月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第二十八話 「日常」

「……」

「……」

 

 

無言のまま、それでも警戒を怠ることなく法衣を纏った女性、シエルは視線をベッドへと向ける。そこに横になっているのは真祖アルクェイド・ブリュンスタッド。上半身だけ起こしたまま、その赤い瞳でシエルを見つめ返している。そこに敵意はない。ただ風景を見るように一言も言葉を発することなく、シエルとアルクェイドは互いを意識し合いながらも無視しているという奇妙な空間が今の状況だった。

 

 

(そういえば……彼女と二人きりになるのはこれが初めてでしたね……)

 

 

若干この状況に疲れを感じ始めながらもシエルはふと気づく。アルクェイドと二人きりという状況が初めてであることに。今までは遠野志貴がおり、最近は琥珀も行動を共にすることになったため二人が主にアルクェイドと接触をしていた。そのため自分はほとんどアルクェイドと会話をしたことはなく、またする必要もないと判断していた。当たり前だ。彼女は真祖。曰く処刑人と呼ばれるほどの吸血姫。そして自分は吸血鬼を狩る代行者。そも馴れ合うことなどあり得ない。遠野志貴や琥珀が危機感を抱いていない以上、自分はその役割を果たさなければならないのだから。

 

 

「…………」

 

 

そのまま何とはなしにアルクェイドを改めて見つめる。金髪に赤い瞳。およそ完璧と言ってもいい造形の顔立ちと容姿。まるで人形のように、意志を感じさせぬまま彼女はそこにいる。そこにかつて蛇が見た永遠を垣間見る。それ以外知らず、それ以外何もない白い吸血姫。シエルにとっては忌むべき記憶であったとしても、それが美しいと感じるのは間違いない。

 

だが同時に先程まで遠野志貴や琥珀と接する時に見せていた子供のような姿とは一致しない。何を以って彼女が遠野志貴や琥珀と言葉をかわしているのか。そもそも何故言葉を紡ぐようになったのか。疑問は尽きないが無駄なことだと切り捨てる。そう、今の自分がすべきことは決まっている。ならそれを遂行するだけ。

 

 

(そろそろ二時間……遠野君は琥珀さんと合流できた頃でしょうか)

 

 

部屋にある時計に目をやりながらいらぬお節介を焼く自分に溜息を吐く。遠野志貴は出て行く理由を口にはしなかったがバレバレだった。徹底的に琥珀を無視していたのも逆を言えば彼女のことを意識しているからに他ならない。身も蓋もない言い方をすれば好きな子に素直になれない子供のようなもの。もっとも彼の境遇を考えれば決して笑い話にはできないのだが。

 

 

(遠野君の言葉が本当なら、彼は保って一週間……いえ、もう一週間も残っていない)

 

 

遠野志貴のタイムリミットであり死刑宣告。蛇を殺すことができたとしても変わらない現実。だからこそ彼は琥珀と接触することを禁じていた。恐らくは接触することで彼女を傷つけるだけになることを知っていたから。だがそれはもう過ぎ去った。琥珀は既に彼と再会しこの場に留まることを決意している。自分もまたそれを良しとした。なら、自分は遠野志貴が螺旋を超えた上で生き残るための光明を見つけ出さなくては。そのために

 

 

「――――アルクェイド・ブリュンスタッド、貴方に聞きたいことがあります。構いませんか?」

 

 

目の前の白い吸血姫の知識を得ることがどうしても必要だった。

 

 

「……わたしに、聞きたいこと?」

「はい。遠野君のことです。貴方は彼の事情は知っていますか?」

「知っている。昨日、ずっと喋っていたから。でもそれがどうかしたの」

「貴方に聞くのはおかしいかもしれませんが、遠野君があと一週間ほどしか生きていられない、というのは本当だと思いますか」

「本当よ。正確に言えばあと六日ほど。このまま何もしなければ、という条件付きだけど」

 

 

アルクェイドは淡々と真実だけを告げる。自分の質問に答えてくれたこともだが、それ以上にその正確さに驚くしかない。経験か、それともその眼で見たからなのか。恐らくは遠野志貴本人以上に、アルクェイドはその状態を見抜いているに違いない。自らの左腕を切り落とし、自らを殺せる可能性を持つ相手だからこその警戒か、それとも。

 

 

「……そうですか。原因はやはり、直死の魔眼ですか?」

「最も大きい要因はそれ。シキの持つ眼の力は人が扱える限界を超えている。本当なら脳の負荷の頭痛だけで身動きすら取れないはず。自己暗示の類で誤魔化しているんでしょうね」

