「アリスお姉ちゃんありがとう! 大事にするね!」
紗江が人形を抱いて、太陽を思わせる笑みを咲かせた。
「うん、大事にしてあげてね」
この平和な時間が底を癒す。いや、迷子なのに平和といわれれば考え渋るが、アリスと紗江の会話や表情を見ていると、そう思うのだ。
「そういえば、紗江はどこか家の近くのもので、特徴かなにか、お母さんの特徴はないのか?」
いままで黙って歩き、さがしていた底が、唐突に話しかけた。流石に特徴を知らないと探しようがないからだろう。
「え、えっとね、家の近くに大きい桜の木があったような……。あとあと、お母さんはきれいな銀の棒の髪飾りをしてるよ!」
「桜の木なら飛んで探せるんじゃないかしら」
「そうだな。ちょうど考えてたところだ」
「じゃあちょっと行ってくるわね」
そう言うや、少しだけ浮いた。それを底が手を握って引きとめる。
「な、なによ……」
気持ち、顔が赤く見える。
「アリス、俺が飛ぶ。お前は紗江と話をしていてくれ」
「な、なんでよ……別に危ないことなんてないでしょ?」
「いいから、言う通りにしろ」
「むぅ……わかった……」
有無を言わさぬ雰囲気に、アリスが地面に足をつけた。
底が変わりに空へと飛んだ。
「底兄さんってかっこいいし優しいね」
空にいる底を、解せない。といった表情で見ていたアリスが、勢いよく首を紗江に向けた。
「え、な、なんで? ま、まさか……好きになった……」
最後辺りは聞こえないような声量で囁いた。
「え? 気づいてないの?」
「……なにが?」
「もー、アリスお姉ちゃんはその服で空を飛ぼうとしてたんだよ?」
言われて気づく。今日はチュニックで、飛んだら確実に下着が見えてしまう。いつもはドロワーズを着用しているのだが、今日は外していた事をすっかり忘れていたのだ。
それを知ってしまうと、否が応にも意識せざるを得ない。アリスの顔は真っ赤で、羞恥心で一杯になってしまった。次に、青くなる。
底に――想い人に、はしたない。などと思われていないだろうか……。羞恥心の次に、そんな不安がやってきたのだ。
アリスが底のことを好きだと気づいたのは、つい最近のことではあった。
二日に一度と、結構な頻度で家に来て、一緒の時間、一緒に紅茶や菓子を食べている内に、毎日が楽しくなっていった。早く来ないかな……。そう毎日夜になると人形に話しかけていた。
ある日、霧雨がアリスの家にやってきて、いつものように駄弁っていると、唐突に言われたのだ。
『アリス。最近底のことばっかりだな。もしかして好きなんじゃないのか?』
にやりと不敵に。霧雨からしたら、冗談のつもりで言っただけなのかもしれない。だが、そう言われると自分でも頷けるところは何度も、幾つもあった。その時は『べ、別に好きじゃないわよ』なんてことを言って誤魔化したが、一人になって確信したらしい。
「底のばか。だから好きになっちゃうのよ……」
その顔は、妙に清々しく、そして真っ赤に染まっていた。
「ん、ちょっとそれらしいのはあるな。あそこか……?」
里全体が見渡せるほど高く飛んだ底が、中央とは外れた場所に、一本の桜の木があるのを見つけた。近くには、あるひとつの民家。底はその民家に目をつけた。
行き道を覚えていると、一人、民家に走って入っていったのを見つけた。どうやら相当焦っていたようだった。
「……あれが紗江の家族か? なら先に伝えるか」
鈍く、淀んだ瞳を、民家から下にいるアリスと紗江に移した。
そのまま動かず、手をメガホン代わりにして、二人に言った。
「多分家を見つけたから! 先に伝えに行ってくる!」
「わかったわ!」
先に伝えにいくのにも理由があるらしい。底は最初、下に戻って、三人で家に向かおう。
そう思っていたみたいだが、母親らしき人は相当焦っていたのだ。となると、向かってる間に母親が家から出て、紗江を捜しに行ってしまうかもしれない。そしたら、この人の量からしてたった一人を探しだすのは困難をきわめることになるだろう。
家まで、あと約一分。といったところで、扉が激しく開かれた。
女性だ。和服で、腰まである黒い髪を振り乱しながら、走り出した。扉は閉めない。なにかに取り憑かれたかのように急いでいる。
底はその人に紗江の母親かを聞くため、追っていった。そして、上空から叫んだ。
だが、相手も無心なのか、底の声は聞こえないようだった。
仕方ない――底は飛ぶ速度を上げていく。
何度目かの呼び掛けに、漸く足を止めた。やっとか。そう溜め息をつき、一言声をかけてから着地。
「なんですか! 早くさがさないと……」
「紗江さんを?」
「な、なぜ……まさか――」
「勘違いしないで頂きたい。裏路地で泣いていたのでお母さんをさがしていただけです」
この言葉を聞き、ほっと息を吐いた。その束の間、底に問い質すように喋った。
「あの子は無事なんですか!?」
