十六夜咲夜は時を止める。なんのデメリットも無しに。
問題は、十六夜咲夜の能力による攻撃と、視認する限りの絶対回避を、どう破るかであった。
刹那にはもう、ナイフが目の前にあるという恐怖に、底はどう立ち向かうかという課題でもあった。
反射神経が良く、中国拳法を知り尽くした紅美鈴。狂気の瞳を宿し、紅美鈴の猛攻を防御し、幾度も力を見せつけ、底を救った鈴仙。圧倒的なパワーと派手な魔法を好み、前回の戦いに大きく貢献した霧雨。
メンバーは決まっているものの、なかなか紅魔館へ踏み込めずに居た。
というのも、十六夜咲夜という人物は敵と判断したら容赦はしない。初めての異変では、館に入った瞬間殺されたのだ。
「最初の異変を思い出すな」
霧雨はのんきにも、扉で立ち尽くす底の肩を叩く。
「俺も今思い出してた。開けた瞬間ナイフが飛んで来るかもしれない」
底の杞憂に、霧雨と鈴仙は、「そんなこと流石にない」と笑った。しかし、紅美鈴は至って真面目な顔で、「咲夜さんなら否めないですね。私が先行します」と申し出た。
「頼めるか?」
「任せてください! 底さんを倒させる訳にはいきませんしね」
とん、と自らの胸を軽く叩く紅美鈴に、底は感謝した。霧雨と鈴仙は、どこか腑に落ちないような表情をしている。
「開けますよ」
紅美鈴の確認に、全員で頷く。二人もさっきのような無防備ではなく、警戒しているのが伝わった。
無限に続くような廊下、赤いカーペットに足を踏み入れる。ナイフは来ない。
ほっと安堵の息を吐いた。
「なんだ、やっぱ来ないじゃないか」
「そうね……私は戦う人間を知らないけど、警戒しすぎじゃない?」
「いや、敵の咲夜さんにはこれくらい警戒しないと――」
急に、視界が赤くなった。紅美鈴の髪だ。
「皆さん、来ましたよ!」
紅美鈴が飛んで来るナイフをとってくれたようだ。十六夜咲夜は、堂々と廊下で仁王立ちしていた。
「へっ、先手必勝だぜ!《マスタースパーク》!」
霧雨が前に出て、ミニ八卦炉から光を収縮し、一気に放出した。その光は赤い廊下を埋めつくし、逃げ場を無くす。
「やった! これ倒したんじゃない!?」
鈴仙の気を抜いた声に、底は一喝する。
「まだだ! 鈴仙と魔理沙は後ろの通路を警戒、美鈴と俺は前だ! あとは作戦通りにな!」
光線が消えるも、やはり底の視界の中には居ない。ふと横を見ると、紅美鈴が目を瞑って構えていた。
「居た!」
鈴仙の声が背後からした。霧雨の魔法を放つ音、金属音がするなか、底は壁に背を当てた。
十六夜咲夜の戦闘力は然程高くない。能力が厄介なのだ。時を止めて移動、ナイフ投擲、広ければ広いほど厄介であり、太刀打ちすら出来なくなる。気が付けば後ろを取られていた、なんてことは珍しくなかった。
縦横無尽に移動し、視界を掻い潜って攻撃されるのが何時だって一番辛いのだ。よって、鈴仙を霧雨がフォローし、紅美鈴は底をフォローするという作戦を事前に伝えていた。
「底さん、咲夜さんならそろそろこっちに攻撃を仕掛けてくると思います」
「わかった」
右に視線を移すと、十六夜咲夜は体力が減っておらず、二人とも少し減らされていた。
未だ瞑目する紅美鈴の背後に十六夜咲夜が移動し、ナイフを振り上げる。
「《彩光蓮華掌》」
十六夜咲夜の腹に、紅美鈴は掌を当て、そのまま十六夜咲夜の横を通った。しかし、紅美鈴の背後に十六夜咲夜が再度移動して、紅美鈴を突かんとする。
――その時、十六夜咲夜が爆発した。
いきなりの出来事に、底は唖然とする。同様に壁を背にする鈴仙と霧雨の二人もだった。
「今は戦闘中なんですよ!」
時を止めた攻撃を往なし続けていた紅美鈴が、叱咤の声を挙げる。
底は我に返るも、二人の戦いにどう乱入すればいいか分からず、困窮した。下手に動けば、却って邪魔をしてしまうだけだ。その考えが、底を動かせずにいた。
十六夜咲夜の行動を熟視する。体力が黄色以外にも、一挙一動を観察する。そして、攻略のビジョンが視えた。
「美鈴、壁を背にしてくれ」
