EP-01 村雲九十九の憂鬱
「着いたぞ。ここだ……」
そう言う私の声には陰鬱な響きが混じっていた事だろう。私の目の前には一件の服飾品店。その店名は……『ヴァルハラ』
コスプレグッズ専門店『ヴァルハラ』秋葉原駅のほど近くにあるこの店は、ラグナロク・コーポレーションの服飾部門が経営している店だ。
各種衣装はもとより、ウィッグ、カラーコンタクト、化粧品、各種小道具、果ては専用のラインの出にくい下着まであり、コスプレイヤーから『ここに無ければ首都圏のどこにも無い』とまで言われる超有名店。
「−−なんだって〜」
「そんな所から衣装をただで貸して貰えるとは……」
「それはいいのですけれど、なぜわたくしたち全員で来なければなりませんの?」
「確かに。衣装を受け取るだけなら貴様一人でも事足りたはずだ、村雲」
私の後ろで口々に言う一夏ラヴァーズ。箒はいいとして、セシリアとボーデヴィッヒはどこか不満げだ。
「それなんだが、ここの店長がな……」
「接客係の子達の正確なデータが欲しいわ。今度の休みに全員連れて来なさい!」と有無を言わさぬ迫力で言ってきたため、仕方なくこうして全員連れてきた。という訳だ。
「『合わない服を着てブカブカならまだしもパツパツだったらどうすんのよ!特に胸!』とは店長の弁だ」
「「「あ~……」」」
どうやら納得いただけたようで、『富める者達』はしきりに頷いていた。一方、この場で唯一の『貧しき者』が自分の胸を見て、周りの胸を見て、もう一度自分の胸を見た後、深い、それは深い溜息をついた。
大丈夫だ。需要はあるぞ、きっと。とは口にせず、心に留めておいた。
「さて、では入ろうか。はぁ……」
「なぁ九十九。なんでそんな嫌そうなんだ?」
「……すぐに分かる」
できる事なら開けたくない店のドアに手をかけ、ガチャリと開ける。
「「「いらっしゃいませ〜!」」」
店員の女性達の出迎えの挨拶があちこちから聞こえて、すぐさま一人がこちらに駆けてくる。
「九十九くん、いらっしゃい!今日は?」
「例の件で。店長は?」
「ちょっと待ってて。店長ー!九十九くんが来ましたよー!」
「はーい!今行くわー!」
「「「……え?」」」
店長と呼ばれた人物が返事をする。その声に皆が唖然とした。口調こそ女性的だが、明らかに男性とわかる声。かなり野太い事から大柄だという事も分かる。ほどなくして現れたのは……。
「はーい♪九十九ちゃん。いらっしゃい❤」
「……お久しぶりです。ボビー・
190㎝はある長身、筋骨隆々の肉体、浅黒い肌と男臭い顔立ち。だと言うのに足は内股気味で、何かというとクネクネと腰を動している。端的に言えば……オネェだ。
「えっ!?ボビー・丸合って……元アメフト選手の!?」
「引退後はスタイリストとして活躍してた、あの?」
「それがなんでこんな所に!?」
ボビー・丸合。
NFLでのプレイ経験を持つ、元プロアメリカンフットボーラー。ポジションはラインバッカー。
現役時代、躱す事も受け止める事も困難な強烈なタックルを武器に活躍したが、試合中の事故で大怪我をして現役を引退。
その後スタイリストに転身。大物芸能人から引っ張りだこにされる程の人気を得るも、ある時「芸能の世界に愛想が尽きた」と言って芸能界から姿を消す。
そしてなんやかんやあって現在、コスプレグッズ専門店『ヴァルハラ』の店長として、その辣腕を振るっている。
「という訳だ」
「いや、そのなんやかんやが知りたいんだけど!?」
「あら、女の秘密を探ろうなんて、無粋ねぇ一夏ちゃん❤」
「え?いや、ボビーさん男……「ああん?」いえ、なんでもないです!」
「一夏。ボビー店長にその『禁句』は言わない方がいい。あそこを見ろ」
そう言って、私は店の壁の一部を指す。そこには、何かがぶつかってできたようなへこみがあった。
「あれって……?」
「ボビー店長に『禁句』を言った男性客が、店長からの
「カッとなってついやっちゃうのよねー❤」
