月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第十六話 「目的」

「とりあえずこれをお返ししておきますね、遠野君」

 

 

一通りの事情を聞き終え、納得したのかシエルはそのままベンチに座っている遠野志貴に預かっていたナイフを渡す。もっとも、預かっていたというより、半ば押し付けられていたと言った方が正しい。

 

 

「ああ。じゃあ、納得してくれたってことでいいのか」

「はい。とりあえず、あなたの話を信じることにしましょう。それはいいとして、自分の武器を他人に渡すのは感心しませんね。あのままわたしと戦闘になったらどうする気だったんですか」

「……? 別に何も。戦いにはならないと分かっていたし、もしなったとしてもナイフがなくても構わない。これは飾りみたいなものだから」

 

 

遠野志貴はそんなシエルの忠告を耳にしながらも気にした素振りを見せることはない。変わらず、ナイフを手にしながらもそこには全く愛着はない。本当のそれがただの飾りでしかないように。

 

 

(―――直死の魔眼、か)

 

 

シエルは変わらず眼を閉じている彼を見ながらも納得する。先の死者との戦いで目にした蒼い双眼。モノの死を視る魔眼。確かにそれならばナイフなど飾りでしかない。重要なのは彼自身が死の線か点に触れること。ならナイフでなくとも構わない。自らの手足はもちろん、極端な話をすれば木の枝でもいいのだから。

 

 

(それでも本物の遠野志貴と同じようにナイフを使っているのは、恐らく――――)

 

 

なのに彼があえて遠野志貴のナイフを使っている理由。彼曰く、ナイフを使った戦い方の知識があるかららしいが恐らくは本当の理由は想像がつく。

 

戒め。

 

何のための、誰のための戒めなのかは分からない。本物ではない偽物。代替の役目を押し付けられた彼が何を思っているかは理解できない。理解できるはずもない。だが想像はできる。自分が蛇から受け継いだ知識を使うことを穢れだと感じるように、彼もまた同じなのだろう。もっともそれをあえて使う彼と使わない自分は真逆なのかもしれないが。

 

 

「―――さて、いつまでもこのままでは夜が明けてしまいますし、そろそろ本題に入ってもらってもいいですか?」

 

 

いらぬお節介を口にする前にシエルは切りだす。もっともその手には先程遠野志貴から、正確には別の世界の自分からの差し入れの袋が握られている間抜けな格好なのだが、遠野志貴には見えていないのでシエルは良しとする。

 

 

「本題……?」

「ええ。わたしをわざわざ呼び出した理由です。まさか自分の身の上話を聞かせるためではないでしょう?」

「そうか……まだ、話していなかったか。まだ少し、時間がかかりそうだな……」

 

 

自分の問いでようやく思い出したかのように、遠野志貴は呆けてしまう。その理由も、事情を知った今なら理解できる。

 

記憶の引き継ぎ。

 

その弊害が今の彼の姿。今まで数えきれないほど繰り返した記憶、記録が引き継がれることで記憶の混濁が起こるといこと。簡単に言えばこの世界で自分が何をしているのか、何をしていないのかが曖昧になってしまうらしい。この状況に限って言えば、彼は自分に何を説明していないかがはっきりと判別できない。そのため彼が主体で会話するではなく、自分が質問をするという形で行っている。だがそれはすなわち、一つの事実を証明している。

 

つまり、遠野志貴はそうなってしまうほどにシエルに対してもう何度も同じ説明をしている、ということ。

 

 

「……ならわたしの方から聞かせてもらいます。遠野君はわたしに何をしてほしいんですか?」

 

 

事情を察しつつも、それを表に出すことなくシエルは代行者としての顔で望む。同情がないわけではない。だがそれは彼にとっての侮辱に他ならない。故に問う。一体彼が自分に何を求めているのか。

 

 

「そうだった……俺は、シエルさんに二つ、お願いがあったんだ」

「二つのお願い、ですか……?」

「ああ。一つは、蛇……ロアを殺すのに協力してほしい」

 

 

シエルの質問によってようやく形を得たかのように遠野志貴は口にする。二つのお願いをするためにシエルをここに呼んだことを。その一つがロアを殺すことに協力をしてほしいという願いであることを。

 

 

