月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第三十七話 「永遠」

 

「――――待っていたぞ、真祖の姫君」

 

 

自らの城である学校の屋上から見下ろすようにロアは告げる。そこにはかつてロアはいない。知らず聞く者を穏やかにさせるような声色でありながら冷徹な風貌を併せ持つ矛盾。金髪を束ね、眼鏡をかけているその姿は、教会の司祭を連想させる。

 

だがこれこそが彼の本当の姿。アカシャの蛇。無限転生者の異名を持つ、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。

 

 

「――――」

 

 

眼下にいる吸血姫、アルクェイド・ブリュンスタッドは一言も発することなく蛇を睨みつけている。そこには遠野志貴やシエルが知っている彼女はいない。瞳は金に染まり、指は爪へと変じている。言葉を紡ぐことはない。目の前の相手には、その価値すらないのだと告げるかのように。

 

 

「それでいい。私は今度こそ永遠を手に入れる。未だ器は半分しか満たされていない。寸分の狂いなく、君の全てを奪い尽くそう」

 

 

淡々と、それでも絶対の意志を見せながら蛇は宣言する。己が宿願の達成を。これが最後の舞台。十七の転生を繰り返しながら辿り着いた終着点。だがそこに二つの不純物が紛れこんでいる。

 

 

「――――ああ、だが不要なモノがいくつか紛れこんでいるようだ。まずはそれを排除することにしよう」

 

 

呟きながら蛇はようやくそれを視界に捉える。アルクェイド・ブリュンスタッドの傍にいる二つの人影。遠野志貴とシエル。共に蛇とは深い因縁で繋がっている者。だがそんなことはロアにとっては意味はない。道端に転がっている石以上の価値すらない。それを排除せんとした瞬間

 

 

「――――消えるのはお前よ、ロア」

 

 

恐ろしい程冷たい宣告と共に、全てが消え去った――――

 

 

それはただの爪の一振りだった。何の技術もない、純粋な力技。そも彼女に技術など必要ない。小手先の技など、何の意味もない。ただ純粋な強さ。ヒトではない星の触覚である真祖にのみ許される圧倒的な暴力。それによって蛇の城は一瞬で跡形もなく消え去っていく。凄まじい轟音と爆音。しかし全てを覆う粉塵。後には、もはや校舎の面影はない。ただの一撃で学校の校舎を粉微塵にする。それが力を奪われながらも健在な真祖・アルクェイド・ブリュンスタッドの力だった――――

 

 

「――――」

 

 

だが、その場にいる三人は微動だにしない。もはや勝敗は決した。誰の目にもそれは明らか。人であろうと死徒であろうとあの力を受けて無事な者など存在し得ない。だが

 

 

「――――今のは何だ、姫君」

 

 

ここに、その例外が存在する。

 

 

崩れ去っている城の跡に、主は変わらず存在していた。傷一つ負っていない。その光景にシエルと遠野志貴は戦慄する。確かに先の一撃は直撃したはず。にもかかわらずロアは無傷。吸血鬼が持つ復元呪詛で再生したならまだ分かる。しかし、それすら必要ないと言わんばかりのその圧倒的な存在感。間違いなく、先のはアルクェイド・ブリュンスタッドの今持てる全力。

 

 

「力を私が奪っているとはいえ、ここまで堕ちているとは……八百年の月日は君をここまで摩耗させたか」

 

 

僅かに潜め、失望を見せているロア。だがそこには確かな違和感があった。ロアは力が衰えていることだけでなく、もう一つの事象にこそ落胆を感じていた。そう、完成品足る彼女が言葉などという不純物を口にした、という事実。

 

だがそんな蛇が見せた一瞬の隙を、三人が見逃す道理などない。

 

 

「――――摩耗しているのがどちらか、貴方に教えてさしあげましょう、ロア」

 

 

目にもとまらぬ速さで蛇の間合いに踏み込みながらシエルは告げる。その眼は見開き、全身から魔力が荒れ狂っている。魔術回路が焼き切れんばかりの稼働を見せ、全身が青白く光るかのよう脈動している。もはや魔術を使用することに対する忌避など欠片も残っていない。目の前の存在を滅するためなら誇りも名誉も無用。泥を啜ってでも、成し遂げるべき目的のために。

 