それを聞いて一夏の顔が瞬時に青ざめる。こころなしか震えてもいるようだ。
「もう一度言う。その『禁句』は言うな。いいな」
「お、おう。わかった」
すごい速さで何度も頷く一夏。これだけ釘を刺せば大丈夫だろう……と思いたい。
「さてと、それじゃあさっさと終わらせちゃいましょうか❤モニカ、ミーナ、ラム。女の子達をお願い❤」
「「「はーい!」」」
呼ばれて飛び出た『ヴァルハラ』三人娘。しっかり者の印象のモニカ、褐色の肌と白目の少ない目が特徴のミーナ、最年少でかわいい系のラム。皆、この店の立ち上げ当初から働いている最古参だ。
「じゃあ皆、ついて来て。おっと、織斑くんと九十九くんはダメだよー?」
「言わなくても分かるでしょ、普通」
「どうかしら?九十九くんはまだしも、一夏くんの方は素でそういう事しそうじゃない?」
「「言えてる~」」
ワイワイ言いながらも身体測定室へと女子一同を連れて行く三人娘。ちらりと横を見ると一夏が「不当評価だ」と項垂れていた。いや、存外的を射た発言だと思うぞ私は。
所変わって男性用更衣室。ここでは定期的に撮影会も行うため、こうした部屋がいくつかある。そこに、私と一夏、そしてボビー店長が身体測定のために入室していた。
「さ、始めましょ❤まずは服を脱いでちょうだい❤」
そう言いながらメジャーを取り出して振り返るボビー店長。なんだか目が怪しく輝いているような気がする。
「お、お手柔らかに……」
「何かが違う気がするぞ、その言い方」
店長の言う通りに服を脱ぎ、下着一枚の姿になった私達。それを見たボビー店長の目がいっそう怪しく輝いた。
「ジュルリ……」
「「て、店長?ヨダレが……」」
「あ。あら、ごめんなさいね❤お昼にうなぎ食べたもんだから❤」
絶対嘘だと分かる白々しい言い訳をするボビー店長。前から思ってたけど、この人ガチ勢だろ。間違いなく。
とはいえそこは商売人。ボビー店長は一切暴走する事なく私達の身体測定を終えた。
「はい、終了♡一夏ちゃんは服を着て外で待ってて❤……さて九十九ちゃん、覚悟は出来てる?」
「もう決めて来てますよ。元々それが条件ですし。……できれば一人で来たかったですが」
「オーケー、じゃあ、行くわよ❤」
ボビー店長の手がワキワキ動いている。これは本人曰く「すごい気合が入った時に自然となる」癖らしい。
私はその指の動きに不安を感じずにはいられなかった。
「あれ?一夏だけ?」
「つくもんは〜?」
採寸を終え、戻ってきた女子達。シャルロットと本音が辺りを見回すが、九十九の姿はそこになかった。
「あー、ボビーさんに呼び止められてたぜ。なんか『条件』がどうの『覚悟』がこうの言ってたような……」
「一体どんな条件を……あら?しばらく見ない間にお客さんが増えてませんこと?」
「それもほとんどが男だな。あとはやけに大きな荷物を持った女が何人か、といったところか」
「カメラを持ってる人もいるよ?」
「なんだか、店全体が異様な熱気に包まれていないか?」
「なにがはじまるんだろ〜?」
男性客達に何が始まるのか訊いてみると、返ってきた答えは実に簡潔だった。
「今日はこの店で撮影会があるんだよ」
「撮影会?なんの?」
「決まってるだろ!コスプレのだよ!ここのコスプレ撮影会は、他の店とは一味も二味も違うんだぜ!?」
熱く語る男性客の言葉を受け、シャルロットの脳裏に閃きが走った。
「はっ……!?まさか、九十九がボビー店長に出された条件って……」
「そ❤撮影会に九十九ちゃんが参加することよ❤」
シャルロットがかけられた声に驚いて振り向く。それにつられ、他のメンバーをそちらを向くと、そこにいたのはボビーとその隣に立つ一人の美少女だった。
腰まで伸びた艶のある黒髪、つり目がちの瞳は知性の高さを感じさせ、微かに日に焼けた肌が活発な印象を与える。
凹凸は少ないが、引っ込むべき所はしっかりと引っ込んだモデル体型。その身に纏うのは淡い黒のドレス。飾り気の少ないドレスだが、それが逆に彼女の気品を引き立てる。アクセサリーはイヤリングとブレスレット。どちらも銀製の簡素なデザインのものだったが、彼女にはむしろ華美な物の方が似合わないだろう。
