□数弾の旋律
翌朝。俺はどうにも収まらない胸騒ぎに、いつもよりかなり早い時間に家を出ていた。
普段は遅刻ギリギリにしか家を出ない俺に、母親も爺ちゃんも妹の蘭も驚いたような目を向けている。
「弾っ!?あなたどうしたの!?こんな朝早くから学校に行くなんて…。あぁ…どうりで昨日から雨がやまないと思ってたわ…」
「弾っ!もう少しゆっくりしていけ!お前のその心がけは良しだが、こんな早い時間からじゃと三日すら持たんぞ!」
「おにぃ…悪いことは言わないから、今日は学校休んだ方がいいよ。温かくして、ゆっくり布団に入ってて。明日にはきっとすっきりしてるはずだから…」
…。……お前ら、家族とはいえ大概失礼だろ…。
そんなに俺が早く家を出るのが異常なことか?
そんなこともありつつ、俺はポツポツと降る雨の中、傘を差し学校への道を歩いていた。
昨日から降り出した雨は、一夜明けた今日もいまだに鬱陶しく降り続いている。
朝からこの有り様だと、ただでさえ昨日の件で沈んだ気持ちはさらにブルーになる。
…まさか、本当に俺が早起きしたからじゃないよな?
そうでないことを俺はせつに願った。
いつもは遅刻ギリギリを走る通学道も、普通の時間に出れば、それなりに人の姿がちらほらと見える。カラフルに開く傘の下には俺と同じ制服のやつらも何人もいた。
その中で、俺は見覚えのあるやつを見つける。俺と同じ紺の傘。でも、俺とは違って朝には強いらしいそいつはほかの学生に交じって一人、普通に通学路を歩いていた。
俺の幼馴染にして、親友『御手洗数馬』の姿だった。
「おっす。おはよーさん数馬!」
「うおっ!?」
後ろから近寄り、声をかけると数馬は一瞬、驚いたように後ずさる。
そして、俺の姿を見るなり、慌てたように左手の腕時計を確認し、次いでホッとしたように息を吐き出した。
…なぁ、数馬。お前も大概に失礼だよな?
「なんだよ…弾。脅かすんじゃねーよ、まったく。それで?こんな朝早くからどーゆー風の吹き回しなんだお前?」
「…、……そこまで俺には遅刻ギリギリのイメージがついてるのか…」
「と、いうよりは遅刻そのもののイメージがついてるんだけどな」
そう言って、数馬はニヤリと笑みを浮かべた。
その人を小馬鹿にしたような態度に、俺はため息を一つ吐く。
時間もない。と、いうことでこの話はここまでとなった。本当はいろいろ思うところはあるのだが、今日のところは何も言うまい。いや…言えないんだけどね。
事実、昨日まで俺は遅刻常習犯だし、きっと明日からもそうなるだろうから…。……。
数馬と並び、俺は再び学校に向けて歩き出した。
もう、学校までそう距離はない。
学校に近づくにつれて人の流れが大きくなってくる。
幾人もの生徒が傘を差す映像はカラフルすぎて目に悪い。そして、男子の地味めな傘に相反するように派手な傘を差しているのは決まって女子だった。
その光景が、俺にはどうにも複雑で、俺はなるべく周りを見ないように傘を低めに持った。
地味な傘の男子。派手な傘の女子。
それはまるで、今の世界の男女関係のように思えた。
派手に光を浴びる『女』地味な日陰に追いやられた『男』
その関係は時がたつにつれてより強くなる。
まで、このくそったれな世界がそう仕向けているかのように…。
学校前の大きな川に架かる橋の上。
俺は、そこでふと立ち止まった。昨日からの雨のせいで、川は激しく反乱している。その流れは荒々しく、いろんなものがごちゃ混ぜになって流れている。
その光景は、まるで今の俺の心情のようだ。俺は唐突にそんなことを思った。
女の子は好きだし。エロいことはもっと好きだ。できれば、彼女だってほしい。
…、…でも、昨日のあれを見た俺は、これからもいままでみたいに女の子を好きになれるのだろうか?
意外な、どころではない。
俺は、女の子の黒い部分を直(じか)で見てしまった。
それはきっと、自覚はなかったが俺自身に大きな衝撃を与えたと思う。
俺は…、……俺はこれからも、女の子を信用できるのだろうか?
この狂った世界の上で。
俺は…、……女を信用できるのだろうか?
「んぁ?どうしたんだよ弾?いつもみたいに学校遅刻するぞ?」
隣を歩いていた数馬が、俺の数歩先で立ち止まる。
よくよく考えてみれば、男子を嫌う女子の筆頭である『久世さん』のことを好きなのは俺ではない。こいつなのだ。
本当のことを伝えるべきか…正直、迷う。
それ以前に、伝えてどうする?あんな女のことなんか忘れろって言うのか?それとも、これまでと同じくあいつの恋を俺は応援するのか?