瞬間、雷鳴が響き渡る。先の混沌との戦いの時も見せた数秘紋による雷霆。混沌の時と違うのは、その雷撃全てが蛇一人に向けられているということ。蛇から得た魔術によって蛇を滅する。毒を以て毒を制す。クレーターを生み出してしかるべき魔術を

 

 

「勘違いしているようだな……お前はただの抜け殻だ」

 

 

心底興味がないと、片手間の児戯のように手の一振りで蛇はシエルの渾身の魔術を無へと帰してしまう。

 

 

「なっ―――!?」

「お前が使っているのは私の知識の残滓に過ぎない。確かにその肉体のポテンシャルは素晴らしい。だがそれでも、本当の私の肉体に比べれば塵芥と同義だ」

 

 

同時に聞きとれないほどの高速詠唱と共に、雷鳴が響き渡る。先の光景の焼き回し。違うのはその規模が桁違いだったということだけ。

 

 

「あっ――――ぐぅ……!!」

 

 

瞬時に全力で同じく雷撃にて相殺せんとするも叶わない。その全てを圧倒され、全身を雷に貫かれる。声上げる間すらない激痛。一瞬で肉体が消炭にされかねない力。何度殺されているか分からない程の暴力を受けながらシエルはその場から弾き飛ばされる。

 

だが間髪いれずに白い吸血姫が蛇へと襲いかかる。音速もかくやという速度。その残された右手には空気が歪みかねない力が込められている。直接蛇を切り裂くための一撃。即座にロアは雷撃によって迎撃するもアルクェイド・ブリュンスタッドは力づくでその一撃を薙ぎ払う。しかし

 

 

「分からないか。今の君では、私には届かない」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドを取り囲むように、全方位から逃れようのない雷雨が降り注ぐ。その威力は全て一撃で死徒を消滅させる程のもの。その数も無数に等しい。あらゆる魔術に耐性があるはずの彼女の肉体をしても耐えきれない程の純粋な暴力。

 

それこそがロアの城の力。この一帯には既に無数の魔術が張り巡らされている。いわば要塞。魔術師における工房に位置するもの。ただ違うのは魔術師にとっての工房とは守るための物ではなく、侵入者を滅するためのものだということ。

 

 

「く――――っ!!」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドは何とか踏みとどまり自分を襲ってくる魔術を右手で振り払い続ける。だがその全てに対処できず徐々に消耗させられていく。その場を動くことができない。一歩でも動けばその瞬間、致命的な瞬間を晒すことになる。そして

 

 

「――――終わりだ」

 

 

その隙を見逃すことなくロアが目前に迫る。その蛇の毒牙が吸血姫に向けられる。先と同じ、掴まれば血を吸うように力を奪われてしまう。咄嗟に対処しようとするも今の彼女にそれに抗う術はない。だが

 

 

それを阻止せんとする者がここにいる。

 

 

「――――」

 

 

声を出すことなく、ただ弾けるように遠野志貴は切りかかる。遠野志貴は理解していた。自分ではこの戦場の乱戦で正面切って戦うことはできない、と。魔術師であり不死を持つシエル。最強の真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッド。カードでいえばエースやキングにあたる存在。そして自分はジョーカー。乱戦において、奇襲、暗殺こそが己が本分。

 

完全な隙を突いた刹那。にもかかわらず閃光と共に雷が襲いかかってくる。既視感。混沌の自動迎撃にも似た特性が蛇の城には備わっているのだろう。避けることはできない。なら、自分にできることはただ一つ。

 

瞬間、初めてロアがアルクェイド・ブリュンスタッド以外に目を向けた。その瞳が僅かに見開かれている。当然だ。

 

魔術を殺す。ただナイフを通しただけで魔術を消滅させるという出鱈目さ。全ての事象は生まれた同時に死を内包する。そこに例外はない。問題があるとすれば、生物以外の死を見ることは自身の自滅を意味するということ。

 

 

「ぐっ……!? あ、ああああ!!」

 

 

苦悶し、卒倒してしまいそうな頭痛が襲いかかる。同時に目が焼けるように痛む。視界が点滅する。だが全てを抑え込む。ここで、痛みに屈するわけにはいかない。

 

同時に蛇の死を見る。点と線。しっかりとそれを目に焼きつけながらナイフを振るう。完璧なタイミング。もう雷すら間に合わない奇襲。だがそれを

 

