転生者の打算的日常   作:名無しの読み専

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#57 狂気襲来

 シャルの父親、フランシスさんから結婚前提の交際の許しが出た翌日。私達は本音の実家にやって来ていた。

「着いたよ~」

「ここが本音のお家……」

「いや、寧ろ屋敷と言うべきだろうな。見てみろシャル、何もかもがデカい」

 そう、デカいのだ。門扉だけで軽く3mはある。塀は端が門から見えず、どこまでが敷地なのか分からない。オマケに−−

「お帰りなさいませ、本音様。今門をお開けします」

「うん、よろしく〜」

 更識家の従者一家のそのまた従者がいるという現実。ここは本当に日本か?と思いながらふと表札を見ると、そこに書いてある名に驚いた。

「更識?」

「え?布仏じゃないの?」

 それに答えたのはここに住んでいる本音だった。

「うん。わたしたちのお家はね〜、たっちゃんちの離れなんだ〜」

「「なんですと!?」」

 意外な事実に更に驚いた。本音が言うにはここは更識家の屋敷で、布仏家を始めとした関係者家族が幾つかある離れで暮しているのだそうだ。緊急招集の際に時間がかからなくて便利だろうな。

 そんな事を考えながら門が開いて行くのを眺めていると、その奥に見知った水色髪の女性が見えた。

「ハーイ♪九十九くん。待って「あんたに用は無い!(スパーン!)」ったーい!」

 言わずもがな、更識家の現当主にしてこの屋敷の家主、楯無さんだった。当然のようにそこにいる事にイラッとしたので、取り敢えずハリセンで引っ叩いておいた。

「楯無様!?おのれ貴様!」

 周りに居た黒服の男達が一斉に懐に手を入れるのを見て、楯無さんが慌てて止めにかかる。

「ストップストップ!いいのよ、彼なりの挨拶みたいなものだから」

 楯無さんの言葉に釈然としない顔をしながらも懐から手を出す黒服達。

「ごめんね九十九くん。この人達は職務に忠実なだけなのよ」

「いえ、それはわかっていますから。で?何故楯無さんが出迎えに?」

 そもそも、今回は私達と布仏家との面会の筈。楯無さんが間に入る理由が思い当たらない。

「いや、それがね。うちのお父さんが『俺も会いたい』って聞かなくて……今、皆揃って母屋の大広間にいるのよ」

「「「なんですと!?」」」

 何やらとんでもない大事になってきたようだ。私は改めて本音が『いい所のお嬢さん』であるという事を思い知るのだった。

 

 

「ここよ」

 通されたのは更識屋敷の母屋の奥にある大広間。正面に十枚以上の障子が並んでいる事からも相当の広さを持っていると思われる。障子一枚隔てた向こう側からは何十という人の気配。盛大な歓迎が予想される。