「……自己暗示、ですか」

 

 

納得するしかない。元々そうではないかと予想していたことでもある。遠野志貴が行っている自己暗示。恐らくは自分を人形だと思い込むもの。それが痛みを感じないようにするための自己防衛だったのだと。もしそれが無くなってしまえば痛みによって彼は壊れてしまう。人間になりたいと願っていながらも、人形にならなければ生きていけなかったという皮肉。

 

 

「なら、直死の魔眼をなくせば遠野君は死ぬことはないのでは」

「無理ね。シキの脳は根源の渦につながっている。開かれている状態。こちらから閉じることはできないし、例え両目を潰したところで死は見えてしまう。シキも一度試したことがあると言ってた」

「そうですか……」

 

 

八方ふさがりの状況に目を伏せるしかない。両目を潰す、という方法ですら意味がない。既にそれを試している遠野志貴もだが、それを淡々と告げるアルクェイドにもおよそ人間味というものがない。だがそんな中ふと気づく。それは先のアルクェイドの言葉の違和感。

 

 

「……最も大きな要因、と言いましたね。なら他にも遠野君が生きられない要因があるということですか?」

 

 

直死の魔眼以外にも、遠野志貴が生きられない要因があるかのような言葉。

 

 

「ええ。もしかしたら、直死の魔眼もこれに含まれるのかもしれない。シキは本来あり得ない存在。抑止力が『蛇を殺す』ためだけに生み出したもの。守護者、カウンターガーディアンと呼ばれるものに近い。」

「守護者……!? ですがそれはわたし達には認識できない存在のはずでは……」

「本来ならそう。今は遠野志貴という形を得ているだけ。何故そんなことをしているのかまでは分からない。でも抑止力は必ず脅威となるものよりも上回る。なのに今までの繰り返しでシキは一度も蛇を殺せていない」

「それは……」

「もしかしたら、通常の守護者では蛇を殺すことができなかったからこそシキが生まれたのかもしれない。抑止力は無駄なことは決してしない。ならきっと、シキが繰り返していること自体に何か意味がある」

「繰り返すことで、蛇を殺す力を遠野君に持たせようとしている……と?」

「おそらく。なら、役目を終えれば、シキも消えるだけ」

「…………」

 

 

話が思いもしなかった規模に飛躍したことで言葉を失くすも、重要なのはただ一点。このままでは遠野志貴には生き残る可能性が皆無だということ。蛇を殺せば己も消える運命。使い捨ての掃除屋に等しい。だがそんなことは認められない。まだ何か方法があるはず。抑止力が、根源とのつながりが断たれたとしてもこちら側に繋ぎとめることができればもしかしたら――――

 

そんな思考の海に深く沈んで行こうとした最中

 

 

「――――シエルはシキのことがすきなの?」

「…………は?」

 

 

そんな先程までと同一人物とは思えない彼女の声によってわたしは言葉を失ってしまった。

 

 

「……聞き違いでしょうか。もう一度言ってもらえますか?」

「あなたはシキのことがすきなのか、と聞いたの」

「――――何でそんな話になるんですかっ!?」

 

 

先程までのシリアスはどこに行ってしまったのか。思わず赤面しながらアルクェイドに詰め寄ってしまう。だがアルクェイドは驚くこともなく、ただきょとんとしているだけ。まるでわたしが何故焦っているのか分からない、といった風。

 

 

「あなたがシキのことを心配しているから。すきだから心配しているんじゃないの?」

「ち、違います! 確かに心配はしていますがどうしてそれが好きということになるんですか!?」

「……よく分からない。でもコハクが言っていた。それを聞けばシエルと喋ることができるって」

「……琥珀さんが、そう言っていたんですか?」

「……? そうだけど、それがどうかしたの」

「……いえ、全てが理解できただけです」

 

 

未だ状況が理解できていないアルクェイドを放置したまま額に手を当てることしかできない。どうやらこの状況は琥珀の入れ知恵によるものらしい。思い当たる節もある。琥珀は自分がアルクェイドと険悪であることを憂慮していた。それを何とかするために自分とアルクェイドが会話するきっかけを作ろうとしたのだろう。問題はその方法がむちゃくちゃであることだけ。知らず脳裏に楽しそうに笑っている琥珀の姿が浮かぶ。ようやく、遠野志貴が彼女を苦手にしていると言った理由が分かった気がした。

 

 

