【完結】どうしてこうならなかったストラトス 作:家葉 テイク
『さぁさぁさぁ! IS学園の皆さんグーテンモルゲ――ン‼‼ そんな感じで始まったよタッグトーナメント! 実況は皆のアイドル☆ マスター束さんがお送りしまっす!
ISアリーナに設置されている巨大オーロラヴィジョンに、機械的なウサ耳を身に着けた少女――少なくとも二〇代半ばのはずだが、そうとしか表現しようがない――が跳ね飛ぶ。実写のはずなのになぜか頭身が低く見えるのは、彼女の醸し出す雰囲気が幼いせいか。
『一般人には分からん台詞を吐くな馬鹿』
『びゃびゃ――――っ⁉』
脇腹に肘鉄というかなり地味な(しかし千冬がやる以上戦車の装甲すら貫通する)ダメージに、束は尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げる。
『もう、ちーちゃんは全体的に暴力が激しすぎるよ……いっちゃんあたりが見てたら逆にちーちゃんの方がツッコまれちゃうんじゃないかな?』
『篠ノ之(姉)。これから開会の挨拶なのだが、それ以上余計なことを言うようであれば私にも考えがあるぞ?』
『はいっ! 黙りますっ!』
コキリ、というありきたりな骨を鳴らす音に続いて何か謎の高周波の超音波めいた音(音源不明)が聞こえ始めた為か、束は顔を蒼くしながらも沈黙の体勢に入った。
『……さて。それではこれより、IS学園タッグトーナメントの試合を開始する。なお、一年生全員の試合を行う為今トーナメントは今日一日をフルに使う。その関係上、
ある意味どんな脅し文句よりも恐ろしい忠告であった。
『じゃあそういうわけでっ! これからの時間は当初の番組内容より大幅に変更して「
『おっとしまった。ついうっかり地上波だと規制に引っ掛かるグロさを披露してしまったぞ』
一面赤とピンクのモザイクに覆われた画面から、千冬の声だけが響き渡る。
…………そんなこんなで、波乱のタッグトーナメントが幕を開けたのであった。
***
「はあ……」
そんないつも通りの放送を見ながら、IS学園制服姿のイチカは憂鬱そうに溜息を吐いていた。
現在地は、本校舎前の大広場だ。ISの正面ゲートから校舎までは大型車両も通れるような広大なスペースが展開されているのだが、今日に限っては大量の来場者にお金を落としてもらう為か様々な出店が展開されており、座る為のベンチなども大量に並べられているのだった。
イチカが座っているのは、そんなベンチのうちオーロラヴィジョンが良く見えるポジションだった。
彼女が身に纏っているのは、IS学園の女子制服。しかも、普段着ているものと違って何故か千冬特製の特別仕様である。いつもよりほんのりスカートが短いのがイチカの精神力をがりがりと削っていた。
「……イチカ、元気出しなさいよ」
憂鬱そうな溜息を吐くイチカを慰めているのは、隣に座るツインテールの少女――鈴音だ。
「鈴、それだめ」
「……あっごめん。
あっけらかんとした鈴音に現状を再認識させられたイチカは、また肩を落とした。
そもそも、イチカは今IS学園の女子制服を身に纏っている。……試合に備えてISスーツを着ているならともかく、制服を着て『女の格好』をするという嗜好は普段のイチカは持ち合わせていない。
それというのも、昨日の夜に弾からもらったメールが関わっていた。
『困ったことになった』
そんな件名の弾のメールに、一抹の不安を覚えつつメールを開いたイチカ――当時は一夏だったが――は顔を青褪めさせた。
そこにはこんなことが書いてあった。
『明日、蘭を連れてIS学園に行くことになっちまった』
『はァァああああ⁉⁉』と悲鳴にも似た声を上げて寮監でもある千冬に怒られつつも読み進めた結果、メールの文面には以下のようなことが書いてあった。
なんでも、あの日イチカと弾の仲睦まじい様子を見ていた蘭はイチカがあっさり弾と別れたという事実を信じなかったらしい。蘭曰く『お姉みたいな初心な娘がお兄をあっさり捨てられるわけないでしょ‼ 絶対何か理由があるんだって‼ 何で直接会って話をしようとか思わないの⁉ この馬鹿お兄‼‼ 見損なったよ‼』とのこと。
