綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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忍者への道

「なわきー」

「にー!」

 

 駆け寄って来る弟を抱き上げて、曲げた片腕に座らせる。たどたどしくも言葉を覚え始めた弟はすこぶる可愛く、ついつい甘やかしてしまう。妹である綱手は性別の違いもあって目に入れても痛くないくらい溺愛しているのだが、この歳の離れた弟と言うのがこんなに愛らしい生き物だとは、畳間も思っていなかった。

 綱手は忍者養成施設へ向かい、両親も任務で留守にしている。現在の千手邸は畳間と縄樹、そして祖母ミトがいるだけである。

 

「ばあちゃん、縄樹を連れて、ちょっと散歩して来るよ」

「はい、いってらっしゃい」

 

 ミトに外出の旨を告げた畳間は、幼い弟を連れて木の葉の里をぶらぶらと散策する。道行く顔見知りから送られる挨拶に笑顔を返し、弟に里の風景を見せて回った。火影岩をよく見られる場所で、畳間は祖父・柱間の偉大さを語り、師・扉間の偉業を話して聞かせた。幼い弟に聞かせても理解は難しいだろうが、こういうのは本人の自己満足なので特に問題はない。縄樹も訳も分からぬままだろうが、きゃっきゃとはしゃいで楽しそうである。

 

「千手、戻ってたのか」

 

 商店街を歩いている畳間は、買い物途中と思われるアカリと出くわした。飛び出たネギが印象的な買い物袋を手に下げている様子は、何とも家庭的な風貌だ。けれどもアカリの衣装は相も変わらず艶やかなものであり、家庭的な雰囲気とは釣り合っていないように思えた。

 「久しぶりだな」と返した畳間は、2日前に里に帰還したばかりである。里を出ていた理由は任務では無く、扉間の修行によるものだ。

 畳間は定期的に、扉間によって里の外に飛ばされている。修行と称して泊まり込みで各地を巡らされ、その環境を最大限に利用した最悪の修行を課せられるのである。反抗しようにも、畳間に付き添っている扉間は影分身であり、攻撃を加えると消滅してしまう。ともすれば飛雷神という帰還方法が失われてしまうため、従うしかなかった。どうしようもなかったのだ。嫌ならとっとと飛雷神を習得して自力で帰ってこいということである。

 さて、帰還した畳間は極限まで体力を削られている。外出する気力などありはしない。休日は体を休めることに使い、自然と外出することが減った畳間は、アカリだけでなく、サクモやイナと言った仲の良い面々ともしばらく会っていなかったのである。

 無理がたたって体を壊したり、風邪を引いてでも良い。畳間はもう少し休みをくれと切に願っている。しかし扉間とミトによる畳間の管理は完璧であり、疲労で怪我をすることは無いし、弱って風邪を患うことも無い。はっきり言ってしまえば、畳間の体調は以前よりもはるかに健康体と言うに相応しい。

 あまりの過酷さゆえに自主的な逃走を開始しても、扉間は刻まれた術式を頼りに、飛雷神でどこまでも追いかけてくる。畳間にプライベートなど存在しなくなっていた。

 

「いや、本当に久しぶりだな、アカリ。ははは・・・」

「あ、相変わらず大変そうだな。噂は聞いてる」

 

 実際には数週間会っていないだけだ。しかし畳間にはもっと長い時間、会っていなかったように思える。疲れを通り越して悟ったように笑う畳間に、アカリは戸惑い気味に相槌を打った。  

 

「して、その子は・・・」

 

 アカリの視線は縄樹に向かっている。言われてみれば、アカリに縄樹を見せるのは初めてのことである。畳間はアカリと縄樹が顔を合わせられるように抱き替えた。

 

「縄樹、挨拶」

「わぁ」

 