首には黒いチョーカーを着けているが、しきりに気にしている辺り着け慣れていないのだろう。
一見すればまさに『どこかのお嬢様』といった雰囲気の彼女。が、ボビーがわざわざ自分達の前に連れて来たという事が、一つの事実を物語る。つまり、目の前のこの少女は……。
「まさか……」
「ひょっとして~……」
「九十九……なの?」
「……ああ」
恐る恐る確かめた一夏とシャルロットと本音に、彼女(?)は小さく、だがはっきりと答えた。
「「「ええええーっ(なにーーっ)!?」」」
途端に騒ぎ出す一年一組専用機持ち+1。特に箒など目を飛び出させんばかりに驚いている。
「えっ……いや、だって、お前……えっ!?」
「なぜだ……?なぜ私は敗北感を感じているんだ?」
「知り合いの貴族の方よりよほど貴族に見えますわ……」
「つくもん、すっごいきれ〜だよ〜」
「くやしいくらいに似合ってるよ?」
「全く嬉しくない感想をありがとう……」
ああ、私の黒歴史に新たなる1ページが……。母さんに知られたら何と言われるだろう?あの人の事だから「九十九ってば可愛いーっ!」と叫びながら抱き着いてくるかもな……はぁ。
「さ、九十九ちゃん❤いいえ、
「……もう好きにしてください……」
既に逃げ場はどこにも無い。腹を括るしかないだろうな。嫌だけど、すごい嫌だけど!
撮影会は大盛況の中幕を閉じた。
が、祭りが終わればテンションというものは元に戻るもので……。
「死にたい……」
「つくもん、しっかり〜」
「だ、大丈夫だよ。すごい似合ってたし!」
「いや、慰めになっていないぞ。シャルロット」
思い切り落ち込む九十九を必死に慰めようとするシャルロットと本音だが、かえって九十九の心を抉る結果になっていた。
「お疲れ様、九十九ちゃん❤それじゃあ、約束通り衣装はロハでレンタルしてあげるわ❤サイズ合わせはすぐ終わるから……」
「では『IS学園一年一組』宛てで送ってください」
「オッケー❤あ、撮った写真、いる?」
「いりません……はぁ……」
諸々の用事を終えて学園へと帰っていく九十九の背中は、それはそれは煤けていたという。
なお、後日九十九が借りた衣装を返しに『ヴァルハラ』に行くと、自分の女装写真が引き伸ばされて額に入れられて店内の一番目立つ所に掲示された挙句、その下に「今月の売上ナンバーワン!」と書かれているのを見てぶっ倒れる。という一幕があったが、はなはだ余談だろう。
EP-02 巻紙礼子(自称)の驚愕
巻紙礼子。IS装備開発企業『みつるぎ』渉外担当を務める敏腕社員。
だがこれは世を忍ぶ仮の姿で、真の姿は秘密結社『
(よし。学園内には侵入できた。あとは織斑一夏と村雲九十九を探し出して、どうにか人気の無い所に連れ出せれば……)
彼女がIS学園にやって来た目的。それは、一夏と九十九が持つIS『白式』と『フェンリル』の強奪である。
もっとも、本来なら彼らが寮で一人でいる所を急襲してISを奪い、すぐさま離脱する。という作戦をとるはずだったのだが、一夏の方には更識楯無が同居したためにそれが叶わず、ならばと九十九の方に襲撃をかけようとすれば、準備段階で計画が何者かに潰されて何も出来ずじまいだった。そのため、この作戦をとらざるをえなかったのである。
(つっても、どこ探しゃあ……ん?あれは……)
まずどこを探そうかと悩んでいたオータムの視界に二人の男の姿が写った。
「急ぐぞ一夏。もう来ている頃だ」
「おう。待たせると悪いしな」
(ちょうどいいぜ。ここで話しかけて、どっかに連れ出せりゃあ……)
思い立ったら即行動。オータムの動きは早かった。
「ちょっと、よろしいですか?」
必死の練習で身につけた『営業スマイル』を浮かべ、二人に話しかけるオータム。その結果は−−
(くそっ。つい引き下がっちまった……。なんだあの笑顔は!?)
