転生者の打算的日常   作:名無しの読み専

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#96 織斑一夏、正体

 『紅椿事件』から2日。一夏は現在病室の人となっていた。その姿は全身各所に包帯をきつく巻かれた痛々しいものである。

「いでででで!」

「あん、動いちゃダーメ♥男の子でしょ?」

 なお、看病をしているのは自称『本日のナース』こと、楯無さんだ。

「いやいや、そうは言ってもこの痛みは……うぎゃっ!」

 刀の刺さった右腕は骨も筋肉もズタズタの重傷。至近距離でエネルギー弾を受け続けた上、最終的には『紅椿』の爆発に巻き込まれた事で全身に熱傷。肋骨骨折が3ヶ所に胸骨の亀裂骨折、切創・擦過傷は数えるのが億劫になる程。控えめに言って『消毒液をバケツでかぶった方が早い』レベルの大怪我だ。

「一夏。今回ばかりはほとほと呆れた。『皆の想いに応えるためにも、死なないし死ねない』と言っていたのは、どこの誰だ?ん?」

「……ここの、俺です」

「……そうだな。その通りだ」

 一夏の返事に鷹揚に頷きながら、その傷口に指を当てて捻る。途端、一夏の口からくぐもった呻きが漏れる。

「だと言うのに、お前という奴はまた己が命を賭け賃にした危険な博打を打ちおって。生きていたから結果オーライ、などと言うつもりはあるまいな?」

「ちょっ、九十九、指グリグリ、やめっ……」

「前にも言ったな?残される者達の気持ちを考えろ、と。もう忘れたか?あ?」

「わ、忘れて、ねえよ。けど、あの時は、ああするしか……あだだっ!」

「あの場にはラヴァーズもいただろうが。協力を仰げばいくらでも手を貸してくれただろうに、そうしなかったのはお前の落ち度だろうが、え?」

「分かった、分かったからもうやめ……」

「本当に分かっているのか?こういう時のお前は、空返事をして茶を濁そうとするからな。そもそも−−」

「まぁまぁ、九十九くん。その辺で勘弁してあげて。一夏くん、これでも重傷患者なんだから。ね?」

 宥めようとしているのか、私の背をポンポンと叩く楯無さん。私は溜息を一つついて、一旦引く事にした。

「次やったら、酷いぞ」

「待って⁉なにされんの、俺⁉」

「ん〜……差し当たって、治療用ナノマシンのお注射?」

 言いながら楯無さんが取り出したのは、大型の注射器。通常の2倍の太さの注射針が付いた、厳つい見た目のそれを、楯無さんは実にイイ笑顔で一夏に見せつける。途端、一夏の顔が引きつった。

「あ、あの、それやめません?滅茶苦茶痛いんですけど……」

「ダーメ。おかげで治りが早いっていうのは、実感してるでしょ?」

「…………」

 楯無さんの物言いに、黙り込む一夏。沈黙を肯定と受け取ったのか、楯無さんは一夏に遠慮なく治療用ナノマシン注射を打ち込む。その数、実に3本。楯無さん曰く「一気に治そうと思ったら、これくらい打たないと足りない」らしい。要は一夏の怪我がそれだけ重いという事なのだ。

 なお、この治療用ナノマシンだが、エネルギー源が被施術者の血中に含まれる糖やグリコーゲンなので治療中は兎に角腹が減る上に、治療時にかなりの痛みが走るのが難点である。

