寝室で目を覚ます。布団を足でうまい具合に畳み、壁にある時計を見ると、七時を映していた。そして例の如く五分ちょっと天井を眺める。
今日は博麗が来る日だ。一応八時には来ると聞いていたが……。もう来ている可能性は否めない。
まだ寝たいという欲求を溜め息と共に吐き出し、床に足を付けた。頭を掻くと寝癖がついていることに気づく。
きちんと布団を整えて寝室を出る。階段の下からか、なにかいいにおいがやってきた。横にある部屋の扉を素通りして階段を下りる。
下りて左にある玄関を一瞥すると、綺麗に揃えられた底の靴と博麗の靴。どうやら既に来ていた様子。まあ、これも想定内。いつものことだ。
「おはよう、霊夢」
いつもの巫女服にエプロン姿の博麗がキッチンに立ち、朝食を作っていた。
振り返って、笑顔で挨拶してくる。底がもう一度返事をして博麗の横に立った。
覗き込むと、皿にはスクランブルエッグとベーコンがあり、いまは博麗が味噌汁の味見をしている。コップを取りだし一口分とお茶を入れ、一気に飲んだ。
「それ飲んだら顔洗って歯磨きしてねー」
「歯磨きって、食べ終わってからじゃだめか?」
怠そうに聞くと、博麗はきっぱりと、だめと応える。
「起きた時の口は下水道? くらい汚いのは確定的に明らかだって紫がいってたわよ。知らないけどなんか汚そうね」
ばっちぃ。と博麗がこぼす。
底は気づかされた。考えてみればそうだ。起きたときは口臭が気になる。それに、起床時は口内が乾燥しているのだ。何故かはわからないが、なにかがあるのだろう。
「下水道……歯磨きしてくる」
勿論、そんなこと聞いていい気はしない。即刻洗面所に向かって身だしなみをととのえた。
朝食を食べ終え、片付けが終わる。その頃には八時半に差し掛かるところだった。
「二人で片付けするとやっぱり早いね」
ソファーで一息つく博麗がなんとなくといった風に呟いた。底が同意すると、またも笑顔。
そのままだらだらと十一時まで過ごした。
「さて、どこ行こっか?」
底が言う。
今日は博麗と出かける日。里に行っても良かったのだが、博麗の意向で、幻想郷を散歩することにした。
底が前に、アリスと里に出掛けたことがあるのを知って、同じ場所を行きたくない、と対抗心を燃やしていた事があったのだ。
「んー、森はアリスや魔理沙に会うかもしれないし、山は天狗がうるさいし」
「天狗?」
『天狗』という言葉に反応した。底の知っている天狗とは、やはり一本下駄の赤い顔、長い鼻。翼に、変な扇ぎ物を持っているということ。そんな古典的な天狗がいるのかは非常に気になった。
「うん、えへへ、あのね、妖怪の山って言って、ここから北にあるの。その山は昔、鬼と天狗が住処にしてたのよ」
底になにかを聞かれるのが嬉しかったらしく、嬉々として説明する。
「してた?」
「ええ、鬼はいま地下にいるわ。だから実質、天狗が妖怪の山を治めてるの」
お茶を飲んでもう一度質問する。
「地下って?」
博麗が渋い顔をした。
「んー、あそこ、多数の妖怪や人間からは“無法地帯”とも言われてるの。危険だし、よっぽどのことがなければ行ってはいけないの」
わかった? と人差し指を立てて、諭してくる。そんな博麗を、褒めながら頭を撫でた。すると、犬のように嬉しがり、くっついてくる。
「可愛いなぁこいつー」
愛らしくなり、抱き締めた。力一杯。腕に力をいれて。苦しがるかもしれない程度に。
最近は暴走も無くなり、ただの可愛い――依存気味の――女の子になっていた。暴走がなくなったことは嬉しいのだが、少し物足りないというのだろうか、最初の、監禁されたころが懐かしい。いや、もうまっぴらではあるが。
しかし、幸せそうな博麗を見ると、なにもかもがどうでもよくなってくる。
「よし、思う存分愛でたし、そろそろ行くか?」
ぱっと底が腕を離すと、なおも博麗は、底の胸に埋まる。一撫でして落ち着かせる。
「もう外じゃなくてこのままがいいー」