 さて、間の抜けた「わぁ」とは誰が発した言葉だろうか。

 ふわふわの手をゆらゆらと揺らしている縄樹のつたない挨拶のような気もするし、顔を赤らめてそっぽを向いた目の前の女が発したものかもしれない。

 畳間は言及も追及もしなかった。ただ静かにアカリから買い物袋を受け取って、抱いた弟をアカリの前に差し出した。

 少しの躊躇いの後に縄樹を受け取ったアカリは、恐々と胸の中に抱き上げた。縄樹をあやすためか、アカリは体を一定の間隔で揺らし始める。ゆりかごのような揺れに安心したのか、縄樹は目の前で揺れるアカリのツインテールに目線が釘付けだ。子供と言うのは好奇心の塊である。案の定と言ったところか、手を伸ばした縄樹はアカリの髪を握り、くいくいと引っ張り出してしまった。楽しそうに笑う縄樹にさすがのアカリも怒ることが出来ないようで、痛みをじっと堪え、変な笑顔を浮かべ耐えていた。

 

「せ、せんじゅ・・・」

 

 どうすればいいのだろうか。アカリは困ったような涙目を向けて、畳間に助けを求めた。

 

「縄樹、おいで」

「ヤッ!」

「ヤって、お前・・・」

 

 アカリに粗相をする縄樹を受け取ろうと、畳間が手を差し伸べた。しかし縄樹はアカリが気に入ったのか、畳間にそっぽを向いて、アカリの胸に隠れてしまったのである。実兄でありながら他所のお姉さんに敗北した畳間は少し落ち込んだ。

 兄よりも自分を選んだ縄樹のいじらしさに、アカリは感極まった様子である。先ほどまでの弱弱しい表情が嘘のようだ。だらしなく頬を緩めて目じりを八の字に垂らしている。

 

「よしよーし。縄樹、おまえは良い子だなぁ」

「髪引っ張られてよく言うぜ」

 

 縄樹に髪を引っ張られたまま、アカリはゆりかごのように体を揺らした。幸せそうに笑うアカリの笑みは、畳間であっても見たことが無いものだ。こんな顔もするのかと、畳間は己の知らぬアカリの一面に少し戸惑った。

 はしゃいで疲れたのか、アカリの腕の中で舟を漕ぎ始めた縄樹が眠そうに目を瞬かせる。髪を握り締めたままで眠ろうとしている弟に、畳間はぽりぽりと頭を掻いて困った顔を浮かべた。

 

「眠いのか? まいったな、買い物もしていくつもりだったんだが・・・」

「ふむ、ならばこのまま私が付き合ってやろう。この子もそなたより私の方がいいみたいだからな」

「そうか・・・? 悪いな」

 

 眠った縄樹を片手に抱え、買い物袋を提げるのは如何なものか。影分身に買い物を任せるか、あるいは素直に一度帰るかと思案した畳間は、縄樹の子守りを買って出たアカリの提案を素直に受け入れた。アカリの荷物持ちとなることと引き換えにだが、縄樹の幸せそうな寝顔と引き換えと言うのなら安いものである。

 

「あらまぁ」

 

 縄樹を抱えたアカリを隣にはべらせて、畳間は商店街を巡った。野菜を中心に、畳間の好物であるきのこや、縄樹が食べる幼児食の材料を選別していく中、唐突に女性が声を掛けて来た。聞きなれた声に、もしやと思った畳間が振り返った。

 

「久しぶりに会ったと思ったら! ぼっちゃん、あんたって子は!」

 

 「女将さんか」と相槌を返せば、木の葉定食の女将が人の良さそうな笑みを浮かべて近づいてくる。買い物かごを手に下げた彼女はアカリと違い、主婦の貫録が備わっている。

 里を開けていた畳間にとっても久しぶりの遭遇であるが、さて、女将の浮ついた調子はどうしたことか。思い当たる節が無く、畳間は首を傾げた。

 

「あんた、アカリちゃんを選んだんだねぇ。イナちゃんも良い女だけどね、あたしゃ分かってた。アカリちゃんは家庭に入ったら旦那を立てる、良い妻になるよ。赤ん坊まで生まれてたなんてねぇ。名前はなんていうんだい?」

「ふへぇ!?」

 

 思いがけない言葉に、アカリが素っ頓狂な声をあげた。周囲の視線が集まる。アカリは林檎のように頬を赤くしてたじろいだ。

 

