♢
@クルーズ。新世紀町駅前の他、都内に5店舗を構える喫茶店。店員がメイド(執事)の格好で給仕する、いわゆるメイド喫茶だ。
客層は主に若い男性、一部の女性と、まれに中年男性もやって来る。
飲食物の値段設定は少々高いが、それは厳選した材料を使っている事ともう一つ、これが最大の理由だろうが……。
「お待たせしました。紅茶のお客様は?」
「は、はい」
シャルがカウンターから飲物を受け取り、客前に持っていく。ただそれだけだというのに、その動きは気品が滲み出ていた。
初めてのアルバイトのはずだがその立ち振る舞いに物怖じした様子はなく、堂々としていながら嫌味な所が欠片も無い。
その姿に見入っていた女性客は、かけられた声に自分が年上であるにも関わらず、緊張した面持ちで答える。
そして、ここからがこの店の値段設定が少し高いもう一つの理由。この店ではある『サービス』を受ける事ができる。それは−−
「お砂糖とミルクはお入れになりますか?よろしければ、こちらで入れさせていただきます」
「お、お願いします。ええと、砂糖とミルク、たっぷりで」
「わ、私もそれで!」
「かしこまりました。それでは、失礼します」
シャルの白い指がそっとスプーンを握り、砂糖とミルクを加えたカップの中を静かにかき混ぜる。
その姿を見つめていると、私にコーヒーを持ってきた店長がポツリと呟いた。
「おかしいわね……。あの二人、いつもはノーシュガー、ノーミルクなのに……」
言いながら私の前にコーヒーを置く店長。このコーヒー、三人の勤務時間中は飲み放題だ。曰く「デートを邪魔したお詫び」らしい。
「わざとでしょうね。目の前の美形執事に奉仕して貰いたい一心でしょう」
砂糖とミルクを入れた紅茶とコーヒーを受け取った二人は、ぎこちない動きでそれを一口飲んだ。
「それでは、また何かありましたら何なりとお呼び出しください。お嬢様」
言って優雅に一礼するシャル。その姿は正に『貴公子』としか言いようのない雰囲気を放っていた。
雰囲気にあてられた女性客は呆けた顔で頷くこと以外出来なかった。
一方、接客とはおよそ無縁だったろうボーデヴィッヒに目を向けると、丁度男性客三名のテーブルで注文を取っている所だった。
「ねえ、君可愛いね。名前教えてよ」
「…………」
「あのさ、お店何時に終わるの?一緒に遊びに−−」
ダンッ!
半ば叩きつけるようにテーブルに置かれたコップが、大きな音と共に盛大に中身を吐き出す。面食らう男達に、ボーデヴィッヒはゾッとするほど冷たい声で告げた。
「水だ。飲め」
「こ、個性的だね。君の事、もっと良く知りたくなっ−−」
男の台詞を聞く事はおろか、オーダーすら取る事なくテーブルを離れるボーデヴィッヒ。カウンターに着くなり何かを告げ、少しして出されたコーヒーを持っていった。
「あの子、オーダー取ってなかったような……」
何故か未だに私の隣にいる店長がまたも呟く。
「彼女があの男性客にかける言葉、当てましょうか?それが彼女がノーオーダーでコーヒーを持って行った理由でもありますし」
「出来るの?そんな事」
「彼女の事はプロファイル済みです。さて……」
男性客の前に(ソーサーが割れるため)先程よりは優しくカップをテーブルに置くボーデヴィッヒ。それでも弾んだカップから中のコーヒーが遠慮なく零れた。
「えっと、コーヒーを頼んだ覚えは……」
「なんだ?客ではないなら出ていけ」
「そうじゃなくて、他のメニューも見たいわけでさ……」
ボーデヴィッヒに好印象を持たれたいのか、有無を言わさぬ態度に萎縮しているのか、男性客は言葉を探りながら会話を続ける。
女性優遇社会の昨今、こんな風に初対面の女性に声をかけられる男は、勇者か馬鹿のどちらかだ。そして、あの男達は紛れもなく後者である。
