小悪魔日記 ~悪魔に『小』がつく幾つかの事情~   作:puripoti

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第13話 you can't kxxl me

 女の子にはセンチメンタルなんて感情はない───

 

 少しばかり前にパチュリー様のご意向によって通わされていた学校(学びのためではなく、経歴を捏造するため)で知り合ったクラスメートがよく口にしていたものからの受け売りです。それが真実かどうかを立証する手立てはありせんが、もし正しいとするのなら一応は悪魔の端くれであると同時に女の子の端くれと云っても差し支えはないこの身にだって当てはまって然るべきなのでしょう(私に“女の子”の資格があるのかはさておいて)。

 ましてや私、頭に『小』がつくとはいえ一応は悪魔、文字通りの“ひとでなし”ときたものでございます。人並みの感情感傷なんぞに縁や“ゆかり”があった試しも憶えもござんせん。

 

 ……だとするのなら、今まさに私が抱えているこの感情をどのように名付ければよいというのでしょう?

 

 主のいなくなった広い広い、無闇矢鱈にただ広いだけでしかなくなった《部屋》の中、埃を被ることさえなく“ぽつり”と置かれた椅子の前。

 

 私は一人、センチメンタルなんてものでは決してないはずの気分を抱えて立ち尽くすのでした。

 

   *

 

 パチュリー様が“お出かけ”をなさってから、すでに二月が経っていました。

 

 その日、粗方の仕事を終えて手持ち無沙汰になった私は《仕事場》の部屋でコーヒーカップを手にして窓辺に佇んでいました。傍目には窓の景色を眺め物思いに耽る佳人の姿に見えたことでありましょうが(自分で言ってて気色が悪い)、その実やることもなく“ぼけっ”としてるだけにすぎません。巷ではどうやら私の出した大量の現物売りと、それに並行しての空売り注文が引き金になったらしい相場の大暴落が波及して両手の指の数に両足の指の数をかけてなお余るほどの方々がお高いビルからスカイダイビング(パラシュート無し)をなすったとか首に縄をかけてのバンジージャンプをしただの自分の“おつむ”を的にして鉄砲の試し撃ちをしたやらという話も転がり込んできましたがそちらはどうでもよろしい。

 

 窓の外では重くのしかかるような雲が空を覆い、それはいつか見た鈍色の空を私に思い起こさせる。淹れてからこっち口をつけぬままのカップを手に窓から離れ、私は椅子ではなくデスクの上にお行儀悪く腰を下ろしました。

 

 本人たちにとってどれほどの深刻な出来事であろうとも、それと無縁の人々にとっては路傍の石も同然なわけでありまして、当然、世のあちこちを闊歩する数多の人々の目に数少き人外どもの事情なぞ気に留まることもなく世界も知らん顔して移ろうばかり。そんな世界におもねるように、あるいは消極的な反抗であるかのように私も普段と変わらぬ様子を崩さず、漫然と時を過ごすように日々を送っているのでした。

 

 仕事場がフレックスタイムであるのをいいことに(もちろんマネキン連中の福利厚生のためではなく私の都合)お昼の手前頃まで惰眠を貪り、起きたら起きたで近所のカフェーで遅めの朝食を兼ねた昼食を採ってから腹ごなしのお散歩を楽しむ。それに飽きたら仕事場に篭って“だらだら”とお仕事を片付けるふりをして、終わればさっさと帰宅して寝てしまうこともあるし気が向かないなら夜の街に繰り出すなり夜更かしなりして眠くなるまで時間を潰す。もちろん、その合間合間に魔法の実験をはさむのも忘れない。なにせ私は《魔法使いの弟子》なのだから。

 

 出立に際してパチュリー様は言い忘れていたとばかりに付け加えたものです。

 

 ───三ヶ月。それを1秒でも過ぎてなお戻らないなら、私は間違いなく死んでいる。あなたには“そうなった”ときの後始末を頼みたい

 

 世間話でもするかのように“さらり”とした口調と内容との落差に二の句を継げずにいると、パチュリー様は立て続けに注文を追加してきました。

 

 ───この建物を含めた《図書館》や研究施設は片っ端から処分。当然、データの類も書類から電子情報まですべて破棄すること。方法は任せる、《魔法使い》パチュリー・ノーレッジが存在していたという痕跡を、この世界から完全に消しなさい

