転生者の打算的日常   作:名無しの読み専

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#48 貸出

「ふーむ……」

 誕生日プレゼントを買いに行った翌日、私は新聞に気になる記事を見つけた。

 それは『米IS企業『ドルト・カンパニー』社長、クイーン・ノヴェンバー・ドルト死亡』のニュースだ。

 記事によると、現地時間で昨日未明に『ドルト・カンパニー』社長であるクイーン・ノヴェンバー・ドルトが郊外に所有している別荘の玄関で胸を撃たれて亡くなっているのを、近所の住民が発見・通報したという。

 室内に荒らされた形跡はない事から物取りの犯行ではなく、抵抗の跡や逃げようとした痕跡もない事から、地元警察は顔見知りによる犯行と推理。しかし、彼女の顔見知りには全員はっきりしたアリバイがあるという。また、銃声を聞いた者も犯人の姿を目撃した者もいないとの事。彼女を殺したのは誰なのか?警察は犯人の行方を捜索中らしい。

「怖い事件もあったものだな……」

 『ドルト・カンパニー』といえば、アメリカ製ISの大部分を製造開発している業界最大手の企業だ。そこの社長であるクイーン・ドルトといえば、やり手の女社長として世界的に有名な女性だ。しかし、その分黒い噂も多く、恨みを持つ相手も相当数いると言われている。

「……まあ、ラグナロク(うち)には関係ないだろう」

 『ドルト・カンパニー』とラグナロクは、同業種とはいえ互いに接点は何一つ無い。考えを巡らせる必要はないだろう。

 そう結論づけ、新聞を畳んでテーブルに放り、部屋を出る。さて、今日も頑張ろう。

 

 

「さーて、今日の九十九くんのお仕事はー?」

「何ですか?そのどこぞの国民的長寿アニメの次回予告のようなノリは?」

 放課後の生徒会室。初っ端からテンションの高い楯無さんに呆れつつ、虚さんから今日の私の仕事を訊く。

「今日は『本校舎一階の蛍光灯交換』『二年生寮のボイラー点検の立ち会い』の二つです」

「蛍光灯交換って……出入りの業者に頼めばいいんじゃ……」

「今日は休業日なのよ、そこ」

 ポツリと呟いたシャルにそう返す楯無さん。まあそういう事なら仕方ないか。問題なのは二つ目の仕事だ。

「二年生寮のボイラー点検、楯無さんが立ち会えばいいじゃないですか」

「面倒く……こほん。その時間帯は他の仕事があって」

「今面倒くさいって言いかけませんでした?ねえ?」

「ほらほら、いいからお仕事しなさい!時間は有限よ!」

 詰め寄ろうとした所を勢いで誤魔化し、生徒会室から私とシャルを放り出す楯無さん。あの人、絶対点検の立ち会いが面倒くさくなって押し付けたな。

「まったく……あの人のサボり癖にも困ったものだな」

「仕方ないよ、だってあの人は……」

「「『更識楯無』だからな(ね)」」

 見事に台詞が重なった事に、シャルと顔を見合わせて苦笑い。

「行こうか。まずは蛍光灯交換からだ」

「うん」

 そう言って、生徒会室前から移動を開始。資材庫から蛍光灯と脚立を持ち出し、本校舎一階に向かった。

 

「最後はここだな」

 本校舎一階の蛍光灯の内、切れていたのは三本。内二本を既に交換し終えた私達が最後に取り掛かるのは、本校舎と体育館を結ぶ渡り廊下の蛍光灯の内の一本。

「結構高いね。大丈夫?九十九」

「一番上まで登ってなんとか、といった所か。シャル、しっかり脚立を支えていてくれ」

「うん」

 シャルが脚立を支えるのを確認し、いざ蛍光灯交換へ。切れた蛍光灯を取り外し、新しい蛍光灯へと交換。途中、態勢を崩しかけるもなんとか持ち直す事に成功、交換は問題なく終了した。と、気を緩めたのがいけなかった。

