月姫転生 【完結】   作:HAJI

20 / 43
第十九話 「螺旋」

それは潜入調査だった。

 

シエルは埋葬機関に属している。だがその役割は戦闘だけではない。吸血鬼を滅するためにはまずその城を見つける必要がある。そのためにはその土地の情報を得ることも重要な任務。いわば準備段階。蛇の転生体が特定できた今、それが事実であるかシエルは確かめる必要があった。

 

『遠野四季』

 

遠野家の長男であり、幼い頃に反転し、隔離されていた存在。シエルはその存在を予期していなかった第三者から得ることができた。遠野志貴という少年から。その存在も、シエルにとっては理解できない程異常なもの。だが敵ではなく、目的が蛇を滅することであったことから協力関係を結んでいる。彼の言葉が嘘だとは思ってはいないが、任務に私情を挟むことはできない。そのため、シエルは遠野志貴から得られた情報が真実であるかどうかを直接確かめるため遠野家に潜入することを決断した。

 

セオリーとしては夜に行うのだが、今回はあえて日中に決行。理由は二つ。一つが夜は蛇を探すことを優先する必要があるから。彼から得た情報が正しいなら、一刻も早く蛇を見つけ出さなくてはならない。一手間違えれば詰みになりかねない。もう一つが、当主である遠野秋葉の存在。その情報は彼から既に得ている。混血であり、異能の持ち主。接触するようなことがあれば不測の事態も起きかねない。幸いにも遠野秋葉は学生であり、日中は屋敷にはいない。なら、その間に行うのが最もリスクが少なく効率が良い。

 

それは間違っていなかったはず。その証拠に、自分は難なく屋敷に潜入し目的を達した。前当主である遠野槙久の部屋でその手記を手に入れることで。そこには全てが記されていた。遠野四季の存在の証明。その過程。そして、遠野槙久自身の末路も。思う所がないわけではないが目的は果たした。遠野志貴から手に入れた情報が正しいこと。曰く、自分には嘘はつかないという彼自身の言葉も。後は屋敷を離脱し、今夜再び彼と待ち合わせした場所へと向かうだけ、だったはずなのに――――

 

 

「――――お待たせしました、紅茶で宜しかったんですよね?」

 

 

何故自分は、楽しそうな笑みを浮かべている着物姿の少女からお茶を出されているのか。

 

 

「……はい。では頂きます」

「どうぞ、お口に合えばいいんですけど」

 

 

一度溜息を吐きながら、少女、琥珀の手からカップを受け取り口に付ける。同時に彼女もわたしの正面のソファに腰掛ける。ここはどうやら客間らしい。富豪だけあり、ソファはもちろん机も調度品も一目見れば高価な物ばかり。だが戸惑っているのはそこではない。何故侵入者であるはずの自分が客間に通され、あまつさえお茶を出されているのか。これまで数えきれないほど任務をこなしてきた中でも初めての経験だった。

 

 

「美味しいですね。いつも淹れてらっしゃるんですか?」

「はい。秋葉様のお気に入りですから。あ、でもよかったです。秋葉様がいらっしゃったらきっと、お茶どころではなかったでしょうから」

「そうですか。秋葉さんは今、学校に?」

「はい。夕方まではお戻りにはなりません。ですからご安心を」

 

 

本気でこちらを心配しているのか、クスクスと笑いながら彼女は自らの主の不在を明かす。その姿は年相応、可愛らしい少女そのもの。だが侵入者である自分と一対一で向き合っているのにこんな態度を取れるということは、やはり遠野家の使用人ということなのか。だが何にせよ、このままゆっくりとはしてはいられない。

 

 

「本当ならお茶のお代わりをお願いしたいところですが、そういうわけにはいきませんね。琥珀さん、何故わたしをこんな場所に? それにどこでわたしの名前を知ったんですか。お会いしたことはないはずですが」

 

 

何故こんな場所に自分を誘ったのか。あの時、遠野槙久の部屋の前で接触した時、自分はそのまま立ち去るつもりだった。だが一つの予想外の出来事と、彼女が自分の名前を知っていたことからわたしは彼女の言葉に従い、ここまで付いてきた。まさかお茶を出されるとまでは予想していなかったが、彼女が何を考えているのか想像できない。

 

 

「簡単です。あのまま立ったままではゆっくりお話を伺えないと思いまして。お名前は、志貴さんが通われている学校の先生から伺いました。シエルさん、で宜しいんですよね?」