「ほんと、くりくりの目なんて小さいころのぼっちゃんそっくりだ。けど、髪の色はどちらにも似てないね」

「アカリ、写輪眼はやめろ」

 

 動揺しているアカリの瞳に2つ巴が浮かんだ。精神が高ぶると写輪眼を発動する癖でも付いているのかもしれない。危なっかしい女だと思いつつ、畳間は無表情の単調な声でアカリにそれを伝えた。アカリは慌てた様子で写輪眼を解除する。

 怒涛の語りを終えた女将の瞳が、きらりと光った。まるで決定的証拠を掴んだ家政婦のような鋭い眼光で見据えられたアカリは、「な、なに・・・?」とらしくない気弱な反応を見せる。

 

「アカリちゃんあんたまさか浮・・・いや、みなまで言わないよ。この器量の良さだ。引く手数多だろうさ」

「失礼なことを言うな!」

 

 商店街がしんと静まる。人々の視線に晒されたアカリがあわわわわと視線を泳がせる。さらに困ったことに、縄樹がぐずり始めたのである。大声に驚いたのだろう。

 「す、すまぬ」と慌てた様子を見せて、アカリはよしよしと縄樹をあやし始めた。「私はそんなことしないのに・・・」とちょっと本気で落ち込んでいる様子のアカリを見兼ねて、畳間がため息を吐く。

 

「女将さん、縄樹のことは知ってるだろ。悪ふざけはその辺にしてくれよ、まったく・・・」

 

 畳間の言葉を受けた女将は「ごめんね」と笑い、ぐずる縄樹を手遊びであやし始めた。縄樹のことは以前に畳間が紹介している。すべて知っていてアカリをからかっていたのだ。

 置いてきぼりのアカリは次第に状況を把握したらしい。湯が沸騰したように体中を真っ赤に染めた。そのまま女将に突っかかろうとしたが、縄樹がまたぐずりそうになる。しぶしぶ勢いを殺した。

 

 

「ごめんよ、アカリちゃん。でもねぇ、あんた浮いた話の一つも無いじゃないか。あたしゃ心配で心配で。良い人いないのかい?」

「良い人って・・・。そんなものはいらん」

「だめだよ、そんなこと言ってると。嫁き遅れになっちまう」

「うぅ・・・そんなこと言われても・・・」

「いや、オレ達まだ10代ですからね?」

 

 母親のいないアカリは、どうもお節介焼きなこの女将に弱いらしい。普段の強気な態度は鳴りを潜め、縮こまっている。見兼ねた畳間が助け舟を出せば、アカリはきらきらとした瞳を畳間に向ける。そんな目を向けられても困ると畳間は思った。

 女将のそれは少し度が過ぎるお節介のような気もするが、とはいえ、女将は祖父・柱間と同世代である。戦国時代を知る彼女からすれば、10代での婚姻は早すぎるものでは無い。そういう意味では女将の言うことは真っ当で、いうなればジェネレーションギャップというやつである。

 けれども女将も馬鹿では無い。アカリが本当に困っている様子を見て謝罪をし、また来て欲しいとだけ告げて、自分の買い物へ戻って行った。

 

 畳間は隣を歩くアカリをちらと見た。まだ熱が冷めぬ様子で、頬を染めたままぎこちない動きを見せている。

 この強情で態度がでかく、仲間想いの可愛らしい友人が果たして本当に”良い妻”になるのかどうか―――意外と女将の言葉も間違いではないのかもしれんな―――と、畳間は考えた。

 先ほどはああ言ったが、木の葉隠れの里における結婚の平均年齢は二十歳前後であり、出産もそう変わらない。畳間もあと数年もすれば”その世代”に入るわけだが、未だ現実味を帯びていないと言うのが現状である。今はまだ子供のままでいたいと、漠然とした考えだけが浮かんだ。

 

 

 

 

