隣で眠るアリスの腰に、底は人差し指を這わせた。アリスが薄く目を開けると、底を数秒間見つめる。そして優しく微笑んだ。
「ごめんな。起こす気はなかったんだ」
「触られたら起きるわよ」
底の胸にすりよってきたアリスの頭を撫で、愛の言葉を呟く。ベッドの横にある、スタンドライトの淡い光がアリスを照らす。その顔は少し赤くなっている。
底は幸せの絶頂に立っている。最愛の一人と一つになれて、悩み事もなければ秘密もない。少しの秘密もないのか、と問われればそれは迷う、が、言うことはないし、言うほどの事はない。と断言出来る。逆に言えば、底の隠し事は、繰り返すこと以外にない。
幸せそうに笑うアリスにキスをする。ベッドで抱き合い、アリスの体温が底へ直に伝わる。
「ねぇ」
ふとアリスが疑問を持ったような声を挙げた。「いままで、底はどれくらい死んだの?」
聞かれたものの、どう応えたら良いものか、底は悩んだ。数秒考えた結果の末に、底は、わからない、と応えた。
「死んだのを数えることはしてないな。子供の頃からだから、覚えてない。でも三桁はこえてると思うよ」
「そ、そんなに……? 私なら耐えられないわ」
苦笑まじりに言った。
何度死んでも、“戻る”ために、精神状態も戻る。苛々した状態で死ぬと、その苛立ちは消える。アリスに伝えると、へぇー、と息を吐いた。
「ただ、沈んだ気分の時に誰かと戦うとする。で、戦いで気分が高揚しても、死ぬとまた沈んだ気分に戻るよ」
「それは難儀ね……」
「でも、多分だけど、紫ならこれを治せるんだよな」
「じゃ、じゃあ――」
起き上がったアリス。その際、毛布が捲れ上がり、ブラジャーを纏った小ぶりな胸が露になるが、一瞬で毛布で隠された。
咳払いして、底は考えていた最悪の状態を説明する。
「俺は、普通に過ごしてるだけでもよく死んだりする。最近は、異変や戦うとき以外死んでないけど、紫に治してもらって、その日や、次の日に死んだとなると、もう戻ることはないから、本当の意味で死んでしまうんだ」
「え、最後に過ごしてて死んだのはいつ?」
「確か……この家に住むことになって、すぐの時に、風呂に入ったんだよ。そのとき、何故か石鹸が床に落ちてて、滑って溺れたな」
底が笑うのと対照的に、アリスの顔は沈んだ。
「流石に守ることは出来ないわね……あ、四六時中一緒に居れば……風呂の時も……えへへ」
思案するようにぶつぶつと呟きながら、風呂の場面を妄想したようだ。毛布のしたからでもわかるほどに体をくねらせている。
底は飽きれ半分でため息を吐いた。
「それは嬉しいけど、お前らに迷惑をかけるわけにはいかないよ」
「迷惑じゃないわ!」
「いや、絶対いつか重荷になる。俺はこのままでいいよ。なにより、今のほうが安心できる」
アリスは目を積むって黙りこんだ。納得はいってないようだが、今はこれ以上言わない、と表しているように見受けられた。
『今のほうが安心できる』確かにそうだ。アリス達が死んだり、怪我をしても、底が死ねば戻る。なにかがあっても戻れるし、慣れたのもあり、ある意味ではもう、普通の人間に戻れない。いや、“戻りたくない”。
「ごめん。寝ようか」
「うん」
二人で天井を眺めて、底は目をつむった。少しして、腕になにかが触れた。横を見ると、不安そうにしたアリスが底を見ていた。
「どうした?」
「寂しいから抱き締めて」
「……はいはい」
底の頬がゆるんだ。そのまま軽く抱き締めると、もっと強く、という、アリスから要望があり、力強く、苦しまない程度に、抱いた。
自らの寝返りで目が覚めた。横に首を動かすと、アリスは居なかった。あの幸福は夢だったのかと不安になり、アリスの寝ていたと思われる場所に手を置くと、冷たい。
――もしかしたら帰ったのかも……。不安に思った時には既に、毛布を強く翻し、居間に向かっていた。
階段を下り、居間の扉を開け広げた。
「アリス!」
「どした――」
振り向いたアリス。背後からアリスを抱き締める。どうやら料理を作っていたようだった。
小さく悲鳴を挙げた。「いま包丁使ってるの! 危ないから!」
「帰ったと思ったよ……」
