月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第二十二話 「混迷」

――――包帯を外し、目を開く。

 

 

直死の魔眼、異常なし。記憶の引き継ぎ時より強くなっているものの想定範囲。

 

殺人衝動、あり。想定以上。死者ではなく、吸血鬼。真祖もいることが原因。身体能力は上がるがノイズと負担が大きくなる。抑制。

 

頭痛、あり。痛みはなし。身体への影響、最小限。戦闘に支障なし。眩暈、貧血も同様。ただし、長時間の身体の酷使は避けるべき。最短、最小限の動作で目的を達する必要あり。

 

 

状況――――三人の吸血鬼の混戦状態。

 

 

一、 混沌。人型では確認できず。代わりに泥のような物体あり。未来知識との照合により創生の土である可能性大。

 

二、 真祖。目視では確認できず。透視により創生の土に飲みこまれているのを確認。未だ健在。

 

三、 蛇。確認できず。ただし、蛇によるものと思われる縛りが真祖を縛っている。その元にいるはずだが確認できず。戦域からは離れている模様。

 

 

目標、蛇の抹殺――――否。

 

 

現在の状況において、蛇の消去は限りなく困難。探索の内に状況が決してしまう恐れが高い。故に求められる最善の選択にて現在の状況を脱する。

 

 

最も望ましいのは奇襲――――否。

 

 

戦闘場所は開けた公園。身を隠す場所はなし。遮蔽物も同様。奇襲は不可能。歩法『蜘蛛』も同様。残存時間も皆無。故に正面突破のみ。

 

 

――――戦闘、開始。

 

 

 

合図も何もなく、『遠野志貴』の作業が始まった。

 

 

歩法のリズムが変わりギアが上がる。既に彼は駆けている。手にはナイフのみ。ただ一直線に一点、ネロが作り出している創生の土へと向かう。あまりに自然であるがゆえに不自然。理解できない状況を前にして三人の吸血鬼はそれぞれの反応を見せる。

 

アルクェイド・ブリュンスタッドはかろうじてその存在を認識するも何もできない。身動きすら取れる状態ではない。

 

蛇はただ向かってくる遠野志貴に言葉を失っている。だがそれは他の二人とは違う。蛇だけが、その人形の正体に気づきかけているからこそ。そして最後の一人。

 

 

「――――何者かは知らぬが、今は戯れる気もない。早々に我が養分となるがいい」

 

 

混沌は静かに告げながら、己が体内から獣を生み出す。その数は三つ。肉食獣であり、先の真祖との戦いで生み出したものと同じ。違うのは数のみ。片手間に相手をするには十分すぎるもの。事実、ネロは新たな乱入者を全く意に介してはいなかった。

 

魔術師、埋葬者の気配も何もなし。間違いなくただの人間。そんなものに意識を割く時間などありはしない。今、己の体内には真祖アルクェイド・ブリュンスタッドがおり、同時に蛇もまた介入している。この状況に置いて目の前の人間など蠅同然。その通り、獣の牙によって裂かれ、捕食されるはずの人間は

 

 

――――さも当然のように、襲いかかってきた獣を解体した。

 

 

「――――」

 

 

それは誰の驚きだったのか。だがそれを知る間もなく、乱入者は既に二匹目の獣を解体していた。一閃。ナイフを振り落としただけで、ネロを超える巨躯の獣は物言わぬ肉片へと姿を変える。それだけであったならまだいい。驚くべきは殺された獣が完全に消滅してしまっていること。本来なら殺されても再びネロの混沌の一部に戻るはずの分身が、悉く滅せられてしまっている事実。

 

 

「――――貴様、何を」

 

 

した、と言い終わる前に遠野志貴は三匹目の獣に襲いかかられる。今度は牙ではなく爪。ネロの動揺を感じ取ったように、油断のない一撃。触れれば呆気なく引き裂かれるはずの一撃を前にしながらも遠野志貴は全く表情を変えることなく、呼吸を乱すことなく身体を捻るだけ。紙一重で回避する。正気の沙汰ではない。後数センチでも読み違えればバラバラにされかねない状況を前にして何も感じていないかのように遠野志貴は平然としている。まるで予知。否、そこには確かな経験の二文字がある。

 

