部屋の扉を、ティコはゆっくりと開く。
まだほのかに血の匂いの残る部屋の隅にはまだ、一人の少女が座っていた。
「嬢ちゃん」
「ああダンナ、大丈夫です、落ち着いてますよ、本当に」
「そいつは何よりだ・・・ちょっといいか、そいつを取りたい」
言う割に、どこかせわしない様子のアルに声をかけ、彼女が手近なベッドに腰掛けたあと、彼は部屋の隅に山積みになった装備の数々に手を伸ばす。
装備郡の正面に座り込み、その中の一つ、100発装填のボックスマガジンを持つアサルトライフルAK-112を手に取るとマガジンを外し、弾薬箱から取り出した5mmの弾を押し込んでいく。慣れた手つきの動作はあまりにも素早く、迷いがない、こころなしか、いつもより早いくらいに。
肩がけにした弾帯ベルトにはぎっしりと弾薬を詰め込み、背中にもライフルを一挺背負う。
腰の後ろのマガジンポーチには右腰に携えたレンジャー・セコイア用の.45-70ガバメント弾を放り込み、ピストルに弾が全て入っているのを確認すると彼はAK-112を肩に担ぎ、すっと立ち上がった。
その姿は、黒色の兜に赤い目を持ち死神のごとく外套を纏い、全身を凶器のハリネズミにしたまさに恐るるに足るものだ、ティコ自身の心情が風格に現れていたこともあって、それからティコはアルに目を向けたが彼女は相手が見知った顔であるにも関わらず気圧されてしまった。
「悪いな嬢ちゃん、野暮用が出来た・・・行ってくる」
「行ってくるって、どこへですか、ダンナ」
「レディからダンスパーティのお誘いを受けたからな、主役に選ばれたもんだからだいぶ長くなりそうだ。嬢ちゃんはここにいてくれ、心配しなくても・・・」
その瞬間、目を合わせているはずなのにどこか目線がずれているような、そんなティコが言い終える前に、アルは彼のコートを裾を掴んだ。
ティコはそれに目を移すと、次いでアルの顔に目をやる。彼の目はその小さな顔の、丸い金の目が再び潤みはじめているのを映した。
「そんなもの持って、一体何のダンスパーティなんですか」
「えーっと・・・花火上げたり?」
「それ武器でしょ!戦いに行くんだ、ダンナは!」
コートの裾を握る手が強くなるのを感じ、アルの目にはっきりと自分の目を射抜かれたティコは、反射的にその目を逸らす。力づくで振り払って、今すべき最重要課題に取り組みに行くことは容易だったし、真実を教えることも簡単だった、だが彼の、アルに下手な嘘をついているという思いがそれをさせなかった。
今不安定になっているこの小さな少女の心に、もう一本の楔を撃ち込みたくはない。
それだけだった。
今の彼女は、あらゆる要素を振りきって責任の所在を自分へと向けてしまうだろう。
孤児院が襲われ、エリスまでもが拐われたという事実を先に知っていればその思考のロジックはあくまで”誰かを守るため”という大義名分を得て多少なりとも正常な回路を形成したかもしれないが、しかし誰かを初めて手に掛け、なおかつそれが半ば無意識であった彼女の思考はなおさら自戒に回る。
彼が事実を言葉として彼女に打ち込めば、真相を知り、それが今現在においても解消されていないことを知った彼女の心に食い込み離れなくなってしまうに違いない、だから。
「行かないでダンナ!アタシどうすればいいか分からないんです!だから!」
コートの裾をわしづかみにし、力いっぱいに引っ張る少女につい、身体を引かれしゃがみこんでしまう。身長は190に届きそうな大柄で、全身に鋼鉄の重装備と無数の火薬をこれでもかと身につけ、日々鍛錬し引き締まった肉体までもを持つ彼がだ。
身軽ではあったが、それでも衣装ダンスですら押して動かせない。
年頃の少女よりは締まっているが、それでも子供から抜け出せない。
泣きはらしたあとで、指先にかかる力を削がれている。
