綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

30 / 156
ここにいる

 滝の音が星空に木霊する丑三つの時。長髪を柔らかな風に乗せた二人は、驚くほど落ち着いた様子で、互いの視線を絡め合った。月明かりが照らすその光景は幻想的な美しさを孕みながらも、訪れようとしている激突の予感に、張り詰められた空気の振動を感じさせる。

 

「サクモ、邪魔をすれば殺すと言ったはずだ。私は急いでいる……そこをどけ」

「どかないし、行かせない。ふんじばってでも、君を里に連れて帰る」

「……ならば貴様は私の敵だ」

 

 アカリの瞳が赤く染まり、三つの巴が浮かび上がる。

 

「カガミ先生と同じ、三つ巴の写輪眼か」

「カガミ……か。奴は己が弟子すら守れなかった出来損ない。奴との繋がりなど、考えただけで反吐が出る」

 

 憎々しげに吐き捨てたアカリは、スリットの入った着物を肌蹴させ、太ももに巻きつけていたホルダーから巻物を取り出した。空中で広げられたそれはぼふんと煙をあげる。煙の中から現れたのは、人の背ほどもある、巨大な棍棒。

 

「大きいな」

「畳間の木遁を破壊するために用意したものだ」

 

 満足げな笑みを浮かべ、アカリは棍棒を巧みに操る演武を披露して見せた。

 

 石の破壊音。柱間の石像、その頭頂部に罅が入る。演武の終演、アカリが棍棒を足元に叩きつけたのだ。大きく足を開き、地に伏せるように、アカリは身を低くしている。けれどもアカリの体は、足裏以外は地に触れていない。不安定な体勢でアカリを支える二本の脚は、鞭のようにしなやかな筋肉の脚線美。

 サクモははっと我に返った。月下の元に見るその舞いは、あまりにも美しかったのだ。

 

「そうさ……」

 

 ゆっくりと立ち上がったアカリは、ずっと下を見つめていた。流れゆく水を見つめているようで、その実、どこも見ていないのかもしれない。

 

「畳間は私がやっと手に入れた”唯一の”絆だ! 私から”最も親しい者”を奪おうと言うのなら……。サクモ、貴様でも……ッ!!」

 

 アカリを突き動かすのは、日常と言う”愛”を喪失することへの恐怖心だ。

 孤独に酔っているあの頃ならば、恐怖など在りはしなかった。千手一族が悪いと言い聞かせていたあの頃ならば、恐れるものなど何もありはしなかったのだ。

 守るべきもの、大切なものの存在が、うちはアカリを弱くした。

 

 畳間がいたから、彼のおかげでという気持ちは、反転すれば自分では何もできないのだと言う、究極の自己否定となる。うちはアカリは自分という存在を否定した。自身の持つ繋がりはすべて、千手畳間と言う中継点があってこそ成り立つ仮初であると、考えてしまった。

 逆を言えば、それは自主性を持たないということ。すべての理由に畳間を使うことで、”だいたいのことは畳間が悪い”と己に言い聞かせ、自己保身に走ることが出来る。だからアカリは口にする。出来の悪い畳間には、うちはアカリが必要だと。そうやって己という存在を確立し、アカリは必死に存在を守り続けて来た。

 

 すなわち―――『うちはアカリは、人間関係のすべてを千手畳間に依存している』。

 

 それは畳間がいなくなれば瓦解する幻想であり、今、そのときが来た。

 

「アカリ、君を行かせるわけにはいかない。僕の心、そして……君自身のためにも」

 

 痛ましげに目を伏せたサクモは、胸の内に滾る熱い想いを抱きしめる。次にサクモが顔をあげたとき、その瞳には仲間を想う心、火の意志が揺れていた。

 その光が、アカリは気に入らない。なにもかも見透かしたような瞳。その奥に在るものがなんなのかを、アカリは気づかない。最高の瞳術・写輪眼でさえ見通せないのは、アカリの瞳が曇っているからだ。アカリの瞳には、深い闇が良く見えた。

 

「私のためだと!? 貴様に私の何が分かる! 畳間だけだ! 畳間だけが!! 畳間こそが、私を見つけた、ただ一人の……!!」

 