「ああ、これから激痛地獄が始まるんだな……」

「お前が無茶をした事で少なくなく心を傷つけたラヴァーズに対する償いだと思っておけ」

「くっ……!それ言われると弱え……」

「私が言おうとした事、全部言われちゃった……」

 やれやれ、と肩を竦める楯無さん。そこへ、遠慮がちにドアをノックする音がした。

「どうぞ。鍵は開いてるぞ」

『そ、そうか。では失礼する』

 緊張したような面持ちで入ってきたのは、箒以下ラヴァーズ全員と私の妻二人だった。いくら広い個室とはいえ、十人もの人が一度に入れば人口密度がエライ事になるな。

「どうしたんだよ?皆して?」

「なによ?お見舞いに来ちゃダメなわけ?」

 一夏の質問に、憮然として鈴が答えると、一夏は「いや、そういう訳じゃねえけどさ」と手を振ろう……として激痛に顔を歪めた。

「ぐあっつぅ……!」

「ああ、無理に動いてはいけませんわ!安静になさってくださいまし!」

 苦痛に呻く一夏に慌てて駆け寄り、そっと体を押し戻すセシリア。「ありがとう」と一夏に声をかけられると、大輪の華のような笑顔になった。うん、やはりチョロい。

「それで?わざわざ全員集合させたんだ。何かしなければならん話があるのだろう?したいのは誰だ?」

「……私だ」

 名乗りを上げたのは箒だった。その顔には罪悪感が浮かんでいて、これからする話が決して明るいものではない事が伺えた。

「聞こう、皆。箒への質問は、全てを話した後にするように。いいな?」

 私の言葉に首肯を返す一同。箒は、一度大きく深呼吸をして、話を切り出した。

「実は−−」

 

 

 箒の口から語られたのは、信じ難い『事実』であった。

 今から数年前、箒がただ強い力を求めていた頃。箒は『暮桜』を駆る千冬さんと戦った事があった。その時に箒が乗っていたISが『赤月』であり、その能力は『自分を除く全てのISの弱体化』。つまり、他者の序列を強引に一段下げて自分が最上段に行くための……ある意味で『王の力』であった。

 結果、機体の性能を十全に発揮できない千冬さんは箒に大敗。『暮桜』は大破して、機能を完全に停止した。一時こそ千冬に勝てた事を喜んだ箒だったが、冷静になったと同時に手にした『王の力』に恐怖し、半狂乱状態になった。そして、その時の記憶は脳の奥底へと封じ込められた。()()()()()()()()()()()()

「以上が、私が『赤月』の深層領域で知った……いや、思い出した事だ」

「「「…………」」」

 想像以上に重い話に、皆何も言えなかった。もしや、千冬さんが突然モンド・グロッソ日本代表を降りたのはこの事が理由なのか?

「正直、これを思い出した時、私は消えてしまいたいと思った。だが、一夏が傷だらけになりながら救けに来てくれた。どうしてと訊く私に、一夏は『お前だからだ』と笑いかけてきて……」

 ん?なんか途中から惚気になってきてないか?と、首を傾げる私に気づかず、箒は更に言葉を続ける。

「一夏が居てくれる事、一夏と共に歩んで行く事が私の幸せで最も叶えたい夢なんだと気づいて目を覚ますと……『紅椿』いや、『赤月』は消えていた。という訳だ」

 いや、という訳だ。じゃないよ。待て待て、ISがその存在を丸ごと消失させるとか、どうしてそうなる?

「そう言えば、俺が『赤月』と会話した時、あいつが言ってたっけ。『ISは、搭乗者の夢を叶える為に存在する』とかなんとか」

「なに?」

 一夏の口から出た意味深な言葉に、私は眉根を寄せた。だが、深く考えるより先に楯無さんの柏手が病室に響いた。

「はいはい、今日はこれまで。一夏くんは治療に専念しないとなんだから」

 確かにそうだ。と頷いて、ラヴァーズ達はめいめい一夏に声をかけつつ病室から出て行った。

「九十九、僕たちも帰ろうか」

「そうだな。ではな、一夏。また来る」

「お大事に〜」

 疑問は残るが、これ以上一夏に負担をかける訳にもいかないし、ここは退散しておこう。

 

 

 

サアアア…… 

 

 自室のシャワールームで温水を浴びながら、私は一夏と箒がした話について考えを巡らせていた。

(ISは搭乗者の夢を叶える為にある存在……。もしそれが真実だとするなら……)

 ISは、時として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかも知れない。今回の『紅椿』……いや、『赤月』のように。

 私は、寝る時以外は常に身に着けている『フェンリル』の待機形態−−シルバーのドッグタグ−−を持ち上げる。吠える狼の横顔が浮き彫りされたそれは、シャワールームの蛍光灯に照らされて鈍く光っている。

(『フェンリル』……。私は、お前を信じて良いのか?)

