「父さん……」
畳間の作り上げた仮設施設のベッドの縁に座っているサスケは、窓と呼ぶには不足する、『穴』から差し込む光をその身に受けながら、握り込んだ拳を震わせていた。零れ落ちた雫が頬を伝い、サスケの膝を濡らした。
霧隠れ解放の夜―――突如として告げられた、木ノ葉隠れの里の火急。霧隠れにいる医療忍者は全員が叩き起こされ、消耗した畳間の治癒へと駆り立てられた。
その喧噪によって目を覚ましたサスケは、共に里へ戻りたいという願いを抱きながら、しかし今の負傷した自分では畳間について行っても足手纏いにしかならないという現実を、目を逸らすことなく直視して、ただ里をお願いしますと、頭を下げた。
―――五代目火影ならば大丈夫だ。
サスケが手も足も出なかった角都を打倒し、霧隠れ解放を影から支援して見せた五代目火影の力は疑いようはないが―――安心するには、胸騒ぎが過ぎた。
そして、五代目火影が姿を現さぬまま、何の情報も得られぬまま数日が過ぎ―――木ノ葉隠れの里の忍者たちが、木ノ葉陥落の報を持って、霧隠れへと辿り着いた。
疲弊した国。疲弊した土地。疲弊した民。
木ノ葉より落ち延びた大勢の者達を受け入れるには、霧隠れの現状はあまりに疲弊しつくしていた。
それでも、落ち延びて来た者のすべてが、
やぐらは己の私財のすべてを解放した。メイも、解放軍の貯蔵を解放し、木ノ葉の者達へと充てた。これによって霧隠れの者達への支援は確かに減ってしまうことになるが、解放軍ややぐらにとって、故郷の解放を担ってくれた木ノ葉隠れの里を見捨てるという選択肢は―――五代目火影が守らんとした火の意志が消えるのを見捨てるという選択肢は、初めから無かったのである。
霧隠れの者達の中には、自分たちの資源を減らしてまで、木ノ葉隠れの支援を行うことに難色を示した者は確かにいたが―――頭を深く深く下げてまで、木ノ葉を助けたいと願う『解放の女神』照美メイの姿を見て、その不満を呑み込んだ。呑み込んでくれたのだ。
そして、大きい理由としては、もう一つ。それは、霧隠れへ落ち延びた者達の中に、非戦闘員の姿が無かった、ということである。
木ノ葉隠れの里から霧隠れの里へ向かうには、どのような手段を用いたとしても、海を渡る必要がある。大勢の人間を乗せる船を用意する、あるいは小さな船を多量に用意する必要があるが、着の身着のまま里を出た者達に、それほどの船を用意する手段など在りはしない。では、見捨てるか―――その選択肢もあり得ない。では、彼らはどこへ行ったのか。
木ノ葉隠れの里から、霧隠れの里へ向かう道中には、ある拠点が存在する。かつては里と呼ばれ、戦乱の中滅び去った場所である。
その場所の名は、渦潮隠れの里。うちはマダラの策略によって、霧隠れ二代目水影と当時の三尾の人柱力の手で滅亡したその里を、畳間は決して、放置などはしなかった。
畳間は五代目火影を襲名した後、時間を見つけては、飛雷神の術で渦潮隠れの里だった場所へと赴いて、かつての記憶を基に、木遁によって、里の建造物の再興を行っていたのである。
人のいない、建築物だけの、
自分を遠因として家を追われ、散り散りとなった、同じ血を引く親族、そして可愛がってくれた祖母に捧げる、墓標。各地に散ったうずまきの一族が、いつか帰る場所。
本当に、少しずつの復興であったので、かつてほどの『里』と呼べるほどに大きくはなっておらず、落ち延びた者達が身を寄せ合うには、少しばかり狭いが―――霧隠れの里へ押しかけるよりは、遥かにマシだった。
しかし問題なのは、食料である。雨風を凌げたとしても、人は食わなければ生きてはいけない。しかし畳間とて、さすがに食料までは用意していない。
この問題を、取り急ぎ解決したのが、綱手の率いる医療部隊であった。本来は霧隠れへの支援のために持たされていた食料や医療品だったが、綱手の少し後に到着した