そのまま遠野志貴はすれ違いざま、獣に指を突き入れる。ナイフを持っていない左手の指。ただそれだけで獣は蒸発してしまったように消え去っていく。命から無へと。悪い夢のような事態。

 

だが真に恐ろしいのは目の前の人間。これだけの異常を見せながら、人間には何もない。喜怒哀楽も、殺気も、闘気も。幽鬼であっても、こんなことはない。本当にそこにいるのか分からない程に、ソレには現実感がない。

 

 

人形。機械。ただ決められた性能を以って、決められた役目を果たすための存在。奇しくも先程までネロがアルクェイド・ブリュンスタッドに対して下した評価と同じ。ただ違うのは

 

 

――――人形は文字通り、混沌にとっての『死』そのものだったということ。

 

 

全く無駄のない動き、最短で遠野志貴はネロの元へと辿り着いていた。先の三匹の獣など最初からいなかったかのような自然さ。今目の前で起こった信じられない出来事を前にして、ネロは接近を許してしまう。油断、慢心と呼ぶにはあまりにも少ない揺らぎ。だがそれこそが遠野志貴の唯一、最大の勝機だった。

 

 

――――瞬間、混沌は『殺された』

 

 

ソレが蒼い双眼を見開き、ナイフを突き立てた瞬間に、全ては終わった。まるで最初からなかったかのように創生の土は、混沌は無に環っていく。そこに一切の容赦も慈悲もない。そも、そんなものは彼には残っていない。あるのは目的を果たすための作業だけ。だが誤算があったとするならば

 

 

「――――貴様、私達を、どうやって殺した?」

 

 

混沌の半身を取り逃してしまったこと。そこには影から這い出るように人型を取っているネロ・カオスの姿がある。だがその表情は憤怒に満ちていた。視線だけで人を呪い殺せるほどの殺気がそこには込められている。当然だ。今のネロはいわば九死に一生を得たも同じ。六百六十六の命の内の半分を切り捨て、先の死の一撃から逃れたにすぎない。あの姫君ですら滅することができなかった自分達を、あろうことか創生の土ですら殺すという出鱈目さ。六百六十六の命を殺すのではなく、ネロ・カオスという存在そのものを殺す力があれにはある。しかもたかが人間ごときに。助かったのは群生としてのネロの本能が後退を命じたからこそ。それはネロにとって屈辱以外の何物でもなかった。

 

だがそんなネロを遠野志貴は視界に収めることすらない。何故なら彼の目的は混沌ではない。混沌を排除したのはただ単に、目的を達する上で障害だったから。もしそうでなかったのなら、彼は混沌を無視していただろう。彼が瞳に映す先には

 

 

「……っ!」

 

 

苦悶の表情を見せている白い吸血姫の姿。混沌から解放されたがその姿は満身創痍。立っているのがやっとといったところ。だがそれは混沌によるものではない。その左腕に纏わりついている蛇の呪縛によるもの。今もなお、蛇は吸血姫から力を奪い続けている。その証拠に絡みついている蛇の数は増え続けている。

 

だがアルクェイド・ブリュンスタッドにはそれに抗う術がない。混沌からは脱せたものの既に力の内の半分は奪われてしまっている。同時に、力づくで抑え込んでいた吸血衝動が彼女を蝕んでいく。今はそれを抑え込むことで精一杯。とても蛇から力を奪い返す余力などありはしない。そんなことをすればその瞬間、衝動に飲まれてしまう。だがこのままでは力を全て奪われ飲み込まれてしまう。逃れられない二者択一。だが

 

 

「…………え?」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドは呆然としながら声を上げる。何が起こったのか分からない、そんな声。彼女が驚いているのは二つ。一つは自分が声を出していたこと。そしてもう一つが

 

 

自らの左腕が切り落とされ、地面に転げ落ちていることだった――――

 

 

ナイフを持ち変えながら、遠野志貴は一旦アルクェイド・ブリュンスタッドから距離を取る。迎撃も撤退も可能な間合い。ナイフには返り血一つない。同じく切り落とした彼女の左腕にも。

 

死の線。モノの死にやすい部分を形にしたもの。それにナイフを通すことで切断することが遠野志貴にはできる。正確には直死の魔眼の力。それによって彼はアルクェイド・ブリュンスタッドの左腕を切断した。理由は単純。これ以上彼女の力を蛇に奪わせないため。混沌を退けたのもあのままではアルクェイド・ブリュンスタッドを狙うことができなかったため。