 心中で投げかけた問に、しかし『フェンリル』は答えてはくれなかった。

 

コンコン

 

『つくも〜、ご一緒していい〜?』

 シャワールームのドアの向こうから、本音が声をかけてきた。本音は(シャルも)、時折こうして私と一緒に風呂に入りたがる。特に拒む理由もないので大体いつも招き入れ、一緒に風呂に入る。ただたまに……本当にたま〜に()()()()()()()()()()()()()()()

「ああ、いいよ。入っておいで」

 いつものようになんの気無しに返事を返すと、ドアの向こうから本音以外の声がした。

『いいよだって〜。ほら、行こ?』

『し、しかしじゃな……。わらわ、心の準備がまだ……』

(ん?今の声……まさか!)

「本音、ちょっと待−−」

『これ以上は待ちませ〜ん。はい、オープン!』

『待て!後生じゃから……』

 

ガラッ

 

 アイリスがいる事に気づいて、本音を止めようとドアに体を向けたのと、本音がドアを開けたのはほぼ同時だった。

「−−ってく……れ……」

「待って……。〜〜〜っ!」

 結果、アイリスは私の『大身槍』を真正面からバッチリ見る事になってしまった。

「きゃああああっ‼」

 

ズンッ

 

 絶叫と共に繰り出されたアイリスの拳は、私の『大身槍』を直撃した。

「はうっ……!」

 非力な少女の一撃とはいえ、()()に食らえば必殺となる。私は情けない呻きを上げながら床に沈んだ。

「はっ⁉つ、九十九、すまぬ!大丈夫か⁉」

「…………」

「その前に訊かせてくれ。なぜ君が本音と一緒にここに?だって〜」

「うむ。簡単に言えば『アプローチ』をしに来たのじゃが、本音に見つかっての。しかし、まさか『つくもとわたしと一緒にお風呂に入ろうよ〜』と言い出すとは思わなんだ。あれよあれよと言う間に服を脱がされ、今に至っておる」

「…………」

「理解した。とりあえず、今ここで私が起き上がるともう一度『モノ』を見る事になりかねんから、服を着て出て行ってくれ。だって〜」

「…………」

「わたしも?分かった〜」

 私から離れ、いそいそと服を着る衣擦れの音が聞こえる。しばらくして、二人が出て行ったのでノロノロと立ち上がり、未だに痛いと訴える『息子』を叱咤しつつ体を拭いて着替えた。

 

「本当にすまぬ。九十九よ」

「いや、いい。君がいると知らず、いつもの調子で入室を許可したのは私だ。こちらこそ、すまない。見苦しい物を見せた」

 お互いに頭を下げあう私とアイリス。だが、アイリスの顔は未だに赤い。余程インパクトの強い光景だったのだろう。

「そ、そんな事はないぞ!しっかりと鍛えられていながら均整の取れた体つきじゃったし、何より、その……雄々しかったぞ」

 と思っていたらこの物言い。そういえばこの娘、私が全裸で『お目見え』した時、目を瞑る事も両手で顔を覆う事もしてなかったような……。

「アイちゃんはエロいな〜」

「なっ⁉何を言うか!そんな事ないわ!」

「そんな事言ってガッツリ見てるじゃ〜ん」

 元々赤かった顔を更に赤くしながらアイリスが怒鳴るが、本音にはどこ吹く風。ニマニマした笑顔でアイリスの事を突いている。

 結局、本音に散々イジられたアイリスは、「今日のところはこれ位で勘弁してやろう!」と小悪党っぽい捨て台詞を残して帰って行った。この件で私の中に『アイリスムッツリ+耳年増説』が生まれたのは、まあどうでもいい事だろう。

 

 