「例えば、コーヒーにしたってモカとかキリマンジャロとか−−」
言葉を遮るように、ボーデヴィッヒは全く笑っていない目のまま、その顔に嘲笑を浮かべる。ここだな。
「「はっ。貴様ら凡夫に違いがわかるとでも?」」
私とボーデヴィッヒの台詞が、一字一句違わず重なった。店長はその顔を驚きに染めている。
「貴方、エスパー?」
「いいえ、彼女が分かりやすいんです」
結局男達は絶対零度の視線と許しの無い嘲笑に折れ、小さくなりながらコーヒーを啜った。
「飲んだら出て行け。邪魔だ」
「はい……」
『ドイツの冷氷』と呼ばれたボーデヴィッヒの一面は今なお健在だった。しかし、その人を寄せつけない態度すらご褒美に変えてしまう
「いいっ!あの子、超いいっ!」
「見下されたいっ!罵られたいっ!差別されたいぃぃっ!」
特別盛り上がるテーブルの奇妙な熱気と興奮を、他の客はもちろんスタッフまでもが見て見ぬふりでやり過ごしていた。
最後に本音に目を向けると、中年男性が一人で座るテーブルにコーヒーを持って行く所だった。
「お待たせしました〜。砂糖とミルクはお入れになりますか〜?」
「いや、いいよ。ありがとう……はぁ……」
盛大な溜息をつく男性に何か感じたのか、改めて声をかける本音。
「ど~かしたんですか〜?」
「ん?ああ、実はね……」
この男性、3ヶ月前に勤めていた会社を解雇されたのだが、それを妻に言い出せず、こうして会社に行くふりをして家を出ては喫茶店やネットカフェで時間を潰しているのだという。
「つ、辛い……それは辛い……」
「あの人が最近よく来るの、そういう事だったのね」
なおも私の隣にいる店長が、そんな事を呟いた。
「……貴女、仕事はいいんですか?」
「いいのよ、まだ余裕あるし。あ、お代わりは?」
店長が私の手元のカップを見て言った。つられてカップを見ると、その中身は9割が飲み干されていた。いつの間に……。
「あー……では、キリマンジャロのホットをブラックで」
「かしこまりました。旦那様」
リクエストに芝居がかった返事を返し、店長はカウンターに向かった。その少し後、男性客の独白は終わった。
「ふう……話したら何だかすっきりしたよ。ありがとう。最後まで聞いてくれて」
「ど~いたしまして~。それじゃ〜、ごゆっくりどうぞ~」
そう言って、他のテーブルの応対に向かう本音。男性はその姿を見送った後、出されたコーヒーを飲み干し、そのまま席を立って会計を済ませると店を出た。その顔は、何かを決めた男の顔をしていた。
「あれ〜?さっきのお客さんは~?」
私の席に私が頼んだコーヒーを持って本音がやって来た。本音は先程の男性客を探して辺りを見回し、不思議そうに呟いた。
「ああ、たった今出て行ったよ。多分だが、奥さんに話をする為に帰ったんだろう」
「そっか〜。大丈夫かな~?」
「それは、神のみぞ知ると言うやつだな」
心配そうな声を上げる本音からコーヒーを受け取って一啜り。うん、旨い。いい豆を使ってる。
その後も、本音は順調に仕事をこなしていく。そんな本音の事を見ている人もちゃんといる訳で。
「なあ、あの子……」
「うん、地味だけど可愛いよな。あの笑顔、癒やされるぜ」
「何言ってんだよ、派手だろ。特にあの胸!」
「お前、相変わらずそこなのな」
本音の事を評価してくれるのは嬉しいが、ゲスな発言をする男にイラッとした。
シャルと本音(とボーデヴィッヒ)の仕事ぶりを眺めつつコーヒーを飲んでいると、突然客席から興奮気味の女性の声が上がった。
「あ、あのっ、追加の注文いいですか!?できればさっきの金髪執事さんで!」
「コーヒー下さい!銀髪メイドさんで!」
「
「こっちにも美少年執事さんを一つ!」
「美少女メイドさんをぜひ!」
