萃まる人妖達の夢と想い
「なに? また宴会か? この頃三日おきにやってるじゃないか」
うんざり。といった風な底。然もありなん、春雪異変が終わり、満開の春と梅雨の雨を楽しんだ五月、春は散った。だが、梅雨終わりの六月、それでも繰り返し宴会は行われていたのだ。
最近は博麗も訝しみながら、乾杯の音頭をとっていた。会計は霧雨がやっているらしく、彼女曰く、「楽しいからいいだろ」なのだと。
これに対して、「お気楽でいいわね」と博麗が皮肉んでいた。全くその通りである。
流石にこうも宴会を開かれたら、なにかあるんじゃないか、と思わざるを得ないだろう。アリスとレミリア、博麗と底の四人も怪しんでいるようだ。
今も宴会で、底と博麗だけが社殿の裏の池にいた。
「私もアリスもレミリアもいい加減うんざり。でも、他の妖怪達はそんなことお構いなしに楽しんでるみたいね。こんな霧があるにも関わらず」
溜め息一つ、博麗が鬱憤やらを吐いた。境内にはいかにも怪しげな霧が出ていた。
「妖怪はなにも考えずに――といったら失礼ではあるな。些細なことは気にならないらしいからな。永く生きすぎてるせいで」
「魔理沙は『楽しいからどうでもいいぜ』なんて言ってたけど……」
「正直言うと、これはなにかあるんじゃないか。そう思ってる」
二人で話していると、小さい足音が二人の耳に届いた。
「これは異変ではないか、そう睨んでいる。違うかしら?」
「そうだな――レミリア」
いつもの、少女にしてはほんの少し低く、しかし子供っぽさの残る可愛らしい声。底の聞きなれたものだ。
二人が振り返ると、日傘で日光を遮断しているレミリアがいた。横に十六夜咲夜とアリスの人形がいた。
「アリスは? とでも言いたげね。アリスは魔理沙に捕まってるわよ」
「だから代わりに人形なのか」
底の言った『代わりに』の意味を説明するならば、アリスは人形使いだ。いつも家事や雑用を多数の人形をまるで生きているかのように操ることでそれらを済ましている。
アリスは魔力の糸で人形を動かしているのだが、どうやら人形の周囲の気配や、相手がなにを言ってるのかがアリスに伝わるようだ。なので、人形だけでもここに連れてきてるらしい。
「で、これは異変なのか、だな」
「実際はまだわからないのが現状ではあるわね。霧なんて湖に行けばいつもあるし」
「あんたが――」
「私がするわけないでしょ?」
「前科持ちがなにいってんのよ」
「レミリアはもうやらない。俺は信じてるよ」
「そうよね底っ!」
「あら手のひら返しがお上手」
「うっさい」
底が溜め息を吐いた。
「喧嘩するなよ。で、話は戻すけど」
「……そ、底、これは異変かまだわからない。推測なんていくらでも出来るわ。まだ様子見しておきましょ?」
レミリアが妙に真剣な顔で言った。まるで――――なにか嫌なことがおきるかのように。
「ん、そうだな。レミリアが言うなら。俺、帰るよ。酒ものまないのに宴会に居てもあれだろうし」
「私は――」
「霊夢はここにいて。私一人じゃ相手出来ないのがいるから」
渋る博麗の手を引いて、レミリアと十六夜咲夜、博麗が宴会場に戻っていった。
一人取り残された底は、なんとも解せない、といった風に帰っていった。
自宅の扉を開き、疲れた表情で寝室に向かう。
寝室はいつも通り落ち着いた光に照らされていて、ベッドへと誘ってるようにも見える。
その誘いに乗るように、ベッドに身を委ねた――。
午後六時、起きた底が居間に入る。
「ハロー。お邪魔してるわー」
黒いソファーには腰かける金髪美女が居た。八雲だ。底に手を振って微笑みをなげかける。それは女神のようで、美しい。
「紫。久しぶりだな」
「私はいつもあなたを見てるのだけれどね」
「気味悪いな」
「そんなこと言わないでよー寂しくなるじゃなーい」
ゆかりん泣いちゃう、と言って泣き真似をした。底が冷たい目で一瞥すると、コップを取りに行き、二つのコップにお茶をいれた。それらをテーブルに置く。
「あら、ありがとう」
置かれたお茶に視線を移すと、漸く泣き真似をやめて、扇子で口元を隠しての一飲み。
「で、来るなんて滅多にないことだ。なんかあるんだろ?」
「そうね、茶番はさておき、底」
少し間をおき、扇子を閉じた。「これは――――異変よ」
八雲の静かで綺麗な声が、居間に響いたような気がした。
「やっぱそうだよな……いつも通り、行くか」
底の場合、逝くか。でもおおよそ間違いではないのだが、それはさておき、扇子で再び口元を隠した八雲が、立ち上がった底に向けて、声をかける。
「この前手伝うって言ったわよね? この異変をおこしたお馬鹿さんのところに連れていってあげるわ」
「……いいのか?」
「ええ、約束でもあるし、道中で戦ってたら体力もなくなるでしょ?」
「確かにそうだが、なら頼もうかな」
思わぬ申し出に底が頬を緩めた。
「じゃあ行くわよ?」
「ああ」
八雲と底が、無数の目玉がある空間にのみ込まれていった。