(やはりそうでしたか……ロアを殺すことは、わたしとも共通する目的。当然の選択……ですが……)

 

 

遠野志貴の答えにシエルはこれ以上にないほどに納得する。むしろ当然だと感じるほど。自分と遠野志貴は同じく蛇の永遠に巻き込まれている。蛇を転生させず消滅させなければ自分は肉体が、彼は魂が死ぬことができない。彼の場合はさらに繰り返すことになる。いわば同じ境遇。ならこの提案は自分にとっても悪くないもの。

 

既に遠野志貴からは直死の魔眼ならばロアを完全に消滅させられることを聞かされている。自分にも第七聖典という切り札があるがもう一枚、ロアを滅することができる手が増えることは望ましい。だが

 

 

「確かにわたしはロアを滅するためにこの街に来ました。あなたも同じ目的のようですが……はっきり言いましょう。足手纏いは必要ありません。遠野君、あなたはどれぐらい戦うことができるんですか?」

 

 

それとこれとは別問題。共に戦う以上、当然の問題。彼がどれだけ戦うことができるのか。どれほどの強さなのか。確かに先程の戦闘は見事だった。一般人ではなく、死者相手であれば問題ない強さであることは疑いようがない。だが本当の相手は吸血鬼でありロア。中途半端な戦力など足手まといにしかならない。加えて、シエルにはどうしても気にかかっていることがあった。それは

 

 

(回数は分からないが……彼はわたしと共闘したことがある。なのに、彼がここにいるということは……)

 

 

遠野志貴がここにいるということ。それ自体が既に問題なのだと。彼の話を聞く限り、彼は自分と何度も接触している。恐らくは共闘しロアに挑んだこともあるはず。にもかかわらず彼がここにいるということはつまり、彼は自分と共闘しながらも死んでしまったということに他ならない。考えられる理由は二つ。一つが彼自身が弱すぎる、戦力にならなかったから。それを確かめるための問い。

 

 

「どれぐらい……か。そうだな……本物の遠野志貴と戦えば、十回に七回は勝てると思う」

「十回に七回……? あなたは本物の遠野志貴より強いということですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……遠野志貴には波があるけど、俺にはないってだけだから……結局同じぐらいかもしれない」

 

 

彼はそんなよく分からない答えを口にする。実際に戦ったことなど無い筈にも関わらず、彼には全く揺らぎがない。慢心も自尊もない。彼自身の知識と照らし合わせても客観的な見通しなのだろう。問題は、シエルは本物の遠野志貴の強さが分からないということ。

 

 

「そうか……シエルさんに言っても分からないか。じゃあ例えを変えて……十八体目の転生体、遠野四季のロアが相手なら、五割以上に勝率がある。これで伝わるかな?」

 

 

それにようやく気づいたのか、遠野志貴はシエルにも通じるであろう例えで自らの強さを告げる。だがその答えにシエルは呆気にとられるしかない。当たり前だ。

 

 

「あなたは……一人でも、ロアを倒せるということですか?」

 

 

遠野志貴は、一人でもロアを倒し得ると口にしたのだから。

 

 

「実際に戦ったことがないから予測でしかないけど……多分、負けることはないと思う。余計な要素がなければ」

「……意味が分かりません。なら、何故わたしと協力する必要があるんですか。そんなことをしなくても戦えるということでしょう?」

「意味はある。俺じゃ、どうしてもロアの居場所は探し切れない。それに十八代目のロアが相手なら、俺とシエルさんの二人がかりなら絶対に勝てる」

 

 

遠野志貴は淡々と事実を述べていく。そこには感情がない。自分の生き死ににかかわる事象、加えて話の内容なら自らの希望を語っているはずにも関わらず。年相応の少年に見える姿と、相反する二面性。そのどちらが本当なのか。そもそもそのどちらも違うのか。なんにせよ、シエルは理解した。

 

 

「……分かりました。あなたと協力すれば、ロアを倒すことができるということですね」

 

 

遠野志貴が単独でもロアと戦い得る強さを持っていることを。それに加えて自分も協力すれば負けはないと。しかし

 

 

「……? いや、俺とシエルさんの二人がかりでもロアには勝てないんだが」

「――――は?」

 

 

