トレンチコートと白銀鎧   作:キョウさん。

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日常回って戦闘回の三倍くらい難しいんですがそれは


第三章:奮戦、白銀闘士 4話 『麗しきぽんこつエルフ』

 

 

 夜を迎え、街の喧騒はすっかり静まり返るころ。

 街の各所には夜を切り裂くかがり火が焚かれ、夜の闇の中でそこだけが切り取られたような空間を呈する。

 

 逆に言えば、この世界の夜は想像しているよりも遥かに危険だ。

 近隣ある程度の範囲までは街灯が立ち並んでいるものの、その外、真の意味で”街の外”となる領域へ目を向ければ一寸先も暗闇であるとおり、太陽の庇護を外れた領域は未知数の危険が渦巻いている。

 

 飢えた野獣、月の魔力に中てられた魔獣、人間だって例外ではない、社会に反し光追われた山賊や追い剥ぎが獲物を求めて徘徊するようになる。

 そんなこの世界では、よほど安全な地域以外での野宿というものは非常に難度が高い。闇の中で焚かれた明かりは獣を祓う反面誘蛾灯となりかねず、振りかかる災厄は昼間のそれよりもずっと驚異的だ。夜の闇の中戦い続ける戦士を雇うだけの金も馬鹿にならないし、そうなると必然的に旅人は近場の村を頼ったりあるいは1ヶ所のキャンプ場を決めておき、そこで寄り集まって夜を越す。

 

 そうしているうちに旅の中継地点には宿が建ちコミュニティが栄え、旅人を迎え入れていた村々も次第に豊かになっていく。

 商売、探訪、浪漫、理由は様々だ、旅と切っても切れないこの世界において、街と街をつなぐルート上にあるものはすべからく人の手が加わっていき、自在に形を変える粘土細工のように少しずつ形を伴って未来へと続く。

 

 ここパーミットの夜も昼間に比べれば静かだが、血気盛んなこの場所においては完全なる静寂はなく眠らない。ふと街路を歩けば側道の屋台には人が座り、扉をあけっぴろげにしている酒場では鋭く研がれた商売道具を背負った益荒男達が互いを確かめ合っている。

 

 闘技場、そこでの一勝により得られたささやかな金子をみやげの串焼きに替え、残ったコインのうち一番大きな硬貨、一枚の銀貨を指でピンッとロイズは弾くと、再び手のひらに収まったそれをもう一度まじまじと、目を小さく輝かせて眺める。

 

 思い返せばかつて住み慣れていた地下バンカー、B.O.Sの組織内では衣食住を保証されど給金というほどまともに制度化された(キャップ)を受け取った覚えはなく、せいぜい小遣い程度がいいところ、長い戦争の終結によって開放的にはなってきたものの、基本は引きこもっているために経済が内部の人間で完結しがちなバンカー内において立場上書庫を自由に使えた彼は娯楽にも使う機会がなく、いまいち金を得ているという感覚がなかった。

 

 以前報奨金を貰ったりはしたが、そう思うとまともに働いて金を稼いだというのは今回初めてなのではないかと、改めて手のひらの中の不揃いな硬貨を見て不思議な感情が湧いてくるのを感じ、顔がにやつく。

 

 陽気になって買った串焼きの束も、初任給が入ったことで浮ついてしまったサラリーマンのような気持ちが大きいだろう、なんとなく特別な買い物をしたようで気分が踊るその足のまま、彼は道をいくつか曲がって目的の場所へと辿り着く。

 

 

 見上げるほどの大きさもない、一階建ての少し古ぼけたログハウスだ。

 ログハウスの横にはすっかりメンバーの一員になった家畜のブラフマンが膝を折っていて、夜の闇の中船を漕いでいる。

 

 これは先日の話のあとこの場所への長期滞在を決め込んだティコが、宿を取るよりは安上がりだから、という理由で金貨を一枚崩し月極めで借りたものだ。

 日雇いの仕事でちびちびと稼ぐ彼らとしては資産を切り売りする大きい出費だったが、ティコ曰く「初期投資は惜しむな」であり、装備にしろ拠点にしろ、常に出始めは万全の状態で(おこな)った方がいい、暑ければ脱げばいいが少ないとどうしようもないという理由に則ったものである。

