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一夜明け、臨海学校二日目。今日は午前中から夜まで、ひたすらISの各種装備の運用試験とデータ取りを行う。
特に専用機持ちは大量の装備が搬入されているため、その苦労は推して知るべしだ。
「ようやく全員揃ったか。−−おい、遅刻者」
「は、はい!」
千冬さんに呼ばれて身を竦めたのは意外にもボーデヴィッヒ。軍人である彼女にしては珍しく寝坊をしたらしく、彼女は集合時間に5分遅れでやってきた。
「そうだな、ISのコア・ネットワークについて説明してみろ」
「は、はい」
千冬さんの質問に淀みなく答えるボーデヴィッヒ。それによると−−
1.ISのコアはそれぞれが相互情報交換のためのデータ通信ネットワークを持っている。
2.コア・ネットワークは元々宇宙空間における相互位置情報交換のために設けられ、現在は
3.近年の研究で『
4.これらは、コアの製作者である篠ノ之束博士が自己発達の一環として無制限展開を許可したため、現在も進化の途中であり全容は掴めていない。
−−という事らしい。
「さすがに優秀だな。遅刻の件はこれで許してやろう」
そう言われ、安堵の溜息をつくボーデヴィッヒ。千冬さんがドイツで教鞭をとっていた頃に、その恐ろしさをイヤというほど味わったろうからな。
「さて、それでは各班、自分達に振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。全員、迅速に行え」
はーい、と一同が返事をする。一年生全員がずらりと並んでいるため、結構な人数だ。ちなみに現在地はIS試験用ビーチ。
四方を切り立った崖に囲まれたドーム型の空間はまさしくプライベートビーチのそれに近い。なお、海に出る場合には一度水中に潜り水中トンネルを抜けていく必要がある。
何故こんな所でISの運用試験を行うのか?その理由は単純。『情報漏れを限りなくゼロにするため』だ。
どの国も、他国の最新のIS関係情報は喉から手が出る程欲しいものだ。そのため、ありとあらゆる手段を用いてそれを得ようとする。
それを嫌う各国政府や軍、あるいは企業は、その時々の代表候補生の中で、IS学園に行ける年齢でかつ高い実力を持つ子に最新機を専用機として与える。何故か?
それは学園規則の一つに『学園内で得られたISに関するデータは、その一切を本人及び所属軍・企業の許可なく他国に開示しないものとする』というものがあるからだ。
これにより、最新型の機体を安全、かつ(ある意味で)秘密裏に試験稼働させる事が可能となるのである。
その規則を破らないように、破らせないようにするための努力が、このIS試験用ビーチなのだ。
到達の難しい切り立った崖で四方を囲み、直通ルートは水中トンネルのみ。更に周囲を教師部隊がIS装備の上で周回監視している。これでスパイ行為をするような馬鹿な国や企業はまず出ない。出てくるとすれば、ISスーツ姿の美少女を一目見ようとする馬鹿なカメラ小僧位だろう。
『そこ!何してるの!』
「ヤベッ!見つかった!逃げろ!」
……どうやら早速いたようだ。千冬さんが「今の声……またヤツか」と呟いた。毎年来てるの?今の人。
♢
今回の臨海学校の目的は、前述した通りISと新型装備のテストだ。
当然ISの稼働を行うため、全員ISスーツ着用。ロケーションが海辺だからかますます水着に見えるな。
「ああ、篠ノ之。お前はこっちに来い」
「はい」
打鉄用装備を運んでいた箒が、千冬さんに呼ばれてそちらへ向かう。
「お前には今日から専用−−」
「ちーちゃ〜〜ん!」
ずどどどど……!
