 

 ルシアにワイヤーを切ってもらい、頷く。

 いのりは立ち上がった時に、折れた右腕がまだ剣を持っている事に気付いた。

 少し考えたが、今の自分では役に立てないと判断し剣を手放して、戻れと念じた。剣は地面に落ちる前に銀の糸に変わり、いのりの胸に吸い込まれた。

 

 「いのり…手…」

 

 ルシアがいのりの右腕が妙な方向に曲がっている事に気付き、泣きそうな顔になった。

 

 「大丈夫。ハレのヴォイドなら…」

 

 そう言って生徒達の方を見て気付いた。

 ーー祭が居ない。

 

 『いのりん!』

 

 いのりを呼びながら“ふゅ〜ねる”が足下に走って来た。

 

 「ーーツグミ!ハレはどこ行ったの?」

 

 『魂館颯太が連れてっちゃった!“車を直して逃げるんだ!“とか言って、集と別れた所に戻てったの!!』

 

 「っ!ーールシアはここに居て!」

 

 「ーーえっ、う…うん」

 

 いのりは右腕を押さえながら走り出した。

 どうか無事でいて…と祈りながら、元来た道を駆け抜ける。

 

 「っ!ーーハレ!!」

 

 「いのりちゃん?」

 

 祭の姿を見つけいのりは安堵した。祭の手に持つ包帯が車に巻き付き、淡い光を放っていた。

 

 「い…いのりさん…」

 

 その隣に居る魂館颯太が何か言おうとしたが、いのりが睨み付けると、モゴモゴと口を動かしながら黙った。

 

 「早く戻って!まだここは安全じゃない!」

 

 祭の手を握ってそう訴える。

 しかし、その手を颯太が払った。

 

 「邪魔…しないでくれ!いのりさん!」

 

 「…え?」

 

 いのりは呆然と颯太の顔を見た。

 

 「このまま…このまま帰ったら、皆に何て言われるか…。せめてさ、逃げる足くらい用意しないと、本当にただの足手まといじゃないか!!ただ助けられるだけじゃないって所見せないと!!」

 

 説得している時間が惜しい。引きずってでも連れて行こうと考えた時、祭と目が合った。

 

 「…………」

 

 いのりは祭と視線を交じり合わせる。いのりが頷くと、祭も頷き返した。

 ーーそして祭は包帯のヴォイドを手放す。

 

 「ーーえ…っ?」

 

 ふわりと地面に落ちるヴォイドを颯太は唖然として見る。その目の前で、ヴォイドは銀の糸に変わり、祭の胸に吸い込まれた。

 

 「あ……ああっ!待って…待ってくれ!!…もう一度!もう一度出してくれよ!!」

 

 颯太は半狂乱になり、祭に縋り付く。祭はそんな颯太の目をただ静かに真っ直ぐ見る。

 優しい視線だが颯太は不思議と気圧され、ぐっと黙り込んだ。

 

 「颯太くん…。集を信じてみよう?」

 

 「ーーっ」

 

 「集は絶対に颯太くんを見捨てない。何があっても…自分の命に代えても守ろうとする」

 

 「それは、そう信じたいさ…けど」

 

 「…一緒に考えよう?」

 

 「………」

 

 颯太の手が緩み、爪先が喰い込むほど強く掴んでいた指が祭の腕から離れた。

 いのりがそろそろもう一度戻るよう促そうとした時、少年の叫ぶ声が聞こえた。

 

 そちらを見ると、傷だらけの集が必死に走りながら何かを叫んでいた。

 

 「ーーいのりっ!!ハレっ!!ーー逃げろぉお!!」

 

 集の必死な形相と声色で、ただごとじゃない事が起きたというのは分かった。

 

 「ハレ!!」

 

 いのりが二人に向かって叫ぶ。颯太が悲鳴を上げながら転がるように走り出し、祭もそれに続く。

 最後にいのりがその後ろに続こうとして、ーー膝から崩れ落ちた。

 

 「えっ…?」

 

 ほんの小さな段差。それが体力を多く消耗したいのりの足を絡め取った。

 

