橙と藍に説明を終えると、「私達も是非協力させてくれ。実はこの異変に反対だったんだ」と正式に仲間になってくれた。
操られた者は少なくなってきて、漸く、もうすぐで終わりなのだという自覚を持つことが出来た。
「レミリアを、助けに行こうか」
紙を見始めると、やはり博麗とレミリアの名前だけが強調される。決して自分を贔屓しているわけではないが、それでも戦ってくれてる皆はどう思ってるだろう、と気になってしまう。
「お嬢様……」
「レミリアちゃんね!」
「やっとだね。誰と行くの?」
やる気なのは皆だった。誰一人として、否定的ではない。
「鈴仙、もう少し待っててくれ。絶対助けるから」
「いいよ。私もいくんでしょ? 早く行こ」
「ありがとう。アリス、咲夜さん、鈴仙、来てくれるか?」
「当たり前でしょ」
「ええ。お嬢様達を助ける、なんておこがましいかも知れないけど、力になれるなら」
「ん。……人参スティック持っていこ」
「私もレミリアって子の速さを見たかったけど、仕方ないか。いってらっしゃい」
皆の期待に応えられるよう頑張る、その気持ちを一心に、手を振った。
人里の動きは止まったままで、人は微動だにせず座ったり、歩く動作のままである。しかし、時間は過ぎていく。解決して、動けるようになった人達は、知らずの内に過ぎた時間に、どう思うのだろうか。底には想像もつかなかった。
一体、八雲はどのように混乱を抑えるのだろうか。
人里を越えると、早速三体の敵が出てきた。人形だが、鳥と人間の中間のような異形、『ハーピー』と呼ばれる敵だ。
「ハーピー三体、俺がやる。『ビギナースパーク』」
光を集め、放出と同時に、横に払うと、二体を撃墜させた。続けて唖然とするハーピーを切り捨てる。
「あまり一人で戦おうとしないで、底」
「そうだよ。底の事だから、私達を温存させるために一人で戦ったんでしょ?」
「なるべくなら、そういうことはしないでほしいわね」
アリスに止められ、鈴仙にずばり言い当てられて、十六夜咲夜に釘を刺された。
「ご、ごめん」
「いいわよ。なるべく皆で戦うのよ?」
「……ああ」
霧の湖に着くと、歌がきこえた。『セイレーン』の歌声だった。セイレーンとは、上半身は人間、下半身は魚といわれ、美しい歌声は人を惑わし、難破や遭難に遭わせるとされている。近づくのも、耳にいれるのも、非常に危険なのだ。皆で耳を塞ぐ。
「なに、これは……近づくのは危険そうね。仕方ないわ、私が人形で追い払うわね」
言うと、槍を持った人形が一体降下し、暫くすると、魅了の歌は止んだ。
「流石にあんな妖怪見たことないわね」
「あれはセイレーンっていう海の妖怪だ。一回あいつの歌を近くできいてしまってな。皆離れ離れになった事があったんだ」
「なるほど、それなら気を付けないとね」
慎重に先へ進むと、霧の立ち込める中、真っ赤な館がうっすらと窺えた。
大きい時計は正確に時間を刻み込む。紅の城は、厳かに佇んでいた。
何事もなく門を開き、庭園の花、噴水を素通り、紅魔館に入った。
「これは勘だけれど、お嬢様は多分、あそこに居るわ」
「奇遇だな。俺も勘だが、あそこだと思う」
頷く底に、アリスと鈴仙は頭を斜めにした。わかるはずがない。あそこは、レミリアとの始まりの場所。底が初めて異変と、能力の恐ろしさと頼もしさを実感した場所。
「まぁ、簡単に行かしてくれるわけないよね」
鈴仙が目の前の光景を見て、面倒臭そうに頭を掻いた。
「妖精って、いつのまにか増えるのよね。手伝おうとはするものの、ちゃんと出来てないし。でも気持ちを無下に出来ないってお嬢様は受け入れるのよね」
溜め息混じりに言ったのは、十六夜咲夜であった。表面は嫌そうにしているが、本当はそうでもないんだな、と底は思う。
「どうする? この妖精メイド」
「もちろん――」四人は構える。
「倒す!」
妖精メイドは弱い。否、妖精が弱いのだ。チルノや大妖精と例外はあるものの、基本的には力をもたず、知能も低い。しかし、数の暴力となれば違う。どんな屈強な人間でも、蟻の軍隊には為す術がないだろう。
「『ソウルスカルプチュア』」
「『デヴィリーライトレイ』」
ただ、妖精が相手をするのは屈強な人間ではない。一回で蟻を数百潰す人外といってもいい人間だったのだ。
数ある技の中で、なるべく広範囲の攻撃を選び、なおかつ次の戦いに支障がないよう動かなければならない。底は辛かったが、アリスの人形が一体、傍らで槍を振るってくれていたようで、然程ダメージもなく、およそ五十の妖精との戦闘を終える事が出来た。
「いい運動にはなったわね」
と言いつつも、汗と息切れを隠そうとしないアリス。全員が疲労していた。
「ちょっと休憩しない?」
一際大きく呼吸すると、鈴仙が提案する。
異議を唱える者はいなかった。
「ところで」
幾分か呼吸が整うと、アリスが口を開いた。
「あそこってどこなのよ?」