 

 広さや利便性の条件にマッチするものがこの一軒、ややガタが来ており長らく管理されていないものであったものの実際に訪れてみるとそう悪くなく、ティコが心ばかりの短期休暇をとりロイズの闘技場参戦が正式に決定するまでの数日の間に一日かけての大掃除をしたところ中々に見違えた。

 小さいがキッチンもあり、今は使わないだろうが暖炉も完備、足を伸ばして眠れる二段ベッドがひとつとテーブルまでが揃って月々金貨の半分(50,000)もかからない。十四畳ほどのひろびろとした空間は配置された家具、おまけに部屋の隅に押し込んだティコとロイズの荷物の山のせいで手狭になっているものの、生活するには十分だった。

 

 でんと構えるログハウスを前になんとなく我が家に帰ってきたような感覚を抱きながら、ロイズは玄関扉に手をかけるとそのまま押し開ける。

 何の抵抗もない、主の帰りを出迎えるかのように扉はすんなりと開かれ、かつて踏みしめた地下バンカーの鉄臭さともサンストンブリッジ孤児院の街の匂いとも違う、自然的で木目の香りを彼に―――

 

 

「うっわ!臭っ!なんだコレ!?うっほ・・・お”う”ぇっ!」

「やあおかえりロイズ、違うんだ、これは決して料理に失敗したとかじゃあなくてだね・・・ほら!研究だよ、画期的で素晴らしい味の世界を切り開くためにあえて先陣を切って殉ずることにボクは決めたというだけで」

「いいから換気しろよ!」

「光が・・・消えたりついたり・・・ああ、院長、お先に逝きます・・・」

 

 期待はずれのとてつもない悪臭で充満したログハウスに一歩足を踏み入れた瞬間、ロイズは咳き込んで即座に部屋から脱出、ヘルメットをがっちりとかぶると危険物処理班かくやとばかりにまた部屋の中に突入する。

 そしてキッチンで手元からカラフルな煙を漂わせているテッサに一喝すると、床に横たわりおぼつかない視線でどこかを見ながら悶えるアルを跨いで越え、全ての窓のブラインドを全開にするとキッチンへ突撃、諸悪の根源たる一杯の鍋に蓋をし閉じ込めることに成功した。

 

 今ここに、一軒のログハウスをカモフラージュに拠点に劇物を開発、世界中を恐怖に陥れようとしたバイオテロ計画は終焉を見せたのである。

 

 そして主犯格である銀髪の見るも美しい、近所の人々にインタビューすれば十中十は「そんな人に見えなかった・・・」と言われるであろう麗しい少女は囚えられ、部屋の中央で椅子に縛り付けられ二人の尋問官、白銀鎧を脱ぎ捨て部屋着に着替えたロイズと、仁王立ちするアルの二人を正面に据え問いただされていた。

 

「申し開きはあるのかいぽんこつエルフ」

「君は本当に無礼な子だねアルベルト、こう見えてボクは君よりもずっと長く、そう70年以上を生きるムーンエルフなのだからこう、もう少し畏敬といたわりの気持ちを持ってだね・・・」

「どの口がいうかっ!人よりもずっと鼻が効くんだ、鼻が曲がってアタシ死ぬかと思ったよ!」

「いったぁぁーっ!何それ!?伸びるからくりバトン?気になる!見せてよ・・・いたい!やめてくれアルベルト!」

 

 警棒である。

 

 ロイズも何でこんなものが荷物に入っていたのか分からない、気持ち護身用にでも用意しといたのか、ロイズのフィスト同様コレクションアイテムだったか、はたまたあのキャラバン内に愛しあう二人がいたがやがて倒錯的関係に陥ってしまったのか。

 まあどちらにせよ、この黒く威圧的な見てくれとスチールの組成、ほどよい長さと400gも行かない重さで子供なアルの手にもちょうどよく振り回せる警棒は雰囲気作りにもちょうどいいとロイズも無視した、のだが。