「のほほんメイドさんを下さーい!」
騒動は一瞬で店内全てに感染。喧噪は爆発的に大きくなっていく。
どう反応していいか困る三人娘だったが、店長が間に入って三人を滞りなくテーブルに向かうように上手く声をかけて調整していく。本業の人間だけあってその指示は的確で、次々にやってくる客を見事に捌いていく。
そんな混雑が2時間ほど続き、三人に精神的疲労が見えてきた頃、事件は起きた。
「全員、動くんじゃねえっ!!」
ドアを破らんばかりの勢いで雪崩込んで来た三人の男。その一人が、怒号を発した。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった店内の全員だが、次の瞬間に発せられた銃声に悲鳴を上げる。
「「「きゃあああっ!?」」」
「騒ぐんじゃねえっ!静かにしろ!」
硝煙を吐き出す銃口をこちらに向けて恫喝して来る男達。その格好はジャンパーにジーンズ、顔には覆面を被り、手には銃。背負ったバッグからは紙幣が何枚か飛び出している。見るからに強盗。しかも銀行襲撃直後の逃走犯だ。
もっとも、その恰好は古い漫画でしか見ないようなもので、その事に店内にいた全員がポカンとしてしまう。とはいえそこは銃を持った凶悪犯。言う事を聞かない訳にはいかなかった。
「つ、つくも〜ん……」
偶々私の席の近くにいた本音が、震えながら私に抱き着いてきた。
「大丈夫だ。心配はいらない。既に……」
外に目をやると、無数の制服警官が見えた。さらに見ていると、パトカーからスーツ姿の男性刑事が出てきて、拡声器を持ってこちらに話しかけてきた。
『あー、犯人一味に告ぐ。君達はすでに包囲されている。武器を捨て、速やかに投降しなさい。繰り返す−−』
駅前の一等地だけあり、警察の行動は極めて迅速だった。窓から見える店外ではパトカーによる一帯の道路封鎖が行われ、ライオットシールドを構えた対銃撃装備の警官達が包囲網を形成。犯人達の逃げ場を完全に奪っていた。のだが……。
「なんか……警察の対応も……」
「……古……」
きっと10代には通じない、レトロ感溢れる警察の台詞。それに、数名の客が人質の立場を一瞬忘れて呟いた。
♢
窓の外の警察の姿に、犯人の一人がオロオロとしだす。
「ど、どうしましょう兄貴!このままじゃ、俺ら全員−−」
「狼狽えんじゃねえっ!焦る事はねえ。こっちには人質がいるんだ。強引な真似はできねえさ」
リーダーと思しき、三人の中でも一際体格のいい男がそう言うと、及び腰になっていた他の二人が自信を取り戻した。
「へ、ヘヘ、そうですよね。俺たちには高い金払って手に入れたコイツがあるし」
ジャキッ!と硬質な金属音を響かせて、男が散弾銃のポンプアクションを行う。次の瞬間、男はそれを天井に向け威嚇射撃を行う。
「「「きゃあああっ!?」」」
特有の銃声と蛍光灯の砕け散る音に、店内の女性客が絹を裂くような悲鳴を上げる。それをリーダーの男が拳銃を撃って黙らせる。
「大人しくしてな!俺達の言う事を聞けば殺しはしねえよ。わかったか?」
女性客は顔を青くして何度も頷くと、声の漏れぬようにきつく口を噤んだ。
「聞こえるか警察共!人質を安全に解放したかったら車を用意しろ!もちろん、追跡車や発信機なんかつけるんじゃねえぞ!」
威勢よく叫んだ男は駄賃だとばかりに警官隊に発砲。幸い、弾丸はパトカーのフロントガラスを砕いただけだったが、周囲にいた野次馬がパニックになるには十分だった。
「ヘヘ、やつら大騒ぎしてますよ」
「平和な国ほど犯罪はしやすいって本当っすね!」
「まったくだ」
暴力的な笑みを浮べて会話する男達。私はその三人の様子を窺っていた。
武装は一人が散弾銃、もう一人が機関銃、リーダーが拳銃を構えている。恐らく、いくつか予備も持っているだろう。
