転生者の打算的日常   作:名無しの読み専

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#28 一日目(夜)

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、現在19時。大部屋を三つぶち抜いて作られた大宴会場にて、私達IS学園一年生一同は夕食に舌鼓を打っていた。

「うむ、美味い。昼も夜も刺身が出るとは、なんとも豪勢な話だ」

「そうだね~」

「ほんと、IS学園って羽振りがいいよ」

 言って頷くのは両隣の本音さんとシャルロット。ちなみに全員浴衣着用だ。

 というのも、この旅館では『食事中は浴衣着用』がルールだからだ。普通は浴衣禁止だと思うのだが、変わった旅館もあったものだ。

 ズラリと並んだ一年生生徒は座敷のため当然正座。そして一人一人の前に膳が置かれている。

 メニューは刺身と小鍋、山菜の和え物二種、赤だしの味噌汁に香の物。これだけ書けばごくありふれた海辺の旅館の夕食だがさにあらず。刺身はなんとカワハギ。しかもご丁寧に肝刺しまで付いている。

 独特の歯応えと癖のない味わいが舌を楽しませてくれる。肝刺しは臭みも苦味もなく、濃厚だがしつこくない実に深い味だ。近年では高級魚と言われているカワハギだが、これなら納得だ。

「実に美味い。しかもこのワサビ、本ワサビではないか。高校生の食事ではないぞこれは」

「本ワサビ?」

 首を傾げるシャルロット。どうやら良く分かっていないようだ。

「ああ、シャルロットは知らないのか。本物のワサビを摺り下ろした物を本ワサビと言うのだ」

「学園の刺身定食に付いてるのは?」

「あれは練りワサビ。ワサビダイコンやセイヨウワサビを原料に、着色や合成をして見た目や色を似せた物だ」

「お〜。つくもんくわし〜」

「ふぅん。じゃあこれが本当のワサビなんだ?」

「そうだ。だが練りワサビも最近は良く出来た物もある。店によっては本ワサビと練りワサビを混ぜて出している所もある程だ」

「そうなんだ。あー「待て」ん?」

 ワサビの山を箸にとり、そのまま口に入れようとするシャルロットを寸前で手と声で制す。

「ワサビはそれ単体で食べる物ではない。こうして軽く取って、刺身と一緒に食べるんだ」

 そう言って、シャルロットに手本を見せる。それに倣ってシャルロットが刺身を一口。

「んっ、ツンとくるけど、風味があって美味しいね」

「それは良かっ「っ〜〜!?」ん?」

 誰かの悶える声が聞こえたのでそちらを見ると、一夏の右側にいるボーデヴィッヒが鼻を押さえて涙目で一夏を睨んでいた。どうやらワサビを山で食べたらしい。

「見たまえシャルロット。私が止めねば、君がああなっていた」

「うわぁ……大丈夫かな?ラウラ」

「心配はいらない。ワサビの辛味成分は揮発性だ。唐辛子や胡椒と違い、長続きはしない」

 しばらくすると、辛味が治まったのか何事も無かったように食事を再開するボーデヴィッヒ。

「と、まあ見ての通りだ」

「ほんとだ」

 ホッとした様子のシャルロット。その姿は、さながら妹を見守る姉のようだった。

 そんな事を考えながらふと一夏の左側を見ると、正座に慣れないのか時折呻き声を上げながら何とか食事をしようとしているセシリアがいた。

「無理をせずにテーブル席に行けばいいものを」

 イギリスをはじめとして、西欧諸国には床に両膝を折って座るという座り方、いわゆる正座の習慣はない。

 そのため、そういった『正座の出来ない生徒』のために学園はこの宴会場の隣の部屋にテーブル席を用意した。

 利用者は各々膳から盆を分離して持って行けばいいようになっている。事実、一組からも数名テーブル席を利用している。恥ずかしくはないと思うが?