それは遠野志貴の理解できない、矛盾した答えによって粉々に打ち砕かれた。

 

 

「……聞き違いでしょうか。わたしと遠野君の二人がかりでもロアには勝てない、と聞こえたんですが?」

「ああ、そうだ。俺達じゃ、逆立ちしてもロアに傷一つ付けられない」

「自分が何を言っているか分かっていますか。先程言っていたことと矛盾していますよ。わたし達二人ならロアに絶対に勝てるんじゃなかったんですか?」

「…………ああ、そうか。まだ、言っていなかったのか」

「言っていなかった? 何をです?」

 

 

半ば呆れ、これ以上付き合う意味があるのか考え始めていたシエルに向かって遠野志貴は先程と同じように何かに気づく。どうやら遠野志貴は何かを自分に話している、明かしている前提で話をしていたらしい。それが何であるのか尋ねようとするも

 

 

「俺が勝てないって言ってるのは今のロアじゃない。初代……真祖、アルクェイド・ブリュンスタッドを取り込んだロアの話だ」

 

 

今度こそ、シエルは眼を見開いたまま、言葉を失ってしまった。

 

 

「――――」

「いや、初代っていうのも違うか。身体自体は遠野四季、十八代目なんだが……」

「……待って下さい、遠野君。何でそこであの真祖の名前が出てくるんですか?」

「それは、今から一週間以内にロアはアルクェイド・ブリュンスタッドを取りこんでしまうからだ。取り込むというよりは……力を奪うって言った方が分かりやすいかな?」

「…………」

 

 

シエルは遠野志貴が何を言っているのか分からず放心するしかない。それほどまでに彼の言葉は理解不能であり、想像だにしていなかったものだった。

 

 

「……遠野君、とりあえず一つ一つ確認させてください。まず、アルクェイド・ブリュンスタッドというのはあのアルクェイド・ブリュンスタッドのことですか?」

「ああ。真祖、アルクェイド・ブリュンスタッドのことだ。それ以外に誰がいるんだ?」

 

 

今更何を聞いているのか分からない、といった風に遠野志貴は肯定する。その姿にシエルは悟るしかない。

 

『アルクェイド・ブリュンスタッド』

 

真祖の姫君であり、処刑人。最強の真祖。ロアを死徒にした張本人であり、今はロアを滅するためだけに眼を覚まし活動する存在。シエルにとっても因縁浅からぬ相手。間違いなく、彼女もこの街に来ているだろう。それはおかしくない。

 

だからこそ、理解できない。

 

 

「……なら尚更理解できません。認めたくはありませんが、彼女がロアに後れを取ることはあり得ない。完全に滅することはできないかもしれませんが、取り込まれるなど」

 

 

シエルはただ淡々と告げる。彼女自身が誰よりも理解していた。真祖アルクェイド・ブリュンスタッドという存在を。

 

『処刑人』

 

その名の通り、堕ちた魔王、死徒を狩ることが彼女の役目。それ以外のことは何一つ知らない存在。その強さは反則と言っていい。事実、先代、自らがロアの転生先であった十七代目の時ですらロアは手も足も出なかった。シエルの肉体のポテンシャルは初代に次ぐ程だったにも関わらず。いくら吸血衝動があるとはいえ、後れを取るとは考えられない。

 

 

「それは俺にも分からない。でも、ロアがアルクェイド・ブリュンスタッドを取り込んだのは確かだ。ロア本人がそう言っていたのもあるし、シエルさんも……前のシエルさんも認めてた」

「前の私も……ですか。ということは、前のわたしもあなたと一緒に殺されたということですか?」

「どうだろう……俺は先に死んだから分からないけど、勝てなかったのは間違いない。誰もあのロアには敵わないと思う。まともに戦ったのは一度だけだけど、戦いにすらならなかった」

 

 

まるで思い出すように口にしながらも、そこには全く感情はない。ただ事実を口にしているだけ。それが余計に、事態の異常性と彼の言葉が真実なのだと証明している。

 

そのまま彼は続ける。タイミングは分からないが、今から早くとも一週間後にはロアによって三咲町が死都にされてしまうこと。シエルがいながらもそれを食い止めることはできなかったこと。街を離れ逃げたこともあったが、一月の間に世界が滅亡したこと。それはすなわち、自分以外の代行者や魔術協会、魔法使い、果ては死徒二十七祖達ですらアルクェイド・ブリュンスタッドを取り込んだロア、永遠となったロアには敵わなかったということを意味している。