 

 アルがテッサの腿を叩くたびにスパンッ、とそれなり景気のいい音が響いてテッサが身悶えるが、それを上回るほど警棒自体に対する知識欲を昂らせるテッサがなかなかに怖い、正直なところアルも手加減して叩くのをやめたくなるくらいに引いている。

 

 ドン引きの二人が一歩下がったのを同時にアルの折檻も止まり、それからはっと気付いたテッサが乱れた髪を頭を振って梳かす。あたかも淑女のような気の利きようだがほんの数秒前を忘れられない彼らからは、美しい淑女像は固まる前に溶けていった。

 

「まあほらさ、ボクだって薄情じゃないんだから日銭を稼ぐティコや戦いに汗を流してきたロイズのためにこう、何かできないかと思ってね?日々の疲れに対する甘い清涼剤となるような料理を、そう手料理を作ってあげようかって思って」

「食材を無駄にするこた料理って言わねーぞこのポンコツエルフ!なんだよアレBC兵器じゃねーか!」

「だいたいアタシがやってるところに横槍刺しただけじゃないですかい!あーっまた作りなおさないと・・・」

「ぽんこつって言った!ロイズにまでぽんこつ呼ばわりされた!ひどいな君だけは信じていたのに!」

 

 涙目になり縛り付けられた椅子をガタガタと揺するテッサをよそに、アルがキッチンへぱたぱたと駆けていくとロイズも隅に立てかけられたパワーアーマーのメンテナンスに手を割く。

 ひとり罰とばかりに椅子に縛り付けられたテッサはしばらく椅子を揺らしロイズに声をかけていたが、とうとう相手にされなくなったことを悟ると抵抗を諦め、器用にもそのまま顔を落として眠りに入ってしまったのであった。

 

 

 

 ロイズがパワーアーマーのメンテナンスを終えたあたりのころ、ログハウスの扉が開かれ、その向こうに広がる宵闇の中からぬっと這い出るように、天井をぶつけないように頭を落としたティコが入ってくる。

 彼はぐるっと部屋を見回し、至って平然なロイズとキッチンで鍋をかき回すアル、続けて全開にされた窓ブラインドと視線を移したあと部屋の真ん中で椅子に縛り付けられ眠る、姿勢の乱れからあたかも人権を辱められるような拷問でも受けた後のような姿のテッサへと目を移し、首を傾げた。

 

「あー、ただいま?俺がいない間に何だか愉快なコトになってたみたいだが一体・・・しかし何だか臭うな。俺じゃないよな?これでも毎日身体は洗うしそのあたりのケアには気を遣ってるつもりなんだが」

「正直グールのがマシだよマジ、さっきまでここをもう引き払おうかって考えてた」

「ああダンナぁ、お疲れ様です!ご飯そろそろできますんで待ってて下さいな」

 

 半ばうんざりとした表情で言うロイズとティコの帰還により満面の笑顔のアル、コートをぱたぱたとさせ自分の体臭を事細かく確認していたティコは二人の反応を見て原因が別にあることを確信すると、後ろ手に扉を閉めトレンチコートを脱いだ。

 

 それからテーブルに備え付けられた木組みの椅子の背にトレンチコートをぱさりと掛けると、次いで端まで行き荷物の山に暑苦しい、フルカーボンのレンジャーコンバットアーマーをも脱ぎ捨てぽいっと放りシャツ一枚の姿になる。

 ヘルメットも放り、半袖シャツの姿になったティコは肌が外気に露出することもあり見た目こそお世辞にも綺麗とは言えないものの、がっしりとした太い腕やシャツ越しに見える身体のラインからは彼が体格に準ずるように、鍛え込んでいることを感じさせた。

 

「まあ何があったか知らんがこれじゃメシも食えんだろ、もしかすると相棒にハードなプレイ好きな趣向があったのかもしれんが離してやりな」

「ちげーよ!」

「そうだよロイズ、いくら溜まっていて、身近な可愛いどころがボクしかいなかったとしてもボクたちは一つ屋根の下寝食を共にし旅をする仲間じゃあないか、気持ちはわかるけど手を出しちゃダメだと思うなあ」

