♢
『以上で午前の部を終了します。午後の部は14時から開始しますので、生徒はそれまでにアリーナへ戻って来てください。では、一時解散』
虚さんのアナウンスがアリーナに響く。これから1時間の昼休憩に入るとあって、生徒達はめいめい散って行く。
さて、私はどうするか。今から食堂に行っても人でごった返しているだろうし、購買部も同様だろう。かと言って、人が引くタイミングを待っていたら食べている間に休憩時間が終わってしまうし……。
「どうするか……」
「「九十九(つくもん)」」
「ん?」
思案を巡らせていると後ろから声が掛かった。振り返ると、シャルと本音がそれぞれ大きな風呂敷包みと水筒を持って立っている。その風呂敷包みからはいい匂いが漂っていて、私の食欲中枢を刺激してくる。
「シャル、本音。その風呂敷の中身……まさか……?」
「うん。そのまさか」
「しゃるるんといっしょにがんばって作ったんだ〜。ねえ、つくもん」
「「お昼ごはん、いっしょに食べよ?」」
「はい。喜んで」
二人と二人の手作り弁当。その誘惑に、私は対抗手段を持ってなどいなかった。
という訳で、中庭にやって来た私達。敷物を広げ、飛ばないように四隅を石で止めてから、二人の手作り弁当のお披露目だ。
「「はい、召し上がれ」」
「おお……」
重箱は全部で三段。その全てが綺羅星のような輝きを放っている……ように見えた。
一段目は4種のおかず。狐色に揚がった唐揚げと、しっとりとした黄金の輝きを纏う玉子焼き。トマトケチャップがたっぷりと絡んだミートボールに、箸休めに丁度良さそうな法蓮草のお浸し。目にも楽しい弁当だ。
二段目はおむすび。小さな俵むすびが隙間なく並んでいる。これだけ作るのは相当の労力だろう。二人の頑張りが分かる。
三段目はデザート。うさぎリンゴとネコオレンジ、ブルーベリーパイと、こちらも可愛らしく華やかだ。
「どれも美味そうだ。ん?そう言えば取皿が無いようだが……」
「あ、うん。それはね、九十九の分だよ」
「わたしたちのはこっち〜」
そう言って本音が広げたのは、全く同じ内容で私の前にある重箱より一回り小さい重箱。ああ、なるほど。この重箱は全て私が食べていい分だから、取皿が要らない。という事か。
「では、いただきます」
「「いただきます」」
両手を合わせて箸を取り、まずは唐揚げを一口。
「むう、これは……」
片栗粉を薄く着けた衣のパリッと軽い歯触りが心地良い。噛みしめるとじわっと染み出す肉汁の甘みと、しっかりと染み込んだ出汁醤油のコクのある旨味。そしてニンニクのパンチの効いた風味が絶妙なハーモニーを奏でる。この唐揚げの味には憶えがある。
「この味……そうか。母さんの唐揚げだ」
「うん。八雲さんにレシピを聞いて作ってみたんだけど……どうかな?」
「うん、よく出来てる。美味いよ」
「よかった……」
私の一言に安堵を漏らすシャル。すると、本音が小さく手を挙げた。
「つくもん、玉子焼きはわたしが作ったんだよ〜。食べてみて〜」
「ああ、いただこう」
本音の言葉に従って、玉子焼きを頬張る。
「うん……うん……」
形はしっかりと保っていながら、噛むとトロリと崩れる官能的な食感。ふわりと鼻を擽る鰹出汁の香りと旨味。卵本来の優しい甘みを損なわないよう、塩と砂糖は仄かに感じる程度まで抑えてある。この味は、つい最近食べた記憶があるな。
「そうか、
「うん。つくもんの言ったとおりにしてみたんだ~。どう?おいしい~?」
「ああ、これも良い出来だ。美味いよ」
「てひひ〜」
私の講評にはにかんだ微笑みを浮かべる本音。
続いてミートボールを口にする。これは、市販のチキンベースの物ではなく合挽き肉を使った自家製だな。牛のどっしりとした旨みと豚の脂の甘みを、トマトケチャップの酸味が引き立てる。ソースにはウスターソースも入っているな。舌にピリッとくる香辛料の辛味と香りが全体を引き締めている。これも美味い。
おむすびを口に運ぶ。具の入っていないシンプルな塩むすびだが、それが逆に箸を進める。
おっと、法蓮草のお浸しも忘れずに食べないと。……塩茹でにされた色合い鮮やかな法蓮草に白だしベースのあっさりした味付け。法蓮草は一番甘い根元ギリギリまで使っている。この優しい甘味、自然と顔が綻んでしまうな。
「つくもん、お茶どうぞ〜」
「ありがとう」
本音がポットからコップに注いだ茶を受け取って一啜り。ん、ほうじ茶か。だが、粗悪品にありがちな焦げ臭さは無く、香ばしい茶の香りと適度な渋味が舌をリセットしてくれる。
「良い茶だ。これは?」
