モチベーションが上がらず、筆を取る手が重い時期が続いてしまいました。
皆ー!小生に
♢
ブラジル・サンパウロでチームウォーターが『エル・ビアンコ』潰滅作戦を実施していたのと同時刻。ロシア・スターリングラードから東へ20km。製薬会社『ゾルケイン』所有の製薬工場。上空からそれを眺める3つの影があった。
「サンドさん。あそこが……」
「はい。『ゾルケイン』の麻薬精製工場です。私達の任務は『ゾルケイン』の麻薬精製工場の破壊と、『ゾルケイン』現CEO、マキリ・ゾルケイン3世とその息子、シュインジー・ゾルケインの捕縛になります」
緊張からか少し掠れた声で楯無がサンドに質問すると、こちらもまた緊張した面持ちのサンドが答えた。実はサンド、本人曰く『緊張しい』で、大きな作戦前には眠れなくなったり胃がせり上がって来る感覚に襲われるそうで……。
(あ、これ今ガチガチの奴だ)
よく見ると、ISの登場者の体調管理機能を超えて体調がおかしいのか、若干だが顔が青い。世界を巻き込む大戦を前にド緊張しているのだろう。が、『プリベンター』隊長ウィンドによると「緊張するのはあくまで作戦前まで。作戦が開始されれば途端に冷静になる」らしいので、楯無は特に不安を感じてはいなかった。というより、隣にもっと心配になる相手がいるのだ。
「簪ちゃん、大丈夫?」
「だだだだ大丈夫ぶぶぶ。心配い、いらなないよ?」
そう、楯無の妹で本作戦のパートナー、簪である。もう分かりやすい程にガチガチで体がISごと小刻みに震えているし、なんなら若干涙目だ。明らかに大丈夫じゃあない。滅茶苦茶気負っているのが楯無には(サンドにも)丸分かりだ。
「私が言うのもなんですが……。妹さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫大丈夫!ちょーっとナーバスになってるだけだから!ねっ⁉簪ちゃん!」
「ううううん!ももも問題ないですよ⁉」
(心配だ……)
まあ、無理もないけれど。とサンドは思う。なにせ、世界を戦火に包もうとしている組織の幹部の本拠に少数精鋭でカチコミをかけようというのだから『緊張するな、落ち着け。楽に行こう』などとは軽々しく口に出来ないし、する訳にはいかない。とはいえ、このままここで簪が落ち着くのを待っていられる程時間的猶予はない。サンドは己に活を入れると作戦開始を告げた。
サンドのIS『
「どういう事……?」
サンドが訝しみながらも更に接近を指示した瞬間、工場内の大扉が開いた。そこからぞろぞろと出てきたのは一様に虚ろな目をし、口の端からよだれを垂らした覚束ない足取りの老若男女。センサーアイでズームインしてみてみれば、肘の内側や脹脛の裏、あるいは首筋に夥しい注射痕があるのが見える。つまり彼等は……重度の
こちらの接近に気づいて出てきたのは確か。だが、サンドにはその意図がいまいち見えてこない。が、軍師タイプの思考回路の持ち主である楯無はその可能性に気づいた。
「まさか、あの人達を対私達用の肉壁にしようって言うんじゃ……?」
「でも、それなら上を飛んで避ければ良いだけじゃ……」
簪が解決方法を提示し、それに楯無が「確かにね」と返した瞬間、スピーカーから中年男性の濁声が響いた。
『そこのIS共!降りて来い!でないと、こいつ等を殺すぞ!』
声の主は何処かと探すと、中毒者達の最後方にマイクを持った頭頂部の寂しいウェーブヘアの男が、厭らしい笑みを浮かべて立っている。その手には大型の自動拳銃が握られており、茫洋と立ち尽くす中毒者達の頭をいつでも撃てるように構えている。
