♢
それから数日が過ぎ、週末がやって来た。
「すまない、待たせたか?」
「「ううん、今来たとこ」」
待ち合わせの定番台詞を交わしたここは学生寮玄関前。シャルと本音は「駅前で待ち合わせたい」と言ったが、また
「さて、それでは行こうか」
「「うん!」」
そう言って、シャルが右腕に、本音が左腕に腕を絡めてくる。このポジションもすでにお決まりだ。
それじゃあと三人揃って歩こうとした所で、前方から一人の女性がこちらに歩み寄ってきた。あの人は……。
「お出かけのところ失礼します。少々伺いたい事が有るのですが」
女性は20代後半。切れ長の目にエッジの効いた眼鏡をかけ、ビジネススーツをびしっと着こなしている。その雰囲気は千冬さんに近いと言えるが、寄せられた眉根と神経質そうな顔立ちが二人の違いを決定的に表していた。間違いない、この人は……。
「私に答えられる事であれば。元中国代表、第二回モンド・グロッソ格闘部門・拳打の部
「私の事を知っているとは……流石ですね、ラグナロク社の村雲九十九さん」
すっと右手を差し出し、握手を求めてくる楊さん。それに応えるために二人に離れて貰い、握手を返した。と、次の瞬間!
「……え?な、何が……!?」
「「九十九(つくもん)!?」」
私は気付かぬ内に路上に転がされていた。見上げるとそこにはしたり顔を浮かべる楊さんが。
「まだまだ脇が甘いですよ?第二の男性IS操縦者」
「流石は名高き『拳聖』殿、参りました。それで楊さん、訊きたい事とは?」
楊さんに腕を引かれて立ち上がりつつ、本題を切り出す。
「ああ、そうでした。凰鈴音候補生の部屋番号をご存知ないでしょうか?受付でうっかり聞き忘れまして……」
申し訳なさそうに訊いてくる楊さん。『拳聖』楊麗麗。彼女も意外と抜けた所があるらしい。
「そうでしたか。彼女の部屋は−−」
「ほら、一夏。行くわよ!」
「おい、引っ張るなって!」
「待て!ええい、待てというのに!」
鈴の部屋番号を言おうとした所で、後ろから聞き覚えのある騒がしい声がした。
「……その必要はなさそうです。楊さん」
「……ええ、そのようですね」
途端、さっきまで僅かに緩んでいた楊さんの眉根が一気に寄った。どうやら彼女の眉は公私で寄り方が変わるようだ。
「まずはどこに……って、えっ!?」
一夏の手を引き、勢い良く飛び出してきた鈴は、目の前にいる私達(正確にはその隣)を見て急激に足を止め、絶句した。
「おわっ!?」
そのせいで引っ張られていた一夏が慣性に従ってつんのめった。こけそうになった一夏が思わず手を伸ばした先は。
「ひゃあっ!?」
「って、ああっ!?ご、ごめん!のほほんさん!」
よりにもよって本音の『胸部装甲』だった。……よし、殺るか。
「一夏。覚悟はいいか?私はできている」
「待て!待ってくれ!今のは不可抗力……」
「聞く耳持たん!」
怒りに任せて蹴り上げた脚は、寸分違わず一夏の股間へ。その時、その場にいた全員が『鐘の音』を聞いた気がした。
「だああーーっ!?」
「い、一夏ーーっ!?」
絶叫した後股間を押さえ、ばったりと倒れ伏す一夏に箒が心配そうに近寄る。
「だ、大丈夫か一夏!?九十九!いくらなんでもやり過「あ?」いえ、なんでもないです!」
言い募ろうとした箒を睨みつけると、箒はすぐさま頭を下げた。
「……彼は大丈夫なのですか?凰鈴音代表候補生」
「え、ええ。いつものことですし。……それでその、なにか御用でしょうか?楊候補生管理官」
その隣で、一夏を内心心配しつつ、鈴が楊さんに用向きを訊いた。
通常、代表候補生管理官は所属する国家で候補生の指導やスケジュール管理(候補生の中にはアイドル活動をする者もいる)等を行なっているため、国内から出る事は滅多にない。
そんな候補生管理官がこの時期にわざわざ日本にいる鈴の所にやって来た理由など、一つしかない。
「キャノンボール・ファスト用の高機動パッケージ『
「え!?いや~……その……今日はちょっと用事が……」