「琥珀さんに何を吹き込まれたのかは知りませんが、気にしないように。わたしと遠野君は協力者です。それ以上でも以下でもない。協力者の心配をするのは当然でしょう」

「……でも、シキはあなたのことがすきだと言っていた」

「っ!? と、遠野君がですか……?」

「そう。あなたのことがすきかきらいかって聞いたらすきだって。なら、シエルもシキのことがすきなんじゃないの?」

「……どういう論理でそうなるんですか。確かにわたしも遠野君には好意を持っていますがそれはあくまで協力者としてです。異性に対する物ではありません。そんなことも分からないのですか」

 

 

呆れ果てながら溜息を吐くしかない。まずは遠野志貴について。質問の意図は抜きにしても躊躇ないなく自分のことが好きだと断言できるその割り切りに呆れるしかない。鈍感だとかそういう次元ではない。それを口にすることが恥ずかしいとすら思っていない。一かゼロか。彼にとってはそれだけだったのだろう。もちろん嬉しくないと言えば嘘になるが、彼には意中の相手がいる以上そういう発言は慎むべき。

 

 

「それに遠野君が本当に好きなのは琥珀さんです。見ていれば分かると思いますが」

「そうなの? でもシキはコハクのことがきらいだと言っていた」

「はぁ……まあそこが遠野君らしいと言えば遠野君らしいですが。それは好意の裏返しです。ちなみに琥珀さんには聞きましたか?」

「聞いた。コハクもシキのことがきらいだって」

「……そうですか。似た者同士、ということかもしれませんね」

 

 

恐らくは二人とも、本音でそう言っているのだろう。同族嫌悪か、嫉妬か。始まりはそのどちらかだったのかもしれない。だがそれはどこかで反転したのだろう。愛と憎しみ。憧れと妬み。表裏一体、対極でありながらも同質の感情。

 

 

そう、かつて人間であった蛇が目の前の吸血姫に抱いたように。人間という矛盾の在り方。

 

 

「……シエルは、わたしのことをどう思っているの?」

 

 

思いついたように、もしかしたら最初からそれが聞きたかったのか。アルクェイドは普通なら躊躇うような質問を何の疑問もなく投げかけてくる。まるで何も知らない子供を相手にしているかのような感覚。先程までの人形のような姿からはかけ離れた彼女の姿。

 

 

「……嫌いに決まっているでしょう。遠野君や琥珀さんの言っている嫌い、ではありません。わたしはあなたを敵として嫌悪しています」

 

 

はっきりと口にする。まるで抱きかけた迷いを断ち切るように。吸血鬼と代行者。血を吸う者と吸われる者。人ではない霊長は認めない。それが今のわたしの在り方であり、贖罪。

 

 

「…………そう」

 

 

ぽつりと呟いた後、アルクェイドはそのまま黙りこんでしまう。先程までの姿はなりを潜め、最初からそうであったように。だがほんの少しだけ。その表情に、雰囲気に陰りがあるように見える。

 

 

「…………」

 

 

そのまま静寂と共に時間が流れる。部屋に響くのは時計の針の音だけ。それがいつまで続いたのか。

 

 

「…………一つだけ。わたしが嫌悪しているのは吸血鬼です。あなた個人が嫌い、というわけではありません。勘違いしないように」

 

 

ついに我慢しきれなかったのか、シエルはついそう口にしてしまう。お人好しにも程がある。敵である相手を気遣うような真似をするなど。しかしそれでも先程まで見せていた好き嫌いの区別も知らない純粋な彼女を前にしてはどうしようもなかった。アルクェイドもそんなシエルの言葉に驚いたのか、目を丸くしている。そんな中

 

 

「遅くなってすいません、ただいま戻りました」

 

 

心なしかいつもより明るい声とともに琥珀が部屋へと戻ってくる。その手には大きなバック。そして後ろからは出て行ったはずの遠野志貴の姿もある。

 

 

「どうしたんですか、遠野君。何故琥珀さんと一緒に?」

「それはたまたま帰り道が一緒になったんです。そうですよね、志貴さん?」

「……琥珀」

「はい。じゃあ立ち話もなんですし、お茶でもお入れしますね。シエルさんも飲まれますか?」

「え……いえ、わたしもこれから一度自分の部屋に戻ろうと思っていますからお気になさらずに。遠野君、その間ここを任せて構いませんか?」

「ああ。けど出来れば早めに帰ってきてくれると助かる。少し体の調子がよくないから休みたいんだ」

「分かりました。ではお願いします」

 

 