そして、既に霧隠れの里に配給した物を除き、残ったすべてを渦潮隠れの里へと輸送することとなった。再度の輸送係は、綱手ではない木ノ葉のいち忍者が選ばれた。五代目火影千手畳間の妹である綱手には、
その後は、シカクが火の国の大名に働きかけて支援を貰う予定である。『今』を凌げれば、とりあえずのところ、問題はない。
そして―――傷ついた者達が身を寄せ合う場所となった霧隠れの里で、綱手、カブト、シズネによる全力の治療を受け、はたけカカシが復活する。
その最中―――遠く離れた地では、砂隠れの里が陥落し、君麻呂は戦死。そして、その報が、齎された。
「……」
霧隠れ―――水影邸の会議室には、重苦しい雰囲気が、漂っていた。
皆が俯き、暗い表情を浮かべ、一言も発しようとしない。
四代目火影の盟友にして、五代目火影の側近―――今まで木ノ葉の者達を率いて来た、火の意志を濃く受け継ぐシカクですら、この絶望的な状況を受け、心が折れかけている彼らを奮起させるための言葉が思い浮かばず、口を閉じる以外になかった。
カカシとて同じだった。心はまだ折れていない。だが、この絶望的な状況を前に、自分が
「既に砂が堕ちているなど……。どうすればいいんだ……」
誰かが、ぽつりと言った。
シカクの構想していた忍連合の戦力―――その一角が既に削られたという事態。四代目風影やその側近である砂隠れの№3夜叉丸率いる殿部隊が命を賭して稼ごうとした時間は、マダラの
それでも生き残った者達がいるかもしれないが、散り散りになった今、果たしてどうしているかは分からない。マダラと言う恐怖を相手に、再び立ち上がろうと、木ノ葉と霧に合流する気概のある者がどれほどいるか、と言う話でもある。すべてを諦め、静かに終わりの時を待つという選択をすることも、致し方ないことかもしれない。
そしてそれは、ここにいる者にも、言えることだ。
深く暗い絶望の中に、いる。
―――今代における最強の忍者。四大国を相手取ってなお勝利をもぎ取る、正真正銘、名実ともに最強の忍者だった、五代目火影の戦死は、それだけ大きな影を、皆の心に落とした。
特に、霧隠れ解放戦争にて、角都の脅威を目の当たりにしたメイの諦念は、深かった。
自分達とは桁違いの強さを誇った、怪物角都。この場にいる全員で角都と戦ったとして、果たして勝てるかどうか―――それほどの化け物だった角都。それを打ち破った五代目火影が、為すすべなく敗北するほどの、本物の化け物が復活し、今―――忍界を跋扈している。
せっかく取り戻した故郷を、再び失いたくない。そうは思えど―――五代目火影の敗北と言う事実が、重く心にのしかかった。
木ノ葉の者達とて、そうだ。畳間の力を知っているからこそ、畳間が敗北したという事実の重さを、正しく理解できてしまう。
―――ドン、と重く激しい音が、会議室に響いた。ぐらり、と屋敷が揺れる。
「つ、綱手様……?」
シカクが、驚愕に目を瞬かせた。
音の発生源である綱手の前の円卓が、粉々に粉砕されていたのだ。綱手の左右に座る者達の机も破壊されており、その力のほどが窺える。
「いい加減にしろ」
綱手が、強い力を秘めた瞳を以て、皆を睨め付けた。
「揃いも揃って、なんだそのツラは!! ここは通夜の場か!? 違うだろう!! ここは、
そして綱手が、鋭い視線を向けるのは―――絶望に表情を暗くしている者達ではなく。迷うカカシと、シカクにであった。
「シカク、カカシ!! 今更、何を迷うことがある!! お前たちは、お兄様の何を見て来たんだ!! お兄様は既に、お前たちに未来を託したんだろう!! だというのに―――何故、
シカクとカカシが、目を見開いた。少しだけ―――胸の中に、熱い何かが込み上げる。
「かつて起こった、木ノ葉隠れの決戦―――どれほど絶望的な状況であっても、お兄様は諦めなかった。里の者達を鼓舞し、家族を守り切った! そのお兄様が後継者と見込んだお前たちがそのザマでどうする!!