一夏のプレゼントを買いに行くつもりだったろう鈴は、どうにか先延ばしにして貰おうとする。が、鈴が渋ったその瞬間、楊さんの目つきが僅かに鋭くなった。
「二度同じ事を言わせないように」
「りょ、了解しました……一夏、そういうわけだから」
「お、おう……分かった。頑張れよ」
がっくりと肩を落としながら一夏にそう告げると、鈴は楊さんに渡されたパッケージデータを端末で確認し、あれこれと質問しながらIS専用の
「さて、それでは改めて。行こうか、二人とも」
「「うん」」
いまだ蹲る一夏を尻目に、今度こそ出発する私達。IS学園専用モノレールでIS学園入口駅へ、そこから電車に乗り換えて新世紀町駅で下車。駅北口から徒歩5分。そこが今回の目的地だそうだ。ちなみに……。
「何故ついて来る?」
私達の隣には、いまだ内股気味の一夏とそれを支える箒がいた。なお、一夏の顔が近いからか箒の顔は真っ赤だ。
「いや、俺はどこに行くとか聞いてなくてさ……」
「ついてきているのはそっちだろう?この先に私たちの目的の店があるのだ!」
「え?僕たちの目的のお店もこの近くなんだけど……」
「しののん、しののん。そのお店の名前は~?せーの!」
その掛け声で三人の口から出た店名は一字一句同じだった。
「「「クロノス」」」
こうして、全く予期せぬ形でダブルデートが始まった。……なんだかなぁ……。
♢
時計専門店『クロノス』。お手頃価格の物から超高級品まで、様々な時計を扱う人気の店。また、時計のオーダーメイドが可能な事も人気の秘密なのだとか。
扉を開けて店に入ると、黒で統一されたシックな内装が出迎えてくれた。その高級感漂う落ち着いた雰囲気に、私はどうにも萎縮してしまう。そこに、スーツでびしっと決めた店員がすっと近づいてきた。
「いらっしゃいませ、クロノスへようこそ。本日の御用向きは?」
「あ、えっと、彼に時計をプレゼントしたくて」
「懐中時計ってありますか〜?」
「かしこまりました。どうぞ、こちらです」
店員に促されて懐中時計のコーナーへ案内される私達。一方の一夏達にも、別の店員が接客を開始した。あちらはとりあえず放置で構うまい。今はこちらに集中だ。
「うーむ……」
懐中時計コーナーのディスプレイを眺めながら唸る。体裁は『ブレスレットの礼』でも、実際は私宛ての誕生日プレゼントなのだ。慎重にならねばな。
「ん?」
と、ふと目線を向けた先に何やら気になる懐中時計を発見。
「どう?気に入ったのあった?」
「いや、気に入ったというか、気になったのなら……」
「どれどれ〜?」
「あれだ」
私が指差した先にあるそれは、銀で出来た懐中時計だった。扁平な六角形と縦長の菱型を組み合わせた紋様の中に龍にも
「あの、これは?」
「はい、そちらは当店の銀細工師が『降りてきた』と言って作った一点物でして」
ちらりと値札を見てみると、確かに高い。ただの高校生には決して手が出せないくらいの値段だ。もっとも……。
「買えなくはない……な」
「うん、貯金してある支給金から出せそう」
ここにいるのはIS開発企業所属のテストパイロットとフランス代表候補生。会社か国かの違いはあれど、給料(シャルは支給金)をいただいている立場なのである。
「どうする九十九。これにする?」
「そうだな……」
確かに、この銀時計に魅力を感じている自分がいる。……これにしようかな?
「つくもん、これはやめた方がいいと思うよ〜?」
そこに待ったをかけたのは本音。その顔には僅かな嫌悪感と焦りが見える。
「え?どうして?本音」
気になったシャルがそう訊くと、本音は大きな身振りでこう言った。
「だってつくもんがこれを持ったら〜、突然軍に少佐相当の待遇で編入されたり、街の人から『軍の狗』ってののしられたり、へんてこな『称号』をつけられて戦争に参加させられたりするかもなんだよ〜?」
「そ、それは……怖いね」
「まさか……こんな何の変哲もない銀時計にそんな力が−−」
「いえ、ございません」
「「「あ、で、ですよね~……」」」
妙な空気になっていた所に店員が冷静なツッコミを入れた事で、私達は現実に引き戻された。……なんか、恥ずかしっ!