 

 

まっすぐこちらに笑みを向けながら、彼女は淀みなく答える。単純な理由。加えて名前を知られていた理由もあっさりと判明した。結果から言えば自分の小さなミス。遠野志貴からの手紙を優先し、学校に関係する暗示を解き忘れていたことが原因。だがやはり分からない。

 

 

「そうですが……琥珀さん、自分が何をしているか分かっていますか。わたしは侵入者です。なのに何故こんなことを? 危険だとは思わないんですか?」

 

 

侵入者である自分と何の躊躇もなく向かい合っていること。どんな理由があれ自分は遠野家にとっては敵あり排除すべき存在。使用人とはいえ、それは変わらないはず。もしかしたら遠野秋葉が戻ってくるまで時間を稼いでいるのかとも思ったがそんな素振りもない。むしろ遠野秋葉がいないことを好都合だとしている節すら見える。何よりも異常なのは

 

 

「はい。あなたが本当に危険な人なら、もうそうなっているでしょうし。それに、見た目通り、優しい方なんですね。わざわざわたしに忠告してくれるんですから。失礼ですけど、わたしからすればシエルさんもよっぽど変ですよ?」

 

 

彼女がまったく危険を恐れていないから。確かに、今言ったように状況からわたしが危険ではないと判断することはできるかもしれない。だがそれだけで、ここまで自然な態度は取れない。どこかに不自然さかあってしかるべき。なのにそれがない。自然であるがゆえに不自然。だが自分は知っている。この感覚を、この空気を。つい最近、これと似た空気を持つ相手と話したことがある。あれは誰だったのか――――

 

 

「……ええ、よく言われます」

「本当に『お節介さん』なんですね。でも……わたしからも質問させてください。どうしてシエルさんはここまで付き合ってくれてるんですか? 普通ならあのまま屋敷から出て行くはずなのに」

「それは……」

 

 

彼女のもっともな指摘に言葉を詰まらせてしまう。そう、本当なら自分は彼女に見つかった時に離脱するはずだった。なのにここにいる理由。それは

 

 

「もしかして……さっき仰ってた言葉が関係してるんじゃありません? 確か、『わたしがまだ買い物が済んでいない』でしたか」

 

 

彼女に暗示が通じなかったから。

 

あの瞬間、自分は彼女に暗示をかけた。まだ買い物が終わっていない、という暗示。そうすることで自分と会った記憶を改修し、そのままその場からいなくなってもらうつもりだった。だがそれは通じなかった。しかもその理由が問題だった。

 

 

(やはり間違いない……彼女には暗示が通じない。それにこれは……)

 

 

彼女が何も魔術を使っていなかったから。魔術に耐性があるわけでもない。なのに通じない。同時に思い出す。全く同じ現象が、つい先日あったことを。

 

 

(遠野志貴と同じ……自己暗示による自己保存。この琥珀という少女も、同じような状態にあるということですか……)

 

 

遠野志貴。彼にも暗示が通じなかった。自己暗示の類による自己保存、自己形成。何を自分に刷り込んでいるのかは分からない。だが遠野志貴も、彼女もそれによって自己を保っている。いわば既に暗示にかかっていると言っていい。だからこそ自分の暗示は通じなかった。少なからず接触があったであろう彼と彼女が同じ状態にあるということは何らかの理由があるのでは。それを確かめるためにわたしは一時的に彼女の誘いに乗ることにしたのだった。

 

 

「……気づいていたんですか?」

「いいえ。あなたが何をしようとしたかは分かりませんでしたけど、推測はできます。きっと翡翠ちゃん……わたしの妹にも同じようなことをしたのでは? 翡翠ちゃんは掃除をしたことを忘れてしまっていましたから。わたしにも同じようなことをしようとされたんでしょう?」

「……その通りです。暗示、催眠術のようなものです。ですが、人体には影響はありませんのでご心配なく。妹さんもすぐに元に戻ります」

「そうですか、良かったです。でも、どうしてわたしには効かなかったんですか?」

「……分かりません。そういった人も、稀にはいるので」

 

 

隠しても意味はないと判断し、正直に真実を明かすも彼女はぽかんとしているだけ。全く心当たりがないからだろう。同時に自己暗示の話をすることは避けた。問い詰めたところで無駄だということは明白。自己暗示は、自分では気づくことができないからこそ成立している。何を思いこんでいるかを聞いても、本人には分からない。もし、それを自覚すれば最悪自己崩壊につながりかねない。