それ以上の神速を以って蛇は覆す。理解できない。何が起こったのか分からない。ただ一つ分かることは、自分の渾身の一撃が呆気なく躱されてしまったということだけ。

 

 

「――――っ!!」

「なるほど、直死の魔眼か。確かにそれなら混沌を殺し得る」

 

 

背後から蛇の声が聞こえる。ようやく理解する。難しいことではない。ただ単純に今の蛇の身体能力が桁外れだということ。全盛期のアルクェイド・ブリュンスタッドを彷彿とさせるほどの純粋な身体能力と希代の魔術師としての力。単純であるがゆえに覆すことができない実力差。それが初代ロアの力。同時に自らにとっての天敵。

 

そう、直死の魔眼は死を見る魔眼。触れれなければ、相手に死を与えることができない。七夜の身体を持ってしても、今の蛇には触れることすら叶わない。単純な生物としてのスペックの差。

 

 

「面白い物を見せてもらった礼だ。手ずから消してやろう」

 

 

慈悲だと言わんばかりにロアの爪が振るわれる。人間の体などあれに触れられればひとたまりもない。紙細工のようにバラバラになってしまう一撃。だがそれは

 

 

「シキ――――!!」

 

 

同じくヒトではない吸血姫によって防がれる。鮮血が宙に舞う。視界が暗い。あるのは温かさだけ。ようやく気づく。流れている血は自分の物ではなく、彼女の物。間抜けな自分を庇って、アルクェイド・ブリュンスタッドは背中を赤く染めている。純白の白が朱に変わっていく。

 

 

「ブリュンスタッド……お前っ!?」

「いいから離れて、シキ。今の貴方じゃ……ロアには届かない。それで、いいの……」

 

 

痛みに顔をゆがませながらも、自分を庇うように再びアルクェイド・ブリュンスタッドはロアと対峙する。同時にシエルさんもそれに並び立つように現れる。同じくその顔は苦悶に満ちている。不死によって身体の傷はないにも関わらず。それほどまでに、ロアと今の自分達の間には覆しようのない実力差がある。混沌とは違う、圧倒的な『個』としての強さ。

 

だが、自らの圧倒的優位を前にしてロアはただその場に立ちすくんでいた。微動だにしない。まるで信じられないものを見たかのようにその顔が驚愕に染まっている。狂気にも似た、感情の発露。

 

 

「どういうつもりだ……真祖の姫。まさか、君が人間を庇ったというのか……?」

 

 

視線だけで人を呪い殺せるような冷たさがその瞳にはあった。深い絶望と憤怒。自らが求めていた物の価値が崩れて行くことに落胆している、探究者。否、恋い焦がれた女が、自分以外の物に執着していることへの、嫉妬。

 

 

「あり得ない……いつもの君はどこに行った……? あの時の君は、こんな紛い物ではなかったはずだ――――!! 私が見た、永遠は――――!!」

 

 

顔を手で覆いながら男は絶叫する。怨差の声を上げる。暴発するように魔術が荒れ狂い、火花を散らす。それを前にしても、アルクェイド・ブリュンスタッドは何も答えることはない。初めから、お前に興味はなかったのだと告げるかのように。そう、これは単純な矛盾。吸血姫が処刑人であるが故に、蛇は彼女と出会うことができた。だが一度たりとも、吸血姫は蛇のことを見たことはなかったのだと。

 

 

「――――――いや、お前に用はない」

 

 

ぽつりと呟くように蛇は口にする。用はない、と。目の前にいるのは紛い物だと。そう、紛い物だ。吸血姫の形をした堕姫。自らの抜け殻の紛い物。自分を殺すために抑止によって生み出された紛い物。見ているだけでおぞましい。吐き気がする。

 

 

「――――見せてやろう。そして知るがいい。己が遠く及ばない、紛い物であることを」

 

 

蛇は宣言する。己が秘奥を解放する。その存在を吸血姫と代行者は知っている。それこそが、蛇の到達点。

 

 

『オーバーロード・ゲマトリア』

 

 

またの名を空洞航路・十七転生。ロアの心象世界を露わす固有結界『過負荷』の究極系。

 

 

瞬間、世界が反転した――――

 

 

 

「ここは…………」

 

 