「じゃあ改めて。九十九、気に入ったのあった?」
「あ、ああ。これ……かな」
そう言って私が指差したのは、月に吠える狼の意匠の彫刻が入ったいぶし銀の時計。お値段およそ2万円。
懐中時計としては比較的安価な物だが、『銀』で『狼』という所が『フェンリル』を思い起こさせてどうにも目が離せない。
「そちらは当店オリジナルブランド『ウルフシリーズ』の最新作で『
まさか名前に『フェンリル』が入っているとは思わなかった。ますます欲しいぞ、これ。
「よし、これにしよう。というかこれがいい。これじゃないと嫌だ」
「お〜、つくもんが珍しくわがまま言った〜」
「それじゃあ、九十九のリクエスト通りに。すみません、これにします」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
そう言って店員がその時計を手にし、丁寧に箱に入れ、プレゼント用の包装を施して袋に入れて戻って来た。
「それでは、こちらになります。お支払いは?」
「「現金で」」
そう言うと、二人は財布を取り出してそれぞれ料金を半分づつ支払った。
「すまないな、二人とも。こんないい物を……」
「ううん、いいよ。それに……」
「『すまないな』じゃないよね~」
「……ああ、そうだな。ありがとう、二人とも」
「「どういたしまして」」
二人に貰った懐中時計は、実際の重さ以上に重く感じた。これが『想いの重さ』という奴なのだろう。
「ありがとうございました」
頭を下げ、私達を見送る店員に「こちらこそ」と声をかけて店の出入口に向かう。
ふと視線を向けた先では、一夏が腕時計コーナーで未だにうんうん唸っていて、それを見る箒の顔が苛立ちに歪んでいた。多分、もう少しで箒が爆発するな。なら、きっとこう言うだろう。
「「ええい!女々しいぞ、一夏!いい加減どれにするか決めろ!」」
私と箒の叫びが同時に響く。自分以外の声が混ざっていた事に気づいた箒が、こちらに振り向いて私を睨んでくる。
「九十九……お前……」
「店内ではお静かに。まあ、私も人の事は言えんがね」
怒りの頂点を圧し折られた箒は、はあ……と溜息をついて一夏の方を向く。
「……一夏の奴がさっさと決めないのがいけないんだ。『どれもピンとこない』などと言ってな」
「つってもよ、箒。俺、腕時計なんて持ったことねえしさ」
今の時代、常日頃から腕時計を身に着けている男性は非常に少ない。携帯が普及し、いつでも時計を見られるようになったから。というのもあるが、それ以上に大きな理由がある。それは、男性が女尊男卑主義者に『手元を見られる』のを防ぐためだ。
『そんな高級腕時計をしてるんですもの、それだけ収入もあるでしょう?ならそのお金、私のために使いなさい』
これが女尊男卑主義者の言い分であり、断れば警察沙汰にする。と言われれば男に断る術はない。
それを防ぐため、最近では腕時計を着けず(着けても安物)、安物のスーツを着て『安月給のサラリーマン』と偽る男性が殆どで、高級腕時計にブランドスーツなんて物を身に着けるのは、『女に媚びる仕事』の人か『ヤの付く自由業』の人ぐらいになっている。
このまま一夏に任せていてはいつまで経っても決まらないだろう。そこで私はある提案をした。
「ならば箒、お前が一夏に似合う物を見繕ってやればいい」
「わ、私がか!?いや、私もこういうものには疎くてな……」
「……そう言うと思ったぞ。シャル、本音」
「うん、分かった」
「おっけ〜」
私の呼びかけに応えた二人は、ショーケースをざっと眺めるとそれぞれ別の腕時計を指さした。
「これなんてどうかな?」
シャルが指したのは白を基調とした、ホワイトゴールドの輝きを放つ金属製腕時計。
「わたしはこっち〜」
本音が指したのは黒を基調とした、落ち着いたデザインの革製腕時計。
「箒は?どれだ?」
「そ、そうだな……これなどどうだ?」
箒が指したのは無骨なデザインの、いかにも『丈夫さが売り』な腕時計。三者三様。どれも選んだ人のセンスが滲み出ていて、実に面白い。
「さて、一夏。三択だ。どれにする?」
「うーん、そうだな……じゃあシャルロットの−−「ただし」!?」
「お前に誕生日プレゼントを贈ろうとしているのは誰か。それをよく考えた上で選べ(意訳・箒のでと言え)」
「お、おう……。それじゃあ……箒ので」
こいつにしては珍しく、私の言葉の裏を読み取ったらしい一夏が箒の薦めた腕時計を選んだ。