「開けて」

「「はっ」」

 楯無さんがそう言うと、スラッと静かな音を立てて目の前の障子が開く。そこには−−

「「「……………」」」

「ぐっ!?」

「ひうっ!?」

「わ~……全員集合だ~……」

 視線の圧に思わず怯む私とシャル。一方、本音はどこか呆れたような口調でそう呟いた。

 そこに居たのは黒服の群れ。強面率が高い為、一瞬『ヤ』の付く自由業の事務所にでも迷い込んだかのような錯覚を起こす。

 一番奥には二組の男女。一組は細身だが鍛え上げられた肉体の眼光鋭い男性と、その隣で微笑を浮かべる水色の髪の女性。

 もう一組は眼鏡をかけた柔和な雰囲気の男性と、本音がそのまま大きくなったかのようなのほほんとした空気を纏う女性。

 言われなくてもどっちがどっちの親か一目で分かる。と、眼光鋭い男性が居住まいを正すと自己紹介を始めた。

「ようこそ、村雲九十九君、シャルロット・デュノアさん。俺が先代『楯無』更識劔(さらしき つるぎ)だ」

「劔の妻の釵子(さいし)と申します。どうぞよしなに」

「では僕も。初めまして、僕は本音の父で布仏誠(のほとけ まこと)。君達に会えて嬉しいよ」

「私は本音ちゃんの母で言葉(ことのは)よ~。よろしくね~九十九くん、シャルロットちゃん」

「は、はい。こちらこそ」

「よ、よろしくお願いします!」

「さ、客人をいつまでも立たせていると更識家の沽券に関わる。どうぞこちらへ」

「「は、はい」」

 促されて劔さんが指し示した座布団に座る。するとその直後、言葉さんが私とシャルに近づいて来て、こちらの顔をじっと見つめてきた。

「…………」

「あ、あの……」

「えっと……?」

 どういう意図なのかさっぱり分からず困惑する私とシャルに、劔さんは一言「暫く」とだけ告げた。一体何なんだ?

「……うん」

 コクリと頷いた言葉さんが後ろを振り向くと、ニコリと微笑んで手を挙げた。

大丈夫(だいじょうふ)

「「え?」」

 意味が分からず首を傾げる私とシャルを余所に、本音が喜びの声を上げる。

「本当〜?お母さん」

「ええ、本音ちゃん。いい人を見つけたわね~。幸せになるのよ~」

「九十九くん。本音の事、宜しく頼むよ」

「え、いや、あの、ちょ……」

「ど、どういうこと?」

 何かとんとん拍子に話が進んでいるが、私もシャルも展開に全くついて行けていない。一体どういう事だ?

「言葉に『大丈夫』と言わせるとは……九十九君は逸材のようだな。うちに欲しいくらいだ」

「あら、駄目ですよ劔さん。九十九くんは本音ちゃんの物ですから」

「いや、だから……」

 劔さんが私を『欲しい』と言い、釵子さんがそれを咎める。周りの黒服達も「大丈夫が出たぞ!」「初めて聞いた!」「何年ぶりだよ」と騒いでいる。

「九十九くん、式はいつが良いかしら〜。卒業後すぐ?それとも〜……」

「おいおい言葉、幾ら何でも気が早いよ。まずは婚約指輪を作る所からだろう。なぁ、九十九くん」

 

プチッ!

 

「聞けえええええっ‼」

 

シーン……

 

 ざわついていた大広間が水を打ったように静かになる。それを確認し、咳払いを一つしてから口を開く。

「大声を上げた事、まずはお詫びします。一つ質問してもいいですか?本音のお父上殿」

「うん、いいよ。あ、あと僕の事は誠でいいから」

「分かりました。では、誠さん。何故そんなにあっさり私と本音の仲を認めたのですか?」

 私の質問に「ああ」と一つ頷いてその理由を語った。

「それは、言葉が『大丈夫』と言ったからだよ。言葉の人の目利きは今まで外れた事が無い。その言葉が『大丈夫』と言ったんだ。反対する理由が無いよ」

「たったそれだけですか?もっとこう、深い理由とかないんですか?」

「無いなあ」

「無いわね~」

「え~……?」

 あまりと言えばあまりなその理由にしばし愕然とする私。

 いいのか?こんな簡単で?フランシスさんと会った時もそうだったが、一波乱有ってもよくないか?例えば−−

 

「娘さんを私に下さい!」

「貴様のような奴に娘はやらん!」

 とか−−

 

「娘を攫って行く君を、一発でいい、殴らせてくれ」

「……分かりました。どうぞ、お義父さん(スッ)」

 

バキイッ!!

 

「グッ!」

「……娘を幸せにしろ。でなければ、君を許さん」

「……はい」

 とか−−

 

「そんな波乱が有ってもよくないかと思うんだが……」

「九十九ってさ……」

「たま〜に考え古いよね~」

「うぐっ!?」

 シャルと本音のツッコミが、いつもより深く刺さった気がする。私、泣いていい?