「……まさか、脅しの為だけにこんな人数の中毒者を用意したって言うの……?」
「だとしたら、アイツ……相当の馬鹿ね」
「ええ、そうですね」
呆れ声でそう言う楯無とサンド。二人はそのまま高度を下げつつウェーブヘアの男、シュインジー・ゾルケインの元へ近づく。シュインジーは思い通りに事が運んでいると思っているのか、その笑みはますます厭らしいものになっていく。
だが、事実シュインジーの人質作戦は、愚策でしかない。まず第一に、全体に目が届かない。最後方に居るシュインジーからでは、最前列の中毒者達が何をしているかなど見えないだろう。人質の統制が取れない時点でもう失策だ。第二に、脅しの武器が弱い。千人の人質を前に『言う事聞かないなら殺すぞ』と言うなら、せめて拳銃ではなくミニガン等の面制圧兵器を用意するべきだ。
人質など気にしていない様子で、一定の高度−−上空3m程−−を保ちつつ、ジリジリとシュインジーとの距離を詰める。その様子にシュインジーの顔から笑みが消える。
「お、おい!それ以上俺に近づくな!近づくならコイツらを撃つぞ!」
厭らしい笑みは何処へやら、焦ったような顔で隣の中毒者の後頭部に銃を押し当てるシュインジー。それに対して楯無は余裕の笑みを浮かべてこう言った。
「どうぞ、御随意に。でも……その前に銃の
「へっ?」
シュインジーの視線が、楯無から自分の握る銃へと移る。その瞬間、楯無はシュインジーとの距離を零に詰め、その頬に全力の平手打ちをかました。
スパアアアンッ‼
「ぶへえっ!」
もんどり打って床に倒れるシュインジー。それを見つめる楯無の目は、感情が抜け落ちたかのようにどこまでも冷たい。この場にもし九十九が居たならば、その表情を指して『チベットスナギツネにそっくりだ』と言っただろう。
「貴方、やり方が狡辛いのよ。悪の巨大組織の幹部なら、もっと堂々と戦えないの?」
「ぐぐっ……!」
打たれた頬を押さえて楯無を睨むシュインジー。年端もいかない少女に頬を打たれ、冷たい眼差しを受ける事を屈辱に感じているのか、その顔は真っ赤で、目には憤怒と憎悪が宿っている。もっとも、楯無にとってシュインジーが向けてくる怒りの感情など、本音に悪戯してちょっと泣かせて、九十九に低い声で「楯無さん、何してるんですか?」と凄まれた時に比べれば可愛らしいものである。
自分の睨みに全く怯まない楯無に業を煮やしたのか、シュインジーは近くの中毒者達にヒステリックに叫ぶ。
「おい!お前等何してる!ご主人様のピンチだぞ!こいつを殺せ!死んでも殺せ!」
しかし、シュインジーの声に反応する者は誰一人として居なかった。薬物の過剰投与によって脳の殆どの機能がまともに働いていないのだろう。皆、一様に焦点の合わない虚ろな目でただただ自身正面を呆と眺めているだけだった。い
「おい!聞こえてないのか⁉こいつを殺せって言って−−」
シュインジーがなおも怒鳴りつけようとした時、それは起きた。
「「「あ、ああ……あああああっ‼」」」
先程まで茫洋とした表情で突っ立っているだけだった者達が、突如奇声を上げ暴れ出したのだ。やたらめったら頭を振り回す者。「皮膚の下を虫が這い回ってる!」と言いながら、居もしない虫を追い出そうと全身を掻きむしる者。羽虫の幻影でも見えているのか、嫌悪に満ちた顔で何も居ない空中を手で払う者。真冬にも関わらず「暑い」と言って服を脱ぎだす者。「俺を殺す気か⁉やってみろよ!」と怒声を上げながら周囲の人を殴り倒していく者。余程恐ろしい何かが見えているのか、悲鳴を上げて逃げ出す者。中毒者達がいた工場前の広場は、瞬時に混沌が支配する場と化した。