「そ、そうか。私が選んだ物にするのか。ではこれを」
半ば強制とはいえ、自分の薦めたものを選んで貰えたのが嬉しかったのか、箒の声音は若干明るい。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言って、店員が箒の選んだ腕時計をショーケースから取り出し、箱に入れてラッピング。紙袋に収めて箒に渡した。
「お待たせいたしました。こちらになります」
「ありがとうございます。ほら、一夏」
それを受け取って代金を支払った後、箒はその紙袋をそのまま一夏に押し付けた。気恥ずかしいのは分かるが、もう少し渡し方あったろう?箒。
「お、おう。ありがとな、箒」
受け取った一夏が箒に礼を言うと、箒は「ふ、ふん」とそっぽを向いて腕を組んだ。その顔が真っ赤になっているのは、言わぬが花だろう。
♢
「「「ありがとうございました」」」
『クロノス』をあとにして、シャルと本音の『服を見に行きたい』というリクエストに応えて『レゾナンス』へと向かう。一夏と箒も目的地は同じなようで、隣を歩いている。
「どのお店にしよっか〜?」
「夏休みの時にラウラと行った所にしようと思うんだけど……どうかな?」
「君達の買物だ。行先は任せるよ」
「一夏、私たちはこっちだ」
「おう。じゃあ、九十九。後でな」
「後があればな」
一夏・箒組と一度別れて向かった先は、レディースファッションショップ『サードサーフィス』。店舗が見えてくると同時に
「私は外で待っていたいのだが……」
「九十九の意見も欲しいからダメ」
「つくもんに選んでほしいからダメ〜」
そう言って二人は強引に店へと私を連れこんだ。仕方ない、覚悟を決めよう。
「九十九、どうかな?」
シャルが試着したのは白のタートルネック。彼女のハニーブロンドの髪と相まって輝いて見える。
「いいと思う。ただ、私見を述べるなら、君には暖色系がもっと似合うと思うぞ」
「そ、そう?じゃあ、こっち?」
そう言ってシャルは試着室に持ち込んだもう一方のタートルネック(ライトオレンジ)を体に当てて見せてきた。
「ああ。やはり君にはオレンジが似合う」
「そっかぁ……。じゃあ、こっちにするね」
言うが早いか、シャルは試着室のカーテンを閉め直した。それと同時に別の試着室のカーテンが開く。
「つくもん、つくもん。わたしは~?」
本音が試着したのはダークブルーのロングスカート。彼女の薄紅色の髪との対比が綺麗だ。
「よく似合っているよ。ただ、もう少し色味の薄い方が君にはもっと似合うんじゃないか?」
「じゃあこっち〜?」
そう言うと、本音はインディゴブルーのロングスカートを取り出して履いているスカートの横に並べる。
「ああ。やはりそっちだな」
「わかった〜。こっちにする〜」
言って試着室に引っ込む本音。しばらくして、元々履いていたパステルイエローのミニスカートに着替えて出てきた。
それと同時に、シャルも元の服(ライトグリーンのワンピースにアイボリーのカーディガン)に着替えて出てきた。
「ちょっと待っててね」
「お会計終わらせてくるから~」
「ああ」
そう言ってレジへと向かう二人。店長と思しき女性がシャルを見て「あ!あの時の金髪さん!?」と驚きの声を上げた。どうやらあの日の出来事は、今でもこの店の語り草らしかった。
♢
『サードサーフィス』で買い物を終わらせた時には、時計は12時を大きく回っていた。
「二人とも、そろそろ昼食にしないか?恥ずかしい話だが、さっきから腹が鳴り止まなくてな」
そう言う私の腹は『何か食わせろ!』と激しく主張していて、それを聞いた二人はくすりと笑みをこぼした。
「うん、いいよ。僕もお腹すいてたし」
「わたしも〜。どこにする〜?」
「そうだな……」
何を食べようかと考えながら辺りを見回す。視線の先にあったのはオープンカフェ。値は張るがその分美味いと評判の店だ。
「あそこにしよう。食事代は私が出す」
「え!?悪いよ」
「そう言うな。甲斐性を見せる機会をくれないか?シャル、本音」
「そう言うことなら……」
「つくもんに、ゴチになりま〜す!」
「ああ。それでは行こうか」
三人並んで歩いて店に入ると、暖かな日差しと心地よい風が出迎えてくれた。
「へぇ、おしゃれだね、ここ。ちょうど今日って暖かいからロケーションも抜群だね」
「ん〜。風が気持ちいいね~」