 顔をあげたアカリの、憤怒に囚われたような、恐ろしげな表情。けれどサクモにとってそれは―――。

 

「なあ、サクモ。お願いだから、行かせて……。畳間に会わせて……」

 

 ―――泣き出しそうな少女の慟哭にしか聞こえない。

 例えるなら、迷子の子供。進むべき道も、帰るべき場所も分からない哀れな少女。その先に闇しかないと知りながら、進まずにはいられない。

 

 サクモには、はっきりと分かった。アカリは今、闇の中にいる―――。

 

「アカリ、僕はね……。蜘蛛の糸を必死に手繰り寄せようとしている君を、天から覗くだけでいたくない」

 

 畳間がいない今、アカリを止められるのは、この数年間を共に過ごした、はたけサクモを措いて他に無い。うちはカガミでは近すぎる。山中イナでは遠すぎる。それは友として、仲間として、そして男としての、サクモのプライドでもあった。

 アカリは放って置けば、金角・銀角を見つけ出し、殺そうとするだろう。だがいくら写輪眼が成長したとはいえ、敵は”影”に匹敵する者たち。アカリでは勝ち目など在りはしない。それでもアカリは立ち向かい、殺される。幼いころ、無謀にも角都に立ち向かい殺された、かつての友の二の舞いは決して踏ませない。踏ませるわけにはいかない。あの日以来、力を求めたサクモ。貫くと決めた忍道は―――命を賭けて、大切な友を守り抜く。

 

 サクモは額の包帯をゆっくりと解いていく。白銀の髪が拘束から解放されて、その長髪が風に躍った。サクモは静かに腰から短刀を鞘ごと引き抜くと、逆手で眼前に構えた。その体を電光が纏い、チチチと、暗闇を引き裂いた白光が鳴く。

 

「抜かんのか、サクモ。私程度、それで十分ということか? 舐めるなよ……ッ!!」

「怒ったかい? それはこちらも同じだ。実は一つだけ、カチンと来たことがあってね」

「お、怒っただと?」

 

 明確に怒りを突きつけられて、アカリは少し狼狽える。

 

「そう。僕はあんまり怒らないタチだけど、こればっかりはちょっとカチンと来たかな」

「ふざけるなよサクモ。それは……私とて同じだ」

「そうだね、だから―――僕たちは戦うしかないみたいだ。互いに力と心を振り絞り、ぶつかりあおう。盛大な喧嘩をしようじゃないか」

「け、喧嘩だと……。ふざけるなよ、サクモ。カガミ並に目障りな奴め!!」

「それはつまり、カガミ先生並には親しみを感じてくれてるってことかな」

「くっ、黙れ! ……いいだろう、サクモ。その口、動かぬようにバラバラにしてやる!!」

 

 アカリの体が、蒼い炎を纏う。サクモの感知に、巨大な圧が引っかかる。燃え盛る炎、爆発的に発生したチャクラは、けれどもとても安定している。性質変化と、形態変化を同時に行っているアカリの手並みに、サクモは知らず舌を巻く。思ったよりも手間取りそうだと、その認識を改めた。

 だが、刃は抜かない。これは喧嘩。分からず屋な友達に拳骨を落とすための、決死の喧嘩だ。

 

「君を一発ぶん殴ってから、一つだけ、訂正させてやる」

 

 穏やかに笑い、表情を引き締めた。ここでの失敗は、第六班の未来に直結する。そして、アカリの人生にも。それはサクモが背負うべきものでは決して無い。ただ友として仲間として、アカリの哀しい認識を叩き直すことくらい、赦されると思うのだ。

 

 

 白光と蒼炎の戦いは、まるで演劇のように美しいものだった。

 チャクラや術の規模にものを言わせた戦術を取る畳間と違い、二人は少ないチャクラを効率よく運用することに重点を置き、必殺の一撃を研ぎ澄ませてきた。扉間の弟子である畳間よりも、二人は扉間に似たバトルスタイルである。

 