 

 

(親殺し……祖の代替わり。確かにそれが成功したのなら、その未来もあり得る……)

 

 

『親殺し』

 

死徒が親である吸血鬼を殺し、成り変わること。それ自体はあり得ないことではない。事実、力を付けた吸血鬼が親の吸血鬼を殺す、復讐騎という例もある。だが問題は殺すのではなく、力を奪っているらしいこと。

 

ロアはアルクェイド・ブリュンスタッドの死徒。いわば吸血鬼の親と子と言ってもいい。ならその力を奪うことはできるだろう。その証明として、ロアはアルクェイド・ブリュンスタッドの力の一部を奪っており、それを取り戻すことがアルクェイド・ブリュンスタッドがロアを追っている理由でもある。親子でなくとも、アルクェイド・ブリュンスタッドは姉であり、死徒の姫君であるアルトルージュ・ブリュンスタッドによって髪を奪われている。ようするに、アルクェイド・ブリュンスタッドがロアに力を奪われることは可能性としてあり得ること。

 

だが問題は、遠野志貴の話を信じるならばロアは一部ではなく、アルクェイド・ブリュンスタッドの力の全てを奪い取ったことになる。すなわち、原初の一、アリストテレスに匹敵する力を手にしたと同義。初代ロアどころではない。初代すら超える力を、永遠を手に入れたロアであれば世界を滅亡させることは不可能ではない。

 

だからこそ、目の前の彼がいる。抑止力によって生み出された『遠野志貴』という存在が。

 

 

「……百歩譲って、それが真実だとしましょう。だとしたら、あなたはわたしに何を求めているんですか。あなたの話が本当なら、わたしは何の役にも立てませんよ。いえ、わたしだけではない。誰であっても、永遠となった蛇を倒すことはできません」

 

 

それが答え。そもそも遠野志貴自身が言っていたこと。数えきれないほど繰り返して来た彼が、一度だけ対峙しただけで不可能だと悟ってしまうほどの歴然たる実力差。ならば、為す術がない。

 

 

「そうだ。だから蛇が永遠になる前に倒したい。そのためにシエルさんに協力してほしいんだ」

 

 

だからこそ彼は告げる。その唯一の対抗策。蛇が脱皮する前に滅する。単純であるが故にこれ以上ない方法。繰り返す彼だからこそできる、不可逆の策。

 

 

「なるほど……ようやく理解できました。問題は、いつどこでそれが起こるかですね。本当にそれは分からないんですか?」

「ああ。どうしても、それは分からなかった。時間がなかったんだ……それを知ることと、俺自身が戦えるようになることを天秤にかけて、後者を取るしかなかった。そうしなければ、ここまで来れなかったから……」

「……遠野君?」

 

 

そのまま、遠野志貴はよく分からないことを呟きながら自分の世界に入ってしまう。彼が一体何を考えているのかは分からないが、分かるのは繰り返している彼でもそれは分からなかったということだけ。

 

 

「……いや、何でもない。とりあえず、シエルさんには蛇の城を見つけてほしい。死者を滅しながら、一刻も早く。理想としてはそれを見つけ出した後、昼間に二人で襲撃すること。それができれば、勝てる」

 

 

遠野志貴はようやく思考から戻ってきたのかシエルに告げる。ロアの居場所を特定することが彼女に求めることだと。代行者であり、先代の転生者であるシエルだからこそできる役目。遠野志貴自身も城を探していた時期があったらしいが、蛇は狡猾であり、城を特定してもすぐに移動してしまうらしい。彼の繰り返しに中でも彼だけでは蛇を捉えることはできなかったのだと。

 

 

「いいでしょう。元々それがわたしの役目ですし。遠野君はどうするんですか? わたしに同行するつもりですか?」

「いいや、俺はアルクェイド・ブリュンスタッドにつく。蛇の方ばかりに気を取られて、彼女を無視するわけにはいかないし……」

「っ!? アルクェイド・ブリュンスタッドに接触する気なんですか!?」

「まさか。尾行するだけだ。いつ、蛇と接触するか分からない以上、アルクェイド・ブリュンスタッドの側から監視する必要がある。幸い、蛇と違って彼女がどこにいるか知ってるから」