「よし、終わり。次はボイラー点検の立ち会いだった……なっ!?」

 脚立を降りる途中、うっかり段を踏み外してしまい、大きく体が傾いた。

「九十九っ!」

 それを見たシャルが咄嗟に両手で私を支えようとするが、それも一瞬の事。彼女の細腕で私の体重を支えきれる訳もなく。

「あ、ダメ。重い……っ」

 シャルの肘がガクンと曲がり、その力が抜ける。

「シャル!くっ……!」

 シャルを下敷きにすまいと、咄嗟に体を捻ってシャルと正対する。私とシャルの視線がぶつかった数瞬の後−−

 

ガシャーン!

 

 盛大な音を立てて地面に落下した私。ぎりぎりで手を着く事ができたので、なんとかシャルを下敷きにせずに済んだ。

「痛たた……シャル、無事か?」

「う、うん。僕は大丈夫。……あの、九十九?」

「なんだ?」

「その……手を……」

「手?……っ!?」

 シャルが消え入りそうな声で言うので自分が手を着いている所を見ると、右手がシャルの胸元の『肉まん』をがっしり掴んでいた。

「す、すまん!シャル!」

 慌てて手を離して立ち上がると、シャルに手を貸して立たせてあげた。シャルの顔は真っ赤だったが、どこか満更でも無さそうな雰囲気だった……ような気がする。

「本当にすまない」

「ううん、いいよ。支え切れなかった僕も悪いし。それに……嫌じゃなかったし

「ん?今何か言ったか?」

「う、ううん!なんでもない!さ、行こ?」

「あ、ああ。って、待て待て。荷物を置いて行くな!」

 真っ赤な顔のまま先を行くシャル。足早に進む彼女を追って、私は慌てて脚立を抱えて走るのだった。柔らかかったな……。いやいや、煩悩退散、煩悩退散!

 

「以上で点検は終了です。異常は見つかりませんでした」

「ご苦労さまです」

「ありがとうございました」

 二年生寮のボイラー点検は、特に何事もなく終わった。これで今日の生徒会の仕事は終わりだ。後は生徒会室に戻って楯無さんに終了報告をすれば、そこから先の時間はフリーになる。

「取り敢えず、一旦生徒会室に戻ろうか」

「うん、そのあとは?」

「そうだな……時間もあるし、アリーナで模擬戦でもしないか?シャル」

「いいね。あ、でも九十九は《ヘカトンケイル》無しでね」

「分かっている」

 そんな話をしながら生徒会室に戻る私達。が、立てた予定というのは、実際には全てその通りに行くとは限らない訳で……。

 

 

「は?すみません、楯無さん。もう一度お願いします」

「だから、私の代わりにこの書類の仕分けをしてくれない?決済印を押すのは私がするから」

 生徒会室に戻って早々、そんな事を頼んでくる楯無さん。

「それは貴方の仕事でしょう?」

 通常、生徒達からの要望書を始めとした各種書類を仕分け、決済印を押すのは会長の仕事だ。それを『代わりにやって』と言っているのだ、彼女は。

「量が多すぎて捌ききれないのよ。ね?お願い」

 そう言って手を合わせて拝んでくる楯無さんの仕事机には、楯無さんの頭より高く書類が積み上がっている。こんなの、漫画でしか見た事ないぞ。

「どうする?九十九?」

「ここで嫌だと突っぱねるのは簡単だが、それでこの人が『じゃあ仕方ない』と言って真面目に仕事をするかといえば……」

 ちらりと虚さんの方を見ると、諦め混じりの溜息と共に首を横に振る。つまり、そういう事だ。

「はあ……すまん、シャル。模擬戦は明日の実技の時間でしよう」

「仕方ないか……僕も手伝うよ」

 溜息と共に割り当てられた席に着き、渡された要望書に目を通す……前に。

「すやすや〜」

 

ペシン!

