□青空に響く鈴の音
「やめなさい!!一夏!!!」
咄嗟に出たその声が誰のものか…。最初はわからなかった。
でも、あたしはすぐに気が付く。それは、誰のものでもない。ほかならぬ、あたし自身の声だと。
振り上げた鉄パイプが空中でピタリと止まる。
織斑一夏の動きが止まったことに、あたしはとりあえずホッとした。
だが、鉄パイプはその後、予想もしなかった方向へと動き出した。
動きを失った鉄パイプはフルフルと小刻みに震えだし、次いであたふたと空中で虚を刻む。
と、思ったら…鉄パイプは彼の手からすっぽりと抜け落ち、建物の壁に当たり、カツンと激しく音を立て地面に吹っ飛んだ。
さらに、何がどうしてそうなったのかは分からないが、はじけ飛んだ鉄パイプはそのままの勢いであのバカどものすぐ横の地面にブスリと刺さり、やつらの何人かが泡を吹いて気を失う。
「すいませんでしたあぁあああああああ!!!!」
そして、織斑一夏はあたしに向かって全力で謝罪した。
本当に見事な…ジャパニース・土下座だった。
…、…何が起こったのかは正直分からない。が、どうやらあたしの声は織斑一夏の中で絶大なる効果を発揮し、彼の殺気をそぎ落としたようである。
「…なんのギャグよ…これ」
あたしが、思わずそう呟いたのを誰が責めることができただろうか。
いや、きっと誰にも責められないだろう。
シリアスなムードが一気に崩壊した瞬間だった。
冬場の悴(かじか)んだ手に、汗を握る。
時間の流れがゆっくりと感じる。少し時間がたち、織斑一夏は自分が何をしたのかだんだんと分かってきたらしく、首筋にひらりと汗が流れ落ちる。
土下座中なため、顔は見えないが耳は燃えるように赤く染まりつつあった。
やがて、彼はごくりと息をのみ…、言葉を紡いだ。
「…。…、あの…鳳…さん」
「…。…、なによ」
「…。あの、ですね…、その…頭を上げても…いいですか?」
「…。…、あたしに聞かないでよ…」
「…。…で、ですよね…」
地面に頭を擦り付けながらつづられた織斑一夏の声は、どこか羞恥に悶えているようにも感じた。
気まずそうに彼は顔を上げる。だが、驚いたことに彼の顔は耳と同じくらい羞恥で赤く染まっているにも関わらず、その表情には苦笑いの一つも浮かんでいなかった。
人形と皆が呼ぶ、あの無表情な顔がそこにあったのである。
そこまでしても表情が崩れないあいつに、あたしは心の底から同情の思いが湧(わ)き起る。
でも、今はその思いを押しこめ…、あたしは立ち上がろうとする彼に手を差し伸べた。
「…ほら、織斑君。さっさと立ちなさい。いつまでも、その体勢でいるわけにはいかないでしょ?」
「あ、うん。ありがとう…鳳さん」
彼は無表情を貫き通したまま、あたしが差し出した手を握り、立ち上がる。
さっきまであった、直接向けられていないあたしにすらヒシヒシと感じた織斑一夏の殺気は、完全にその為りを潜めていた。
殺気を帯びた状態なら、恐怖心をあおるだけのその無表情。何もない今は、ただいつもの気味悪さを感じるだけ。でも、あたしはその気味悪さすら慣れつつあった。
あたしは、あたしのためにあいつらを殴ってくれた織斑一夏を…、好きになりつつあった。
表情を失った…、あの寂しがりの化け物を…。
「っ…こ…のやろぅ…なめやがって…」
そのとき、織斑一夏の後ろで何かがゆらりと立ち上がる。
あたしはその存在の正体にすぐ気が付いた。
あいつは、織斑一夏が最初に殴り飛ばした男。…あたしを一番前で笑っていた、あいつだと。
たぶん、あいつは織斑一夏が最初に殴って気絶させたせいで、織斑一夏が放ったあの殺気を知らずにすんだのだろう。
だから、殺気がない今。あいつはまだ、織斑一夏に逆らえることができるのだと。
あたしがその結論に達したとき。あいつはすでに怒りを孕んだ目であたしたち…、いや、織斑一夏をギロリと睨みつけてくる。
さっきまでのあたしみたいに、痛いくらいに握りしめられた握りこぶし。それが織斑一夏に向けられるまでに、そう時間はかからなかった。
「ふざけんじゃ…ねえぇええぞおぉおおお!!!!にんぎょおぉおおおおおおお!!!!」
バンッと。気持ちのいい音が木霊する。
それはさっきの織斑一夏が殴られたときの鈍い音とは比べ物にならないほど気持ちのいい音。
まるで、打ち上げ花火の花が開いた時のような…そんな綺麗な音だった。
そして気が付いたとき、あたしはまたそれを感じていた。
体が動かなくくらいに感じる…恐怖、……織斑一夏の殺気を…。
「…。まだ、懲(こ)りてなかったのか…お前は…」
殴られる寸前の拳を、織斑一夏は握りつぶしていた。
ギリッと、力を込めるとあいつの顔が、目に見えてゆがむ。
それだけで、力の差は歴然だった。
「い…いででででっ!!!?や、やめろ!!!!痛い痛い痛い痛い!!!!!!」
苦痛に歪むあいつの顔。織斑一夏はその顔を今度は握りつぶす。
アイアンクロー。握力だけで相手の顔を潰すプロレスの技。
それを小学生の織斑一夏ができるだけでもすごいはず…、だが、織斑一夏。あいつは、それを無表情でやってのけているのだ。その行為にあたしは戦慄した。
あいつは…、……化け物だ。
あたしはそれを改めて実感する。
あいつはどう考えても小学生の域を外れている。そして、いったいどんな経験をすれば…、あんな寂しげな無の表情になるのか?