「お前いつの間に起きて・・・ッっつーかそれもちげーよ!さらっと罪状を捏造すんな!」

 

 後ろ手に椅子にくくりつけられた紐をティコがほどいてやると、いつのまにやら起きていたテッサがわざとらしく頬をぽっと赤らめ流し目でロイズを見やる。

 すると何も言わずに腰を上げたロイズがテッサを追いかけはじめテッサとロイズはテーブルを挟んで追いかけあい、小さなログハウスがいつにもまして騒がしくなり、揺れるたびに天井からは掃除しきれなかった小さな埃が落ちては床に散る。

 

 一方テーブルの椅子に座って追いかけ合う二人を目で追い、たまに背もたれをつかまれ方向転換に使われぐらぐらと揺らされていたティコとしては事情がまったくわからず、首を傾げる一方だった。

 そうしていると、パンパン、と打ち鳴らす音が響きそれを合図に追いかけ合う二人は静かになる。

 ティコ含め三人がいっせいに目を向けると、カウンターには料理の入ったお皿、その向こうのキッチンには頭巾をかぶったアルがいて八重歯をのぞかせ笑っていた。『おゆはんができましたよ』と、アルが手を叩いた音であった。

 

 ティコは椅子から立つと、カウンターまで歩いて行き並べられた料理の数々を眺めて笑みカウンターからテーブルへと運んでいく。

 追いかけ合っていたロイズもテッサと目を合わせると、その”もういいでしょ?”とばかりの笑みに毒気を抜かれ、テーブルに置かれた料理を並べなおし、持ち帰った小さな木箱に入れられた串焼きの束を新たに取った皿に並べていく。

 

 鉄の皿、銀フォークもスプーンも、ここにティコとロイズが飛ばされる以前に荷物の中に用意されていたものである。

 もっとも冷蔵庫に色々と詰めていた癖に旅路は専ら戦闘糧食(レーション)と豆の缶詰め、おまけに補給後出発して早期に飛ばされた結果使われずじまいだったために綺麗なままだったそれは、洗濯から食器洗い、お風呂掃除からサビ取りまで幅広く使える戦前企業ABRAXO社の傑作アブラクシオクリーナーによって見違えるほど綺麗になった、それこそ皿で肉が切れそうなほどに。

 

 そこで彼は、串焼きの木箱が二つあることに気付く。 

 ふとティコに目を向けると彼はひょうきんな顔をした、どうやら考えることは一緒であったらしく、ロイズは口元をへの字にするとその四人分には多すぎる量の半分をそっと木箱に入れたままにした、翌日の朝の分にでも回せばいいと考えたのだ。

 

 そうしていると、頭巾を脱いだアルもキッチンから出てきてテーブルに座る。

 テーブルは長方形で、アルがティコの隣に座りたがるものだから必然的にロイズとテッサが隣り合わせになるのだがいかんせん育った環境の違いだろうか、いざ食事が始まってみるとどこで学んだか完璧なマナーで食事を進めるテッサとの差は中々目立つ。

 

 決してロイズも悪いほどではないのだが、地下バンカーの食堂で業務に差し障らない程度に可能な限り共同で食事を摂る生活だった彼は、テーブルマナーといったものにはいかんせん疎いのだ。

 もっともここでそれを気にする人間はおらず、テッサ自身見た目に反してかなり俗っぽいところがあるのでたびたび引かされるのは周りであるのだが。

 

「しかし嬢ちゃんもうまいもんだな、相棒も中々イケるんだが、やっぱ現地の食材慣れした子が作ると一段上回る。これが毎日食えるんなら今後は嬢ちゃんに飯炊きは任せたいところだぜ」

「ダンナがそう言うならいつでも引き受けますよええ!ああそれから、こちら右からヨドキノコのスープ、タチ魚のムニエルに黒パンです」

「それからこちらはボク特製ホワイトシチューとモート肉蒸し焼きです」

「いつの間に引っ張り出してきやがったこのポンコツ!埋めに行くぞ!」

「ああ、そんなぁ!頑張ったんだから一口くらいいいじゃないか!」

 