 

「あ痛っ!う~、何するの~?つくもん」

 自分の席(私の右隣)で呑気に寝息を立てていた本音の頭を軽く叩いて起こす。いきなり起こされた本音は大層ご立腹のようだが、小動物オーラが原因か全く怖くない。

「すまんが、私は自分が仕事をしている横で誰かがグースカ寝ているのを無視出来る程大人ではない。でだ、本音。カクカクシカジカ」

「マルマルウマウマ〜。私も手伝うね~」

「じゃあ、本音はこっちね」

「は〜い」

 という訳で、三人で要望書に目を通し、それぞれ『採用』『保留』『却下』と書かれた箱に仕分けていく。ちなみに……。

 

「ねえ、虚ちゃん。今の九十九くんたちのやり取り……分かった?」

「いえ、全く」

「付き合い出して約三ヶ月であの以心伝心ぶり……九十九くん、恐ろしい子……っ!」

 仕分けをする九十九達の横で、楯無が三人の深い繋がりに戦慄したのは、はなはだ余談だ。

 

「えー、なになに?『調理部部長、三栖味子(みす あじこ)です』。あ、あの人そんな名前なんだ」

 その三栖部長の要望は、『最新式スチームコンベクションオーブンが欲しいので部費の増額をお願いします』というもの。

「しかし、調理部にはもうあっただろう。スチコン」

「うん。でも、最近調子悪くて……業者さんに見て貰ったんだけど、『修理するより新品に交換した方が早い』って」

「ふむ……。申し訳ないが『保留』だな。いよいよ動かなくなってからもう一度言ってくるように伝えてくれ、シャル」

「分かった」

 調理部部長の要望書を『保留』に入れ、次の要望書に目を通す。

「続いては……『村雲九十九を生徒会から追放してください』はい、却下」

「当然だね~」

「あ、これもだ。却下……と」

 この他、『村雲九十九を退学にしろ』『村雲九十九を退寮処分にしろ』『村雲九十九からISを没収しろ』などなど、明らかに女尊男卑主義者のものと分かる身勝手で理不尽な要望が続出。もちろん全部却下だ。

「これだけで全体の3割は削れたな」

「おりむーのは少ないね~」

 本音の言う通り、一夏に対する私と同じ内容の要望は却下した3割の内の数枚のみ。まあ、その原因は分かっているが。

織斑先生と篠ノ之博士(最強の後ろ盾)の存在が理由……かな?」

「だろうな。誰だって織斑千冬(世界最強)篠ノ之束(人類最高頭脳)を敵に回したくはなかろうよ」

 そう言いながら、次の要望書を手に取る。

「次は……『布仏本音さんをぎゅってさせてください』……何だこれ?」

「『デュノアさんにまた男装をしてほしい』っていうのもあるよ〜?」

「『会長、「お姉様」と呼ばせてください!』……ねえ、これ要望書出す必要あるの?」

 その他にも『叱ってください、布仏先輩!』『織斑くんをもっと間近で見たい!』『村雲くんに頭ぽんぽんして欲しい』などなど、「本人に直接言え!」と言いたくなる個人的な要望書が相当数出てきた。

「全部却下で。いちいち相手していたらきりがない」

 という訳で、纏めて『却下』送りに。これでさらに3割は削れた。

「今の所、まともな要望が調理部長からのものしか出てきてないぞ」

「そうだね~」

「あ、でもほら、これは真面目なお願いみたい」

「どれ……」

 シャルがそう言って、一枚の要望書を見せてくる。そこに書かれていたのは……。

「『剣道部更衣室に空気清浄機が欲しいです』か」

「『レスリング部の更衣室に空気清浄機を入れて欲しい』っていうのもあるよ〜」

「こっちは体育会系部活動の部長さんたちが連名で『空気清浄機を下さい!』って要望書を出してるね。理由も書いてある」

「読み上げてくれる?シャルロットちゃん」

「はい。えっと……」

 体育会系部活動がこぞって空気清浄機を欲しがる理由はただひとつ。『更衣室が臭いから』に他ならない。

 汗と制汗スプレー、消臭目的のキツめの香水と安物の化粧品の匂いが渾然一体となったカオスな空気。剣道部の場合は、そこに手入れを怠った防具に生えたカビの臭いまでプラスされる場合もある。それが十年の間に壁や天井に染み付いてしまっているらしい。想像するだけでえずいてしまいそうな、名状しがたい不快な臭い。しかも……。