 咄嗟にしゃがんだサクモの顔面があった位置を、風を切る棍棒が通り過ぎた。直撃すれば頭部だけ蹴鞠のように吹き飛んでいきそうな勢いだったが、サクモは眉ひとつ動かさずにそれを躱した。腰を低く構えたその流れのまま、サクモは短刀の鞘を水月に向けて叩き込もうとするが、アカリの膝蹴りを察し、防御を余儀なくされる。咄嗟に腕を交差させることで奇襲を受け止めたが、アカリの脚力は想像以上に凄まじく、サクモは防御の上から吹き飛ばされて宙を舞った。サクモは苦しげに呻きをあげて、衝撃を殺すために自ら仰け反る。だが―――

 

「瞬身の術かッ!」

「遅いわ! ふっとべ!!」

 

 瞬身の術を使ったアカリが、吹き飛んだサクモに追従し、仰け反って剥き出しになった腹部に棍棒の一撃を叩き込む。サクモは咄嗟に両腕で腹部を守るが、勢いは殺しきれず、さらなる加速と共に吹き飛んだ。まるで水切り石のように水上を滑るサクモの脇を、凄まじい勢いで景色が流れていく。

 防御した腕の痺れが酷い。なんて馬鹿力だと、サクモは内心で悪態を吐いた。

 

「滝……ッ!」

 

 水切り石のように水上を滑っていたサクモは、遂に川を突き抜けて、終末の谷の空へ飛び出した。空中で向きを変え、着地できるように体勢を整えていたサクモの上空に、蒼い人影が月光を遮る。

 

「アカリィ!」

「消えろ、火遁・豪火球の術!!」

 

 凄まじい勢いで印を結んだアカリは、巨大な火球を吐き出して、サクモへと叩きつけた。サクモは成すすべなく火遁に呑みこまれると、羽をもがれた蜻蛉のように、滝壺へと墜落していく。

 消えたサクモを見送り水面に着地したアカリは、消えた表情で、千手柱間の像を振り返った。

 

「馬鹿……。 ……なんだ?」

 

 にわかに、アカリの足元の水面が泡立った。

 

「これは滝の泡では無い!」

 

 アカリはすぐさまその場を飛び立って、目前に迫った苦無を棍棒で弾き飛ばした。凄まじい速さで水上を駆け抜けるアカリの後ろから、水の龍が咢を広げて襲い来る。

 

「水龍弾……サクモの術か! ええい、なまっちょろいわ!!」

 

 アカリは走りながら反転し、水龍の顔面を、炎を纏った棍棒で薙ぎ払う。本来ならば性質的に不利であるはずが、アカリはその卓越した力で上回ったのである。

 

「その程度の奇襲がうちはに通じると思っているのか、浅はかな奴め……。 なにィ?!」

 

 次の瞬間、アカリは水中より飛び出した手に足首を掴まれて、水中に引きずり落とされる。突然のことに驚き、水中で空気をごぼごぼと失い、まずいと焦り出す。足元を睨みつければ、にやりと笑ったサクモの憎らしい笑顔。

 

 アカリはこめかみに血管を浮かべ、自分から水中へと進んでいく。水中では忍具をまともに使うことが出来ず、二人の戦いは、徒手による組手へと移行した。

 拳を払い、蹴りを撃ち落とし、肘を受け止め、膝を迎え打つ。互いに譲らぬ攻防は続き、武の応襲は止まらない。

 アカリから放たれた顔面への一撃を、サクモは鞭のような腕捌きで、上段へと払い飛ばした。その勢いを利用してサクモはアカリの腹部へ掌底を放ったが、アカリは払い飛ばされた腕を曲げ、ひじ打ちをサクモの頭部へと振り下ろす。

 

 腹部と頭部。互いに急所へと攻撃を受け、少なくない空気を吐き出した。溜まらず水面へと向かうアカリは、最初に失った空気のぶんで不利。息苦しさのあまり、アカリはたまらず口元を抑えた。

 次の瞬間、凄まじい水圧がアカリを襲い、アカリは体を打ち付けられたような痛みと衝撃とともに、水上に吹き飛ばされた。鼻や口に勢いよく水が浸入し、体内の空気を奪われたが、その直後にアカリは空中に投げ出された。