さて、どうするか。状況確認のために店内を見回す。シャルは店内の植え込みの後ろで目立たぬようにしゃがんでいる。そのシャルが私同様状況確認のために視線を動かして、その顔を驚きに歪める。何事かとシャルの視線の先を見ると、そこには強盗以外にもう一人、店内で立ち上がっている人物の姿。
「…………」
銀髪に眼帯、服装はメイド服。そして、目の覚めるような美貌の少女。ラウラ・ボーデヴィッヒが、そこにいた。
……ああ、こんな展開だったな、確か。私は思わず、小さく溜息をついた。
「なんだお前は?大人しくしてろってのが聞こえなかったのか?」
案の定、リーダーが近づいていく。その手の銃をボーデヴィッヒは一瞬だけ目に入れた後、すぐに視線を外した。
「おい、聞こえないのか!?それとも日本語が通じないのか!?」
声を荒らげ、今にもボーデヴィッヒに掴みかからんとするリーダーを手下が「まあまあ」と宥める。
手下達はどうやらボーデヴィッヒに接客して貰いたいようで、鼻の下の伸びた顔でリーダーを説得。リーダーは眉間にシワを寄せながら、近くのソファに腰を下ろした。
「ふん、まあいい。喉が渇いていたところだ。おい、メニューを持ってこい」
ボーデヴィッヒは頷くでもなく男達を一瞥すると、カウンターの中に歩いていく。
「ボーデヴィッヒ、どうする気だね?」
席がカウンターすぐ横だった私は、やって来たボーデヴィッヒに声をかける。
「奴らを鎮圧する」
そう言ってボーデヴィッヒはコップに氷を満載した水を入れてトレーに乗せ、男達の元へ持っていった。
そこから先はあっという間だった。
犯人達の前に氷を満載した水を持っていったボーデヴィッヒが突然トレーをひっくり返し、宙に浮いた氷を指で弾いて犯人達の銃を持った手の指や顔面の急所に叩き込む。そして、犯人が怒号を上げるより早く、機関銃男の懐に飛び込んで膝蹴りを叩き込んだ。
「っざけやがって!このガキ!」
いち早く痛みから復帰したリーダーが拳銃を発砲する。火薬の炸裂音が連続で響くが、ボーデヴィッヒには一発も届いていない。店内のあらゆる物を利用して、ボーデヴィッヒはその細身からは想像の付かないスピードで駆け抜けていく。
「うおっ!?」
「ひゃあっ!?」
私と本音の隠れているテーブルに流れ弾が一発当たった。貫通こそしなかったが、流石に驚いた。この間、30秒。
「あ、兄貴っ!?こ、こいつ−−」
「うろたえるな!ガキ一人、すぐ片付けて−−」
「一人じゃないんだよねぇ。残念ながら」
マガジンの再装填をしていたリーダーの背後に迫っていたのは、見目麗しい
その言葉は「やれやれ」といった溜息を含んでいたが、どうもそれは事件に巻き込まれた事よりもボーデヴィッヒが機を待つ事無く戦闘を開始し、それをサポートせねばならないといけないという事に対してのもののようだった。
「なっ!?このっ−−」
「あ、執事服でよかったかな。思い切り足上げても平気だし」
そう口にしつつ、シャルはリーダーの拳銃を手ごと蹴り上げる。バキッ、という鈍い音がしてリーダーの右手人差し指が折れる。
そして勢いそのままに、散弾銃男の右肩に踵落としを叩き込んで無力化。ゴキリ、という耳につく音とともに、散弾銃男の右腕は力無く垂れ下がる。
「う~、嫌な音した〜」
「あれは痛い。きっと痛い」
ここまで響いた骨折音と脱臼音に、本音が青い顔をした。この間、二人の合計で50秒。
「しかし……やはり流石だな」
私は二人の様子を物陰で見ながらポツリと漏らす。
二人揃って慣れているというレベルでは無い。より高度な戦闘状況を数多く経験している事の、これがその証明だろう。
ISパイロット、特に専用機持ちともなれば、どの国家も『あらゆる事態』を想定した訓練を課している。それは、候補生であっても変わりはない。