「『そんな臭いに、大半の部員は半年もあれば慣れてしまいます。このままでは女子の尊厳のピンチです。なので、空気清浄機導入を切にお願い致します』……以上が体育会系部活動連合代表で剣道部部長の神谷薫(かみや かおる)さんの訴えです」

「それはたしかに大変ねぇ……。いいわ。『採用』します」

「了解。では『採用』で。あ、ちなみになんですが楯無さん」

「なあに?九十九くん」

 『空気清浄機が欲しい』という要望書の束を持って楯無さんの机へ行き、それを置く。そしてある一点を指差し、私はこう言った。

「これらの要望書、提出された日付が一番古い物で5月の半ばです。……この四ヶ月、何してたんですか?楯無さん」

 訝しげに楯無さんの目を見ると、彼女は冷汗を垂らして視線を逸らす。……どうやらサボってるという自覚はあったようだ。

「あ、あはは……。ごめんなさい、すぐ手がけます」

「お願いします。さて、次はと……」

 自分の席に戻って次の要望書を手に取り内容を精査。それを仕分けボックスに入れる。をひたすら繰り返す。

 次々と要望書を捌いていき、最後の一枚が机から消えたのは日が大分落ちてからだった。

「やっと終わったな」

「うん。あれ?そういえば一夏は?」

 シャルに言われてそういえば、と気づく。私達が要望書を捌いている間、一夏は生徒会室に姿を見せていない。

「本音、何か知っているか?」

「うん。あのね~……」

 私に水を向けられた本音が口を開こうとしたその時、ガチャリと音を立てて生徒会室のドアが開いた。入ってきたのは……。

「し、死ぬかと思った……」

 服は思い切りはだけ、髪はボサボサ。体はあちこち痣があり、顔にはいくつもの傷……とキスマーク。明らかに『襲われた』という風情の一夏だった。

「一体何があった?一夏」

「ああ、九十九。楯無さんに『各部活動に貸し出しスケジュール表を渡してきて』って頼まれて……」

「皆まで言うな。渡しに行った先々で上級生(お姉様)方の熱烈な『歓迎』を受けた。そうだろう?」

「ん〜……でもそれだと、アザとか傷の説明がつかないよ〜?つくもん」

「簡単だ。ここに帰る途中で箒か鈴かセシリアかラウラ、あるいはその全員と鉢合わせて……」

「顔中キスマークだらけ一夏の姿に激怒。『制裁』を加えたってとこかな。あの四人ならやりそう……というか、絶対やるし」

 私達の推理は的を射ていたのだろう。一夏の顔が『あの雷男の顔芸』にそっくりになっている。

「その顔は正解だな。せめて帰ってくる前に顔を洗っておけばいいものを」

「……洗面所で鉢合わせしたんだよ」

「「「あ、ああ~……」」」

 なんとも間の悪い一夏に、何も言えなくなってしまう私達だった。

 

 

 明けて翌日。今日から『生徒会執行部・織斑一夏、村雲九十九貸し出しキャンペーン』が始まった。

 ちなみに抽選方法は全部活動参加によるビンゴ大会。体育会系と文化系、それぞれに一番を獲ったのはテニス部と調理部だ。

 担当は一夏が体育会系、私が文化系となった。楯無さんによると、貸し出して欲しい方を選べと言ったら一夏側には体育会系が、私側には文化系が集中し、それならばと担当を分けたそうだ。で、現在。