「分かってて言ってるでしょ?」

 こちらにジト目を向けて呟くシャルロット。バレていたか。

「まあな。せっかく手にした『権利』だ。手放すという選択肢は無いだろうさ」

 一夏の両隣、つまり入室時の前後を巡っては水面下での争いがあった。その勝者がセシリアでありボーデヴィッヒなのだ。

 必死に手にした最高の席を『正座が辛いから』という理由で離れるなど、セシリア的に有り得ないのだ。

 と、ここでなかなか食事の進まないセシリアを見かねた一夏がセシリアの食事の世話をしようとした。

 セシリアに『あーん』をしようとした次の瞬間、他の女子に気づかれた一夏の周りはあれよあれよという間に『あーん』待ちをする女子達で溢れかえった。が、そんな事をすれば当然あの人の怒りの琴線に触れる事になるわけで。

「お前たちは静かに食事をする事ができんのか」

 最終地獄(ジュデッカ)から響く絶対零度の声に場の全員が凍りつく。織斑千冬、お冠。

「どうにも体力があり余っているようだな。よかろう。それでは今から砂浜をランニングしてこい。距離は……そうだな。50㎞もあれば十分だろう」

「いえいえいえ!とんでもないです!大人しく食事をします!」

 言って慌てて各自の席に戻る女子達。それを確認し、一夏に目を向ける千冬さん。

 口を開いて曰く「鎮めるのが面倒だから騒動を起こすな」との事。まあ、人前で『あーん』なぞするからそうなるのだ。

 溜息をつき、食事を再開しようとした所で両隣から視線。目を向けると……。

「「あーん」」

「……いや、やらんよ?」

 口を開けて待っている本音さんとシャルロットに呆れつつも拒否を告げる。

「「む~〜」」

 その瞬間、不機嫌そうなむくれ顔になる二人。

「そんな顔をしても駄目だ。それとも織斑先生の言う通りにするかね?」

「うっ……そ、それは……嫌かな」

「わたしも~」

「当然私も勘弁だ。大人しく食事をしよう、二人とも」

「「は~い……」」

 若干気落ちしたような返事に罪悪感が湧いたが、ここで下手に『はい、あーん』なぞしようものなら確実に一夏の二の舞。

 今度はランニングを強制されることになるだろうから、今は余計な騒ぎを起こすべきではない。

 

 あらためて食事を再開。小鍋の中に箸を伸ばす。しっかりとした旨味とさっぱりとした後味が実に良い。

 山菜の和え物も箸休めに丁度良い薄味でますます箸が進む。

 気づけば全ての料理を残らず平らげ、すっかり満腹になっていた。

 

 

「ふう。いい湯だった」

 露天風呂を堪能し、部屋へ戻る途中でセシリアに出くわした。何やらヨレヨレでどことなく憔悴した様子だ。

「うう……ひどい目に会いましたわ」

「やあ、セシリア。この先は私達の部屋だが、何か用かね?あと、何故ヨレヨレなんだ?」

 声をかけられてようやく私に気付いたのか、こちらに驚きの目を向けるセシリア。が、すぐに気を取り直して自分がこうなった原因を語った。

 

 セシリアによると、夕食の時の『あーん』がご破算となって不機嫌になっている所に一夏から部屋への誘いがあった。

 一気に機嫌を良くしたセシリアが色々と『戦闘準備』を整えて部屋から出ようとした矢先、いつもと下着や香水が違う事を同室の本音さんに気付かれてしまい……。

「同室の他の女子にもみくちゃにされた。と」

「はい……」

 本音さんは普段眠たげな半開きの目をしているが、実は洞察力に優れている。

 その本音さんの前でいつもと違う事をすれば、彼女はすぐに気付いて「ど~したの~?」と声をかけてくる事請け合いだ。

「下着がどう違うのかは聞かない事にするが、確かに香水が違う。これは……レリエルNo.6か」

「わかりますの?」

「ああ、私のISの師匠が使っているのでな」

 