彼女達はISの展開不能な状況下にあっても、それを打破できる程度には鍛錬を積んでいる。
当然、軍人であるボーデヴィッヒと非軍人のシャルでは各種能力に開きはあるだろう。だが、この程度なら何ら問題ない。
僅か1分足らずで手下二人を
「ふ、ふざけるなぁぁっ!お、俺が、こんなガキどもに!」
その引鉄が引かれる刹那、ボーデヴィッヒが弾丸の如くに飛び出した。
吐き出された初弾を身を捻って躱したシャルが足下を踏みつける。そこにあったのは@クルーズ特製のトレー。縁を踏まれたトレーはその上に乗っていた『物体』を空中へ躍らせる。そして、それはボーデヴィッヒの手の中にタイミング良く収まった。
黒く、鈍い光を放つ殺傷兵器。片手サイズの無機質な殺意。その拳銃の銃口を、ボーデヴィッヒはリーダーの眉間に突き付けた。
「遅い。死ね」
「えっ、ラウラ、待っ−−」
ガツンッ!とグリップを額に叩き込まれ、男は糸の切れた操り人形のように倒れた。
「全制圧、完了」
ここまでにかかった時間、1分15秒。まさに電光石火の制圧劇だった。のはいいのだが……。
「介入のタイミングを逃した……」
「元気だして~、つくもん」
あまりにも早い幕引きにまたしても空気と化した私。本音の心遣いが少し痛かった。
その後、目を覚ましたリーダーが革ジャンの下に仕込んでいたプラスチック爆弾を爆発させようとしたが、シャルとボーデヴィッヒが犯人達の拳銃を使って起爆装置と信管、そして導線
情けなく
「って!私達を置いていくな!」
「二人とも待って〜!」
その後ろを慌ててついていく私達。その姿はきっと慌てふためく狸と子狐だったろう。
♢
「もう夕方だね」
強盗事件解決から2時間後、私達は残っていた買物を終わらせてレゾナンスを後にした。沈み始めた太陽が空を朱に染めている。
あの後、小物店や生活雑貨店を見て回りながらボーデヴィッヒの生活用品を揃えていったのだが、最後の方のボーデヴィッヒは買っている物が自分の物になるというのに「任せる」「好きにしろ」「それでいい」しか言わず、完全に丸投げ状態だった。
そんなボーデヴィッヒにシャルが小言を言った。
「ちゃんと自分でも選ばないと、女子力アップっていうラウラの利に繋がらないよ?」
「『利』か、村雲のようなことを言うのだな」
「え?……あっ……」
キョトンとした後、ポっと頬を染めるシャル。彼女も割と感化されやすい方なのかもしれないな。
その後、近くの城址公園に立ち寄る事にした私達。クレープを食べるためだ。
なんでも、シャルが休憩時間に@クルーズの店員さんから聞いた『食べると幸せになるミックスベリー』を食べたいらしい。
「ああ、聞いた事があるよ。なんでも『いつも売り切れのミックスベリー』らしいな」
「へ~、そ~なんだ〜」
という訳で、早速店を探す私達。しかし、探すまでも無くすぐに見つかった。恐らく、部活帰りや外出の寄り道だろう女子高生が集中している一角。そこにその店はあった。
「じゃ、早速頼んでみようよ」
そう言ってボーデヴィッヒの両手を引いてクレープ屋に入るシャル。私と本音もその後を追って店に入る。
「すみませーん、クレープ4つください。ミックスベリーで」
シャルがそう言うと、店主と思しき20代後半の男性が、無精髭にバンダナという風体でありながら人懐こい顔で頭を下げた。
「あー、ごめんなさい。今日、ミックスベリー終わっちゃったんですよ」
バツが悪そうに言う店主の後ろを観察して『ある事』に気付く私。ああ、そういえば原作でもそうだったな。
「あ、そうなんですか。残念……。じゃあ、別のにする?」
こちらに顔を向け、私に訊いてくるシャル。原作ではボーデヴィッヒがわざと分かりにくく『イチゴとブドウ』にしたんだったか。なら、私は意地悪なしで行こうか。