 千手一族はかつての戦国時代において森を活動拠点としていた。その名残だろうか、現在の千手邸にも緑が多く茂っている。その大半が柱間の育てた盆栽たちが成長した姿であったが、最近では畳間が育てている盆栽たちもその中に加わり始めていた。盆栽の枠を超え、見上げるほどの巨体に成長した庭木の隣には、小ぶりの苗がすくすくと育っている。その背比べの様子に、畳間は自分と祖父の姿を自然と重ね合わせていた。

 座布団に頭を預ける。縁側に寝そべって、畳間はしんみりと庭木を眺めていた。じんわりと体を温める日の光が、畳間をまどろみの坩堝へと誘っていく。体から力が抜けて、瞼は重みを増していく。畳間は睡魔に身を委ねた。

 

「畳間ー。いるー?」

 

 うとうととして意識を微睡へと放り投げたころ、畳間は聞きなれた声に意識を引き戻された。寝ぼけているのかまともな思考回路が働かない。畳間は縁側に寝そべったまま、耳を塞いで寝返りを打った。

 

 

「いるからちょっと待っててー!」

 

 家の中から聞きなれた声が響き、畳間は不機嫌そうにううんと唸った。まるで金縛りにあったかのように体に力が入らない。床に体を縛り付けられているかのようだ。

 

「どいてくれ・・・」

「兄様、起きた? イナさん来てるわよ」

 

 いつのまにか、少女が畳間の体の上に乗っていた。妹の綱手である。畳間は綱手のポニーテールを優しく引っ張って綱手を体から降ろした。

 綱手は「いたいいたい」と言いつつも、その声音ははしゃぐように明るい。「ひどいひどい」と呪詛を吐く口は、楽しそうに口角が上がっている。畳間は呆れたように笑い、体を起こした。ぼけっとする頭を振って、ひとつため息を吐く。

 

「よっこらせっと」

「兄様爺臭いよ」

 

 畳間が掛け声とともに立ち上がった。その仕草がツボだったのか、綱手が馬鹿にするように笑いだす。

 

「ほっとけ」

「あーん、待ってよ兄様! ごめーん」

 

 不貞腐れたように鼻を鳴らした畳間が、すたすたと玄関に向かって歩き始めた。置いていかれた綱手は、慌てたように畳間に駆け寄ったのである。不機嫌そうな畳間の周囲をぐるぐると回り、綱手はその顔色を窺うように上目遣いを見せた。付け加えて瞼をぱちぱちと愛らしく瞬かせる。けれどもその口もとは相も変わらずにやけ、本心が透けて見えるようである。綱手は畳間に甘えたいのだ。

 それに気づかない畳間では無く、しかし無視をして廊下を進んだ。綱手は畳間の一瞬の笑みを見逃さず、兄が機嫌を損ねていないことを理解したうえで、愛想をふりまき続けた。

 

「ねぇ兄様兄様、ねぇねぇ」

 

 綱手が押し売りの販売員のように畳間の周囲をくるくると回る。畳間は急に立ち止まって綱手の方を振り向くと、素早く綱手の両頬を掌で包んだ。掌に伝わる柔らかくて滑々とした感触が温かい。「気持ちええ感じ」と畳間は内心で思った。

 

「やめれ~」

 

 わっと驚く綱手を他所に、畳間は掌を円を描くように動かした。綱手の頬が波打つように変形し、波紋が広がるように顔全体が歪む。ぐにぐにと綱手の頬を堪能した後、畳間は玄関へと再び歩き出した。その際自分の頬を触り、その感触に落胆する。綱手のようなもちもちした感触もふにふにした柔らかさも無かったからだ。少し伸びた髭が少し痛みを感じさせた。ふと、イナはどうだろうと言う考えが脳裏を過ぎった。

 

 綱手は驚いて腰が抜けたのか、その場にへたり込む。乙女の柔肌を弄った畳間に、綱手は頬を染めて悪態を吐いた。けれども顔面マッサージは中々「気持ちええ感じ」だったので、悪くないとも思った。ともかく綱手は立ち上がり、畳間を追いかける。無意識だろうが、手をワキワキとさせる兄によからぬものを感じたからである。

 

「珍しいな、どうした?」

 