 

 ───すべての始末が終わったら、後は好きにすればいい。《遺産》はみなくれてやるから、どこぞやで自分の研究を始めるなり《魔道》と縁を切って日の当たる場所で気ままに生きていくなり、勝手になさい。それがあなたに払う最期のお給金ということね

 

 今生の別れというよりも捨て台詞のように言い渡し、パチュリー様はお姿を消されました。それっきりなんの便りも届かず、私も私でいなくなった主の消息を探ることもせずその帰りを待ちわびて今にいたるのです。

 

 もちろん、待ちわびてなんかいませんけれど。

 ただ、それなりに長い時間、面突き合わせてきた相手がいなくなってしまうと落ち着かないのには違いない。仮にこのまま三月が過ぎてご本人が言ったようにパチュリー様がどこぞやでおくたばりあそばしたにせよ、知人が目に届かない場所で誰にも知られることもなく骸になっているというのはあまり気分のよろしいものではない。はっきりと判りやすいかたちで生き死にが確認できさえすれば“すっきり”としようものなのですが。

 

 かすかに頭を振り、口をつけぬままのコーヒーカップをくゆらせる。その仕草が姿を消した雇い主のそれと瓜二つなことに気がついた私は、ほんの少しだけ不機嫌のかたちに眉を寄せました。

 

 私は、パチュリー様に戻ってきてほしいのでしょうか。

 

 もちろん、そんなことだってないのですけれど。

 仮に、パチュリー様がお戻りになられないのなら私は言いつけの通りさっさとここを引き払い、貰うものは貰って姿をくらますつもりです。おそらく、いや間違いなく未練を残すことも後ろ髪を引かれることもないでしょう。なにせ私は頭に『小』がつくちんけな悪魔、どんな時だって我が身こそが何よりかわいい。骨の随まで染み付いた性根はいつだって、あるいはいついつまでも変わらないのです。

 

 そう、私はもっと気楽な気分でいてもよいはずなのです。だってそうでしょう、もしパチュリー様が戻りさえしなければ山のような富が退職金として手に入り、《魔法使いの弟子》なんぞという“やくざ”な稼業とおさらばできて、なによりもあの陰気で病弱で偏屈で口が悪けりゃ性格も邪悪、性根にいたってはツイストドーナツがまっすぐに見えるくらいのひん曲がりっぷりな“くたばりぞこない”とも綺麗サッパリ縁が切れるのです。実に喜ばしい、良いことずくめではないですか。なればこそ、胸中にあるべきは先に述べたとおり輝かしい未来を掴むその瞬間を待ちわびる期待と高揚であるべきなのです。そうなのです。

 

 だというに、それがどうしてこうも煩わしいなどと感じるのか。こうして思い悩む必要がどこにあるというのか。そんな思いを抱える理由なんぞ、私にゃ“これっぽっち”もありゃあせんというに。

 

 私はカップを置いたデスクの上で身を丸め、立てた片膝を抱えてそこに顎を乗っけました。そうしてしばらくの間ふてくされたように佇んでいると、どこからともなく厭味と皮肉に満ち満ちた、飽きるのさえ通り越しもはや馴染むほど耳にしてきた声が聴こえました。

 

 ───まるで道端でだらける犬っころね。そんなだからあなた、いつまで経っても頭の『小』の字が取れんのよ

 

 私は“のろくさ”と顔を上げてお部屋の中を見渡しました。もちろん私の他にゃ誰もいやしません。

 

 ……ばからしい。鬱々しげなため息がこぼれる。判りきっていたことなのになぜそんなことをする。姿勢を正し、コーヒーカップを両手で包み込むようにして持ち直す。いつのまにやら結構な時間が経っていたらしくカップの中身はすっかり熱を失っていました。ほんとうに、なにをしているのやら。

 

 温め直す気にも新しく淹れなおす気にもなれず、それを一息に飲み干す。

 

 ぬるくて苦くて渋くてまずい、私の気分が溶けた味。

 

 終わりの日まであと、3週間。

 

   *

 

 “ここ”に居を構えてから少しばかりが経った頃、思い切ってパチュリー様に訊ねてみたことがありました。

 

「《幻想》の輩がこの世にいつまで留まっていられるか?」

 