さあっと髪を撫でる風に微笑むシャルと本音。その姿に、私の心臓が一瞬大きく跳ねた。……もう大分やられてるな、私。
「いらっしゃいませ」
「失礼。今日のランチセットは何ですか?」
「はい。本日は蟹のクリームソーススパゲティとなっております。デザートは梨のタルトです」
「では、それを三人前。それから、日替わりピザを一枚」
「かしこまりました」
やって来た店員にオーダーを告げると、店員は伝票にそれを書き記しつつ帰っていった。
その様子をシャルと本音がじっと見ていたことに気づいて少し居心地が悪くなる。
「なんだ?どうした?」
「前も思ったけど、手慣れてるなって」
「そうか?これくらい普通だろう。飲食店での注文はすらすら出来るようにしなさいと、母さんに仕込まれてね」
「つくもんはこういうお店によく行くの〜?」
「ああ、そうだな。確か……母さんが料理について妥協しないという話は以前したな?」
「うん」
「そういえば〜……」
「それは飲食店についても同じでな。『気になったお店がある』とか『新しく出来たお店を試したい』と言っては私や父さんを引っ張って行って、あれこれ頼んで口にして品評する。という事が月に最低三回はある。ちなみに超辛口」
「「うわぁ……」」
母さんの料理への飽くなき情熱に引いたような顔をする二人。うん、気持ちはわかる。
「お待たせしました」
そんな話をしている間に、ランチセットが運ばれて来た。ウェイターさんは三枚のパスタ皿を一度に運んでいるが、その動きに一切のブレはない。熟練の技だな。
「こちらが本日のパスタ、蟹のクリームソーススパゲティでございます」
私達の前に並ぶパスタに、思わず「おお……」と小さく息を漏らす。蟹のほぐし身がたっぷりと入ったトマトクリームソースの香りが実に良い。中央にでんと鎮座する蟹のハサミは、見た目のインパクト抜群だ。……これは『当たり』かも知れないと思っていると、続いて日替わりピザが運ばれてきた。
「お待たせしました。こちらが本日の日替わりピザ『フレッシュトマトとモッツアレラチーズのピザ』でございます」
テーブルの中央に置かれた木皿の中では、輪切りのトマトとモッツアレラチーズがふんだんに乗った、なんとも良い香りを漂わせるピザが『さあ、食え!』とばかりに存在をアピールしていた。こちらも実に美味そうだ。
「それでは、後ほどデザートをお持ちしますので」
そう告げてテーブルから離れるウェイターさん。私達は早速料理をいただく事にした。
「では、いただきます」
「「いただきます」」
三人で一斉に手を合わせ、まずはパスタを一すすり。
「おお、これは美味いな」
「うん、生パスタって書いてあったもんね」
「美味し〜!」
モチモチとした食感のパスタと濃厚でありながら後味すっきりのトマトクリームソースに、たっぷりと入った蟹肉の旨味がマッチした極上の一品。まさに『旨味の洪水』だ。これに、おかわり自由のアイスハーブティーが実によく合う。
「やはりこの店は『当たり』だな。よし、ピザも食べよう」
「あ、九十九。一切れもらっていい?」
「わたしも〜」
「ああ、どうぞ。元々そのつもりだったしな」
そう言って、私はピザを一緒に付いて来たピザカッターで六等分にカット、それを三人で分け合った。
「これも美味し〜!」
「うん、美味しいね」
「その辺の下手なピザ屋では太刀打ち出来ん美味さだな、これは」
フレッシュトマトのジューシーな甘みと、モッツアレラチーズのさっぱりした旨味が口の中で二重奏を奏でる。
たっぷりとかかったオリーブオイルも香りのアクセントになっている。まさに『旨味と香りの
「あちち……熱いが美味い!」
頭の端でそんな事を考えつつ食べ進め、ふと気づくとパスタもピザも食べ切っていた。
「ふう……美味かった。これだけのクオリティだ。デザートにも期待ができるな」
「そうだね~」
「たしか梨のタルトだっけ?」
と言っている間に、待ちかねたデザートがやってきた。
「お待たせしました。こちらデザートの『鳥取県産二十世紀梨のタルト』でございます」
「「「おお〜〜」」」
私達の目に飛び込んできたのは、さっくりと焼き上がったタルト生地に艶やかな梨のコンポートがどっさり乗った、見た目も美しいタルトだった。
「ふ、ふふ……では早速……」
フォークでタルトを切り、口に運ぶ。サクサクの生地と柔らかくも特有の食感を残した梨のコンポート。カスタードクリームは梨の甘さと喧嘩しないように控え目な甘さになっている。