 九十九達の間でそんな騒動があった2日後。ラヴァーズ達は一夏を見舞うべく、彼のいる病室を訪れていた。のだが、そこに一夏は居なかった。

「もう!アイツどこ行ったのよ!?」

「……おかしいですわね。あれだけの重傷、治療用ナノマシンによる促成治療を受けても、立って歩けるようになるまで最低でも1週間はかかるはずですのに……」

「あいつ、また無茶をしているのではあるまいな……?」

「『暇だったし、もう動けると思った』くらいは言いそうだな」

「……そこまで馬鹿じゃない……と信じたい」

 割と散々な言われようである。と、そこに引き戸を開ける音がした。入ってきたのは−−

「あれ?皆来てたのか。悪い、待たせちまったな」

 ラヴァーズの心配などどこ吹く風と、とぼけた顔をする一夏だった。

「一夏!アンタどこ行ってたのよ!?」

「いや、喉乾いてさ。お茶買ってきたんだよ」

 「ほら」と言いながら、()()()()()()お茶の入ったペットボトルを皆に見せる一夏。真っ先にそれに気づいたのは鈴だった。

「ちょっと待った。アンタ、右腕の包帯どうしたのよ?」

「「「え?……あっ!」」」

「あ~、えっと……」

 言い淀む一夏に構わず、ラヴァーズ達は一夏の体を見回し、そして気づいた。

 無いのだ。つい昨日まで全身に巻かれていた包帯が、どこにも。それだけじゃない。まさかと思ったラウラが一夏の病人着を捲くりあげると、本来なら間違いなく残っているはずの傷痕すらそこに無かった。まるで、『治癒』したというより『修復』したかのように綺麗な素肌だったのだ。

「なんだ……これは……?」

「あり得ませんわ……。傷痕1つ残っていないなんて、そんな事……」

「どういう事だ。一夏。お前は一体……」

 何者なんだ?

 言いかけて飲み込んだラウラの言葉に気づいた一夏は、深呼吸を1つしてラヴァーズに向き直った。

「皆。これからする話は、他言無用で頼む。……どうやら俺は、()()()()()()()()()()()()()

 そう前置いて、一夏は皆に語り始めた。

「俺が深手を負ってから、こうやって回復した事は初めてじゃない」

「……っ!『銀の福音事件』!あの時の一夏の体にも、どこにも傷が残っていなかった!」

「「「そういえば!」」」

 箒の回顧にラヴァーズが一斉に声を上げ、一夏が頷く。すると、ラウラがある可能性に気づいた。

「もしや、ISとの生体融合……!?」

 「そこまでは分かんねえ」と、一夏は首を横に振った。

「けど、『白式』も俺もどうやら普通じゃない。ただの人間に、こんな事が起こるはずがない。だから……」

 そこで数秒言葉を止めて俯き、顔を上げる。その眼には、決意の光が籠もっていた。

「俺は、千冬姉に会いに行かなきゃならない。『白式』と俺の事、絶対になにか知ってるはずだから」

 力強く言う一夏に、ラヴァーズは止めても無駄だと思った。同時に、この事は皆の秘密にしようとも。

 しかし、実は部屋の扉の前にその会話を聞いていた人物がいた事に、部屋にいた誰もが気づいていなかった。

 

 

 ……まあ、私の事なんだが。

 一夏の覚悟の決まった物言いに溜息をつき、戸から離れてもと来た道を戻る。

(そろそろ全てを語っていただきましょうか……()()()

 あの人はきっと、一夏の知りたい事はおろか、それ以上の真実を隠している事だろう。そしてそれは、知ってしまえば『織斑一夏』という男の存在自体を大きくゆるがす重大案件。だからこそ、千冬さんはひた隠しにしているのだ。それこそ、墓まで持っていこうと思っているだろう。だが……。

「あいつの物言いをどこかでクソ兎が聞いていれば、『知りたいと言っているのだから教えてあげなよ』と乱入してくる可能性は高い。そうなれば……やはり、私がやるしかないか」

 再び溜息をついて、準備を進めるべく早足で廊下を進む私。そうと決まれば急がねば!

 

 九十九はまたも気づかなかった。自分を見つめる、鉄色の鼠の無機質な視線に。その鼠の主は勿論−−

 

 

 廊下を早足で駆けていく九十九の背中をモニター越しに見ながら、束は狂気と愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

「いっくんがちーちゃんに会いに行けば、あいつもそこにいるって事か……んふふ。じゃあ、私もリクエストにお答えしないとね」

 そう言うと、束は中空に指を踊らせる。現れたのは、世界中に存在する全ISの稼働状況のモニター。皆一様に青く色付いている。

「ここからが、全ての終わりの始まりだよ。村雲九十九、あとちーちゃん。IS『天災(カタストロフ)』起動!」

 束が天に腕を掲げた瞬間、青かったモニターが一斉に黒く染まっていく。モニターに追加されたのはたったの一文。

 

『コード・カタストロフィ、発令』

 

 これが、後の歴史家達に『天才の暴走が招いた世界的悲劇』、『村雲九十九人生最大の危難』と謳われる事となる『天災事変』……通称『篠ノ之束の乱』の、その引鉄であった。

 