 読みふけっていた辞典、の体裁をとったブラックユーモア集から顔を上げたパチュリー様は胡乱な目つきで私を見やったものでした。パチュリー様の読み物としては意外に思われるかもしれませんが、実はこの方、読書のジャンルに選り好みはないので気が向けば小説詩集哲学書、子供向け絵本に童話民謡、果ては私が暇潰しのために買ってきた漫画本までお読みになることもあるのです。

 

 それはさておき、かつてパチュリー様はおっしゃったものでした。遠からず《ファンタジー》は人の世から失われ、そこに属する人外の者共も行き場を失い諸共に消え去るだろう、と。

 実際、昔と比べて夜闇に蠢く幻想の側に足突っ込んだ輩というのはその数を激減させ、いまやレッドリストも真っ白に思えるほどの数しか残っちゃおりません。当然こんな有り様ではいずれ残った連中───すなわち大都会の片隅で清くも正しくもないけれど慎ましく暮らしている死にぞこないの《魔法使い》に頭に『小』が付くちんけな悪魔もその後を追う羽目になるのでしょう。

 

 ───しかしてどっこい、私らしぶとく現世に居座り今のところは消え去る兆候もありゃしませんし、数を減らしこそすれ残ったファンタジーの者共も“ぴんしゃん”としてらっしゃいます。これは一体いかなる理屈であるのか。

 

「簡単なことさね、人の認識からすりゃ私らは『人』という括りがされとるからよ」

 

 意味を測りかねた私は首を傾げました。これは異なこと妙なことをおっしゃいます。私ら人外じゃあないんですか。

 

「“人間以外”の略でなら、確かに間違っちゃおらんな。しかし人の輪の中にいるなら“人でなし”とて人の内さね」

 

 誰に向けられたものか、小馬鹿にするように鼻を鳴らしてパチュリー様は続けられました。

 

 現世からファンタジーが消え失せたのは、ひとえに『人の世に《幻想》が存在しえない』というミームが世界を覆い尽くしたのが大きい。ミームの力は絶大である。壁を作ろうが距離をとろうが、《世界》に属するありとあらゆるものを飲み込み影響を与えてしまう。故に今の御時世、幻想の側に足を突っ込んでいる輩は世に蔓延する、『人の世界に幻想不在』のミームに存在を上書きされて、実在から不在へと認識の領域から存在を抹消されてしまうのだ(絶滅動物よろしく『過去にそういうものがいた』のではなく『最初から存在していない』という意味にされる)。

 

「だが裏を返せば『人の世にあるもの総て人の内』ということでもある。ずいぶんと前にも言ったろが、一枚の葉っぱを隠したければ森の中───要するにそういうことさね」

 

 人の輪から外れ人目につかぬ所に逃れようとするから、却って悪目立ちした挙句にその存在を暴かれる。あえて人の群れに紛れてその皮を被ることで人がファンタジーに向ける認識を誤魔化すのよ。ミームはより強いミームに上書きされる。ゆえに外見を取り繕い、人として振る舞うその限り“人の輪の中すべて人”なる認識が、私らファンタジーの住人を“幻想は死んだ”という情報から逆説的に私達を保護する盾となる。なにせ世間的には私ら『人』だからね、幻想に影響を与える情報なんざ目もくれまいさ。

 

 半ば屁理屈にも等しい暴論だとは思いましたが、同時に“そんなもんか”という奇妙な納得もまたできるのでした。なにせ理屈の是非を問うのなら、私ども幻想の輩にしてからが世の大勢を占める理屈常識の埒外にある連中なのです。

 

「文字通りの意味で“人の皮を被った”というやつだ。そも今も昔も世の中はそんな連中で溢れかえっとるわけで、その中に今更、本物の『人でなし』が混じりこんだところで誰が気にするね」

 

 自分で言って可笑しかったのか、珍しくお顔に出して“くつくつ”と笑われるパチュリー様でした。

 

「そしてもう一つの理由、人の世からはいまだ《ファンタジー》が完全には死滅していないというのがあってな……」

 

 前置いたところでパチュリー様は小さく咳をして言葉を切られました。言われてみりゃこの御仁にしてからが『魔女に健全たる肉体なし』のミームに蝕まれているのでしたっけか。

 