「そうだな……。では、イチゴとブルーベリー、ラズベリーを一つづつ。それから、チョコバナナを」
私はそう言って全員分の料金を支払った。
「あ、九十九いいよ。ここは僕が……」
「いや、私に出させてくれ。……最後の最後まで空気でいたくないんだ」
「あ……えっと、うん。そう言うことなら……」
私の切実な訴えにコクリと頷くシャル。暫くしてクレープが出来上がる。それを受け取ると近くのベンチへ並んで腰掛ける。
「私はイチゴがいいのだが、君達は?」
「じゃあ僕はブルーベリーで」
「わたしラズベリーがいいな~」
「まあ、残り物には福か。チョコバナナを貰おう」
リクエスト通りにクレープを渡し、皆でかじりつく。
「んっ、これ美味しいね!」
「ん〜、おいしい〜」
「そうだな。クレープの実物を食べるのは初めてだが、美味いと思うぞ」
「出来立てというのもあるが、それを差し引いても十分美味いな。ここは当たりだ」
それぞれがそれぞれの感想を述べた所で、「さて」と前置いて話す。
「シャル、本音、それからボーデヴィッヒも。もう分かっていると思うが、あのクレープ屋には……」
「ミックスベリーは無い。でしょ?」
「そうだ」
「ふん、やはりな」
「ほえ?ど~言うこと〜?」
どうやら本音は分かっていなかったらしい。という訳で、解説の時間だ。
「いいかい、本音。あの店の厨房を見たが、ミックスベリーらしきソースは何処にも見当たらなかった。つまり、ミックスベリーはそもそも存在しないメニュー、という事だ」
「そ~なの?そんな〜……」
がっくりと肩を落とす本音。ここで本音に『食べると幸せになるミックスベリー』の正体を示す事にする。
「ただし、ミックスベリーを食べる事は出来るぞ?ほら」
そう言って、本音の前に私のクレープを差し出す。
「ほえ?ん〜……あっ!」
私の行動を訝しみ、少し考えた後はっとする本音。どうやら答えに辿り着いたようだ。
そして、満面の笑みで私のクレープを一口かじり、その後自分のクレープも一口かじる。これで、本音の口の中でミックスベリーが完成する、という訳だ。
「ん〜!おいしい〜!」
「ほら、シャルも」
「うん!」
シャルの前に私のクレープを差し出すと、シャルはすかさず一口かじり、ついで自分のクレープもかじる。
「うん、おいしいね」
「それはよかった」
満足そうな顔の二人を眺めつつ、クレープをかじろうとして、二人に止められる。
「あ、まって~」
「はい、九十九もミックスベリーどうぞ」
そう言って二人が自分のクレープを私に差し出す。ここで断るのもなんだと思い、二人のクレープを一口づつかじる。口の中でラズベリーとブルーベリーが絶妙に混じり合い、見事なミックスベリーとなった。
「うん、たしかに美味い」
「「それはよかった」」
その後、さらに三人でそれぞれのクレープを一口づつかじって、トリプルミックスベリーも楽しんだ。
「「「美味しい〜(美味い)!」」」
『食べると幸せになるミックスベリー』は、確かに私達を幸せな気分にしてくれた。クレープに感謝だな。ちなみに……。
「……そうか。これが『空気と化す』と言う奴か。なるほど、たしかに虚しいな」
ポツリと呟いたボーデヴィッヒの言葉は、私にしか聞こえなかったようだ。
こうして、金と銀(+2)の買物行は終わった。
私達三人にとって、忘れられない記憶の増えた一日だった。
♢
その日のラウラの夜は、ある意味でピンチだった。
夕食を済ませ、特に何をする訳でもなく自室でゴロゴロとしていたシャルロットとラウラ。その時、シャルロットが「折角だし、今日買ったばかりのパジャマを着てみようよ!」と提案。特に断る理由もなかったラウラはシャルロットの提案をあっさり承諾。渡されたパジャマを着た。そこまではいいのだが……。