 

「はッ、はっ、はっ」

 

 剥き出しの岩肌に張り付いたアカリは、久しぶりに味わう酸素を必死に取り込むために、肩を大きく揺らした。背中には衝撃による痺れが残り、余計に苦しさを増した。

 

「奴はどこだ……!?」

 

 アカリはすぐさまチャクラを練り上げて拳に炎を纏い、その鋭く研ぎ澄まされた真紅の眼で、ぎょろぎょろと周囲に視線を配る。

 

「くそ……チャクラが……」

 

 水中からゆっくりと現れたサクモは、まるでそこが陸地であるかのように水面に肘をつき、乗りあがった。水面に寝転んで、震える体に鞭打って、辛うじて膝立ちにまで漕ぎつけた。サクモもまた苦しげに肩を上下させているが、それは息苦しさが理由のすべてでは無い。

 

「ぐ、傷が……」

 

 膝立ちであったサクモが、ふらりとバランスを崩す。片手で体を支え、もう片方の手で、側頭部を抑えた。生温かい感触―――それは人肌に温められた水ではない。サクモの銀髪が、朱色に染まる。

 はたけサクモは病み上がりどころか、怪我が完治していない。モロに打ち抜かれたサクモの傷口は開き、鋭い痛みを発していた。

 

「チャンスか……? さらばだ、サク―――」

「土遁・追牙の術!」

「が……なにィ!?」

 

 岩肌に張り付いていたアカリが懐から苦無を取り出した。殺す気はない。ただ、脚一本を頂いていく―――。そう思った矢先、アカリは背中から、重い衝撃を受けた。張り付いていた足裏は岩肌から離れ、支えを失ったアカリは成すすべなく、水面へ向かって吹き飛んでいく。

 なにが起きた―――アカリがぎょろりと向けた視線の先にいたのは、犬。

 

「助かった……、パックン」

「おめえさんがそこまでやられるたァな。あの娘っ子、さすがはうちはってところか」

 

 しゃべる犬、忍犬―――パックンは、感心したように、己が吹き飛ばした女の方角を見つめた。サクモは傍に駆け寄って来たパックンに礼を伝えると、ゆっくりと立ち上がった。

 いつの間に呼び出していたのかといえば、始めからである。ある少女から譲られ、口寄せの契約を交わしたこの忍犬を、サクモはただの犬として草陰に潜ませて、もしものときの切り札として用意していたのである。

 

「―――サクモ、右だ!」

「しまッ……!?」

 

 突如として飛来した炎の弾丸が、サクモを弾き飛ばした。直撃の寸前で飛びのいたものの、完全に回避することは出来なかった。熱気と飛沫に襲われたサクモは、目に入った水と言う異物により、一瞬視界を奪われて―――背後。サクモの背中を直撃する軌道で薙ぎ払われた棍棒に、対応するのに遅れた。

 

「―――パックン!」

 

 主の危機を、忍犬が庇った。サクモを押しのけると、棍棒の一撃をその身に受けて、パックンは煙と共に姿を消失させる。

 サクモはすぐさま心機を入れ替えて、自分を襲撃するアカリへと意識を向ける。そして―――さらなる追撃の一撃を、サクモは完全に見切る。高跳びの要領で棍棒を回避したサクモは、自分の体の数センチ下を過ぎていくそれをすれ違いざまに掴み、強引に己の体の軌道を変えたのである。

 

「に、人間の動きでは無い!」

 

 驚愕に目を見開いたアカリに、サクモは構っていられない。振り払われた棍棒の動き、その流れに身を任せつつ、サクモは棍棒の上で逆立ちに体を持ち上げた。鍛え上げられたしなやかな肉体が生み出した、凄まじい動きである。

 

「しまッ……!?」

 