「誰が言ったか───神様は死んだ 悪魔は去った 神も悪魔も降立たぬ荒野に我々はいる」

 

 しかして心の根底にはいまだファンタジーが巣食っている。昔日のように確たる形を伴って『そこに、それが、ある』ではなく、『どこかに、そんなのが、あればいい』といった曖昧なものではあるけれど、人と幻想とが縁を切り難いものであったというのは私にも意外ではあった。

 

「人の世に不必要と断じられながらも“在って欲しい”というお情けで生き延びる、現在における《ファンタジー》と呼ばれるもののそれが正体というわけだ」

 

 あるいはそれこそが、私達のようなものには在りえない“センチメンタルなんて感情”なのかしら。ため息混じりに零された皮肉と自嘲を私は肩をすくめてやりすごします。パチュリー様にも“女の子”という括りがなされるのかまでは不明ですけどね。

 

「ほっときなさいよ、“ちんけ”な悪魔め。私にだってそんな時代はあったんだ」

 

 はて、それは一体どれだけ昔のことだったやら。怒らせるのを覚悟で私がけけけ、と小悪魔めいた(小悪魔ですけど)笑いで混ぜっ返すも、意外やパチュリー様はやや拗ねたように口をとがらせるだけでした。

 

「雇い主に向かってなんてことを言いよるかな。教育を間違えたかしら、これは」

 

 そいつはまことに相済みません。これも小悪魔の性分ということでひとつ大目に見ていただきたい。私が両手を合わせ拝むようにして謝罪すると、パチュリー様はそれ以上は何も言わず苦笑いとも失笑ともつかない曖昧な笑みだけを寄越されて、再び書物に目を落とされました。

 

   *

 

 指定の刻限まで1週間を切りました。

 

 人の気も知らないで当たり前のように過ぎゆく時間をせめても有効に活用するべく、私はここ最近の日課となっているパチュリー様の《お部屋》の掃除をするため、その日の仕事を早々と切り上げて仕事場を後にし、件の隔離階層に繋がるエレベーターに乗り込みました。

 

 “日課”というだけあってこれはパチュリー様から仰せつかったというわけでもなく自発的にやり始めたことだったりするのですが、以前にも述べたようにあの《お部屋》は塵の一つも存在しえぬ完全クリーンルームなので(正確には存在“しない”のではなく“できない”)、実際にやることといえば“はたき”を使ってありもしないホコリをとってみたり付いてもいない椅子の汚れを拭いたり等の意味もなければ意義もない暇潰し以上ではなく、もっと有り体に云うのならただのサボりと変わらないのですけれど。時間の有効活用が聞いて呆れる。

 

 エレベーターを降り、いまやこびりついた荘厳さだけが取り柄の廃墟同然となった《図書館》から呪文唱えてひとっ飛び、主なき部屋へと到着した私はそこに昨日まで存在していなかったものを見つけました。

 

「今日も今日とて意味もなけりゃ意義もない、頼まれてさえいないお掃除ときたものか。実に無駄なことではあるが、労うくらいはしてやろうさ」

 

 ご苦労さま。広い広い、無闇矢鱈にただ広いだけだった《部屋》の中、埃を被ることさえなく“ぽつり”と置かれた椅子にさも当たり前のように座る魔女は分厚い本に視線を落としたまま、こちらに一瞥もくれることなく言ったものでした。

 そのとき、ひょっとしたらもう二度と見ることかなわぬかもしれなんだお姿を目にした私が胸中に抱いた感情が如何なるものであったのかは、後々になってさえも容易には判別しえぬものではありました。

 

 なので思いもかけぬ光景に、混乱というよりはむしろ呆気にとられたような気分とあれやこれやの“もやもやむにゃむにゃ”を抱えたままの私の口からは実に芸の無い言葉だけが出たものです。

 

 ───おかえりなさいませ。

 

「ただいま」

 

 返ってきたのは素っ気ないというより無味乾燥なお返事。以前と変わらずいつもと変わらぬそれに、なぜだか不可思議な安堵のようなものを覚え、私は知らずのうちに口元を緩めていました。きっと苦笑いでもしてしまったのでしょうけれど。それにしても、お帰りになられていたのならひと声かけていただければよろしいのに。お陰で主を出迎えさえしない不調法をしでかす羽目になってしまいましたよ。