 

アルクェイド・ブリュンスタッドの消去。

 

それがこの状況で下した遠野志貴の最善。もっともリスクが少なく無駄がない答え。本来なら蛇を消去することが己の至上目的。だが蛇の姿はなく、現在進行で彼女の力が奪われている。恐らくは既に力の多くが奪われていることは明白。その証拠に夜は死期がないはずのアルクェイド・ブリュンスタッドの身体に死の線に加え点すら視える。自分の魔眼が強まっていることを差し引いても間違いない。加えて混沌から脱したにも関わらず、彼女には抵抗する気配がない。否、抵抗する力が残っていない。このままでは蛇に全ての力を奪われてしまう。そうなればどうなるかを、自分は誰よりも理解している。

 

だが最悪の事態は避けられた。左腕、ロアの呪縛を絶つことでこれ以上力を奪われることはない。後は、再び蛇に狙われる前に彼女を殺せばいい。

 

そのまま再び遠野志貴は目標に向かっていく。魔眼は既に彼女の死を捉えている。逃れようのない死。真祖であっても例外はない。彼女は動かない。そのまま気を失ってしまったかのように倒れ込む。蛇も混沌も反応できない。完全に虚を突いた。

 

 

そのまま眠っている彼女へとナイフを振り落とす。狙いは線ではなく、胸にある点。十七に分割する必要もない。ただの一突き、一瞬、微塵の容赦もなく、ただ人形のように遠野志貴はアルクェイド・ブリュンスタッドを殺した――――はず、だった。

 

 

「――――?」

 

 

驚きは彼だけのもの。アルクェイド・ブリュンスタッドは意識を失っている。抵抗もできはしない。なのに、何故かナイフを手にしている右手が、寸でのところで止まっていた。

 

 

分からない。どうして手が止まっているのか。身体に異常――――否。異常はなし。銃の引き金を引く指と心を切り離すように、ナイフを持つ手と心を切り離す術を自分は持っている。今まで何度も何度も自らの死の点を突いてきた。恐怖も、何もかも失くした。

 

 

なのにそれ以上、ナイフが動かない。身体が、動かない。まるで機械の歯車に小石が紛れてしまったように、動かない。

 

 

できるのは白痴のように、地面に倒れ込み、眠っている吸血姫を見つめることだけ。そんな刹那

 

 

『志貴さん……泣いてるんですか。よかったです……約束、守ってくれたんですね』

 

 

そんな、ここにはいない彼女の声が聞こえた。

 

 

同時に思い出す。もういつだったか思い出せない、原初の記憶。それでも、地獄に落ちても忘れないであろう別れ。

 

 

安らかに眠っている彼女の姿。もう目を覚ますことはない、誰か。その姿に、目の前の吸血姫が重なる。何もかも違うのに、何もかも失くしたはずなのに。

 

 

「――――琥、珀?」

 

 

いつかと同じように、彼は彼女の名を口にした。それが何を意味するのか分からぬまま――――

 

 

 

「――――残念だが、彼女は私の物だ。紛い物の君に横取りされる気はない」

「よかろう――――貴様を、我が障害と認識する」

 

 

そんな遠野志貴の困惑と思考を断ち切るように、二人の吸血鬼が動き出す。

 

 

「――――っ!」

 

 

瞬間、この場に現れてから初めて遠野志貴はリズムを崩す。未だ自分が何故おかしくなってしまったのか解せぬまま条件反射でナイフを手に応戦する。

 

切り裂くのは蛇の呪縛。自分ではなく、アルクェイド・ブリュンスタッドを再び取り込もうとするのを防ぐために。それに間違いはない。でもおかしい。こんなことをするよりも彼女を殺した方が早いはずなのに。そう動いていたはずなのにどうして――――

 

 

「――――たわけ。その驕り、その身で償うがいい」

 

 

侮蔑の言葉と共に、ネロの獣が襲いかかってくる。狙いは自分と、アルクェイド・ブリュンスタッド。だが、彼女の方が食われるのは早い。自分は反応は遅れたものの、対応できる。ナイフで獣を滅し、この場を離脱する。ネロに殺されるなら気にすることはない。蛇に取り込まれないようにすることが自分が介入した目的だったのだから。なのに

 

 

