やっと話の本筋に入れてきた感じです。
タイトルは『遅くなる』
それではどうぞ。
□ I shall be late
「…。ん…ここ…は…?」
織斑一夏が気が付いたのはどこかも分からない真っ暗で空虚な場所だった。
どこかにぶつけたのか、頭が割れたように痛む。それに手に違和感を感じた。どうやら手錠か何かで拘束されているようだ。
寝かされた体制が気になり、一夏は身じろぎした。
寝返りを打っても、部屋は真っ暗なには変わりない。
それでも、一夏は今、自分が置かれている現状を確かめるため、拘束されているらしい両手を庇いながら、上半身を起こした。
「…。ん?なん…だ…?ここ…?」
頭を打ったからなのか、右目が微妙に霞む。
それでも、見えずとも見えなくとも、状況が変わらないことを理解した。
「…。暗い」
そこに広がっていたのは、ただ真っ暗な室内だった。
どれだけ目を凝らしても、正直何も見えない。起きたばかりだから、目と頭が完全に覚醒していないだけな気もするが、これはそんな暗さじゃなかった。
懐かしい暗さ、とでも言うのだろうか。
いや、違う。これは一夏にとっては忌むべきものだった。
そう、一夏は知っている。この真っ暗な空間を。一夏は知っている。これが何を意味しているのかを。
若干、見えるようになった目を擦り、一夏はポツリと呟いた。
「…。あぁ…そっか…」
俺、捕まったのか…。
その言葉を一夏が口にする前に、一夏の言葉は遮られた。
ある程度、予想していた人物によって―――。
「…やっと、目覚めたんだ?」
その声は、今日一日で聞きなれてしまった声だった。
「…。あぁ、最悪の目覚めだよ、オルヴォワール。
いや…“シャルロット・デュノア”」
*
ボクが話があると言うと、彼は予想外にもすぐに応じてくれた。
これは、ボクにとっても驚きだった。
これまでのデータから、織斑一夏は彼の姉である織斑千冬。幼馴染である凰鈴音など、ごく近しい人間にしか心を開いていない事は分かっている。
だのに、彼はいとも簡単にボクの話に乗ってきたのだ。
その行動に、彼の幼馴染である凰鈴音などは、かなり驚いた様子だったが、一瞬後には「やりました千冬さん。ついに、ついに、一夏のコミュ症が…」と、なぜかすごく喜んでいたのが、すごく印象的だった。
でも、そのことは今はどうでもいい。
今考えるべきは、この千載一遇のチャンスを絶対に逃さないと言う事だ。
薄暗いビルとビルとの間の道。太陽の光もあまり入らないこの場所で、ボクは覚悟を決め、彼を正面から見据えた。
「…。それで、オルヴォワール。こんな人気の少ない場所まで連れてきてまで俺に話ってのはなんだ?もし、これでとてつもなくくだらない事だったら、俺はすぐにでも帰るからな。」
店の中で話しにくい話だという理由で、彼を店の外まで連れだし、ボクは彼と一対一で相対す。
人通りの少ないこの道は、腐敗した生ごみなども見え、匂いもキツイ。
だけども、それすらボクにとっては好都合だった。だって、これからやることを、誰にも見られる心配がなないということなのだから。
「すみません、一夏さん…。そう長く時間は取らせませんので、お願いします」
「…。いいから、さっさと話せ。前置きなんていらない。むしろ迷惑だ」
「あ、はい。すいません。本当にすいません。では、さっそく本題に入らせていただきますね。え、え~…と…。実はですね、一夏さん。私、あなたにお願いしたいことがあるんです」
「…。お願い、だと?」
あらかじめ準備していたシナリオ通りに言葉を紡ぐ。
もうすぐだった。もうすぐで、織斑一夏はボクと同じ存在になれる。ボクは高揚する心を静め、言葉を続ける。これで、すべてが終わりだった。
「あ、はい。あのですね―――」
「…。ちょっと待て」
と、そこまで言ったとき、ボクの言葉は織斑一夏の手で制された。
まさか、ばれた?
織斑一夏の鋭い視線を受けボクは、一瞬にして、緊張に包まれた。
ボクは今まで完璧にお嬢さまを演じてきたはずだ。ばれる要素なんて少しもなかったはず。なのに、いつ―――?