遠野志貴はただその光景に目を奪われていた。辺り一面が草原に包まれた静かな風景。あるのは今にも堕ちてきそうな鮮やかな満月。それ以外には何もなく、何も要らない完成された世界。かつて一人の男が月姫に出会い、その心を奪われた原初のセカイ。それがこの世界の正体だった。

 

 

「――――見えるか、堕姫。これが真実だ。私が求めた永遠はここにある。お前は、存在するに値しない。ただ私の糧となりかつての自分に詫びるがいい」

 

 

決別にも似た言葉を蛇は告げながら力を行使する。風が吹き荒れ、辺りの風景が消え去っていく。何もない漆黒の世界。まるで今のロアの心象を具現化したような哀れなセカイ。その真価が今、解き放たれんとしている。

 

 

「はあああああ―――――!!」

 

 

それを切り裂くように咆哮と共に青い代行者は自らの全力を以ってロアへと迫る。その速度は先のロアに勝るとも劣らない。加えるなら、その手にしている鉄の塊を含めるならば、上回っている。

 

鉄槌を下すかのような破砕の鐘が鳴り響く。物理法則を無視した重量による圧殺。技術や知識を無視した力押し。それを証明するようにシエルの両腕には鮮血にも似た赤い回路が浮かび上がっている。焦りにも似た表情。何故ならシエルは知っていたから。この固有結界、オーバーロードがいかなるものか。発動されれば勝機はない。だからこそこの刹那に全てを賭ける。

 

 

「―――――セブンっ!!」

 

 

ロアによって片手で鉄塊を防がれるもシエルはその名を告げる。そう、この手にしてるのはただの鉄塊にあらず。概念武装。ただひとつの事象に対して奇跡を可能とするもの。蛇とって天敵となり得る概念。転生批判。転生を認めぬ、魂を打ち砕く力を持つ一角獣の形と魂を併せ持つパイルバンカー。その名は第七聖典。

 

 

「魂を、滅せよ――――――!!!」

 

 

その杭を打ち込みながら全ての力を解放させる。魔術師としての力の差など関係ない。ただ魂すらも粉砕する切り札。だがそれを以ってしても、

 

 

――――この『世界』の蛇には到底届かない。

 

 

「知っているはずだろう……抜け殻。我が魂は不滅。この場において、私を殺せる者など存在しない」

 

 

ロアはつまらなげに事実を口にする。確かに、第七聖典は発動した。だがロアには通じていない。そう、ただ単純にロアという概念に、第七聖典が届かなかった。単純な、これ以上ない力の差。同時にロアの力が増していく。世界からの供給が、全てロアの元へと集って行く。それこそがオーバーロードの力。過負荷ともいえる世界からの供給によってその力を倍加させる禁忌。これまでと違う所があるとすれば、今のロアにとって世界からの供給は過負荷にすらならないということ。

 

ロアがほんの少し力を込め、魔術を行使した瞬間、第七聖典は粉々に砕け散る。呆気なく、初めからそうであったように。その余波によってシエルは心と共に打ち砕かれる。まだ意識を保っていられるのは、第七聖典の守護。自らのマスターを守らんとする小さな精霊の願い。だがそれを受けてもなお、シエルには絶望が下される。

 

 

「アアアアアア―――――!!!」

 

 

まるでシエルを救うためのように、アルクェイド・ブリュンスタッドが駆ける。ただ渾身の一撃を。空想具現化などこの状況では発動させる間も存在しない。だがそんな誰も触れることができないはずの彼女の手を難なく蛇は掴みとる。

 

 

「――――っ!?」

「何を驚いている。知っているだろう、ここでは君は世界からの恩恵を受けられない。それに対抗するために八百年前、教会と手を組んでまで私を滅ぼしたのを忘れたのか」

 

 

吸血姫の手首を握りつぶさんとしながら蛇は告げる。そう、ここはロアの世界。故に星からの供給は絶たれる。大気に満ちているマナもまた同じ。この世界においてはただ己が力のみでロアと相対しなければならない。対してロアはマナも、世界からのバックアップも受けられる。過負荷によって倍加したロアを相手に単身で上回ることは事実上不可能。これが黒の月触姫すら退けたアカシャの蛇の全力。

 

 

「がっ……あっ……!!」

 

 

蛇は間髪入れず、もう片方の手でアルクェイド・ブリュンスタッドの首を締めあげる。その力によってアルクェイド・ブリュンスタッドは苦悶の声をあげるも抵抗する術がない。それだけではなく、その手から徐々に力が奪われていく。蛇に浸食され、汚されていく。刻一刻と、生命力が奪われていく。

 

 

「ブリュンスタッド―――――!!」

 

 

軋む体を無視しながら遠野志貴は叫ぶことしかできない。助けなければ。このままではブリュンスタッドは殺されてしまう。ロアが永遠へと至ってしまう。だがもう、為す術がない。何故なら

 

 

(何で……何で死が見えないんだ……!?)