怪訝ながらも、「わかりました」と言う通りにした。
推測が正しければ、勝ちは揺るぎない。幸いか、狙ってか、紅美鈴は底のすぐ側にいた。底に向かって数本の投げられたナイフを、紅美鈴が弾いた。
「俺が出る。手は出さないでくれよ」
「一人じゃ危険ですよ!」
「そうよ! あんたそこまで強くないじゃない!」
「それには私もどう意見だ」
全員が反対するが、底には揺るぎない自信があった。この作戦においては、自分が適任だ、と思っている。
「大丈夫だ。勝てる」
絶えず紅美鈴の腕と足は動いている。無数に放たれるナイフを弾いていく作業を物ともしていない。
底が駆けて廊下の真ん中に出る。横幅五メートル程の廊下は、動き回る事も出来る。それが幸いであった。
十六夜咲夜は腕を組み、どこか上品に直立する。消えた。
底は前方に側転ひねりし、背後に居た十六夜咲夜を認識する。地に足をつけた瞬間に、前転して更に背後をとる十六夜咲夜から離れる。
三人の声援を一身に、底は立ち上がり様に振り向き、刀で薙ぐ。腕を挙げる十六夜咲夜と目が合った。
こちらの振り抜きが早い、底は確信し、そのまま勢いよく十六夜咲夜の首を一閃した。
「あの時、なにか秘策があったんだよな?」
「あ、それ私も気になる。どうしてなの?」
食堂にて、疲労した四人は食事をしていた。三人は疑問を溜めて着いてきたようだ。
「戦ってた美鈴なら分かるんじゃないか?」
肉まんを幸せそうに頬張る紅美鈴に、三人で視線を向ける。視線に気づくと、咀嚼をそこそこにのみ込み、「背後をとりすぎて調子を乱された程度ですかね」と核心をついた。
「それだよ。咲夜さんは背後を取ろうとして、逆に行動を制限されてたんだ。だから勝てるなってさ」
「私でも出れたじゃない。紅さんだって近接は得意でしょ?」
尤もな質問に、底はコーラを口にしてから答える。
「観察してたから、どう後ろを取るか、どれくらいの時間で移動するかは事前に知ってたんだよ」
「流石ですね。私達だけではじり貧でしたよ」
最後の一口を終えた紅美鈴が言う。
「……あの時は弱いなんて言ってごめんね、撤回するわ」
「そうだな、悪かった」
「気にしてないって。ほら、飯がまだ残ってるぞ」
底の皿にも、まだある。
留守をしていた皆は娯楽室や自室に居るのだろうか。食堂には四人しか居ない。
出迎えがないというのも、なかなか寂しいものだ、と底は思う。大勢居るのに、先程から誰一人として見掛けていない。
食事を終えると、鈴仙はデザートに人参をかじり始めた。紅美鈴と霧雨は特にすることが無いらしく、自室に戻った。
「ねぇ、これっていつまで続くのかな?」
鈴仙からすると、日常会話のように何気なく聞いたに違いない。しかしその言葉は、底の心臓を跳ねあげるのに十分だった。
「なんでいきなり?」
声が上擦ったのに、鈴仙が微笑する。
「いや、理由は無いけどね、よく考えたら底だけが動けてたって結構可笑しいしさ。スキマ妖怪にもなにか魂胆があったのかなって」
これほどまでの些細な疑問を、底は危険視していなかったことに、今更後悔した。少しでも考えればわかる事だったのに、底は考えないようにしていたのだ。それも、トラウマを連想される事柄は、無意識に知らないふりをしていた。
口は動くものの、言葉は出ない。
「どうしたの?」
「……ごめん」
結局、口から出た言葉は謝罪だった。
「底は悪くないでしょ? 異変の犯人はあのスキマよ。そうでしょ?」
鈴仙の微笑みが、胸を裂くような痛みを与える。
「ごめんな……ごめん」
口から謝罪がこぼれるのと同じで、目から涙がこぼれる。
「……わかったから。私は、怒ってないよ」
罪悪感で一杯だった。
出てくるのは、あの時の記憶。
聞かなければよかった、という後悔。
全員をまきこんだ罪悪感。
いつまでも引きずる自分の愚かさ。
『底』という人間の意味。
「大丈夫。私は怒らないから。辛いなら大丈夫になるまで待ってるから。まだ頑張ろ、ね?」
少しだけ、鈴仙の優しさに救われた。