そんな彼女の力でも、抵抗をしないティコは簡単に引かれてしまう。
―――もしかすると、引かれたのは身体だけではなかったかもしれない、ティコはしゃがみ込んだ自分の背中に小さな体重がかかるのを感じると、小さく俯いた。
「嬢ちゃん・・・でもな」
「また誰かのために戦いに行くんでしょ、ダンナ」
ティコは答えない。
背中に覆いかぶさったアルは抱きしめる手を強めた。
「またアタシの時みたいにムチャな戦いしに行くんです、ダンナが強いのは知ってます、でもだからって、だからって!帰ってこれないかもしれないじゃないですか・・・!ふるさとに帰るんでしょ?いつかアタシを一緒に連れてってくれるんでしょ?だから―――」
―――行かないで。
わがままで、純粋な願いだけ。
同じ傷を舐めあえる人を、信頼できる人を、彼女は失いたくないのだ、それはティコにも分かる。
今回立案した作戦も、正直なところティコは無事で済むか判断しかねる点があると自覚してはいた、彼女の言うとおり、ムチャであることは間違いなかった。
だから、
「・・・嬢ちゃん」
「はい、ダンナ」
淀みなく彼の声に耳を傾け、真っ直ぐに返事を返し腕に強く力をこめるアル。
ティコはその感触をトレンチコート越しに感じ、なんとも愛おしい感覚に襲われた後彼女の手をゆっくりとほどいていき、そして不安げに見つめるアルへと向き直ると彼女の両肩に手を当てる。
そしてヘルメットを脱ぎその、”地獄の業火に炙られた”と彼の揶揄した顔を彼女に見せしゃがみこみ、目線を合わせまっすぐに彼女と相対すると、ふう、っと一息ついた後に口を開いた。
「―――俺は帰ってくる、絶対にだ、約束だ・・・そしたら」
「はいっ」
「前々から嬢ちゃん旅に同行したいって言ってたよな、あれいいぜ、行こう。正直どれだけ長くなるか見当がつかんが、かえって面白くなるだろうしな・・・嬢ちゃんにゃいい目と逃げ足がある、心配すんな、俺と相棒がいるんだ、守ってやる」
「えっ・・・」
唐突に告げられた、願ってもない提案にアルは一転うろたえる様子を隠せない。
だががっちりと両肩をつかまれた彼女は逃れることもできずに、合わせた指先で口元を隠すだけが精一杯だった。
「だいたい俺をいくつだと思ってる?151だよ151、NCRが誕生して、エンクレイヴの連中が総倒れになって、ディバイドでキノコ雲が上がって、全部見てきた男だ。ウェイストランドなら人生三回目に突入してんだぜ、負けるはずがないってもんだろ?嬢ちゃんも見てるはずだ、俺がラッドスコルピオンと、あの筋肉盛々のダークエルフ野郎をブッ倒してるところを」
「でもダンナ・・・」
「でもでも何でもない!心配すんな嬢ちゃん、例え100人のレイダーが相手だろうがデスクローとサシでやりあうことになろうが、俺は帰ってきて嬢ちゃんを連れてくさ。だから―――」
ティコはアルの両肩を掴んでいた手を離すと、片手をその頭に優しく添え、撫でた。
「嬢ちゃんには俺を信じて、ここで待っていて欲しい」
「ダンナを、信じる?」
「そうさ、一緒に旅をするってのは一蓮托生だ、お互いを信頼してないと出来んもんだ。だから嬢ちゃんにも、俺を――― 仲間を信じて欲しい、約束破ったらタマサボテン飲み込んでもいいぞ」
頭をぐしぐしと撫でながら言うティコの言葉を、アルは返せない。
だがティコはアルが言い淀むのを見るや、彼女の肩を再び抱き、ベッドへと無理矢理に座らせた。
「よし、分かってくれたな!大丈夫、嬢ちゃんは強い子だ、きっとそうだって信じてるさ。じゃあ、行ってくるぜ嬢ちゃん・・・晩飯を置きっぱなしにしちまったからな、ついでに取ってくる」
一方的に言葉を流し続けるティコは、AK-112アサルトライフルを肩に担ぐと後ろ手に片手を振り、アルが考え言葉を返す暇も与えずにつかつかと扉まで歩いて行くとふと立ち止まり、棚にあった一瓶のエールをぐいっと喉に押し込んだ。