「……リスクが高すぎませんか。見つかればただでは済みませんよ。例え人間が相手だとしても、彼女は容赦はしません」

「識ってる。でも、シエルさんには任せられない。そうすればきっと、余計な手間が増えるだろうし」

 

 

まるでシエルの答えを知っているかのように、遠野志貴は反論を封じる。恐らくは知っているのだろう。その結果どうなったかを。だが同時に、シエルは辿り着く。もう一つの答えを。それは

 

 

「―――遠野君。蛇と接触する前に、アルクェイド・ブリュンスタッドを滅することができればいいんじゃないですか。そうすれば、蛇は永遠になることはないのでは」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドを滅すること。それができれば蛇が脱皮することもない。結果よりも原因を。鶏よりも先に卵をどうにかすればいいのではないか、と。

 

 

「――――無駄だな。永遠になった蛇を相手にするよりはマシだろうけど、それでも俺達ではアルクェイド・ブリュンスタッドは殺せない」

「ですが、本物の遠野志貴は彼女を殺したことがあると。ならあなたにも――――」

「……無理だ。あれは、昼間に加えて遠野志貴が一般人だったことでできた完全な不意打ち。今の俺がやろうとしても、ナイフが届く前に十八に分割されるだけだ」

 

 

まるで、体験したことがあるかのように遠野志貴は口にする。だがシエルは悟る。そう、自分が考えるまでもない。彼は、自分とは比べ物にならない程に考え抜いている。恐らく、その答えも既に体験したもの。

 

 

「それでもやりたいなら一人でやってくれ。俺は、無駄なことはしない」

 

 

それが彼の答え。無駄はしない、と。蛇を殺す結果に結びつかないことは必要ない。

 

眼を閉じているにもかかわらず、その視線に射抜かれる。その光景に、シエルはある単語を思い出す。

 

 

(起源覚醒……彼は、それに近い状態になっているのかもしれませんね)

 

 

『起源覚醒』

 

魔術師の中には自らの存在の原型に達した者もいるという。彼は、それを魔術ではなく、強引に行っているのかもしれない。彼の起源がなんであるかは分からないが、きっとそれは彼にとっては避けて通れないものなのだろう。

 

 

「……分かりました。ただし、無茶はしないようにすること。これが条件です。いいですか?」

「ああ。無茶はしない。できることをするだけだ」

「そうですか……ではもう一つのお願いを教えてもらえますか?」

「もう一つ……?」

「……呆れました。もう忘れているんですか。二つ、わたしにお願いがあったはずでは?」

「そうだった……すっかり忘れてた。ありがとう、シエルさん」

 

 

本当に忘れていたのか、遠野志貴は驚いてすらいる。そんな彼の姿にシエルはどこか毒気を抜かれてしまう。先程まで知らず寒気がするような気配を纏っていた彼の姿が幻であったかのように。だがそんなシエルの感情は

 

 

「あと一つは簡単だ。シエルさんに、魔眼を抑える包帯を手に入れてほしいんだ」

 

 

彼のもう一つのお願いによって霧散してしまう。

 

 

「魔眼を抑える包帯……ですか? 一体何のために」

「直死の魔眼を抑えるために必要なんだ。こればっかりは俺じゃ手に入れられなくて」

「……何故、そんな物が必要なんです? もう眼を閉じているじゃないですか。なのに」

「いや、眼を閉じていても意味がないんだ。魔眼が強くなりすぎて、眼を閉じていても死が見えるから」

 

 

瞬間、今度こそシエルは言葉を失う。さも当然のように明かす内容は、とてもはいそうですかと聞き流せるようなものではないのだから。だが同時に全ての疑問が氷解する。何故彼がここまで眼を閉じて歩いてこれたのか。何故、ずっと空を見上げているのか。

 

 