シエルはそのまま部屋を後にする最中、琥珀と目配せをする。もはや言葉は必要ない。シエルも気づいていた。遠野志貴が琥珀に対して言葉を発するようになったことを。少しずつではあるが、琥珀達は進んでいるはず。なら、自分はそれを守りながら己が目的を果たすために。

 

シエルは決意を新たにしながら自らの部屋へと跳ぶ。蛇を滅するための切り札足る聖典を持ち出すために――――

 

 

 

 

 

「――――ふぅ」

 

 

溜息を吐きながら自分の定位置になりつつある床に座り、壁に背をする。琥珀の姿はない。今、台所で調理をしているところ。何でも自分のために軽い食事を作ってくれるらしい。本当なら断ってもよかったのだが、空腹なのは事実。何よりも楽しそうにしている琥珀に水を差すのは気が引けた。

 

何だろう。少し、心が楽になったような気がする。肩の荷が下りたような、そんな感覚。本当なら、一緒にいるべきではない。それは分かっている。今までずっと、そうしてきた。そうするしかなかった。なのに、今は違う。

 

 

「コハクと喋るようになったの、シキ?」

 

 

そんな声がやや斜め上からかけられる。言うまでもなく、ベッドの上にいる白い吸血姫からのもの。もはや慣れつつある光景であり、自分にとっては慣れつつあることがおかしい現実。

 

 

「……ああ。無視するのも疲れたしな。それと悪いが今は疲れてる。お喋りなら琥珀としてくれ」

 

 

アルクェイドとの会話。いや、会話ですらない。一方的な質問攻め。しかも三時間以上喋りっぱなしという一種の拷問にも似た経験。それが始まりかねない気配を感じ、有無を言わさず会話を切り捨てる。余裕があれば付き合ってもいいが今はその余裕もない。本来なら休息を取るはずの日中。加えて琥珀を尾行するために出歩きもした。本当なら今すぐにでも眠りという名の機能停止をしたいところ。だがシエルとの約束に手前寝るわけにもいかない。アルクェイドの監視という意味もあるがそれ以上に外からの敵襲の方がリスクが高い。とどのつまり、自分はシエルが戻ってくるまでアルクェイドと向かい合わなくてはならないということ。

 

 

「…………」

 

 

こちらに構う気がないと悟ったのか、アルクェイドは黙りこんでしまう。若干の罪悪感はあるものの仕方がない。そもそも会話すること自体意味が分からない。アルクェイド自身、何故そんなことをしているのか分かっていない節がある。自分達に心を許しているのかと思ったがそれも違う。変わらず処刑人としての在り方はある。相反する二面性。そのどちらが本当の彼女なのか、それともそのどちらも彼女なのか。

 

 

「―――ぐっ!」

 

 

不意に頭痛によってうめき声を漏らしてしまう。頭が割れるような痛み。脳の負荷によるオーバーヒート。一瞬にもかかわらず、眩暈を起こしかねない激痛。忘れかけていた感覚に眠気が吹き飛びかけるも何かがおかしいことに気づく。そう、おかしい。痛みを感じるなんて、あり得ない。あの時から自分は人形に戻ったはず。なのに、どうして――――

 

致命的な何かに気づきかけた瞬間、それは目の前にいた。

 

 

「…………ブリュンスタッド?」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッド。彼女が目の前にいた。いつのまにベッドからここまでやってきたのか。前かがみになり、自分を見下ろしている。様子をうかがっているかのようだ。その表情も、姿も自分には見えない。今の自分の視界は暗闇であり、死の線だけが形を為す。その中で死の線がほとんどない黒い女性の影。それが今の自分に見えるアルクェイド・ブリュンスタッドの姿。

 

だが彼女は何も答えない。そのままじっと自分を見ている。敵意があるわけではないのだろう。ただその視線が、自分の右手の注がれているのだけは何となく分かった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

ずいっと、不意にアルクェイドがこちらに近寄ってくる。そのままでは身体がぶつかってしまうような勢い。思わずそのまま床を這いながら後ずさる。だが少しの間の後に再びアルクェイドは迫ってくる。ならばと再び距離を取る。追う、逃げる。追う、逃げる。そんな終わることのないいたちごっこ。

 

 

「――――どうして逃げるの?」

「――――何で追ってくる?」

 

 

互いが互いに疑問をぶつける。気持ち悪いぐらいにタイミングが一致した。違うとすれば彼女には何か目的があるようで、自分にはそれが皆目見当がつかないということだけ。

 

 