甘える博麗をなんとか宥められたのは十分後だった。なにやらぶつくさ言ってるが、底は気にせず、リュックにレジャーシート、飲み物、タオル、服と頭にふきつけることのできる冷却スプレー。ポケットティッシュ、汗拭きシート。それら全て、二人分。ついでに、なにがあるかわからないため、財布と絆創膏と消毒液、包帯も詰め込んだ。財布以外の三つは使わないのが一番なのだが――。
「よし、俺は準備出来たけど、霊夢は――って、聞くまでもないな」
リュックを背負い、博麗に向き直ると、博麗はなにも持たずの手ぶらだった。特に持っていくものはないらしい。それで大丈夫なのか、底は問いただしたくなるが、本人にいたってはそれが当たり前かのようだ。
こう言うのもなんだが、確かに、幻想郷には大した道具はないし、空を飛べるために、幻想郷の端まで行ってもすぐに戻ってこれる。ある意味では外よりも快適に旅が出来るだろう。
そう言えば、外でも空を飛べるのか、ふと底は気になった。だが、外に行けない今、幾ら熟考を重ねたところで意味をなさない。それに、今は博麗が隣にいるのだ。彼女のことに集中しよう。
よし、行くか。と夏にも関わらず、指を絡めて家を出た。勿論戸締まりとガスの元栓は確認済み。
結局、どこにいこうか決めれず、魔法の森にやってきた。夏の燦々な太陽を遮ることのできる森は、かくも涼しいものだったらしい。
「森に来たはいいものの、どこにいくよ?」
適当に足を動かし、進みながら聞いた。博麗は少し考える素振りをして、手を叩いた。
「再思の道は?」
――ということで、再思の道とやらに来た。
博麗が言うには、綺麗な彼岸花が咲く場所、とだけだった。
彼女が言う通り、一本道以外は、壮観なほどに、彼岸花一色に染まっていた。まるで、割れた赤い海を彷彿とさせる。そして太陽は真上にあり、足下に丸い影が作られ、ぬるい風がときたま吹き抜け、赤い海に波をつくる。
「こういうのもいいな」
いままで見惚れていた底が、横にいる博麗に言った。
「いいでしょ。前に依頼で来たことがあったんだけど、あの頃も今と同じで、ずーっと眺めてたなー……」
しみじみとして博麗が話す。
これだけの景色なら、仕事なんて忘れるのも無理はないだろう、と底は思えた。嫌なことがあったら、ここに来て癒されるのも良いかもしれない。
「なあ、ここから先に行くとなにがあるんだ?」
何気なく聞いた。仕事で来たなら、この再思の道とやらの先も行ったことがあるのではないか、という推測だ。
「さぁ? 私はこの先を見たことないわ。でも、一応知ってる。無縁塚よ。霖之助さんは行ってるみたいだけど……」
無縁塚という名前に、底には覚えがあった。確か――香霖堂。来て間もない頃に、香霖堂へと赴き、無縁塚で集めてくるという話を聞いたはずだ。
底の記憶のピースが一つ、当てはまったような気がした。
「ああ、無縁塚か」
「知ってるの?」
「俺も霖之助からちょっと聞いたくらいだよ。なんでも、外の物が落ちてるとか」
これくらいしか頭にはなかった。
それを聞くと博麗は、底と同じく納得がいったように、ああ、という声をもらした。
「私もそんなところね。行ってみる?」
底は少し考える。なにか嫌な予感が過るが、博麗が怪我をしなければ底としてはなんでもいい、という考え――底が死ねば巻き戻る。変な話、博麗が死んでも、大怪我をしても、底が自殺すれば戻る――ではあるので、大した問題ではない。
だが、もう少し景色を見ていたい、そう断りをいれると、博麗も頷いた。
「私ももうちょっと見たいからいいよ。あとで行こうね?」
底の視界斜め下に入り込むよう上半身を前にやった。
一言返事して、立ったまま眺める。突っ立っていると、底の左腕に、博麗が絡んできた。
「こういう景色好きなの?」
ふと聞いてきた。
「いや、花畑が好きなわけじゃないんだ。元々俺は外に居てさ。こういう綺麗で幻想的な風景を見たことがなかったんだよな」
「外は汚いの?」
あまりに直球な質問に、底は軽くふき出した。
「別に汚いわけじゃ――」
いや、汚いか、と思い直す。自動車やガスで汚染された空気。緑は失われ、ビルが建ち並び、底がまだ外にいた頃でこそやっと『自然を大事に、自然を感じられるように』などと言い出し、公園に緑を作るが、果たしてそれは自然といえるのか? 人工的なものではないのか? という疑問はいつも尽きなかった。