 

「ここに居たのか、千冬姉」

「探しましたよ、まったく」

 IS学園、地下特別区画。暗い廊下を歩いた先のオペレーションルームで、千冬さんは椅子に掛けて書類に目を通していた。

「一夏と九十九か。どうした?」

 本来なら絶対安静のはずの一夏が出歩いている事に、全く驚かない千冬さん。私達に背を向けたまま書類仕事を続けるその姿には、得体の知れない冷たさがあった。

「驚かないんだな、千冬姉は」

「…………」

 一夏の肉体の変調、それを千冬さんは既に知っているようだった。

 傷ついた肉体の『修復』、異常なまでの五感の『増幅』、そして何より、使うほどに自身に調和していくISの『強化』。それら全てが、一夏の身に起きる事をさも当然と言わんばかりの態度だった。

「……何を知っているんだ?」

「何を、か」

 千冬さんは書類を放り出し、視線を天井に向けた。釣られて私も天井に視線を移すが、そこには何も無い。ただ虚空の広がった、何の変哲もない天井だ。

「お前の……お前達の知りたい事全て、だな」

 千冬さんは振り向かない。故に、その表情を窺う事は出来ない。

「あるいは」

「……?」

「お前の知りたい事以上の真実……か」

「っ−−!」

 山程ある知りたい事。それ以上の真実と言われた一夏は、怯んだのか半歩下がった。

 もしやすると、自分の踏込もうとした領域はともすれば戻る道など無い一方通行なのではないか?そう思い至ったがために、だろう。

「一夏、九十九。お前達に、その覚悟はあるか?」

 ここで千冬さんが、ようやく私達向き直って視線を合わせてきた。その視線は、触れるだけで斬れてしまいそうな、鋭い刃のそれだった。

「お、俺は−−」

 一夏が言い淀むのも無理はない。恐らく、一夏にそんなつもりはなかっただろう。ただ、千冬さんから聞いておきたい事があるというだけで、真実を知る覚悟は……無い。

 そんな子供じみた欲求を嘲笑うかのように、千冬さんは一夏に向けていた視線を書類に戻す……前に、私に問うてきた。

「お前はどうだ?九十九」

「千冬さん。貴方は、私が知りたがりだという事は知っているでしょう?まして一の友の事だ。例え胸糞悪い話だろうと、聞いておかないと気分が悪い。それに……」

「それに、何だ?」

 そう言う千冬さんに、私は右手親指で後ろのドアを指し示しながら答えた。

「貴方が話さずとも、話したがりの兎さんがそこに来ていますよ。そうだろう?篠ノ之束」

 私がドアに目を向けたのと同じタイミングで、憎々しげな表情を浮かべた篠ノ之束が姿を見せる。

「束さん……なのか?」

 しかし、その顔にかつての美貌は無い。両目の大きさは全く異なり、頬には痛々しい手術痕。殴り折ってやった歯は作り物(インプラント)に替えたのだろう。不自然な程に綺麗に生え揃っている。今の彼女を、一目で篠ノ之束と断じる事のできる者はそういないだろう。

「おやおや、随分と美人になられて……見違えましたよ?博士」

「お前がやっておいてよくもぬけぬけと……!」

 隠そうともしない憎悪と殺気が私を襲う。そんな彼女に対し、警戒心を顕にして一夏が問いかけた。

「束さん、どうして……いや、そもそもどうやってここに?」

 IS学園地下特別区画は、行き方を知らなければ辿り着けない。そして、それを知るのはごく少数の教員と実際に連れて来られた者達−−今期で言えば私達−−だけである。篠ノ之束が、それを知っているとは……いや、そうか。

()()()()()()()んだな?何らかの方法で」

「お前みたいに勘のいい奴は嫌いだよ、村雲九十九」

 ギロリと私を睨みつける篠ノ之束。そんな彼女の様子にしびれを切らしたのか、千冬さんが目的を訊いた。

「それで?一体何をしに来た?束」

「うん。ちーちゃんに代わって、いっくんとそこのクソが知りたがっている事を教えてあげようと思って!」

「っ⁉」

 篠ノ之束がそういった途端、千冬さんの肩が跳ねた。

「いっくん、この束さんがちーちゃんが喋りたがらない君のご両親の事を聞かせてあげるね!」

「両親……?」

 篠ノ之束の物言いに、一夏は首を傾げた。何故そんな事を唐突に言い出すのか、一夏からすれば意味不明だろう。自分の知りたい事は、訊きたい事はそんな事ではないのに。と思っているのが、表情から見て取れる。

