♢
某国某所。中央に空間投影ディスプレイが浮いた円卓に12人の男女が座り、部下の報告を聞いていた。
「スコール・ミューゼルからの報告は以上です」
「ご苦労、ミスト。下がって良い」
「は、失礼します」
ミストと呼ばれた男は、丁寧に頭を下げて退室した。
「……作戦は失敗。『白式』と『フェンリル』は奪えずか」
「『アラクネ』はコアの残して全損。開発部は機体の再造にはどんなに急いでも三ヶ月はかかると言っております……」
「使えないわね、あの女。処分する?」
「いや、あれを失ったスコールがどう動くか分からん。それに……」
「現在、『アラクネ』のコアと最も相性がいいのはオータムです。今殺せば、戦力的損害が大きすぎます」
「では、オータムの失態に関してはISコアの没収と次の作戦への参加禁止を持って罰とする。という事で良いか?」
「異議なし」
「異議なし」
「同じく、異議なし」
鷹揚に頷く男女。それを見て男の一人が手を叩いて次を促す
「よろしい。では次の議題だ。ラグナロク・コーポレーションに送り込んだエージェントからの定期報告が途絶えた」
「……普通に考えれば、正体がバレて始末された。あるいは……」
「情にほだされて裏切ったか。だな」
「彼は君の部下だったな。どう見る?ミス・ノヴェンバー」
「彼……ストームは情に流されるタイプではないわ。だから……」
「ふむ……『そういう事』だろうな。ラグナロク……いや、
「では、ストームについては正体が露見して始末されたものとして処理する。という事で良いか?」
「「「異議なし」」」
「ノヴェンバー、君は?」
「……ええ、異議なしよ」
「よろしい。では次に……」
どことも知れぬ闇の中。悪意は深く静かに、だが確実に近づいていた。
「では、次の学園襲撃はキャノンボール・ファスト開催当日。9月27日という事で良いか?」
「「「異議なし」」」
♢
夕食時のIS学園一年生寮食堂。そこに、やかましく感じるほどの甲高い声が響いた。
「ええっ!?一夏さん、もうすぐお誕生日ですの!?」
声の主はセシリア。元々リアクションの大きい彼女だが、今日はいつにもましてオーバーだ。椅子を蹴立てて立ち上がり、一夏に詰め寄っている。
「お、おう」
「いつ!?いつですの!?」
「9月27日だよ。ちょ、ちょっと落ち着けって!」
「え、ええ」
そう言って椅子にかけなおすセシリア。
「コホン。一夏さん、そういう大事なことはもっと早く教えてくださらないと困りますわ」
「え?お、おう。すまん」
なんだかよくわからないが、とりあえず謝る一夏。
「27日の……日曜日ですわね」
「おう、日曜だな」
そう言いながら、セシリアは純白の革製カバーのついた手帳を取り出し、27日の欄に二重丸を描く。セシリアにとって、その日はとても重要な日だという事だろう。
「お前はどうしてそういうことを黙っているのだ」
不満そうに口を尖らせてそう言ったのはラウラ。言いながら季節のサラダパスタをフォークに巻きつけているのだが、フォークを回しすぎてえらい事になっている。
「え?いや、別に大したことじゃないかなーって」
「ふん。しかし、知っていて黙っていたやつもいることだしな」
「「うっ!」」
ラウラに一瞥されて、ダブル幼馴染みが固まる。
「別に隠していたわけではない!訊かれなかっただけだ!」
「そうよそうよ!訊かれもしないのにしゃべるとKYになるじゃない!」
箒と鈴は言い訳じみた台詞を言いながら夕食(箒がサンマ定食、鈴が麻婆豆腐定食)のご飯をバクバクと頬張った。
「だいいち、それを言うなら九十九もだろう!」
「そうよそうよ!なんで教えてないのよ!」
「お前達と同じ理由だよ。訊かれなかったから答えなかった、それだけだ。それに私が嫌いなものは−−」
「損する事とクセの強い食材〜。特にセロリがダメなんだよね〜」
「あと、聞かれてない事を話すのと聞いてない事を話す人もだっけ」
「……そうだ」
シャルと本音が私の言わんとした事を先んじて言った。私は台詞を取るのは好きだが取られるのは嫌いだ。
「つくもん、ごめんね~。あ、これあげる〜」
私の不機嫌を悟ってか、本音が自分のミックスフライ定食からエビフライを私の特盛カツカレーにおいてよこした。