いままで幻想郷で暮らし、ここは、自然と共存しているな、と少なくとも底は感じていた。空気はのびのびと澄んでいて、妖精や妖怪と、危険はあるが、これはまた違う意味で、平和であり、日本のあるべき姿なのかもしれない。
「どうしたの?」
思考の海に沈んでいたようで、急に黙った底を怪訝に思ったらしい。
「いや、なにもない。そうだな、ここよりは汚いな」
思いだしながら言葉を放った。鮮明にイメージするため、目を積むって。
「へぇー、汚いなら行きたくないなー。ここで生まれてよかったかも」
横で興味無さげに呟くのが聞こえた。住居をかえても、やはり故郷。底は博麗に日本の娯楽や良いところを教えた。
「んー、ここにいる間は理解出来ないかも……。でも底となら行きたいな!」
あれから十五分間説明して、博麗が感想を言った。まあ、妥協点だろう。
「ここが無縁塚か……」
周りを見渡して、小さく言った。
「そう。ここは墓地なの。縁者のいない人が弔われるところ」
墓地と聞いて、改めて見ると、幾つか気になる点があった。
墓標の代わりなのか、大きい、それこそ両手でやっともてる程度の石な転がっているだけ。墓地として機能していないのでは? と底には印象付けられた。よくよく目を凝らしてみると、石と石の間に“白いなにか”が出ている。それが無性に気になり、近づいて見てみる。
「これ――骨だ……」
「まあ、石の下で眠るものもいるから……こういう場合もあるのよ。さらに、ここは結界が揺るいの。たまに冥界、三途の川にも繋がるらしいわ」
そして、と博麗が付け加え――唐突に一枚の札を投げた。
札は斜め上を突き進み、ある一つの影に当たった。その影は少し痙攣して、落下する。
「あ、あれは?」
「妖怪よ。どうやら、ここは危険な場所のようね。まだ三、四体、陰でこっちを窺ってるわ」
博麗の目の先には、一つの赤く光るなにかがあった。博麗が違う方向を指差す。そこにも赤いなにか。反対側にも。
視線を赤いなにかに向け、博麗が大声で警告する。
「いまからここを出るけど、邪魔したり、追ってきたら――退治するわよ」
行きましょ、底。とだけ言って、振り向き歩いた。底が追うように足を動かした。
無縁塚を出て、彼岸花の道を歩く。
「ついてきてないか?」
出てから背中に悪寒が走りっぱなしの底が、同じく横で歩く博麗に小声で問いかける。
「来てるわよ?」
事も無げに返した。「相当なお馬鹿さんのようね」
やっぱりか。と底は緊張で唾液を飲んだ。緊張のためか、幾分か飲み込み難いそれを、無理矢理喉に通す。
「やるか?」
「ん? あんなの雑魚よ。私に任せて。それに、底に格好いいところみせたいしね!」
十分に博麗の実力を知っているのは言うまでもない。圧倒的な、すべてを見通しているかのような勘。努力を凌駕する才能。場数。底と同じ歳で、人間の筈の彼女は、レミリアや亡霊を軽く打ち倒す。勿論、殺し合いならばわからないが、それでも博麗なら倒せるだろう、と底は考えている。
「俺がやってもいいぞ?」
「だめ。底になにかあったら私……悔やんでも悔やみきれないから」
悲しそうに顔を歪めた。
博麗の脳裏に過ったのは一体なんなのだろう。盲目? レミリアとの戦い? 前回の? 前々回? いや、どれもだろう。
「そうか。無理はしないでくれ」
底にはそれしか言えなかった。
底から離れて、博麗が声を荒げる。すると、彼岸花から異形の妖怪が現れた。体は赤く、右腕が晴れ上がり、血管が浮き出ていた。身に纏うは腰になにかの皮。たてがみらしきものは赤黒く染まり、なにかを惨殺したように感じた。
「あんた、着いてこないでって言ったわよね? 退治する。答えは聞かないわ」
酷いが、底はそれを否定できないでいた。折角のデートなのだから、相手にしなかったらいいのに、とは思うものの、口にはしない。底は悪寒しか気づけなかった。これを“勘違い”で済ませたらただでは済まなかっただろう。
戦いは一方的だった。当たり前なのだが。
「どう?」
声色が浮いている。褒めてほしいのだろう。察した底が頭を撫で、褒めたおした。