 それを感じ取ったのか、篠ノ之束は首を横に振って言葉を続ける。

「いやいやいっくん。君の生まれは非常に重要なんだよ。でしょ?ちーちゃん」

 どこか楽しそうに千冬に話を振る篠ノ之束。その様子に激昂したのは、当の千冬さんだった。

「やめろ、束!」

「らしくないね、ちーちゃん。王者らしからぬその焦りは、滑稽でしかないよ?」

 篠ノ之束は一枚の空間ディスプレイを展開すると、私達に投げて寄越した。

「……?」

「これは……」

 そこには複雑な数式と難解な文字の羅列。そして、一枚の写真があった。『Project mosaica』−−その言葉と共に。

 『プロジェクト・モザイカ』……意訳すれば『織斑計画』となる。では、添付されたこの写真−−受精卵の顕微鏡写真−−は……まさか!

「それはね、いっくん。君の本当の姿……究極の人類を創造するという狂気の沙汰、『織斑計画』の、その第二成功例の人工受精卵だよ」

「え……」

 篠ノ之束の発した言葉の意味が理解できず、一夏が狼狽する。その隙をついて、彼女は楽しげに言葉を紡ぐ。

「『織斑計画』は非常に多くのデータを生み出し、その一部はドイツに渡って実践された。けどまあ、そこはどうでもよくてね?次はこっちの写真を見てよ」

 再び投げて寄越されたディスプレイ。そこに写っていたのは赤子を抱えた黒髪の少女。誰なのかなど、訊かずとも分かる。……千冬さんだ。

「第一成功例、織斑計画試作体1000号。それがちーちゃんだよ」

「「⁉」」

 驚愕の事実に、私も一夏も認識が追いつかない。

 辛うじて一夏が千冬さんに視線を向けると、その視線から逃れるように顔を逸らす。

「な、なんだよ……千冬姉、どうして……そんな……」

 その顔は、とても辛そうだった。その表情が、暗に篠ノ之束の言葉が全て真実であると訴えていた。その様子を知ってか知らずか、篠ノ之束は更に言葉を続ける。

「でね?順調に見えた『織斑計画』は、ある時を境にプロジェクトの中止が決まったんだよ。どうしてだと思う?究極の人類を創造するという目的は、この束さんが見つけられた時点で何の意味もなさなくなったからなんだ」

 篠ノ之束の言に、私はなるほどなと思った。究極の人間、稀代の天才、人工物が決して勝てない自然の産物。それが篠ノ之束だ。

 元々、存在し得ない究極の人類を創造する事が『織斑計画』の目的だ。それが、既に究極の人間が存在しているとなれば、その計画の意味は完全に失われる。

「そうして、全ての『織斑計画』は中止となった……んだけどねぇ。困った事に成功試験体が二つ、そしてそれに付随する形で作られた、計画外の試験体が一つ。困った事になったよね。どうしよう、どうすれば良いと思う?殺す訳にも行かないよねぇ、なにせ人工的な創造物とはいえ、人類の究極に近いスペックを持っているからね」

「スペック……」

「元々、ちーちゃんさえいれば計画は成功だったんだよ。究極の人類の母体としてね。でもね、いっくん。君が作られた。究極の人類をより広く、より多く、より長く繁栄させるために、禁忌のXY染色体を持つ、君が生まれた」

「…………」

 歌うように言葉を紡ぐ篠ノ之束に、私も一夏も何も言えずにただそれを聞く事しかできない。

「そうすると困った事になったのは、計画を許可した権力者達。そりゃそうだよね、だって人類“以上”を作る予定が、気がついてみれば人類“以外”を作ってしまったんだから、さ」