それから彼は、振り切ったように扉に手を掛ける。
そして後ろ手に手を振り出ていこうとする瞬間、去りゆこうとするその背にアルは、ようやく言葉を声にして出せた。
「っ、あの、ダンナ!」
アルの少女らしい、高めの声が背に届き、ティコは後ろを振り返る。
「・・・絶対に、帰ってきて!」
「・・・ああ、ありがとうな、嬢ちゃん」
小さく頷き答えると、ティコは扉をガラリと開き外へ出て、扉を閉める。
そうすると再び部屋が薄暗くなるが、アルはすぐに窓際へと移動すると、広々とした窓を塞いでいたカーテンをひとおもいに開く。
沈みかけの夕陽が、アルの頬に残る涙の跡と、潤みの消えた金の瞳を紅く照らしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
サンストンブリッジ貴族街、コロッセオ。
直径4kmも行かない程度の街の中、それも更に中心部に鎮座する円形闘技場は中世ローマのコロッセオに比べやや頼りない規模であるものの、深く彫り込まれた彫刻、どっしりと構える石像の数々、そして大きく口を開ける門といい、決して存在感の上では劣らない。
かつての戦時から時間が経ち、平和を享受するようになった人々だったがそれでも本能は闘いを求めていたのだろう、気がつけば貴族街の端に建てられていたこの施設は、定期的に剣闘士や拳闘士、魔術師による闘いが開催され平民、貴族ともに熱く滾る血潮を燃やす場所として親しまれてきた。
だがあくまでも公共施設として使われているここも、適度な資金、礼節があれば貸しきることも可能だ。
この金額も無理の無い範囲に収められており、そのせいか本来なら定期開催であるはずのこの場所は、連日私的なトーナメントや娯楽に飢えた観衆、果ては商人や市民の蚤の市にまで、様々なイベントで連日予約が絶えない。
しかし今日に限っては、開放時間は大抵常に開かれているはずの扉がぴっちりと閉ざされ、鍵がかけられていた。
ただ一つ鍵のかけられていない扉には、一見ガラの悪そうなゴロツキ風の男たちがたむろしており、道行く人々を監視するように、あるいは何かを待っているかのようにただその場をじっと動かず談笑に花を咲かせている。
しかし、その談笑の”内容”にふと耳を澄ましたのなら誰もが戦慄するのだろう、彼らの正体は道の端でただ突っ張るだけのゴロツキなどではなく、歴とした戦闘員、汚れ仕事から正規の戦争までを引き受ける”傭兵”であったのだから。
陽はもうすっかり沈みかけ、夜の闇が赤い空に包囲殲滅戦を仕掛けている時間、貴族街にいくつも連なり街の景観を演出する、高貴な者が住まう場所に相応しい装飾のされたランプに灯りが灯される。
平民街や貧民街の油ランプと同様の仕組みではあるものの、彼らが使う安っぽい、時間になると”灯り子”と呼ばれる小僧が火種を持って走り回るようなものとは違う、魔法により火種を伝達させることによりあっというまに灯火が完了するものだ。
そして領都サンストンブリッジでは夜の訪れと共に、空に住まう者の目からは中心の貴族街から順々と、伝播するようにに光が広がっていくのを目にすることになる。
かつての恐ろしい夜を迎える準備のために、夕暮れには扉に鍵をかけ家に閉じこもり、やむを得ない時にはランタンと剣を手に外へ出ざるを得なかった時代とは打って代わり、さる貴族が”文明開化”とも揶揄した絢爛な時代の訪れは、サンストンブリッジの人々の生活を大きく変えた。
しかしその時代を象徴する貴族街の街灯は当然高価であり、一本へし折って売り払うだけでも一ヶ月程度ならばそれなりの暮らしを受けられるだろう。