 「いのりちゃん!!」

 

 祭が走り寄って、いのりを助け起こそうとする。いのりの手が祭の手を握った時、視界の全てが白い閃光に染まった。

 

 いのりも祭も目の前にいるお互いが見えなくなった時、集の腕が力強く二人を抱き寄せた。

 

 そこから記憶が途切れた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 「……あっーーつ!!」

 

 鉄と脂肪が焼ける臭いと、皮膚が焼ける痛みでいのりは目を覚ました。ぼんやりと目を開けると空が見え、自分が仰向けに倒れている事に気付いた。

 地面から湯気のような物が上がり、肌が溶け出しそうな程熱い。

 

 「………」

 

 (うつろ)に空を見つめ、何故地面に寝ているか思い出そうとした。

 

 「ーーきて!起きて!!ーー集っ!!」

 

 祭の声にいのりの意識は完全に覚醒した。

 骨折した右腕と火傷だらけの身体を必死に起こして、声のする方向を見た。

 黒焦げで横たわる集に祭が縋り付いて、集の右腕を自分の胸に抱き、必死に呼びかけていた。

 

 最初、横たわった物が集だと気付くまで、しばらく時間がかかった。

 

 「…いっ…いのりちゃん…集が…」

 

 祭が大粒の涙を流し、声が上ずりながらも集の名前を呼び続ける。

 いのりが身体を引き摺るように、何とか祭の向かい側に座り込む。そして、集の顔を見ようとした。

 

 「ぁ…!!」

 

 掠れた声がいのりの喉から出た。

 

 近くで見て、どれだけ酷い状態かようやく理解した。

 

 

 

 ーー集の身体はほとんど残って無かった。

 

 制服を着ている様に見えたのは、黒く炭化した皮膚のせいだ。手足の先、特に左手と左足の先は白い炭と化しており、軽く触れただけでも崩れてしまいそうなほど脆くなっていた。

 

 顔も半分が焼け爛れ、眼球が白く変色し大きく膨れ上がって飛び出していた。

 もはや無事な部分を探す方が難しい。足の先から身体の大部分が失われている。あてつけのように彼の右腕だけほぼ無傷だった。

 

 

 ーー助からない。

 

 人間がここまで欠損して生きていられるはずがない。

 

 祭が目覚めた時に身体の損傷を素早く治癒出来ていれば、まだ望みはあったかもしれない。

 それが可能なはずの祭のヴォイドは既に彼女の中に戻っている。もし使いたければ、再び彼女の中から出さなければならない。

 

 それが出来る肝心の集はーーーー。

 

 

 絶望感がいのりの中に満ちて行く。

 

 (私の…せいだ…)

 

 この先何が起きるかを頭の片隅で考えていたのに、“集なら大丈夫だ”と楽観的に考えていた。

 

 ーー祭にヴォイドを戻すように促さなければ……。

 ーーあの時、つまずいて逃げ遅れなければ……。

 

 「いやああああああああああああぁぁ!!!」

 

 突然、耳を塞ぎたくなるような少女の絶叫が辺りに響き渡る。

 いのりは祭が集の死に取り乱したのだと思った。

 

 敵がまだ何処かに潜んでいるかもしれない。

 気付かれれば命は無い。

 いのりはすぐに祭をなだめようとするが、身体が動かない。息も出来ない。首を締められてるかのように呼吸が出来ない。

 空を仰ぐように見上げると、涙がボロボロと溢れる。

 

 ーーもう何もしようと思えない。

 ーー何もしたくない。

 心臓の一部が欠けたような喪失感が痛みを伴って、思考と感情の全てを空洞に変えていく。

 

 

 桜満集は死んだ。

 他でもない楪いのりが殺した。

 

 

 大切な人がーー大好きな人がーー死んだ。

 私のせいで。私のー私のー私の私の死んだ死んだ集が集が死んだ死んじゃった嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやーーー……

 

 

 

 

 パチンッという乾いた音と共に、頬に痛みが走った。

 止まっていた呼吸が戻り、肺が多くの酸素を求めて大きく息を吸い込んだ。

 

 「ーーいのりちゃん!!しっかりして!!」

 

 目尻を赤く腫らした祭が自分の両肩を揺すっている事に気付いた。

 

 「…………」

 

 今、頬を叩いたのは祭なのだろうか?