「じゃあ、僕も。あの、ごめんね?」
そう言ってシャルがこれまた自分のポトフからソーセージを一本取り出してカツカレーの上に乗せた。
「二人共……私が食べ物をよこせば機嫌が良くなるとでも?……割とその通りだ」
「「うん、知ってる」」
「「「だあぁっ!」」」
一連のやり取りを見ていた他の生徒達が一斉にずっこける。やはりこの学園の生徒はノリがいいよな。
「ううんっ!とにかく!9月27日!一夏さん、予定を開けておいてくださいな!」
「それなら心配は無いぞ、セシリア。なあ、一夏」
「ああ。一応、中学の時の友達が祝ってくれるから俺の家に集まる予定なんだが、みんなも来るか?」
「ええ!もちろんですわ!」
「私も参加予定だ。シャル、本音。君達もどうだ?」
「え?いいの?」
「当然だ。なあ、一夏」
「おう。どうせなら大勢のほうが楽しいだろ」
「なお、16時開始予定だ。ほら、当日はあれがあるだろう?」
私がそう言うと、全員が「そういえば」という顔をする。
『キャノンボール・ファスト』
ISを用いて行われる超高速バトルレース。本来なら国際大会として行われるそれだが、IS学園があるここでは趣きが異なる。
学園の生徒は、市の特別イベントとして開催されるそれに参加するのだ。とはいえ、同じ土俵に立った場合専用機持ちが圧倒的に有利となるため、一般生徒と専用機持ちはそれぞれ別の部門に分かれる事になるが。
学園外でのIS実習となるこのイベントでは、市のISアリーナを使用する。臨海地区に作られたそれは非常に大きく、収容人数は2万人を超える。
以前、コアな人気を持つアイドルグループがここでライブを行ったのだが、収容人数の半分も観客が集まらずライブは大赤字。それ以来、ライブやコンサートの利用申請は一度も来ていないのだそうだ。元がISアリーナだから、仕方ないと言えばそれまでだが。
「そういえば明日からキャノンボール・ファストのための高機動調整をやるんだよな?あれって具体的にはなにをするんだ?」
「基本的には高機動パッケージの
ラウラがプチトマトを頬張りながら告げる。
「その場合は−−」
「その場合、駆動エネルギーの分配調整や、スラスターの出力調整が主になるな」
ポトフの人参をかじったシャルが言葉を続けようとした所をインターセプトする私。
「……九十九」
「先程の意趣返しだ。私は意外と根に持つぞ、シャル」
ジト目でこちらを見るシャルにそう言って、貰ったソーセージを口にする。うん、美味い。やはりソーセージは豚100%だな。
「ふうん。高機動パッケージっていうと、確か『ブルー・ティアーズ』と『フェンリル』にはあるんだったよな?」
「ああ。『フェンリル』には高機動パッケージ『フレスヴェルク』が搭載されている」
「わたくしの『ブルー・ティアーズ』には『ストライク・ガンナー』が搭載されていますわ!」
誇らしげに胸に手を当てるセシリア。腰に当てた手もばっちり決まり、さながらモデルのようだ。
だが、その声は常に比べて僅かだが張りがなく、どこか憔悴しているようにも感じられる。一夏は気付いていないだろうが。
最近のセシリアは、放課後一人で黙々と訓練を続けている。理由は学園祭の時の一件だ。
『サイレント・ゼフィルス』とその使い手……『M』こと織斑マドカ(自称)を取り逃した事と、そのマドカに先んじて
なお、この件は千冬さんにより原則質問禁止が言い渡されているため、少なくとも一夏はそこまで詳しい事情を知らない。
『
前回も説明したが、規模、理念、思想、本拠地、そのいずれもが不明の秘密結社。分かっているのは意思決定機関『幹部会』と『実行部隊』に分かれている事くらいだ。
広大なネットの海には『亡国機業』に関するよもやま話が多数存在する。
曰く、IS開発企業である。
曰く、世界中に戦争の火種をばら撒くテロリスト集団である。
曰く、国際IS委員会の裏の顔である。などなど……。
そんな彼らが現在特に力を入れているのは、各国のISの強奪だ。しかも
さらに、社長が最近亡国機業の動向にやたら目を光らせているらしい。社長がそこまで連中に拘る理由とは一体何だ?