その様子を見ていたサンドは、こうなった原因にすぐに気づいた。
「禁断症状……!薬物の効果が一斉に切れたんだわ!」
「そ、そんな……!どうしたら……?」
混沌の巷と化した広場。一体どうすればいいのかすぐに思いつかない簪は、狂気的な光景を前に狼狽える事しか出来ないでいた。そこにサンドの鋭い叱責が飛ぶ。
「落ち着きなさい!ラグナロクに渡された暴徒鎮圧用催涙ガスミサイルがあるでしょ⁉」
「そ、そうでした。行きます!」
サンドの叱責に幾分かの落ち着きを取り戻した簪は、マイクロミサイルポッドにラグナロク謹製催涙ガスミサイルを装填、可能な限り広範囲にガスが広がるように弾道計算をした上でそれを放った。ミサイルは放物線を描きながら飛んで行き、一斉に炸裂。内部に圧縮されていたガスを一気に吹き出した。
「「「ぎゃあああっ⁉」」」
途端に目を、鼻を、喉を押さえ、涙と鼻水をダラダラと流しながら蹲る中毒者達。覿面過ぎるその効果に、サンドも簪も楯無もドン引きだ。なお、ガスが流れ込んで来る場所に居たシュインジーも同様に無様を晒している。
ラグナロク謹製暴徒鎮圧用催涙ガス弾『DMC』
一息吸い込んだだけで涙と鼻水と喉の痛みが止めどなく襲って来る、超強力催涙ガス弾。ありとあらゆる刺激物質をこれでもかと濃縮して詰め込んだその威力は、開発者曰く『泣かないと言われる悪魔さえ泣かせる代物』との事。
なお、名前の『DMC』は『
「ぐぐっ、く、クソが……!ゲホゲホッ!」
顔面をあらゆる体液でベトベトにしながら、這って逃げようとするシュインジー。だが、その背中に何かとてつもなく重い物が乗り、シュインジーの動きを強制的に止める。
「ぐえっ⁉何だ……っ!」
顔を上げたシュインジーが見たのは、自分の体を踏みつけにしている楯無だった。呆れと侮蔑を込めた絶対零度の視線が、シュインジーに突き刺さる。
「逃げられると思ってるの?」
その声に、その視線に、シュインジーの体が我知らずガタガタと震えだす。
「シュインジー・ゾルケイン。貴方には麻薬取締法違反、薬事法違反、その他諸々の法律違反、抵触の容疑がかかっているわ。神妙にして、縛に付きなさい。抵抗しても良いけど、無意味よ」
どこまでも冷たい声音と視線。それを受けたシュインジーの心は……折れた。目の前の少女には、自分が何をやったとしても意味が無い。そう気付かされてしまったから。
あっさりと抵抗を止めたシュインジーを持ち込んでいたワイヤーロープで縛り上げた楯無は、彼の父でありゾルケイングループの首魁であるマキリ・ゾルケインの居場所を聞き出そうと彼を尋問した。
「で、マキリ・ゾルケインはどこ?もし逃げたって言うなら、どこに逃げたの?言いなさい」
途端、元々青褪めていたシュインジーの顔が青いを通り越して白くなっていく。体の震えは更に増し、その上下動で残像が浮かぶ程だ。
「い、言えない……!」
絞り出すような声で答えるシュインジー。楯無はその発言にどこか違和を感じていた。シュインジーは「言わない」ではなく「言えない」と口にしたのだ。
「言えないって……どういう事かしら?」
「それも言えない!言えば俺は死ぬ!」
ヒステリックに叫ぶシュインジー。切羽詰まったようなその声音は、楯無にある疑念を抱かせる。
(もしかして、シュインジーを監視、盗聴している誰かがいる?だとして何処に……?)