 はぁ、と溜息をつく篠ノ之束。その仕草も言い様も、酷くわざとらしい。

「そこでちーちゃんは決意した。選んだんだよ。世界より、未来より、君を選んだ。最愛の『おとうと』を」

 ……そういう事か。千冬さんは一夏を選ぶと同時に『それ以外の全て』を自ら捨てたんだ。そして、その結果救われなかった『いもうと』こそ……織斑マドカその人なのだろう。

 チラと横を見る。一夏の顔は青いを通り越して青白くなっており、齎された己の出自のあまりの重さに心が死にかけているように見える。

「だからさ、いっくん。君にご両親なんてものは存在しないよ。遺伝子情報の海から作り出されたのが君だからね。……そして、だからこそ今ここで、君にこの言葉を贈るよ」

 歪な笑顔を一夏に向け、篠ノ之束は一夏の心にとどめを刺す一言を放った。

 

「この……化け物め」

 

「あっ……」

 小さく呟くと同時に、一切の色彩が一夏から抜け落ちた。その心を絶望の闇が覆い尽くしたのだ。

「一夏!おい、しっかりしろ!一……っ!」

 呆然とする一夏に向けられた殺気と殺意に気づいた私は、咄嗟にその身を一夏の前に出す。目前には、狂気的な笑みを浮かべて凶刃を突き出すマドカの姿。

「−−っ!」

 

ガキンッ!

 

 瞬間、金属同士のぶつかる硬質な音がした。マドカのナイフによる一撃は、私が制服の下に着込んだラグナロク謹製の防弾・防刃アーマーによって、完全に防御されていた。

「……備えあれば憂いなし。こいつを仕入れたのは無駄ではなかったな」

「貴様……!」

 忌々しげに私を睨むマドカの下顎に向けて、腰に仕込んでおいたコンバットマグナムを突きつける。

「動くなよ?非致死性のゴムスタン弾とはいえこの距離だ。顎で煙草が吸えるようになりたくあるまい?マドカ」

 睨み合う私とマドカ。そんな私達に声をかけてきたのは篠ノ之束だ。

「マドっち、帰るよ」

「なに⁉ふざけるな!私は奴を必ず殺すと−−」

「マドっち、もういいよ。()()()()()()()()()()。ちーちゃんも表に出て来ざるを得なくなるし、嫌でも君を見なくちゃいけなくなる。だから、今は帰ろう」

「……ちっ!」

 盛大に舌打ちをしてナイフを引くマドカ。その身が離れると同時に、私はマドカに突きつけていた銃を篠ノ之束に向ける。

「待て、篠ノ之束。貴様の言う計画とは何だ?何を企んでいる?」

「……すぐ分かるよ、村雲九十九」

 言いながらマドカの腰に腕を回す篠ノ之束。瞬間、その姿が空間に溶け消えていく。

「待てと言った!」

 

ドンドン‼

 

 消え行く篠ノ之束に向けて発砲するも、放たれた弾丸が彼女を捉える事はなかった。アクティブステルス……いや、亜空間潜航か?相変わらず憎たらしいほどの天災ぶりだな。

『じゃあね。今度会う時は、お前を殺す時だから』

 どこからともなく響く篠ノ之束の声。憎悪と殺意を凝集したその声を最後に、篠ノ之束とマドカの姿は部屋から完全に消えた。それと同時に、いつもの何倍も慌てた山田先生が扉を破らんばかりの勢いで飛び込んできた。

「織斑先生、大変です!……って、何でここに織斑くんと村雲くんが⁉それに先生もどうしたんですか⁉顔色が……」

「私の事はいい。それより、報告を」

「あ、は、はいっ!世界各国から緊急伝!現在起動中の全てのISが突如として一斉に暴走!各国の軍・企業の制止を振り切って移動を開始!方向と軌道から、目的地はここ、IS学園である可能性が非常に高い。とのこと!」

「なん……だと……?」

 

 こうして、後に『篠ノ之束の乱』と呼ばれる事となる一連の事件の幕が開く事となった。

 あのクソ兎め!ここに来てとんでもない事をやらかしやがった!




次回予告

コード・カタストロフィ。それは、ISにとっての絶対命令。故に、ISは駆ける。己が神の命を果たすために。
命はたった一つ『神に背きしISを死なぬ程度に壊し、神に捧げよ』
だが、神は知らない。反逆の刃は、既に研ぎ上がっている事を。

次回「転生者の打算的日常」
#97 逆撃之刃(前)

死ぬな……私。

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