(いや、今は考えても仕方あるまい)
そう思考を締め、改めてキャノンボール・ファストの話に意識を戻す。
「それだとセシリアと九十九が有利だよなぁ。なあ、セシリア。今度超音速機動について教えてくれよ」
「……申し訳ありません。それはまた今度。ラウラさんにお願いしてくださいな」
にこりと微笑むセシリア。だがその顔が一瞬曇ったのを、私は見逃さなかった。今は自分の訓練に時間を使わなくてはならない。−−そう、物語っている顔だ。
「……そっか。わかった。じゃあラウラ、教えてくれ」
「いいだろう。最近はあの女にかまけてばかりいるお前を、私が教育してやろう」
あの女とは、IS学園生徒会長・更識楯無さんの事だ。先日、一夏の部屋から退去していった楯無さんは、それでも相変わらずハードな放課後訓練を私達に叩き込んでくれている。
え?私の部屋にいたシャルと本音はどうしたって?当然、楯無さんが退去するタイミングに合わせて退去したよ。……別に寂しいとか、部屋が広く感じるとかないからな。本当だからな!?
楯無さんの訓練のおかげで私も一夏も多少は実力が向上したが、ラウラ曰く、私達はせいぜい『
流石は千冬さんの教え子、言う事がいちいち辛辣だ。
「つうか、有利だって言うならアンタも同じでしょうが。『白式』のスペック、機動力だけなら高機動型に引け取らないわよ」
それを言うなら『紅椿』もだけどね。と付け加える鈴。
相変わらずISの事に関して実に詳しい。中学時代にそんな素振りはなかったため、帰国後の猛勉強の賜物なのだろう。
「つうかさあ、うちの国何やってんだか。結局『甲龍』の高機動パッケージ間に合わないし。シャルロットのとこは?」
「リヴァイブは第二世代で元々これ以上の開発はないから、増設ブースターで対応するよ。元々速度関係は増設しやすいようになってるしね。『
シャルの愛機、リヴァイブの正式名称は『
「ふーん。あ、ラウラんとこはどうすんの?そっちも第三世代でしょ?」
「姉妹機である『シュヴァルツェア・ツヴァイク』の高機動パッケージを調整して使うことになるだろうな。装備自体はあっちが本国にいる分、開発も進んでいる」
ISの専門的な話になると、流石に皆真剣な顔になっている。
「『シュヴァルツェア・レーゲン』の姉妹機かぁ。どんな武装を積んでるんだ?」
「嫁といえど、それは教えられんな。国家重要機密だ」
『
うちの諜報員からの情報では、『
−−本当にどうやって情報を持ってくるんだろうね?うちの連中。
「ふん。いい顔をするようになったな。新兵ども」
私達を眺め、口端を釣り上げて笑うラウラ。
「お褒めにあずかり恐悦至極であります、少佐殿」
「賞賛、ありがたく受け取らせていただきます、少佐」
ちょっとしたジョークを言い合える程度には彼女の性格が分かってきた私達は、そんな冗談じみた言葉を返す。
すると、先程まで楯無さんの事で機嫌が悪かったラウラは、実に楽しそうに、しかし冷徹さを感じさせる瞳で笑んだ。
ドイツの冷氷、ラウラ・ボーデヴィッヒ。涼しげなその瞳は氷柱のように鋭く、だが美しく澄んでいる。
「そうだな、久し振りに全力演習を行うか。明日の放課後、
「了解だ。言っておくけど、今度はもうワンサイドゲームにはならないぞ」
「フフン。それはどうかな?私も明日は新式装備の性能を披露してやろう」
そう言って、ラウラはクルリとフォークを回す。その先端にはマカロニが丁度空洞を通る形で刺さっていた。