だがそれが無傷でこの場所に残っているのも、貴族街が貴族街たる所以だ。頑強に造られた各種設備は容易には奪い取れず、時間をかければ街の平和と治安を守る騎士達がその美しく、洗練された銀と青の鎧から金属音を響かせ近づいてくる。
高貴で、しかし一人では無力な貴き人間が住まう街は、そしてこの地においても有数の”安全”を享受できる場所となっているのである。
―――きっと。
つかつかと、わずかに耳に響く足音に気づいたのは一体いつだっただろうか。
無遠慮で、しかし確実に気配を消していた足音が間近に迫ったのを悟ったコロッセオ前の傭兵達は、はっと足音の方向に目を向ける。
それは何か、うす暗闇からぼうっと光る赤い二つの目であった。
瞬間街灯の火が灯り、その全貌が満月のもとあらわとなる。
頭全てを覆う黒色の兜、赤く妖しく目、不可思議な文字列の書かれた胸甲は腹部までを覆い、そのすべてを覆うような外套を羽織っている。
そして全身を覆うように取り付けられた装備――― 魔道具であろう。
彼らにもひと目に分かったその圧倒的重武装は、大柄な図体と相まって非常に凶悪な威圧感を与えていた。
彼らはそれを見るや、”ただの一般人のふり”をやめ面構えを鋭くし、ゆっくりとその”赤い目の男”から距離をとる。上等な市民服を着た三人の傭兵達は互いに間隔を取るとともに、男の動きをじっと待った。
―――こいつが、”ティコ”か。
男のうちの一人が、思う。
雇い主が口を酸っぱくし、唯一閉ざされたこのコロッセオの扉をくぐらせてもいいのだと言いつけた今回の”賓客”。熊の大型魔獣をたったの二人で仕留め、騎士団の面子でも敵わなかった異界の魔獣を単独で討ち取りなおかつ、何十人もの人間が見張る中から奴隷二人を盗み出しあまつさえ競売場を潰した男。
なるほど納得だ、長い傭兵稼業においてもいの一度も見たことのない装備群と、用途すら理解できぬ”鉄の槍”の魔道具、しかしそれにしては先端に槍先が見えぬあたり、まだ知れぬ点があるのだろう。体格も洗練されており、彼はその外套と胸甲の裏側に恵まれた筋肉が潜んでいるのだと見抜いた。
赤い目、魔道具、外套、雇い主から聞いた”ティコ”の特徴とも一致する。
ならば次は、彼がどういった手段を取るかだ。
雇い主が何をしたかは断片的にだが聞いている、だとしたら、このティコは素直に要求を呑みに来たのかあるいは――― 全身の重武装は、逆の答えを意味するか。
三者ともに固唾を呑み、いつでも動けるように身体に力を入れられるよう姿勢を整え、その裏ではこっそりと隠し持ったダガーに手を掛ける。
そして間に流れる静寂を破るように、とうとうティコが口を開いて―――
「こーんばんわー」
盛大に、拍子抜けする、言わばずっこける。
見るからに屈強であり、未知に全身を包むミステリアスでもある男の口から出たのは、降伏の文言でもなく殺しの文句でもなく、何の変哲のない挨拶であった。しかもそれが気の抜けるようなガラガラ声から発せられたのだから、身を固くして構えていた彼らもつい拍子抜けし間抜けな面を晒してしまう。
実際にウェイストランドにおいても、グールの挨拶というものはどこか拍子抜けするものとして知られている、という話を耳にする。
人喰いであるとか、毒が移るとか、散々なとばっちりで嫌われがちなグールではあるが、それでも道すがらグールに『コーンバーンワー』と言われてしまうとどうも毒気を抜かれてしまうのだと、ウェイストランドの住民の間でまことしやかに囁かれているものだ。
ともあれ傭兵たちはこれで”ティコ”に敵意のないことを理解し、身体に入れた力を崩した。
「パーティー会場はここって聞いてきたんでな、案内して欲しいんだが・・・まさか、野郎四人でフォークダンスに興じるってのはないだろ?それはそれで罰ゲームってもんだが・・・」
「ついて来いよティコ、ったく、自分がどうなるか分かって来たんだろうな?」
