小悪魔日記 ~悪魔に『小』がつく幾つかの事情~   作:puripoti

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第6話 自分で撰んだ拷問

 午前の授業は主に、私の知識面における基本的体力の充実に割かれます。このように云えば格好もつきますが、要は私の馬鹿さ加減の矯正です。

 

 魔法使いの弟子として必須となる知識への理解も、まずは読み書きををはじめとした一般的な教養が備わってこそ。なので、いまだに足らぬ私の知力知性の底上げを図るべく、授業の内容は様々なジャンルを網羅することとなります。先にも述べた通りに基礎の読み書きからはじまる言語学、史学、帳簿作成などにも応用できる実践的な計算式、人の世を上手く渡っていくための処世の術。当然のことですが、師事をはじめてまだ二月しか経たぬ身でありますから、そのすべてが“さわり”の部分でしかないのですが、それでも憶えることは山のようにあるので大変です。

 

 今のカリキュラムが一段落すれば、ここからさらに神智学、隠秘学が追加されることになるのですが、それには少なく見積もっても5年、長ければ倍の時間は必要になるだろうとのことです。先はまだまだ長い。

 

   *

 

 1時間強の講義の合間には、30分ほどの休憩時間が挟まれます。その時間に、私は思い切ってあることをパチュリー様に訊ねてみました。

 

 師匠から賜ったレシピを元に、腕を磨いて淹れた紅茶で湿らせた口を開きます。

 

 ───前から思っていたのですがね。魔法やら術やらで“ちゃちゃっ”と知識を習得したり憶えさせたりとかは出来んのでしょうか?

 

「出来ないことはない」

 

 あまり期待してはいなかったのですが、思いの外“あっさり”と望みの答えが返ってきました。いわゆる『念話』とやらの応用で、精神を“繋げ”て術者同士の記憶を転写する術というものがあるにはあるのだそうです。

 でも、やめておいたがいいでしょうね。どこか含むところがあるような物言いがオマケとして。もしかすると、そのやり方だとなにがしかの問題が出るということなのでしょうか。訊き返す私を、感心したような面持ちでパチュリー様は見やりました。

 

「やはり感覚的な部分は鋭くできているようね」

 

 実に結構、《魔法使い》にはその感覚が欠かせない。わずかながらに表情を緩ませ、パチュリー様は続けました。

 

「以前、私が採った『弟子』の一人に、その術をかけてみたことがあったのだけれど……」

 

 ところが術をかけ終えたのと同時に、その方は廃人になってしまったのだそうです。要は失敗したのですね。

 

「真逆。パチュリー・ノーレッジにそんなヘマはありえない。完全に成功したが故に、もたらされた結果よ」

 

 パチュリー様が云うには、人間の“おつむ”が保持できる《記録》の容量というのは、どれだけ頑張ったところで百年そこらが限度なのだとか。よって、それ以上の《記録》を無理に詰め込もうとすれば、“使い物にならななくなる”のは当たり前だそうで。

 

 いわんやパチュリー様が歩み踏みしめてきた《魔道》、積み上げ重ねてきた《魔導》は一朝一夕どころか、そんじょそこらの人間では人生を何度やり直してもおっつかないほどの量となるわけで。もってたかだか数十年が関の山な人間の、お脳のミソにそんなもんをいきなり詰め込れば、さながら記憶によるオーバードーズとでも云うべき症状によって、脳と精神を圧迫されて焼き切れてしまうのが理の当然。学術研究の徒としての《魔法使い》が人間をやめざるをえない理由とは、まさにそういった諸問題(寿命身体精神魂魄(こんぱく)の経年劣化)への必然的対抗処置でもあるそうです。

 

「私やあなたのような人外───《幻想》の側の住人は“記憶を保持するための装置”としての脳を必要とはしないからね」

 

 肉体に縛られることのない人外の、個体としての『記録』は自身を形成する架空構成元素そのものに写される。俗に《エーテル》と呼ばれるそれは、もっとも安定した物質であると同時に《世界》そのものとも密接に繋がっているため、実質的に容量は無限(原理的にはアカシック・レコードのそれ)。したがって《記憶》も無限に書き込めるので、根本的に探求への《果て》が存在しえない《魔法使い》としては早い段階でごく限られた容量しか持ち得ぬ“ヒトの肉体”に見切りをつけるのだそうです。

 

「それで、さっきの術のことなんだけどね、あなたなら廃人になることは免れるでしょうけれど、回復(記録の定着)までにかなりの時間がかかると思うのよ」

 

 そうなると、色々めんどうくさい。元通りになるまで面倒を見るだなんてやりたくもないし、『廃棄』するにしても今度は代わりを見つけてこなければならない。

 

「そもそもこれ以上、外になんぞ足を運びたくない」

 

 というか、元の目的が雑事をこなせる《お使い》を求めてだったはずなのに、それが余計な手間を増した挙句に外出までしなきゃいけないじゃ本末転倒もいいところじゃない。その間は私の研究もストップしてしまうし、困りものよ。しんどそうな口調の端々から、イヤそうな雰囲気が見て取れます。なんという筋金入りの出不精か。