今のあたしには、きっと理解することはできないと思う。
でも、あたしは彼が見せるその無の表情が…、どうしても寂しげに見えて…、見るに堪えなかった。
そして、あたしはすべてを悟った。あたしは…、救いたいのだと。
寂しげな無表情で…、相手を傷つけるあの寂しがりの化け物を……、…救ってやりたいのだと。
「…。やめなさい。やめなさい…一夏!!!!」
だから、今度は自然とその言葉が出てきた。
心穏やかな気持ちで…、諌(いさ)めるのではなく、叱りつけるように…。
あたしは、その言葉を口にした。
あたしの声に、織斑一夏の動きがピタリと止まる。気のせいか、一瞬殺気もなくなったように感じた。
でも、さっきとは違い。今回はすぐにまた殺気が舞い戻ってくる。
あたしは、半ば予想していたこの状況に焦ることなく、対応した。
「…。…、何。鳳さん?ごめん。俺、今忙しいんだけど?」
「…やめなさい一夏。あんた、自分が今、何をやろうとしてるのか分かってんの?」
織斑一夏の腕に力がこもったのか、彼に顔を潰されている男が低く金切声をあげる。
その動作に、あたしは織斑一夏の中で一瞬にしろ同様が走ったかのように感じた。
すでに、相手の男はさっきまでジタバタとしていた四股をすっかり大人しくさせ、今はただじっくりと締め上げられているだけ。勝機は完全に失っていると言っても過言ではない状態である。
決着は当に付いてる。それでも尚、織斑一夏が男を締め上げ続ける。
誰のためなんて言うまでもない。
最初にこいつが手を出したのは、あたしのせいなのだから。
だから、この制裁活動を止めるのも…、あたしでなければいけない。
あたしが…、止めるんだ。
「…。鳳さん、なんで?なんでなの?なんで、こいつらのこと庇うの?鳳さんも分かってるでしょ。こいつらは人間のクズだ。お金を強引に奪おうとしたことまではまだ許せた…。でも、こいつらは鳳さん。くだらない理由で君を傷つけたんだ。これは十分な理由だ…。こいつらを殺すためのね」
「っ…。あんた、まさか…」
「…。さっきの質問。自分が何やってんのか分かってるのか?だったな。…、あぁ、分かってるよ鳳さん。俺は、こいつらを…、殺そうとしてるんだ」
壊れてる。あたしは一番最初にそう思った。背筋が凍りつく。
織斑一夏。彼の言葉にあたしはゴクリとつばをのみこんだ。
でも、臆することはない。あたしは…、あたしは、あいつを救う。そう決めたんだから。
「バカ言ってんじゃないわよ!!!!織斑一夏!!!!」
「っ!!!?」
のどが痛いくらい、めいいっぱいにあたしは叫んだ。
織斑一夏の体がビクリと震えた。目に見えて織斑一夏が動揺するのがわかった。あたしは、ここぞとばかりに一気に捲(まく)し立てた。
「もう一度言うわ、織斑一夏。あんた、自分が今やろうとしてること…本当に分かってんの?」
「だから分かってるって。俺は、こいつらのこと、殺そうと…」
「はぁ?あんたバカなの?殺す?そんなことしてみなさいよ。明日の新聞の一面記事は、小学生が殺人を犯すっていうとんでもない記事になるわよ!!そんなことになったら、一番困るのは誰だと思ってんの!?」
「…。そ、そんなの、もちろん俺…」
「違うわよ!!バーカ!!」
ガキ臭く、あたしは叫ぶ。
考えとか、説得する材料とか、論理とか理屈とか、そんなものは一切考えず。
あたしはただ、何度も何度も、バカみたいにバカバーカと叫んだ。
「っ…。じゃ、じゃあ鳳さん!!一番困るのは誰なんだよ!?」
「そんなの決まってんでしょ!!あんたの家族!!担任の教師!!そいつらの親!!そして…」
そしてあたしは、自分の胸を大きく叩いた。
「この、あたしよ!!!!!!」
はっきりとした意思で、あたしはあいつの前に立つ。
あたしは迷わない。全力で織斑一夏にぶつかった。
「ねぇ、あんた。まさか、あんたがその手で握り潰してる男子を殺しても、あたしに迷惑がかからないとでも本当に思ってんの?だったらそれは間違いよ。バカじゃないの。そんなことされたら、あたしには大・迷・惑よ!!」
織斑一夏が目を白黒させる。