IS学園本校舎二階廊下。そこでオータムは自身の身に起きた事に驚愕していた。
「申し訳ないが、私も一夏も人を待たせているのです。なので……今はご勘弁願えませんか?(ニッコリ)」
九十九がこう言って笑みを浮かべた途端、彼から強烈なプレッシャーが放たれ、オータムは思わず「アッ、ハイ」と頷いて道を開けてしまっていた。
(この私が……亡国機業のオータム様が、ガキにビビらされたってのかよ……クソがっ!)
苛立ち紛れに近くのゴミ箱を蹴倒し、そのままその場を歩き去るオータム。
作戦の第一段階は失敗した。だが、まだ次がある。と、気を取り直したオータムが向かった場所は−−
(う、美味え……。なんだこりゃ!?ガキの屋台のレベルじゃねえだろ!)
中庭の屋台街。そこでオータムは驚愕していた。どの屋台も、下手な店よりよほど美味いのだ。
素材の味を完璧に活かしきった味付けの焼そば。具材達が互いに主張しつつも一体化した食感が楽しいお好み焼き。口に入れた瞬間に肉汁が迸る肉まん。あまりの美味さに、気づけば全て食べ切ってしまっている程だ。
(……次、何食うかな……。あ、そうだ。スコールに土産買って帰っかな……)
屋台料理のあまりの美味さにすっかり本来の目的を忘れている彼女は、秘密結社『亡国機業』の一員、オータム。要するに悪人……のはずである。
「ねえねえ聞いた?生徒会の出し物の話!」
「あれでしょ?織斑くんか村雲くんから王冠をとったら同居できるってやつ!」
「アタシ参加しよっかなー」
通りすがった女子生徒たちの話を聞いて、オータムは自分の目的を思い出すと同時に「これだ」と思った。
史上二人しかいない男性IS操縦者との同居権をゲットできるイベント。参加する生徒は相当数いるはずだ。
(混乱に紛れてあいつらをうまいこと引っ張り込めりゃあ、あとはどうとでも……)
思い立ったら即行動。オータムは素早く行動した。
会場である第四アリーナの舞台下に忍び込み、タイミングを見計らって二人を足を引っ張り、そのまま手をとって第四アリーナ更衣室へ。入ると同時にロックをかけ、誰も入って来られないようにするのも忘れない。
(おし、ここまでは順調だ。あとは、こいつらのISをいただいて終いだ)
九十九の「なぜここに?」という質問に、オータムは貼り付けた笑顔のままこう答えた。
「はい、この機会に『白式』と『フェンリル』をいただきたいと思いまして」
あとは彼らがISを展開さえしてくれれば、我が事成れり。そう思ったオータムだったが−−
その過程は本編に譲るが、作戦は結果として大失敗だった。
頼みの《
(それもこれもこいつが伝えてきた作戦が原因だ……クソッ!)
自分を抱えて飛ぶ少女に憎々しげな視線を向けるが、少女はどこ吹く風。それがさらに彼女の苛立ちを募らせる。
(ちっ。相変わらずスカしやがって、糞ガキが……っ!)
睨みつけるのに飽きたオータムが後ろを振り向くと、遠ざかるIS学園が目に入った。そして、ふとある事を思い出す。
(しまった!スコールに土産買い忘れた!せっかく美味そうなカンノーロがあったのに!)
