何度会いに行ったか。十回は三つの場所を繰り返していた。夜でもお構い無しだった。ただ会いたいが為に。何度かやっていると、正気を取り戻すのでは――等と言う希望も、無くはなかった。しかし、やはり甘かった。
一人では戦えない。
一人では助けられない。
独りでは、なにも出来ない。
「玄関で何してるの?」
振り返ると、訝しそうにした鈴仙が立っていた。
「なんでもない」
今の自分から出たとは思えない程、酷く冷淡だった。昔に戻ったよう。
「なんでもないことない。泣いてる」
指を差す鈴仙に、「嘘だ。騙されない」と怒った声色で言った。
「嘘じゃないから。床、見てよ」
騙されたと思って見てみると、透明な液体が床を濡らしていた。試しに頬を触ってみると、涙が止めどなく流れていた。
「泣いてない。泣いてないぞ」
「良いじゃない」
「え……?」
「なんで底がそんな頑張らなくちゃいけないの? 泣いて、心を壊して、感情を殺して、その先に何があるの?」
なにも言えなかった。
「もう……。底、来て」
底の横を通り、外への扉を開いた。動かない底を見て、「もう」とまた呟き、底の手を引いた。
濡れた頬を裂くような風が吹き荒ぶ。屋根の上まで飛ぶと、屋根に腰を下ろした。
「底は独りじゃない。私もいるし、魔理沙や紅さん。咲夜さんだっている。いっぱい、味方や仲間が居るでしょ?」
「…………」
「底が辛いんなら、相当の事があったと思う。言おうとすると、震えて仕方ないんだよね、怖いんだよね? だから言わなくていいよ。でも、恋人には言ってあげて。悲しみを分け合いっこしてあげて」
喉が熱くなる。体は芯まで冷えているのに、心は暖かく感じる。
「ごめんね、私こういうのあまり得意じゃないからまた訳わからないこと……でも、私達も頑張るから、だから底も頑張って恋人を救ってあげて。助けたら、底が辛いことを吐き出して。絶対に受け止めてくれるから。それで大丈夫になったら私達にも話して」
なんと弱い人間なのだろうか、自分よりながく生きているが、自分と同じ位の女の子に諭されないと、わからないのか。
「ごめんな……」
また鈴仙の前で泣くことになるとは、思いもしなかった。泣くならば、次は恋人の前で泣こうと決めていたのに、こんな決め事さえ守れないのか。
「泣かないで。恋人の前で泣いてあげて。その方が私も嬉しいから」
涙を止めるよう努める。しかし、一度決壊すれば、止めるのは容易ではなかった。
「ごめん、一人にしてくれないか?」
涙が止まらない事を覚らせまいと、背を向けたが、無意味だった。
「わかった。無理はしないでよ?」
鈴仙が家に戻るのを確認して、底は自分の不甲斐なさを恨んだ。
――あと一度だけ……あと一度会ったら、生まれ変わろう。新しい心で、仲間と家族に協力をお願いしよう。
「鈴仙、本当に世話になった。お願いがあるんだ」
「なに? 改まってどうしたの?」
「俺の罪滅ぼしに付き合ってくれ。俺は幻想郷を救おうだなんて思ってない。ただ、原因を作ったのは俺ではあるし、大切な恋人の危機でもある。俺は、恋人を助けて、紫に復讐して、紫と一緒に皆へちゃんと謝りたい」
地に両膝をつけ、手も床、頭を下げる。そんな底の姿を見て、鈴仙は慌てたように立つよう言った。
上から鈴仙の溜め息が聞こえた。
「もう、わかったから。手伝うから立って」
立ち上がると、鈴仙は困ったように笑っていた。
「そういうところは頑固で律儀なんだから。私が断るわけないじゃない。手伝って、でいいのよ」
「それじゃ駄目なんだ。俺が納得出来ない」
「納得した?」
「正直、わからん」
「……駄目じゃない」
「駄目だな」
一瞬の沈黙があり、二人の間で笑いが弾けた。
こういうのも良いな、と底は思う。恋人とは違う楽しさがあり、気が楽になった。
鈴仙には、感謝してもしきれない。底は、心の中で何度も感謝する。
家族や仲の良い友人にも同じことをすると、一様に驚かれた。そして、すぐ了承してくれた。
「今日は、この藤原妹紅って人を倒しに行く」
「ああ、上白沢さんが言ってた人ですよね?」
隣の紅美鈴が思い出したように言った。底は頷くと、続ける。