 イナは玄関先で行儀よく佇んでいた。髪を結びあげた団子頭が特徴的である。丸出しのうなじが色っぽく、耳たぶには真珠のような球体のピアスが彩っている。首元を隠すように仕立てられた紫のパーカーには袖が無く、肌が剥き出しだった。普段はこだわりがあるのか包帯で覆っているが、今日はそうでもないらしい。スカートは膝下で普段より露出が少ないが、かえって大人っぽい格好だと思えた。

 

「遊びに来たわ」

「なんだって?」

「遊びに来たの」

 

 イナは腕を後ろに回し、中腰である。丁度上目遣いで畳間を見る体勢だ。

 ”しな”を作って媚びるようなそれを、畳間は綱手で見慣れている。それに対して動揺は無い。ただイナの唐突な行動に驚いた。訝しげな表情で探るようにイナの全身を見渡し、両手をイナの頬へ伸ばす。畳間に頬を挟まれ、気分が高揚するイナ。見つめ合う2人。自然と眼を閉じようとしたイナは、ぐにぐにと頬を撫でまわされる感触に狼狽した。

 

「大丈夫かお前。本物か?」

「やめんか!」

「いたい」

 

 綱手に頭を叩かれて、畳間はイナから手を離した。綱手に「女の肌を無暗に揉むな」とお叱りを受けているが、何を考えているのか、ぽりぽりと頭を掻くだけだ。あるいは寝起きゆえに何も考えていないのかもしれない。

 撫でまわされて頬を赤くしているイナはぽかんと畳間を見つめていた。一連の流れに特に意味は無い。単なるじゃれ合いだ。イナとしては、求められるならばその限りでは無かったが。

 

「まあ、ここじゃなんだ。あがってけよ」

「おじゃましまーす」

 

 

 首で入室を促した畳間は踵を返して自室へと戻る。思えばイナが家に来るのは忍者養成施設のころ以来かと、長らく招待していなかったことを思い出す。サクモは同じ班と言うこともあって頻繁に千手邸を訪れるのだが、班も変わり、会うにしても外食やらが多くなってしまったイナが千手邸を訪れるのは久しぶりである。懐かしいなと微笑んで、畳間は先を進んだ。

 

 イナはいそいそと靴を脱いで、千手邸に上がり込んだ。そんなイナを畳間が一瞥し、自室へと歩き出すのを見て、イナはその後に続いた。数年ぶりの畳間の家は木と畳の香りが染みついている。安心する匂いだとイナは考えた。

 畳の香りとはすなわち原材料のイグサのことである。決して畳間の香りでは無い―――イナは逆上せた頭を振った。

 

(こやつ大丈夫か・・・)

 

 らしくない行動を取り続けるイナを横目に見る。畳間は不安げに眉根を寄せた。

 自室にイナを招き入れて、畳間は座布団をぽんと床に置いた。机を挟んで、イナの対面に座る。綱手がお茶とお茶請けを持って現れて、机の上にそっと置いた。去り際に「ごゆっくり~」と質の悪い笑みを浮かべる綱手に、畳間はがしがしとうなじを掻いた。

 

 イナはきょろきょろと畳間の部屋を見渡している。初めて来るわけでもないのに可笑しなやつだと畳間が内心で思った。初めてではないと言えども年単位で訪れていなかった男の部屋だ。装飾の1つや2つ変わるだろう。畳間はデリカシーが無い。

 

 壁に掛かるのは、中忍選抜試験後、中忍以上の忍びに配られることになった、木の葉印の忍者服。緑色のそれは首元を覆い、巻物や苦無を収納できるポケットが多く備え付けられた機能美溢れる逸品である。その隣に飾られた額当ては古ぼけたものだが、普段畳間が愛用しているものである。柱間から譲られたそれを、畳間は普段、神棚のように飾っている。

 反対側の壁に掛かるのは、『千手』、『二代目火影』と書かれた掛け軸。千手は柱間、二代目火影は扉間の執筆で、かなりの達筆である。千手の掛け軸は以前もあったが、二代目火影の掛け軸は無かった。最近の作品だろう。その隣に『畳』と書かれた掛け軸がある。他二つと比べて未熟さがにじみ出るそれは畳間が書いたもの。イナはくすりと笑った。

