♢
「海っ!見えたあっ!」
県境の長いトンネルを抜けると、そこは海岸だった。テンションの上がった女子達がバスの中で嬌声を上げる。
臨海学校初日、天候は快晴。陽光を受けて輝く海面は実に穏やかで、心地良さそうな潮風を受けてゆったりと揺れている。
「おー。やっぱり海を見るとテンション上がるなぁ」
「そうか。私はこの針のむしろからようやく解放される事にホッとしているがな」
隣の席は一夏だった。これは千冬さんの「男二人で並んでおけば面倒な事にならんからな」という至極もっともな一言で決まったものだ。ちなみに私が通路側。
おかげで移動中ずっと非難めいた視線が通路を挟んだ向かいと斜め後ろから飛んでくるため、目的地到着まで寝ているつもりが全く眠れなかった。視線の主達に言いたい、私は悪くないと。
「つくもん、一緒にあそぼ〜ね~」
「あ、僕も一緒していいかな?」
「ああ、構わんよ」
前後の席から身を乗り出して話し掛けてくる本音さんとシャルロットに軽く返す。
「そろそろ目的地に着く。全員ちゃんと席に座れ」
千冬さんの言葉に全員がさっと従う。おそるべき指導能力である。
ほどなくして、バスが目的地である旅館へ到着。4台のバスから生徒達が降りてきて整列する。
「ここが今日から3日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の仕事を増やさないよう注意しろ」
「「「よろしくお願いしまーす」」」
千冬さんの言葉の後、全員で挨拶をする。この旅館は毎年世話になっているらしく、着物姿の女将が丁寧にお辞儀を返してきた。
「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね」
年の頃は30代後半から40代前半。しっかりとした大人の雰囲気を漂わせた女性だ。仕事柄笑顔が絶えないからだろう、その容姿は女将という立場とは裏腹に若々しく見えた。
「あら、そちらが噂の……?」
ふと、私達の方を見た女将が千冬さんに尋ねる。
「ええ、まあ。今年は二人男子がいるせいで浴場分けが難しくなってしまって申し訳ありません」
「いえいえ、そんな。それにいい男の子達じゃありませんか。しっかりしてそうな感じを受けますよ」
「感じがするだけですよ。挨拶をしろ、馬鹿者共」
千冬さんが私と一夏の頭を押さえ、無理無理下げさせる。今しようとしていたのだが。
「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」
「村雲九十九と申します。どうぞよろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも。
女将はそう言ってまた丁寧なお辞儀をする。先程と同じ気品のある動きに、大人の女性に耐性の低い一夏は緊張しているようだ。
「不出来の弟と弟分でご迷惑をおかけします」
「あらあら。織斑先生ったら、弟さん達には随分厳しんですね」
「いつも手を焼かされてますので」
それ程でもないでしょうよ。と言いたかったが、一部は事実のため否定が出来なかった。
特に一夏は「早く千冬姉に迷惑をかけない大人になりたいものだ」と思っているだろう。そんな顔をしているし。
「それじゃあ皆さん、お部屋の方へどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますから、そちらをご利用なさってくださいな。場所が分からなければいつでも従業員に聞いてくださいまし」
女子一同は、はーいと返事をするとすぐさま旅館の中へ入って行った。まずは荷物を置いてから、という事だろう。
なお、臨海学校初日は終日自由時間。食事は旅館の食堂で各自とるようにと言われている。
「ね~ね~、つくもん」
本音さんがこちらに向かってトテトテと歩いて(本人的には走って)やって来た。
「何かな?本音さん」
「つくもんのお部屋ってどこ〜?一覧に書いてなかったんだ〜。遊びに行くから教えて〜?」
その言葉に一部の女子が聞き耳を立てるのがわかった。
「残念だが私も知らない。しかし予想はつく。私の部屋は……」
「部屋は~?」
ゴクリ、息を飲む音がどこかから聞こえた。視線が十分集まった所で口を開く。
「織斑先生か山田先生、もしくはその両方と同じ部屋ではないかと思う。一夏も同様だ」
ピシリ……
音にすればそんな感じに空気が凍る。