「レミリア達は、今の俺達じゃ倒せないと思う。もう少し強くなってから、畳み掛けよう」
「お嬢様方には暫く会えないのね……」
「まぁ、でもながくはないんじゃないか? 私もアリスと霊夢に会いたいぜ」
「それを言ったら私だって師匠や姫様に会いたいわよ」
少し湿っぽくなり、底は反射的に謝る。
「そうだな。ごめんな」
「なに、気にすんなって。この異変だって面白いじゃないか」
向かいの霧雨が、なんでもないように肩を叩いてきた。
「全員が有無を言わさず操られているのを、楽しいって言って言いかは疑問ですけどね」
「妖怪や神なら気にしないわよ。私達人間はどうかわからないけど……」
十六夜咲夜は人間である、底と霧雨へ窺うような視線を送って来た。
無論、こちらはどうも思っておらず、霧雨も悪いようには考えていないらしく、肩をあげておどけた。
雑談も終わり、紅美鈴、鈴仙、霧雨を連れて、竹林の入り口へ赴いた。辺りは暗い。
今朝の事もあり、結束力が高まった気がして、底の心にも余裕は出来た。
紙には、藤原妹紅が竹林に居ると記されている。しかし、広大な竹林の中で、たった一人の人間をどう探せば良いのか、誰からも案は出ない。
「普段は家に居るんだけどね。竹林に居るとすれば、屋敷の道中じゃない?」
鈴仙は唯一知っていたようで、敵の名前を聞いた時点で行くと志願していた。
相手は炎を操る不死の人間。対策などあるはずもなく、どうにかなるだろうという気持ちで挑んできた。
「居た」
白い、膝辺りまである長い髪には、白地に赤の入った大きなリボンが一つ、毛先に小さいリボンが複数。白のシャツに、燃えるような赤い、ぶかっとしたズボンには御札があり、紐で吊っている。瞳は紅い。まるで、アルビノのようだ。
冬にしては、薄着すぎる。操られている者が、なぜ薄着ばかりなのかは疑問だが、炎を操るならば、冬でも快適に過ごせるのだろう、と底は自己完結した。
「どうする?」
「背後に回って、魔理沙の技だ。行ってきてくれ」
背後の頭上から、「あいよ」と返事がして、音を立てず、草木を縫うように動く。きれいに背後をとり、ミニ八卦炉を向けた。
底達は既に射線上を脱している。
光った。次の瞬間、藤原妹紅が光にのみ込まれる。藤原妹紅の体力が黄色になったところで、光線はおさまった。
霧雨が草木から身を出す。
しかし、藤原妹紅は依然として、突っ立っていた。怪訝を感じつつも、敵を遠距離から攻撃し、呆気なく倒れた。
「なんかおかしい。姫様と戦う時は物凄い動くのに……」
「でも、何もないぜ?」
「少しの間見張っておこう」
上白沢慧音をふと思いだし、底が提案する。
暫くしても一切動く事はなく、霧雨が安堵する。鈴仙も警戒を解き、近づいていく。底は一度止めるも、寄っても尚、動かない藤原妹紅を見て溜め息一つ、鈴仙の横に立った。
「連れて帰りますか?」
後ろの紅美鈴が言った。霧雨が藤原妹紅の頬を、木の棒でつつく。
「この人は不死なんだよな?」
「そうよ?」
「……美鈴ならなにがあっても対応出来るな?」
「え、まぁそうだと思います……」
「じゃあ、悪いがこの人を運んでくれないか? 出来る限り警戒して」
「あ……はい、わかりました」
困惑した全員に、簡潔に説明をする。
「この人は不死だ、何回生き返ってもおかしくないだろ?」
あとは分かるな? という視線を三人に送った。
「確かに……よく考えついたわね」
鈴仙はなにかの意図が見え隠れする優しい笑みを向けてくる。
「美鈴、頼む」
頷き、藤原妹紅の背中と膝裏に手を回して、抱き上げた。
うす暗い中、もと来た道を戻っていく。
何事もなく、竹林を出る。
――火の粉が舞っていた。あまりに不自然で、霊力が宿っていた。
「これは……?」
誰かが漏らした。返事をするでもなく見魅っていると、空から暖かい夕焼け色の光が照らした。
――鳥だった。巨大で、ゆらゆらと燃え盛る、火の鳥。
「な……」
開いた口が塞がらなかった。夜空に悠然と羽ばたく不死鳥。幻想的で、非現実的で、一瞬夢かと錯覚するほどの光景だった。
「《フェニックスの尾》」
隣で、赤い何かが羽ばたいた。