 

「部屋の《記憶》を辿ったら、どうやら毎日のようにやらんでもいい掃除をしに来ているやつがいたようなんでね」

 

 だからわざわざ伝えんでも、ここで待ってりゃ向こうからやってくると思ったのよ。パチュリー様はなんら悪びれることもなく(もちろん、悪びれる理由なんてないのですが)おっしゃいました。

 

 左様ですか。それで、忠良なる小悪魔にすべてを任せっきりにして優雅な小旅行と洒落こんでいなすった雇い主様は今の今までどこで何をなすっていらっしゃったのでしょう。よろしければ土産話のひとつもお聞かせいただけませんか。言外に含ませた厭味を鼻であしらい、本を閉じたパチュリー様はこちらにお顔を向けられました。

 

「八十日間世界一周というわけじゃないが、それに近いことをやっていたのよ」

 

 ちなみにこれはお土産。言いながらパチュリー様が本を仕舞い、代わって懐から取り出したのは一抱えほどの大きさをしたクリスタルの瓶でした。なんですか、そりゃ。

 

「おっと間違えた、こっちよ」

 

 言いながら瓶を椅子の横に置き、あらためてパチュリー様が寄越してくださったのは、かつてこの国のセックスシンボルと謳われた大女優がこよなく愛したとされる香水の小瓶でした。今夜の就寝時にでも振りかけてみますかね。

 押し頂いたお土産を懐に収め、私はあらためてパチュリー様が置かれた大瓶を観察しました。どうやら中には灰色をした砂状の物体、といいますか灰のようなものが半分ほどの割合で詰まっている様子。一体、何が詰まっているのでしょうか。

 

 よせばいいのに好奇心に駆られた私はパチュリー様に断りをいれて、その瓶を手にして“しげしげ”と観察しました。すると、中に詰まっていた『灰』がいきなり“わさわさ”と蠢きだしたではありませんか。うわわ、なんですこれ気色悪い。突然のことに驚いた私が放り出すようにして落っことした瓶は、地面にぶつかるすれすれのところで“ぴたり”と静止し、“ふわふわ”と風に吹かれる綿帽子のように宙を漂いパチュリー様のお手元へと収まりました。それを大事そうに何度か撫でさすりながらパチュリー様はおっしゃいました。

 

「あまり“ぞんざい”に扱ってくれなさんな。こんなんでも私にとっちゃ大事な友達なんでね」

 

 友達ときた。思いもよらぬその言葉に首を傾げる私をなぜだか愉快そうに眺めやり、パチュリー様は続けられます。

 

「それについては、これから説明してあげる。私の“お出かけ”の理由も一緒にね。でも、その前に───場所を変えましょうか。ここはお世辞にも“お客様”をお迎えするに適した場所じゃない」

 

 それについては、私も賛成でした。そろそろお茶の時間でもありましたし。

 

「そうね、私も喉湿しのひとつも欲しいところだわ。久方ぶりにお茶でも淹れてもらおうかしら」

 

 かしこまりました。少々、お待ちくださいませ。打てば響くよな返答に、魔力を込めて呪文とし、私はキッチンへ跳ぶのでした。

 

   *

 

 応接室に場所を移したパチュリー様は三月前とまったく変わらぬ優雅な所作でカップを手にし、立ち上る香りを受けたお顔を満足気にほころばせました。もちろん、よく見ないことにはそれと悟らせぬくらいに僅かな“ほころび”でしかありませんが。

 テーブルには件の“ご友人”が鎮座ましましておられ、パチュリー様の言いつけによってその前にも紅茶と私自作のビスケットとクランベリーのジャムがお茶請けとして置かれております。おそらくは饗すためではなく、飲めるもんなら飲んでみろという嫌がらせのためなのでしょう。虫眼鏡で直視した太陽ばりの眩い友情に私、目が潰れてしまいそうです。

 

 ひとしきり紅茶を愉しんだパチュリー様はおもむろに言われました。

 

「出かける前に、ここにやって来た私の『お友達』のことは憶えているわね」

 

 そりゃあ、まあ。私は口ごもりながら頷きました。忘れたくても忘れようがありませんよ、なんせあんな目に遭わされたんですから。微妙な表情をこしらえる私を、パチュリー様はたっぷりの皮肉と僅かな滑稽さのこもった目で見やり、次いでその視線をテーブルの上に置かれたご友人(人の形どころかもはや生き物の形すらしてませんが)へと移されました。