 食事の席を立ったロイズがキッチンでいつの間にか蓋を開けていたBC兵器を両手で持ち上げると、そのまま玄関扉を蹴り開けて外の宵闇へと早足に駆けていく。

 その後をテッサがスプーンを持って追いかけていくと、後に残されたアルはそれをいいことにティコを独り占めするように席を近づけ、甲斐甲斐しく世話を焼くようにティコの食事を手助けし始めた。

 

 ただ一人、やはり何も知らずに釈然としなかったティコだが、結局細かいことにはあまり気を向けず懐の大きい彼は一人、若者だけの事情があるのだと納得するとアルが差し出したスプーンを口に含み、手の込んだその味に舌鼓を打つ。

 

彼は結局、この場所にある幸せを享受することだけに執心したのだ。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「っうーねみぃ・・・とっとと顔洗って着替えよ・・・」

 

 夜が明けしばらく、まだまだ陽の色は赤々しい午前6時ごろ、寝巻き代わりにしている戦前モデルの春服姿のままのロイズは、起床後のぼんやりした頭のままログハウスを出てふらりと、街にいくつもある共同井戸の最寄りのひとつへと赴く。

 

 正直なところ、根っからアメリカ系である彼は朝方にはシャワーを浴びる生活をしたかったものであるしバンカー内では大体そうであったものだが、この世界は生活習慣に差異があるようで最低昼を過ぎないと浴場の水は冷たいし、なにより割と彼らの住まうログハウスからは遠い場所にあるので億劫だった。

 

 この時間になると周りの住人たちも洗顔や生活用水の確保のために井戸へわらわらと集まってくるもので、現に今も老若男女を問わず様々な人が集まっている。

 

 しかしロイズはそこで、集まる人々が奇妙なそぶりをしていることに気付いた。

 主に男だろうか、談笑に花を咲かせているだけのようにも見えるし家屋の壁により掛かる強面の彼もただ煙草をふかしているだけに見える。ただ彼らが奇妙なのは、その視線がちらちらと、ある一方のみに向けられていることで―――

 

「お前・・・」

「やっ、ロイズ。早起きするのも悪くはないものだね、こう肌寒さが身を引き締めてくれるというか、それにいつもと違う時間に起きているって感覚がなんだかいけないことをしている気分にさせてくれる」

「いけないことしてんのはお前だよこのポンコツ!」

 

 よそよそしくそこだけがぽっかりと空いたように、井戸端の腰掛けに一人座る少女がロイズに声を掛ける。銀色の髪は既に尻にまで届き、細身の四肢は精密な硝子細工のように美しい、青く丸い瞳まで加われば完璧だ。

 

 ムーンエルフのテッサリアだ!ここ数日ですっかりポンコツの地位を築いた彼女は、青いワンピースの肩紐を解き上半身を裸身のまま晒し身体を濡れタオルで拭いている。一応スポーツブラ状の下着は着用しているもののその光景はロイズの度肝を抜き、彼の中のファンタジックエルフ像というバベルの塔は再び神の雷によってガラガラと崩れていった。

 

「別にいいじゃないかロイズ、ボクにはそんな気にするほどの身体は・・・まあ、無いからね」

「薄い胸気にしちゃいるのか・・・じゃなくて!一応公共の場所ってヤツだろ!マナー違反だマナー違反!」

「い、いつにもまして声が大きいねロイズ・・・じゃあ背中を拭いてくれないかな、そうすれば早く終わるんだけどボクじゃあ届かなくって」

「よしわかっ・・・え?あー・・・あー、あーっ!」

 

 腰掛けに座ったままくるりと周り背中を晒すテッサを前に、濡れタオルを受け取ったロイズは葛藤し悶える。

 正直なところでっち上げたもっともらしい理由というより、年頃の青年である彼からしては目に毒過ぎたために気恥ずかしさが動いた結果なのだが、それがかえって役得な結果を産み彼の良心に深いダメージを加えた。

