あれから誤解を解くのに五分消費した。
アリスが、レミリアは底の姉だと勘違いし、レミリアもまた、勘違いをしていたらしい。
日本語って難しいわね。とはレミリアの言葉だ。
結局、改めての自己紹介の後、アリスはレミリアのことを、『レミリアちゃん』と呼ぶようになった。反対に、レミリアは『アリス』だ。アリスはやはり、可愛いもの好きのようで、レミリアを気に入ってる様子。
「で、霊夢はいつも通りとして、レミリアも?」
「ええ、いつも通りよ。底に会いたかったからね」
レミリアは底に向けてウインクした。
外は暗く、テーブルを囲むように各々座っている。だが、博麗だけは別で、料理を作っていた。もう通い妻化している。底にとっても居るのが当たり前という認識。
どうやら底が帰ってきて、作っていたのを中断していたようだった。
アリスが立ち上がり、居間の端にあるキッチンへと向かい、忙しそうに動く霊夢に話しかける。
「霊夢、私手伝うわよ?」
「いらない。底のご飯を作ったり身の回りのお世話をするのは私の役目なの。私だけなの。だからこれは譲れないわ。あんたは帰るか座るかしてて」
キッパリと断られた。そ、そう、と吃りながらも戻ったアリスだった。
居間のテーブルに料理がならべられたころ、陰でレミリアと博麗がある缶の飲み物をグラスに注いでいた。
いただきます。全員が手を合わせ、騒がしい時間が始まった。
飲み物を口に含んだ底が関心を示して言う。
「お、うまい。なにこの飲み物」
「そ、それは私が紫からもらった『ジュース』ってものらしいわよ!」
飲み物の見た目としては、彩りがある緑で、シュワシュワと音を出していた。口に含んでみると、これが甘く、青リンゴの風味があり、後味はさっぱりしつつもほろ苦い。
正直言うと、今日の晩ご飯。『豚の味噌漬け』と『鳥の唐揚げ』には合わないな。寧ろ今日はなぜこんな料理なのか。
底は率直にそう思ったのだが、折角霊夢が作り、この飲み物までもらってきて飲ましてくれてるのに、そんなことは言えないか、と飲み物と一緒に言葉を飲み込んだ。
「わ、私もお酒飲む」
若干赤らんでいる顔で、博麗が言った。
“私も”? と疑問に思い、レミリアとアリスのグラスを見るが、ただの水であった。
「霊夢以外に誰が酒のんでるんだよ。しかもうちには酒なんか置いてないぞ」
「え!? え、えへへ、そうね。でもレミリアがワインを呑むって言ってたから私も呑もうかなぁなんて……」
「ま、まあ呑むけれども……」
「え、二人とも呑むの? じゃあ私もいいかな?」
遠慮がちにアリスが聞いた。
霊夢は怪しい――目を細めて何故か焦る博麗を見た。
居心地が悪く感じたのか、博麗はグラスを取りに行き、アリスとレミリアにワインをいれた。自分には日本酒。
俺の家には酒もワイングラスもないはずなのだが、紅魔館から持ってきたのかな。と納得した。
前に底の自宅でワインを持ってきて呑んだのだが、ワイングラスがなく、大層不満を口にしていた。酔いもあいまって、かなり不機嫌だった。
「うー、そこー。ワイングラスがないー」
などと底にずっと言っていた。いつもの威厳はどこにいったのか。呆れていたが、可愛いので問題なし。と底も底でデレデレしていたということがあったのだ。
よって、もうコップでワインを呑むのは嫌だから、持ってきたんだな。ということで底は納得。
「今の飲み物ってまだある?」
コップを空にした底が口を開いた。
「あと一本あるわよ」
「そうか、のむぞー」
「ご機嫌ね」
レミリアがクスクスと。
底は改めて自分がおかしいとおもった。だが、それがわかってもなにが原因かわからないし、考えたところでわからないのもあるが、結局は、そんな日もあるか。なんて思考に決着を付けるのだ。
「ああ。今日はなんだか気分がいい」
いつもの、顔のしまりがなく、表情はゆるんでいる。それに顔が赤い。
「でも、もうそろそろやめておいたら? あなた、結構顔が赤いわよ」
「へー? なんでだよ。酒じゃああるまいし、ジュースで顔が赤くなるわけないだろ、いい加減にしろよー」
「それ、酒よ」
「なにそれ怖い」
「なんか果実チューハイって言ってたわ」
「なにこれ美味い。だからあまり酒とは感じなかったのか」
「ごめんなさい。今日はお酒をどうしても呑ませたかったの。それに、私と霊夢から大事な話があるの」
神妙な顔つき。しまらない顔を無理矢理に引き締めた。しかし顔の赤さは抜けなかった。
「どうした?」
「ん、少し言いにくいから、場所をかえましょう。霊夢」
博麗に手招きした。緊張したようにぎこちなく身体を動かし、ワインを口にし、訝しげなアリスを置いて、三人で外に出た。
桜の甘く、深い優雅な香りが漂う夜、春の香りがした。だが、それと同時に青臭い匂いもする。それはきっと、足下に生える草が発するものなのだろう。薄い桃色の絨毯を越えて、青臭さがやって来るのだ。