――ここは冥界。丘があるところだ。そこに一人の胡座をかいた長い、薄い茶色髪をもつ少女と、底がいた。既に八雲は居ない。
「誰だい、あんたは」
顔を真っ赤にした少女が、いきなり出てきた底に問う。
「繰鍛 底。君が異変をおこしているんだな?」
無表情な底の答えに、少女はにやりと笑う。
「そうさ。だったらなんだい?」
「……なんとかする」
「倒す、って言わなかったことは評価してやる」
そこまで言って、持っていた瓢箪を口につけ、傾ける。「で、どうやって私を倒すのかな? 決闘でもするかい?」
「……ここの女性は強い。俺なんか赤子を捻るくらい簡単に殺されるだろう」
「私からしたら弱いけどね」
大きい笑い声を挙げた。頭の赤いリボンと長い角が揺れ動いた。
「君からは想像がつかないほどの場数を踏んだのがわかる。素人の俺でもな」
「まあ、私は古来から生きてるからね。そうじゃなきゃ生きてないさ」
右手で強く頭を掻いた。その際、赤色の三角錐がブンブンと振られた。少女の身体に当たるが、気にもしてない様子。
「ここでは見た目に惑わされてはいけないな。常々そう思うよ」
「そうだねぇ。で、話をしに来たわけじゃないだろ? さっさとやっちまおうじゃないか」
立ち上がった。座っている姿でも窺えたが、やはり小さかった。だが、雰囲気は違う。歴戦を潜り抜けたような重々しさがあった。身長の低さ故に、底が真正面に立つと、底は見下げる形になる。だが、向き合っていると、少女は何倍も大きく見える、ように感じる。
「……人間、繰鍛 底、いくぞ」
「鬼の伊吹萃香、萃して参る!」
底が銀色の刀を正眼に構え、伊吹萃香は瓢箪の蓋を閉めて、紐を掴み、ブンブンと回し始めた。
深呼吸を終え、十分に落ち着いた底が、短く、それでいて鋭い息を吐き出し、走る。
多分、伊吹という奴は瓢箪を投げるんだろう――と注意深く観察しながら足を動かす。
あと、約三メートル位まで近づいた時、底の想定通り、伊吹萃香が瓢箪を投げた。
飛んできた瓢箪を、頭を横に傾けると、紙一重で通りすぎた。底がほっとしたのも束の間、伊吹萃香は目と鼻の先であった。
底が刀を振り上げた。同時に、伊吹萃香も拳をひいた。
――二つがぶつかる。片や刀を、片や拳を。普通なら、拳は切り裂かれ、二又になってしまうだろう。
しかし、それは“普通”ならばだ。言うなれば、この少女は普通ではない。
ここでは珍しい種族ではないのだろうが、伊吹萃香は自らを『鬼』と名のっていた。鬼とは、脅威の力に、恐るべき防御力をその身に宿す種族。つまり、なにが起こったかというと――。
「な――!?」
底の顔が驚愕一色になった。それを見て、愉快そうに顔を歪める。
伊吹萃香の拳が、銀色の刀を折ったのだ。
そんな底を嘲笑うかのように、伊吹萃香は瓢箪の紐を掴んでいた手を動かし、紐を底の首に巻き付けた。
はずそうともがくが外れない、その刹那、伊吹萃香の手がまた動く。
首に巻き付かれた紐は引っ張られ、底の身体が宙に浮き、きりもみ回転をし出す。
伊吹萃香が、三度目の瓢箪攻撃。回る底の身体に瓢箪を叩きつけた。
当たった底は、落ちる勢いを増し、地面に激突した。砂埃が舞う。
底は動かない。
「なんだい。手応えないね。これで終わりかい?」
「…………」
砂埃が晴れた。底は地面にうつ伏せで倒れたまま動かない。
「期待外れだよ。あいつから聞いたはなしじゃ、こっちの手を知ってるような動きをするって言ってたのに」
手を左右に広げ、やれやれと頭を振った。倒れている底に背中を向け、歩きだした。
「――待てよ、俺は死んでない。まだ時間は進んでるんだ……なら戦える」
底が立ち上がった。
足は震え、指はあらぬ方向に曲がっており、左腕は敵が目の前にいるのに対し、だらりとだらしなく垂れ、右腕でそれを庇っている。首には痛々しい痣があり、頭のどこかが切れたのか、顔には血が流れている。目にも血が入っていて、片目は赤くなっていた。それでも目を閉じていない。
立っているのもやっと、という感じだ。
「あんた、本当にただの人間かい?」
目を細めて、怪訝そうな声を挙げた。「私が見てきた人間たちは、いつも泣きながら命乞いをしてきてたのに」
視線を下げ、なにか思い詰めたような表情になる。
底はどういうことか聞きたくなるが、こらえる。今は戦いの最中なのだ。そんな悠長なことはしてられない。
底は遅れてやってきた身体の激痛に顔を歪めた。
底が一歩だけ、足を前にやった。それだけでも激痛が走る。しかし、痛みに屈するな。と自分を励まし、もう一歩。そして、息も絶え絶えに言う。
「どうでもいい、このままだったら、俺は出血多量で死ぬだろう。死んで、戻る位なら、お前の余裕そうな顔を一度でも崩してやる」
脂汗が地面に落ちた。
「へぇ、じゃあやってみせなよ。期待してるよ? 私は防御もしない。大人しくあんたの――いや、底の、文字通り決死の攻撃を食らって見せようじゃないか。私の身体に傷一つでもつけれたら私は異変を止める。誓おう」
その言葉は、願ったり叶ったりであった。