このままだとマジで兄妹仲に深刻な亀裂が入ると判断したために弾は学園に赴かざるを得なかった……というわけだ。ついでに、イチカは蘭に『別れた経緯』とかを説明しなくてはならないことになっている。
弾を行かせるならともかく、蘭も同行するとなると大分強引だな……とイチカも思わなくもなかったが、おそらくそれほど蘭がイチカに入れ込んでしまった、ということなのだろう。人たらしは此処でも真価を発揮していた。
……いや、それは良い。
百歩譲ってイチカはその顛末は受け入れていた。自分が考えた嘘によって五反田兄妹があわや大喧嘩だったのだ。その火消しをする為に自分が泥を被るのを躊躇する程イチカの器は小さくない。
だが…………先ほども言った通り、イチカはメールを見た瞬間に開口一番悲鳴を上げてしまった為、千冬に怒られていた。つまり、千冬もイチカの部屋にやって来ていたわけで……問題のメールの内容もバッチリ確認されてしまっていたというわけだ。(もっとも、そうでなくともIS学園で行われるありとあらゆる通信は機密保護の為に一度情報部で検閲されるのだが)
結果、弾が蘭を連れてイチカに会いに来る――という情報は、一夜のうちに全校を駆け巡った。
お蔭でイチカ=チカということで蘭に真相を誤魔化すという体制を学園一致で行う流れになったのはイチカにとっても有難いのだが、変態的にはフリとはいえ男と付き合う展開は大きな波紋を呼んだ。セシリアはブチギレ、ラウラは感涙、シャルルは絶頂、簪は成仏など、一時はタッグトーナメントの開催すら危ぶまれる状況だったほどである。
そんな状況で蘭の対応もしなくてはいけないのだから、自分が撒いた種ということもあってイチカは非常に精神的に辛い状態なのだった。心の力で動かすISを起動させている関係で体調不良を訴え始める程度には。
なお、鈴音も鈴音で最初は不機嫌極まりなかったのだが、相手が親友である弾であったこと、あくまで『フリ』であるというイチカの必死の説得によって今のような状態になっているのであった。
それでもやっぱり、表には出していないだけで心にちょっとした棘は刺さっていたが。
「この後、弾が来るのよね?」
ナイーブになっていたイチカに思考を促すように、鈴音が言う。イチカは顔をあげるとこくりと頷いた。その顔色はやはりあまり良いとは言えなかった。
鈴音はやれやれとばかりに頬を掻くと、ぺしんとかるーく背中を叩いて喝を入れる。
「ほら、しっかりしなさい。あたしだっているんだしそんなにくよくよしてても仕方ないわよ。大丈夫、何とかなるって!」
「……そう、だな。うん、ありがとう鈴。気が楽になったよ」
まだ本調子ではなさそうだったが、イチカは何とか笑みを浮かべられる程度には気分を持ちなおしたらしい。と、鈴音はぱっと校門の方を見る。鈴音が素で展開したISの操縦者保護機能が雑踏の中に紛れているバンダナ装備の少年の姿を確認した。
「……来たみたいね。久々だから挨拶しときたいとこだけど、あたしがいたら進まない話もあるでしょ。席はずしとくから」
「ありがとう、鈴」
「気にしないで良いわよ。あたし達の仲でしょ」
そう言って、鈴音はあっさりと手を振りながら校舎の方へと移動していく。それと入れ違いになって弾がイチカに気付いてやって来た。
「久しぶりだなイチカ」
「おす」
朗らかに笑いながら目の前にやって来た弾を見上げながら、イチカは軽くはにかんだように笑みを作って片手を上げる。弾は特に断るでもなくイチカの隣に座りながら、
「ったく、参ったな。まさかこんなことになるとは思わなかったぜ」
「そ、そうだな……」
ベンチの背もたれに思い切り寄りかかった弾から男性用制汗剤の匂いがして、イチカは思わず座る位置を僅かにずらす。
弾はそんなことに気付かず、豪快に背もたれに肘をかけながら話を続ける。イチカが女の子みたいに足を閉じて縮こまってしまったのにも気付いていない。