 

 

 その後、大広間で始まったのは昼食会という名の宴会だった。従者一同も含めた数十人で飲めや歌えの大騒ぎとなっている。

「九十九君、酒はいけるクチかい?」

「いや、私未成年ですが……」

「おっと、そうだった。雰囲気のせいか年齢以上に見えるのでついな。でもまあ、一杯くらいいいだろう。なあ?」

「先代。お戯れが過ぎます。ご自重を」

「分かった分かった。そう睨むな、誠」

 劔さんが頻りに酒を勧め、それを誠さんが咎める。誠さんは劔さんの専属であると同時に、更識家従者一同の総監督も務めているのだそうだ。

「ん、この味付けは京風だな。これを作った人は良い腕をしている」

「あら、ありがと〜九十九くん。褒めてくれて嬉しいわ〜」

 何と、これを作ったのは本音のお母さん、言葉さんだった。何でも言葉さんは更識家の料理人達(厨衆(くりやしゅう)と呼ぶらしい)のトップなのだとか。今でも現場に立ち、自ら包丁を握るのだそう。

「九十九くんは味にうるさいって本音ちゃんから聞いてたけど、お口に合ったみたいでよかったわ〜」

 とは言え、こののほほんとした笑顔を見ていると、とても厨房に立つ姿が想像できないのも確かなのだが。

「つくもん、つくもん。これ、私が作ったんだ〜。食べてみて〜」

「九十九。こっちは僕が作ったんだよ。はい、どうぞ」

 そう言って二人が持ってきたのは出汁巻き玉子。鮮やかな黄色と鰹出汁の香りが食欲をそそる。どちらも美味そうだ。

 と、二人はそれぞれ箸を手に取り、出汁巻き玉子を切り分けるとそれを持ち上げて私の口元へ持ってきた。

「「はい、あ~ん」」

「……一度に持って来られても困るんだが?」

「あ、そっか。じゃあ、本音。お先にどうぞ」

「いやいや~、しゃるるんこそお先にどうぞ〜」

 何故か互いに譲り合う二人。このままでは折角の美味い出汁巻きが冷めてしまう。なら、私が決めよう。

「本音。君のから貰おう」

「あ、うん!はい、あ~ん」

「あ~ん……。うん、美味い。基本をしっかり押さえてある。味付けも十分。ただ……」

「ただ〜?」

「塩が少し多い。もう半つまみ少ない方が好みだな。次に期待しているよ、本音」

「うん、頑張る〜」

 ぐっと拳を握る本音の頭を撫でてやると、本音は嬉しそうな顔で笑った。

「じゃあ、次は僕だね。はい、あ~ん」

「あ~ん……。うん、これも美味い。卵が出汁の風味に負けないギリギリのラインを見切った見事な一品だ。しかし……」

「しかし……何?」

「火入れが過ぎたな。火が通り過ぎず、全体にトロッとしている方が私の好みだ。なに、君の技量なら次は上手く行くさ」

「うん、次はもっと美味しく作るね」

 力こぶを作るシャルの頭をポンポンと軽く叩くと、シャルは何処か擽ったそうに微笑んだ。うん、どっちも可愛い。

「あらあら、お熱いわね。でも、九十九くんが二人に本当に言って欲しいのは「あ~ん」じゃなくて「ああん♡」じゃ……」

 

シュッ、スパーン!

 

「ゲスの勘繰りをするんじゃない」

「な、投げハリセン……そんな技まで持ってたのね」

 額を押さえて呻く楯無さんを、劔さんと釵子さんが生温かい目で見つめていた。

 

 宴もたけなわといった所で、本音は言葉に連れられて厨房に来ていた。

「どうしたの〜?お母さん」

 母親の真意を図りかねている本音に、言葉はにっこりと微笑んで着物の袖口からある物を取り出すと、本音に手渡した。

 それは、長方形の薄い箱。本音はそれに見覚えがあった。というか、既に九十九の部屋に三つもある。言わずもがな、言葉が本音に手渡したのは『明るい家族計画』だった。

「九十九くんと『する』時は使うように言うのよ~?お母さん、孫の顔を見るのは五年先ぐらいがいいから~」

「お母さんもなの!?」

 本音が顔を真っ赤にして厨房の床に『家族計画』を叩きつけたのも無理の無い話であった。

「九十九、どうしたの?急に天ぷらをご飯の上に乗せて」

「いや、こうしないといけない気がして……」

 

 

「今日はお招き頂き、ありがとうございました」

「うん、またいつでも来なさい。歓迎するわよ!」

「貴方に言ってませんよ、楯無さん」

 大分日も傾いた夕方、明日から授業再開となるため早めに学園に帰ろうという事になり、更識家を辞去するべく挨拶をする。

 応えたのは楯無さんで、その後ろで更識・布仏両家の人達が苦笑いを浮かべていた。

「表に車を用意しました。今門をお開けします」

「何から何まですみま……」

 

ゾクッ!