「おかあさんセレクトのおいしいほうじ茶を〜、おかあさん直伝の淹れ方で淹れたんだ〜」
「ああ、なるほど。どうりで…」
更識家の食事を一手に担う調理師軍団、
唐揚げを頬張り、口の中にある内におむすびを詰め込む。十分に味を堪能してから茶で流し込んで玉子焼きをつまみ、余韻が残っている間におむすびを口に運ぶ。
時折お浸しを挟みながらどんどんと食べ進め、ふと気付いたときには重箱はデザートが入った段を残して空になっていた。
「ふう……。あ、すまない。君達のペースを考えずに食べてしまった」
「ううん、気にしないで」
「つくもんの食べるペースが早い時は、目の前の料理を美味しいって思ってる時だって知ってるから〜」
私は美味いと感じた物を前にすると、自然と手と口が早くなってしまう傾向がある。まあ、それだけ二人の作った弁当が美味かったという事だ。
「よかった。美味しいって思ってもらえて」
「実はちょっと心配してたんだ〜。美味しくないって思われたらどうしようって〜」
私がハイペースで弁当を食べた事に安堵と喜びの混じった顔をする二人。二人が向ける眼差しに妙な気恥ずかしさを感じた私は、それを誤魔化す為にうさぎリンゴに手を伸ばす。
切り口に変色の一切無い真っ白なリンゴを口に含む。シャクシャクした心地の良い歯触り。甘味と酸味のバランスの取れた果汁が噛む程に溢れる。
「ん、リンゴとは別種の甘味……。この僅かにざらつく甘さは……そうか、蜂蜜を変色防止に使ったのか」
「うん。最初は塩水にしようと思ったんだけど、しょっぱいリンゴってやっぱり嫌でしょ?」
「まあ、折角のリンゴの甘味が塩味で台無しになるのは良い気分ではないな」
シャルの意見に首肯しながらオレンジを口に運ぶ。口の中で弾けるジューシーな果肉、柑橘特有の爽やかな酸味が舌に心地良い。
「九十九、お茶どうぞ」
「ありがとう、シャル。……ん、この香りはダージリン……だけじゃないな。他にも幾つか混ざっている」
「うん。僕オリジナルのブレンドだよ」
「そうなのか。……うん、いい出来だ」
鼻を擽る豊かな香りと茶葉由来の甘みと渋味が、舌に残ったオレンジの酸味をさっと流してくれる。
そこで満を持してブルーベリーパイを口に運ぶ。サクサクのパイ生地に甘酸っぱいブルーベリージャムが好相性だ。ジャムは浅炊きの為、ブルーベリーの粒の弾ける食感が楽しい。これにシャルオリジナルブレンドの紅茶がまた実に良く合う。
これら全てを、二人が私のために作ってくれたのだと思うと、嬉しくて泣いてしまいそうだ。
「ああ……愛が美味い」
「「何か言った?」」
「いや、何も」
小さく漏らしたその一言は、どうやら二人には聞こえなかったようだ。ふとした拍子とは言え、えらく恥ずかしい台詞を吐いてしまったな。
「ご馳走様でした」
「「お粗末さまでした」」
弁当を食べ終え、暫しの食休み。三人で他愛のない話をしていると、強い眠気が私に襲ってきた。
「ふあ……むぅ……」
「九十九?眠いの?」
「実はかなり。さっきも言ったが、
私がそう言うと、シャルは「そっか……」と呟き、何かを考えた後正座に座り直した。
「じゃあ、はい。おいで、九十九」
そして、その体勢で自分の膝をポンポンと叩く。それは、つまり……。
「膝枕……いいのか?」
「うん。遠慮しないで。時間が来たら起こしてあげるから」
「しゃるるんずる〜い。わたしも膝枕してあげたいのに〜」
「残念、早い者勝ちだよ」
「う~、う~」
不服そうに唸る本音に、私は妥協案を出す事にした。
「本音。君には今夜、シャルと同じ時間だけ膝枕をお願いしようと思うんだが……」
「……わかった〜。楽しみにしとく〜」
「それじゃあ、失礼するぞ、シャル」
「うん。お休み、九十九」
シャルに近づき、その膝に頭を乗せて目を閉じる。優しく髪を撫でてくるシャルの手の心地良さに、私はあっという間に眠りの園へと旅立つのだった。
♢
九十九達が穏やかな昼休みを過ごしているのと時を同じくして、一夏もまた昼休みを取っていたのだが、その様子ははっきり言えば『ドタバタ』と言っていいものだっただろう。
なにせいつもの面子が集まって一夏に手製の弁当を食べさせようとして混乱が起き、楯無の提案の下、一人10分ずつの『二人きりの昼食』をする事になったのだが−−
「こ、殺されるかと思った……」
鈴の「あーん」を頑なに拒んだ結果、《
「ぎゃあああっ!目が!鼻が!舌が!喉がああっ!」
セシリア特製トムヤムクン(濃縮ブートジョロキアエキス入り)の、通常の三倍ではきかない辛さに悶絶したり。
「うああ……っ。 あ、頭がキーンと……」