「で、どうしようか。蘭はどうしてお前が俺のことをフッたのか聞く! って意気込んでたけどさ。……正直、IS学園に来られた時点で詰んでるよな?」
「……そういえば、お前蘭はどうしたの? 姿が見えないけど」
「あん? ……ああ、あいつには『先に俺が会って話をするから』って言ってある。だから、大体一時間くらい遅れて来るんじゃねーかな。だからその一時間までにどう蘭を切り抜けるかの対策を練らねば……!」
「ああ、そうだな」
明らかに気温の暑さとは違う原因で汗を流している弾に、イチカは真面目な表情で首肯する。そうして作戦タイムが始まった。
「ええと、フッたっていうのがまず信じてもらってないんだったよな?」
「ああ。『お姉はそんな人じゃないから』って。まあ俺もそう思うよ。あのキャラで速攻でフりましたってのはちょっと無理ある」
「じゃあどうするんだ? フッた理由を考える?」
「そうなるな。まあ俺がフッたってことにしても良いけど」
鷹揚に頷いた弾がちょっと偉そうだったので、イチカは弾の脇腹をつねった。
「いてっ! この野郎っ」
「偉そうにするなよ。……で、フッた理由だけど」
イチカはそう言って一旦間を開けて、
「……弾が予想以上にヘタレだったからっていうのはどうだ?」
「『どうだ?』じゃねーよ‼ それどういうことだよ‼」
「いやほら、この間も結局据え膳食わなかったし……」
「紳士‼ そこは紳士的って言えよ馬鹿! っていうかお前あれ据え膳のつもりだったのかよ⁉」
「結果的にだよっ‼」
思わぬ痛い所を突かれたイチカは顔を赤らめながら弁解する。……これ以上はたがいにとって不毛なやりとりになると考えたのか、二人はどちらからともなく沈黙した。
「……まあ真面目な話、多分それは無理だぜ。蘭の奴はそういう『普通に軽い理由』でイチカが俺をフるのがあり得ないって言ってたんだからな。多分、それじゃあ納得しない」
「それでもゴリ押しで行ったら? 俺は失望されるだろうけど、蘭も諦めてくれるんじゃないか」
「…………良いの?」
「そりゃ、俺が撒いた種なんだし」
イチカの顔色は全然良さそうじゃなかったが、それでも堪える意志は見えた。とはいえ、紳士でありたい五反田弾としてはそういうヘタを(ガワだけでも)可愛い女の子に掴ませるわけにはいかない。
それに、
「多分それでもダメだろうな。アイツ、あれでかなり頑固だから……しびれを切らして自分の手で調査したりするかもしれねー」
「……でも、女の子一人の力でどうにかなるもんか?」
「あれでもアイツ、圧倒的支持率で中学の生徒会長やってんだぜ。人望もあるし能力もあるよ。下手するとお前の正体までたどり着かれるかもしれねーぞ」
「…………」
イチカはそう言われて、黙って想像してしまう。
イチカ=一夏であると突き止められ、蘭に『本当は一夏さんだったのに、黙って私の事騙してたんですね! 最低! お兄もグルだったなんて! 死ね‼』と言われる暫定未来を。……それだけは絶対に避けたかった。
(いや俺だけが嫌われるんなら仕方ないけど、弾にまで迷惑かかっちゃうからなぁ)
弾が聞けば『お前を嫌うことでも蘭は傷つくんだよ』とフクザツな女心を教えてくれただろうが、しかしそうではない以上朴念仁たるイチカがそこに気付くことはない。
「でも、それじゃあ下手に誤魔化すのも悪手……少なくとも蘭が納得する理屈を作らないとダメってことか」
「というよりは、『お前があの日演じた小村チカの人格に相応しい理由』だな」
「む、難しい……」
『あの日演じた』と言われてもイチカはぶっちゃけそんなに演技したつもりはなかったし(演技する余裕がなかった)、演技しようとして演技しきれなかった素の自分が考えるであろう理由なんて朴念仁のイチカに分かるはずもない。
「そうだなぁ、『寮生活のせいでなかなか会えないのが切なすぎていっそ別れたくなった』とかどうよ?」
「ええ、やだよ! そんな女の子みたいな……」
「いや、今お前女の子だろ?」