 レリエルNo.6。イギリスの名門香水ブランド『レリエル』が開発した、英国王室御用達の最高級香水。年間生産本数僅か100本の、希少価値の極めて高い一品だ。一般庶民には到底手が出ない品で、一説では「一振り10万はする」らしい。

 

「そんな特一級の貴重品をどうやって?」

「実家がレリエル社と懇意にしていまして」

「なるほどな」

 普段が普段なので皆忘れがちだが、セシリアは、と言うよりオルコット家はイギリス国内でも有数の名門貴族だ。

 当然、その資産や人脈は半端ではない。何せ両親の死後、親戚一同がセシリアからあの手この手で奪おうとするくらいなのだから。

「まあ、それはいい。セシリア」

「はい?」

「一夏が君を部屋に招いた理由だが、それは恐らく……何をしている?箒、鈴」

 話をしつつ歩く事暫し。私とセシリアは、一夏の部屋のドアに女子二人が張り付いている。という珍妙な光景に出くわした。

 ドアに張り付いているのは、一夏ラヴァーズ主席・篠ノ之箒と次席・凰鈴音。ちなみに席次は私の独断と偏見で決めている。

「あの……お二人とも一体そこで何を「しっ!!」むぐっ!?」

 何をしているのか訊こうとしたセシリアの口を鈴が塞ぐ。一体何事かと三人に近づくと、ドア越しに声が聞こえてきた。

『千冬姉、久し振りだからちょっと緊張してる?』

『そんな訳あるか、馬鹿者。−−んっ!す、少しは加減しろ……』

『はいはい。んじゃあ、ここは……と』

『くあっ!そ、そこは……やめっ、つうっ!!』

『すぐに良くなるって。だいぶ溜まってるみたいだし、ね』

『あぁぁっ!』

 解釈次第では姉弟で『夜の寝技特訓』をしているようにも聞こえる会話。しかしこれは間違いなく一夏お得意の『アレ』をしているのだろう。『アレ』をされている時の千冬さんは、やけに艶っぽい声を出すのだ。

 織斑家に泊まりがけで遊びに行った時に初めて聞いて、原作でそんなシーンがあった事も忘れて『まさかあの二人!?』と思ったのは懐かしい思い出だ。とは言え、そんな事を目の前の三人が知るはずもなく。

「こ、こ、これは。一体、何ですの……?」

 引きつった笑みを浮かべて尋ねるセシリア。しかし、二人から返ってきたのは沈黙という名の回答のみ。箒も鈴も沈んだ表情をしている。その様は、さながら通夜であった。

 ここで私の中の悪戯心がザワリと湧いた。きっと今の私は悪い笑みを浮かべているだろうな。

「そう言えばセシリア。君は確か、一夏の部屋に呼ばれたのだったね?」

「「えっ!?」」

「つ、九十九さんっ!?」

 反射的にセシリアの方を向く箒と鈴と私の方を向くセシリア。まさに神速の振り向き。三人の顔がドアから離れたのとほぼ同時に。

 

バンッ!

 

「「「あだっ!!」」」

 後頭部を突然開いたドアに殴られた。その瞬間漏れた声は、およそ10代女子にはそぐわぬものだった。現れたのは千冬さん。

 見つかった事に慌てた三人が、脱兎の如く逃走……しようとして瞬時に捕まった。箒と鈴は首根っこを掴まれ、セシリアは浴衣の裾を踏まれて即終了。私はそもそも何も悪い事はしていないので普通に話しかけた。