「手」

「……手? 俺の手のことか?」

「手を握ってもいい、シキ?」

「……一応、理由を聞いてもいいか?」

「特にない。ただ何となくシキに触ってみたくなった」

 

 

意味が分からなかった。その行動理由も目的も。論理ではなく、ただの衝動なのかもしれない。今思いついたから、そんな刹那的な行為。

 

 

「前に一度、シキに触られたことがある。あの感覚がどんな物だったのか、もう一度確かめたい」

「……? 悪いが俺はお前に触ったことはないぞ。ナイフで切り裂いたことはあるが」

「あなたがわたしをここに運ぶ時。意識はほとんどなかったけど、感覚は覚えている」

「そういえばそうだったか……で、それが何でお前と手を繋ぐことにつながるんだ?」

「今度は起きている間にしてみたかった。コハクがそうしてみたらいいと言っていた」

「そうか……もういい、全部分かった」

 

 

それだけで充分だった。それ以外にはあり得なかった。ようするにこの状況はあの割烹着の悪魔によるものだということ。アルクェイドの疑問に答えてあげようとしたのか、それとも琥珀を無視し続けている自分に違う形でアプローチしようと考えていたのか。恐らくは面白そうだったから、というのが一番だったのは疑いようはない。

 

 

「ほら、何がしたいのかは分からないがこれでいいんだろ?」

 

 

そのまま何でもないように自らの右手でアルクェイドの右手を握る。互いに右手しかないのだから、当たり前だが。本当なら自分は人と触れあうことはできない。死の線と点が見える以上、触れれば相手は崩れてしまう。だが彼女は例外だ。僅かではあるが死の線は見えるもののかなり回復したのか今はもうほとんど見えない。なら、触れることができる。同時にこの関係ももうすぐ終わり元に戻るだろう道標。

 

 

「――――」

 

 

だがこちらの声に答えることなく、アルクェイドは呆然としている。心ここにあらず、といった所。そんなに手を繋ぐことが珍しかったのか。確かに彼女の境遇からすれば、そんなことはしたことがなかったのかもしれないが。そんな中、ふと思い出す。

 

 

(そういえば……俺も、誰かに触るのは久しぶりだな……)

 

 

誰かと触れあうのはいつ以来だろうか。直死の魔眼が抑えられなくなってから自分は誰とも触れあっていない。時間にすればどれぐらいか、考えることもできない。

 

温かい。

 

自分ではない誰かの体温が、温もりが伝わってくる。知らずその感覚に郷愁と共に、安堵を覚える。自分が間違いなく、生きているのだという証拠。痛みではない、もう一つの証。そういえば、最後に触れあったのも誰かと手を繋いだことだった気がする。あれはいつだったか―――

 

 

だがふと気づく。アルクェイドは固まったまま。だが何かに気づいたのかそのまま無言でこちらの手を握っては離すのを繰り返す。力を込め、握るのを繰り返す。まるでその感触を、何かを確かめるように。

 

 

「……ブリュンスタッド?」

 

 

声をかけるもアルクェイドは答えない。ただ繋いだ右手に意識を集中しているのか反応すらない。不意にこのまま右手を握りつぶす気なのかと思うも切り捨てる。そんなことをするぐらいなら彼女は爪で切り裂いた方が早い。未だに彼女の意図が掴めない。しかし握っているだけでは飽きたのか、そのまま握手したまま手を上下し始める。ぶんぶんと子供が何かに興奮したかのようにこちらの腕を振り回す奇行に流石に制止の声を上げるもアルクェイドは止まらない。

 

 

結局アルクェイドが止まったのは肩が外れるかと本気で心配する程になってから。息が上がっているのはこちらだけ。こんなことなら大人しくお喋りに付き合っていた方がマシだったのではと思える有様。そんなこちらの事情を知ってか知らずか

 

 

「……うん。やっぱりわたし、シキに触られると嬉しいみたい」

「そうか……そいつはよかった。そろそろ手を離してくれるか。肩が抜けそうだ」

「シキ、なんでか分かる?」

「俺が知るか」

 

 

変わらずマイペース、こちらの言葉を聞こうとしないアルクェイドにどこか既視感を覚える。そう、わずかではあるが今のアルクェイドの姿にどこかの誰かが重なる。それに気づく間もなく

 

 

「……志貴さん、アルクェイドさんと一体何をされてるんですか?」

 

 

その当の本人が、言葉にしがたい雰囲気と共に部屋へとやってきた。

 

 