それはそうだろう。私や一夏の部屋に遊びに行くという事は、千冬さんか山田先生、もしくはその両方が居る部屋に行くのと同じ意味になるからだ。誰も好き好んで虎穴に入りたくはない。
近くにいた別のクラスの女子が、声を震わせながら訊いてきた。
「ど、どうしてそう思うの?」
「私と一夏が同室、あるいはそれぞれ個室を貰った場合……」
「消灯時間を無視した馬鹿者共が織斑・村雲両名の部屋に大挙しかねん。それを見越しての措置だ」
後ろからやって来た千冬さんが私の言葉に続く形で理由を述べる。それに何人かの女子が「うっ!」と反応。やはりそんな事を考えている子がいたか。
「織斑、村雲。付いてこい」
「「はい」」
千冬さんに促されて後を付いて行く。到着した部屋は、ドアにデカデカと『教員室』と書いた紙の貼ってある部屋だった。
「やはりここなんですね」
「ああ。理由は先程言った通りだ。織斑は私と、村雲は山田先生と同室となる。村雲、お前の部屋はこの隣だ」
「了解です。一夏、また後で」
「おう、後でな」
挨拶をかわし、隣の部屋へ移動する。一応ノックをしてみたが反応はなし。だが鍵は開いているようなので入室。
中は二人部屋とは思えぬほど広々とした間取りで、外側の壁が一面窓になっている。
そこからは海が見渡せるようになっており、素晴らしい景色を一望できる。東向きの部屋だから、日の出の美しさは格別だろう。
「凄いな、これは」
その他バス、トイレはセパレート。洗面所も専用の個室となっている。浴槽は広く、男の私が足を伸ばして入れる程大きかった。
「言い忘れていた」
「うおっ!?」
突然千冬さんに後ろから声をかけられ、思わずビクリとしてしまう。
「一応、大浴場も使えるが男のお前と織斑は時間交代だ」
千冬さんの言葉の意味を考えて、その理由に思い当たる。
「本来、この旅館の大浴場は男女別。しかし一学年全員が入ろうとすればそんな事も言っていられない。私達のために残りの全員が窮屈な思いをするのはおかしな話。という事ですね?」
「そうだ。よって一部の時間のみ使用可能だ。深夜、早朝に入りたければ部屋の方を使え」
「了解です。千冬さ……」
「一応言っておく。あくまで私は教員だという事を忘れるな」
「……はい、織斑先生」
二人きりだというのに職務に忠実な事だ。千冬さんらしいと言えばらしいが。
「さて、今日は一日自由時間だ。荷物は置いたな?では好きにしろ」
「織斑先生はどうされるので?」
「私は他の先生との連絡なり確認なり色々とある。しかしまあ−−」
軽く咳払いをする千冬さん。
「軽く泳ぐくらいはしよう。どこかの弟が選んだ水着もあるしな」
「そうですか……はて?一夏は一人で水着を買いに行ったのでは?」
「出先で鉢合わせた」
「そうでしたか。では、行って来ます」
「おう」
荷物の中から水着とタオル、着替えを入れたバッグを取り出してドアへ向かう。ノブに手をかけようとした所で、そのドアがいきなり開いた。
「織斑先生、こちらでし……えっ!?村雲くん!?」
ドアを開けたのは山田先生。ドアを開けた先に私がいた事に驚いているようだ。
「山田先生、この部屋割りはあなたの提案だったと思ったが?」
「は、はいぃっ。そうです、はいっ。ごめんなさい!」
千冬さんの視線を受けた山田先生は、蛇に睨まれた蛙状態に。哀れな……。
「あー、では私はこれで」
「ああ、どこへでも遊びに行ってこい」
山田先生には悪いが、私にはどうしようもないのでそそくさとその場を後にした。
本音さんとの約束もある。海へ繰り出すとしよう。
♢
「あ、つくもん。これからお着替え〜?一緒にいこ〜?」
「ああ、構わんよ」
更衣室に向かう途中、本音さんとバッタリと会ったため、一緒に別館に向かう事に。
「よ~し、れっつご〜」
本音さんはそう言うと私の右腕に抱きついた。本音さんの『グレネード』が私の腕に当たり、その形を思い切り歪める。
「本音さん?その……当たってるのだが」
「あててるんだよ〜」
まさかの『当ててんのよ』だった。この様子を誰かに見られやしないかと気が気じゃないのだが。
「あ、九十九。本音も」
と思っていたらシャルロットの登場。どうやらこれから海らしい。
「しゃるるん、やっほ〜」
「や、やあシャルロット。これから海かね?」
「うん。……えっと……」
シャルロットが私を見て、本音さんを見て、もう一度私を見た。その目は何かを訴えている。
「ん?どうした?」
「え?う、ううん。何でもないよ?」
顔の前で両手を振って「気にしないで」アピールをするシャルロット。しかしその目はさっきから私の左腕と顔、そして本音さんの顔を行き来している。