「こんばんは、織斑先生。どうです?久し振りに一夏にして貰った感想は?」

『何聞いてんのこいつ!?』と言う顔をする三人。千冬さんも私の意図に気付いたのか、ニヤリと笑って答えた。

「そうだな。腕が落ちていなくて安心したと言った所か」

「相変わらず手厳しい。褒めてもバチは当たりませんよ?一夏の技術は一級品です。母さんに言わせれば、その道で食っていく事も可能だそうですよ」

「ああ、そう言えば八雲さんも一夏にして貰った事があったか」

「ええ。そのせいか父さんでは物足りなくなったとぼやいてました」

『何してんのあいつ!?』みたいな顔をする三人。何だか楽しくなってきた。

「あいつも罪作りな男だ」

「ええ、まったく。そういえば、一夏がセシリアを呼んだ事は?」

「知っている。ついでだ篠ノ之、凰。他の三人……デュノア、布仏、ボーデヴィッヒも呼んでこい」

「「は、はいっ!」」

 首根っこを離された箒と鈴は返事をするが早いか一目散に生徒寝室の方へ駆けて行く。その顔は何を想像したのか真っ赤だった。

「では、私はこれで。セシリア、全て一夏に任せればいい。なに、大丈夫だ。最初は痛いかも知れないがすぐによくなる。心配はいらない」

「えっ、でも……その……」

「怖がらなくていい。私もやって貰った事があるしな」

「ええっ!?」

 なにやらひどく驚くセシリア。私と一夏の『ベーコンレタス』とか考えていそうなので、そろそろタネ明かしといこうか。

「そんなに意外かね?私が一夏にマッサージをして貰うのが」

「……はい?」

 私の言葉にピシリと凍りつき、錆び付いたかのようにゆっくりとこちらに顔を向けるセシリア。

「マッサージ……?」

「そうだが?まさか妙な勘違いをしていたなんて事はないだろうね?」

 俯き、体を震わせるセシリア。これは爆発寸前か?

「つ、つまり九十九さんは全て分かっていた上でわたくしをからかっていた。と……?」

「当然」

「〜〜ッ!!九十九さん!!」

 ガバッと顔を上げるセシリア。その顔は羞恥と怒りで真っ赤に染まっている。

「おっと、怖い怖い。ここは退散するとしよう。では先生、また明日」

 言って足早に自分の部屋のドアを開けて中へ入……れなかった。

「なっ⁉ロックされている!?」

 ドアは完全に閉まっていた。鍵を持っているのは山田先生だが、その先生はドアを動かす音がしたのに出てくる様子がない。

「ああ、言い忘れていた。山田君の入浴は非常に長い。今頃はまだ大浴場で入浴中だろう」

「神は死んだ!」

 天を仰いだ次の瞬間、肩を掴まれた。振り向けばそこに壮絶な笑みを浮かべたセシリアがいた。

「慈悲は……?」

「ありませんわ」

怒れる英国淑女(大魔王)からは逃げられない。そういう事だ。

「アッーーー!」

 

 

 箒と鈴がシャルロット、本音、ラウラの三人を伴って一夏と千冬の部屋の前に来た時、ドアの横に誰かがいる事に気づいた。

 ロープで縛られて無理矢理正座の姿勢を取らされた上、首から「私は純真な乙女心をもてあそびました」と書かれた段ボール製のプレートを提げた……。

「山田先生はまだかなぁ?床の上に直に正座とか、地味にきついんだがなぁ」

 と、いつに無く弱々しく呟く一人の男。

 箒と鈴にとって幼馴染にして最大の理解者であると同時にある意味最大の敵、本音とシャルロットにとって淡い想いを寄せる相手である九十九だった。

「「九十九(つくもん)!?どうしたのそのカッコ!?」」

「ああ、君達か。いや、実はな……」

 

 

ーーー村雲九十九説明中ーーー

 

「……という事があってね。結果このザマだ」

「つまり、千冬さんはマッサージを受けてただけで……」

「私達が勝手に変な勘違いをしていただけだ……と?」

「そういう事だ」

「で、貴様は始めから全てわかっていて……」

「その上でセシリアをからかった……と」

「そうなるな」

 一旦話に区切りがつくと、五人が円陣を組んでなにやら話し出した。小声なので全く聞こえない。一体何を話しているんだ?