なんだかんだで結構な時間眺めていたらしく、リュックから時計を取りだし見ると、午後一時を示している。
「何時?」
「んー、一時」
一時、と言って伝わるかは微妙に思ったが、博麗は問題なかった。少なくとも恋人である三人は時計の見方を知っている。なら問題はなかったな、と考え、そのまま教えた。
「そろそろご飯にする?」
「え? お前なにも持ってないだろ」
「こんなこともあろうかと」
八雲の名前を博麗が呼ぶ。
底と博麗の目の前にスキマが現れ、そこから弁当箱が二つ落ちてきた。底には黒い二段の弁当箱。博麗は赤い一段。
「紫……」
八雲が不憫に思えた。なんだかいつも、良いように扱われている気がする。
「ね、ね! 私が作ったのよ!」
お礼を言ってから開ける。上にある段は白ご飯だった。蓋の上には振りかけがある。下の段はおかずで、唐揚げ、たまご焼き、アスパラベーコン、豚のしょうが焼き。緑は少ないが、どれも好物で、底の目を輝かせた。
博麗の方を見ると、サンドイッチだった。タマゴサンド、ツナサンド、ハムチーズを一つずつ。
「霊夢の少なくないか?」
「いいの。私そんな食べられないし」
「駄目だ駄目だ。俺と半分こしよう」
そう提案すると、一瞬目が輝いた気がするが、すぐに申し訳なさそうに目を伏せた。
「や! それは私が底にって作ったの。私が食べたら意味ないもん」
断る博麗に、唐揚げを箸でつかみ、口にやる。
「ほら、あーん」
んー、んー、と唸りながらも口を開かない。
「霊夢に食べさせたいんだけどなー」
ぴくりと肩が動いた。もう一押し。「いやー、食べないなら仕方ないなー」
酷い棒読みではあるが、効果はあったようで、博麗が食べた。
「よしよし。このまま一緒に食べよう」
食べ、食べさし、博麗のサンドイッチを食べさせられ、二人で半分ずつ食べた。
彼岸花も堪能でき、なによりいい時間でもあるので、自然と次はどこにいくか、という話題になった。
「中有の道は?」
名案、といった風に提案されたものの、底からすれば、“中有の道”とは、聞いたこともない場所。ふたたび聞くと、なんと外でいう、祭りにあるような出店があるらしい。二つ返事でその中有の道とやらに手を繋いで向かった。
到着して、まず第一に、活気があるな、という印象を受けた。その次に、屋台の多さに驚かされる。
「こんなところがあったんだな……」
目を配りつつも、声を出した。
「たまに魔理沙と来るの。なんだかんだで二年ぶりかしら?」
顎に手をやって、思い出すような仕草。
それを見て、来たことはあるんだな、と底は思った。その後に、それもそうかと納得した。博麗は生粋の幻想郷生まれ、幻想郷育ちだと推測する。ならば、やはり知らない場所はあまりないのでは? そう考えるのが自然である。
「ふーん、よし、遊ぶか?」
「うんっ!」
いつのまにか外れていた手を繋ぎ直し、人の波の一部になった。
「人が多いから、食べ物は避けるか?」
「そうね、あ、金魚すくい!」
「やるか?」
屋台を指差した博麗に聞くと、二、三度首を縦にやった。
料金を支払い、紙の網、ポイというものを二つもらう。空いているところに博麗と座った。
「霊夢、勝負しようか?」
「望むところよ! 私が勝ったら私の言うことを聞いてね!」
「なんでもはなしな。んじゃあ、俺が勝っても言うこと聞いてもらおうかな」
視線が絡み合う。博麗の薄茶色の瞳が俺を射抜く。
太陽によってできた底と博麗の影に、金魚、出目金が寄ってくる。
先手必勝とばかりに金魚を一匹入れる。慎重に、斜めから。あまり水に浸からないように、尚且つ紙の端に乗せるように。迅速に。二匹、三匹、四匹。周りから歓声が聞こえる。それは博麗によるものか、底に向けてか。
五匹いれたところで端の紙が破けてしまった。落胆の声。反対にして、すぐたてなおす。六匹、七匹。ふと博麗の方を見ると、皿には水だけしかなかった。いや、寧ろ紙も濡れていない。
「おい、お前なにしてんだよ」
「え? えへへー、金魚すくいに真剣な底、かっこよくて可愛い!」
赤らめた顔で底を眺めていたようだった。