「これは……なんだ?」
「ん〜♪かわいーっ。ラウラ、すっごく似合うよ!」
「だ、抱きつくな。動きにくいだろう……」
「だ~め。猫っていうのは、膝の上で大人しくしないと」
「お前も猫だろうが……」
そのパジャマというのが、一般的にあまり見ないタイプの物だったため、ラウラはこうして困惑しているのである。
袋状になっている衣服にすっぽりと体を入れ、出ているのは顔だけ。フードには猫耳が付いており、手足の先にはご丁寧に肉球が付いている。要するに……猫の着ぐるみパジャマなのだ。なお、ラウラが黒猫、シャルロットが白猫である。
特にシャルロットはお互いにこれを着てからというもの、ずっとラウラを膝に乗せて後ろから抱き締めている。どうやら相当気に入ったらしい。
「ほら、ラウラ。せっかくだから、にゃーんって言ってみて」
「こ、断る!なぜ私がそんな事をしなくてはならない!」
「え~、だってかわいいよ~。かわいいは全てに優先されるんだよ〜?」
ポワポワと音が聞こえてきそうなハッピースマイルのシャルロットは、ラウラにとっていつも以上の強敵だった。
とにかく、『可愛いからいい』『これを着ないなんてとんでもない』『残念ながら要求は却下されました』という、いつもとは真逆の理屈も根拠も交渉も無い強引なやり取りで、気づけばシャルロットの膝の上に座らされていた。
「ほら、言ってみて。にゃーん♪」
「に、にゃーん……」
恥ずかしがりながらも、一応シャルロットのリクエストに応えるラウラ。それを聞いたシャルロットのテンションはもうMAXだ。
「ラウラ可愛い~っ!写真撮ろうよ!ねっ、ねっ!?」
「記録を残すだとっ!?断固拒否する!」
「そんなこと言わずにさ~」
二人が写真を撮る撮らないで言い合っていると、不意に部屋の扉がノックされた。
「はーい、どうぞ~」
女子寮特有のフランクさで答えたシャルロットは、ラウラを愛でて幸せに緩んだ顔を瞬時に真っ赤にする。同様に、ラウラも顔を真っ赤なする。その理由は−−
「今なら言えるだろう……ここがそう、楽園だ」
「蒼き日々にさよならだね~」
「二人して何言ってんだ?」
来客が九十九と一夏、そして本音だったからだ。なお、本音の格好はシャルロット達同様猫の着ぐるみパジャマ。色は三毛だ。
「あの、えっと、九十九……?なんで急に?」
「さっき本音が部屋にこの格好で来てね。君も色違いを買ったと聞いて見に来た」
そう言う九十九の顔は常にない緩み具合で、シャルロットはその顔を見てある事を思い出す。
(そういえば、九十九って猫派なんだっけ。喜んでくれてるみたいだし、いつもはもっと大人っぽいのを着てる。なんて言わなくていいか)
下手な言い訳はかえって逆効果になりそうだと諦めるシャルロットだった。
一方、一夏はラウラに電話に出られなかった理由とここに来た理由を語った。
IS関係で急用ができて缶詰になっていた事、夕方にかけ直したが繋がらなかったので様子見に来た事をラウラに告げた。
「そうか。うむ。嫁として殊勝な心がけだな。褒めてやろう」
九十九に気を取られたシャルロットの腕から抜け出し、腕組み仁王立ちでそう言うラウラだが、いかんせん猫耳・肉球の黒猫パジャマ姿のため、凄味より可愛らしさが勝っていた。
ちなみにラウラが電話に出なかった理由は「うっかり部屋に置いたままだったから」だった。なんとも締まらない話である。
「ああ、そういえば一夏。土産があるそうだが」
「そうそう、今日ちょっと出かけた時にな」
そう言って一夏が取り出したのは、@マークが大きく描かれたクッキーの包み。それを見たラウラがダラダラと汗を流し始める。
(まさか、見られたのか!?あのフリフリヒラヒラの姿を!)