一緒に口に入れると丁度いい甘さになるよう計算された、まさに『味の黄金律』だ。……って、だからこれはもういいって。
「これ程とはな……」
「すっごいおいし〜ね〜」
「うん、美味しいね」
シャルと本音も実に幸せそうな顔でタルトを頬張っていた。それを見て、私はここに来て良かったと思った。
出てきた料理のどれもが一級品。この店は本当に『当たり』だな。また三人で来よう。
♢
昼食を終えた後、私達は改めて『レゾナンス』の中をぶらぶら見て回る事にした。
「あ、『たれウルフ』だ〜。かわい〜♪」
「いや、可愛い……か?」
「本音の感性って独特だから……」
立ち寄ったファンシーショップで、やけにダルダルな狼のぬいぐるみに本音が嬌声を上げたり。
「この石けんいいな。買おうかな?」
「どれ……一個2000円!?高くないか?」
「化粧石けんだったら安いくらいだよ〜」
「そ、そうなのか……」
コスメショップで男女の価値観の違いについて少し勉強したり。
「……ゲームクリア。意外に簡単だったな」
「「お〜〜(パチパチ)」」
「す、すげぇ。あの鬼ムズゲーをノーミスクリアかよ……」
「しかも全ステージ命中率100%だぜ。どんな腕してんだよ……」
ゲームセンターで『難しすぎ!』と噂のガンシューティングゲームをクリアして、周りから喝采を受けたりした。
「さて、そろそろ帰ろうか?」
「「うん」」
時間は16時を少し回った所。買物と遊びを存分に楽しんだ私達は『レゾナンス』を後にして学園への帰路についた。
『新世紀町駅』の『IS学園前駅』行きホームで電車を待っていると、シャルがふと気になったのか、私に話しかけてきた。
「そういえば、一夏と箒はどうしてるのかな?」
「さあな。結局あの後、一度もすれ違いもしなかったしな」
「あ、うわさをすればしののんとおりむーだ〜」
本音の指差した先には、不機嫌そうな顔で歩く箒と、なぜ箒が機嫌を損ねているのか分からない。という顔をして隣を歩く一夏の姿が。
「ん?よう、九十九。さっきぶり」
「ああ。さっきぶり、一夏。で?箒はなぜあんな顔をしているんだ?」
「いや、わかんねぇ。蘭と会って、一緒に行こうぜって誘った辺りからずっとこうでさ……」
「あ~……」
おそらく、
もっとも、一夏の隣にいたのがシャルではなく箒だったという違いがあるため、全くその通りではなかったろうが。
「で、今さっき蘭を店に送り届けてきたとこだ」
「そうか……箒、一つだけいいか?」
「……なんだ?」
こちらに視線だけを向ける箒。その目には不満と苛立ちが浮かんでいる。だが、こう言えばきっとそれも収まるだろう。
「お前は一夏が全ての女に優しくするのが気に入らんようだが……」
「それがなんだ?」
「諦め−−」
「「諦めろ。なぜなら、そいつは『織斑一夏』だからだ。でしょ?」」
言おうとした事をシャルと本音がインターセプト。……この二人には、完全に読まれてしまっているようだな。参ったよ。
「……そういう事だ」
「くっ……妙に納得している自分がいる……っ!」
がっくりと項垂れる箒。その横で一夏が「よくわからんが、バカにされた気がする」と呟いた。実際バカにしているぞ一夏。
「そうか。蘭にチケットをな」
「おう。学園祭の時に呼べなかったから、その代わりにな。九十九は誰に渡すんだ?」
「今回も母さんに渡そうかと思ったんだが……」
その話をすると、母さんは『ISレースに興味は無いから、今回はいいわ』と言って受け取りを断った。そのため、現在もチケットは私の手元にある。さて、どうしたものか……。
「あ、そうだ」
ふとあいつの事を思い出し、電話をかける。数コールの後、電話の相手が出た。
『もしもし?』
「弾か?私だ」
『九十九か?久しぶりじゃねえか』
「ああ、久しぶりだな。すまないが、もうすぐ電車が来るのでな。用件だけ言うぞ」
『お、おう。なんだ?』
「今度、市のISアリーナで行われるISバトルレース『キャノンボール・ファスト』の特別指定席のチケットがある。いるか?」
『いや、あんま興味……』
「『あの人』にまた会えるかも知れんぞ?」
『いる。ってか下さい』
「お前ならそう言うと思ったよ。データ添付メールで送るから、確認したら返信してくれ」
『おう、分かった』
「用件はそれだけだ。ではな」
『おう。またな』
ピッ!
