「じょ、冗談はやめろよ……レミリア」
「冗談じゃないわ底、最近ずっと言いたかったのだけれど」
振り向いたその小さな顔は血に染まっていた。吸血鬼の歯をちらつかせ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。「あなたのこと、好きじゃなくなったの」
「なに……?」
一瞬で動悸が激しくなった。汗も気持ち悪くなってきて、呼吸が上手く出来ない。
「冷めたのよ。今日だって、この時をずっと狙ってたの。竹林は満月の光を受けないから難儀よね」
そう言われて気づく。ここら周辺はひらけていて、月の光を直に受ける。
「嘘だ……嘘だよ。お前に限ってそんなことがあるわけない……嘘だろ?」
「誰に『お前』と言っている? 貴様はもう、私とは赤の他人同然」
自然と笑いが込み上げる。無気力になってしまう。足に力が入らず、地面にへたりこんでしまった。無様だ。
――なんだか知らないけど、幸せ。死んでもいいくらいに。
――底、愛してるわ。
フラッシュバックする。レミリアとの思い出が。愛おしいその小さな体、大きな信念、深い愛情はもう自分に向けてくれないのだろうか。
「本当に無様ね。こんな奴を愛してたのかしら。自分に吐き気がするわ」
瞳が冷たい。どこまでも、深く、冷たい。
槍を振り上げる。片方の腕が舞った。真っ赤な液体と共に。無意識に悲鳴が挙がる。色んな痛みで涙が流れる。転がるも、切断面に土が付着し、痛みは増すだけだった。
「うるさい。少し黙ってはくれないか?」
右足がなくなった。
「いやだ……レミリア、離れないでくれ。俺を嫌いだなんて……」
痛みがなくなってきた。出血多量か、脳が痛覚を消してくれたのか。どちらでもよかった。どうでもいい。次の、レミリアはもしかしたら――。
戻った。鈴仙を見る。赤く光っていて、視線が合った……。
隣のレミリアを見ると、鈴仙を注視していた。安心して息を吐く。レミリアの手を握る。
「触らないで」
が、振り払われる。体、顔が固まるのを感じた。
「れ、レミリア?」
もう一度。
「触るな……!」
駄目。
「触るな……? なにを……」
「貴様、異変と一緒で気づかなかったか? 私はもう、貴様など眼中にない」
笑う。嗤う。
前回と一緒だった。醜いものでも見るかのように、膝から崩れ落ちた底を見下している。
「今が好機、か。この際言っておくが、貴様を連れてきたのもこれが狙いだ。貴様を殺したかった。貴様を殺せば、私が“人間に恋した”という事がなくなる」
「やめろ。やめてくれ……」
心臓がうるさかった。あちこちが汗で気持ち悪い。視界がぐるぐると回る。
「だが、貴様は死なない。いや、戻る。ならば、生かしながら殺せばいい」
「俺は、お前が離れても、俺は離さない。絶対に。なにがあっても」
吐き気を催しながら、約束を言った。
鼻で笑う。
「そうか。お前が離さないのはその汚く濁った魂だけでいい。決して意識を手放すなよ」
長くなった爪を腕に突き立てる。痛みに喘ぎながら、レミリアを見つめる。
口の端をつり上げるレミリア。次の瞬間、爪を使い、手首まで裂いた。悲鳴を挙げても、レミリアは止まらない。涙を流しても拷問紛いをやめてくれない。
レミリアの口が動いた。
「ごめんね、底……体が勝手に……」
悲しそうにしたその顔。今にも泣きそうな。
「レミリア……!」
痛みは消えた。嬉しさが圧勝していたのだ。血まみれの腕を動かし、レミリアを抱く。
小さい笑い声。胸の違和感。
「なんて単純な男かしらね」
レミリアの細い腕が底の胸に刺さっていた。レミリアに視線を移す。
狂笑。
「レミリア……」
信じられなかった。前回ともに同じ進みかたで、レミリアが拒絶するのは絶対なのだろうか、本当なのだろうか。まだ諦められずにいた。いや、たった二回で諦められない。次こそは――そこまで考え、視界が暗くなった。
目を瞑る。真っ暗の中で、前回と前々回を思い出す。どこがいけなかったのか、どこを間違えたのか。なにもわからなかった。