「黒ビールの水責めで死ねるなら、それも本望だってもんだ」
いつもの軽口を崩さず、軽快な身振り手振りで冗談交じりにティコが話すと、毒気を抜かれた傭兵二人がコロッセオの扉を開く。そして全員がくぐると扉は再び固く閉ざされ、壁に等間隔でたいまつの焚かれた通路が姿を表した。
「前菜には何が出るんだ?俺はそうだな、アトミックシェイクとダブルバラモンバーガー、アガウィソースはたっぷりかけた奴がいい、ドリンクも頼むぜ」
「黙って歩け!」
変わらず軽口を叩くティコにうんざりさせられたのか、怒鳴り声を上げる。
つかつかと、四人分の足音が響く廊下――― 調子を崩さない男のヘルメットの下には、いつになく鋭い表情が隠れていることだけは、誰も読めなかった。
やがて続いていく道はなくなり、再び大きな扉が姿を表す。
入り口と同様ティコの背を、倍以上もしたような巨大な扉だ。
傭兵たちの手によってゆっくりと扉は開かれていき、やがて、ティコの目に光が飛び込んできた。
「こいつはたまげたな・・・」
かくも魔道具とは、ここまで眩い光を出せるものなのか、紛れも無くコロッセオであるその場所に足を踏み入れたティコは自身のいる場所、模擬的な遮蔽物を設け市街戦を演出するための舞台や、ただ平面のステージである剣闘士が戦うべき舞台を擁する競技場が、高みに設けられた魔道具の照明により機械のライトもかくやというほどはっきりと照らされているのを見て驚きを隠せなかった。
「いつの時代も場所でも、お偉いさんは娯楽には金を惜しまないってことか・・・ニューベガス、行きたかったなぁ・・・」
昔任務で赴いた旧ラスベガス方面のことを思い出しながら、彼は一歩踏み出す。
とたん、小さな照明が自身へ向けられる。だがティコがその方向を見てみると、照明を動かしているのはローブを着たいかにも”魔法が使えますよ”といった人間であり、このあたりはやっぱりファンタジー世界であるのだな、とティコは小さく笑った。
「お前らは行かんのか?」
「俺らの仕事は終わりだ、とっとと歩け、雇い主が待ってる」
そう言って指差す先、コロッセオの最前列席、旧ローマであれば”元老院席”と呼ばれるであろう一等席の中央にティコも目を向ける。見れば観客席にはそれなりの人間が座っており、多くは最前列席とは距離を離され座っている傭兵達であったがほんの少しだけ身なりのいい人間が座っており、ティコは彼らが今回の黒幕、その”スポンサー”たる人間たちであるのだと睨んだ。
そして中央、藍色のローブを羽織り、内にも同様藍色の服を着た妙齢のエルフ。
ただ彼の身近で日がな知識欲に溺れているエルフと違う点としては、その肌が黒い、彼が以前相対したダークエルフ、ゴルフェと同じ種族であることを確信させてくれたところだ。
そしてその横には―――
「院長さん」
ここへ訪れた最大の目的、助け助けられ、同じ屋根の元生活をする仲の人。
孤児院の院長エリスが、縄に縛られていた。
「ティコさん!」
「待ってろ、そっち行く!」
足を早め模擬遮蔽物を迂回し、当てられるスポットライトを意に介さずティコは歩く。やがて彼はコロッセオの端、最前列席に立つダークエルフの女とエリスの目と鼻の先、隔てるものはほんの自身の背に背を足しただけの高さを持つそびえ立つ壁の足元へと赴いた。
一時の静寂が訪れる。
赤い無機物の目と黒い瞳が交錯し、互いに無表情のまま時を経る。
当てられたスポットライトは、地面に落ちた砂粒すら見通せるほどの明るい照明の中で更に眩くティコの”ブラックアーマー”を照らし、結構な時を待っていたのだろう、必然的に観客席に座る”スポンサー”や傭兵達の視線は、好奇心と嗜虐心に溢れティコその人にすべからく注がれていた。
誰もが、ここで始まる”ショー”の開催を待ち望んでいる。