…、…いや、俺はたぶん相当なことがない限り前者を選択すると思う。
でも、でも結局、一番問題なのは…。……。
「…、…なぁ、数馬。…もし、だ。もし、お前が好きな女の子のさ…意外な一面を見てしまったら…どう思う?」
「はぁ?」
一番問題なのは…、……こいつの意思なのだろう。
それでどんな結果になって、俺がどうしようが関係ない。
結局は、こいつの意思がすべてなんだから…。……。
「…、…弾。お前確か入学式のときもそんなこと言ってなかったか?確か…俺が間違ったことをしそうになったら殴ってでも止めろとかなんとか…?」
「…そーいやそんなこともあったな…。じゃなくて、あんときとは違って、俺結構今ガチで話してるんだ」
「ガチって…、お前どうしたんだよ?なんか今日のお前変だぞ?」
「自分でも自覚してるよ…でも、頼む。教えてくれ。お前はそうなったら…、……どう思う?」
これは例えなんかじゃない。
でも、聞いておいておいた方がいいことだ。
こいつ自身が何も知らない今のうちに。俺は…、……こいつの本心が知りたかった。
俺の態度が真剣だったからか、数馬はしばらく考え込むように首をひねる。考え込むとき、あいつの瞳は無自覚に上を向く。分かりやすい癖だった。
そしてやがて、結論に達したのかニッと笑みを見せ数馬は特に感情も込めずに、軽い感じで口を開いた。
「俺はさ…ラッキーだなって、思うかな」
「ラッキー?ラッキーって…お前。じゃぁそれがとんでもない悪女だったとしてもか?」
「…、弾。そんな後付条件は反則だろ…。でも、まぁそれもそれでラッキーなんだろうな」
そう言って、数馬はもう一回ニッと笑った。
「そもそもさ、弾。好きあうってのはそういうことじゃないのか?」
「どういうことだ?」
「いや、だからさ、好きってのは最初は容姿とか上辺の態度。そんな浅いところから始まるじゃん。で、お互いに付き合うようになって、その中でお互いの深いところとかも見えるようになる。意外な一面ってのもきっとそれに入るんだろう。それが、良し悪しどちらでも、相手のその一面が気に入らなかったら別れることになるんだろうし、気に入ったらそれがたとえ世間一般での悪い一面だったとしても、そのまま付き合い続けるんだと思う。恋愛ってのはそんなもんだろ?」
いつもより饒舌な数馬。その様子に俺は困惑した。
あれ?こいつ…こんなやつだったっけ?俺の頭の中で疑問が生まれる。
こいつと俺は、クラスのお調子者。二枚目気取りな三枚目。そんな感じのキャラが定着していたはずなんだけどな…。
なんか今、こいつがすっごくカッコよく見えるんだけど?
俺が困惑している中、数馬はプッと吹き出した。
「…って、俺ってば何を語ってるんだか…。厨二病の弾にあてられたのか?やっべ…俺もそろそろ発症すんのかな…。そもそも、年齢=恋人いない歴の折れが語っても、何の意味もないのにな…。つか、今はまだ恋人じゃない!エロだ!そう、俺は大事なことを忘れていた。今、何より優先すできは恋や愛じゃない!エロじゃないか!そうだったそうだった!!あはははははは!!!!」
ポロリと出てきた数馬の本音に、俺もなんだかおかしくなりプッと吹き出した。そして、何だか安心した。
幼馴染の男が、今一瞬だけどこか遠くに行ったような気がして…。一人だけ勝手に大人になってしまった気がして…。少し、不安になってしまっていた。
でも、それは思い違いで、結局は幼馴染はまだまだ、俺と変わらない子供のままだったと感じて…。……俺はなんだかホッとしたのだ。
なんだ、結局数馬は数馬か…。そう思って思わず苦笑いがこぼれ出た。
「お前。なんだよそれ…。バカ丸出しのエロ猿じゃねーか。…まぁけど、こっちの方がお前らしいか…」
「そうそう。俺らしい…って、余計なお世話だ!そしてお前にだけは言われたくねーよ!」
それもそっか。と、心の中で俺は呟いた。
どちらからとは言わず、俺達はまた歩きだす。
俺は決めた。あのことは、数馬には話しておこうと。
こいつがどうするかは知らない。でも、悪いようにはしないはずだ。
雨は止まない。パラパラと傘をうつ雨音は、どこか悲しげにも聞こえる。どんよりした天気は今もなお続いていた。
けど、俺の心の中ははどこか晴れたような気がした。
俺は、この世界を少しだけ好きになれた。
この世界にとって、俺達はいらないものなのかもしれない。だが、俺達はそれでも足掻こうと思う。
こいつ(数馬)と一緒に…。……。
「…なぁ、数馬。実はさ…。……」
*
朝早く家を出たおかげで、俺は無事に遅刻せず学校にへとたどり着いた。
教室に入った俺は、仲のいいクラスメートへと「おはよう」と挨拶する。男子はそんな俺の姿に、ある者は驚き。あるものは悲観し。そしてあるものは失念する。
けど、その誰もが最初に時計の針を確認するあたり、俺に対するクラスの評価は目に見えて分かった。
最早、周りのその行動に慣れてしまった俺は、ため息を吐き自分の机に腰を下ろす。
心配そうに駆け寄る男子。お前らは、なぜみんな同じようなことをするんだ?