既に春だが、この田舎を彷彿とさせる町並み、基、里並みは暗い今にでも、「春ですよー」という春告精の言葉が脳内で再生されるようだ。
黒い、闇の中に輝く無数の星とたった一つの月が幻想郷を照らす。それは確かに優しい光りであった。
「いきなりどうしたんだ? こんなところで……」
正面で黙りこむ二人に問いかけた。
その問いに答えたのは、レミリアだった。その顔は決心したようにさっぱりしている。
「底。私たちはあなたのことが好き。はっきり言うと、今日酒をのませたのはこれを切り出すためでもあるのよ」
底は酔いで赤くなった顔で口を『一』文字のように閉じる。続きを促しているようだ。レミリアが不安がっている博麗の腰を叩き、渇をいれる。
「私は底無しでは生きていけないの。でね、凄い好きなの。一応、紫からは『一人占めは駄目、無理矢理はもっと駄目』って言われた。でも独占したいの! レミリアも底のことが好きらしくて、本当は嫌だけど、二人で相談したわ」
一歩下がっていたレミリアが踏み出し、後を続けた。
「そう。もし底が私を選べば霊夢は素直に引き下がる。その逆なら、私は潔く諦める。でも、私としては幸せを一緒に分かち合って生きたい。それがどういうことか、貴方にはわかるわよね?」
つまり、両方選んでも良いわけか。
定まらない思考のなかで、なんとか導き出せた答え。それは底にとってはありがたい逃げ道ではあった。底は選べるほどキッパリとした性格ではない。
博麗には博麗の良いところがあり、そこに惹かれるし、レミリアにはレミリアの良いところがある。誰か一人、とは一日考えても出せない答えだった。
だが、やはり外の世界で生きていた底にとって、『伴侶は一人』というのが当たり前だったのだ。
本当に二人も良いのだろうか。いや、嬉しくはあるし、正直魅力的すぎるのだが。というのが底の本音。
「そうだな。俺も出来るのならば二人とも好きだし、それぞれ良いところがある」
意外に好意的だ。そう思ったのか、二人とも顔を晴れさせる。――でも。底が続けると、まだ終わってない話に、真剣な表情へとかえた。「俺は一応外の世界で、伴侶や恋人は一人。って教わった。だから、なんか抵抗あるんだよなぁ」
「で、でもっ! ここは恋人が二人でも三人でも文句は言われないところなんだよ?」
「そうね、賢者である八雲紫に聞いた話なのだけれど、実際一夫多妻は認められているみたいよ」
渋る底に、博麗とレミリアが説得する。声には熱がこもっていた。
「んー。うん……よし、こんな俺でも良いなら二人とも、恋人になってくれ」
レミリアと博麗が同時に返事した。
「はい!」
顔を晴れ晴れとさせて。
帰る途中、指と指を絡ませるように手を繋ぐレミリアが、唐突に思い付いた口調で言う。
「アリスって子も貴方のことが好きなんでしょ?」
「……みたいだな」
左腕に絡む博麗が何事かと反応しだした。
「あなた、ついでにもう一人恋人を増やしなさいよ。あの子可哀想よ?」
「え、いや――」
「霊夢」
「…………」
否定の声を挙げる博麗を、レミリアが制した。底としては博麗の言いたいことは凄くわかる。
もしレミリアが底以外の男とも付き合っていたならば、底は胸が張り裂ける思いだろう。いや、それ以上だと思う。なのに、レミリアは逆にそれを肯定している。それがさっき言っていた、『幸せを分かち合って生きたい』ということなのだろうか。
「お前らは本当にそれで良いのか? 辛くないか?」
歩みを止め、一歩下がり二人を正面に立たせた。
「私は底を愛してる。霊夢の底への愛情もわかるし、あの子があなたのことを好きだっていうのもわかる。だからこそ私はそう思うの。あなたから嫌われたら、断られたら。それを想像するだけで胸に激痛が走るわ。あの子も霊夢も断られたら一緒よ。なら二人でも三人でも仲良く一緒に生きていたら良いじゃない」
確かにわからないでもないが、そう思えるところはやはり大人なのだろう。と素直に感心させられた。身体は小さいが。とは思えない。
「私はいや。けれど、私はなにより底が一番。底が私に死ねっていうならすぐに死ぬし、他の女と寝ても、怒りはするけど絶対に見捨てない。底が好きなレミリアだから私も強く言わないわ。底があの人形使いのことも好きで、告白するなら私は止めないし、仲良くしろっていうなら仲良くする。でも、ちゃんと私を愛してほしい……なんて……だめ?」
「だめなわけないだろ? どんと愛してやるよ。嫌って言ってもお前らを離さないからな」
「ふふ、私たちは嫌、なんてなにがあっても言わないわよ。離さないで」
レミリアが妖艶に微笑んだ。月と相まって、美しい。それは言葉ではあらわせない程に――。