「村雲くん、ボウル出して」

「了解。サイズは?」

「一番大きいので」

「村雲くん、こっちにゴムべらお願〜い!」

「少々お待ちを」

「村雲くん、これ洗っといてー」

「ああ。そこに置いておいてくれ」

 私は調理部の部室である調理室で器具出しと洗い物を任されていた。調理部では、メニューを決める日とそれを作る日を交互に設けている。今日は作る日の方だ。

 本日のメニューはザッハトルテ。現在オーブンでは、各班の作った生地が香ばしい香りを上げながら焼けている。

「おお。いい匂いだ。これは期待が高まるな」

 洗い物をしながら、私はウキウキしていた。調理部の実力は学園祭の時に目の当たりにしている。あれだけの料理を作れるなら、菓子類も当然クオリティが高いだろう。ああ、早く焼き上がらないかなぁ。

 

 

 そんな九十九を横目に、調理作業を続けながらシャルロットと調理部部長の三栖味子が会話をしている。

「ふふっ。九十九ったら、目が輝いてる」

「村雲くんって、食べる事が好きなの?」

「と言うより美味しい物が好きなんです。ただ……」

「ただ?なに?」

 少しだけ言いにくそうにするシャルロットに味子が先を促した。シャルロットは意を決すると、こう言った。

「九十九のお母さんが凄い料理上手で、それを食べ続けて舌が肥えているせいか結構辛口なんです、彼」

「そ、そうなんだ……」

 味子はそれを聞いて頬が引きつった。果たして今回作ったザッハトルテは九十九の口に合うのか心配になったからだが、それを知る者はここには居なかった。

 

 

 焼き上がった生地の粗熱を取る間に、ザッハトルテの定番添え物、ノンシュガーのホイップクリームを立てる。

「くっ……量が量だけに大変だな、これは」

 氷水に浮かべたボウルの中の生クリームをひたすらかき回す私。少しづつ重くなっていくクリームに苦戦しつつ、手を休める事なく動かし続ける。

「九十九、もう少しだよ。がんばって」

「アア、ワタシ、ガンバル」

 シャルの声援を受けると、不思議と力が湧いてくる。なんだかもう少しだけ頑張れる気がした。周囲から「なんで片言?」とツッコミが入ったが、気にしてはいられない。

 それから更にクリームをかき回すことしばし、ようやくホイップクリームが完成した。

「はぁ、はぁ……キツかった。腕が棒だ」

「お疲れ様、九十九。もうすぐ出来るから、ちょっと待っててね」

 出来上がったホイップクリームをシャルに渡して待つ事しばし。私の前に出来立てのザッハトルテがやって来た。

「お待ちどうさま、九十九」

「おお、これは美味そうだ」

 しっとりと焼き上がった生地のダークブラウンと、しっかりと立てたクリームの白のコントラストが実に美しい。

「では早速……全ての食材に感謝を込めて……いただきます」

 手を合わせて一礼。その後フォークを手に取り、ザッハトルテを切り取って口へ運ぶ。

 どっしりとした濃厚な味わいの生地とチョコレートの糖衣(フォンダン)。糖衣の下、ケーキ表面に塗られた杏の……。

「いや、違う。この歯触り、そして爽やかな酸味と微かな苦み……そうか!マーマレードだ!」

「その通り!いや~、流石ね村雲くん!」

 そう言って三栖部長が取り出したのは、いかにも手作り感のあるオレンジマーマレード。

「ほら、ザッハトルテってどうしても『重い』でしょ?だから少しでも軽くなればなと思って」

「なるほど。本家ザッハトルテとはちょっと違うが、これはこれで美味いな」

 箸休めのホイップクリームを食べながら一口、また一口と食べていき、ふと気づけば半ホールを食べてしまっていた。

「しまった。皆の分まで食べてしまったか……?」

「大丈夫。それは村雲くんの分だから。いっぱい食べる人だって聞いてたしね」

 三栖部長の心遣いが嬉しくも恥ずかしかった。結局、残り半ホールは部屋に持ち帰らせて貰う事にした。いかに私でも、ザッハトルテのホールを一回で食べきるなんて事はできないのだ。

 

 こうして、一回目の貸し出しキャンペーンは終了した。

 他にもあちらこちらの部に貸し出されたのだが、文章量の都合で書き切れそうにないので割愛する事を許してほしい。

 

 