「中身は男だって話だよ‼ それに、むしろそっちの方が『らしくない』だろ⁉ 俺そんな演技できないぞ多分……」
弾は憤慨するイチカを宥めるように肩を叩き、笑いながらイチカの瞳を覗き込む。
「まあまあ。わりと似合うし様になると思うぞ?」
「なっ……」
「でもまぁ、そうだなぁ……」
すっと視線を横に向け、思案に耽る弾。イチカはそれを見てやっと呼吸を落ち着けることができた。
「そうだ! ISに専念したいから一旦別れる……とかはどうだ?」
「いや、それってかなり無理があるというか時代錯誤だと思うぞ」
「今の時代に男が女を守るとか言っちゃうお前がそれ言う?」
「それとこれとは話が別!」
「じゃあ、イチカは何か案あるのかよ?」
「う――ん……。不治の病だと判明したから別れたとか……」
「お前も大概女の子みたいな理由だぞそれ! 発想の方が!」
まるで恋愛映画みたいなのであった。いや、いまどきこんなベタベタな展開はないが。
「そんな、でも、こういうのって王道だろ⁉」
「王道すぎて逆に怪しいっつーんだよ! あとそれやると蘭が余計引きずる!」
「あっ……そうか……」
そう言われて、イチカははっとした。確かに、気に入っていた兄の彼女が急に兄をフッたと思ったら不治の病でしたとか、あまりにも劇的すぎて蘭も流すに流せなくなるだろう。そういう意味では本末転倒である。
「んーじゃあ……」
「こういうのとか……」
あーでもないこーでもないと、二人は意見を出し合っていく。
だが、結局答えは見つからないまま、時間だけが過ぎていくのだった。
***
「……ぬぐぐぐぐううう……‼ あの男、イチカさんにべったりと……うらやまふざけていますわ……!」
「せっしー、お願いだから突撃とかしないでね~」
「しませんわよ! 趣味ではないですがNLも嫌いというわけではありませんし!」
「そうじゃなくってね~」
そんな二人を見守る影が二つ…………どころか数千ほどあったのだが、それは常人には分からないことである。
***
『さあーてさてさて! お次はこのカードだよー!』
オーロラヴィジョンから束の声が聞こえて来るのを、イチカは試合会場で聞いていた。
結局……具体的な対策は見つからないまま、試合の時間が来てしまった。何とか試合を延期できないかと方法を考えてみたイチカだったが、常識的に考えてイチカ一人の都合で試合の組み合わせを変えることなど許されない。観念して『アドリブでやろう、この前もアドリブだったんだし』と弾と確認して、此処までやって来た。
「チカ、準備は良いわよね」
「当然だろ」
隣に並び立つ鈴音が、常とは違う獰猛な笑みを浮かべながら問いかけて来る。……もう、当然のように『チカ』だった。こういう風に織斑イチカではなく小村チカとして扱われると、なんだか自分が本当に女として学園で生活しているような、そんな不思議な感覚になって来る。
蘭の件も併せてかなり不安だが……もう試合は始まっている。思考を切り替えなければいけない、とイチカは思う。
そんなイチカの前に立ち塞がるのは――――、
「さ・て。素晴らしい光景に素晴らしいシチュエーション、はっきり言って今の私の変態力は通常の数千倍だぞ……‼」
「ラウラ、昨日からこんな調子なんだよねぇ……。まあ僕もなんだけど」
ラウラ=ボーデヴィッヒとシャルロット=デュノア。
「お前達と一回戦からぶつかるって聞いたときはちょっと焦ったぜ」
「私は嘆いた。何せチカの勇姿を見られるのがたったの一回だけになってしまうのだからな……」
「へっ、言ってろ!」
余裕綽々でアンニュイに浸って見せるラウラに、イチカが不敵に笑い返したと同時。
『では双方――――試合開始ッッッ‼‼』
千冬の宣言が、戦場に響き渡る。
先に動いたのは鈴音だった。
「喜びなさいアンタ達、チカの活躍ならこれからいくらでも見れるわよ。アンタ達は此処で墜ちるんだからねッ‼」