「実のある訓練を期待しよう」
……あ、こいつ絶対次にこう言うつもりだな。
「「マカロニだけに」」
「……とか言うつもりでしょ」
「……とでも言う気か?ん?」
どうも鈴もそう言うと思っていたようで、ツッコミが重なった。
「はっはっは、そんな馬鹿な」
笑って否定する一夏。だが、その声は上擦り気味で顔は引きつっている。……図星か。
「一夏、お前……」
箒が白い目で一夏を見ている。まあ、こいつがくだらないシャレを思いつくのは今に始まった事ではないから、私はもう諦めているがな。
「まー、どっかのバカはさておき」
あっさりさておかれた
「一夏、アンタ生徒会の貸し出しはまだなわけ?」
「ん?なんか今は抽選と調整してるって聞いたぞ」
「それが済み次第、順次貸し出し開始となる手筈だ。もう少し待て」
「ふーん……」
なんでもなさそうに言って、鈴は辣油のたっぷりかかった麻婆豆腐を頬張る。が、私には分かる。鈴が、いや、一夏ラヴァーズ全員が『自分の部活動に真っ先に一夏が来る事』を期待していると。
「そういえば、みんな部活動に入ったんだって?」
一夏が何の気無しにそう訊いた。それに対しての皆の答えは以下の通りだ。
「私は最初から剣道部だ」
最近はよく顔を出しているそうだが、それ以前は幽霊部員だっただろ、お前。とは言わないのが得策だろう。
「ラクロスよ」
「へえ!ラクロスか!似合いそうだな!」
似合うだろうな、棒を振り回す所が特に。なんて口にしないのが思いやりだろう。
専用機持ちゆえの一般生徒とは一線を画す身体能力で、入部早々期待のルーキーとは本人の弁だが、熱くなりすぎて対戦相手を殴らないか心配だ。
「わたくしは英国が産んだスポーツ、テニス部ですわ」
イギリスにいた頃から嗜んでいた。とは本人の弁。「一緒にいかが?」と誘われた一夏が「やった事がない」というと、セシリアはすぐさま「直接教えて差し上げてもよろしいですわよ?と、特別に」と続け、それを受けた一夏に微笑みを返した。
無理をしている風はない、自然な笑みだ。あの笑みが出るなら、心配のレベルを下げてもいいだろう。
「私は茶道部だ」
日本文化を好むラウラにとって、茶道部はまさにうってつけの場所だろう。ちなみに、茶道部顧問は千冬さん。
聞いた所によると、千冬さんのファンが殺到したため、入部試験として『正座二時間』を実施。その結果、今年の入部生はラウラを除けば実家が茶道の家元だという千さんと、実家が寺の天空寺さんだけだったとか。
なお、ラウラに「正座平気なのか?」と訊くと、ふっと笑って「あの程度の痺れ、拷問に比べれば容易い」と言った。そんなものと比べるな。というか、何されるんだ?拷問って。とは訊かぬが花だろう。
「で、シャルロットは?」
「僕は調理部に入ろうと思ってたんだけど……」
「つくもんに『私一人では庶務の仕事が回らない。助けてくれないか?』っていわれて~」
「庶務補佐として生徒会入りしたよ。扱いとしては準役員だな。と言うか、二〜三日前から生徒会室にいただろ」
「そ、そうだったのか?てっきり遊びに来てるもんだと……」
この男の鈍さはもはや天然記念物クラスだな。知ってたけど。
ちなみに、シャルは調理部にも籍をおいていて、庶務の仕事がない時はそちらに行っている。
生徒会役員は原則部活動に入部できないが、シャルは準役員なのでその限りではない。と、楯無さんが言っていた。