「兄ちゃん、金魚すくい上手いね!」
屋台の男から、絶賛の言葉をもらった。「まだ紙も残ってるじゃないか、ほら、子供も他の兄ちゃん姉ちゃんも見てんぜ!」
「な……!?」
気づくと、周りに人溜まりが出来ていた、耳を傾けると、早く再開するように急かす声がする。
「ほら、早くしな。水が紙に浸透するぜ?」
「あ、ああ、すまない」
解せない気持ちを抑えて、再開する。
金魚は変わらず、底の影で遊泳していた。素早く金魚をあげる。八匹、九匹。反対側も破れた。周りからはもう終わりかよ、なんて声が聞こえる中、底はポイを、鉛筆を持つようにして持った。
そのまま十匹目に移行した。十五匹目を入れた時に、また破ける。あとはポイの、棒側に残った紙だけとなった。
「あーあ、もう駄目だなこりゃ」
店主が溜め息を吐いた。それを聞き届け、紙の無い、枠の部分を持ち、残った紙で十六匹目を掬い上げた。
「こりゃたまげた!」
底の頬が、無意識につり上がった。
十七匹目で、完全に紙がなくなった。
ポイを手渡すと、拍手が起こった。
「こんなにとった奴を見たのははじめてだ! 少なくとも十年はやってるが、見たことがねぇよ!」
興奮したように言った。注目され、恥ずかしさを隠しきれない底ではあるが、悪い気はしなかった。
だが、それと同時に、本当にここは色んなことが進歩していないんだな、と思った。外では、金魚すくいの大会なんてものがあり、五十匹は当たり前である。まあ、どうでもいいが。
横で博麗が、がっくりと項垂れているのが見えた。どうしたのか問いかけると、どうやら金魚を一匹も掬えなかったらしい。
「俺の勝ちだな」
「ずるーい! 私あんまりやったことないのにー!」
「俺、これでも金魚すくいはじめてだよ」
「う、うそ……?」
嘘じゃないよ、と言ったら、博麗は目を輝かせ、次の店を見つけるまで絶え間無く熱を上げていた様子だった。
まあ、これも能力のおかげだよ、なんて底が呟くと、「能力も底の力よ」そう言ってくれた。
色々な店で遊び、空は暗がり始めていた。底と博麗はほんの少しだけ外れた広場にいた。
「遊び疲れたな」
「ね。こんなにはしゃいだの初めてかも」
二人で思い出し笑いする。博麗が射的をやり、弾が跳ね返り額に当たったこと。綿あめが口もとに張り付いたり、林檎飴にはしゃいだり。
「これからどうする? 結構暗いし、帰るか?」
「んー、そういえば、そこらへんの人が今日、花火やるっていう話をしてたわね」
花火。ここでは花火が行われるようだ。しかし、花火とは火薬などを用いるはず。ここに火薬があるのだろうか?
店が建ち並ぶ最奥で花火をうつらしい。幸い、ここは底と博麗以外誰もいない。打ち上げられる花火なら、綺麗に見えることだろうと予想できる。
「じゃあ見てから帰ろうか」
博麗返事を聞き、リュックを漁る。タオルを取りだし、一枚渡した。汗を拭き取り。花火をずっと待っているのも暇なので、冷却スプレーを取り出す。
「使うか?」
「なにそれ」
「冷却スプレーっていって、これは頭にやると、冷たくてきもちいいんだ」
もう一つの服用のものも説明する。博麗は興味津々といった風に使ってくれと頼んできた。二つ返事で頭に吹き付ける。
「頭がしゅわしゅわする!」
凄くはしゃいでいる。その姿は笑みを誘う。異変の時の凛とした博麗も好きだが、今の博麗も底は好みだ。
「あ、もうそろそろ始まるみたいよ!」
頭部を気にしたように触わる博麗が急に指差し、叫んだ。
二人が立ち上がる。
光る弾がうち上がった。爆音。輝き。心臓を奮えさせるような音は博麗と底の心を鷲掴みにし、視線を釘付けにする。しかし、それは花火と呼ぶに相応しくないものに感じた。大きな傘は歪に、されど自己主張が激しく、輝いている。続々と開花させる花を眺めながら、左手は、博麗の右手に吸い寄せられていた。お互いの存在を確かめるように、力強く握られる。
横で同じように釘付けになっている博麗が、また愛しく思える。
顎を持ち上げ、不意をつき、キスをした。博麗の瞳には花が咲いていた。色とりどりの。赤から緑へ、緑から青へ。永く、永く口づけをした。