思い出した事が恋人に土産を買い忘れてしまったという割とどうでもいい事な彼女は、秘密結社『亡国機業』の一員、オータム。要するに悪人……のはずである。多分、きっと。
EP-03 更識楯無の疑念
学園祭が終了して数日が経ち、学園が落ち着きを取り戻しだした頃。
「こんな事って……」
IS学園生徒会室。その窓際にあるマホガニーの机に腰掛けて、更識楯無は愕然としていた。
「村雲家は完全にシロ。それはいいとして……」
机の上には『村雲九十九、ならびにその一家の調査報告書』の他にもう一つ、『ラグナロク・コーポレーション調査報告書』が置いてあるのだが、その報告書に書いてあった事を要約すると『怪しい所は何もない』だった。
「いやいや、いくら何でもおかしいでしょ。普通に考えて」
ISを、それも第三世代型を単独で組み上げる技術力、ISの武装を次々と作り出す開発力、あらゆる情報をいち早く手に入れる情報収集力。その全てが超一流という時点で既にとんでもない会社だ。
しかも、裏社会の事情にも通じている節がある。にも関わらず、調査結果が『怪しい所は何もない』などまず有り得ない。
「考えられるのはうちの諜報員がサボったか……ラグナロクが完全に情報を隠しているか」
更識家は対暗部用暗部。スパイであり、カウンタースパイでもある一族だ。その末席に名を連ねる者が、まさか仕事をサボるとは思えない。となれば考えられるのは一つ。ラグナロクの情報規制能力が更識の情報収集力を上回っている。
「って事よね……」
そう呟いて、楯無は頭を抱える。まさか自分達以上に高い情報収集力と情報規制能力を持った企業が存在するなどとは、夢にも思っていなかったからだ。
「これ以上の調査は今の人員じゃ無理ね……。私が動くしかないかしら……?」
なんとしてでもラグナロクの秘密を握ってみせる。楯無は決意を新たに自室へと帰るのだった。
それから一月。楯無は寝る間を多少惜しみつつ、自らラグナロクの調査を行った。その結果見えてきたものは、ラグナロクのある恐るべき計画だった。
「まさか、ラグナロクがあんな事を狙っていたなんて……世界がまた揺らぐわ」
急ぎ織斑千冬と学園理事長に伝えねば。そう思って生徒会室を出て廊下を歩いている途中、楯無の携帯にメールが届いた。
「誰かしら。差出人は……ヘル?」
一体誰だろうか?そう思いながら開いたメールに書かれていたのはたった一言だけだった。
『更識楯無。貴方は知り過ぎた』
「え?」
瞬間、首に鋭い痛みを感じた楯無。何事かと視線を巡らせた彼女が見たのは、刀を振り抜いた姿勢でこちらを
「いっ……」
ガバアッ!
「いやあああああっ!!」
「た、楯無さん!?大丈夫ですか!?」
「あ……一夏……くん?」
「随分うなされてましたけど……怖い夢でも見ました?」
「ゆ……め?……っ!?」
一夏にそう言われて、先ほどの経験を思い出し、楯無は思わず自分を抱きしめた。
「楯無さん?本当に大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫。……ちょっと、すごく怖い夢を見ただけだから」
「それ、どっちなんですか?」
なおも心配してくる一夏に「本当に大丈夫だから」と言ってもう一度ベッドに潜り込む楯無。だが、その頭の中はさっき見た夢で一杯だった。
(あれは……本当に夢?それとも、ありえる未来の一つ……?)
思考の迷路にはまった楯無が眠れぬ夜を過ごし、教室で盛大に居眠りをして担任に叱られたのは言うまでもない。
放課後の生徒会室。そこで作業中の私に、楯無さんがジーッと視線を向けて来ていた。……やり辛い。
「あの、楯無さ「……ねえ、九十九くん」−−はい、なんでしょう?」
視線の意味を訊こうと声をかけた所で楯無さんが口を開いた。その声にはかすかな疑念と恐怖が混じっているような気がした。……おかしい。私は何かこの人を怖がらせたり、疑いを持たせるような事をしただろうか?
楯無さんは二度ほど言いにくそうにしてから、小声でこう訊いてきた。
「……きみ、『ヘル』って知ってる?」
「『ヘル』……ですか?英語で地獄を意味する言葉。もしくは北欧神話における死の国の女王の事ですね」
「そうじゃなくて……きみの会社に、そういうコードネームの人がいないかってこと」
「……すみませんが、私も我が社の全容までは知りません。だから、いるともいないとも……」
「そう……もういいわ、ありがとう」
そう言って視線を自分の手元の書類へ戻す楯無さん。
更識楯無。日本の
それにしても、なぜ
私の中にも、楯無さんへの疑念が湧くのだった。