俺は周りに群がってきた男どもを追い払った後、もう一回大きく息を吐いた。
クラスの雰囲気は昨日までと変わらない。
相変わらず、男子と女子の間には目に見えて壁があった。
さっき、俺が「おはよう」と言った時もそうだ。一応、この間まで仲良くしていた女子にも挨拶したが、返事は返ってはこなかった。
ここには、今の世界そのものがあった。
「…正直、まだ信じられねーな。これが、あの久世さんがやったことだなんて…」
隣に座る数馬の言葉に、俺は相槌を打つ。
その意見には、俺も同意見だ。けど、現実にこの目で見たんだから疑う要素はないのだ。
このクラスで何が起こってんのか…、知っちまった俺達は、それを解決する義務がある。
だから、ここで止まってるわけにはいかないのだ。
「…差し詰め、今一番の問題は…。あの二人のことだな」
俺は視線をそこに向ける。
クラスではいつも本を読むか、寝てばかりいて、他人と関わろうとしない男の姿はまだ見えない。
その光景に、俺は無性に胸騒ぎがした。
「…どうやら、まだ学校には来てないみたいだな、織斑のやつ」
「そうだといいんだけどな…」
数馬の言うとおり、まだ登校してないと思うのが妥当だろう。
でも、どうにも胸騒ぎは収まらなかった。
今朝から感じていた、すでに、見逃してはいけない大事が起こっているかのような、そんな胸騒ぎが…。……。
俺は近くを通りかかった男子を呼び止める。
「…なぁ、後藤。今日、織斑を見たか?」
「ん?いや、今日はまだ見てないな…。ま、居ても居なくても同じようなやつなんだけどさ」
「そうか…サンキュー」
やはり、教室には来てないようだ。
荷物も見当たらない。今日、見た者もいない。
ふつうに考えれば、学校にまだ来ていないのだろう。
けど、こういうときに限って、悪い予感は当たるもので…。……。
そのとき、俺は最悪のケースがとうに起こっていることをまだ、知らなかった。
ガラッと、大きな音共に扉が開かれた。
誰かが慌てて教室に駆け込んできたようだ。息が上がり、膝に手をついているのは同じクラスの男子生徒。その刹那、俺はすべてを悟った。
最悪のケースが起こったのだと。
「おい!大変だお前ら!織斑のやつが…!!」
思はず歯ぎしりした。遅かったと…。
勢いよく席を立ちあがり、俺は脱兎のごとく教室を離れる。後ろから、数馬が付いてきてくれているのがわかる。
教室を出るときに、知らせを届けてくれた男子生徒が「屋上へ上る階段の踊り場」と教えてくれた。
その言葉に俺は「ありがと!」と礼をし、走り出した。
廊下にいる生徒が驚いたような顔をする。自分でも、すごい形相で走っていることがわかる。
全速力で駆け抜けると、階段はすぐだった。
三段とばしで階段を上る。一階から四階。距離はそこそこあったが、すぐについた。
場所は探さなくてもすぐわかった。
多くの生徒が階段のところに集まっている。でも、誰も上へと登ろうとする生徒はいない。
俺は関係なく生徒を押しのけ階段を駆け上がった。
「っ!?」
そして、その先。屋上階段の踊り場。
そこに付いた瞬間、俺はゴクリとつばを飲み込んだ。
やっぱり、遅かった…。
後悔の念が心の中を走る。すぐ後に来た数馬も唾を呑んだのがわかった。
そこにあったのは、数人の怯える女生徒。
頭から血を流し、気絶した鳳鈴音。
そして、彼女を抱えた少年。織斑一夏の姿だった…。……。
今回は、ついに事件が起きました。
血を流し倒れる鈴に、彼女を抱く一夏。果たして、彼らに何があったのか?
そして、いよいよ次回から弾君と数馬君のターンです。
設定だけ明かせば、数馬君はかなり変わってます。むしろ変わりすぎです。
弾君は基本的には変わりませんが、原作とはやはり違います。
二人の活躍は如何に?それは次回。