 

直死の魔眼を以ってしても、ロアの死が全く見えなかったから。満月だからか。固有結界のせいか。ブリュンスタッドの力を吸い上げているからか。あれだけはっきり見えていたはずの蛇の死が見えない。死徒でありながら真祖の領域に至ろうとしているからか。

 

アルテミット・ワン。究極の一。天体種。死という概念すら持たぬ存在。そこに至ってしまえば誰も蛇を止めることはできない。

 

ただ眼に力を込める。眼が沸騰しそうな痛みに、頭が砕けそうな頭痛に声すら出ない。こんなにも、死が見えないことが悔しいなんて思ったことはない。こんなにも死を見ようとすることがあるなんて。

 

だがそれでも見えない。為す術がない。ただのナイフでは、ロアには意味がない。いや、まだだ。考えろ。何か方法があるはず。考えろ。思考を止めるな。あきらめたら、全てが終わる。自ら持ち得る知識を総動員して、この状況を―――――!!

 

気づけば、身体が勝手に動いていた。眼を見開きながらただ死を見つめる。そのままナイフを、

 

 

世界に向かって振り下ろした―――――

 

 

刹那、世界が崩壊した。ガラスが砕けるように、蛇の世界が崩壊していく。ただ地面にあった、世界の点を突いたことで消え去っていく。そう、全ては奴が言っていたこと。世界の供給を、真祖は受けている。かつて、全く同じ戦法を本物の遠野志貴も取っていた。世界の供給によって死が見えないのなら、世界を殺せばいい。

 

だがその代償は、あまりにも大きかった。

 

 

「―――――あ」

 

 

何かが切れた。ブレーカーが落ちるように、左目の視界が死んだ。暗闇。ご丁寧なことに、点と線は見えたまま。嘆くところだが今は構わない。何かが眼から流れている。涙ではない、赤いモノ。血の涙。自らの限界を超えた代価。どうでもいい。ただ今は――――

 

 

「ああああああ―――――っ!!!」

 

 

蛇を殺して、ブリュンスタッドを助けることだけを。

 

 

ナイフを振るう。限界以上の肉体の行使。全力を超えた先へ。この一瞬のみ、自分は遠野志貴を超えた。固有結界を殺された蛇は僅かな揺らぎを見せる。そこに全てを賭ける。ナイフが線を断ち、蛇はブリュンスタッドの首を掴んでいた右手首から先を喪失する。点ではなく、線しか切れなかった。そこが限界。それでもブリュンスタッドは解放された。だからそれでいい。

 

 

自分の右腕が失くなっていることより、そのことの方が嬉しかった――――

 

 

 

 

 

「―――――!!」

「っ!? ―――!!」

 

 

誰かの声が聞こえる。ぼやけて焦点が合わない右目で何とか見る。ブリュンスタッドとシエルさんが自分に向かって何かを叫んでいる。どうやら自分は地面に倒れているらしい。なら、立たないと。立たないと、どこにもいけない。約束を、守れない。

 

 

みっともなく、何度も床を這う。ようやく気づく。両腕がなくなっている。立てないわけだ。どうやらさっきの攻防で、自分は右腕を失ったらしい。蛇は手首から先だけなのに、これでは割に合わない。

 

 

何とか、上体だけ起こす。不思議と、恐怖はなかった。全ての感覚が無くなって行く。夢を見ているようだ。蛇がこちらに向いている。何かを呟いている。同時に光。恐らくは雷なのだろう。それすらもよく見えない。ただ残っているのは、温かさだけ。

 

 

彼女との繋がり。それがまだ、この身体には残っていのだという確信。

 

 

それを胸に光が全てを照らしていく。逃れようのない、死の神罰。それを前にして

 

 

 

 

 

―――――ここに、『遠野志貴』が完成した。

 

 

 


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