先日、覚えたばかりの『サバの味噌煮』を食べさせてくれた。生姜の効いた、実にご飯の進むものだった。
この後、ラウラの着物姿うんぬんの話から年末年始の過ごし方に話が移行。一夏ラヴァーズは揃って日本に残ると宣言した。無論シャルもだ。
ただ、そこで話を終わらせていればいいものを、一夏は篠ノ之神社で箒と(一夏は無自覚の)デートをした事を言ってしまい、他の三人に詰め寄られるという事案が発生した。
「さて、食事も済んだし、行こうか。シャル、本音」
「「うん」」
巻き込まれたくないので、食べ終わったトレーを持ってさっさと退散。詰問を受けるー夏の「待ってくれ!助けてくれ!」と言う叫びをガン無視して、食堂を後にした。
♢
「……ん?」
自室のドアノブに手をかけて、私は違和感に気づく。鍵が開いている。部屋を出る前に確かに鍵をかけたはずだが、何故?
不審者かも知れない。そう思った私は腰のホルダーから銃を抜いて
「動くな!動けば撃つ!」
「ひゃあっ!待って待って!私よ!」
ベッドの上で両手を上げるのは、我らが生徒会長の……。
「なんだ、楯無さんでしたか……。てっきり侵入者かと」
そう言いながら銃をしまう。楯無さんは安堵の溜息をついて両手を下ろした。
「ああ、ビックリした。撃たれるかと思ったわよ」
「ここがアメリカなら撃たれてましたよ。……で?ご用件は?この後シャルと本音が来るので手短にお願いします」
「ええ。例の組織について、動きがあったって知ってる?」
『例の組織』となれば、その対象は一つだけ。亡国機業の事だ。私は首を縦に振る。
「はい。先程秘匿回線で連絡が。現地時間で今日の午前2時、アメリカのIS保有基地が襲撃を受けたそうですね。襲撃犯は『サイレント・ゼフィルス』を使っていたとか」
「相変わらず情報が早いわね、君の会社。ええ、そうよ。狙いはIS本体でしょうね。九十九くんも、自分のISを奪われたりしないように気をつけて」
「当然です。二度同じ手を食うような真似はしません」
「よろしい。男の子はそうでなくちゃね」
それじゃあね、と言って楯無さんはベッドから降りて部屋を出て行った。本当に手短に済ませてくれたな。
コンコンコン
『つくも~ん、来たよ~』
『入っていい?』
ノックと共に聞こえてきたのはシャルと本音の声。
「ああ。鍵は開いている。入って来てくれ」
「「お邪魔しま〜す」」
「いらっしゃい、二人とも」
扉を開けて入ってきた二人。と、本音が私に訊いてきた。
「さっきたっちゃんとあったけど〜、なにしてたの~?」
「事務連絡さ。……他に聞こえると拙い……ね」
「本当に?」
「本当さ。この村雲九十九、女性相手に−−」
「「嘘はつかない」」
「……その通りだ。君達、最近私の台詞を取るの楽しんでないか?」
「うん」
「これくせになるね~」
にっこり笑ってそういう二人。釈然としないが、二人が楽しそうだからまあいいか。
「プレゼント?私に?」
「うん」
「ほら、臨海学校の時に貰ったブレスレット。あれのお返しがしたくて」
そう言って、二人は左手首を見せる。そこには、臨海学校前日に箒への誕生日プレゼント探しの手伝いの礼として送った銀のブレスレットが輝いていた。
ちなみに、私が箒に送った誕生日プレゼントはレディースウォッチ。たまに着けている所を見かけるので、気にいってくれているようだ。