楯無はハイパーセンサーを用いて周囲を探査するが、それらしい人影はどこにも無い。仮にスナイパーを配置しているなら命中率を考えて300m圏内、必中を期するなら150m圏内に配置するはず。あるいは、余程神がかり的な腕のスナイパーが1km以上離れた所から狙っているのか。だとしても、事前のポジショニングをミスれば射線が通らずにアウトだ。ならばシュインジーを殺すのは−−
(第三者による襲撃以外の方法……例えば、
チラとシュインジー目をやった楯無は、確かに見た。シュインジーの首筋、頚動脈の真上辺りに真新しい手術痕があるのを。
「貴方、その首筋の手術痕、何?」
「これが何も言えない理由さ!親父は俺に超小型爆弾と盗聴器を仕込んだ!親父の事を少しでも漏らせば……ボン!だ!」
シュインジーの証言に楯無は戦慄した。自身の情報を漏らさない為に、息子に爆弾を仕込む父親が居るのか、と。
「もう一度言うぞ!俺から情報を聞き出そうとしても無駄だ!俺は死にたくないんだよ!」
「……そうね。じゃあ、
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
楯無の言葉にホッとしたシュインジーだったが、ふと気づいた。楯無は「聞き出すのは止める」と言ったが、「マキリ・ゾルケイン探索を諦める」とは言わなかった。父親の居場所について知っているのは自分だけ。どうやって情報を手に入れるつもりか?その答えは、目の前にあった。
『
宙に浮いた水が、ロシア語で文章を紡いでいる。シュインジーは気づいた。楯無は、自分と音声以外の方法での会話をしようとしている、と。
父親が仕込んだのは爆弾と盗聴器。視覚情報までは盗まれていないだろうという楯無の判断は、間違いではない。シュインジーはふっと笑みを浮かべると、縛られていて動かせない手足の代わりに、声に出さずに口だけ動かした。『主要幹部を連れて本社から逃げた。今頃はシベリア方面に向かっているはずだ』と。読唇術でそれを読み取った楯無は、にんまりと笑顔を浮かべると遅れてやって来た国連軍陸戦隊員に「後はよろしく」と言ってその場を離れ、サンドと簪に手に入れた情報を伝える。シュインジーに仕込まれた盗聴器に声が入る可能性を考慮して水文字で。それを見たサンドと簪は力強く頷くと、マキリ・ゾルケインを追ってシベリア方向へと飛んだ。
♢
「やはり、あやつではろくな足止めも出来んか。……愚息が、手間をかけさせおって」
息子に仕込んだ盗聴器から聞こえてきた会話の内容から逃亡先を口に出す事は無かったようだが、それでもそう思わずにはいられない。マキリは車の中で溜息をついた。
「まあ良い。こちらの行方を向こうは知らぬ。追いつかれる事などあるまいて」
改めてシートに深く腰掛けて、マキリはニヤリと嗤った。シベリアまで辿り着けば、ゾルケイングループの子会社から集まった幹部級職員と子飼いの精兵、合わせて150人と共にステルス潜水艦で潜航。ほとぼりが冷めるまで深海をウロウロして待ち、忘れた頃に現れて『シャクラ王国』再興を為せば良い。
「冠を頂く者は、まだここにおる。のう、サクラよ」
「……はい、お爺様」
節くれだった手で頭を撫でられながら、少女……サクラ・ゾルケインは虚ろな表情で機械的に返事を返した。シベリアまでは後少し。マキリが「勝った」とばかりに歪んだ笑みを浮かべた直後、サクラが後ろを振り返った。
「うん?どうした、サクラ?」
「……来ます」
「なに?……馬鹿な⁉」
サクラの言葉に自分も後ろを振り返ったマキリは、その光景に愕然とした。自分の乗る車の後方200m程の位置に、明らかにこちらを追尾している3機のISが居る。両者の距離は見る間に詰まり、互いの顔を視認できる程になる。
「更識楯無……!」
「見つけたわよ!マキリ・ゾルケイン!」
渋面を作るマキリの顔と姿をはっきり捉えた楯無が吠える。マキリの乗る車の前を走っていた車達が楯無達の存在に気づいたのか、速度を緩めてマキリの車を先に行かせた上で見事な連携で進路妨害をする。しかし、空中を駆けるISにとって地上を走る車など『低過ぎるハードル』でしかなく、部下の車は呆気なく飛び越えられた。そして。
「くっ!」
キキーーッ!