 

「それで、どうしたんだ?」

「どうしたんだ―――じゃないわよ。あんた、約束すっぽかしてばっかじゃない!」

「いや、悪いと思ってるよ」

「あんたに放って置かれて、あたしがどれだけ寂しい思いをしているか・・・。あんた分かってんの?」

「そういわれてもなァ。こればっかりは扉間のおっちゃんに言ってくれ」

 

 「あの人最近厳しいんだ」と肩を竦める畳間に、イナはお茶請けのせんべいをばりっと噛み折った。

 なんか機嫌悪いなと思いつつ、畳間はお茶をずずずっと行儀悪く啜った。あれの日かなと失礼なことを考える畳間は、はっきり言ってデリカシーが無い。湯のみで顔を隠すようにして、畳間はイナの顔色を窺った。

 

「ということで遊びに来たのよ」

「はぁ・・・」

 

 「そうですか・・・」とぽそり呟いた畳間に、その通りと笑顔でイナは首肯する。

 

「なら、花札でもするか? 綱もよんで」

「あーわたし忙しいなぁ~」

 

 扉の向こうから綱手の抑揚のない声が聞こえた。

 

「綱手ちゃん、忙しいみたいよ」

「ええ? そうは聞こえないんだが・・・」

 

 畳間は不思議そうに扉を見つめた。納得できないと言う表情である。けれども「忙しいのよ」とイナから静かにダメ押しされて、しぶしぶと意見を降ろす。

 

「まあ、冗談なんだけどね。びっくりした?」

「少しな」

 

 扉の向こうでずっこけるような音が聞こえて、イナが内心でごめんねと笑う。畳間とイナの関係は、これくらいでちょうどいい。

 

「任務の話をしに来たのよ」

「なんだそうか」

 

 中忍以降の木の葉の忍びは、任務を共にこなす相手を自分で決めることが出来るようになる。既存の班員で組んだ方がチームワークも確かだろうが、必ずしも班員全員が中忍であるとも限らない。畳間の班はアカリが下忍のままであるし、イナの班はイナ以外がそうである。現状イナが中忍として遠慮なく任務に臨める相手はサクモと畳間だけである。下忍の班が一緒では無かったこともあり、イナは共に任務を請け負う日を楽しみにしていた。

 畳間としても否やは無い。扉間の了承があればと言う前提があるものの、任務だと言えば扉間とて否やは無いだろう。

 イナが話す内容に、畳間はほうと口角を釣り上げた。

 

 

「いいか小僧ども! 貴様らは屑だ。火遁で燃え尽きたカス! 風遁で舞ったゴミ! 水遁で濁った泥! それが貴様たちだ!」

「・・・」

「返事をしろォ!! 貴様らに許されるのはオレを肯定する言葉のみだ! 分かったか!」

「分かりましたぁ・・・」

「声が小さい!! もう一度だァ!! 貴様らは人間では無い!! 敵を殺すための道具!! それが忍びだ!! 分かったかァ!!」

「分かりましたァ!!!」

「いいか貴様ら! オレは霧だろうが砂だろうが差別はせんぞ。貴様らには平等に価値が無い! 分かったらとっととこの重りを付けてグラウンドを走れ!! 手始めに100周だ!!」

「えー・・・」

「ふざけるなァ!! 口答えは許さん!! 走れェ!!」 

 

 畳間が声を張り上げて子供たちを恫喝するが、生徒たちはなおも渋っている。畳間は眉間に皺を寄せて、子供たちの前を歩いた。

 

「畳間さん、どうしちまったんだ・・・」

「わかんないわよ・・・」

 

 整列した生徒たちの中、畳間の変貌を前に、綱手と自来也がこそこそと囁いている。綱手は兄の変貌に目を白黒とさせているし、自来也は慕う先輩の暴挙に困惑を隠しきれていない。

 ぎらりと畳間の瞳が光る。耳聡く2人の会話を拾った畳間が素早く印を結んだ。

 