 

 門番の人が門に手を掛け、それが僅かに開いた瞬間、ねっとりとした暗い情念と殺気を感じた。

「開けるな!」

「えっ?……ぐはっ!?」

 咄嗟に叫んだ私に『?』を浮かべた門番の人に苦悶の表情が浮かぶ。たたらを踏んで後ろに下がり、そのまま倒れ込んだその人の腹には、鈍く輝く金属の塊。ナイフが、刺さっていた。

「っ!?」

「ひっ!?」

 その姿に思わず引きつった叫びを上げるシャルと本音。すると、門が何者かの手によって少しづつ開いていく。そこから現れたのは一人の男。

 縦にも横にも巨大な体、伸び放題の髪と無精髭、気道が脂肪で潰れているのか「フーフー」と荒い息、服装に無頓着なのかどこにでもあるスウェットの上下。

 だが、最も印象的なのはその目。狂気と妄執を極限まで煮詰めたようなその瞳はある一点、正確には一人の人物のみを捉えている。

「フヒヒ……酷いじゃないか、本音。恋人の僕に挨拶もなしに帰ろうなんて」

 そう言いながらゆっくりとこちらに近づいてくる男。その後ろ、僅かに見えた車の運転席では、私達を送り届けるはずだったであろう運転手が、首から夥しい量の血を流して事切れていた。

「ああ、あの運転手かい?あいつ、僕が「本音に会いに来た。僕は本音の恋人だ」って言っても信じないからさぁ。イラッとなって殺しちゃった」

 なおも近づきながら、何でもないようにそう言う男。……こいつ、狂っていやがる。

 自分が本音の恋人だと信じて疑わず、目に映る物を『本音』と『それ以外』としか見ていない。そして、自分の邪魔をするならそれが誰だろうと『排除』する。『排除』できる。つまりこいつは……。

「さあ、本音。僕の胸に飛び込んでおいで。遠慮はいらないよ、僕のお嫁さん。フヒヒ」

 恋愛偏執狂(ストーカー)猟奇殺人者(サイコキラー)だ。

「ひっ!?つ、つくもん……」

「シャル、本音、私の後ろに。……本音、この男に見覚えは?」

「う、ううん」

 私の質問にフルフルと首を振る本音。その様に、男は不思議そうに口を開く。

「どうしたんだい、本音。まさか、恋人の僕の顔を見忘れたなんて言わないよね?」

 更に近付こうとする男の周囲を黒服達が取り囲む。刺された人は別の場所に運び込まれていくのが黒服達の間から見えた。

「なんだよお前ら。邪魔する気ならお前らも殺っちゃうよ?」

 そう言うと、男は懐から大振りのアーミーナイフを取り出すと黒服達に突きつける。それに対して黒服達は銃を取り出して構える。

 一触即発の空気の中、本音が意を決して男に問うた。

「あなたは……誰なの?」

「酷いなあ、本音。僕だよ、君の最愛の男さ。フヒヒ」

 至極当然とばかりにそうのたまう男。その声音には自分の言葉に対する絶対の自信が滲んでおり、少なくともこの男にとっては自分の言葉こそが全てにおいて真実であろう事が伺える。