力が抜けたのか、いつの間にか織斑一夏の手から、男は解放され、絶望の顔で地面に転がされている。
あたしは尚も、声を荒げ捲(まく)し立てた。
「もし、仮にもし、よ。あんたがこの場でそいつを殺したら、あたしはどうなるか分かる?さっきまで話していた同級生が、同じく同級生の男子に殺され、血が出て、それを見て、それから警察が来て、あんたは逮捕。あたしは保護。やさしげな婦警さんが『怖かったね…。もう、大丈夫だよ』とか言って慰めてくれても、そのあとはあんたのことで警察にいろいろ聞かれるのよ!!それだけでも心がズタボロよ!!そんなんで、また明日から普通に学校にでも行けると思ってんの!?行ったとしても、学校じゃ悲劇のヒロインよ!!冗談じゃないわ!!」
「…。鳳さん。そ、そんな、ドラマじゃないんだから…」
「でも、否定はできないでしょ?」
あたしの言葉に織斑一夏は黙る。
ドラマの見すぎ?オーバー?そんなの自分でも分かってる。
でも、さっきも言った通り、否定はできない。
誰にも、未来のことは分からないのだから。
「だいたいさ、殺す?あんたさ、自分が言ってる言葉をもっとよく考えてから言いなさいよね!?あたしも、あんたがさっきまでその手で握りつぶしていた男子のことが嫌いだし、あっちで気絶してる連中も大っ嫌いよ!!でも、あんたのその行動は殺す行為じゃない。顔を握っていい気になる暇があるんなら、さっさとさっきの鉄パイプを拾って、その頭を潰しなさいよ!?その方がさっさと殺せるでしょ?」
「ふぉ、鳳さん…。女の子がそんなこと…言っちゃ…」
「ダメだって言うの?ふざけんじゃないわよ!!さっきまで、あんた何回『殺す』って言ったと思ってんのよ?あんたが言って、あたしが言っちゃダメなんてルールないわよ!!勝手なこと言わないで!!」
言葉が自然と出てくる。
そして、その言葉が確実にあいつを動揺させている。
最早、この場はあたしの独壇場だった。
「織斑一夏。あたしは、あんたがどんな過去を送ったのか知らない。どんな目にあったのかも知らない。そしてきっとそれを理解しようとしても無理なんだろうし、それを理解することをあんたが望むとも思わない。でもね、織斑一夏。最後にこれだけは言わせてもらうわ」
あたしは一回大きく息を吸い込む。
心を穏やかに落ち着かせる。ここが正念場だ。
「いい?織斑一夏。あたしが、この場所に来たとき、なんて言って来たか…覚えてる?」
「…。うん、覚えてる。でも、それがどうかした…」
「その言葉。そっくりそのまま、この場で繰り返してあげる」
織斑一夏の言葉を遮り、あたしはカツカツと歩みを進めた。
そして、織斑一夏と、いじめっ子連中の間に割って入り、手を広げ叫ぶ。
あたしの思い。すべてを込めて。
「一夏…『弱いものイジメをするな!!!!!』」
織斑一夏が目を見張った。
心の底から、そう思っていることが伝えられたと思う。
少しだけ、残っていた殺気が完全に消えた。
織斑一夏。今のあいつに、あたしがしてやれるのはここまで。でも、あたしは満足だった。
あたしは、このときやっと気が付いた。
なんで、いつもなら放っておくことに自分から首を突っ込んだのか。
なぜ、あたしはこいつ。織斑一夏を助けようとしたのか。その理由は…。
あたしが、こいつのことが嫌いだからだ。
嫌い嫌い。大っ嫌い。
あの無表情な顔が大っ嫌い。人形みたいで気味が悪い。だから大っ嫌い。
大っ嫌い。大っ嫌い。大っ嫌い。
でも…、……嫌いってことは、あたしはこいつのことを、気にしてたってことなんだと。
そして、嫌いはいつか…、……『好き』になることもあるんだと…。
あたしは…気が付いた。
「…。あぁ、そっか、そうだよな…。弱いものイジメをするな…ね。そっか…そっか…」
…。織斑一夏は、小さな声でそうつぶやいた。
彼は化け物だ。でも、あたしは彼のことを嫌いじゃなくなった。
だって、絵本の赤鬼は人の温もりを求めた。化け物だからと言って、優しい心がないわけじゃない。
だから、あたしはこいつのことを放っておくわけにはいけない。