「木遁・樹縛林!!」

「うわァ、オレェ!?」

 

 木遁・樹縛林の術。畳間が作った木遁忍術である。急成長する樹が対象の体を雁字搦めに縛りあげる捕獲用忍術である。草結びの相互互換であり、奇襲性に劣るが拘束力は高い。

 足元から突如として現れた樹が、自来也の体を這い回る。樹は意志を持っているかのようにうねうねと動き、畳間の望むように自来也を拘束する。逃げる間もなく雁字搦めにされ、自来也は大の字で貼り付けにされた。

 

「はなしてくれよ!!」

 

 見せしめとして選ばれたことに、自来也は叫び声をあげた。拘束から逃れようと足掻いているが拘束は強力で徒労に終わる。

 

「よせ、やめて、やめてください」

 

 寅の印を結び、畳間が自来也の背後に回った。嫌な予感に、自来也の身の毛が弥立つ。小刻みに首を左右に振って、いやだいやだと赦しを請うた。

 

「木の葉秘伝体術奥義・千年殺し!!」  

「アッーー!!」

 

 ぶすりと自来也の尻に畳間の指が吸い込まれる。自来也は逃れるすべなく、それを受け入れる他無かった。涙をこぼしながら苦痛にあえぐ自来也を見て、生徒たちに戦慄走る。貴様らもこうなりたいかと睨みつける畳間から逃れるために、生徒たちは一目散に駆けだした。

 そんな畳間に困惑の視線を向けるイナ。なにがどうしてこうなったのだろうかと、困ったように頭を左右に振った。

 

 イナが先日畳間に持ち掛けた任務と言うのが、忍者養成施設の臨時教師の仕事である。施設第一期生であり、第一回中忍選抜試験の合格者であるイナに申し付けられた、二代目火影直々の任務。

 同期で合格したのはサクモと畳間の2人。現在サクモは任務で不在であり、そこでイナは畳間と共に任務を受けることを思いついたのである。畳間も古巣で学ぶ後輩たちのために教鞭を振るうことに否やは無く、イナとしても可愛い後輩のためと意気込んでいたのだが―――。

 

「もっとキビキビ走れ!! そんなことで戦場を生き残れると思っているのかァ!! 貴様らはカスだ! ちん●すだァ!! 戦う術も知らぬウジ虫どもがッ!! 貴様らはこの世のどんな忍びよりも劣悪な―――」

「やめんかァ!」

 

 

 数々の暴言。見兼ねたイナが吼え、畳間の体がびくんと震えた。その少し後ろでは、イナが椅子に座って首を垂らすように目を閉じていた。心転身の術である。

 イナが畳間の精神世界に来るのはこれが二度目だが、こんな形になるとは思いもよらなかっただろう。イナは心の内で畳間に語り掛けた。

 

「あんた何考えてんのよ!」

「え、いや。後輩たちを強くするために修行をだな」

「子供たちにそんなの早いでしょ! トラウマになるわ!!」

「ええ?!」

 

 心底不思議そうな畳間の声音に、イナは呆気にとられ、少しばかりの怒りに震える。ふざけてやっているのなら、悪ふざけも良いところだ。けれども怒りを見せるその直前で、「あんたまさか・・・」とイナは戦慄した。思い当たる節が1つあったのだ。それはすなわち、畳間の師・扉間の修行である。

 イナは全てを察した。「ああ・・・」と憐みの声すら零れる。忍びの神に祈り、イナは心の中で崩れ落ちた。不思議そうに首を傾げる畳間の無邪気な仕草さえも、イナの心を震わせる。なんという悲劇。畳間は今子供たちに課している試練を、幼いころから延々と続けて来たのである。きっと、それが世間一般的に見ておかしい修行法だとは露程も思わずに。

 怒るどころか、むしろ讃えたい。そんな修行の日々の中で優しさを失わなかったこの友人を誇りたい。イナはしみじみと心の涙を流したのであった。

 しかし扉間の修行は続くだろう。真実を知って心が折れないとも限らない。真実を伝える勇気は、イナには無い―――。


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