日々の享楽に飢えるスポンサー――― 悪趣味な貴族たちが、血に飢え住む世界を常人とは違える傭兵たちが、今か今かと饗宴を待ち望んでいる。
やがて開会式のスピーチは、黒色の”狩人”が音頭を取った。
「ようダークエルフの姉ちゃん、来賓方が熱狂的なアイサインを送ってくれるってこた結構待たせちまったみたいだな、悪い悪い、結構時間にルーズなとこあるらしいからなぁ。それで、貴賓席はどこだ?ついでにショーを見るときはポップコーンとサンセット・サルサパリラの組み合わせって決めてるんだが」
「おあいにくと飲み物とおつまみは来賓用なの、あなたの席の予約は取ってないからそこにでも座って頂戴」
「ああそれなら仕方ないな、それにライトが暑いから地べたのひんやりさが丁度いい」
親しい者同士の冗談のような、どうでもいい語りだ。
だがそのどうでもいい話はこの静寂したコロッセオにおいて、とても良く響き渡った。
この場の異常な空気を微塵も気にせぬような言葉に悪趣味な貴族達も感心したように眉を上げ、傭兵達も笑っている。つかみはOK、あとは流れ、パーティーならそうなるのがお約束ではあるが、当事者の二人はまるでそんなセオリーなどありません、とばかりに先よりも更に互いを睨む視線を強めた。
「それで?俺みたいなレンジャー一人風情をご指名ってこた、それなりに理由があるんだろ?隠し事をする女はミステリアスで魅力的なのは納得するが、焦らしすぎると逆に愛想尽かされて男が逃げちまうぜ、話せよ」
挑発するような物言いを、容赦なくティコはぶつける。
ダークエルフの女――― トビシロは、その舐め腐るような視線の動きと言葉に舌打ちをした。
「冗談ばかり得意なみたいだけど、自分が冗談じゃない目に遭うってことを考えはしないの?」
「あいにく慣れっこなんだ、長生きすると肝が座るのかもしれないな」
「あら、おいくつ?私もダークエルフとして結構生きたと思ってるけど」
「今年で151だ、戦前組の連中にゃ劣るが、昔取った杵柄はいくつも持ってるつもりだぜ」
「へぇ・・・私より年上か、じゃあおじいさん、教えてあげる―――」
言葉の後、トビシロは自身の隣、縄で手を縛られ立たされているエリスの鼠径部に手を当てる。
当然エリスがびくっとし、栗色の髪が揺れるが意にも介さずトビシロはその体のラインをなぞるように、上へ上へと指を進め、
「主導権はこっちが持ってるの、勘違いしないでね」
射抜くような瞳で、言った。
「お、おぉ・・・無礼を許してくれレディ」
「ふふ、わかったらいいわ」
わざとらしく、両手を上げて降参するようなポーズを取って答えるティコに対し、トビシロもわざとらしい仕草でエリスを手から離す。それからトビシロは数歩、座席を降りティコの方へと近寄ると、席の最前列のへりに足をかけた。
「自己紹介がまだだったわね、私はトビシロ、”魔女の大陸”出身のダークエルフ。ついこないだまでこっそり奴隷商で生計立ててたしがない女だけど・・・今は失業中、なんでかしらね?」
「当然の報いだ」
「言うわね狩人ティコ、でもね、私がどうであれそんなこと”スポンサー”が納得しないのよ」
言うトビシロはまた場所を変える。
最前列席、その部分だけクッションが敷かれ、近侍を側に仕えさせた身なりの良い男たちが座る場所。そこへトビシロは移ると彼らに片手を向け、紹介するようにした。
「こちらがスペンサー子爵、あちらがダグラス伯爵、それであちらがドラモンド伯爵、ここの貸し切りも、あなたが潰した競売場も、彼らスポンサーが用意してくれたものよ・・・あの騎士団支部長とあなたが仲良しさんだったお陰で、競売場はまんまと潰されたわけだけど」
「高いワインとエールを仕入れてくれたみたいで感謝してるぜ、いくつかこっそり持って帰った。それで?とっとと本題に入ったらどうだ藍色ローブ、そろそろ立ち疲れそうってもんだ」