 

「“こいつ”が“そいつ”の成れの果てよ」

 

 はあ? 予想もつかないその一言に、私が間の抜けた相槌を打ったのも致し方なし。蝙蝠をお友達になすってるくらいならまだ理解の範囲内ですが、それが今度は灰になったときたものです。この三ヶ月の間に何がありゃそんな有り様になるっていうんですか。軽い混乱をもよおす私に向ける視線へ愉快そうなものを増したパチュリー様は話を続けられます。

 

「順を追って説明していこうか。事の起こりは三月前、こいつが私に頼み事をしに来たのが始まりよ───ニホンとかいう国を知っているかしら?」

 

 ええ、存じております。海を隔てて遠く遥か東の彼方(ただしこの大陸からすれば西の彼方)に位置するらしい“ちっぽけ”な島国のことですね。私が応えるとパチュリー様は静かに頷かれました。

 

「そういえばあなたが少しばかり前に大枚はたいて買った、空から降ってくる侵略者を撃ち殺すおもちゃを造ったところでもあったわね」

 

 懐かしいですね。最近だと可愛らしい神官の女の子が妖怪を棒で撲殺したりヘンな紙切れで射殺したり、銀色の飛行機がパチュリー様みたいな機械の身体をした魚介類を撃墜したりするゲームを出してましたか。

 

「“こいつ”が言うにはね、その『ちんけな島国の片隅にあるしみったれたド田舎に集まった行き場のない木っ端妖怪連中が無い知恵を寄せ集めてなんぞ小賢しい企みをしてるそうだからちょいと“からかい”に行ってみたくなった』、のだとかなんとか」

 

 ほほう。

 

「で、三ヶ月に“こいつ”がここにやって来た理由というのが、私にそのド田舎とやらに“お引越し”するのを手伝わせるためだったの」

 

 ふむ。そこまでは飲み込めました。で、その引っ越しのご相談とやらが一体全体なんだって“この”ご友人様がこんな有り様になっちまうことに繋がるんで。

 

「ああ、そりゃ簡単なことね。詳しく話を聞くついでに、ちょっとばかり殺し合いしちゃったから」

 

 ……なんですか、そりゃあ。私がしばしの間、二の句を継げずにいたのもむべなるかな。やんちゃ坊主が軽い“いたずら”でもしたかのような口調で、またえらく剣呑なことをおっしゃる。かろうじて精神的に踏みとどまった私の首と視線が、目の前に佇む佳人と卓上の瓶とを行き来していると、その片割れが妙に可愛らしいしぐさで小首を傾げてみせました。

 

「なあに、おかしなものでも見るような眼をしているわよ?」

 

 そりゃあそんな眼にもなっちまうでしょうさ。咳払いした私は気分を変えるためにケーキスタンドから取り分けたクッキーをひとつまみ、そして珈琲で喉を潤してから再び質問をしました。しかし殺し合いにまでなったということは、結局のところ交渉は決裂したということなんですか?

 これは言わずもがなだったか……などと考えたのも一瞬のこと。

 

「うんにゃ、それについては端から了承済みだったよ。こいつが頼み事をしてきた時点で、私にゃ拒否する気なんざなかった」

 

 …………。

 二の句どころの話じゃありません。今度こそ私は絶句するにいたりました。向かいのソファに悠然と腰掛ける魔女の寄越した応えは、予想の斜め上どころか異層次元戦闘機で時空の壁を突き破ったかのごときところにあったのですから。

 

「そんなに不思議な話かしら。友達の、それもたった一人───人外の数え方がこれでいいのかは知らんけど───の友達の頼みとあらば、なんだって聞いてあげたい、どんなことだって叶えてあげたい。そう考えることに、なにか問題でも?」

 

 はぁ、そんなもんですか。つぶやくように言い、私は引き下がることにしました。もちろん納得できたわけではないのですが、これ以上続けていたところで堂々巡りにさえなりゃしないのが目に見えていたので。理解も共感もできない事柄は下手に突き回すより無視してしまうのが正しい対処。それを出来ない奴ほど藪に潜む大蛇や猛獣にしたたか痛い目に遭わされる。