 サクモが放たんとする次の一撃に気づいたアカリが、咄嗟に棍棒から手を離そうとしたが―――もう遅い。

 サクモは指先で器用に向きを変え―――振り上げた脚を、鞭の如く振り下ろした。それを、ただの踵落としと思うなかれ。

 骨の軋む音に、女の呻き声が重なる。アカリの肩を袈裟切りにしたサクモの斬蹴りは、アカリの体を吹き飛ばした。

 今度はアカリが、水切り石のように、もんどりを打って吹っ飛んでいく。水しぶきが舞った。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 二つの、荒い呼吸音が響く。水で濡れた体に、ぴったりと張り付いた衣服。血は水で流されて、打撲痕は冷やされて引いている。一見すると怪我の無いように見える二人は、けれども苦しげに喘ぎをあげていた。

 

「やってくれたな、貴様!!」

「病み上がりの体に、よく言ってくれるよ」

「ほざけ、この下郎が! 殺してやる、殺してやるぞ!!」

 

 アカリが犬歯をむき出しにして、凄まじい眼光をサクモに叩きつける。

 サクモは激昂したアカリにむしろ親しみを感じた。こうやって感情をぶつけられたのは、始めてかもしれない。ずっと、本当は、こうしたかったのかも……そしてそれは、まだ間に合う友の夢。

 互いに、拳を握る。

 

 燃え盛る蒼炎の舞姫。牙をむき出しにした獣は、体全体を、逆巻く蒼い炎で覆った。

 

 轟く電光を纏う白い牙。その研ぎ澄まされた刃は腰に挿されたまま、正しき解放の時を待つ。

 

「サクモォォォォ!!」

「アカリィイィイ!!」

 

 白光の拳と蒼炎の拳―――二つの拳が、交差して―――。

 

 ―――なぜ、そうまでして……なぜだ……。

 

 薄れていく意識の中、誰かの泣き声が、耳に残った。

 

 

「あら、起きた? まったく、無茶したわね」

「……」

 

 後頭部に人肌の温もりを感じる。太ももだろうか。柔らかな感触は心地よく、再び微睡の世界へ誘われそうである。だが、体中から発されている痛みの信号が、それを遮った。

 

 そうだ、夢を、見ていた。

 

 ―――とある少年と少女の記録。その二人は幼馴染で、ずっと一緒に遊んでいた。あるときは一緒に戦って、あるときは一緒に怒られた。突如として少年を殺され、少女は絶望に泣いた。奇跡によって蘇生し目覚めたとき、少女は喜びと共に少年を抱きしめた。

 

 いつしか少女の中で、少年の存在は大きくなり、目を離せない男になった。

 

 けれどもそいつは、同じ班になった別の女にうつつをぬかしやがった。少女は仕方ないと諦めたが、けれども男のことをずっと待っていた。男が別の女と仲良くなっていく様を、少女はずっと見守っていた―――。

 

 ”取られてしまうかもしれない”という不安が無かったと、誰が言い切れるだろうか。

 

 待たされる寂しさが無かったと、誰が言い切れるだろうか。

 

 恋敵に成り得る存在に対して複雑な想いが無かったと、誰が言い切れるだろうか。

 

 だが、それでもずっと、その少女は―――。

 

 ―――やめろと、アカリは自分の思考を止める。

 

 

 何気なく、隣を見た。そしてアカリは息を呑んだ。包帯で締め上げられ、ミイラのようになった男が、そこで安らかに眠っている。はたけサクモ……その傷は、他らなぬ自分がやったもの―――。

 

「”傷のことは気にしないで”。そう言ってたわよ、こいつ」

「サクモ……」

 

 ―――最後の激突の瞬間、サクモは己の忍術のすべてを解除して、アカリの攻撃を”迎え入れた”。

 

 攻撃が交差する瞬間、アカリはサクモが完全に力を抜いたことに気づいた。成長した写輪眼であったからこそ、その刹那を見抜くことが出来たと言うのは、皮肉だろうか。

 困惑と共に、咄嗟の判断でサクモに顔を向けたアカリは、見てしまった―――その優しげな微笑みを。

 アカリは息を呑んだ。攻撃の一瞬の脱力は、アカリの一撃を必殺のものへと変えてしまった。アカリは咄嗟に攻撃を取りやめようとしたが、けれども時既に遅かった。サクモの体には、強烈な一撃が叩き込まれたのである。

 