箒が食堂の人に無理を言って作って貰ったかき氷(ミルク宇治金)を焦って掻き込んでアイスクリーム頭痛を起こしたり。
「甘っ!ムチャクチャ甘っ!」
簪が独自開発したエナジーゲル(商品名『どっこらショット』)の強烈な甘さにセシリアの時とは別の意味で悶絶したり。
「何が悲しくてヘビの肉を食わなきゃならんのだ……」
ラウラ手製の弁当の唐揚げがヘビ肉でできていると知って愕然としたりと大忙し。
結局、まともに食べたものといえば最後に出てきた楯無が手渡した『秋の味覚の炊き込みお握り』だけだった。
♢
ユサッ
頭を軽く揺すられた感覚に、私の意識は急速に現実に戻った。目を開けると、優しい笑みを浮かべたシャルと目が合った。
「おはよ、九十九」
「……おはよう、シャル。時間か?」
「うん、そろそろチャイムが鳴ると思うよ」
シャルが言うのとほぼ同時に、午後の始業5分前のチャイムが鳴った。それを聞いた私は少し名残惜しく思いながらシャルの膝枕から頭を離して起き上がる。
「九十九、眠気はどう?」
「正直に言えばまだ眠い。が、寝落ちする程ではない。といった所だ」
「そう。あんまり無理しちゃダメだよ?」
「分かっている。心配をかけてすまんな。で……」
ちらりと自分の横に目をやると、そこでは本音がスヤスヤと寝息を立てていた。
「起こした方がいいよな?」
「……起きると思う?」
「……だよな」
結局、重箱と水筒をシャルが、本音を私が抱えてグラウンドへ戻るのだった。なお、本音はチームテントに到着して尚眠り続け、最終的に簪さんが叩き起こしていた。(未来の)妻が迷惑かけてすみません。
実況席に戻ると、やけに疲れた表情の一夏と顔を微かに朱に染めてそっぽを向く楯無さんがいた。
「はあ……」
「どうした、一夏。昼休み前より疲れているように見えるんだが?あと、その頬の紅葉は何だ?」
「ん?ああ、九十九か。実はな……」
一夏は私に、昼休みに何があったのかのあらましを話した。
「で、楯無さんから貰ったお握り食ったところで午後のチャイムがなってさ。楯無さんを連れて行こうとしたんだけど……」
「皆まで言うな。大方、お前が楯無さんの手を取って歩こうとして、そうしたら楯無さんが急にモジモジしだして、お前の事だからトイレにでも行きたくなったのかと訊いて、楯無さんに
「よく判るな、やっぱお前エスパーだろ」
「久し振りに聞いたなそのフレーズ。いつも言っているが、お前が分かり易過ぎるんだ」
呆れたように溜息をつく一方で、楯無さんに
〈やれやれ、折角の嬉し恥ずかしイベントを自ら棒に振るとは。ヘタレですか、貴女は?〉
〈うっ!〉
〈手を握られたくらいで動揺とか、今時小学生でもしませんよ?〉
〈くうっ!?〉
〈一夏は年上に弱いから、一気に寄り切れば勝てるって言いましたよね?私。なに寄り切られてるんですか?〉
〈だ、だって、一夏くんが急に手を握ってくるから……その……〉
〈テンパって何も出来ずにモジモジしてたら失礼な事を言われて、それで思わず手を上げた。と。……馬鹿ですか?〉
〈はうあっ!?〉
〈これではちょっと前のあいつらと変わらないじゃないですか。何やってんですか、まったく〉
〈うう……〉
私のダメ出しにすっかり消沈した楯無さん。ただ、この会話は個人間秘匿回線で行われていた為、一夏から見ると−−
「楯無さん?どうしたんですか?急に百面相なんかして」
となる。楯無さんの様子がおかしいと思ったのか、一夏が楯無さんの顔を覗き込む。瞬間、楯無さんの顔が真っ赤に染まった。
「ふぁっ!?だ、だだだ大丈夫!何でもないから!ホントに!」
「え、でも顔赤いですよ?熱とか……」
「ないから!いたって健康だから!心配無用!ねっ!?」
「はあ……」
「はあ……」
一夏の気のない返事と私の溜息が重なった。
まったく、この人は本当に……。何でそこでいつものように余裕たっぷりに、かつ、からかい混じりに「あら?私の事、心配してくれるんだ」とか言えないんだ?それだけで一夏から十分イニシアティブを取れるというのに。
私は、普段は余裕たっぷりな癖に肝心な所でヘタレる残念生徒会長に呆れつつ、『軍事障害物競争』の準備が進むグラウンドを眺めるのだった。
昼休憩終了。間もなく第五種目『軍事障害物競争』開始。
次回予告
体育祭は佳境を迎え、熱狂は最高潮に達する。
そして、魔法使いの罠もより悪辣さを増していく。
ただ、時として策士は、策に溺れてしまうものなのだ。
次回『転生者の打算的日常』
#67 体育祭(午後)
ちょっと待て!?何故私までここにっ!?