 それを感じ取ったのか、本音は顔を蒼白にして私の後ろに隠れる。それを見た男が、今度は私に視線を向けた。

「……ああ、お前か。僕の本音を横から掻っ攫おうとしてる馬野郎ってのは。どけよ。じゃないとお前から殺すぞ」

「私からすれば、本音を横から掻っ攫おうとしてるのはそちらなのだがな」

 さっきから本音の事を『僕の本音』だの『お嫁さん』だのと勝手な事を言う男と視殺戦を繰り広げる私。そこに口を挟んだのは楯無さんと言葉さんだった。

「貴方、さっきから勝手な事言ってるけどね。本音ちゃんはそこの九十九くんのお嫁さんになるって決まったのよ。今更出てきて勝手な事言わないでくれる?って言うか、貴方誰よ?顔も見た事無いんだけど?」

「……あなたじゃ本音ちゃんを幸せにできないわ。だってあなた……自分が見たい物しか見ない(バカ)だもの」

 二人の言葉に、男の顔が見る間に赤くなる。

「何だよ……何なんだよ!何であいつが僕の本音を奪っていくのが当たり前みたいなこと言ってんだよ!ってか誰だよババア!訳知り顔で勝手な事言いやがって!……いいよ、そんなに死にたいなら……お前から殺してやるよババア!」

 怒りの感情を爆発させた男は、言葉さん目掛け黒服達に突っ込んで行く。咄嗟の事で反応しきれなかった黒服の一部が、男の突進を受けて吹き飛んだ。男の後ろを取っていた黒服も、下手に撃てば流れ弾が主家の誰かに当たりかねないからか発砲できないでいる。

「死ねよ!クソババア!」

 男が振り上げたナイフを言葉さんに振り下ろす。その前に飛び出したのは。

「言葉!ぐあっ!」

「「お父さん(誠さん)!」」

 言葉さんの体を掻き抱く様に守り、背中にナイフの一撃を受けて倒れた誠さん。背中から鮮血が滲み、服を濡らしていく。

「お父さん!お父さん!」

 血を流して倒れる誠さんに、本音が駆け寄る。その目には大粒の涙が溢れている。

「言葉……怪我はないか?」

「ええ、大丈夫です。でも誠さん、貴方が怪我を……」

「これぐらいかすり傷さ……ぐっ」

 誠さんはそう言って強がるが、その表情が苦悶に歪む。

「なんだよお前、そのババアの旦那か?だったら、嫁の躾くらいちゃんとしとけよ!」

 叫んで更にナイフを振り下ろそうとする男。その男に対して、本音が両手を大きく広げて立ちはだかる。

「も、もうやめて!お父さんにひどいことしないで!」

 その叫びに、男は首を傾げて問うた。

「何を言ってるんだい本音?君の両親は君が小さい頃に死んで、それからここで住み込みで働いてるって、君が言ったんじゃないか」

「……え?」

「寂しそうにしてた君の相談に僕が乗った。そして君は僕を好きになって『あなたのお嫁さんになる』って言った。そうだろう?本音」

 この男の中では、本音はそういう身の上のようだ。だが、今そんな事は私には関係ない。

 こいつ、今何をした?言葉さんを「ババア」と呼んだよな?誠さんに怪我をさせたよな?何より……。

 

「さあ、本音。そんな見ず知らずの奴らなんて放っておいて僕と行こう。君は僕とじゃないと幸せになれない。そうだろう?」

 男の独りよがりの言葉に、本音は目に涙を浮かべながらも、毅然として首を横に振った。

「ううん。私を幸せにできるのは、あなたじゃない」

 本音の言葉にピクリとする男。その目をしっかりと見据え、本音ははっきりとこう言った。

「私を幸せにできるのは、つくもん……村雲九十九さんただ一人!あなたなんて知らない!ここから出て行って!」

 本音の叫びに男は全身をブルブルと震わせると、殺意の篭った目で本音を見据え、ナイフを頭上まで振り翳す。

「そうかよ……そんなにあの馬野郎の方がいいのかよ……。だったら!君を殺して僕も死ぬ!天国で幸せになろう!本音!」

「「本音(ちゃん)(様)!」」

 そして、そのナイフを男は本音に振り下ろす。恐怖から体を竦め、目を瞑る本音。だが、そのナイフが本音を捉える事はなかった。

 

ガシッ!