「ああ、玉座の間だよ。あそこが、俺とレミリアの初めて会った所なんだ」
「そうなんだ……まだ聞いてなかったと思うんだけど、なんで二人が出会ったの?」
「どういう意味?」
「いや、鈴仙も気にならない? 底は人間で、レミリアちゃんは吸血鬼よ?」
鈴仙がなるほど、と言葉を出す。
「んー、前にも言ったような気もするけどな」
「いいじゃない、聞かせてよ」
「わかった。もら――……俺の死んだら戻る能力のお陰でもあるかな。レミリアは俺が異変解決に来る運命を見たらしい。その運命は、無数にあったんだって」
「どういうこと?」
「例えば、俺がレミリアに殺される運命もあれば、俺がレミリアに勝つ運命もあった。その数々の運命を見てる内に、俺が気になって仕方なくなったって言ってたな」
「その戦いの時に目が見えなくなったの?」
「まぁそうだな。鈴仙は魔力を知ってるか?」
鈴仙の頷きを見つつ、手に少量の魔力をのせ、淡い発光を見せた。
「魔力って、無理矢理溜めたら身体を壊すんだよ。近づいた時に今の技を使って、レミリアの目を眩ませたんだ。そのあと、魔理沙の技を真似ようとしたが、溜め方が悪くて目を壊してしまったんだ」
「ああ、それでうちに来たのね」
「そうだ。……と、そろそろ行こうか」
気付かぬ内に十分休憩していたらしく、名残惜しい気持ちを堪え、三人に言った。
無限に続くと思える程の廊下を、十六夜咲夜は迷わず先行する。絵画や高価な壺、鎧など様々な置物があるが、どれも興味をひくものはない。
これからレミリアと戦うのだ、と思うと、どうしても手足が震え、心臓が鉛のように重く、太鼓のような心音が身体中から発せられる錯覚を受けた。
いつもと同じで、何にも変わらない。ただ、倒す。そして、また笑いあうのだ、と底は自らを奮起させる。
やがて、十六夜咲夜は一つの扉の前で止まった。横顔は凛としていた。
「ここに、恐らくお嬢様が居るわ。どうしましょう?」
どうする、とは何を意味しているのだろう、と疑問を持った。
「どうするって、開けるしかないでしょ」
鈴仙が応えるも、十六夜咲夜はなかなか扉に手を掛けない。痺れを切らした鈴仙が、開けないのかを問う。
「私は貴方に聞いてるのよ、底。いいかしら?」
「……ああ」
「その震えを止めてもらえる?」
「あ……」
この震えはなんなのだろう。少なくとも、武者震いではないと思えた。では恐怖かと問われれば、そうでもない。
「貴方の震えの理由は知らないけれど、私は怖いわ。主と対峙する、そんなこと考えた事もなかった」
よく見ると、十六夜咲夜の手も震えていた。
「こんな澄ましたような顔をしていても、内心では凄く怖いの。貴方は、どうして震えてるの?」
十六夜咲夜の青い、真っ直ぐな瞳が此方に向く。底は今一度自分に問い掛けてみる。どうして震えているのか。
「――多分、レミリアを傷付けたくないからだ。怪我はしないのはわかってる。でも、恋人に刃を向けたくないんだと……思う。それはアリスや霊夢だって同じ筈だ。なんでだろうな、アリスの時はこんなことなかったのに……」
「レミリアちゃん程好きじゃないって事じゃないわよね……?」
底の吐露に、アリスは不安げな表情で、か細く裾を握る。
「三人とも同じくらい大好きだ。アリスだって傷付けたくないし、敵でも手をあげたくない」
強く否定する。
「もしかしたら――」
背後に居た鈴仙が言う。
「アリスの時は底戦ってなかったじゃん。だからかもよ。今戦う相手ってアリスみたいに拘束してこないんでしょ? だから直接戦うことに、無意識の内に身体が拒絶してるのかも。まぁ精神科じゃないからわからないけどね」
「そうなのか……?」
身体から応えはこない。当然ながら、手の震えは止まってなかった。
「こういう精神的なものにはお薬は処方出来ないから、克服が良いんだけどね」
「嫌だ。克服するくらいならレミリア達の手で殺された方が良い」
「そういうところは強情だなぁ。まぁ、底らしいか」
「わかった。私達がレミリアちゃんを止めてくるわ」
「……そうね。でも、絶対来なさい。お嬢様は、貴方を待ってるんだから」
「ごめん、必ず、すぐに行くから」
十六夜咲夜がドアノブを捻って引くと、隙間からちらりとレミリアの姿が見えた。
閉じられた扉を眺め、壁に凭れる。無音の中、耳鳴りがなり始めた。
目を閉じると、闇が覆った。その闇は居心地の良いものである。じっとすれば、心地よい闇が震えを止めてくれるのではないか、そう思えた。
深く嘆息する。
座っていると、時節壁を殴るような音や、壺の割れる音、シャランシャランという不思議な音だけがしていた。きっと、中では壮絶な戦いを繰り広げているのだろう、と底は思考する。いや、この不思議な音は、部屋の中からではない――。
「しかし、なんだろうな、この変な音。前に聞いたことがあるような……」
ふと、視線を左に向けた。息を呑む。いつのまにか震えは止まっていた。いや、止まらずにはいられなかった。