「別に見返りが欲しくてあげた訳ではないのだが……」
「わたしたちがそうしたいんだよ〜」
「うん。それにほら、誕生日のお祝いしてないんでしょ?だいぶ遅れちゃったけど、そのお祝いも兼ねて。どうかな?」
「……そういう事なら、君達の好意に甘えよう」
私の誕生日はクラスメイト全員が知っているし、当然祝おうともしてくれた。しかし「下手に祝おうとすると大事になりかねないから」と、誠心誠意を込めた『お願い』で誕生日会を取り止めにしたのだ。
「それでね~、つくもんのほしい物が訊きたいな〜って」
「そうだな……時計かな。懐中時計に憧れる」
「時計かぁ……あ、じゃあ、駅前にいいお店知ってるからそこに行こうよ。僕も服とか見に行きたいし」
「分かった。タイミングは?」
「今度の週末〜。どうかな〜?」
「ああ、行こうか」
「それじゃあ、約束」
「やくそく〜」
そう言って、二人は小指を差し出す。以前、日本の風習である『指切りげんまん』を覚えてからこっち、シャルはこれが妙にお気に入りだ。私としても断る理由はないので、毎回こうして指切りに付き合っているのだが……。
「指切りげんまん〜♪」
「嘘ついたらクラスター爆弾のーますっ♪」
「「指切った♪」」
「あ、ああ……」
その決まり文句が毎度毎度非常に怖い。針千本も嫌だが、クラスター爆弾なんて飲まされた日には出来損ないのミートパイになってしまう。
ちなみに前回は
こうして、特に何事もない平穏な一日が過ぎていった。
しかし私は、この平穏が長く続かない事を知っている。知ってしまっている。
だが、それでもなお、少しでもこの平穏が長く続いて欲しい。そう思った。
♢
(ふふ、週末が楽しみだなぁ)
シャルロットは浮かれ気分で廊下を歩いていた。九十九と本音の二人とのデートは、彼女にとって最も楽しい行事の一つだ。
「えへへ♪」
自室のドア前に立ったシャルロットが、にへらと頬を緩ませながらドアを開けた。すると。
「ちゃお♪」
「……シャルロット、今すぐこいつを追い出してくれ」
うわあ……。
口から出そうになったその言葉を、直前でグッと飲み込むシャルロット。
部屋には犬猿の仲(実際にはラウラが一方的に嫌っているだけ)の二人、楯無とラウラがいた。
ラウラは、もし猫であれば総毛立ち&尻尾威嚇の状態さながらで、いつもより六割増で目がつり上がっている。
「いい笑顔ね。九十九くんと何かあった?」
「あ、はい。ちょっと」
「おい、シャルロット!早くこいつを追い出す方法を考えてくれ!」
「いや、その、ラウラ。そんなこと言われても……」
生来のお人好しであるがゆえの板挟み。シャルロットは、幸せがゆっくりと去って行く音を聞いた気がした。
仲良くしたい楯無と仲良くしたくないラウラの攻防は、楯無のくすぐり攻撃によってラウラが悶絶した事で決着を見た。
その間、シャルロットはラウラに飲ませるためのココアを作っていた。ごく最近知った事だが、ラウラを落ち着かせるにはココアが最も効果的なのだ。
ラウラは受け取ったココアをちびちび舐め飲みながら「どうして助けないんだ!」とか「戦友を見殺しなど、正気の沙汰じゃない」とか「私のいた部隊では、どんな絶望的状況でも味方を見殺しにはしない」等と、ぶつくさ文句を言う。
「聞いているのか!」
ずずずっと一度大きくココアを飲んでから、ラウラが怒号を上げる。しかし、そんな様子ももはや慣れたシャルロットは、うんと返事をしながら、ラウラの髪に櫛を入れていく。