 

 何故なら、男の手首を九十九が掴んで止めたからだ。

「つ、つくもん……」

「あ?何だよ馬野郎。おい、離せよ。離せって−−」

「……たな」

 

ギリッ!

 

「がっ!?い、痛え!お、おい、離せって!」

 九十九が掴んだ男の手首からミシミシと骨の軋む音がする。それに構わず、九十九は更に腕を掴む手に力を込めていく。

「……泣かせたな」

 

ミシッ、ミシミシッ!

 

「ぎ、あ、が、ああっ!」

痛みに耐えかね、男は手にしたナイフを取り落とす。

「お前……本音を……泣かせたな!」

 

ゴギッ!バキバキッ!

 

「いっ……ぎゃあああああっ!!」

 男の手首から骨の折れる鈍い音が響くと共に男が絶叫を上げて後ろに下がる。九十九を見るその目には恐怖が浮かんでいる。

「なんだよ、なんなんだよ!お前!」

 男の誰何の叫びを無視して、九十九は礼服のジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを引き千切るように首から外す。

「お前は言葉さんを罵った。誠さんを傷付けた。何より本音を泣かせ、あまつさえ殺そうとまでした」

 男の罪状を数えながら、九十九が男に近づいていく。その目には絶対零度の殺意と灼熱の怒気が宿っている。

「覚悟しろ豚野郎。お前はこの()、村雲九十九が直々にぶちのめす」

 

「つくもん……」

「シャル、本音、誠さんを安全な所へ」

「「う、うん」」

 シャルと本音にそれだけ指示をして、俺は改めて豚野郎を睨む。気圧されでもしたのか、豚野郎は少しづつ後ろへ下がる。

「おい、逃がすな。さっさと取り囲め」

「「「は、はっ!」」」

 俺の言葉に、慌てたように豚野郎を取り囲む黒服達。豚野郎はなおも後ろに下がるが、黒服達に囲まれたと知るや俺に向き直ってナイフを抜いた。だが、その手はガタガタと震えていて今にもナイフを取り落としそうになっている。

「く、来るな。来るなあああっ!」

「何だ豚野郎。俺が怖いのか?そんなに震えなくてもいいぜ。なんせお前は……突っ立ってるだけでいいからな!」

 足に力を込め、一瞬で豚野郎に肉迫。踏み込みで石畳が砕けた気がするが気にしない。

「ひっ!?」

 恐怖に引きつる豚野郎の顔面にまず右フック。

「これはお前に罵られた言葉さんの分!」

 

ゴシャアッ!

 

「ぶべえっ!」

 左に傾ぐ豚野郎の体。口からは抜けたり砕けたりした歯が飛び出して宙を舞う。更にそこへ左フックで追撃。

「これはお前が傷付けた誠さんの分!」

 

メキイッ!

 

「ぷぎっ!」

 頬骨の砕ける音と共に豚野郎の体が今度は右に傾いだ。更にそこへ右のボディブロー。

「これはお前が泣かせた本音の分!」

 

ズンッ!ボキィッ!

 

「うげえっ……!」

 肋骨の折れる感触が拳から伝わる。豚野郎が体をくの字に曲げて苦悶に呻く。この時点で豚野郎は既にナイフから手を離していた。

「そしてこれが、本音の心を傷付けたお前に対する俺の……俺の!」

 蹲る豚野郎に、俺は両拳を組み合わせて頭上まで振りかぶり、全体重を乗せて一気に振り下ろした。

「この俺の怒りだああああっ!!」

 

ゴッ!グシャアッ!