「ええ、無事です。いま知り合いと一緒に居ます。俺が送っていきますんで、背中に乗ってください」
乗りやすいよう移動して、しゃがんだ。母親は躊躇いつつも乗ずる。
底は体系的に、ガッシリしているわけではない。加えると、力はそんなになったりする。その証拠と言うべきか、地面に膝をついた。
「あ、あの、重いでしょうか?」
「いえ、軽いですよ。足に力を入れていなかったのでふらついただけですからお構い無く……」
よいしょ。そんな掛け声とともに、足に力をいれ、宙に浮いた。母親は後ろで少し悲鳴をあげたが、すぐに慣れたようだ。
「おかあさーん!」
「紗江!」
二人は抱き合った。再会を果たしたのだ。
「なんか精神的に疲れたな」
「そうね。でも本当によかったわ」
「行くか?」
「ええ」
あとは二人に任せようと、去ろうとするアリスと底。抱き合う二人に背中を向け、歩き出した。
「あ、待って底兄さん! アリスお姉ちゃん!」
底とアリスが振りかえる。二人が底とアリスの前に立った。
「本当にありがとうございました! 私と紗江共々ご迷惑を……」
「いいえ、お気になさらず。大したことはしていませんし」
「ねっ! あ、私時々、里の中央の広場で人形劇やってますので、よければ紗江ちゃんと一緒に……」
「ええ、是非みさせてもらいますね」
「絶対行くねー!」
「まあ、俺達はこれで失礼します」
「じゃあね」
今度こそ、底とアリスは去っていった。
「紗江、帰ろっか」
「うん! お母さん!」
残った二人も帰っていった。手を繋いで。
午前十時。底とアリスは子供に道をたずねられていた。
「ねえねえ! てらこやってどこにあるかわかるますか?」
不自然な言葉使いだ。第一に底はそう思ってしまった。しかし、それも無理はない。この少年、容姿からして、恐らく八歳を越えてるか越えていないかだろう。
「『てらこや』?」
アリスが人差し指を額に当て、考え出した。
底はピンとくるものがあった。この少年が言っているものは寺子屋だろう。そう思ったのだ。
こちらに来て間もないころ、外の世界でいう学校が、寺子屋のことなのだと八雲から聞いたことがあった。
きっと、それのことをいってるのだろう。しかし、それがどこにあるのか。それはまた別だ。底は寺子屋の場所までは知らない。
「あ、わかった!」
アリスがなにかに気づいた口調になった。「寺子屋のことね、あそこなら知ってるわよ!」
「ほんとなの!? 教えて、教えて!」
「えっとね、ここから――」
道を伝えようとしたアリスに、底が不意に耳打ちした。
「アリスが良いなら案内しよう。子供に言っても多分わからない」
「んっ……わ、わかったからちょっとだけ離れて……!」
僅かに紅潮した。
「君、俺たちがその寺子屋とやらに案内するよ」
「ありがとござますっ!」
少年は勢いよく腰を曲げた。それも深く。
十分後、アリスの案内で寺子屋についた。外観としては、そこらの家よりも広い屋敷のようだった。
「ここが寺子屋か」
「そうよ」
「ど、どうやって入るの……?」
底の問いに、アリスが短く答えた。そして最後に少年が呟く。
目の前には門があり、どうやって入ろうか……。と考えていると、門の奥にある扉が開いた。出てきたのは女性であった。
「窓から窺えたが、君達は……?」
「おっと、申し訳ない。俺は底と申す者です。この少年、寺子屋がどこにあるかわからないらしく、二人で案内しました」
「アリスです」
「はじめまして、私は上白沢慧音だ」
上白沢慧音。一目見て、美人だとわかるんその風貌。腰まで届きそうなほどに長い、青のメッシュが入った銀髪。外では見たことがないような帽子に、頂には赤いリボン。青い、上下一体の服。豊満な胸を惜しげもなく見せつけるように胸元は大きく開いていた。
「わざわざここまで案内してくれたんだな、感謝する。君が今日、新しく寺子屋に学びにきた子か?」
底の背後で身を隠している少年が、顔だけ出して返事した。
「そ、そうです」
「いかんな。男子なら胸を張らねばならん」
あんたみたいにか?
とは心で思ってはいるが、口が裂けても言わない底だった。
「まあ、許してやってほしい。聞く限りでは初対面のようだし、これも仕方のないことでしょう」
底がフォローしている横で、アリスはただ、上白沢慧音の胸元に目線がいっていた。そして次に、自分の胸元を見て、静かに深い、溜めたような息を吐いた。
「まあ、私の生徒を案内してくれた君が言うのなら私は強く言えないな」
「ありがとうございます」
「ほら、君、いつまでも隠れてないで、授業を始めるぞ。まずは自己紹介からだ」
「は、はい……」
再び上白沢慧音と少年からの礼の言葉を受けて、底とアリスは、里まわりを再開した。
「んー。なんか色々あって疲れたな」
「そうねぇ」
「何処かで休憩するか?」
「そうしましょう」
二人は近くにあった、ある店の扉を開き、入った。