「私はレミリアよ。こっちは繰鍜 底。改めて名乗るわ」
隣でレミリアが自己紹介したようだ。痛みはない。五体も満足だ。
「なぁ――」
「繰鍜さん!」
鈴仙が遮るようにして呼ぶ。いまはそれどころではなく、真偽を確かめるために聞かなくてはいけないというのに、何度も底の名を呼ぶ。
仕方なく鈴仙を見る。
にっこりと。目が笑っていないが、笑みを見せた……。
「なんだ?」
――――わき腹になにか衝撃を受けた。そのあと、じわりと液体が垂れる感覚が襲った。
「貴様を殺したくてウズウズしてるんだ。今回を合わせてお前は何回死んだ?」
「レミリア」
腕がわき腹を貫いている。体内でレミリアの手が動く。その度に痛みがやってくる。貫いているのもそうだが、内側を爪で傷つけられているのだ。顔をしかめる。
「レミリア、やめてくれ」
「質問に答えろ」
腕をレミリアのもう片方の腕で斬り裂かれた。血が舞う。
痛みとは繰り返されると慣れないようで、新鮮な痛みが襲いかかる。
短い悲鳴を挙げる底を、愉しそうにレミリアがゆっくりと皮膚を裂いていく。
「どうした? 反撃をしないのか? あのときみたいに戦ってみせろ」
「レミリア……お前を攻撃することは出来ない。なにをされても攻撃しない。愛してるんだ。そんなことができるはずない」
途切れ途切れではあるが、なんとか喋れた。その間にも、体内にある手は動いていた。
面白くなさそうに舌打ちした。
「生きてる価値がないな。これだから貴様は駄目なんだ。もういい、死ね」
無慈悲にも繰り出される槍の攻撃。もう、一瞬の死を待つしかなかった。
座り込んで頭を押さえる。頭痛が酷かった。もう十五回は繰り返しただろうか。数えてはいないが、限界が近い。思い出すのはレミリアの裏切りしかない。絶望的だった。殺すために動くレミリアから、逃れる術はなく、また、戦う選択肢は皆無。
「あなた、大丈夫?」
きれいなレミリアの声は殺気が混じったように感じる。
「そ、底?」
「やめてくれ。もう、殺さないでくれ……嫌いだなんて言うな……」
「底、大丈夫よ、私は離れないわ」
「嘘だ。そう言って何回も殺した。俺をその爪で、槍で……言葉で!」
顔を上げる。さぞ醜い顔になっているであろう、底の顔を優しく手で包む。
「信じて。あなたを――」
「そこの男の人、ちょっとこっち見てよ!」
鈴仙が何度も呼ぶ。何度も。
「うるさい!」
足に雷を付け、高速で鈴仙の頬を殴る。吹っ飛ぶが追い、何度も殴る。腹を蹴る。顔を殴る。狂ったように。
「ずっと呼んで、結局なにもないってなんなんだよ! ずっと、ずっと、呼びやがって! 死ね、死ね!」
血を吐いてもまだ止めず、嘔吐しても止めず。
「底、やめなさい!」
後ろでレミリアの叫び声がする。
「なんだよ、またそうやって裏切るのかよ。お前なんか俺の愛してるレミリアじゃない!」
我にかえる。つい言ってしまった。本当はそんなこと思ってない。本当に思ってないのか、底は疑問に思った。もう、自分がわからなくなってきていた。
レミリアが放心する。崩れ落ちた。
「いや、そんな、言うつもりはなかったんだ。レミリアはレミリアだもんな。何者でもないよな。ごめん。本当にごめん……」
口が勝手に動いた。視線を彷徨わせ、やがて鈴仙へと行き着いた。
憎悪の顔を浮かべている。白目も血で赤く染まっている……。
舌が跳ねる音がした。
「なぜ演技だとわかった?」
唖然。気づけばレミリアが目の前に居て、腕を突きだしていた。視線を下げると、胸に入ってる手。
「またか……!」
力一杯レミリアの腕を掴むが、意味をなしてない。三日月めいた口になった瞬間、心臓に違和感がした。
「私はレミリアよ。こっちは繰鍜 底。改めて名乗るわ」
意識が覚める。放心していたようだ。
冷静に考えてみると、途中からは本当に心配していたのではないか? と底は考えた。
「繰鍜さん!」
もし、何らかの引き金があり、それがレミリアをおかしくしているなら?
