戦いの後の休息
「いやー、あのときはごめんね。私どうも角がなかったら心細くなっちゃうみたいなんだよねー」
「いや、こっちこそすまんな。流石に変わるなんて思わなくて」
「いやいや私自身、角が折れたとかはじめての体験だったよ」
あれから数日。いまでは角とともに、すっかり元気になった伊吹萃香は、自宅で休んでいた底の元へ、わざわざ赴いてくれていた。
案外律儀なんだな、と底は思い、いきなり部屋に入ってきたことはまあ置いといて、快く出迎えた。
ついでに言うと怒る気にもなれなかったのだ。
異変が終わり、宴会をして伊吹萃香の不満を聞いた。どうやら春の間に花見や――主に酒――が気持ちよく呑めなくて、皆であつまり、宴会をしたかったらしい。あわよくば、地下にいる仲間とものみたかったのだと。もとはといえば春に異変をおこした西行寺幽々子が悪いじゃないか、と笑いながら皆が酒のつまみにしたのは記憶に新しい。
あのあと、三日に一度ではなく、二週間に一度でもいいから宴会を開こう、という底の提案には誰も否定しなかった。とくに底、レミリア、アリスはしきりに肯定の意を表していた。幼児退行した伊吹萃香を見れば当然ともいえるかもしれない。
あれは悲惨だったな、と考えることもしばしば。そして考えては失笑するのだ。数日経った今でもレミリア達と笑いあうこともあった。
「で、伊吹はいつまで居る気なのかな?」
表情は笑顔だと思うが、額に青筋が浮いているだろう。かれこれこの話を四回もしている。因みに居座っている時間は二時間だ。ずっと酒をのんでたんたんと喋っていた。
「えーいいじゃーん。過ごしやすいんだよー」
酒に酔って、真っ赤になった顔で床に寝転びだらだらする。
勘弁してくれよ、そう口に出したが、機嫌を損ねるとどうなるかわからないため、なかなか言えなかった。だが、ようやく口に出せた。思いの外怒りはしなかったので少しほっとする。
「そんなこと言われたら俺だって出ていけとは言いづらいんだが……。もうそろそろ三人が来る時間だ」
壁に立て掛けられている時計を一瞥した。午後三時だった。
「私のことは気にしないでいいよ? むしろそこらへんでおっぱじめなよ」
左手でわっかをつくり、右手人差し指でわっかにいれたり抜いたりする。そんな下品ともいえる動きを見て、底は目を細めて言った。
「下品、やめなさい。つーかまだ早ぇよ」
「へぇ」
妙ににやつきだした伊吹萃香。またなにかよからぬことを言うんじゃないだろうな、と底の頭の中が注意信号をだしたその時、居間でチャイムが鳴る。レミリア達が来たという知らせである。
「あーもうほら来たじゃないかー」
「ほら行った行った」
重たい腰をあげ、悪態をつく底に、シッシッと手を振る。お前が言うことじゃないだろ、と叱ると、舌を出して誤魔化した。
二度目のチャイムを耳にいれ、玄関の扉を開けた。むわっとした熱気。蝉の鳴き声。やはり待っていたのはレミリアとアリスと博麗だった。
この三人には前回、凄くお世話になったのだ。ちょうど墓場にいたから伊吹萃香を倒せた。これも運命だったのかもね、というレミリアの言葉には賛同しかでなかった。
今日はなんだか、いつもとは違う服装だ。博麗は白衣と呼ばれる巫女が着る、真っ白の薄い着物らしき物を身に付け、髪をおろしている。レミリアは白の膝下まであるワンピース。飾りっけのない格好がまた魅力をひきだしている。勿論のこと日傘はさしてる。そしてアリスはチェック柄の膝上までの服に、黒い上着を着ている。頭にはリボン付きの青いカチューシャ。幻想郷にしては、オシャレな女の子、というのが底の印象である。三人とも夏にはぴったりの、涼しげな服装だった。
「いらっしゃい、待ってたよ。先客がいるけど、ゆっくりしてくれ」
「先客?」
やはり博麗が一番に反応した。いつもならここから居間に走りだすところなのだが――。
「霊夢」
レミリアが止めてくれた。アイコンタクトで「ありがとう」と伝えると、にこりとすべてを魅了するような笑みで返してくれた。
「暑かっただろ、中は涼しいからおいで」
底がさがり、手招きする。背中にひんやりとしたクーラーの冷気がやって来る。アリスがしっかり鍵をしめ、三人がお邪魔します、と合唱した。
「酒くさ! ていうかなんでまたあなたがいるのよ!」
やはりおさえきれなかったようで、鼻を摘まんだ博麗が叫んだ。
「いいじゃないのさー。ここ落ち着くんだよー」
「そんなこといって昨日は私の神社にいたでしょうが!」
そうだったのか。と密かに溜め息を吐いた。それなら特別ここじゃなくてもいいだろう。そう思った。
二人の喧騒を放っておき、人数分のお茶を用意して、適当に座らせたレミリアとアリスに手渡す。
「霊夢、やめろ。伊吹も誰かの家をはしごして酒ばっかのんでないで、もっと落ち着きをもったらどうだ?」
底が言った途端、電池が切れたかのようにピタッと動きを止めた博麗と、寝転ぶ伊吹萃香にお茶を渡す。