ふと右下から視線を感じてそちらに目を向けると、本音さんが何かを目で訴えている。これは『リクエストに応えてあげて』と言っているような目だ。
「……シャルロット」
二人の視線に耐え切れず、左腕をシャルロットに差し出す。その瞬間、シャルロットの顔に喜色と戸惑いが同時に浮かぶ。
「えっと、いいの?本音」
「いいとも~。ね~つくもん♪」
「君達の視線に負けた時点で、私に拒否するという選択肢は無いよ」
「えっと、じゃあ失礼します」
そう言って私の左腕に腕を絡めるシャルロット。形の良い『ツインボム』が私の腕に当たってひしゃげている。
「シャルロット?当たってい「その……当ててるの」って君もか!?」
両側から襲って来る温かさと柔らかさに理性が『ヤバイ』と訴える。理性が焼き切れる前に急いで更衣室に行こうとしたが、それぞれの歩幅が違いすぎてその動きはどうしても遅くなる。ようやく別館へ続く渡り廊下に出た時、私達は珍妙な光景を目にした。
「何これ?」
「ニンジン?」
「……のような何かだろう」
私達の目の前にあるのは、左右に割れたデフォルメされたニンジンの形をした、ロケットにも見える何か。
「ここで何があったんだろ〜?」
「さあ……?」
首を傾げる本音さんとシャルロット。確かにこれだけ見たら、一体ここで何があったのかは分からないだろう。だが、私には分かる。分かってしまう。
来たのだ。原作通りのタイミングであの『天災』が。今頃は箒を探し回っているか追いかけ回しているだろう。
ちなみに、この臨海学校の主題は『非限定空間におけるISの稼働試験』である。そのため、代表候補生や専用機持ち宛に大量の試験装備が送られてくる。
しかし、この臨海学校は『関係者以外立入禁止』であるため、そういった装備一式は揚陸艇に搭載されてやって来る。
もっともあの篠ノ之博士の事。「規則?何それ美味しいの?」と言わんばかりに平然とやってくるだろう。二日目が波乱に満ちたものになるのは確定だ。
取り敢えず二人に腕から離れてもらい、携帯を取り出して千冬さんの携帯にメールを送る。文面は極めて簡潔に一言だけ。
『報告。侵入者あり。兎に注意されたし』
「これでよし。では行こうか」
「え?いいの?放っておいて」
メールだけをして別館へ向かう私にシャルロットが訊いてきた。
「私達には今の所関係はなさそうだ。無理に探し出す必要も無いだろう。それに……」
「それに〜?」
首を傾げながらこちらを見る本音さん。その声音はどこか楽しそうだ。
「こんなに堂々と侵入してくるんだ。侵入者の目的がIS学園の誰かなら、必ず向こうから姿を現す」
「「たしかに」」
しきりに頷く二人。この二人、なんか妙に息が合ってるような気がする。
「納得いただけたようで何よりだ。では行こうか」
「「うん!」」
そう言って、また腕を組んでくる二人。またしても凶悪な武器が私の腕を襲う。
「二人共?そろそろ離してくれないか?」
更衣室のある別館まであと10m。このままでは私が着替えに行けない。
「「え~?」」
「その発言に私が『え~?』だよ」
「仕方ないね、じゃあ後で」
「つくもん、あとでね~」
私と組んでいた腕を離し、手を振りながら更衣室へ向かう二人。
「ああ、後で」
それに軽く手をあげて返す。二人が見えなくなった所で、私は安堵の溜息を漏らした。
「よかった。理性が焼き切れなくて」
私の理性は、二人が更衣室に向かった時点で
「ふう。行くか」
心を落ち着け、男子更衣室へ向かう。ちなみに、男子更衣室は別館の一番奥の部屋であり、そこに行くには当然女子更衣室の前を横切らざるを得ない。すると当然、中から着替え中の女子達の声が聞こえてくるわけで。
『ミカってば胸おっきー。また育ったんじゃない?』
『きゃあっ!揉まないでよぉっ!』
『ティナってば水着だいたーん。すっごいね~』
『そう?ステイツでは普通だと思うけど』
(………………)
女だけの空間で飛び交うこの手の話題は、理由は分からないがどうにも気恥ずかしい。
早足でその場を離れ、男子更衣室へ。男の身支度など手軽なもので、本音さんとシャルロットの二人が何をしようと言うのかを考えている間に終わった。
さて、楽しむとしようか!
今日から3日間の臨海学校が始まった。
自称
そんなになの!?
次回予告
泳ぐ阿呆に遊ぶ阿呆。
同じ阿呆なら泳いで遊べ。
じゃないときっと損をするから。
次回「転生者の打算的日常」
#27 一日目(昼)
つくもん(九十九)、はやくはやくっ!