綱手が、続ける。その瞳から、一筋の涙が、零れ落ちる。
綱手の脳裏に過るのは、かつての戦争で逝った、大切な人たちの姿。父や母、師である猿飛ヒルゼンや、恋人だったダンなど、たくさんの先人たちの姿だった。
綱手の兄貴は―――里を守った英雄たちと同じように、逝ってしまった。だが、それは終わりではない。五代目火影の―――
畳間がそうして、先代の火影達から、時代と火の意志を受け継いだように、自分たちもまた、そう在るべき時が来たということなのだ。死んで―――それで、終わりではない。偉大な先人の死は、生き残った者達の、始まりなのだ。
「……ですが、あのときとは状況があまりにも―――」
カカシが言った。
あの時、四代目火影は九尾と相打ったが、四代目火影を超える力を誇った千手畳間は健在で―――だからこそ、里は守られた。その畳間は既に亡く、残っているのは、五代目火影と比べては、あまりにも非力な者達だけ。
そもそも、千手畳間と言う忍者一人を相手に、現代の全勢力をぶつけてなお、勝てる気がしないのだ。敵は、その畳間が敗北した相手。そして、砂は既に滅びている。
カカシが迷い、一歩を踏み出せないのは、そこにも理由がある。シカクもそうだ。死に物狂いで霧隠れへ逃れていたときから、一息ついたがゆえに、この絶望的な状況を、その明晰な頭脳によって、直視してしまった。どれほど思考しても、どれだけ計算しても、うちはマダラに勝てるビジョンが―――見えない。
だが、綱手は―――五代目火影の妹は、カカシへと鋭い視線を向ける。綱手こそが千手畳間と言う忍びの背中を―――その意思を、願いを、見続けて来た、『妹』であるからこそ。どれほど悔しくても、苦しくても、辛くても、哀しくても、立ち止まることなど、絶対にしない。
「カカシ。確かに、お兄様は―――私たちの五代目火影は……いなくなってしまった。だが、それで終わりか!? 五代目火影の―――
綱手の言葉に、震えが混ざり始めた。
「そうだ、まだ終わりじゃない。―――終わらせない。カカシ。お前がいる。
―――お前の強さは、そこじゃない。
カカシの脳裏を過ったのは、かつて畳間より贈られた言葉だった。
飛雷神の術を身に着け、基礎を鍛え直してなお―――カカシはきっと、全力のガイには敵わない。カカシはそれを、理解できてしまった。才能だけでは越えられない、
ゆえに、カカシには分かっていたのだ。本当は分かっているのだ。綱手の言わんとする言葉の意味を。
マイト・ガイは、カカシにとって、一番大切な親友だ。気恥ずかしくて口にはしないが―――あの撤退戦からずっと、一緒だったガイを、カカシは最も親しい友だと感じている。自分が死ぬのは良い。仲間のためならば、この命など惜しくはない。己の命すら惜しくない友の命だからこそ―――カカシは、迷ってしまったのだ。
だって、そうだろう。
「……カカシ」
綱手が俯いた。
その口からは、か細い声が漏れる。
自分の言っていることの厳しさは、綱手にも分かっているつもりだ。だから、もしもカカシがそれを背負えないのならばと、綱手は顔を上げて、口を開いた。
「……シカク。私が
「いえ……。大丈夫です。おっしゃる通りでした。オレは……甘えていた」
綱手の言葉を、カカシが遮った。
顔を上げたカカシの瞳には―――畳間と同じ、強く揺らめく、火の意志の光があった。
「霧隠れの皆さん。力を貸してください。オレ達だけでは、その道は、切り開けない。―――策があります」
忍びの世界に置いて、掟を守らない奴はクズ呼ばわりされる。だが、仲間を大切にしない奴は、それ以上のクズだ。
それでも。例え、そんなクズに成り果てようと―――里の家族を守る。だがそれは、家族を守るために、親友を―――。
二律背反。里の闇。
そして―――カカシはきっと、どれほど苦しんだとしても、この闇を
―――五代目……。こんな強さ……。
弱音と恨み言を呑み込んで、カカシは唇を噛みしめた。それが、自分に課された役割であり、為すべきことであると、忍び耐える覚悟を以て、拳を強く握りしめた。
そして力強く前を向き―――言った。