 

 後頭部に全力の一撃を受けた豚野郎は地面に盛大にキスをした後、そのままピクリとも動かなくなった。

「つ、つくもん……ひょっとして、その人……」

「安心しろ、死んでない。気絶しているだけだ」

 おずおずと聞いてくる本音にそう返し、大きく息を吐く。渦巻いていた怒りの炎が徐々に消えて行き、心が穏やかになっていく感覚があった。

「それに、もし殺しでもしたら……()は君達に二度と顔向けが出来なくなってしまうよ」

 そう言いながら本音の頭にポンと手を置くと、本音はその瞳から大粒の涙を流しながら私に抱き付いた。

「う……うあああん!怖かったよ〜!」

「よしよし、大丈夫。もう大丈夫だ」

 泣き叫ぶ本音をそっと抱き締め、落ち着くまでその背中を撫でる。涙がシャツを濡らしていくが、そんな事は些事だ。

「……落ち着いたか?」

「ぐす……うん」

 本音が泣き止んだタイミングを見計らったのか、言葉さんがこちらに歩み寄ってきたので、私は気になっていた事を訊いた。

「言葉さん、誠さんの容態は?」

「大丈夫。傷はそんなに深くないわ。止血もしたし、かかりつけのお医者様も呼んだから、心配はないわ」

「だそうだ。良かったな、本音」

「うん。つくもんは大丈夫〜?」

「ああ、問題ない」

 本音に余計な心配をかけないようにこう言ったが、実は左拳で奴の頬骨を砕いた時に僅かだが当たりが悪かったらしく、拳を痛めてしまっていた。痛みはそれ程酷くはないし、しばらく養生に努めれば治るだろう。と、そこでシャルと目が合った。

(どうした?)

(左手、痛めたでしょ?平気?)

(気づいていたのか。まあ、大した事はない)

(そう?なら良いけど、無理しないでね?)

(ああ)

 アイコンタクトによる無言の会話をしていると、横からからかうような声音で楯無さんが寄ってきた。

「あら、『目と目で通じ合う』って奴?いいな~、私も九十九くんとそういう仲になりたいな〜」

「はい、遠慮しまーす」

「あっさりスルー!?酷くない!?」

 ショックを受けているようで、その実全く受けていない感のある声音で楯無さんが吠えるのに溜め息をついて先を促す。

「で?何か話があって来たんでしょう?どうぞ」

「ええ。今日の件、うちで纏めて()()()()するから。九十九くん達は今日はもうお帰りなさい」

「……分かりました。お任せします。シャル、帰ろう」

「うん」

「本音、君は誠さんに付いてやれ」

 本音にそう言うが、本音は私のシャツを掴んだまま離さず、胸に顔を埋めて『イヤイヤ』と首を振る。

「……分かった。一緒に帰ろう。では楯無さん、後はよろしくお願いします」

「ええ、任せなさい。キレイに()()しておくから」

 『後片付け』と『掃除』に妙な響きを感じたが、深く考えると拙い気がしたので止めておき、私達は布仏家(正確には更識家)を後にした。

 

 

 余程の恐怖体験だったのか、本音は学園に戻った後もずっと私にしがみついて離れなかった。流石に着替えとシャワーの時は離れてくれたが、それでも相当渋ったのは言うまでもない。

 そして現在、私は「つくもんと一緒に寝る」と言って聞かない本音と「折角だから僕も」と言って潜り込んできたシャルと一緒に一つのベッドで横になっていた。

 セミダブルベッドとはいえ、三人で寝ればとても狭い。自然、私達は密着して寝る事になる。私が間に挟まれる形のため、柔らかい感触が前後から襲ってきて色々拙い。

 この二人に関してだけ言えば、私の理性の鎖は既に完全に錆付き、腐り果てている。この状況下でもう一押し何かあれば、私は最早抑えを利かせられる自信がない。

「ねえ、九十九」

「ん?」

 不意にシャルが私に話しかける。内心ギクリとしながらも返事をすると、シャルはとびきり甘い声で囁いた。

「僕、九十九の事が大好き。愛してる」

 耳元でされたその囁きは、私の理性の鎖をギシギシと軋ませる。更にそこへ本音からも囁きが届く。

「わたしもつくもんのこと、愛してるよ~」

 その囁きは私の理性の鎖をゴリゴリと削って行く。

「ああ、私も君達の事を愛してる」

 それでもなお、壊れかけの理性を総動員して返事をすると、二人は私の理性の鎖にとどめを刺す一撃を放ってきた。

「でもね九十九。僕たちは言葉だけじゃ物足りないの」

「つくもんにね、わたしたちがつくもんの物だって事を刻みつけて欲しいんだ~。だから……」

「だ、だから?」

「僕の『初めて』を……」

「わたしの『全部』を……」

「「貰ってください」」

 

バキンッ!