マキリの乗る車の前に立ち、各々の得物を構える楯無達の威圧感ある姿に、運転手は思わずブレーキを踏んでしまう。完全に停止したマキリの車に近づきながら、サンドは警告した。
「マキリ・ゾルケイン。抵抗を止め、速やかに下車の上、両手を上にしてはいつくばりなさい。なお、この警告が聞き入れられない場合、抵抗の意思ありと判断し、当方は即時の武力行使を致します」
「おのれ……ここまで来て……!」
歯ぎしりをしながら怨嗟の籠もった声を上げるマキリ。そんな祖父の様子を、虚無を宿した目でサクラが見ていた。
♢
「……出て来ないわね」
「まだ勝ち筋があるとでも思っているのでしょうか……?」
「……わからないけど、警戒して損はない……と思う」
動きを見せないマキリの車を正面に見据えながら、警戒態勢を維持するチーム・サンド。降伏勧告から既に5分が経過。何かアクションを起こそうと言うなら、そろそろ仕掛けて来るはずだ。
〈もう一段、包囲を狭めてみましょう〉
〈〈了解〉〉
サンドからプライベート・チャネルで指示が来る。それを受けて楯無と簪が車に近づこうとした時、車の屋根が吹き飛び、中から禍々しい外見のISがマキリを抱えて飛び出して来た。
漆黒に血のような赤黒いラインが縦に幾筋も走ったローブの様な装甲。余程靭やかな素材で出来ているのか、裾がユラユラと揺らめいている。鉢金状のバイザーは血管が蠢いているような怖気を感じるデザインだ。時折ピクピクしているように見えるのは、気のせいだと思いたい。それを纏うのは、瞳に虚無を抱えた少女。菫色の髪を腰の上まで伸ばし、ISの上からでも分かる程に肉感的な、男の欲情をこれでもかと誘う肢体を持った……小学校高学年から中学生位の女の子である。
「ふはははは!まだじゃ!我が野望、シャクラ再興の夢はまだ終わらん!やれい、サクラ!お主と『
「……はい、お爺様」
マキリの指示に機械的に返事を返したサクラは、一旦地面に降り立ってマキリを下ろすと、その場に立ち尽くした。
(え?何してるのあの子?どうして棒立ちなんかに……)
「お姉ちゃん!」
「ちょ、簪ちゃん⁉」
一流と言っていいISパイロットである楯無が、サクラの行動に唖然として動きを止めた直後、簪が真横から楯無に飛びついて来た。突然の妹の行動に目を白黒させる楯無だったが、その行動が『自分を守る為』だった事にすぐさま気づいた。
「…………」
サクラのIS『アンリ・マユ』の装甲だと思っていた部分が、こちらに伸びてきていたのだ。鋭利な刃物のような光を湛えたそれは、無機質な殺意を宿している。
「どうじゃ、驚いたか!これが『アンリ・マユ』の力!最強の矛にして最強の盾!
高笑いを上げながらマキリが丁寧に能力説明を行う。その説明に苛立つものを感じつつも、楯無はサクラが棒立ちになった理由に納得した。
(自分が動く必要がないからその場に留まったのね。私達を攻撃しつつ、マキリにも近づけさせない絶妙な位置取り。あの子、出来るわね……)
自分達より幾らか年下なのに、なかなかどうして戦巧者ではないか。楯無はサクラに対する警戒度を一段引き上げた。
と、『アンリ・マユ』の《アジ・ダハーカ》が再び鎌首をもたげて攻撃態勢をとった。瞬間、3本の帯が楯無達に殺到する。
「各機散開!ランダム機動で回避!」
「「了解!」」
サンドの号令一下、一斉にバラける三人に対し、サクラは《アジ・ダハーカ》による攻撃を更に激化させる。最初3本の帯だったそれは、気づけば十数本にまで増えている。《アジ・ダハーカ》の名前の元ネタだろう某拝火教の悪龍の首の数より遥かに多い。しかもそれら一本一本が意思を持ってでもいるかのように正確にこちらを狙ってくるため、一瞬たりとも足を止めていられない。加えて−−
「このっ!」
「……行って、《山嵐》」
「食らいなさい!」
サンドのヘビーマシンガンの銃弾、簪のマイクロミサイル群、楯無の超高圧縮水弾。それら全てを、《アジ・ダハーカ》は受け止め、切り落としてきたのだ。
「はーはっはっは!無駄じゃ無駄じゃ!言うたであろう!《アジ・ダハーカ》は攻防一体!お主等の攻撃など、いくらやっても通らぬわ!」
