「底は動けないわね」
「行く。一緒に行こう。絶対に」
呆けたような顔の次に真剣な表情になった。
「戻ったのね。なにがあったの?」
レミリアが出ていった後の事を思い出せる範囲で話した。粗方話終えると、レミリアが深く溜め息を吐いて優しく微笑んだ。
「馬鹿ね、そんなことじゃ私は死なないわよ。蝙蝠一匹でも再生出来るのよ? 蝙蝠に変身して、元に戻ればいいだけよ」
「お前が怪我をしただけでも俺には耐えられない」
というのも、肉体的に暴力を受けたりは散々したが、精神的には受けたことがなかったのだ。ここに来てからは精神面で攻撃されることは増えたものの、やはり少ない。それは確実に底の弱点となっていた。
「お互い様ね。じゃあゆっくり行きましょ」
這いずる底に合わせ、レミリアも這ってくれている。なるべく早く行こうと焦ると、レミリアが止めてくれる。
やっとの思いで着く。扉の近くに立つと痛みは嘘のように無くなっていて、脂汗が気分を害させる。
「大丈夫?」
ハンカチで顔を拭られた。礼を言ってから痛みが無くなった事を伝えると、安心したように頬を緩める。
「ここの先に二人いるはず。黒髪と銀髪の人だ。銀髪は弓を使っていた。黒髪は見たところなにも武器はなかったぞ」
銀髪……、と呟いてなにか気づいたように言う。
「銀髪の人は医者じゃないかしら? 半分赤、半分青だったんじゃない?」
記憶を探ると、確かに奇抜な格好をしていた。黒髪は確か洋風な和服だったはず。更に三つ編みをしていた事を告げると、レミリアは確信した様子を浮かべた。
「絶対あの医者だわ。底、行くわよ」
返事をして押扉を開けたレミリアに続く。
偽物の月。竹の大群。天気は変わらず雲がなく、満天の星空を映し出していた。見回すも人が居らず、見回すと、庭にそっくりだった。戻ってしまったのだろうか、そう怪訝に思った時、二人が現れた。
「侵入者は貴方達だったのね。全く、うどんげはなにをしてるのやら……」
「サボるほど馬鹿ではないと思うのだけれど」
先に発言したのは銀髪。次に黒髪だった。
「姫様は甘いのです。仮にも弟子なのですから厳しくしないと」
「何事にも飴と鞭よ」
気品溢れる微笑みを浮かべた。
時間がないのでとりあえず二人に話し掛ける事にした。
「異変をおこしたのはお二人で合っていますか?」
二人の視線がこちらに向いた。
「正確にはここの永琳がね。知ってるかしら? 月には都市があるのよ。それはそれは退屈で、平和で、なんの面白味もない所なのよ」
「それがどうしたんですか?」
「私と永琳、鈴仙はね、月に住んでたの。でも私は自由と幸せを求めて地上にやって来たの。その際に禁忌を犯しちゃって、月の住人に嫌われてるわ」
「禁忌?」
レミリアが聞き返すと、黒髪は手を胸辺りに当てた。
「不老不死よ。私は老いることも死ぬこともないの。何億年前かで成長は止まったまま。それは永琳だって一緒よ。追放されたの。でも、先日送られてきたの。これを見て」
ずっと袖から出さなかった手を出し、一枚の紙を浮かせてこちらに渡してきた。
横のレミリアは、身長が足らないからなのか、翼を使って浮こうとしたので底が屈んで見えるようにした。
『満月の日、迎えに行きます』
とだけ紙に書いていた。あっけらかんとするが、よく考えると、拒否権がないように感じた。
「月にはここの住人達全員が戦っても勝てないほどの技術と力がある。私達は抗えないわ。あそこに連れていかれると、私達が何されるのか想像もつかないの。早い話、見逃してくれないかしら? この月はあいつらが来れないようにするための術なの。私達に恩を返すと思って、お願い」
手を重ねた。恩はある。それも多大な。外で盲目を治す事は出来なかっただろうと自分でも分かっていたのに、いとも容易く治してくれた。料金や求めるものはなにもなく、無償で治してくれた。そこは恩を感じている。
しかし――。
「それは……申し訳ないがそれは出来ません」
八雲を裏切ること、それは底には無理な話だった。天秤にかけると、大差で八雲が勝つ。ここに連れてきてくれたこと。そのおかげでいまの底があり、恋人がいる。
この幸せは外で一生をかけても味わえないものだと知っている。
「……なぜかしら?」
「俺は、元々外の人間です。俺は死にません。死んでも時間が戻ってしまうからです。外では毎日何度も死んでは繰り返し、逃げて、遠回りして生きて。無気力で、既に死んでいて。そんなとき、強制だったけど紫はここに連れてきてくれた。俺の人生は変わりました。恋人が出来て、支えてくれる者がいて、俺は幸せです。きっかけはどうあれ、俺は恩を感じてる。それも大きな。だから、紫を裏切ることは出来ないんです」