 

 呆れ返る私をどのように思ったものか、パチュリー様は無言で窓の方を、立てた右の親指でもって指し示しました。病的なまでに白くてか細い指が示すその先では、いつもと変わらぬ鈍色の空の下、黄色く濁った霧が使い古した油のように粘液質な動きで街々の間を流れていく景色が見えました。

 

 無論、“それ”は窓を通して見えているではなく、保安用に設えられた監視装置を通じて壁のモニターに映し出された景色なのですが、見るものすべてに陰鬱さを刻みつけずにはおかぬ、なにより肺病病みには酷というべき世界。無味乾燥かつ散文的、荒涼たるその光景には、私もやはり指の持ち主に倣って無言で納得するしかありません。

 そういえば私が住み暮らしていた貧民窟でも、最近はしょっちゅう咳をしたり四六時中顔色を悪くしていたり血を吐いたりいきなりぶっ倒れてそのままお亡くなりになる人が目立つようになっていましたっけ。日常事であり茶飯事でもあったので、気にも留めませんでしたが。

 

 しかし、それだとまた別の疑問も生じます。いかに外よりはマシとはいえ、それでも淀んで汚れた空気はこの街にいる限りはあまねく隅々に、それこそ路地裏を這いずりまわるこ汚い溝鼠からメイフェアの大通りを闊歩するお大尽、果ては都会の片隅にひっそりと息づく弱り切った魔法使いの臓腑にいたるまで忍び寄るものだと思うのですが。

 

 良い質問ね。呈された疑問に頷きをひとつくれて、パチュリー様は答えてくれました。

 

「この建物は巨大な密閉空間なの。中に流れる空気も私の体調を損なわないよう、厳密に調整・最適化されているわ」

 

 外の空気に慣れた奴だと、それに違和感を感じるみたいだけれどね。思い当たることがあったので、私は内心で頷きました。最初にこの建物に足を踏み入れた時に感じた異質感は、それに起因したものでもあったのですね。ここは、云わば建物の形をした空気清浄器といったところですか。

 

「その通り。叙情的に表現するなら、“ここ”は現世から囲い込まれ隔離されることによって構築された擬似的な幽世(かくりよ)ともいえる───」

 

 黄泉路を辿った亡者が路を引き返せないように、ここにある私もまた、この封じられた《世界》の中でしか生きることは出来ない。語る《魔法使い》の声はどこまでも静かで、淡々としていて、揺るぎない事実を諳んじているだけの透徹した響きしか私の耳に伝えませんでした。

 

「したがって、私としては可能な限りこの閉鎖された楽園から足を踏みだそうとは思わない思えない思いたくない」

 

 ある種の、閉鎖的環境下におけるやり過ぎた進化適応を遂げた生き物は、もはや今ある環境が少しでも変わってしまったが最期(誤字にあらず)、その楽園と心中する以外の末路がありえない。それと同じよ。

 

「実際、ここから《外界(げかい)》に出なければいけないときには、身の回りに浄化滅菌の効果がある魔法をかけておく必要があるくらいだもの」

 

 そうしなければ5分と保たずに冥府の門を叩く羽目になるのでね。どこまでも涼やかに聞こえるパチュリー様の声。

 

 究極の進化を遂げた生き物とは、別の意味においては“現在における形態以外の、ありえたかもしれない別の可能性を片っ端から切り捨てた結果”、つまるところ“変化適応可能性を微塵も持ち得ぬ成れの果て”とも言い換えることができる。私の目の前にいる、呼吸する知識の蔵とでも云うべき偉大な《魔法使い》とは、この膨大無比なる書物の伽藍と、一蓮托生の段階にまで適応したが故の不具合を託つ羽目になったというわけですか。

 

 話だけ聞けば、かなり悲惨なものではありますが、しかしその声のどこにも、悲哀も悲嘆も悲観も諦観も諦念も観念も無念も存在せず、ただ自身の境遇を徹底的に受け入れたものだけが持つ、透徹した心境だけがありました。内心をまったく読ませぬ静謐(せいひつ)な表情のまま、パチュリー様は紅茶のカップをくゆらせます。

 

「話がずいぶんと逸れたものね……要するに、誰ぞが何十年かけて培った技術や知識を“まこと”の意味で身に修めようと思うなら、やっぱり同じくらいの時間は最低限、必要になろうてこと」

 

 学問にかぎらず、『道』とは一日にしてならずということね。“しみじみ”と言い聞かせるようにつぶやくパチュリー様でした。実に含蓄深いお言葉なるかな。こともあろうにお弟子さんを、失敗前提の実験台として扱うような方のセリフでさえなければ、感動の涙で溺れ死にそうなくらいです。

 

   *

 

 とはいっても、どう頑張ったところで数年はお手間をとらせてしまうのでは、やはり心苦しいものがありますねえ。お茶請けとして用意したスコーンに苺のジャムを“たっぷり”とのっけながら、私はぼやきました。