 

「シャル、本音!」

「「きゃっ!」」

 頭の中で鎖の弾け飛ぶ音が聞こえたのと同時、私は器用にも二人を纏めて押し倒し、組み敷いていた。自分でもどうやったのかわからなかったが、二人がここまで言ってくれたんだ。もう、ゴール(イン)してもいいよな?

「言っておくが私も初めてだ。上手くはしてやれんし、加減してやる余裕もない。覚悟は……いいな?」

「「……はい♡」」

 

 この夜、私達三人は心身ともに結ばれた。この夜の事を私はきっと一生忘れないだろう。

 シャルの柔らかい抱き心地も、本音の可愛らしい鳴き声も。それから、親達の『余計なお世話』がこの一晩だけで半箱減った事も。……ちょっと頑張りすぎたか?

 

 

「おい、気づいたか?」

「ええ」

「ああ」

「まあね」

「……うん」

 一夏ラヴァーズは、食堂で夕食を取りつつ角を突き合わせていた。話題は『あの三人、連休中に何かあったよね?絶対』である。なお、一緒に食事をしようとした一夏は「女同士でしかできない話だ」と言う事で追い出した。

「私は朝、シャルロットと本音がやけに歩きづらそうしていて、それを九十九が気遣っているのを見たぞ」

「わたくし、あのお三方の心の距離が大きく近づいたように感じましたわ」

「九十九から『覚悟を決めた男』の気配を感じた。そのせいか、あいつがいつもより大きく見えたな」

「シャルロットと本音がやけに色っぽくなった気がすんのよね……こう、『女の子』から『女』になった。みたいな?」

「歩いてるだけで注目を集めるくらいに幸せそうだった……」

 互いの話を聞いて、五人は確信する。

 シャルロットと本音が歩きづらそうにし、それを九十九が気遣っていた事。九十九の男らしさ、シャルロットと本音の女らしさがそれぞれ増した事。そして、三人の距離が以前より遥かに近づいた事。以上の事を踏まえた結論は……。

(((あの三人、『ヤッた』んじゃ!?)))

 一斉にその考えに至った時、五人は自分達の後ろから鋭い視線を感じた。

「「「!?」」」

 ハッとして振り向いた先にいたのは、目が笑っていない笑みを浮かべる九十九と、その隣で「仕方ないなぁ」と苦笑するシャルロット。そして、九十九の肩に体を預けてニコニコしている本音だった。

 九十九は声を出さずにラヴァーズを指差すと、自分のテーブルを軽く叩き、手招きをした。『お前達こっち来て座れ』と言っているのだ。

 恐る恐る九十九の座るテーブルに着くと、九十九はおもむろに口を開く。

「敏いお前達の事だ。もう気付いているんだろう?」

「って事は、やっぱりあんたら……」

 呟いた鈴がシャルロットと本音に目を向けると、二人は頬を赤く染めながらコクリと頷いた。

「深くは訊くな、プライベートだ。いいな?(ニッコリ)」

「「「アッ、ハイ」」」

 もっと突っ込んだ事を訊きたかったが、九十九の『怖い笑顔』に質問を呑み込むラヴァーズだった。

「まあ、私達の事はいい。お前達を呼んだのは別件だ」

 そう言うと九十九は居住まいを正し、五人の目を見ながら質問を投げかけた。

「それで?どうするんだ、お前達」

 それは、いみじくも数日前に鈴が九十九にした質問と同じものだった。




次回予告

少年は二者択一を突き付ける。取り合うべきはあいつの心か、互いの手か。
少女達が如何な選択をするかは、まだ分からない。
そんな中、複数の悪意が学園を襲おうとしていた……。

次回「転生者の打算的日常」
#58 侵入

なんだ?この胸騒ぎは……?

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