「忍頭の名の下に―――マイト・ガイが合流次第……八門遁甲の陣。その要請を、行います」
それは、自爆技の究極。己の命を犠牲に、火影すら超える力を引き出す、体術の奥義。だがその代償は―――確実なる死。
それを要請するということはすなわち、マイト・ガイに―――カカシの最も親しい友に、『死ね』と、そう命じるということに他ならない。
―――何故、オレが
自分が先陣を切って死地へ赴き、
しかし現実は、自分は生き残り、親友は死ぬという選択を、
―――何故、オレはガイより弱いんだ。何故、オレは八門遁甲の陣を使えない。何故、親友が死ぬのを、見届けなければならない。何故、それを命じなければならない。何故……。何故………。何故…………。
―――それでも。
激しい苦しみが、カカシの胸を締め付けた。
それでも、カカシは決して、俯きはしなかった。前を向き続けた。それが、五代目火影が期待した、はたけカカシと言う忍者の、強さだからだ。
心は、闇に染まらず。哀しみを抱き、怒りと憎しみを耐え忍び―――先人が目指した、夢を見据える。
「カカシ……」
そんなカカシの姿に勇気づけられたのか、シカクの瞳に炎が灯る。
そして、対マダラ包囲網―――忍連合創設のための会議が、始まった。
―――オビト……。
会議の最中―――あるとき、カカシは瞼の上から、左目に手をそっと触れた。
それは、助けを乞うものだったのか。あるいは、心を支えてくれと言う願いだったのか。あるいは―――決して道を違えないという、誓いだったのか。
それはカカシにしか、分からない。
ただ、この瞳はきっと、光を見失うことは無い。どれほど深い闇の中に落ちようとも。
―――そんな確信だけが、カカシの中にはあったのだ。
★
「―――弱気になっている暇なんてないぞ。うちはに千手はもちろんとして……猿飛一族に志村一族も、仲間に入りたいそうだからな」
「……なに?」
隣から耳に届いた声に、マダラは意識を引き戻された。
近くにシスイの姿はない。マダラはいつの間にか、高い崖の上に立っていた。そして眼下には、生い茂る木々―――多くの木ノ葉に囲まれた、点在する家々が、遠く広がっている。
それは遠い昔に眺めた、『生まれようとしている集落』の姿だった。
「これは……」
「……? ―――マダラ」
声の主はマダラの困惑の声を、大きくなる『里』の姿に再度感嘆したがゆえのものだろうと、思ったようだ。あるいは、己の話の内容に驚いたものだと思ったのかもしれない。
ともかく、『声の主』は嬉し気に、マダラへと語り掛けた。
「この里も、どんどん大きくなる。そろそろ、名前も決めないとな……。何か……案、あるか?」
「―――柱間」
マダラは隣の声の主を見て―――驚嘆に目を見開いた。
そこにいたのは、マダラの宿敵にして袂を別ったはずのかつての盟友―――千手柱間だった。
―――幻術か?
マダラはすぐさま幻術解除を発動し―――しかしそれが失敗に終わったことに、思案気に目を細める。
「おいおい……」
柱間は訝し気な表情でマダラを見つめている。そして柱間は何を想ったのか、勝手に、何か納得したかのような表情をして、困ったように眉をへにゃりと曲げた。
「マダラ……。里の名前に、オレの名を付けるのというのはさすがに……
そう言った柱間は、マダラを小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「黙れ」
マダラは不快気に眉を寄せた。
そうは言いながら、しかしマダラは柱間のその表情に対しては、不快感を覚えてはいなかった。
それは、気の置けない関係だからこそ見せられる、人懐っこい無邪気な表情で―――マダラは、その柱間の表情を見て、懐古の情をこそ、抱いたのだ。
「……マダラ? どうかしたのか?」
柱間は、伺うようにマダラを見つめている。マダラから漏れ出る雰囲気に、己の知るそれとは異なる気配を感じ取ったのだ。
心配そうに己の名を呼ぶ柱間を、マダラは無視し、思案する。
(こんなものをオレに見せて……何が目的だ? 恐らくこの光景は、奴の固有瞳術によるものだろうが……。この光景は……木ノ葉隠れの里が、まだそう名付けられる前……里の創世記の頃のもの。