「「「判決。有罪(ギルティ)」」」

「何故そうなるっ!?」

 突然の有罪判決に思わず叫ぶ。

「当たり前だ」

「全部分かってて言わないとか最低じゃない」

「人をからかうにも程があるぞ貴様」

「ゴメンね。弁護できないや」

「全会一致で有罪だよ~」

 五人五様の言い分に今回も味方はいない事を理解する。

 結局、五人は私をそのままにして千冬さんと一夏の部屋に入って行った。まだしばらくこのままか……辛いな。

 

 

 ノックをし、千冬の「入れ」の声に促されて部屋に入った五人が最初に目にしたのは、セシリアの尻を無遠慮に掴む千冬と、浴衣が捲くれて無駄に豪奢な『脱がされる事を前提にした設計の下着』がほぼ丸見えのセシリア。そして顔を赤くして視線を逸している一夏の姿だった。

「来たか。一夏、マッサージはもういいだろう。全員好きな所に座れ」

 目の前で展開されていた光景に付いて行けずポカンとする五人だったが、千冬の手招きを受けて各々好きな場所(ベッドかチェアの二択)へ座った。

 直前の様子から、九十九の言っていた通りただのマッサージだったと確信した一夏ラヴァーズは安堵のため息をついた。やはり一夏は一夏だったと。

「一夏、もう一度風呂へ行ってこい。部屋を汗臭くされては困る」

「ん、そうする」

 千冬の言葉に頷いた一夏は、タオルと着替えを持って部屋を出た。一言「寛いでってくれ。って、まあ難しいかもだけど」と言い残して。

 ちなみに、温泉に思いを巡らせていたのか九十九には気づかなかったようだ。ドアの向こうから「おのれ一夏、友達甲斐の無い奴め……」という怨嗟の篭った声が聞こえた。

 

 とはいえ、実際問題どうすればいいのか分からない女子六人は、部屋に入って座った姿勢のまま止まってしまっていた。

「おいおい。葬式か通夜か?いつもの馬鹿騒ぎはどうした」

 そう言われても、千冬と向かい合って話すなんて初めての箒達。勝手が分からず狼狽えていると、千冬が部屋に備え付けられている冷蔵庫から清涼飲料水を六人分取り出して手渡す。千冬の奢りだそうだ。

「「「い、いただきます」」」

 全員が同じ言葉を口にし、飲み物に口をつける。女子の喉がゴクリと動いたのを見て、千冬がニヤリと笑った。

「飲んだな?」

「は、はい?」

「そりゃ、飲みましたけど……」

「何か入っていましたの!?」

「ううん。違うよ~」

「多分だけど軽い口封じ。ですよね、織斑先生」

「いい読みだ。奴の近くにいるだけの事はある」

 そう言って千冬が新たに冷蔵庫から取り出したのは星のマークの缶ビール。

 プシュッ!といい音を立てて飛沫と泡が飛ぶ。それを唇で受け取り、そのまま千冬は一息に中身を飲み干した。

「………………」

 ほぼ全員が唖然とする中、千冬は上機嫌でベッドに腰掛ける。

「本当なら一夏に一品作らせる所なんだが……それは我慢するか」

 いつもの規則と規律に厳しく、常時全面警戒態勢の『織斑先生』と目の前の人物が一致しない女子達は、またしてもポカンとしている。特にラウラは、さっきからしきりに瞬きを繰り返していて、目の前の光景が信じられないでいるようだった。