早々に会話を終わらせて通話を切り、そのままチケットのデータをメールに添付して弾の携帯に送る。
「これで良し。と」
「なんだよ。今度はお前が弾を呼んだのか」
「ああ。あいつなら二つ返事で『イエス』と言うと思ったからな」
一夏とそう言い合っていると、電車がやってきたので皆で乗り込む。
「今日は楽しかったね~」
「いい買い物もできたしね」
「そうだな。久しぶりに『当たり』の店を見つけたし」
「九十九に『当たり』と言わせる店か……」
「きっとすげえ美味いんだろうな、その店」
帰りの電車内で他愛もない会話をしながら、今日の事を思い返す。
手元には二人に貰った懐中時計の入った袋。折角貰ったんだ、大切にしないとな。そう思い、袋の取っ手を握り直した。
二人に貰った贈り物の懐中時計はその後、いかなる時でも私の服の胸ポケットに入っている。
時折取り出して眺めていると、いぶし銀の鈍い光が「二人の思いを忘れるな」と私に警告しているような気がするのだった。
♢
アメリカ。とある街の小さな家の中で、一人の女性が失意に暮れていた。
「ストーム……」
呟かれたその名は、彼女が最も信頼を寄せる部下であり、同時に最愛の男性のものだ。
だが、その男性は彼女のそばにはもういない。居て欲しいと願っても、それが叶う事はない。それを分かっていてもなお、会いたいと願ってやまない。彼女の心は、千々に乱れていた。
コンコンコン
家のドアをノックする音に気づいた彼女が顔を上げる。こんな時間に一体誰が?そう思いながらも、彼女は玄関に向かいドアを開ける。
「はい。どな……た……?」
「ノヴェンバー……」
ドアの前にいたのは、もう会えないと思っていた最愛の男。
「ストーム……?……ストーム!どうして……!?死んだとばかり……!」
「すみません」
「いいえ、いいの!あなたが無事で……よかった……」
感極まった彼女……ノヴェンバーはストームの首に腕を回し、思い切り抱きついた。
「すみません」
「謝らないで。でもどうして?生きているなら生きているって、連絡くらい……」
「…………」
「ストーム……?」
ストームの様子がおかしい事を怪訝に思ったノヴェンバーがストームから体を離す。その瞬間、パシュッという小さな音とともに、ノヴェンバーの胸に血の花が咲いた。
「えっ……!?」
信じられない。といった顔でストームを見るノヴェンバー。その手には消音器付きの銃が握られており、銃口からは硝煙が立ち昇っている。
「ストーム……どうして……?」
その言葉を最後に、彼女は物言わぬ骸と化した。それを見下ろしながら、ストームはおもむろに自分の顎に手をかけ、一息に頭頂まで持ち上げた。するとそこには、全く別人の顔を持つ男が立っていた。
「任務完了……」
抑揚の無い声で呟いた男は、足早にその場を後にするのだった。
次回予告
ついに始まる貸出期間。
あいつはテニス部へマネージャーに、私は調理部へ雑用に。
ただ、何事もなく終わるかは誰にも分からないが。
次回「転生者の打算的日常」
#48 貸出
面倒事だけは起きないでくれよ、頼むから。