 ーーだとしたら意味が分からない。

 ほんの数秒前まで彼女は錯乱して、叫んでいたずだ。

 

 違う…祭は最初から錯乱なんかしてなかった。

 あの叫び声は私だ。

 そんな事に気付かない程、気が動転していたなんて…。

 

 「ダンテさんの所に行こう!!きっとなんとかしてくれるよ!」

 

 「っ!!」

 

 祭は涙を流しながら、必死にそう訴えた。

 

 「まだなんとかなるかもしれない」根拠もなくそう感じ、二人で集を抱き上げようとした。

 しかし、集の身体を持ち上げた時、その軽さに再び胸が張り裂けそうになる。

 

 ーーその時かすかに脈を感じた。集の右腕に触れた時、確かに心臓と血管の鼓動を感じた。

 

 ーーまだ生きてる。

 僅かな希望にいのりの顔が無意識にゆるむ。

 

 「いのりちゃん……」

 

 「ーー?」

 

 祭が震えている。自分の背後を見上げて震えている。いのりは祭の視線を追い、ゆっくり後ろを見る。

 

 そこにはやはりと言うべきか、昆虫に似た悪魔が音もなくいのり達を見下ろしていた。

 その一体だけでは無い。

 すでに無数の悪魔がいのり達を取り囲んでいた。

 ギチギチと顎を鳴らし、昆虫に似た悪魔が飛び掛かって来た。

 

 祭の盾になる間もなかった。

 突然、炎を纏った突風が目前に迫った悪魔と衝突し、悪魔の身体を胴体から真っ二つにした。

 

 「あ…あなたは…?」

 

 祭が突然の乱入者を見上げる。

 

 風に揺らぐ銀髪が見え、一瞬ダンテだと思った。しかし、目の前の男は全くの別人だった。ダンテと同じ銀髪も短く切られている。

 

 「おい、死にたくなけりゃソコを動くなよ」

 

 左手に熱を帯び赤く燃える剣を持ち、異形の右腕を胸の高さまで持ってくると、指を鉤爪のように曲げて男は言った。

 

 

 

 

 桃色の髪の少女にそう告げたネロは、飛びかかって来た悪魔の頭を右腕で鷲掴みにした。

 

 「ハッ!もっと頭使いな!!」

 

 掴んだ悪魔を豪快に振り回し、周囲の悪魔にぶち当てる。

 フィニッシュに悪魔が一箇所に固まっている場所に投げ付け、レッドクイーンのグリップを捻り推進剤を最大まで燃焼する。

 

 「“1(one)“!!」

 

 最初のカウントで群れに飛び込み、刃を叩き付ける。

 

 「”2(two)“!!」

 

 次のカウントでさらに力を込めて刃をねじ込む。

 

 「”3(three)“!!」

 

 最後にもう一度グリップを捻って、悪魔の群れを丸ごと溶断した。

 

 ネロはすぐさま振り返るとブルーローズを抜き、呆然とネロの戦いを見ていた少女達のすぐ後ろに迫っていた二体の悪魔の眉間に二発の銃弾を撃ち込んだ。

 

 「行きな…」

 

 一言そう告げて、ネロは悪魔の群勢に向き直ろうとし、彼女達が抱える少年に気付いた。

 どう見ても生きている様には見えない。いや、この重傷では即死もありえる。

 二人にとって大切な存在なのは、彼女達の様子を見れば明らかだ。

 

 「おい、ソイツは置いて行きな。もう…手遅れだ」

 

 とても助からない傷なのは、彼女達だって気付いているだろう。

 気持ちは分かる。とはいえ男一人を抱えて行っては、彼女達の身も危険だ。

 その事を気遣っての言葉だったが、長いこと一匹狼でキリエ以外との交流が少なかったせいか、優しく接するべき場面でも、ついキツい言い方になってしまう。

 ネロは言った瞬間後悔した。余計な口出しだ。

 