「もういい! レミリアさん!」
「なにかし……ら?」
そう考えるのが自然ではある。レミリアが底を裏切るなんてことがあるはずない。
願望や、希望的観測に近かった。それでもいい。もし、レミリアが操られているならば――。
「底……そんなこと言わないで……」
「レミリア……?」
目を開けて、顔を横に向けた。
レミリアがへたりこんでいる。
「いやよ……何を言っても私は別れないわ。それなら死んだほうがまし……」
底の居ない、どこかを見つめて話している。涙さきえも浮かべながら。
「どうした? 俺はここにいるぞ」
そう言って抱き締めてもレミリアは反応しない。悲痛な声が耳元でするなか、やっとパズルが完成した錯覚を覚えた。
「鈴仙。お前だな、いままで俺に幻覚を見せてるのは。今、レミリアにやったな。いますぐ解け」
原因はあの赤い目だ。あれを見てから、いつもレミリアが襲ってきていた。内心、腸が煮えくりかえりそうだった。
図星か、横のてゐの肩が跳ねる。てゐが居たのに今更ながら気づいたが、どうでもいい。
「なんのことかし――」
「解け」
しらばっくれる鈴仙に高速で近づき、腹に拳を叩き込む。
どうやら目を見なければ良いだけで、顔から下に目線を遣っていたら、幻覚はなかった。
噎せる鈴仙の髪を掴み、強引に顔をあげさせる。てゐが叫んでいるが、この際無視だ。
「早く解け」
「恩を仇でかえすの?」
「勘違いするな。お前に治された訳じゃない」
「私が治したのを知らないの?」
「下手くそな嘘を吐くな。お前のような声ではなかった。もっと優しい声だったよ。少なくとも、お前みたいな声じゃない。それに、俺は先生を見たぞ」
舌打ちした。
底は盲目の時、確かに手術してくれた人の顔を見ていないが、鈴仙やてゐではないとはっきり分かる。屋敷を出る時にいた、銀髪の人が治してくれたはずだ。
「人間が私に勝て――」
「お前の選択肢は、幻覚を解く以外にない。なんなら、殺してもいいし、気絶させてもいい」
もう一度腹を殴った。血を吐く。
高速で殴った時点で、相当な痛手を負ったはずだ。内臓に達しているかはわからないが、どちらでもいいとさえ思っている。レミリアを治せるなら。
種がわかったので、もう怯えることはない。
「私の答えはこれよ!」
鈴仙の腕が動き、無拍子でわき腹を殴った。
底が痛みに唸るが、髪は離さない。続けて鈴仙が二度、三度と同じ場所を攻撃する。
髪を引っ張り、地面に倒れさせて、底は一旦離れた。
「月に帰る訳にはいかない! もし師匠がやられたら、私達は一貫の終わりよ! それなら、あんたを殺してでも守る!」
髪を振り乱しつつ、吐露した。
面倒なことになった、呟いて舌打ちする。未だにレミリアは泣きながら何もない空間にしがみつき、懇願していた。
「俺は死んでも構わない。それでお前らが幸せになるならな。だが、俺は繰り返し何度でもお前と戦うぞ。ここで退かなかったことを後悔しろ」
てゐは戦わないようで、隅にいる。実質一対一。
「とんでもない自己犠牲ね、主人公になったつもりかしら? じゃあ死んでよ。退いてよ。もう、あそこには帰りたくない……!」
拳を構えて、走ってきた。速度は兎なだけあり、速い。目を合わせず、刀の峰で向かいうつ。
拳を振るう。刀を振るう。
全てが遅く見えた。この刀は拳に当たり、相手は怯む。そして、そこを峰打ちで気絶。
そこまでのビジョンが視え、根拠もないのに確実に出来る、と思える。
事は上手くいった。視た通りに体が勝手に動き、鈴仙を倒してくれた。
嗚咽がやむ。
レミリアの元へ走って向かう。見上げるレミリアの顔は酷いものだった。
「底……?」
涙を拭い、こちらを窺うレミリアが、凄く愛おしい。
「レミリア、幻覚だ。俺は離れないぞ」
出来る限り優しく微笑んで、両手を広げる。胸に飛び込んできたレミリアを受けとめ、強く、苦しい位に力を入れた。
「底が離れていくの、お前なんか嫌いだ、もう近寄らないでくれって」
嗚咽が混じり、所々聞こえなかったが、概ねは底自身が見た幻覚と同じだろう。
「言わない。そんなこと言わないぞ。一生離れるもんか」
「底にしがみついても蹴られて……」
「大丈夫。レミリアに悲しい思いはさせないよ。愛してる」
必死に落ち着かせ、嗚咽がとまり、涙も完全に止まった時には、時間は午前四時をこえていた。