「うん、やはり美味い」

「おいし〜ね〜」

 食堂での夕食後、やってきた本音とザッハトルテでお茶会を催した。シャルは「残りの時間は本音といてあげて」と言って自分の部屋に戻って行った。

「そういえば、一夏の方はどうだったんだ?」

「うん、聞いた話なんだけど〜……」

 本音によると、テニス部全員参加の『織斑一夏のマッサージ権獲得トーナメント』でセシリアが優勝したそうだ。そこはやはり原作通りの展開になったんだな。

「それで?」

「さっきせっしーがおりむーのお部屋に入っていくのを見かけたよ~」

「そうか。セシリアが気持ちよさのあまり眠ってしまわなければいいが……」

 もしそうなれば優しい一夏の事。無理に起こさずそのままにしておくだろう。そして、目を覚ましたセシリアがそのまま一夏の部屋を出ていけばいいがそうならなければ……。

「待っているのはラヴァーズの執拗な追及と千冬さんからの『罰』だろうな」

「こわいね〜」

「という訳で、そろそろ消灯時間だ。私も掟破りをしたくないし、本音も罰を受けたくはないだろう?」

「うん。じゃあ帰るね。おやすみ〜つくもん。また明日ね〜」

「おやすみ、本音。また明日」

 本音を部屋の外まで見送って、寝支度を済ませてベッドへ潜り込む。そして、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「まあ、セシリアの事だ。差をつけるために『朝帰り』をしようとするのは目に見えているけどな」

 

 翌朝、その予想は大当たりする事になる。一夏の部屋からパジャマで出てきたセシリアの話がどこからか鈴に伝わり、その件で鈴が一夏を追及。

 一夏は昨日の一件の事実(セシリアにマッサージをしたら眠ってしまったので部屋に泊めた)を説明。それを聞いた鈴が鉾を収めるも、今度はセシリアが不機嫌に。

 『訳がわからん』という風情の一夏に、いつの間にかやってきていた箒とラウラが寮則破りを追及。

 私達がこの寮で暮らすにあたって、いくつかの特別規則ができている。その一つに『男子部屋への女子の宿泊禁止』がある。一夏はこれを思い切り破ったのだ。

 それに対して何を思ったのか、ラウラが「今日は私が泊まってやろう!」と宣言。それを皮切りに箒や鈴まで話に乗り出す。話が大きくなりかけたその時。

「朝から何をバカ騒ぎしている」

 ピシッ、と空気が凍りつく音を聞いた気がした。

 現れたのは黒のスーツがよく似合う、我らが一年一組の担任教師(独裁者)にして一年生寮の寮長(女帝)、織斑千冬先生だ。組んだ腕の上でトントンと叩かれる指が、あの人が相当苛立っているという事を物語っている。

「この馬鹿どもが」

 刹那、スパパーンッ!という軽快な音と共に五人の頭が叩かれた。なお、一夏だけ拳骨だった。アレ痛いんだよなぁ。

 更に千冬さんはセシリアに反省文の提出を、一夏に三日間の懲罰部屋行きを命じた。相変わらず弟に厳しい人だ。

「さて、いつまでも朝食をダラダラと食べるな!さっさと食って教室へ行け!以上!」

 千冬さんが手を叩くの合図に、浮き足立っていた食堂中の女子が慌てて動き始める。

 一夏も焼き鮭定食の味噌汁をすする。すると何かあったのか、小声でポツリと呟いた。

「あれ?心なしか塩分濃いめな気がする……涙の味ってやつか?」

 それが聞こえたのか、一夏は千冬さんからもう一発拳骨を食らうのだった。……馬鹿な奴め。




次回予告

ついに始まる『キャノンボール・ファスト』。超高速バトルレースを制すのは誰か?
だが、無粋な乱入者はいつでも現れるもの。
例えば、奪われた英国の蝶と偽りの蝶の飼い主。そして、その目付け役だとか。

次回『転生者の打算的日常』
#49 疾如砲弾(キャノンボール・ファスト)(開始)

やはり来るか、自称織斑マドカ。

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