「おかしな顔をするなよ。私だって人間だ。酒くらい飲むさ。それともなにか?私は機械油を飲む物体に見えるのか?」

「いえ、そういうわけでは……」

「ないですけど……今って、その……」

「仕事中なのでは?」

 ラウラのポカンと開いた口からは何も言葉が出てこない。代わりに、ブラックコーヒーをゴクリと飲み下す。

「堅い事を言うな。それに、デュノアの言う通り口止め料は払ったぞ」

 言って、全員の手元を流し見る千冬。そこでやっと先に気づいた二人以外の全員が飲物の意味に気づいて「あっ」と声を漏らした。

「さて、前座はこれくらいでいいだろう。そろそろ肝心な話をするか」

 二本目のビールをラウラに言って取らせ、またいい音を響かせて千冬が続ける。

「お前達、あいつ等のどこがいいんだ?」

 千冬は『あいつ等』と濁したが、全員が誰と誰を指しているのか瞬時に理解する。−−織斑一夏と村雲九十九の二人しかいない。どちらの事かはそれぞれ違うが。

「私は別に……以前より腕が落ちているのが腹立たしいだけです」

 と、ラムネを傾けつつ箒。

「あたしは腐れ縁なだけだし……」

 スポーツドリンクの縁をなぞりつつ、もごもごと言う鈴。

「わたくしはクラス代表としてしっかりして欲しいだけです」

 先程の行動(尻掴み)への反発か、ツンとした態度で答えるセシリア。

「ふむ、そうか。ではそう一夏に伝えておこう」

 しれっとそんな事を言う千冬に、ギョッとした三人は一斉に詰め寄った。

「「「言わなくていいです!」」」

「はっはっはっ。で、お前は?ボーデヴィッヒ」

 その様を快活な笑い声で一蹴した千冬が、さっきから一言も発しないラウラに話を振った。どうもその事自体には警戒していなかったらしく、ラウラはビクリと身を竦ませながらも言葉を紡ぎ始めた。

「つ、強い所でしょうか……」

「いや、弱いだろ」

 にべもないとはこの事。なんでもないように言う千冬に、珍しくラウラが食ってかかる。

「強いです。少なくとも私よりも」

 そうかねぇ……と呟きながら、千冬は二本目のビールを空けた。

「まあ強いかは別としてだ。あいつは役に立つぞ。家事も料理も中々だし、マッサージだって上手い。そうだろう?オルコット」

 話を振られたセシリアは、赤い顔をして俯き、頷いた。

「という訳で、付き合える女は得だな。どうだ、欲しいか?」

「「「えっ!?くれるんですか!?」」」

 顔を上げ、期待に満ちた目を向ける一夏ラヴァーズ。千冬の回答は……。

「やるかバカ」

 ええ〜……と心の中でツッコむ一夏ラヴァーズ。それに千冬はこう続けた。

「女なら、奪うくらいの気持ちで行かなくてどうする。自分を磨けよ、ガキ共」

 そう言いながら三本目のビールを口にする千冬の表情は実に楽しげだった。

 

「ああ、聞き忘れる所だった。お前達はどうだ?デュノア、布仏」

 ふと思い出したかのようにシャルロットと本音に話をふる千冬。完全に気を抜いていた所に突然話しかけられた二人は、思わず飛び上がるほど驚いてしまった。しかしすぐに気を取り直すと、シャルロットから話し出す。

「僕−−私は、優しい所、です」

 小さな声だが、その言葉には真摯な響きがあった。

「ほう。だがあいつの優しさはわかりにくい上に、究極的には自分のためだぞ」

「そうですね。でも、それが彼ですから」

 ニコリと笑みを浮かべるシャルロット。その様子がなんだか悔しくも羨ましい一夏ラヴァーズは、押し黙ってじーっとシャルロットを見つめた。

「わたしは気がついたら好きになってました〜」

 あっけらかんと答える本音。あまりにもあっさりと「好き」と口にする本音がなんだか眩しくて、一夏ラヴァーズは思わず目を逸してしまう。

「そうか。気がつけば……か」

「はい〜」

 ビールを傾けつつ、本音を見る千冬。嬉しそうな笑顔の彼女の頬は、かすかに赤く染まっていた。

「私はあいつの事でとやかく言うつもりはない。取り合うなり、分け合うなり好きにしろ」

「「はい!」」

 二人の元気の良い返事に、千冬は眩しい物でも見るかのように目を細めた。

 