「はあ、本当にあなたって状況がわかってないのね。分かりやすく答えてあげるわ、つまりね、私達は食い扶持と貯蓄をほとんど失って、スポンサーの方々は娯楽用品の納入先を一気に無くしたってわけ、これで怒らないわけがないでしょう?」
見下し言うトビシロの目を見返したあと、ティコはそのそば、彼女が言う”スポンサー”の貴族達へと目を向ける。
なるほど確かに彼らは落ち着いているようでいて、その実見下し、憎み、恨んでいる、そんな感情を隠しきれずに視線をもって外部へと、特にティコ本人へと向けていた。
「それにね、私も大事な人をあなたに殺されたの、覚えてるでしょう?ゴルフェ・エスクリーダ、ずっと一緒に戦ってきたダークエルフの戦士だったわ。競売場の倉庫で、五つも穴を開けられて死んでた」
「手強かったよ、あんなトコにいなけりゃ一杯やってたかもしれねぇ」
「そう、でも殺した。恨んでるのよ、だからこの小奇麗な孤児院長をダシにして、あんたをおびき寄せたってわけ・・・ここで、処分するためにね」
「ここでも俺は命狙われるタマになったって訳か、じゃあ俺が来たなら院長は離してやってもいいだろう。その人に罪はねぇ、日当たりの良い孤児院で子供に囲まれて笑ってるような、それだけの人だよ」
「そんなはずないでしょう?」
「―――は?」
すっとんきょうな声を上げ、ティコは首を傾げた。
「私達が何か忘れたの?奴隷商よ、こんな高く売れそうな上玉放っておくわけがないでしょう?それに三流貴族の愛人の娘なんて誰が気にするでもないし・・・最高の条件が揃ってるじゃない」
言いながらトビシロはまた、気に入ったのかエリスの身体を撫でにかかる。隣では、スポンサーの悪徳貴族達もエリスの体躯を舐めるように見回していた。
しかしその視線にはかえって”羨ましい”といった要素は加えられておらず、つまりこれの意味する所、彼らは彼女がすぐに自分のものになると確信しているのだと、そう考えティコは胸糞が悪くなっていくのを感じていた。
「舐めるなよ
ガチャリ、と金属音が鳴る。
歯を食いしばるティコの手には重く、洗練された科学の申し子、AK-112アサルトライフルが握られ、照星、照門、それに連なる銃口から伸びる射線はティコの目と同じように席上のダークエルフ、不純な笑みでエリスの身体に触れているトビシロを見据えていた。
「・・・それで、何が出来るの?」
「こいつのは
いつになく鋭い、ヘルメットの下の顔をみればきっと”鬼神”か”魔人”とでも呼ばれたであろう、長寿に違わぬ貫禄と威圧感をもった表情でティコはトビシロへ、その横の貴族達へと銃口をうろうろとさせ威圧する。
そして試しにティコが一発、彼らの席の側へ弾を打ち込むと、トビシロは飄々としていたが貴族達は気が気でなくなったようで、慌てて姿勢を崩しトビシロへと視線を送る。その視線は三者ともに、”解放してはどうか”と訴えるものであった。
だがトビシロは、にこりと笑うと大丈夫ですよ、と答える。
そして次の瞬間には、一体いつ握っていたのか小さめのナイフが手に握られており、エリスを撫でる手をそのままに首筋へと到達する。
ティコも自身の目がそれなりに鋭いことを長年の経験で理解してはいたが、それにしても素早い、まさに見えないかのような動作の流れに目を疑ったとともに、相対している相手が想像以上にやり手であることを認識した。
「あなたがその奇妙な魔道具を使う前に、私がこの女の首を切るわ。私としてはあなたに復讐できればいいから・・・まさか切り裂かれた首を一瞬で治しちゃうような魔道具を持っていたら降参だけど、まさか・・・」
すう、っとナイフの腹を肌に沿って滑らせる。
エリスはその動作に身体をびくっとさせ、感じる鋼の冷たさに涙を溜めだした。