ボクは予め仕込んでおいた“それ”に手をかける。
勝負は一瞬。そう思った。
「あ、あの…一夏さん…?」
「…。おい、そこの物陰にいる奴。というか数馬。隠れてないでさっさと出てこい」
だが、彼の鋭い視線はボクの後ろへと向かれていた。
織斑一夏のその言葉に、ボクは慌てて振り返る。人通りのまったくない裏路地。その影は案外わかりやすかった。
「ちっ…やっぱりバレてたか。」
「っ。か、数馬さん…?」
直後、そう言って、その男は道の端っこにあったドラム缶の影から姿を現した。
それは、今日一日で顔を覚えてしまった男。
織斑一夏の友達の一人。御手洗数馬だった。
「…。おい数馬。お前、何やってんだ?そんなバレバレの隠れ方までして…」
「黙れ、この裏切り者!!」
「…。いや、すまん数馬。俺、お前に罵られる理由が思い当たらないんだが…」
「はっ!そうだ。お前はそういうやつだよ一夏!!いつもいつも…もう、うんざりなんだよ!!」
「っ…。お、落ち着けって弾。ブレスレット。ブレスレット」
「ブレスレットは深呼吸しましょうって意味じゃねーよ!?なんだお前!!あのニヒル気取った影の中で金髪ロリババァ吸血鬼を飼ってる変態が主人公の本の変態後輩か!?」
「…。だから落ち着けって。会話が異次元になってる。いったん頭を整理しろ」
「うるせーバーカバーカ!!このバカ野郎!!鈍感!!朴念仁!!てめーなんて地獄に落ちちまえ!!バーカバーカ!!」
まるで子供みたいにバカバカと叫ぶ御手洗数馬の姿。
それは、傍から見たら本当に情けなく見えてしまい、ボクの毒気は一気に抜かれてしまった。
「…一夏さん。あの、数馬さんはいったい何をあんなに叫んでいるのでしょうか?」
「…。さぁ、頭沸いてんじゃないか?ほら、今日暑かったし」
「まぁ…それは、お可哀想に…」
「ねぇ、シャルロットちゃん。そんなマジで憐れんだ目を俺に向けないで?俺、泣いちゃうよ?」
気がつかぬ間に、ボクは彼の事をそんな目で見てしまっていたらしい。
正直。めんどくさい。
「って、そうじゃねーよ!!いや、確かに!!俺の頭は今沸いてるぜ!!だけどな一夏くん。これは決して今日の暑さのせいじゃない!!一夏くん。君への怒りのせいだ!!」
「は、はぁ?」
そう言って、御手洗数馬は強く唇を噛んでいた。
あの、ボク本当に話が見えないんだけど…。
それでも、どうやら織斑一夏は彼が何を言いたいのか理解したらしく、あからさまにため息を吐いていた。
「…。はぁ、そういうことか、数馬。
安心しろ。別にやましいことなって何にもないから」
「そ、そんな言葉信じられるか!?人通りの少ない路地裏!!そこで男女二人っきり!!と、なるとやることなんて決まってるじゃないか!!」
「…。数馬。それはお前の勝手な妄想だ」
「っ…。し、信じられるか!!君はいつだって…いつだって…そうやって…」
「…。すまん。だが、信じてくれ。今回ばかりは冤罪だ。俺とオルヴォワールとの間には、本当にやましい事なんて一切ないんだ」
「…信じていいんだな?本当に、一夏君。信じていいんだな…?」
「…。あぁ、もちろんだ」
「一夏君。これからも仲良くしよう。俺達の友情は永遠だ」
「…。あぁ。もちろんだ」
…何かは知らないが、どうやらすべての話は終わったみたいだった。
結局ボクは、終始蚊帳の外だったのだけど。
「あ、あの…これっていったい…?」
「…。はぁ、めんどくさ」
ボソリと聞こえてきた織斑一夏の本音に、ボクは思わず顔を引きつらせてしまった。
「…。数馬。分かったならさっさと鈴の店に行け。
早くしないと、お前メシ食ってる時間なくなるぞ?」
「なにぃ!?それはヤバい!!世界がヤバい!!俺もヤバい!!
んじゃ一夏!!そういうわけで、俺は先に行ってるから用が済んだらお前も早く来いよ~」
「…。あぁ、必ず」
「それじゃあな!!あでぃおーす」
その言葉も以って御手洗数馬は来た時と同じように嵐のように去っていった。
「…。あぁ、そうだ数馬」
「んあ?」
が、その彼を織斑一夏は引き留めた。
少し不思議そうな顔で振り返る御手洗数馬。その目をしっかり見つめ、織斑一夏は伝える。
「もし、俺があと十分で戻らなかったら鈴と弾に伝えといてくれ」
その言葉を。
「…。少し汗をかいたから家に着替えに帰るって」
「は?そんなの鈴のところでタオル借りれば事足りんだろ?」
「…。いや、出かけるときバタバタしてて慌ててたから、服がな。ちょろっとその辺にあるやつを着てきただけだったから、気に入らないんだよ。だから着替えてくる」
「…ん。分かった。了解だ」
その日常的な会話に、何を思ったのか御手洗数馬は何か考えるような仕草をする。
が、やがて何もなかったように頷き。元来た道に帰っていった。
ボクは彼の姿が見えなくなるのを確かめ、再び織斑一夏に向き直った。
「…。さて、オルヴォワール。いい加減、そのムカつく口調やめてくれないか?虫唾が走るから」
そして、彼のその言葉に、ボクは少なからず衝撃を受けるのだった。
*
「着替えに…家に帰る…ね…」
一夏と別れた後、鈴の実家である中華店に向かう道すがら、数馬は先ほどの一夏の言葉を何度も繰り返しつぶやいた。
その言葉の意味は、何となく。いや、確信を以って理解できていた。
「ったく、どんな心境の変化なんだか…」
思わずため息を吐いてしまう。
そんな気、まったくさらさらもない友の事を考えながら。
「お前が匂いとか汗とか、ましてやファッションなんて気にするわけないだろ」
たった二カ月。されど、数馬は一夏の性格を正確に理解していた。
彼は絶対に、服なんて気にしない。まして、今日の服装は出かけるときに鈴と千冬が10分近くあーだこーだ言いながら決めた服装だ。
その服を、一夏がわざわざ着替えに帰るはずなかった。
「はぁ、これは…嵐になりそうだな…」
そして数馬は、雲一つない夏の空を眺め、そうポツリと呟くのだった。