 

 

「それで……琥珀さんは何故わたしを引きとめたんです? お茶の相手が欲しかったというわけではないでしょう?」

 

 

あえて話題を切り上げ、同時に本題に入る。何故、自分を引きとめたのか。その理由。彼女はそのまましばらく黙りこんでしまう。知らず、着物を握りしめながらも、ようやく決心したのか彼女は口にする。

 

 

「志貴さん……彼がどこにいるか、知っていますか? わたしは、それを知りたいんです……」

 

 

身の危険を度外視しても、自分と接触した理由。その答えを。

 

 

「志貴……遠野志貴のことですか? 何故そんなことをわたしに……」

「志貴さんは数日前に、屋敷から出て行ってしまったんです……探しているんですが、見つけることができなくて……そこで、シエルさんのことを知ったんです。彼があなたに手紙を出していたことも。それで、あなたなら志貴さんがどこにいるのか知っているんじゃないかって……」

 

 

ぽつりぽつりと、何かを思い出すかのように彼女は現状を明かしていく。確かに、筋は通る。その状況ならば、自分が手掛かりになり得ると。それは正しい。事実、自分は遠野志貴と接触し、繋がりを持っている。それを彼女に教えるのは容易い。しかし、すぐにそれを教えることはできない。何故なら

 

 

(彼女は一般人……巻き込むわけにはいかない。遠野家の使用人である以上、そういった類の知識はあるのかもしれませんが、それでも無関係であることは変わらない)

 

 

一般人である彼女を巻き込むわけにはいかないから。もしかしたら、遠野家の使用人であるのならある程度はそういった裏の事情も知っているのかもしれない。だがそれ以上に、足手まといになり得る彼女を巻き込むことは代行者としても得策ではない。

 

 

「……申し訳ありませんが、彼がどこにいるかはわたしも知りません。それと一つ、確認させてください。琥珀さん、あなたは吸血鬼という存在を知っていますか。もしくは、それに近いヒトではないものの存在を」

「……はい。知っています。吸血鬼は知りませんが、魔と呼ばれるものがいることを。遠野家も、その末裔ですから。それにわたしも、魔ではありませんが特別な力を持っています」

「……そうですか。でしたら話してもいいでしょう。わたしと彼、遠野君もこの街にいる吸血鬼を倒すために動いています。彼がここを出て行ったのもきっとそのためです。ですから、それが終われば――――」

 

 

迷いながらもぎりぎりだと思える内容を彼女に明かす。彼の居場所を知らないのは本当だ。連絡先は交換しているが、彼がどこにいるかは知らない。聞こうとはしたものの、結局彼は口にはしなかった。そして、彼女はどうやら裏の事情については知っているらしい。なら明かしても問題はないだろう。遠野志貴なら取ってもおかしくない行動なのだから。しかしそれは

 

 

「……あの人が、どうしてそんなことをするんですか? そんなこと、できるはずがないのに……」

 

 

彼女のどこか呆然としている言葉で断ち切られてしまう。

 

 

「……? 何故、そんなに驚いているんですか。彼は七夜、退魔の一族の末裔です。なら異端と戦ってもおかしくはないでしょう」

「違うんです……志貴さんには、あの人にはそんなことできるはずがないんです。だって……あの人は……」

 

 

琥珀はそのまま、言葉を失ってしまう。まるで何かを伝えたくてもできないかのように。そんな彼女の姿にようやく悟る。自分も全く予想していなかったこと。彼から得た情報、話の中には全く含まれていなかった事実。それは

 

 

「琥珀さん……あなたは、遠野君が本当は何者か知っているんですか?」

 

 

目の前の少女、琥珀が彼が本物の遠野志貴ではないことを知っているということ。

 

 

「……何者かは知りません。でも、彼が本物の志貴さんじゃないってことは、知ってます」

 

 

反芻するように、どこか機械的に彼女は口にする。だがその内容は決して無視できるよなものではない。繰り返しや目的については知らないようだが、彼女は間違いなく彼が本物の遠野志貴ではないことを知っている。確信している。だが、だからこそ分からない。

 

 

「あなたは……それなのに何故彼に会いたいんです? 言いたくはありませんが、彼はあなた達が知っている遠野志貴ではない。それなのに……」

「それは……」

 