 

 しばらく頭を抱え、周囲から刺さる妬ましい視線に耐えながら悩みぬいたロイズだったが、彼は深く息を吸うと決意したように立ち直って、

 

「あーもうわかったっ!とっとと終わらせて帰るぞテッサ!」

 

 濡れタオルを目の前の、髪をかき分け無防備にも背中を彼に預ける少女に触れさせる。

 その瞬間、ひやっこさに反応したテッサが艷っぽい声を漏らしたのを聞き届けたが、彼は心を氷か鬼にしたように動じず淡々とその白い肌に降り立った穢れを拭い去るに徹した。

 

 ―――ああクソッ、柔らけー・・・。

 

 それでも布タオル越しに伝わる体温と感触に、ついぞ頭の中で思ってしまう。

 

 性格のエキセントリックさや行動力の無尽蔵さばかりが目につくが、これでもこのエルフの少女はこの場において多くの人、それこそ女性ですらの視線を惹きつけているとおり、見るも麗しく美しい女性であることに変わりはないのだ。

 

 それなのに彼女は無防備というか無頓着というか、長くを生きればそうなるのだろうか、自身の魅力を分かっている癖に隠そうともしない。

 素っ裸にならないだけマシであったが、青年期真っ盛りでいつ野獣に変貌するやも分からないロイズが寝ていればその腹を”ちょうどいい”と枕にして彼の心をムズムズさせ、現に今もその珠のような肌を彼に触れさせている、”お預け”を食らい続けているロイズとしては頬を殴られるよりも堪らない仕打ちで、大切な睡眠時間を悶々と削られるのだからたまったものではない。

 

 流れる銀糸の髪は繊細な絹糸を思わせ、ふわりと薫る女性特有の匂いは彼らが持ち込んだ石鹸の活躍により日々脅威を増すばかり、白い白磁のような肌はそのくせ柔らかく、丸くくりっとした目に輝く瞳はサファイアか、はたまた彼女に合わせればブルームーンストーンもいいかもしれない、宝石を思わせる。

 盈盈(えいえい)とした華奢な身体は美しいラインを描き、触れるのを躊躇いたくなるほどだ。

 

 本当に、見てくれはこの上なく美しいとはロイズ自身も認めている、見てくれだけなら。

 そう―――

 

「これで残念じゃなけりゃ最高なんだけどよ・・・」

「ねえロイズ?ボクも怒ることくらいあるんだよ?こんな綺麗どころ捕まえといて何さ君は、やるかい?やるのかい?いいよ、いつでもかかってきなよ、君のスパーリング?相手くらいボクにだって」

「だーっ!動くなこのポンコツ!」

 

 席を立ったテッサが拳を構えシュッシュッ、とシャドーボクシングをするのにロイズがわめき、無理やり引っ張ってまた座らせる。

 テッサは口をむーっとさせながらも腰掛けに座り直すと、荷物らしいバスケットの中から歯ブラシを引っ張りだし、歯磨き粉らしい缶も取り出すと蓋を開けパッパッと歯ブラシに粉をかけ、そのまま口に含んだ。

 

 歯ブラシに限ってはロイズ達が持ち込んでいたもので、輸送キャラバン隊の紅一点、10mmサブマシンガンを持たせたら右に出る者のいないエミリー上等兵が使っていたものであったがそこは我らが万能洗剤アブラクシオクリーナー、適当に水と混ぜて洗ってみたところ不安なほどピッカピカのテッカテカになったために以降はテッサが使っている。

 歯磨き粉はこちらにも存在するが完全な粉状をしており、さる薬草を配合して作るものであるらしくロイズも使ってみたが開口一番『ミントと塩を4:3で混ぜたみたいな味』でありあまり好んで使ってはいない。

 

「それにしても本当に便利だねこの歯ブラシ、きめ細やかな歯ブラシっていうのは貴族や王族が好んで使うものだけどなかなかこれほどいいものには出会えないよ。もう布と塩、それから爪楊枝で歯をこすってた頃には戻れないね」