ドッ‼ と不可視の弾丸が、まるでマシンガンのように無数にばら撒かれる。しかしそれは単なる弾丸ではない。それ自体が攻撃力を持った『圧力フィールド』。つまり、防御しても空間全体にかかる圧力でどのみちダメージは受けることになる。そして一度でも防ぎ損ねれば、後は延々攻撃を叩き込まれる無限ループが生まれてしまう。
「チッ……‼ 厄介な……!」
「こちとらイグニッションプランに対抗する為に中国の技術の粋を集めて作ってんのよ! そう簡単に対策されて溜まるモンですか!」
しかし、相手側もただ黙って鈴音の思惑に乗るわけではない。
「ラウラ、よろしく!」
「こんなに早く使うハメになるとはな……予想以上に中国の第三世代兵器が進化していた、か」
ラウラは手を翳し、世界に命令するように言う。
「『停止結界』ッ!」
その瞬間、イチカは本当に世界が一瞬停止したような錯覚を覚えた。
鈴音の予測していた着弾や無理な回避行動は、ない。
「チッ……! 『龍砲』はエネルギー兵器よ⁉ 形状変化は考えてたけどまさか停止対象が拡大してるなんて……!」
「鈴! 躱さないと次が来る!」
「言われなくても分かってるわよ‼」
二人がその場から退いた瞬間、二人の頭上に回り込んだラウラとシャルロットが銃撃を開始する。イチカの『零落白夜』を警戒しているのか、二人そろって実弾による攻撃だ。
「クソ……何がレールカノンだ! 殆どガトリングじゃないか⁉」
「差し詰めガトリングレールカノンってとこね……そんなところを気にしてる場合じゃないわよ! 今の射撃に対応しようとしてる隙にドイツ軍人がもう一発かまそうとしてる!」
「う、うわあ⁉」
殆ど空中を転がるようにしてイチカと鈴音はラウラの『AIC』を避けていく。その合間にも鈴音は『龍砲』で牽制を繰り出すが、そのたびに『AIC』で止められてしまう。
「フハハハハ‼ どうした! この程度か!」
「悪役みたいな笑い方するヤツね……!」
「あはは……ラウラってばこういうの好きだよね結構」
「逃げるなチカ! お前の動きを止めてあんなことやこんなことをしてやるから! 時間停止AVみたいに! 時間停止AVみたいに!」
「ちょっ馬鹿‼ 越えちゃいけない一線考えろよ⁉」
思わずとんでもないことを口走ったラウラに、イチカは焦りながらツッコミを入れる。一応この模様は全世界同時中継なのだがラウラはそのことに気付いているのだろうか。まあ、変態相手に羞恥心を期待するだけ無駄なのかもしれないが。
「おいゴルァ! 誰だウチの隊長に妙なこと吹き込んだ命知らずは‼」
……観客席で何やらものっそい叫んでいる女性客がいるが、そこはあんまり気にしちゃいけないだろう。
「……ええい! 来るなら来い! 『零落白夜』で切り裂いてやる!」
「馬鹿! チカ! こんなとこでエネルギー無駄撃ちすんな!」
(銃撃にではなく変態発言に)痺れを切らして刀を構えたイチカを、鈴音は引っ張って押さえつける。
「じゃあどうしろっつーんだよ⁉」
「あたしが囮になる!」
そう言って、鈴音はイチカの反応も見ずに単身二人の方へ突っ込んで行った。
『龍砲』によって自分に当たる銃弾だけを弾き最短ルートで移動する鈴音は、明らかに囮だが放っておけば確実に喉を食い破られる。当然、二人の対応もそちらに集中せざるを得ない。
だが……いかに中国次期代表に上り詰めた鈴音とはいえ、軍のIS部隊で隊長を務めていたラウラに、急造とはいえフランスの次期代表であるシャルロットを相手取って勝利することなど不可能だ。徐々に、機体に傷が入って行く。
「貴様の騙し討ちは不可視の『龍砲』を起点としたものだ。人は見えないものを恐れる。だから対戦相手の注意は『圧力弾』そのものに移り、それゆえに騙し討ちされる隙を生む。……だが、対策は簡単だったんだ。その『龍砲』の動作から稼働状況をサンプリングすれば良い。ご苦労だったなシャル。お前の精密射撃のお蔭で、『龍砲』の稼働状況のサンプリングは完了した。そちらにデータを送る」
「チッ……‼ せっかく不可視だってのに機体の方を見られて発射を先読みされてちゃ何の意味もないでしょうに……!」