 

何故、本物の遠野志貴ではない彼に会いたいのか。探しているのか。本物の遠野志貴は、彼の言葉が真実なら八年前に死んでしまっている。なのにそれを知っていて、何故彼を探しているのか。同時にそれが彼のことを彼女に伝えなかった理由。本物の遠野志貴を案じているであろう彼女達にそれを伝えることを躊躇ったからこそ。きっと彼自身もそれを望んでいるはず。

 

だがその瞬間、ようやく気づく。今まで気づくことができなかった、違和感の正体。

 

それは琥珀という少女のこと。

 

正確には遠野志貴自身から聞かされた彼女の情報。端的に言えば、それはほとんどないに等しかった。遠野家の使用人であり、双子の姉。せいぜいそのぐらいしか自分は彼からあの夜、聞かせてもらっていない。最初は必要がないこと、蛇に関連することではないからだと思っていた。だが、明らかに違う。その証拠に遠野秋葉についての情報については詳細に口にしていた。妹の翡翠についても、遠野秋葉程ではないにしても、彼女に比べれば情報はある。なら意図的にそうしていたということ。彼女が自分の正体に気づいていることを彼が知らないとは考えづらい。そうでありながらも、彼はわたしにはそのことは伝えなかった。確かに嘘はついていない。ただ明かしていない。それはつまり

 

 

彼にとって目の前の少女、琥珀は特別な存在だということ。

 

 

「…………」

 

 

そのまま視線を目の前の少女に向ける。彼女はそのまま黙りこんだまま。先程まで見せていた明るい笑みも、姿もない。何か、自分でも分からない何かに翻弄されているかのよう。それを前にして、わたしも言葉がない。かけるべき、言葉がない。

 

彼が遠野の屋敷を出て行った理由。それをわたしは彼が蛇を倒す上で不都合が多かったからだと受け取っていた。何度かは分からない、彼自身も覚えていない程、彼は繰り返している。その中で、遠野の家でもなく有間の家でもなく、一人で行動をしているのはその方が都合が良いからなのだろうと。事実、代行者である自分の単独行動の方が動きやすい。彼の場合は、直死の眼の影響で昼間に睡眠を取り夜行動している。なら、同居人がいない方が干渉されず動きやすい。それを証明するように彼の行動には無駄がない。だからこそ、それが証明になる。そんな彼が、あえてそんな行動を取っている本当の理由が何なのか。

 

 

――――琥珀を巻き込まないため。

 

 

そう考えれば、納得がいく。あえて自分に彼女の情報を明かさなかったのも、屋敷を出て一人で行動していることも。もしかしたら居場所を自分に伝えなかったのも、自分がそれを彼女にバラしてしまうことを計算に入れてのものだったのかもしれない。

 

 

なら、わたしは彼のことを彼女に伝えるべきではない。それはきっと、彼の意志に反すること。彼が彼女のことをどう思っているのかは分からない。だが、数えきれないほど繰り返し、摩耗しながらもそれを貫き通している以上、そこには明確な意志がある。なら、踏み入るべきではない。そのことで、協力関係が解消されてしまうかもしれない。なのに

 

 

「琥珀さん……一つ、聞かせてください」

 

 

わたしは余計なことをしようとしている。お節介という範疇を超えているかもしれないことを。それでも、口にせずにはいられなかった。

 

 

「遠野君……彼は、もうあなたが知っている彼ではないかもしれません。もし、会えたとしても、すぐに会えなくなってしまうかもしれません」

 

 

感情を殺したまま、ただ淡々と告げる。そこには隠しながらも、真実だけがあった。忠告、予言に近いもの。

 

彼は、果てしない数の螺旋を繰り返している。恐らくは、人格が残っていることすら奇跡。もしかしたら、もう壊れてしまっているのかもしれない。たった一度の邂逅ではあるが、彼が異常であることは感じ取れた。もしかしたら、彼女が知っている彼では無くなってしまっているかもしれない。

 

もし、そうではなかったとしても、先はない。彼の言葉が真実なら、彼は直死の魔眼による負荷でもう長くない。自分が手に入れた魔眼殺しの包帯でも、一週間しか延命できない。蛇を殺し、螺旋から抜け出してもそれは変わらない。もし会えたとしても、すぐに別れは来る。なら、このまま会わない方が彼女のためになるのでは。

 

 