砂煙を上げ、およそ人間には不可能な速さでこちらに近づいてくる人影。ISをつけている様子はない。
素の身体能力なのか、ISには見えないISを着けているのかは、ここからでは判別不能。だが、一番の問題はその人影というのが……。
「……束」
であるという事。関係者以外立入禁止の規則など知った事かとぶち破り、当代最高頭脳・天才にして天災と謳われる女、篠ノ之束博士は実に堂々と臨海学校に乱入してきた。
「やあやあ!会いたかったよ、ちーちゃん!さあ、ハグハグしよう!愛を確かめ−−ぶへっ」
飛びかかってきた博士を片手で掴んで止める千冬さん。しかも掴んでいるのは顔。思い切り指が食い込んでいる事から、一切の手加減をしていないのが見てわかる。
それにしても、成人女性の飛びつきを腕一本で止め、更にそのまま持ち上げる千冬さんも大概人間辞めていると思うのだが。
「うるさいぞ、束」
「ぐぬぬぬ……相変わらず容赦のないアイアンクローだねっ」
そしてその拘束からあっさりと抜け出す博士もやはり人外と言えるだろう。よっ、と着地をした博士は箒の方へ向き直る。
「やあ!」
「……どうも」
挨拶の温度差がこの二人の関係を端的に物語る。やはり苦手意識が強いようだ。
「えへへ、久しぶりだね。こうして会うのは何年ぶりかなぁ。おっきくなったね箒ちゃん。特におっぱ……」
ゴスッ!
「殴りますよ?」
「な、殴ってから言ったぁ……ひどいよ、箒ちゃん!」
箒の拳骨を受けた頭を押さえ、涙目で訴える博士。その様子をぽかんと眺めるIS学園一年生一同。
はて?原作では日本刀の鞘で殴ってなかったか?……ああそうか。タッグトーナメント終了後の騒動で日本刀の携帯禁止を言い渡されていたんだったか。忘れていた。
「え、えっと、この合宿では関係者以外−−」
「んん?珍妙奇天烈な事を言うね。ISの関係者というなら、一番はこの束さんをおいて他にいないよ?」
「えっ、あ、はいっ。そうですね……」
山田先生、轟沈。しかし普通に考えて、ここで言う『関係者』とは『ISの』ではなく『IS学園の』だと思うのだが……。
〈その辺どうなんだ?一夏〉
個人間秘匿回線で一夏に訊いてみた。
〈束さんには、基本何を言っても無駄だ。好きにさせておくしかない〉
〈了解だ。極力関わらないでおこう〉
下手につついて心を折られたくはないからな。
「おい束。自己紹介くらいしろ。うちの生徒たちが困っている」
「えー、めんどくさいなぁ。私が天才の束さんだよ、はろー。終わり」
言ってその場で一回転。ぽかんとしていた一同も、ここでようやく目の前の人物がISの開発者にして天才科学者・篠ノ之束だと気づいたらしく、女子達がにわかに騒ぎ出した。
「はあ……。もう少しまともにできんのか、お前は。そら一年、手が止まっているぞ。こいつの事は無視してテストを続けろ」
手を叩き、テストの続きを促す千冬さん。まあ、あの人の事は基本無視で構うまい。あちらも私に興味は無いだろうしな。
という訳でテスト再開だ。会社から送られてきたコンテナの前に行くと、妙な事に気付く。
向かって正面、丁度顔が来る位置に謎のボタンがあるのだ。ボタンの下には『押すなよ。押すなよ。絶対押すなよ!』と書かれた鉄製のプレートが付いている。
これは押せという事でいいのか?いや、しかしあの人達の事だから押したら本当にまずい事に……。
ポチッ
好奇心には勝てなかったよ。
『THREE!』
「は?」
ボタンを押した次の瞬間、やけに機械じみた音声が響いた。
『TWO!』
「えっ!?いや、ちょっ!」
しかもカウントダウンしていた。おいまさか本当に!?
『ONE!』
「待っ……」
逃げるのはもう間に合わない。ならば!
「スヴェ……」
『OPEN!』
「ル?」
バシュウッ!と、空気の抜ける音と共にコンテナが開いた。
そこに入っていたのは、『フェンリル』専用パッケージとその仕様説明書。それと『驚いた?ねえ、驚いた?』と書かれた画用紙。それを拾い上げて丸め、万感の思いを込めて力一杯海に投げた。
「馬鹿にしてんのかーっ!」
突然叫んだ私を不思議そうに眺めている女子達を尻目に荒い息をつきつつ思う。
……最近、こんな役回り多いな。何故だろう?