 

「気にする必要ならないわよ」

 

 それを一体、どのように思ったものかパチュリー様は気のない様子で薄い肩をすくめてみせました。云わば先行投資みたいなものね。手間暇金銭を惜しむようでは大きなリターンは得られない。

 

「それにこれは、私にとっても必要なことなのでね」

 

 一級品の《魔法使い》たらんとする者は弟子を取り、それを教導することによって自身の位階をも高めるものなのだとか。そんなもんですか。

 

「知識や経験を正しく伝えられるかどうかは、教える側の理解がどこまで深まっているかこそが鍵を握る。自分が真に理解できていないものを、他者に教えることは出来ない」

 

 また教導を通じて自身の到達地点を改めて認識し、構築した理論や研究に欠陥齟齬矛盾点がないかの洗い出しを行うのだそうで。人間、誰しもその思考や主張、視点視線着眼点には自分に最も都合のよいバイアスをかけてしまうもの。困ったことに、一度『正しい自分』を発見してしまうと、そこから容易に軌道修正が効かないのがヒトの思考の悪いところ。それを完全に排除することはどうあがいても無理ではある。ヒトの器は限られる。しかし複数の視点を用いることで、ひとつの事象を多面的多角的多方面的に写し描くことで、出来うるかぎりの範囲で物事を正しく捉え、間違いに修正を施すことはできるということだそうです。

 

「それ以外にも、他人の視点から自分を眺められるというのも大きいかな」

 

 誰かと向き合う付き合うというのは、相手のみならず対象を通じて自分と行う対話でもある。それがパチュリー様の持論のようでした。

 

「話をしている相手が自分をどう見ているのか、気にしない奴はいないでしょう」

 

 言葉の“やりとり”をするには、相手の興味を惹くためにその思考(嗜好でもいいが)をになぞり、何を考えているのかを把握する。とりもなおさずそれは、相手の目で世界を視るのと同義である。

 

「大仰に云うならシミュレートという形で自分の中に他人の視点・世界を構築するのが、正しい意味でのコミュニケーションというものの本分よ」

 

 誰かに物を教えるというのもそう。さっきも言った通り、教えるという行為を通して自らも学ぶの。弟子が優秀であるなら、その視点から新たな理論体系を確立することもできるかもしれんしね。其れも私に求められたものの内、ということですか。それを聞いた途端、下腹部のあたりに生じた鉛でも飲み込んだような重み顔をしかめていると、パチュリー様は“にやり”と、おとぎ話の魔女めいた底意地の悪そうな表情をこしらえたものでした。

 

「その通り。精々、期待はさせてもらいましょうか」

 

 私は、優秀な弟子になれそうでしょうか。

 

「それはこれからのあなた次第よ」

 

 プレッシャーにお腹をさする不肖の弟子を、ごく穏やかな声で切り捨てるようなことを言い、パチュリー様は口をつけぬままのカップの端を、細い指で弾きました。部屋に高く涼やかな音色が響き、染み渡るのと同じくしてその手にあったカップが“みるみるうち”に輪郭、というか実体そのものを失い、空気に溶けていくかのように透明化していきます。物質転送(アポーツ)です。呪文を使っていませんでしたが、これはおそらく魔力を篭めた指で弾いたときの音をその替りとして用いたのでしょう。並みの魔法使いでは、かなり長ったらしい呪文を必要とするはずですが、この方にとっては息をするのと変わりない程度のものです。

 

 弾いた音が消えるのと同時にカップも消えてなくなりました。パチュリー様は声の調子を整えるように、咳をひとつしてから立ち上がりました。

 

「さて、お喋りはここまで。そろそろ、次の授業を始めましょう」

 

 あなたも、早く用意なさい。その言葉に促された私はスコーンを慌てて頬張り、残りの紅茶で流し込むのでした。

 

   *

 

「そういえばあなた、髪を伸ばしはじめたのね」

 

 教科書を手に取ったパチュリー様が、私の髪を見て“ひとりごと”のような口調で言いました。ええ、そうですよ。やっぱり判っちゃいますか。できればパチュリー様くらいに、長くて綺麗なロングヘアーにしたいのですけどね。

 

「ふうん……」

 

 それを聞いたパチュリー様は微かな声でひとりごち、私とご自分の髪とを交互に見やりました。

 しばしの無言。“じっ”と、伸びはじめた私の髪を品定めするような視線が撫でていく。あー……もしかして似合いませんかね。それとも目障りだったりするとか。

 

「いや、そういうことではなく」

 

 ただ───。パチュリー様は少しの間、言葉を選ぶような素振りを見せたものの、しかし何と言うべきかは思いつかなかったらしく、小さく頭を振りました。

 結局、口に出てきのはこの方らしくもなく陳腐かつありふれたものでした。

 

「似合うと思うわ、きっと」




 登場人物

小悪魔

へそと性根の曲がったアン。

パチュリー・ノーレッジ

口と性格の悪いマリラ。

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