「それでも……彼に会いたいですか? あなたは彼に会ってどうしたいんですか?」

 

 

そんな想いを込めた問い。どちらの答えであっても結末は変わらない。遅いか早いか。ただそれだけの違いでしかない。救いはない。

 

 

「わたし、は……何をしたいのかは分かりません。何でわたしはこんなことをしているのか、もう分からないんです……」

 

 

彼女は独白する。自分が分からないと。どうしてこんなことをしているのか分からないと。子供のように、何も知らない人形のように。そこにはもう先程までいた彼女はいない。客観的に、ただ機械的に淀みなく話していた彼女の姿。それとは対照的な小さな、等身大の少女の姿。それでも

 

 

「――――ただ、あの人にもう一度会いたいんです」

 

 

だからこそ、少女は告げる。他には何もない。何がしたいのか、何を望んでいるのかも関係ない。それすらも、どうでもいい。ただ会いたいと。もう一度、彼に会いたいと。それが琥珀の、人形ではない、人間としての願いだった。

 

 

「――――」

 

 

その答えと姿に、しばらく言葉を失ってしまう。その言葉と姿に、何故か懐かしさを覚える。もう思い出すことができない、思い出すことが許されないはずの記憶。

 

 

――――ただ、少女であった自分。家族に囲まれ、このままきっとそれがずっと続くんだと信じて疑わなかった世界。朝早く起きれなくて、お父さんに怒られてしまう毎日。パン屋を手伝いながらも、自分もきっと、それが続くのだと信じていた記憶。今はもう手に入らない夢。

 

 

そんな頃の自分と、彼女が重なる。でもきっと、彼女はまだ違う。まだ間に合う。自分が手に入れられなかったものを、彼女は手にすることができるかもしれない。例え短くとも、価値があるものが。

 

 

「…………ふぅ、仕方ありませんね」

「…………え?」

 

 

大きく息を吐きながら、肩をすくめる。どうやら自分は根っからのお節介焼きらしい。自分の面倒も見れない癖に、人の心配ばかりしている愚か者。でも仕方ない。

 

年上として、恋する少女の力にならないわけにはいかないのだから。

 

 

「あの、どうされたんです……? お部屋が暑いですか?」

「いえ、お気になされずに。ちょっとあてられちゃっただけですから」

 

 

手をうちわ代わりに仰いでいる自分の姿に彼女はぽかんとしているだけ。そんな少女の姿に知らず笑みがこぼれる。同時にわずかな羨ましさも。もしかしたら自分も、こんな姿を見せることがあったのかもしれないという未練にも似た感情。

 

 

「ごほんっ……そうですね、わたしの負けです。実はわたし、彼の居場所は知りませんが、今夜彼と会う予定なんです」

「っ!? 志貴さんとですか!? なら……」

「でもすいません。今夜、あなたを連れていくことはできません。そんなことしたらわたし、彼に殺されちゃうかもしれないので」

 

 

身を乗り出してくる彼女を諫めながらそう告げる。冗談ではあるが、半分以上は本気の言葉。もし、彼の真意が自分が考えている通りなら、殺されてもおかしくはないのだから。

 

 

「ですから、一度彼と話をさせてください。そうですね……明日中には一度、連絡します。それが条件です。どうでしょうか?」

 

 

それが最低限の譲歩。今夜の彼との接触でそれを確かめること。彼女の気持ちは分かるが、これは彼の問題でもある。急ぎすぎれば意味がない。かといって遅すぎれば手遅れとなる。ある意味、蛇と戦い以上に困難なもの。

 

 

「…………はい。お願いします、シエルさん」

「ええ。任せてください。わたし、お節介さんですから」

 

 

手を握りながらも、彼女はそう懇願してくる。そんな彼女に笑みを向けると同時に、彼女もわずかではあるが微笑む。ただ思う。

 

 

――――願わくば、その笑みが彼に届くことを。

 

 

 

 

 

月が満ち、それでも光が差すことがないほど闇に包まれた路地裏。そこに、彼らはいた。

 

およそ人とは思えないほど巨大な体躯を持ち、黒いコートに身を包んだ男。その風貌が意味するように、彼は人間ではない。見る者が見れば気づいただろう。彼が、彼らがこの世にいてはならない怪物であると言うことを。

 

 

「――――ふむ、ここが限界が」

 

 