「っや・・・」
「子供一人助けに奴隷商人の競売場に一人乗り込むような男が、懇意にしてる女を見捨てられるかしら?」
「っ、俺は・・・」
「分かったら武器を解除しなさい、少なくともあなたが犠牲になればこの女は生きるわ」
圧倒的優位性を感じさせる流暢な喋り口で話すトビシロの言葉を受け、ティコはゆっくりとAK-112の銃口を下ろしていく。そして、背中に背負ったライフルもゆっくりと外した。
「そうそう、それでいいの、それも外しなさい」
満足そうにトビシロは笑みを浮かべ、エリスからナイフを離す。
一方のティコは、腰に携えたピストルを外し、続けてヘルメットに手を掛けた。
「―――ああ、いいか」
「なあに?辞世の句なら受け付けるわよ」
「いや、こいつは外すのが面倒でな、少し時間がかかる」
「・・・本当ならね」
「恩に着る」
トビシロが座席に座り、ナイフを右手に頬杖をつき始めるのを見ながら、ティコはヘルメット――― その脇に取り付けられた機器へと手を掛け、小声で囁いた。
「―――テッサ、聞こえてたか」
短く小声で言うと、ティコはその機器にとりつけられたもの、無線機のスイッチを押さえつけたダクトテープをひとおもいに剥がすと、遠くはなれた所にいるであろう銀髪のエルフの少女の名前を呼んだ。
「とん、つーつー、これでいいんだったかな、聞こえてるよティコ、状況はかなり悪いね」
「OK、そっちはどうだ」
誰にも聞こえない声で話すティコの耳にはっきりと届きながら、しかしティコの耳にしか届かない声が無線機から響く。
ヘッドフォンの構造にはいくつかあるが、音声を内部で減衰消滅させる構造のものは特に遮音性が高く、それこそ間近に寄らなければ聞こえないほど。このレンジャーヘルメットに装備されたものも例に漏れず、この世界の常識を超えた技術力による小さな密閉空間で消耗される音は、確実に席上のダークエルフの耳を欺いていた。
「騎士団にティコの名前を出したらあっさりついてきてくれたよ、ざっと12人ってとこかな、そっちはどうかな?」
「絶体絶命だ、プランBで行く、合図をしたら退路を適当に固めて突入してくれ・・・50人はいるが、半分は俺が潰せる」
「わあ、大盤振る舞いだね、分かったよ。じゃあボクは退路に残るから、合図があったら扉を破らせるね」
「頼むぜテッサ、お前が頼りだ」
ぷつん、と音声が切れた音を聞くと、ティコは無線のスイッチから手を離す。
それから彼は腰に携えた道具の中から、一つだけ、外して手に持った。
彼がヘルメットから手を離した様を見ていたトビシロが彼に怪訝な目を向け、立ち上がる。
そしてまじまじと、彼が今手に持った道具――― 恐らくまた未知の魔道具であろうものに目を向けると、口を開こうとした。だがタッチの差でその言葉は、被さるように掛けられたティコの言葉に潰されてしまう。
「ねえあなた、それ―――」
「よお姉ちゃん、喉乾いてないか?」
返答を待たずしてティコから何かが投げつけられ、トビシロは反射的にそれを受け止める。
そして手のひらに収まった小さなそれ、六角形の両端、円筒形で穴がいくつも穿たれ、レバーは既に開け放たれている小さな道具――― 喉を潤す水筒にしては小さい、やはり魔道具か、とトビシロは思った。
ならば何故これだけ投げて寄越したのか?
トビシロの頭に疑問が浮かぶ。
だが、彼の身体をもう一度見た瞬間――― 全身を”未知の凶器”に包んだ姿を目視した途端その思考は戦慄へと変わっていき、間髪入れずに彼女は受け取った魔道具を投げ返そうと―――
―――フラッシュバン。
AK-112のボックスマガジンってのは箱型というよりは、通常のマガジンをひたすら長くしたようなものです、『100発 マガジン』とかでググると出てきます。
プランB?ねぇよんなもん。