こいつの優しい心を知ってしまったから。この寂しがりな化け物の…、優しい心を知ったから。
「あぁ。そうだよな。なんだよ…ちくしょー…、俺が今までやってきたことって…、あいつらと同じじゃねーか、くそ。俺のことさんざん玩具にしてきやがった…あいつらと…。なんだよ…くそ…くそ…くそ…。ちくしょー…」
だから、あたしは織斑一夏を赤鬼にはしたくない。
こいつの、理解者になってあげたい。
だって、織斑一夏。こいつはあたしの…。……。
「…。ねぇ一夏。気づいてる?あんた…今、泣いてるわよ?」
「…。うん、知ってる。1年ぶりだよ…涙を流すのなんて…。泣くことも…許されえなかったから…」
「…。そう、なの。ねぇ、いつか、聞かせてくれる?あんたの話」
「…。ずるいな、鳳さん。今、ここでそれを言うなんて…」
織斑一夏は、相変わらず無表情だった。
無表情なまま、涙だけを流すその姿は…。……寂しがりな化け物そのもの。
織斑一夏は流れた涙をぬぐいさり、あたしの頬を優しく撫でた。
冬の日。彼の涙で濡れた手のひらは、まるで冷えた鉄のように冷たい。
でも、それとはまた違う温かさも、あたしはどこか感じた。
「…。ホント、昔から変わらないな。表情を失っても、友達を失っても、こればかりは昔から変わらないよ」
「あら?友達ならここにいるでしょ?一夏?」
「…。……鳳さん?」
「鈴。友達はみんなそう呼ぶわ。よろしく、一夏」
「…うん。よろしく」
「ところで一夏。何が変わらないのよ?」
「…。……あぁ」
そう言うと織斑一夏。いや、一夏は無表情のままだが、少し照れたように頬を掻く。
やがて、一つため息を漏らすと、彼は明後日の方向を向き、ボソッと呟いた。
「…。勝てないんだよ、どうしても。姉さん然り、幼馴染然り、…。……昔から気の強い女の子には、絶対に勝てないんだ」
「なによ…それ。ぷ、あはははははははは!!!!」
そのあまりの情けなさに、あたしは思わず大声で笑ってしまった。
恥ずかしそうに表情なく頬を赤く染める一夏。
やがて、頬を染めたその顔をこっちに向け、抗議の声をあげた。
「わ、笑うなよ!!鈴!!」
「あはははははははは!!無理!!無理よ!!あんた、情けなさすぎ!!あははは!!あはははははは!!!!」
「おい!!笑うなって!!聞いてんのか!?おい鈴!?」
「あはははははっははははははははははっはははっはははははははっははははははは!!!!!」
あたしは笑う。笑い続ける。笑わない一夏の分まで、精一杯…笑った。
いつか、彼が笑ってくれる日が来ることを信じて…。
あたしは、大声で笑い続けた。
「あははははっはははははははははははっはははははははははははは!!!!!」
「たく…ありがとう。鈴」
*
あたしは運命なんて言葉を信じない。
だから、これも必然だったのだと思う。
彼との…、一夏との出会い。そのすべては必然だった。
そのことに関しては、あたしは神に感謝すらしている。
…。……、でも、でももし仮に…運命なんてものが存在したのなら、あたしはそれを恨み、神を憎むと思う。
このとき、あたしは一夏が抱える過去を、一生理解できないのだと思っていた。
彼が抱える闇は、あたしには暗すぎて、迷い込んだら決して出ることのできない迷宮のようなもの。
だけど、あたしはその迷宮に、一歩踏み出してしまう。
自らの意思とは関係なく…。……。
この日より、四年。
あたしは一夏と幸せな時を過ごすことになる。でも、それは『ユメ』。
決して叶うことのない『幻想』
そして、あたしは…。……世界に壊される。
鈴音編、第二話。投稿です。
この話では、一夏の仲間は基本的に壊れていく予定なのですが…、正直、彼女は壊したくないのが自分の思いです。
はたして、彼女に何があるのか?それはもう少し先に話します。
さて、次は弾君の話です。
実は自分は女性キャラがバンバン戦う話より、男性キャラが主体となって戦う形が好きなんです。
そして、ISの男性キャラといえばこの人。
彼についてはとりあえず、今は平凡な青年という設定でやりますが…、……。
それは次回。