不安を口にすると、アリスはクスッと笑った。背後なので顔は見えないが、どんな表情をしてるかは想像できる。
「馬鹿ね。黙って帰るわけないじゃない」
呆れた声色。包丁を置いて、向き直るアリス。
抱き締められた。
「なんだか、甘えん坊さんね」
頭を撫でられる。いつもとは真逆の行動に、底は苦笑した。
「撫でられるって落ち着くもんなんだな」
「いつもは私達がされるもんね」
アリスがやわらかく微笑んだ。
「アリス……」
「底――」
お互いに名前を呼び、数秒見つめ合う。
「――服を着たら朝食にしよ?」
……下着のままだった。
「焦って着替えを忘れてた。寧ろ服を着ているもんだと」
底は笑った。
「珍しいわね。今日はどうしたのよ」
目の前にはアリスがつくった料理。人形ではなく、アリスの手自らでつくったものだ。
「なんか、不安になってな。あれは夢だったんじゃないかってさ」
お茶を一口。
「底が望むんなら、今からしても良いわよ?」
顔を真っ赤にして、吃りながらも、アリスは満更でもなさそうだ。
「……いただきます」
誘惑につられないように、食べることに集中した。向かいのアリスが文句を垂れているが、聞こえない振り。
「俺が片付けるからアリスは座っててくれ」
食事を終えて、底が立ち上がり、食器を重ねた。
「私が作ったんだからやるわよ?」
底の手を止めて食い下がるアリスに、底はやるからいいよ、と断った。
片付けが終了すると、時間は午前九時をまわっていた。
アリスを横目で見ると、底の視線に気づき、お茶を置いて微笑んだ。
底も笑い返して、ソファーに深く腰かける。
「お疲れさま。もうそろそろ二人が来るんじゃない?」
「そうだな。この時間なら二人ともなにか食べてるだろう」
アリスの返事を聞いて、底はお茶を飲みほした。コップを濯ぎ、コガコーラを注いだ。
座って、飲む。甘く、炭酸が頭をすっきりさせ、喉を通るこの感覚は甘美なものだ。
「ねえ、よく飲むけど、美味しいの?」
「美味しい。これなくしては生きてけないな。酒代りとも言える」
「へぇ、飲んでもいい?」
おねだり両手を組み、頬に寄せて、上目使い。
ひとつ返事で新しいコップを持ってこようと立ち上がると、アリスが止めた。
「底のが飲みたいな……だめ?」
「よし飲め!」
素早くアリスに自らのコップを渡すと、アリスはこちらに熱っぽい視線を向けながら、一口。
「に、苦い……? 辛い? あ、甘い?」
目を積むって感想を述べた。「この苦いのと辛いのがなかったら美味しいかも」
「ばっかおまえ、これがいいんだろうが。仕方ないな、口開けてろ」
アリスの隣に座る。そのままコップを傾けて、口に含む。炭酸が抜けたのを確認して、アリスに口移しした。最初は驚き、ちょっと抵抗していたが、次第に受け入れた。
「どうだ?」
「えへへ、これならずっと飲んでいたいかも……」
真っ赤な顔で底の胸に飛び付いた。
頭を撫でる。金の滑らかな髪は、ずっと触っていたくなるほどだ。
「ねえ底、キスして……」
アリスが甘えてきたので、底はその通りにする。顔がどんどん近づいていく――。
「底ー! 来たわよー」
玄関から博麗の声がした。アリスが急に動揺し出した。素早く向かいのソファーに座ろうとするが、一旦戻ってきて、キスをしてから向かいのソファーに座った。
唖然とする底に、アリスは手を合わせて、『ごめんね』と口パクした。
扉から博麗が走ってきた。
「底ー!」
「底、お邪魔してるわ」
遅れてレミリア。
「おはよう。二人とも」
腕を組んだアリスが二人を招き入れる。唖然としてしまっていた底も挨拶した。博麗とレミリアが顔を合せ、首を傾げる。
やがてどうでもよくなったのか、レミリアがアリスに耳打ちした。徐々にアリスは顔を赤くさせ、一度頷いた。
「なんの話だ?」
「これは女の子だけの話よ。貴方には内緒」
レミリアは人差し指を唇につけ、ウインク。なにを話しているのだろうと気にはなる底であったが、この二人なら悪いことはしないので、放っておくことにした。
博麗がコップにレミリアと自分のお茶をいれてきた。レミリアに渡すと、博麗はソファーに浅く腰かけた。レミリアもアリスと話してから、ぽすっとソファーに座る。
今日も、こうして幸せな時間は流れる――。