マダラはゆっくりと周囲を見渡した。忘れていた景色。記憶が呼び起こされる。
間違いなく、ここは、今まさに生まれようとしている『木ノ葉隠れの里』である。
見れば見る程、遜色のない景観に、マダラは悩まし気に目を細めた。
(オレの記憶を読み取り、幻術で再現したのか……? しかしそれにしては、この景観はあまりに……。それに、オレと柱間の会話の内容が、何故これほど忠実に再現される? オレ自身ですら、今柱間の言葉を耳にするまで、朧げな記憶だったというのに……)
―――幻術か? いや、違う……。
(まさか……ここは『過去』か? 奴の固有瞳術が時空間忍術の類であり、時を越える能力だったとすれば……。現代の力ではオレを倒すことは不可能だと判断し、生前の柱間にオレを……)
そこまで考えて、マダラは己の考えを棄却する。
(いや……、無いな。オレの『力』に、変化はない。柱間の細胞を手に入れ、輪廻眼を開眼し、仙術を手に入れた今のオレは、既にかつての柱間の力をも、遥かに凌駕している。それに……その企みが失敗すれば、奴らが守ろうと足掻いていた未来は、奴らが生まれるより遥か前に、消滅する。そんな博打には出まい……)
―――やはり幻術なのか、とマダラが眼を細める。
(しかし、情報が少なすぎる。オレの幻術返しで破却されない以上、ここが『ただの幻術世界』ではないということは確実と言えるが……。下手に動けば、何が起こるか分からん……。だが……
「おい、どうした?」
マダラの思考が、柱間の声によって中断される。
マダラはじろりと、柱間を睨みつけた。僅かに、殺気が漏れ出る。
柱間は少したじろいだように瞬きをした。柱間は、マダラから滲み出た、己へと向けられる『殺気』が本物であることを感じ取っているのだ。そんな殺気を向けられる覚えのない柱間は、困惑を表情に浮かべている。そして恐る恐る、と言ったふうに、柱間が言った。
「……なんだ? まさか……」
柱間は心配そうに表情をしかめ、声を潜めて、囁いた。
「……腹でも痛いのか?」
「……」
見当違いも甚だしい柱間の言葉に、マダラは呆れた様に目を細める。思わず、殺気が霧散した。
「マダラ……ッ」
マダラの纏う雰囲気の変遷によって、柱間は己の言葉が正しかったと誤認したのだろう。
優し気な表情を浮かべた柱間は、少し離れた場所にある茂みへと指を向けた。そして、マダラを労わるように、潜めた声で、言った。
「大丈夫か? 間に合わんようなら……オレはこのまま里を眺めておくから、そこの藪で
(こいつ……)
安心しろ、誰にも言わん―――そう優し気に微笑む柱間の表情に、酷く腹が立つ。
そして、懐かしさを感じた。
里を興したばかりの頃―――こんなバカなやり取りを、よくしたものだった。
マダラは苛立たし気に口端をひくつかせつつも、その表情はどこか穏やかに崩れていた。
「む……。……違ったか?」
「当たり前だ!! 人をなんだと思ってる! 馬鹿が!」
柱間がマダラを心配しつつ、己の推理が外れたことに残念そうな表情を浮かべたのを見て、マダラは思わず、柱間へ怒声を浴びせた。
マダラの怒声を浴びた柱間が、瞬時に項垂れた。柱間から、面倒くさい、暗いオーラが滲み出る。
「お前まだ治ってねぇのか!! その落ち込み―――」
知らず、マダラの心が過去へと回帰する。
弟を失った苦しみに耐え忍び、幼いころに夢見た世界の実現へと進まんとする
―――柱間と共に居るこの時間が。楽しく、温かい。
精神が高揚する感覚に、マダラは身を委ねようとして―――。冷たい何かが、背筋を走った。
―――その紛い物を殺せ。
マダラが瞬時に、輪廻眼を発現させた。同時に、片手に鋭い黒棒を出現させると、柱間へと、一気に腕を振り抜いた。
柱間は今の今まで談笑していたはずの親友が取った突然の凶行を前に、為すすべはなかった。
驚き硬直する柱間の側頭部へ、マダラはその黒棒を突き立てた。
黒棒が貫通した柱間の両側頭部から、凄まじい量の鮮血が噴き出した。柱間の眼球がぐるりと上を向く。