自分は持っていたナイフを投げ捨て、右手でアルクェイド・ブリュンスタッドを引きよせていた。

 

 

「――――」

 

 

同時に、何かが失くなった。どうやら左腕が食われたらしい。痛みは、ない。そんなものは自分は感じない。その返り血がアルクェイド・ブリュンスタッドを染める。綺麗なものを汚してしまったな、なんてどうでもいいことを考えている自分を客観的に見つめているもう一人の、自分。

 

そのまま彼女を無造作に地面に投げ捨てながら、残った右手で食らいついてきている獣の点を突く。何とか食い殺されることはなくなったが左肘から先が無くなった。それはいい。出血だけは見逃せない。失血死の危険がある。

 

間髪入れず、右手で左腕を『殺す』正確には左肩から肘までを『殺した』これで失血死だけは免れる。体の重心も変更。問題なし。死者との戦いで身体の欠損には慣れている。誤差は範囲内。問題はナイフの喪失。地面に投げ捨ててしまっただけだが再び手にする時間はない。素手でも戦えるがやはりナイフがなければ一段落ちる。

 

 

――――そういえば、いつか同じようにナイフと何かを天秤にかけてナイフを選んだことがあったような気がする。あれは、何だったのか。

 

 

もはや逃げ場がない。ネロ・カオスにはもう慢心も油断もない。その証拠に獣の数も質も先とは違う。先の一撃で殺せなかったのは痛かった。ロアも同様。何故かネロに比べると手を緩めているように見えるが理由は不明。それでも最優先がアルクェイド・ブリュンスタッドの捕縛であることは間違いない。

 

残った手札でこの場を脱することはできるか否か。もはや考えるまでもない。完璧だったはず。知識も、身体も、武器も、そして経験も積んだ。それでもダメだった。一体どこで間違えてしまったのか。何が足りなかったのか。

 

そのまま横目に倒れ伏しているアルクェイド・ブリュンスタッドを見る。気づいたのは、そういえば自分は彼女と一言も喋ることがなかったな、なんてどうでもいいことだけ。

 

蛇か、混沌か。そのどちらかも分からぬまま、最後の螺旋が閉じようとした瞬間

 

 

――――天から剣の雨が降り注いだ。

 

 

まるで絨毯爆撃が起きたかのような衝撃と煙が全てを支配する。その全てが寸分たがわず獣と蛇の呪縛を串刺しにし、葬って行く。同時に理解する。遠野志貴は識っていた。間違いなくこれが、自分を救う天からの恵みであることを。

 

 

「――――遠野君、大丈夫ですか!?」

 

 

救いの主であり、弓の主でもある代行者、シエルは凄まじい速度のまま前傾姿勢で遠野志貴の前に着地する。間違いなくここまで全速力で駆けて来たのが分かる程。シエルもまたすぐにその手に黒鍵を構えながら遠野志貴へと振り返る。しかし

 

 

「遠野君、その左腕は――――!? いえ、それよりも何故彼女を」

「悪い……シエルさん。とりあえず――――ここから離れる。殿は任せた」

 

 

理解できない状況に彼女は目を丸くしたまま。当たり前だ。血の臭いを辿ってくればこの戦場。混沌に加えて蛇の気配。満身創痍、左腕を失った真祖に何故かそれを抱えている同じく左腕を失くしている協力者。

 

だが突っ込む暇もなく遠野志貴はアルクェイド・ブリュンスタッドを抱えたままその場を離脱していく。全く迷いない行動。後ろを振り返ることもない。それはすなわちシエルに対する信頼に他ならない。もっともそれはシエルにとっては迷惑以外の何者でもないのだが。

 

 

「~~~っ!! 遠野君、ちゃんと後で事情を説明してもらいますからね!!」

 

 

後始末、貧乏くじを引かされた感を否めないまま。それでも全く迷うことなく完璧に撤退戦に切り替える判断の速さは間違いなく代行者である所以。黒鍵による牽制と煙による目くらまし。シエルもまた時間を稼ぎつつその場を離脱する。

 

 

混沌と蛇もまた、それ以上深追いすることはない。互いに、そうせざるを得ない事情があったが故。その理由をシエルたちが知るのはまだ先。

 

 

それがこの夜の戦いの終わり。そして新たな混迷の始まりだった――――

 

 

 

 


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