 だが、サクモが捨て身で示したその”絆”は、アカリの心に凄まじい衝撃を叩き込んだ。崩れ落ちたサクモはアカリの体に寄りかかり―――ゆっくりと水中へと沈んでいった。己の体を滑り落ちて行く、友の体―――理解不能な事態は、偽りの概念をすべて叩き壊した。精神的に崩れ落ちたアカリは、意識を失い水中に沈んでいくサクモに重なるようにして、同様に意識を失ったのである。

 

 アカリの拳は、畳間の木遁をも破壊する力を持つ。直に受ければ危険であることは、戦いの最中に体で理解していたはずだ。だというのに、サクモはなぜアカリの攻撃を受け止め、己の攻撃を止めたのか。

 

 そんなことは分かり切っている。アカリはもう、その答えを知っている。その心が解らないほど、うちはアカリは愚かでは無い。

 

『くそ、閃光弾か!』

 

 あの茶屋での一瞬、サクモは確かに完全に不意を突かれ、視界を奪われて無防備になった。アカリはあのとき、サクモを行動不能にすることが出来たはずだ。

 あのまま放置すれば、サクモは必ず追いかけてくる。そんなことは、分かり切っていたというのに。

 邪魔をすれば殺すとまで、アカリは言った。だが本当に邪魔だと思っていたのならば、あのとき、アカリは行動に移ったはずだ。サクモの無防備な体に追跡出来ない程度の傷を負わせ、再び病院送りにしてやれば、アカリは面倒なく里を抜けられた。

 けれどもアカリは、それをしなかった。

 サクモはその意味を……その”答え”を、信じた。

 

「う、うぅ……サクモ……私……私……」

 

 だからサクモはあの交差する一瞬で、すべての攻撃を解除したのである。

 危険な賭けだった。深い喪失感に我を失ったアカリが、本当にサクモを殺してしまう可能性の方が高かった。

 

 だがもしも、茶屋での出来事が偶然では無かったのなら―――。

 

 サクモは信じたかったのだ。ここにいると、示したかったのだ。己が犠牲になってでも、確かめたかったのだ。己の中にある想いを。共に育んできた絆を。

 

 ―――うちはアカリとの、友情を。

 

「あ、あぁ……あぁぁぁあああああ!!」

「もう、本当に泣き虫なんだから」

 

 唇を噛みしめて、ふるふると震えるアカリの頬を、一筋の滴が流れた。その滴を拭う、温かな指があった。柔らかな感触が、アカリの頬をなぞる。その声の主は、本当に困ったように、優しい微笑みを浮かべていた。

 その声を、その温もりの主を、アカリは知っている。ずっとずっと一緒だったのだから、忘れるはずがない。その人との出会いは……そうだ、うちはアカリが、千手畳間と出会う前―――。

 

「い……」

 

 闇に染め上げられていたアカリの心には、畳間と言う一筋の光だけが挿していた。

 

「な……」

 

 その名を呼んだ瞬間、アカリの暗闇の世界に、優しい月が差し込める。暖かな月光はアカリの心の氷を溶かし―――アカリの瞳から、巴の紋が消えていった。

 

 うちはアカリは、そこで知る。

 はたけサクモが命を賭けてでも訂正させたがった、たった一つの言葉を。

 

 そうだ、夢を見ていた―――

 

『でも、意外といえば意外よね。あの子、施設ではすごく暗い子だったから』

『ああ、アカリのことか?』

『そうよー? 話しかけても基本シカトだし、たまに話したと思えばすっごい上から目線。当時は人気者だった畳間の陰口も言ってたしね』

『当時って言うなよ』

『まあ、いろいろ大変だったのよ』

 

 少女は少年に柔らかに笑かけ、

 

『少し不安に思ってもいいじゃない』

 

 内心で寂しさを告げる。

 

 ―――夢を見ていた。

 

『ね、あなた、うちはの子なの?』

『そう……だけど……?』

『あたし、山中イナっていうんだけど。お名前、教えて?』

 

 フラッシュバックする記憶。光の濁流と共に流れてくる想い出たち。何故忘れていたのか。何故忘れようとしたのか。

 