ちなみにその一方で箒の専用機『紅椿』の授与と博士による一夏の専用機『白式』のフラグメントマップ調査。そしてセシリアの心がポキっとねがあったようだ。セシリア、ご愁傷様。
♢
気を取り直し、パッケージの
うちの研究員は性格に難はあるが知識と技術は超一流なので厄介だ。普通ならワンマンオペレーションで量子変換完了に10分など有り得ないぞ。
「よし、量子変換完了。あとは実際に使ってみて感覚を……」
「たっ、た、大変です!お、織斑先生!」
いきなりの山田先生の声。いつも慌てている先生だが、それにしては今回はそれが尋常ではない。これはもしや……。
「どうした?」
「こっ、これを!」
山田先生に向き直った千冬さんが差し出された小型端末を受け取り、画面を見てその表情を曇らせる。
「特命任務レベルA、現時点より対策をはじめられたし……」
「そ、それが、その、ハワイ沖で試験稼働していた−−」
「しっ!機密事項を口にするな。生徒たちに聞こえる」
「すっ、すみませんっ……」
「専用機持ちは?」
「一人欠席していますが、それ以外は」
千冬さんと山田先生が小声でやり取りを始める。しかも、数人の生徒の視線に気づいてか、会話ではなく手話でやり取りを始めた。それも普通の手話ではない。あれは国際連合軍式の暗号手話だ。あれなら大半の生徒は何を話しているのか分からないだろう。と、『フェンリル』に会社から特殊回線で連絡が来た。
〈受諾。村雲九十九です〉
〈ああ九十九君。仁藤だ。今いいかい?〉
連絡してきたのは仁藤社長。
〈はい。問題ありません〉
〈きっとそっちも忙しくなるだろうから簡潔に。ハワイ沖で試験稼働していたアメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型IS『
〈
〈そうだ。おそらくそちらにも政府特命が下るだろう。気をつけたまえ〉
〈了解です。ついては……〉
〈『シルバリオ・ゴスペル』のデータだろう?もう送っておいたよ〉
確認すると、『フェンリル』のデータベースに新しいフォルダがあった。
〈ありがとうございます。以上、通信終了〉
〈武運を祈るよ。通信終了〉
「全員注目!」
通信を終わらせると同時、千冬さんが手を叩いて生徒全員を振り向かせる。山田先生は旅館の方へ去っていった。他の先生へ連絡に行ったのだろう。
「現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動へと移る。今日のテスト稼働は中止。各班、ISを片付けて旅館へ戻れ。連絡があるまで各自室内待機すること。以上だ!」
不測の事態に女子一同が騒がしくなる。「中止って……なんで?」「状況が分かんないんだけど……」と口々に言い合うが、それを千冬さんが一喝して収める。
「とっとと戻れ!以後、許可なく室外に出た者は我々で身柄を拘束する!いいな!」
「「「は、はいっ!」」」
全員が慌てて行動を開始する。接続していたテスト装備を解除、ISを起動終了させてカートに載せる。その姿は、今までに見た事のない千冬さんの怒りの形相に怯えているようでもあった。
「専用機持ちは全員集合!織斑、村雲、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰!−−それと、篠ノ之も来い」
「はい!」
やけに気合の入った返事をしたのは、専用IS『紅椿』を受領したばかりの箒だった。その目は爛々と輝き、総身にやる気が満ちている。
あれは初めて『フェンリル』を纏った時の私と同じだ。初めて感じる強烈な全能感に昂揚している状態だ。だからこそ……。
「下手を打ってしまうのだったな……」
「なにか言った?九十九」
ポツリと呟いた言葉をシャルロットに聞かれたようだ。
「何でもない」と誤魔化し、先を歩く千冬さんと一年専用機持ちの後を追った。
銀の福音襲来まで−−あと1時間。
ついに一学期最大の事件が幕を開けた。
作戦に参加するための手段はすでに得た。あとはそれを進言して、千冬さんが許可するかどうかだ。
こればかりは私にはどうしようもなかった。
次回予告
鳴り響く福音の鐘。もたらされる破壊の嵐。
白き騎士と灰の狼は嵐に呑まれ倒れ伏す。
その時、少女たちの選択は……。
次回「転生者の打算的日常」
#30 二日目(墜落)
どうしたんだよ、箒。らしくないぜ。