「それが開発途中の試作機の脆さというものだ」
注釈しておくと、『龍砲』の稼働状況など、常人ではスロー再生でじっくり見たとしても分かりっこない微々たる変化しか起こさない。だが、ISの超精密なセンサーと軍人としてのラウラの卓越した観察眼がそれを捉えることを可能とした。
「シャル! 私はこの中華娘にトドメを刺す! お前はチカをやれ! いいか、ISアーマー全剥きだぞ! 分かってるな‼」
「当然! 薔薇色の演出つきだね‼」
「いやそれは別に良いんだけど……」
「好き勝手言ってくれるな……だがラウラ、試作機で脆いのはお前も一緒だぜ‼」
ドッ‼‼ と。
イチカは超速度でアリーナの地面に着地する。
ISは高速で移動するが、その重量は数百キロ以上もある。正直なところ巨大な戦艦であったとしても『ISが体当たりするだけで轟沈する』ような代物だ。そんなものがアリーナの地面に着地すれば……。
当然、地面は砕け土煙が戦場全域を覆い尽くすことになる。
そんなことをすれば対戦相手の目視は困難になるが、そもそもISには光学センサーの他にも電磁センサー、温感センサー、音波センサーなど様々な方式のセンサーが備えられている。たかが土煙程度で『ISの目』を潰すことはない。
「お前の『AIC』の弱点……それは掌から先の『空間全体』に無差別に作用すること! さっきお前らが『圧力弾』を停止した直後に攻撃を繰り出さず、わざわざ俺達の上に回り込んで攻撃したのだって、『空間全体に作用しているから解除しないと自分達の攻撃まで停止させてしまう』から移動して射線を開けざるを得なかったんだ!」
無差別――つまり、土煙が戦場を覆い尽くしているこの状況では、『AIC』が真っ先に留めるのは土煙、ということになってしまう。そして、複合方式のセンサーであれば土煙が停止したことを感知するのは容易い。つまり、弾道を読める――ということになる。
そうなれば、ISのスピードが『AIC』を躱すのは容易い。
「ば、かな……ッ⁉」
そして、得意技を破られたラウラの隙を突くのもまた、ISならば容易い。
いかにISが超高速とはいえ、操るのは人間。そして、驚愕によって消費された刹那は万全のISにとっては那由他にも匹敵するのだから。
「食ら、えェェえええええッッ‼‼」
ゾバァ‼ と、イチカの剣閃が、ラウラを両断する。
「ラウラ‼」
「あんたの相手は、こっちだっつーの‼」
ゴンガン‼ と連続して金属音が響く。シャルロットもまたラウラの援護に出ようとしていたが、鈴音によって阻まれていたのだった。
「チカ、やった⁉」
「いや駄目だ! 一瞬早く飛び退かれた! 傷は浅い!」
運が悪かったと言うべきか――いや、この場合は軍人たるラウラのとっさの判断を褒めるべき場面だ。ISアーマーを袈裟斬りにされたラウラは、それでもまだ不気味に空中に佇んでいた。
「………………う、そだ……」
しかし、その様子はどこか危うかった。
「嘘だ……このわたし、が……」
「ラウラ……?」
「ハンッ」
おそるおそる相手の様子を伺うイチカに、鈴音は逆にラウラを嘲笑うように鼻で笑う。
「おおかた、格下相手にあっさり一太刀入れられてプライドが許さないんでしょうよ。自分は軍人だから、こんなところでごっこ遊びしている学生なんかには絶対負けないとでも思ってたんじゃないの? プライド高い奴ってのは、一度折れると脆いからね」
そう言うが――次の瞬間ラウラが見せた感情には、流石の鈴音も度肝を抜かれた。
「この私が‼ チカに時間停止AVみたいなことをできないだと⁉」
眼帯に覆われたラウラの左目から、血が流れていた。
いや、これは単なる血ではない…………『血の涙』だ。ラウラの強烈な絶望が、イチカに時間停止AVみたいなノリでえっちなことができないという事実が、彼女にこの上ない絶望を齎しているのだ。
というかそのボケ、まだ続いてたんだ……とイチカは思うが、ラウラの絶望はさらなる段階まで沈んで行った。
***
(私は……負けるのか?)