ぽつりと、地に響くような重苦しい声で男は呟く。同時に、どこから現れたのか、男の近くにあるものが現れていた。

 

巨大な犬。人一人乗せてもなんら問題にならないような大型犬。もしかすれば狼と言った方が正しいかもしれない。何故なら、それはまさに人を食らうことがその役目なのだから。だが男がその犬に触れた瞬間、それは消滅する。影も形も残らない。まるで初めからそうだったかのように、その場には男の姿だけ。

 

しかし、唐突に男の動きが止まる。同時にその気配も。まるで何かが、自らの縄張りに踏み込んだかのように。それを見て取ったかのように

 

 

「――――真逆な。本当にお前がこんなところにいるとは。驚いたぞ、『混沌』」

 

 

ヒトがいないこの世界で、もう一匹の怪物が姿を現した。

 

 

「それは私も同じだ。よもやこのような役目を私がする羽目になるとはな。久しいな、『蛇』よ。それが今回の皮というわけか」

 

 

混沌、ネロ・カオスはそのまま目を凝らしながら自らに話しかけてきた同胞と向かい合う。否、同胞ではない。その証拠に、そこには全く親愛はない。あるのは、闘争の空気だけ。それを受けながらも蛇、ロアは身じろぎ一つすることはない。その姿は闇に包まれて伺うことはできないものの、確かに存在していた。

 

 

「そういうことだ。前に比べれば格段に落ちるが、まあ構わんさ。それにしてもこんな極東の果てに一体何の用だ。見たところ、まだ『混沌』にはなりきっていないようだが」

「下らぬことを聞く。まだ私は私だ。もっとも、貴様が次に移る頃にはもう私はいないかもしれんが」

「違いない。もう挨拶はいいだろう。聞かせてもらおうかネロ・カオス。お前は何のために私の庭に踏み入った?」

 

 

瞬間、空気が凍る。明確な殺意がネロを射抜く。だが混沌は動じない。一歩も動くことなく、ただそこにいる。動く必要など無いのだと告げるかのように。

 

 

「知れたことを。貴様と同じだ、ロア。白い吸血姫、アルクェイド・ブリュンスタッドを討ちに来た。それだけのことだ」

「ほう、お前がか。興味深いな。だがお前がそんな意味がないことをするとは思えん。そうだな……白翼辺りの差し金か?」

「…………」

「図星か。まだ死徒の王を気取っているのか、あの耄碌は。いくら気取ったところで、月蝕姫には敵わぬだろうに。だがお前が協力すると言うことは、まだ第六をあきらめていないと見える。魔術師ではあるお前には、まだ興味が残っているのか?」

「―――僅かばかりの好奇心だ。魔術を志した者として、アレには惹かれるものがある。もっとも、手に入れたいとは思わんがね」

「成程。確かに、白翼なら運悪く上手く行ってしまう可能性もあるだろうな。もっとも、私にとってはどうでもいいことだ。私が求めるのは『永遠』のみ。お前が『混沌』を求めているのと同じだ」

 

 

同時に、蛇の眼が光る。己が目的。永遠を手に入れることだけが命題だと。それ以外は些事。故にそれを邪魔する物は容赦はしない。それが例え、かつて繋がりがあった相手だったとしても。

 

 

「十数度繰り返しても、まだ外れてはいないようだな。だが私も退く気はない。貴様の望み、我が『混沌』の中での『永遠』で叶えてやろう」

 

 

瞬間、黒い何かがネロから生まれ、全てを飲みこんでいく。ロアの殺気に反応し、『彼ら』は襲いかかる。群生である強みであると同時に極意。だが飲み込んだはずの中には何もない。まるで霧になってしまったかのように、手ごたえがない。

 

 

「そう急くなよ、混沌。私は喜んでいるんだ。私には予感がある。今度こそ、いや今回のために今までの全てがあったのだと。喜ぶといい。お前は、それを最も間近で見られるのだからな!」

 

 

歓喜の声を上げながら、蛇は闇に紛れ消えていく。後には彼らだけが残される。そこには何もない。あるのはただ答えを求めた魔術師のなれの果てだけ。

 

 

ここに役者は全て揃った。舞台も時間も、定められた通り。ただ一つ違うのは、同じ舞台を踊り続けた人形が一体紛れ込んでいることだけ。

 

 

人間と人形と吸血鬼。三つが絡み合う最後の螺旋が今、廻り出そうとしていた――――

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。