 

 しかしそれならまた別の疑問が浮かんできます。答えが最初から決まっていたととするなら、なんだって殺し合いなんかをなすったんでしょうか。

 

「決まってるじゃない、そんなの」

 

 友達だからよ。パチュリー様はさも当たり前のようにおっしゃいますが、私は露骨なまでの不可解と理不尽さを面に表してパチュリー様を見つめずにはいられませんでした。今更ではありますが、この方の思考回路と精神構造はどうなってんでしょう。実は頭から上が遊星からの物体に乗っ取られてるか、さもなきゃ異次元からの侵略者が人の形に化けてるだけなのと違いますか。

 

「人のことをなんだと思ってるんだか。世間一般の友情の示し方なんぞに迎合するなんざ、こちとらにはないってだけじゃない」

 

 曰く───喧嘩するほど仲が良い、東洋の諺にもあるのを知らんのか。したり顔でのたまうパチュリー様でしたが、それにしたところで殺し合いまでせんでもよいのでは。

 

「本気で殺し合うことも出来んような、“やわい”関係であった記憶もないのだけれど」

 

 これまた東洋の諺に曰く断金の交わりということですか。この場合は交わらせた側の命や首がついでとばかりに断たれているみたいですが。

 

「まあ付け加えるなら、長いこと顔も見せなんだ奴がいきなりひょっこりやって来たかと思えば、『引っ越しするから手伝え。ついでにお前もついてこい』なんぞと言ってくりゃ腹も立つわな」

 

 だから引っ越しの手間賃を頂戴したのよ、対価を身体で払ってもらうというかたちで。意地悪く口の端を吊り上げる魔女。それは要するに、腹いせというのが本音では。

 

「否定はせんがよ。だがこのくらいであっさり滅ぶようなボンクラであるならその時点で見限りもする」

 

 無条件の友情なんざ願い下げ。私も、こいつも。言いながらパチュリー様が“御友人”の詰まった瓶を人差し指で弄うように弾かれると、中の灰が“ざわざわ”と蠢きました。それが憤慨ではなく同意のように見えたのは、おそらく気のせいではないのでしょう。

 

「で、決着そのものは三日三晩で済ませたんだけどね、帰りの寄り道がてら、分割したこいつの“遺灰”を地の底に埋めたり、あちこちの海にバラ撒いたりしていたらすっかり遅くなっちまったのよ」

 

 そこで言葉を切ったパチュリー様はティーカップを置き、代わって“ご友人様”を手に取られました。

 

「あとは残ったこの瓶の中身を始末すれば、今回の一件はひとまず終了というわけね」

 

 成る程。他人事のように頷くもこれが虫の知らせというやつでしょうか、このとき私はヤブ医者に健康診断を受ける病持ちのような気分を感じておりました。それを見透かしたかのごとく、パチュリー様は手元のご友人様を私の前に置き、一言おっしゃいます。

 

「というわけで、あなたには最後に残ったこいつを処分して、一連の騒動に幕を下ろしてもらいたい」

 

 私が、ですか。声に思わず嫌そうなものを混ぜ込んでしまったのもいたしかたなし。

 

「そう、あなた。処分と云ってもそこまで大袈裟に考えなくてもいい。粗大ごみと一緒に捨てるなり燃料として《動力炉》にでも放り込むなり、思いついた方法でいいわ」

 

 よろしいんですかね、そんないい加減な方法でも。

 

「構わんよ。なにせこいつにゃあるったけの封殺をかましとるんだ。このあと何をしようが結果は変わらん」

 

 パチュリー様が言うには最低でも2、3年はこのままなのだそうです。殺る気満々じゃあないですか。

 

「そりゃあそうだ。こちとらやりあう前に、『必ず死なす』とまで啖呵を切ったのだから、手を抜いたら侮辱になる」

 

 だから本気で殺してやったの。今の今まで《魔法使いパチュリー・ノーレッジ》が積み上げてきた“あるったけ”、知恵と知識と技術と技能のことごとくすべてを叩きつけてやった。言外に“ざまあみろ”というフレーズをにじませるパチュリー様でした。げに麗しき友情かな。

 

「それにこっちだって今までストックしていた“もの”の数十年分が“ぱあ”になってしまったのだし、それを考えりゃ痛み分けね。文句を言われる筋合いはないわな」

 