「だって酒は鬼にとって無くてはならないもんなんだもーん、やめられないよ」
注意をうけた伊吹萃香は一度お茶を飲むも、首をかしげてまた酒をのみだした。
だめだこりゃ。と頭を抱えたのは底だけじゃないはず。横を見てみるとレミリアとアリスが一緒に深い溜め息を出していた。なんだか底の中で笑いが起こった。
伊吹萃香が帰ったのは三十分経った時だった。軽い挨拶とともに霧になってどこかへ去ったのだ。どうやら居づらかったらしい。やっと帰ったか、と思ってしまったのは言うまでもない。
「さて、おまえら毎日来てくれるのは嬉しいんだけどさ、なにもせずでいいの?」
何気なく聞いてしまった。案の定三人はキョトンとする。やってしまったかな、と軽い後悔の念が押し寄せてくるが、次には笑われていた。ひとしきり笑うと、レミリアが率先してこう言う。
「私はあなたといるだけで幸せよ? 最近は留守ばかりで咲夜たちに申し訳ないけど、あの子たちも納得してくれてるわ」 そうか、そう言ってレミリアの手を握り、俺も幸せだよ、と返す一方で、申し訳なく感じた。
『恋人』というものをよく知らないし、どう接したから良いかわからない。そのため、レミリアが不満を持っていないものか、博麗とアリスはどうだ? そう考えてしまうと不安が出てくる。底もなかなかに繊細だったらしい。
「霊夢は?」
右手でレミリアの小さい手を、左手で博麗の手をとった。すると、博麗は緊張したようにしどろもどろになる。
「私も同感だけれど、贅沢をいうなら、もうちょっと底と居たいし、底と色んなところで遊びたいし、底と色んなことをしたい……もう、底のことしか考えられないの」
「そうか。なら近いうちにどこか幻想郷をまわろうな。あと、俺のこともほどほどに、お前の人生なんだから、自分を犠牲にはしないでくれよ」
レミリアと博麗の手をはなし、最後に少しだけ離れ、眺めていたアリスの元まで動いて手を繋ぐ。
そういえば、アリスと手を繋いだことはないな、なんてことを思い、底はまじまじと手を見つめる。白く、細くて綺麗な手だ。日光に照らされてもその美しさは欠けることもなければ、衰えることもないのだろう。
「な、なんで手を見てるのよ」
はっと顔をあげると、少しだけ赤くなったアリスの顔。それがまた可愛らしく、底の笑顔を誘うようだった。
「いや、綺麗な手だなぁってさ」
「もう、恥ずかしいからやめて」
「まあ、アリスはなにかないか?」
「そうね、私も多くは望まないわ。これから永い付き合いになるだろうし、生きていたら大抵のことはできるでしょ? でも、そうね……わ、私のことを生涯愛してくれるっていうなら、いいわよ?」
若干高圧的な印象だが、これが精一杯なのだろう。逆にレミリア達が正直すぎるのだ。正直に想っている人に好意を伝える。それもいいことではあるが、アリスのように素直に言えないというのもいいもんだな、と思った。
「当たり前だろ? 俺は死ぬまでおまえらを愛してるよ。これだけは約束できる」
「死んでもずっと一緒よ!」
横で博麗が言ってくる。
「そうね、でも、私はいつか訪れる底たちとの別れが怖いわ……」
レミリアの言葉に気づかされた。レミリアは人間ではなく、すでに五百の年月を生きている。これから何年、何百年と寿命は残っている。よくはわからないが、へたをすれば四桁の数字が寿命として残っているかもしれないのだ。それに比べ、人間である底、博麗、一応アリスも、このまま順調に生きたとしても、たった数十年。
「妖怪からすれば、数十年はあっという間よ。そのあっという間の時間が過ぎれば過ぎる程底たち人間はすぐ老いていく。もし底が年老いて死んだら――」
「レミリア、冗談でも底が死ぬなんて話はやめて。退治するわよ?」
レミリアの話を遮ったのは博麗だった。レミリアを睨んで、威圧する。
「……不謹慎だったわね、ごめんなさい」
頭を下げた。沈痛な面持ちで。底の胸がチクリと痛む。
「レミリアの言いたいこともわかる。取り残された者は辛い。そう言いたいんだろう?」
レミリアに聞くと悲しそうに、そう、とだけ応えた。「だが、俺は人間をやめたくはない。今のところはな? 俺が妖怪や吸血鬼になると、次は霊夢とアリスが悩むことになるだろう」
そこまで言うと、横で博麗が、「底が妖怪や吸血鬼になるなら私もなるわよ!」なんてことを言っているが、少し空気を読んでほしかった。
その後、数十分は話し合いをしたのだが、大した進展はなかった。結局、今を楽しもうという結論にいたったのだ。
「異変も終わったし、これからとくにやることはないだろう。だから、今日はちょっとゆっくりしたいんだが、明日からどこか遊びにいこうか」
提案すると、博麗は大喜び。レミリアは微笑んで、アリスは一見どうでも良さげだが口がゆるんでいる。三人を見ていると、反対の意はないだろう、とわかった。