喜悦に顔を歪め、愉快とばかりに嗤い、馬鹿にしたように手を叩くマキリ。完全に図に乗っている。それをやっているのは自分の孫娘……サクラであるのに、まるで自分がそれを成しているかのような口振りに、流石の楯無もイラッと来た。
「息子に囮をさせて、追いつかれたら孫に守って貰って。貴方、自分が格好悪いと思わないのかしら?」
「ふん!何とでも言うが良いわ!己が目的の為ならば何でも使い、役に立たぬなら身内であろうと切り捨てる。それが出来てこその王よ!」
堂々と卑劣な発言をするマキリに、ますます苛立つ楯無。父であり、先代『楯無』である
「このクソジジイ!一発張ってやるからそこになおりなさい!」
「出来るものならやってみい!サクラの鉄壁の守りが崩せるならの話じゃがのう!」
余裕ある態度を崩さず、なおも楯無を挑発するマキリ。『自分が害される事は絶対に無い』と思っているからこその、強気な発言だった。そして実際、楯無達は未だマキリを確保するどころかサクラに近接格闘戦を仕掛けられる距離(5〜10m)にすら近づけていない。変幻自在にうねる金属の帯は、あらゆる角度、あらゆる距離からの接近を完全に阻んでくる。しかも、サクラの方から近づいてくる気配は一切無い。進展のないまま、時ばかりが無情に過ぎていく。だが、その過ぎた時間こそが勝機を引き寄せる要因となる事もある。
戦闘開始から15分、楯無は《アジ・ダハーカ》の動きが鈍り始めているのに気づいた。最初の時に比べて攻撃に鋭さに翳りがえ、防御の反応もギリギリになっている。サクラの顔にも疲れが見え、何かを堪えるように眉を顰めている。その表情に、楯無は見覚えがあった。
(あの顔、《ヘカトンケイル》を使い過ぎた時の九十九くんがする顔だわ)
つまり、《アジ・ダハーカ》も《ヘカトンケイル》と同様に思念誘導兵器であり、戦術支援AIを積んでいるとはいえ脳に掛かる負担は甚大であるという事だ。ならば、対応策は《ヘカトンケイル》を繰り出した九十九を相手にする時と同じように−−
「遠くからペシペシして向こうの消耗を待つわよ!動きが完全に鈍ってから勝負に出るわ!いいわね簪ちゃん、サンドさん!」
「「了解!」」
号令一下、三人はそれぞれサクラの攻撃がギリギリ届かない距離(約150m)まで下がり、サクラがへばって動けなくなるまで遅延戦闘に終始するべく、これまたサクラが反応出来る位置からの射撃を繰り返す。相手の攻撃は届くが、こちらの攻撃は届かない。加えて、祖父を置いて相手と距離を詰めれば、その隙に三人の誰かが祖父を確保するだろう。そうなれば、向こうの勝利条件は『マキリ・ゾルケインの捕縛』である以上、後は逃げの一手を打たれて終わり。『アンリ・マユ』は第3世代ISの中では鈍足な方なので、逃げに徹されたら追いつけない。だから、サクラは決してこの場を動けないのである。
(頭痛い……。お腹空いた……。イライラする……!)
思念誘導兵器は複数の機動兵器を頭で考えて動かす為、その消費カロリーは実は尋常でなく多い。
九十九を例にすると、模擬戦で限界まで《ヘカトンケイル》を使った後の彼は、あまりの空腹に「眼前の物全てが食い物に見える」と言う程思考力が低下する。実際、セシリアの金髪縦ロールに「チョココロネ!」と言って食いついて大騒動になった事さえある。今のサクラも、似たような状況にあると言える。
だが、それをISについては疎いマキリが気づくはずもなく。
「ええい、何をしておるサクラ!たかがIS使いの三人にいつまで時間をかけるのだ!殺せ!疾く殺せ!」
マキリの甲高い濁声がサクラの耳を打つ。その声音とこちらの状況を無視した発言に苛立ちが更に募る。
「どうした、サクラ!早う奴等を−−「うるさい!」」
なおも言い募るマキリに苛立ちが爆発したサクラは、マキリを黙らせようと一本の帯を彼に飛ばした。頬に掠めて血でも流させれば、少しは黙ってくれるだろう。そう思って。
だが、この時既に、彼女の集中力と思考力は既に大きく削られており、その手元が大きく狂ってしまう。頬を掠めて終わる筈だったその一撃は、マキリとサクラの両者にとって不幸な事に−−
ザシュッ!