 ―――山中イナは”忍者養成施設の時代から”、うちはアカリを気に掛けていた。

 

 認めてしまった瞬間、おぼろげだった影が、形を作り出す。

 アカリは、イナが畳間のことを好いていると知って、あえて気づかないふりをした。煽ったこともある。蔑ろにしたこともある。

 けれどもイナは、それをときに笑い、ときに怒って、アカリと向き合ってきた。決して、影から責めようとはしなかった。畳間とアカリが仲良くなっていくのを、どうしてイナが見守っていたのか。見守っていられたのか。そんな理由は、一つしかない。

 

「い……な……」

 

 かちゃりと、耳元で音が鳴る。

 それはかつて畳間から贈られた薔薇の花びらを閉じ込めた、琥珀の耳飾。確かにそれは、畳間から貰ったもの起源とする。けれどもそれを一緒に作ってくれた人がいる。それは決して、畳間を中継点とした絆では無かったはずだ。仮に畳間”だけ”を中継点としていたならば、その人との絆は、決して今のような穏やかなものにはならないのだから。

 何故忘れてしまっていたのか。山中イナは、うちはアカリが”自分から”求めた、始めての―――

 

「い、いな……」

「うん、どうしたの?」

「う、うぅぅ……いなぁ……」

 

 暗かった友達が、男友達の影響で、元気を取り戻していく―――とても素晴らしいことではないか。たいしたことではない。イナが畳間とアカリをずっと見守っていたのはひとえに―――うちはアカリが、千手畳間と同じくらい、大切な友人だったから。

 畳間に対する、自分が持つ影響力を理解しているイナは、だからこそ行動を起こさなかった。同じ男に惹かれてしまった、お馬鹿な間抜けな、大切な女の子のために。

 

「いな……いな……いなぁ……」

「もう、大丈夫だって。ここにいる。どこにもいきゃしないわよ」

 

 優しげな声音は変わらず。

 理解すれば理解するほど、アカリは己の愚かさに腹が立つ。けれども、今までのように、言い逃れることは許されない。はたけサクモの友情を、山中イナの友情を裏切ることなど―――例え天が許そうと、うちはアカリが許さない。

 

「い……い……ご……うぇ……」

「もう、どうしたの?」

 

 もはや、アカリが目を背けることはない。頬を伝う温かな滴は、次から次へ流れ落ちていく。

 一言だけ、一言だけで良い。アカリは訂正しなければならない。今この場所で、今のこの心で。

 人の心は移ろうもので、人の本質は変わらないもの。意地っ張りで臆病な少女は、時が経てばきっと、また言えなくなってしまうだろう。だから今、今言わなければならない。本当の気持ちを。

 だが、昂る感情が邪魔をする。嗚咽が徐々に間隔を狭め、流れ落ちる鼻を啜る音を止めることが出来ない。

 

「大丈夫よ、アカリ。安心して」

「あぅ……」

 

 震えるアカリの手を、イナが優しく握りしめた。

 てのひらから感じる温かさが、アカリの心を優しく包む。一瞬、震えが止まる。ほっと落ち着いたアカリの心は、自然なまま、心を音へと変えていた。

 

 ―――ごめんなさい。私の最初の、お友達……。

 

 その一言を以て、アカリの視界が涙で滲む。

 

「……馬鹿ね」

 

 その一言に込められた感情は、どれほどのものか。

 涙で滲んだ、アカリの世界の向こう側―――満開の萩が咲いていた。

 

 

 駆けつけた山中イナ、並びにうちはカガミの治療により、はたけサクモは一命をとりとめた。きちんと養生すれば、後遺症も無いだろうということである。

 うちはアカリは連続して不祥事を起こしたものの、被害者がはたけサクモのみということもあり、大きな問題とはならなかった。里を勝手に抜け出したことに関しては、イナの機転によりヒルゼン、ダンゾウへ伝えられ、秘密裏に揉み消され、此度の小さくも大きな忍法帖は、闇の中へと葬られたのである。

 

 そして―――二代目火影の亡骸と共に、千手畳間が帰還する。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。