 お陰で大赤字もいいところよ。忌々しさを隠そうともしない言葉の内容はさておき、パチュリー様はのあくまでも上機嫌の体でした。自分をそこまで手こずらせた御友人の力量が嬉しいのか、あるいはそれほどに手こずった相手を沈めたことが嬉しいのか。どちらにせよ私ごときではこの方々の友情の示し方なんぞは見当も想像もつかないものであるのだけは間違いなさそうです。そも私に他人の友情を云々できる資格があるとも思えませんし。なにせ私にゃ友達なんてもんがない。

 

 しかしそこまでしてしまってはこの方、もう復活なんて出来んのではないでしょうか。私が余計な心配をしていると、瓶詰めのご友人様が“がたがた”と震えられました。今度はなんですか、一体。困惑する私とご友人様を見比べたパチュリー様は意地悪そうに口の端を吊り上げてみせました。

 

「頭に『小』がつくけちな悪魔風情に心配されるいわれはないとさ。見てくれはさておき、こいつは数ある幻想の輩にあってさえ特に強力なファンタジーだ。もっと酷い目に遭わせたことだって何度もあるけど、その都度しっかりと復活したもんよ」

 

 こんな有り様よりもさらに酷い目とは如何なるものか、さらにそんな目に遭ってなお復活できるとはどのような存在であることか。背筋に冷たいものを感じた私は話題を変えることにしました。見てくれといえばこの方、普段から蝙蝠だの灰だのといった奇天烈な風体をなすっているんで?

 

「まさか。今でこそこんなんだが、本来はそれこそ古典童話につきものな、魔女にたぶらかされるお姫様みたいな愛らしい見てくれをしとるよ───見てくれだけなら」

 

 しかして中身は青ひげ公の顔色さえも青褪めさせるようなお方だそうで。そりゃおっかない。

 

「そうね、おっかないわね。だから我が身が可愛いのなら精々、丁重に捨てて差し上げなさいな」

 

 それが終わり次第、早速『お引越し』の準備にとりかかるので、私には諸々の手配も頼むことになるとのことでした。お戻りになられて早々、こき使って下さいますね。肩をすくめるも、パチュリー様には鼻で笑われるばかり。

 

「文句を言いなさんな。どうせこの三月、私の不在をいいことにサボっていたんじゃない」

 

 むしろ良いリハビリだと思いなさい。“ぴしゃり”と言い渡したパチュリー様は席を立つこともせず、ソファに腰掛けた姿のまま空気に溶けこむようにして消えてしまわれました。後に残された小悪魔はこれからの厄介事を思い浮かべてため息ひとつだけをこぼし、後片付けをはじめるのでした。

 

   *

 

 その日の深夜、住まいからちょいと離れたところを流れてるどでかい河に架けられた、これまたどでかい橋の隅っこで、盗みに入る泥的さながらに挙動不審な小悪魔の影があったとさ。

 

 横断歩道を渡る良い子のように右見て左見て後ろ見て、人気がないのを確認した私は脇に抱えたバッグから件の瓶を取り出して、細腕に魔力を込めて砲丸投げよろしく投擲の構えを取りました。投げ込む場所はもちろん陸上競技場に設けられたトラックでもなんでもなく、眼下のでかいくらいしか取り柄のない巨大ドブ川です。瓶詰めのご友人様が“やめんか、こら”とばかりにお震えあそばされておいでですが、事ここに至ってはもはや観念していただきたい。ついでに堪忍していただきたい。

 

 ……そんな恨めしそうに蠢かんでくださいな。私だってやりたくてやってるんじゃない、雇い主にゃ逆らいようがないんですからここは堪えてくださいよ。ここに来るまでに何度口にしたかもわからぬ言い訳をつぶやいて、私は思いっきり腕を振った。




 登場人物

小悪魔

得意技は月面宙返(ムーンサルト)り。空飛べるから簡単だ

パチュリー・ノーレッジ

二次創作だと高確率でノーブラボイン撃ちもできそうなガタイでもこのSSでは近未来サイバネティクスメスゴリラのご同類

こいつ

2Pカラーに『あいつ』、それ以外にも『そいつ』『どいつ』がいる、のかまでは知らん

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