 

 

 

 ネロの言葉は乱暴だったが、祭は少し優しげな印象を受けた。どこか集とダンテのやりとりに近いものを感じる。

 だがネロからの忠告を二人は聞く気が無かった。彼に集は助かるかもしれない事を懇切丁寧に話してる時間は無い。

 

 「…ハレ」

 

 「う…うん」

 

 集を抱え直して、二人は先を急ごうとした。

 

 「キ」

 

 何か音が聞こえた。

 擦り付けるような音。

 

 敵かもしれないと思い、いのりは立ち止まって辺りを窺う。

 音の距離は異様に近かった。もし敵ならばとっくに触れられる距離だ。しかし、それらしき姿はどこにも見当たらない。

 

 「キ…ギギーー」

 

 「ーーえっ?」

 

 ようやく音の出所が分かった。

 二人が抱えている集からだ。集の歯が擦れた音だったのだ。

 

 「…シュウ?」

 

 何かを伝えたがっている。いのりにはそう思え、集の口元に耳を近付けた。

 

 ーーそして、音の正体が分かった。

 

 

 

 

 「 キキキキギリ、ギギギヒヒヒヒfひひひき、ぎぎガギギィひひひひひヒヒヒヒnひひひギッ、ひひひっひひひひヒヒヒヒぃーーーーひっひはひヒヒvヒヒははははっはっはtははっgははっははっはっは 」

 

 

 

 ーー笑い声だ。

 不快で異様な音は長く続くにつれ、より鮮明に…何かに歓喜する不気味な笑い声へと変わって行く。

 

 

 

 ーーバチンッーー

 

 「きゃっ!?」

 

 「ーーああっ!!」

 

 瞬間、何かの力に弾き飛ばされ、いのりと祭は地面に倒された。

 

 

 

 「ーーっ!」

 

 突然、少女達が逃げた方角から何かが現れた。

 ネロがそちらへ振り返ると同時に、何かがネロの顔目掛けて飛んで来た。

 

 「ーーとっ!」

 

 ネロは冷静に“悪魔の右腕(デビルブリンガー)”で飛んで来た物を掴んだ。

 

 「ーーっ!?」

 

 半透明の蛇の尾だ。

 鱗でびっしり覆われ、太く力強い。

 しかもただの尾ではない。ネロが“閻魔刀(ヤマト)”を解放した時に現れる魔人と同じ、魔力のオーラで形作られた力のイメージ。

 大蛇の形という点を除けば、ネロの魔人との違いは赤色である事くらいだ。

 

 しかし、ネロが驚いたのは別の所だ。

 

 「……何者(ナニモン)だテメエ」

 

 ブチッと音を立て、ネロに掴まれた部位を千切り、蛇の尾が戻る。

 蛇の尾の主は二人の少女に担がれていた、あの少年だ。

 

 頬を裂いた様な笑みを浮かべるその様は、まさしく蛇だった。

 

 「…質問に答えろ。お前は(なん)だ?」

 

 少年の背後から尾がもう1本生え、鎌首を持ち上げる。

 ミチミチと音を立てて尾の先が真っ二つに裂け、舌が伸び、その舌もさらに裂ける。徐々に蛇の頭部を形作っていく。

 

 「何故、お前から()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 ”悪魔の右腕“があの尾に触れた時、ダンテの魔力と全く同じ波動を感じた。目の前の少年が何者にせよ、ただの人間では無いことは明らかだ。

 

 少年が顔を上げる。

 同時に背後の大蛇にも眼窩が出来、眼球が形作られようとしていた。

 

 「シュウ…?」

 

 いのりは呆然とその変貌に目を奪われいた。

 

 そして開いた集の眼は今までの、半魔人化した集の眼とは違っていた。眼全体が奈落のように真っ黒で、それを裂くように亀裂にも似た黄色の蛇眼が光っていた。

 

 集の背後の大蛇も同じ眼を開き、笑うように歪む。

 

 

 

 

 




資格の試験があるので、少し間が空くと思います。

申し訳ありません。

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