「がっ……!」
「えっ……⁉」
「「「なっ!」」」
マキリの首、頚動脈を切り裂いてしまう。夥しい量の血がマキリの首から地面に降り注ぎ、ビチャビチャと濁った水音を立てる。自分の犯した罪に顔面蒼白になりながら、サクラは血に塗れる事も厭わずにマキリを抱き上げる。
「お爺様……!ごめんなさい、ごめんなさい!私が短気を起こしたから……!」
サクラは泣きながら、大きく切り裂かれたマキリの首に手を押し当て血を止めようとする。しかし、首の傷は大きく深く、少女の手では溢れる血を止める事は叶わない。助けを求めるように楯無達に目を向けるが、それに対して楯無に出来たのは『もはやどうにも出来ない』と言う意を込めて首を横に振る事だけだった。
「サ……クラ……」
「お爺様!」
掠れた声で孫娘の名を呼ぶマキリ。光を失いつつあるその瞳は、サクラに不可避の別離が近い事を雄弁に告げていた。震える手でサクラの腕を掴んで、息も絶え絶えにこう言った。
「シャクラを……何と……して……も……再……興……す……(ガクッ)」
「あ、ああ……お爺様ーーーっ!!」
マキリ・ゾルケイン、享年73。父祖の野望の実現。その為だけに生きた男の最期は、あまりにも呆気ないものだった。祖父を呼ぶ少女の後悔と慚愧の慟哭が、暗く寒々しいロシアの空に響いた。
♢
その後、現れた国連軍陸戦隊とロシア連邦警察にサクラは保護された。マキリは被疑者死亡のまま逮捕、書類送検される事になるだろう。サクラも幾許かの罪に問われるかも知れないが、未成年である事と本人の意思が弱い点を鑑みて実質無罪と言っていい判決が下ると思われる。
救急車に運ばれるマキリの遺体に縋り付き、壊れた音楽プレイヤーの様に謝罪の言葉を繰り返すサクラの姿は見ていて痛々しく、楯無達は言いようのない感情に支配され、彼女に声をかける事すら出来なかった。
なお、シュインジーはどうなったかと言うと、マキリが死んだと聞いて狂喜乱舞。これまでの鬱憤でも晴らすかのように盛大に父親を罵り倒した。
曰く「これであの糞親父の言いなりにならずに済む!何が『シャクラ再興こそゾルケインの悲願』だ!とっくの昔に死んだ国の事なんて知るかバーーカッ!あーあ!死んでくれて清清したよ、あの(自主規制)で(検閲削除)で(掲載自粛)の耄碌親父!だいたい−−(以下文字数にして15,000字に及ぶ父親への罵倒、愚痴、不平不満の羅列の為割愛)」との事である。もっとも、彼も彼で数百に及ぶ罪状によりロシア連邦国営超長期刑務所『ラーゲリ』に送られる事は決定しているのだが。
「サンドさん、私達はこの後どう動きましょう?」
言いようのない感情に無理矢理蓋をして、楯無はサンドに問いかけた。
「フェニックスの本隊に極超音速のICBMに乗って合流。協力して亡国機業壊滅にあたる予定です。急ぎプレセツク宇宙基地に向かいます。気にするなとは言いませんが、必要以上に引きずることの無い様に。行きましょう」
「「……はい」」
こうして、チーム・サンドの『ゾルケイン社制圧、及びマキリ・ゾルケインの追補任務』は何とも言えない後味の悪さを楯無達に残す形で終わった。
後に楯無は、意外な形でサクラと再会するのだが、それは今するべき話ではないだろう。
♢
時は僅かに遡り、オーストラリア空軍、IS配備特務隊『ギャラルホルン』駐屯基地にて−−
「ファリド司令」
「来たか……。総員、戦闘準備!この一戦をもって我らの力を示し『ベイエル』再興の狼煙とするのだ!」
「「はっ!」」
「向こうはこっちに気づいているだろうな。各員臨戦態勢!ぬかって死ぬなよ、箒!真耶!」
「はい!」
「篠ノ之さんの背中は、私が守ります!」
力を絶対の指針とする男と、かつて力に溺れた少女との戦いが、始まろうとしている。
次回予告
英雄に憧れた男は力を求めた。かつて力に溺れた少女は真の強さを探した。
男は言う。「力こそ何よりも絶対の真理だ」と。少女は言う。「ただ強い事に意味はない」と。
だが、これだけは確か。いつの時代も、信念を通せるのは強者のみ。
次回「転生者の打算的日常」
#105 亡霊退治(肆)
これがお前の言う真理か!マクギリス・ファリド!