イチカに『AIC』の弱点を見破られた瞬間、ラウラの心を支配したのは絶望だった。
確かに『AIC』はもはや当たらないが、それは『龍砲』も同じこと。『シュバルツェア・レーゲン』はワイヤーブレードやプラズマ手刀などの近接武装も充実している。ガトリングレールカノンなどの実弾兵器もあるから、まだ勝負は分からないだろう。
だが――ラウラにとって、イチカの身体に合法的にセクハラをかませる千載一遇のチャンスで変態行為以外で勝利するのは、もはや敗北以外の何物でもなかった。
格下相手だから……とかいう見下しではない。それが、変態のサガなのだ。たとえギリギリの勝負だったとしても、イチカを前にしたらそういう行為をしないとそれは負けでしかないのだ。それができなくなった時点で……どうしようもなく負けてしまっている。
だが、ラウラはそれを認めなかった。
(私は、負けられない。こんなところで負けられない!)
思い出されるのは、千冬を教官と仰ぎ師事した日々。
ISの発明と普及に伴って適性向上の為に施された
――――そんな教官……千冬と別れた後、ラウラの楽しみはそんな凛々しい千冬が弱弱しくしているという妄想をして、そのギャップと己の憧れを穢している背徳に快感をおぼえることだけになってしまっていた。
そして――やっと見つけた『理想の女の子』。
絶対に、絶対にこんなところで止まる訳にはいかないのだ。此処で女の子の喜びを覚えさせて、TSっ娘の最高の幸せを味わわせてやるのだ‼
その為ならば、何でもする。何だってやる。だから、
(力が、欲しい――)
そう考えた瞬間、ラウラの心の奥底で何かが蠢いた。
そして……『そいつ』は言った。
『――あれ、お願いしちゃう? どおーっしよっかなぁー。束さんってばチョー忙しいし。どうしてもって言うんだったら考えてあげないこともないけどぉー』
……『そいつ』っていうか、束だった。
VTシステム関連の粛清の時に束に色々と世話をしてもらったとはラウラの談だが、その『世話』というのがこれである。ぶっちゃけ、遊び心で仕込んでいただけだが。
「ど、どうすれば力をくださるんですか……?」
『土下座してお願いすればやってあげよっかなぁ~』
「…………」
『あっごめん! 此処ってちーちゃんいないからいつもの暴力ツッコミ来ないんだった! もー、調子狂っちゃうなー』
「やれば良いんですか……?」
『ああ良いから! えーと台本台本……コホン。汝、自らの変革を望むか! よりおぞましい変態を欲するか!』
「言うまでもない……力があるのなら、それを得られるのなら、私は何でもやる‼ 何でもだ‼」
『言質とったよ‼‼ 束さんトレースシステム
Damage Level=A
Mind Condition=Uplift
Certification=Clear
The agreement of the start condition was confirmed.A system is started more than this. Please be careful about the psychological numerical value of the wearer.
***
俯いたラウラは、ぽつりと呟いた。
「……認めない」
「ッ⁉ チカ、なんかヤバい! 早くアイツにトドメを‼」
「このまま決着なんて、そんな真っ当な展開は、絶対に認めない‼‼」
そして。
ラウラは――――弾けた。