「……眼を閉じていても、外の世界の死が見えるんですか?」

「ああ、開けている時に比べればマシになるんだが、やっぱり見えるのは変わらない」

「……なら、どうやって睡眠を取っているんです。目を閉じていても死が見えるなら、寝ることができないのでは……」

「よく分かるな、シエルさん。おかげで睡眠薬で強制的に寝るしかないんだ。まあ、動くのは夜だから昼間はずっと寝れるんだけど……意識を失くしてても負担はあるみたいだ。まあ、三日は持つだろうけど。それから先は運次第か」

「――――」

 

 

遠野志貴の言葉に、シエルは知らず息を飲む。三日。このままでは三日で自分が死ぬと分かっているにもかかわらず、彼には全く恐れがない。恐怖がない。焦りがない。

 

 

「――――遠野君、それは一番先にわたしに相談すべきことではないんですか?」

 

 

異常なのはその一点。彼の言葉が真実ならば、魔眼を封じる包帯、目隠しは最優先で手に入れなければならないもののはず。なのに彼はそれを二番目に、後回しにしていた。それどころか忘れてしまうほど。それはつまり

 

 

「いや、蛇を殺せないとそんなこと何の意味もないだろう」

 

 

彼にとって、自分の生死よりも『蛇を殺す』ことの方が重要であると言うこと。それ以外には無駄なこと。自らの命ですら、例外ではない。

 

 

知らず、シエルは思い出していた。つい先日、自分に問いかけられた命題。天使のような悪魔が、囁いてきた問い。

 

 

「――――遠野君、あなたは蛇を殺して生きたいんですか? それとも死にたいんですか?」

 

 

自らにとっての命題であると同時に、彼にとってもあてはまる命題。未だ自分はその答えを持ち得ない。なら、彼はどうなのか。持っているのか。もし持っているならそれは何なのか。シエルは純粋に問う。問わねばならなかった。それに

 

 

「……? よく分からないな。そんなの、どっちも同じだろう?」

 

 

『遠野志貴』は首をかしげながら、そう口にする。本当にその問いの意味が分からないかのように。

 

同じ。それが彼の答え。生も死も、等価値だと。そこに差はない。生きることも死ぬことも変わりはない。死ぬために生きるのか、生きるために死ぬのか。そのどちらも彼にとっては意味を持たない。意味を失くしてしまっている。

 

壊れている。狂っている。そう言った類の境地。世界を救うために、世界を滅ぼす結論に至る錬金術師のように。人を救うために足掻いていたのに、人の死を蒐集するだけになった僧のように。泣いている誰かを救いたかっただけなのに、永遠に泣いている誰かを見続けるだけになってしまった正義の味方のように。

 

生きるために足掻いていたはずなのに、いつの間にはどうやって死ぬかを求めている。自己矛盾であり、摩耗しきった操り人形。

 

 

「――――いいえ、それは違います」

 

 

それを、彼女は否定した。自らも未だ答えを持たないにも関わらず。それでも、それだけは違うと。自分自身と、何よりも彼のために。

 

 

「……え?」

「……何でもありません。とにかく、引き受けました。そうですね……二日、時間をください。それで何とかします。それまでは無理をしないように。待ち合わせ場所はここでいいですか?」

「ああ、それで頼む。あれがあれば、少しはマシになる。一週間は保つはずだ」

 

 

まるでシエルが持ってくる魔眼封じの包帯を知っているかのように遠野志貴は告げる。恐らく全て知った上でのお願い。自分が包帯を手に入れることも、それが二日後手に入ることも。それなら、こんなにも危機感がないのも納得できる。そうなら、どんなに良かっただろう。

 

一週間。

 

彼が口にした刻限。例え包帯をしたとしても、超えられない限界。それはすなわち、彼には蛇を殺したとしても先はないということ。彼はその先を見ていないということ。

 

 

「――――それではわたしはここで。連絡先は渡した通りです。何かあれば連絡してください」

「ああ、こっちも何かあったら連絡する。宜しく頼む、シエルさん」

 

 

振り返ることなく、シエルはそのまま飛び上がり、夜の公園を後にする。後には一人、ベンチに座りながら月を見上げている遠野志貴が残されるだけ。そうしているのは、ただそうするしかないから。

 

 

――――この世界において、彼が死を見ないで済む場所は空と月だけなのだから。

 

 

それが蛇に囚われた二人の邂逅の終わり。そして彼女の目的が一つ、増えた瞬間だった――――

 

 

 


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