それは一瞬。他の誰かが見れば修羅場、一触即発だと思えるような空気とシチュエーション。ただ違うのは

 

 

「見れば分かるだろう、ブリュンスタッドと手を繋いでるだけだ」

 

 

当の本人、正確には遠野志貴には全く気にする素振りがなかったこと。

 

 

「……え?」

「何を驚いてるんだ。ブリュンスタッドと手を繋いでるだけだ。見て分からないのか?」

「そ、それは分かりますが……し、志貴さん、もっと他に何かリアクションはないんですか? その慌てふためいたり、言い訳したり……」

「何で俺がそんなことしなくちゃいけないんだ。したけりゃ自分で勝手にしてくれ」

「そ、それじゃ面白くないじゃないですか! せっかくこんな面白い場面なのに、どうして志貴さんは平然とされてるんです!?」

 

 

遠野志貴の反応があまりにも冷たかったからなのか、それとも自らの企みが外れたからか。割烹着の悪魔、もとい琥珀は自分が慌てながら対応する羽目になっている。本当ならあたふたするであろう遠野志貴の姿を楽しむ予定だったのに完全に逆。ミイラ取りがミイラになってしまっている。

 

 

「大体ブリュンスタッドにいらないことを吹き込んでるのはお前だろう」

「な、何をおっしゃってるんですか。それじゃまるでわたしがアルクェイドさんに悪影響を与えてるみたいじゃないですか」

「その通りだろ。これ以上誰かさんみたいなのが増えるのは御免だ」

「ひ、酷いです……やっぱり志貴さん、わたしだけに厳しくありませんか? わたしが嫉妬したりするとは思わないんですか?」

「何で俺がそんな心配しなきゃならないんだ。大体お前は嫉妬したりはしないだろ」

 

 

遠野志貴はよよよと泣き真似をしているであろう琥珀に言い放つ。だがそれは琥珀がどういう少女であるかを誰よりも知っているからこそ。彼女には独占欲はない。想う相手が幸せであればそれでいい、と考えている。妹である翡翠もまた同じ。

 

 

「そ、そんなことはありません。じゃあ志貴さん、わたしとも手を繋いでください。アルクェイドさんばっかりずるいです!」

「断る。俺はお前と触れあう気はない。それに今はブリュンスタッドと手を繋いでいるから無理だ。片腕しかないからな」

「し、志貴さん……流石にその冗談はどうかと思いますよ?」

 

 

片腕しかないことを自虐にしている遠野志貴に思わず突っ込みながらも琥珀は静かにあきらめる。今の自分では彼の手を握ることはできないのだと。

 

遠野志貴もそれは同じ。今の自分では、琥珀の手を握ることはできない。恐らくはこの先ずっと。螺旋が終わるその時まで。

 

 

「いいですいいです……じゃあわたしはアルクェイドさんと触れあいますから。どうでしたか、アルクェイドさん? 何か感じることはありましたか?」

「よく分からないけど……わたし、嬉しいみたい。何でかは分からないけど……」

「それは良かったです。なら今度は志貴さんをくすぐってあげて下さい。わたしができない分、思う存分どうぞ!」

「コハク、重い」

 

 

遠野志貴が相手にしてくれないと悟ったのか、琥珀はそのままアルクェイドにちょっかいを出し、絡んでいく。見えないが、アルクェイドが未だ手を握っているため身体が揺すられ、遠野志貴は解放されることはない。

 

 

そのままふと、窓に目をやる。そこには晴天の空と輝く太陽。だがじきにそれも終わり、夜の空と眩い月が現れる。

 

 

あと何度、それを見ることができるのか。

 

 

ただ今は、この幻のような日常を――――

 

 

 

 

 

 

「――――さて、食事の時間だ」

 

 

混沌はただ告げる。目の前にあるは巨大な建物。人間が集まるビルという名の牢獄。自らにとっては餌場でしかないもの。

 

混沌は食らう。人間であったものを。その内に命を取り込む。失われた半身を補うために。吸血姫を、何よりも自らの死となり得る人間を排除するために。

 

 

 

「――――待っていろ、姫君。私はようやく君へと届く」

 

 

何も見えない暗闇の中で、蛇はセセラ嗤う。体を作り変える痛みすらも愛おしい。ただあるのは高揚感だけ。自分が自分でなくなりながらも求めた永遠が、すぐそこにある。

 

 

幕間はここまで。吸血鬼による三つ巴の争い、そして人間と人形の相克劇の終わりがようやく訪れようとしていた――――

 

 

 

 


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