「こっちの生活レベルが時折分からなくなるんだよなそういうこと言われると、魔法があってもエレベータ一つ作れねーみたいだし」

「エレベータに関しては後で聞かせてもらうとして、君の言う基準がわからないけど君の言う”故郷”ほど便利な機械類ができていないのは確かだね」

 

 言うなり口元を泡立て始め、会話をシャットアウトするテッサ。

 ロイズも合わせて無言になりテッサの背中を端から端まで拭き、ようやく終わったことに救われた感覚になると歯磨きを終えたテッサに濡れふきんを手渡した。

 

「魔道具に関しては昔高度な文明を地下に作ったドワーフがいたらしいけど滅びちゃったみたいでね、エルフが作ってる魔道具も強力なのは多いけど彼らには敵わない、あの大男、フラティウみたいな冒険者って職業はそういったものを掘り起こすのが生業らしいよ」

「へー・・・ロマンあるなあ」

「デレクタンドリームだね、女の身でもそう言う夢のあることって好きだよ」

 

 うんうんと、互いに腕を組んでうなずく二人。

 それには後ろにいたロイズだけがはっと気付き恥ずかしげに腕を下げたが、テッサだけは青いワンピースの肩紐を肩にかけ直しながら、その調子のままに会話を続ける。

 

「まあ世の中色々だよねえ、君達の持っているあの魔道具の数々も全部売り払えば屋敷の二つや三つそこら買えるくらいには買い手がつくと思うんだけど」

「バッカ官給品売れるかよ、ガラクタならともかく武器横流しなんかすりゃクビ飛ぶんだよ」

「君達も難儀な性格してるよねえ、数千キロも離れた所に飛ばされたら誰も知ってる人いないんだし、ボクなら仕事なんてほっぽって骨を埋めようと思うけどなあ」

 

 ワンピースを着こなしたテッサが席を立つのと代わるように、腰掛けに座ったロイズが手桶の中に残った水で顔を洗う。

 地下水だけにかなり冷たい。だがその冷っこさは拳で闘う肉体派の彼にとってはいい刺激になり、眠気眼は元々すっかり覚めていたものの眠気の残滓を吹き飛ばすのにちょうどよく、顔を水が一回、また一回と打つたびに心の引き締まる感覚を彼は覚えた。

 

「ああ、それと君達がいない間に調べておいたから忠告しておきたいんだけど」

「お?ああ、日中家にずっといるわけじゃないのな」

「不名誉な、家守はアルベルトに任せてボクはボクなりに協力する姿勢なのさ、それだけど」

 

 彼女がワンピースの肩紐を直すころに、周囲から恨みがましい視線が飛ばされるのを無視しながらロイズは彼女の話に耳を傾けようとする。テッサはポケットから櫛を出すと、髪を持ち上げ梳かしながら口を開いた。

 

「闘技場で100連勝を目指そうとする強豪たちが、ここ数年なんらかの妨害を受けているらしい。フラティウ達も例外じゃあないそうだからね、君のことだから誰かにコロッと騙されかねないから言っておかなければと思ってね」

「過小評価されてる気がするのは置いとくとしてだな・・・まあ、サンキューな、覚えとく」

「なに、ボクたちの仲じゃあないか」

 

 でも、もっと褒めてもいいんだよ?と髪をかきあげ得意気に言うテッサを前に、調子に乗るなと頭を小突いたロイズが手桶を抱え、あざとくもペロッと舌を出すテッサを横目に帰路に着く。

 肩を回し、今日も始まる闘いに思いを馳せながら、ロイズは拳をぐっと握り締めるとただ前を見て心の中でだけひとつ、固く誓った。たとえ何が相手になろうとも必ず勝ち続ける、それが――― ”故郷”への最短ルートなのだと、そう信じて。

 

 

 




正直アブラクシオクリーナーが何の洗剤なのか分からないのですが、トイレから風呂、食器からコズミックナイフにパワーアーマーまで割りとなんでも洗えるみたいなので万能洗剤と認識しています。


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