一夏の言葉は上の空、ラウラは今日のアルバイトの事を思い出し、顔を埋めて暴れたい気分になった。
「@クルーズのクッキーだな。どうしたんだ?それ」
「ああ、店に行ってみたら警察やらマスコミやらいっぱいいて入れなかったんだよ。どうすっかなーって思ってたら、なんかバイタリティありそうな女店長が、事件に巻き込まれた客にクッキー配ってたんだよ」
「なるほど、お前もその内の一人と思われてそれを渡された。と」
「ああ。違うからって言おうとしたんだけど、そん時にはいなくなってた。なんか、本社とか視察とか言いながら走って行ったんだよ。変な話だろ?」
「あ、ああ、そうだな。それで、その事件、とは?」
あるいは同じ@クルーズでも別の場所にある店の話かもしれない。そんなラウラの淡い期待は、しかし実らなかった。
「銀行強盗の立てこもりだってよ。物騒だなー、最近」
「…………」
そんな二人の会話を聞きながら笑いを堪える九十九、本音、シャルロットの三人。だがそろそろ限界が近かった。
「で、なんか取材に答えてる人の話が聞こえたんだけど、なんでももの凄い美少女メイドと美少年執事が事件を解決したらしいぜ。映画とかドラマの世界だよな」
「そ、そうだな」
「しかし、そんなにすごいのなら見てみたかったな」
「「「プッ、ククク」」」
ついに堪えきれずに吹き出してしまう三人。それを訝しんだ一夏が九十九に質問した。
「おい、九十九。さっきからどうしたんだよ?」
「ん?ああ、実はだな……」
「お、おい待て村雲!それは「はーい、ラウラはおとなしくしてようねー」なっ!?シャルロット、お前……」
ーーー村雲九十九説明中ーーー
「って事は……」
「ああ、お前の言う『美少女メイドと美少年執事』はこの二人だ」
そう言って、九十九はラウラとシャルロットを手で示す。
「あはは、なんだか恥ずかしいね」
「うう……」
頬をかくシャルロットとその膝の上で真っ赤になっているラウラ。
「そうだったのか……すごいな二人とも」
「くれぐれも誰かに話すなよ、一夏。二人は代表候補生だ。事が公になるのは拙い」
「おう、分かった」
力強く頷く一夏。それを見て、九十九が一つ手を叩く。
「ならば良し。さて、では茶でも淹れようか。折角だしクッキーを頂こうじゃないか」
言いながら、簡易キッチンに向かう九十九。
「あ、いいよ。僕が用意するから、九十九は座ってて」
「……その手でか?シャル」
「……あ」
九十九にそう言われ、シャルロットが改めて手を見ると、ここにいる女性陣は全員肉球ハンドだった事に気づく。
「一夏。クッキーのフレーバーは?」
「ん?えーと……ココアだな」
「では、ホットミルクにしよう。丁度子猫も三匹いる事だしな」
「あ、うん」
「おまかせしま~す」
「一夏、クッキーの用意を」
「おう」
一夏にも手伝いをさせて、ホットミルクの準備をする九十九。その背に本音が声をかける。
「ね~ね~、つくもん。この服、かわいい〜?」
「ん?ああ、可愛いぞ。何と言っても猫だしな。白と三毛というチョイスもいい。本当に似合っているよ」
「お前、わざとラウラの事言ってないだろ。ラウラも似合ってるぞ」
「てひひ〜。ありがと~、つくもん」
「うん、ありがとう、九十九。そっかあ、似合ってるかぁ、うふふ」
「嫁がそう言うなら……わ、悪くはないな。時々は着るとしよう」
三人が照れくさそうに喜んでいると、それからすぐに九十九がホットミルクを、一夏がクッキーを持って来る。
夏の夜、けれど飲み物はホットミルクで。五人は秘密の茶会を過ごす。
白猫、黒猫、三毛猫が一匹づつと、王子と魔法使いが一人づつのなんとも不思議な茶会だった。
なお、九十九が
次回予告
恋人の家に行く事は、かなりの勇気を必要とする。
ましてそれが予告無しのものならば尚更だ。
たとえ相手が迷惑がったりしない……筈だとしても。
次回「転生者の打算的日常」
#38 騒恋二重奏
えっと……来ちゃった♪