「ラウラ、新しいシャンプーどうだった?」
「うん?まあ、嫌いな匂いではなかったな」
「そう。よかった。ラベンダーを買うの初めてだったから、ラウラがイヤだったらどうしようかなって思ってたから」
「う、うむ……。し、しかし、別に気に入ったわけではないぞ。あくまでイヤではないというだけであってだな」
ひとしきり楯無に笑わされたラウラは、いつも饒舌になる。また、最近ではこうやって髪をシャルロットに梳かれると、心地良さそうな猫のように目を細め、時として眠ってしまう。どうやらそれほどまでに心地の良いものらしい。
「ふあ……」
案の定、催眠効果が出始めたらしいラウラは、小さなあくびを漏らした。今日も着ている猫耳パジャマは、既に睡眠時の必須アイテムだ。
「ラウラ、もう今日は寝ちゃう?」
「うむ……。そうするか……」
ぼーっとした口調でこくりと頷いてから、またココアをちびちび啜る。そんな様子が殊更子猫のようで、シャルロットは抱き締めたい衝動に駆られるのだった。
「ちゃんと歯磨きしてね」
「わかっている……」
すでに半分夢の中のラウラは、ココアを一息に飲み干して洗面所へと向かう。
3分後、戻ってきたラウラはそのままベッドへ寝転がり、布団の中へと潜り込んだ。
「じゃ、電気消すね。おやすみ、ラウラ」
「ん……」
程なく、ラウラの寝息が聞こえはじめ、シャルロットはルームメイトが寝付いた事にそっと安堵の溜め息を漏らす。
(ふふ、早く週末にならないかなぁ……)
シャルロットの気持ちはすでに週末のショッピングに向いている。左手首に光るブレスレットを確認してから、シャルロットは秘密の儀式を始めた。
(おやすみ、九十九……)
ちゅっ……
ブレスレットにキスをして、シャルロットは赤い顔を隠すように布団を頭のてっぺんまで被って眠った。
一方、本音も……。
「えへへ〜♪」
「本音、ご機嫌だねぇ。村雲くんと何かあった?」
ルームメイトの相川清香に問いかけられた本音は、いつもの笑みを一層深めた。
「うん!今度の週末にね~、しゃるるんとつくもんといっしょにお買い物に行くんだよ〜。早く週末にならないかな〜♪」
「いや、まだ月曜だから。週末だいぶ先だから」
ニコニコ笑顔でそう言う本音に、清香は思わずツッコんでいた。
「本音、もう寝ない?明日は織斑先生の実技訓練だし」
「そだね〜。じゃあおやすみ〜、きよりん」
そう言って、本音は自分の布団に潜り込んだ。それを見て、清香は電気を消して自分のベッドに入る。
程なくして、清香のベッドから寝息が聞こえてくる。清香は寝付きが異様に良い。小学生時代のあだ名は『女のび太』だったとか。本人は「そのあだ名で呼ぶな!」と、言われる度に怒鳴っていたらしい。
(週末はどこに行こっかな~。三人なら、どこに行っても楽しいんだろ〜な〜)
本音の気持ちもまた、既に週末のショッピングに向いていた。左手首に光るブレスレットをじっと見て、本音は秘密の儀式を始めた。
(おやすみ〜、つくもん……)
ブレスレットにキスをして、本音はそっとその目を閉じた。
次回予告
プレゼントは、送られると嬉しいものだ。
ましてそれが恋人からとなれば、その感動はひとしおだろう。
さあ、楽しい時間の始まりだ。
次回「転生者の打算的日常」
#47 贈物
ねえ、九十九(つくもん)。どれがいい?