 

 聞きたい事を聞き終え、千冬が六人を帰そうとした時、外から二人の男の声が聞こえてきた。

『ふう、いい湯だった……って、うおっ!?九十九!?おい、大丈夫か!今助ける!』

『おお一夏。助けてくれるのは嬉しいが、できれば風呂に行く前に気付いて……って、いだだだだっ!』

『あれ?おかしいな?ここを解けば……よし、緩んだ』

『のはいいが、代わりに別の所が締まって……ぐわあああっっ!!』

「…………」

 聞こえてきたのは、何とかして九十九を縛っているロープを解こうとする一夏と、かえって余計に締まりがきつくなり苦悶の叫びを上げる九十九の声だった。

「九十九はまだあのままだったのか?」

「みたいですわね……」

「もう一時間近く経ってるわよね?」

 話している間にも事態は進む。

『こうなったら縄を切って……』

『って待て待て!《雪片》を出そうとするな!私ごと斬る気か!』

『いやでも他に手がないぜ?』

『あるだろうが!厨房からハサミを借りてくるとか!』

『はあ、いいお湯でした。あれ?織斑君、村雲君、どうしたんで……えぇっ!?村雲君!?どうしたんですか!?』

『ああ、山田先生。実はかくかくしかじか』

『なるほど、それは村雲君が悪いです。もうしばらくそうして……』

『もう一時間近くこうしてるんですが……』

『えっ?そうなんですか?それじゃあ……これは、ここをこうして……』

『おお!解けた!ありがとうございます!山田先生!はあ……まったく酷い目に……って、あ、足が!?』

『む、村雲君!?』

 

ドターンッ!

 

 何かが床に倒れ込むような音が響いた。何事かと六人が部屋の外に出た時目にしたのは、真耶を押し倒し、その胸に顔を埋めている(ように見える)体勢の九十九だった。

 

「「九十九(つくもん)説明」」

「あっ、はい」

 本音さんとシャルロットの冷たい声に素早く飛び起き、足の痺れに顔を顰めつつ山田先生から距離を取る。

「何故ああなっていたかと言うと、足が痺れて立ち上がり損ね、倒れた先に山田先生がいた結果だ」

 私の説明に溜息をつくシャルロット。が、すぐにその目が険しくなる。

「ドアの向こうから聞こえてきた会話から大体そうだとは思ったけど……」

「わたしたちが出てくるまで少しあったよね〜。それじゃ〜……」

「「なんで離れてなかったの?」」

 二人の言葉にギクリとする。なぜすぐ離れなかったのか?その理由は、足の痺れもあったがそれ以上に……。

「「感想は?」」

「……柔らかかったです。とても」

「「判決、有罪」」

 二度目の有罪判決。しかし、今回は仕方がないと諦めた。私が悪いと分かっているからだ。

 

「それでは先生、おやすみなさい」

「は、はい。おやすみなさい。でも村雲君、本当にいいんですか?そのままで」

 ようやく部屋に戻り、あとは寝るだけ。私は既にベッドに倒れ込んでいる。

 もっとも、その姿は数日前ボーデヴィッヒにしたものと同じ『簀巻状態』だ。山田先生が心配そうな顔を向けてくる。

「いいんです。これは私の罪の証ですから。あ、朝には解いて下さいね」

「あ、はい」

 山田先生にそう告げて目を瞑る。少し暑苦しいが、眠れないという事はなさそうだ。

 

 

 こうして一日目の夜は更けていった。

「むしろ私の方が眠れませんよぅ……」

 山田先生が弱弱しく呟いた。緊張する必要は無いのでは?私はこんな恰好なんだし。




次回予告

篠ノ之束。言わずとしれた天才にして天災。
彼女が人前に姿を見せる時。
それは往々にして大きな騒動の始まりだ。

次回「転生者の打算的日常」
#29 二日目(襲来)

やはりこうなるか。厄介な……。

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