マダラは、哀れにも痙攣を起こしている柱間の身体を見つめながら、柱間の頭部に突き刺した黒棒を引き抜いた。どさりと、柱間の身体は、背中から地面へと倒れ込んだ。
マダラは感慨も無い様子で、血だまりの中に沈んだ友の似姿を見下ろした。そして黒棒を一度素早く振り、付着した血を振り払う。
「……恐ろしい術だ。オレをして、ここまで
―――ぐにゃり、と世界が歪む。
「―――弱気になっている暇なんてないぞ。うちはに千手はもちろんとして……猿飛一族に志村一族も、仲間に入りたいそうだからな」
マダラの目の前―――切り立った崖の下には、生い茂る木ノ葉の中に広がる集落。
隣には今しがた殺したはずの柱間の似姿が居て、朗らかな笑みを浮かべながら、先ほどと同じことを、口にした。自分が殺された直前のことなど、まるで覚えていない様子で―――なにも、無かったかのように。
「……そういうことか」
「……なんだ? あまり驚かないな? さては……知ってたな? ……つまらん!」
マダラの呟きを聞いて、柱間が拗ねた様に口を尖らせた。
自分の話そうとしていた内容を先に知られていたのだと解釈し、
そんな柱間を無視し、マダラは思案した。
(……これはイザナミのような、
そこまで考えて、マダラは柱間へと視線を向ける。柱間は先ほどとは違った言葉で、マダラへと何かを語り掛けている。
(厄介だな……。
マダラが僅かに焦ったように、眉を寄せた。
兆しを、感じるのだ。
柱間の声を、言葉を聞いていると―――自身の心が、自然に変化しようとする。柱間の『失敗した夢』を、もう一度目指してみようと思わされてしまう。かつて大切にしていた、在りもしない絆を、心が引き寄せようとするのだ。
―――心が、作り替えられる。
そんな、奇妙な感覚があった。恐ろしいのは、その感覚を不快だと、思えないことだ。むしろ暖かな心地よさを以て、
(この感覚……この術は、上辺だけの洗脳ではなく、精神を根本から塗り替えるものだ。一度染まれば、恐らく、戻る術はない。……耐えなければならん。オレがここで折れては……真の平和を築くことが出来なくなる……)
対象の精神や認識を操る、という点だけで言えば、この術は―――
(千手止水……。認めてやる)
―――これは、うちはマダラが知る中で、最も危険な幻術だ。
さらに、マダラは思考を深める。
(しかし気になるのは、この世界の再現性の高さだ。オレから過去の話を聞き出したのは、この術の発動に必要だったからだろうが……。オレの明かした話だけでは、ここまでの再現は難しいはず。だとすれば……この
そして、思考の末に何かに思い当たったマダラは、面白いとばかりに目を細め、口端を吊り上げる。
(恐らくこの術は、
マダラは忌々し気に、眼下に広がる光景を睨みつけた。
(―――
「―――ここにいたのか!」
突如、聞き覚えのある―――そして、久しく聞いていなかった声が、マダラの後ろから響いた。
マダラはうんざりと、ため息を吐く。
マダラの記憶が正しければ、後ろにいるのは、扉間だ。
扉間は、里を眺めながら談笑をしている自分と柱間を、火の国の大名との会談に参加させるために、叱責と共に呼びに来た―――はず。
「こんなところで何を? 火の国の大名たちが、そろそろ会談に来る。待たせるわけには……」
―――やけに、穏和な口調だな。
マダラの知る扉間はもっと―――乱暴で苛烈な物言いをする男だった。
(まあ、どうでもいいことだ……。扉間は殺した。紛い物を殺しても虚しいだけだ。とはいえ……)
あの
しかしこの大幻術から抜け出すためには、是非もない。マダラは顰め面を浮かべて、後ろを振り返り―――瞠目した。
「―――なん、だと……?」
マダラが驚嘆の言葉を零した。
その視線の先にあったのは、絶対に
―――
マダラはその内心に、
それは、うちはマダラと言う強敵を、絶対に洗脳して見せるという、凄まじいまでの覚悟が見て取れる
―――そして。
「―――
マダラの隣―――マダラと同じように振り返った柱間が、痛みを耐えるかのように潜めた声で―――声の主の名を、呼んだのだ。