休まず話した事に、喉が渇きを訴えたが、飲んでる場合ではないと自分に渇を入れた。
この場合では、一気に吐露した方が感情的になって相手にもわかってもらえることが多いのではないか、と底は考えていた。
黒髪の考えている事は分かっていた。情を作らせ、そこに付け入る。恩を売ったことで、また了承させやすいように。
「提案があるのだけれど。あと二日待ってくれたら月を元に戻すわ。待ってくれないかしら?」
「駄目です」
「じゃあ、一晩だけでも。ね?」
『ドア・イン・ザ・フェイス』
一度大きい願い事をして、断られたら小さなお願いをする。その心理テクニックは知っている。
「俺に心理的なものは効きませんよ。貴女がやっているテクニックも俺は知ってます」
「なんの事かしら?」
黒髪もなかなかに強かだ。姫だからと侮れない。図星だとわからないよう、ポーカーフェイスを作っている。
「俺は何度も死んできました。殺されました。その時、心理的テクニックを使ったことは多々あるんです。もう、戦って異変を止める以外に方法はないんです」
「そう。じゃ仕方ないわね。永琳、頼んだわよ」
「ええ。姫様、下がっていてください」
和服を地面に引き摺りながらも、黒髪は木の下の岩に腰かけた。どうやら黒髪は戦わないようだ。
底とレミリアは銀髪と向かい合う。相手は弓の使い手。近距離ならこちらが有利。そこを突くしかないか。
「繰鍛 底」
「レミリア・スカーレット」
「八意永琳よ」
底は刀を、レミリアは真っ赤な槍を、八意永琳は弓に矢をつがえて。
時間のセーブは済んだ。
小手調べに高速で動く。通った所には一本の草火が出て、消えていく。八意永琳の周りを絶えず回って様子見する。
突然目を閉じる八意永琳。訝しげに目を光らせつつ、速度を上げた。
八意永琳は弦を引き、そして――空に向けて放った。
唖然となって動きが一瞬止まってしまった。
止まった事を利用して背後から奇襲をかけるも、腕を背中にやり、弓で刀を止められる。底が吃驚した所で、正面からレミリアが槍を薙いだ。
しかし槍も止まる。おかしい、そう思い、八意永琳の肩越しに目を凝らすと判明した。
なんと矢でレミリアの槍を止めていたのだ。鬼の力を有するレミリアに片手で。
驚愕して、力負けしてしまった。視界が回る。地面に打ち付けられ、咳き込んでいると、腹辺りになにかが刺さった。
――矢だ。
顔に砂がついたレミリアが必死に底の名を呼ぶ。
名乗り、八意永琳に穴が開くほど注視する。
五秒もの硬直を経て、八意永琳が二本の矢を放ってきた。恐ろしい速度ではあるが、見えないほどではない。冷静に避ける。レミリアにも飛んでいたようで、レミリアは目の前で矢を握り、折った。
八意永琳の喉が動いたのに、たまたま気づいた。きっと生唾でも飲み込んだのだろうが、やけに気になる。
足に雷を纏わせ、正面から袈裟斬り。
甘い、そう言いたげに口を歪め、弓で防御した。そのまま前蹴りを繰り出す。八意永琳が後ろに退いた。
後ろにはいつのまにか居たレミリアが爪で、槍で、蝙蝠の大群で攻撃する。しかし、そのどれもが八意永琳には届かない。まるで一歩、二歩先が視えているかのように攻撃を潰される。息のあったコンビネーションも尽く躱され、防御され、挙げ句にはカウンターさえも食らう。
そうして繰り返し戦い六回目、漸く理解し、看破した。
八意永琳はドーピングしている。
あの喉を動かす動作。毎回戦う直前にやっていて、たまに噛んだりしているのだ。つまり、飲み込む前に気絶させればいい。
「繰鍛 底だ。その頭に刻み込め!」
不意打ちで刀の持ち手を腹にあてた。項垂れる八意永琳を地面に横たわらせる。
「底、どうしたの?」
レミリアに向き直る。背後でブーイングが聞こえるが、無視して説明した。
「そう。ドーピングは駄目よね。なら注意しないと」
そう言ってから、八意永琳に馬乗りになって口を開かせた。やがて、指を突っ込んでひとつの粒を取り出して見せた。
「これか」
「多分ね。歯の間に挟まってたわ」
白く、米粒程度の小ささ。一見なにかのごみにも見えなくないが、恐らくこれだろう。これを飲めば、強くなる。
「見せて」
掌にのせ、よく観察した。わかることはなく、なにより黒髪が煩かったので、そこらに捨てたように見せかけて、口に含んでから名乗った。