朝七時に目をさました底は、まず身だしなみをととのえる。一応、今日はデートなのだという自覚はある。
昨日のうちに、待ち合わせ場所は決まっている。里の入り口だ。アリスが魔法の森に住居がある場合、入り口が都合良いんじゃないか。ということになったのだ。
まわる場所は決めていない。行き当たりばったりでも面白いだろうし、二人ともあまり里のことを知らない。ならそれもいいだろう、らしい。
諸々準備した底が人里入り口へと着いた。既にアリスが待っていた。
「おっと、すまん。遅かったな」
「ううん、私も今来たところ」
底だって早くに来たのだ。およそ三十分前。ただ、アリスはもう少し早かった。というところだろう。
「いやいや、待たせたのは悪い。そうだな、罰として朝食は俺が奢るよ」
「だ、だめよ! 流石に悪いし……」
「女を待たせるのは男の恥じだと聞いたことがある。これで許してくれないか?」
「もう」
くすくすと笑った。「ありがとう!」
「そういえば、今日は何時もの服じゃないんだな」
そうだ。アリスの服装は、いつものトリコロールを基調としたものではなかった。
いつもの赤いカチューシャ。明るい黄色に、淡く花柄模様の膝まであるチュニック。腹部にはベルトが巻かれ、身体のラインがよく映える。裾はフリルがあり、女の子らしさをアピールしていた。下は茶色のブーツらしきものを履いている。
「この服とか私が作ったのよ。凄いでしょ?」
「ああ、凄く可愛い」
「…………」
底が微笑み、言った。すると、アリスが底に背を向けた。
「どうしたんだ?」
「来ないで!」
たまらず聞いて、背を向けるアリスの正面に行こうとすると、手と大声で制された。
びくっ。と大きく肩を動かし、心配になってもう一度聞くと、アリスが背中越しに言った。
「い、今顔を見られたくないのよ……」
「な、なんで?」
「……嬉しくて変な顔になってるのっ! 言わせないでよ!」
それを聞いて、底がなにかを企んだ風な表情になった。
「……可愛い」
一歩近づき、聞こえるか聞こえないかの声量で、囁くように。
「や、やめてっ!」
底の忍び笑い。思うようにいってたのしいらしい。アリスが怒鳴るように声をあげた。「いじわる! いけず!」
忍び笑いから大笑いに。
「いやー、すまんすまん。あまりに反応が面白かったからさ。まあ行こうぜ」
「あっ、ちょっとまってよ!」
さっさと歩いていく底に、アリスが後を追った。
行き交う人々を通りすぎ。二人は並んで歩く。里の道の左右に列なる、小さな桜の木から落ちた花弁が、ピンク色の絨毯を作っていく。まだ春の彩りは消えない。
「朝食はどこにしようか」
「そうね、私、朝はあまり食べれないの……」
「そうか、なら……なんかあるかな? あそこに蕎麦屋があるけど、どうだ?」
「うーん、少し食べてくれたら……」
「よし決まり。行こう」
蕎麦屋の暖簾をくぐり、入った。中は人が数人居て、時間のわりには結構繁盛しているようだった。入った瞬間、店主が「いらっしゃい!」と活気あふれる声が店内に響いた。
とりあえず、蕎麦を注文して食べた。結局、アリスは盛られた蕎麦の半分しか食べれなかったようだ。その分はきっちり残さず、底が平らげていた。その際、男の人ってよく食べるのね。と言っていたが、底は自身が大食なのか、少食なのかわからなかったので、答えを持ち合わせてなく、濁していた。
今は蕎麦屋の代金を底が払い、出たところだ。
「ありがとう。底」
「いや、いいさ。気にしないでくれ」
嬉しそうに顔を綻ばせるアリスに、底はつられて笑顔になった。
「あらまあ、アリスちゃんじゃないかい」
引き続き道を歩いてると、気の良さそうなお婆さんが話しかけた。アリスはお婆さんの顔を見るや、手を一度叩き、歩み寄った。
「お婆さん! 昨日ぶりですね!」
「ん、知り合いか?」
「いつも私の人形劇をみてくれてるお婆さんよ」
と、アリスはお婆さんを紹介した。お婆さんは曲がっている腰をより深く曲げた。
「どうも、アリスちゃんの恋人さんや、私はしがない婆です」
「あっ、すみません」
慌てて腰を深く折って自己紹介する。「俺は底と申します」
横でアリスが放心しているが、知ったこっちゃない。と言いたげにお婆さんは底に目を見張り、感心した。
「良くできた子じゃないかい。私の孫も見習ってほし――」
「まだ私の恋人じゃないですっ!」
一寸遅ればせ、遮りながらも、なんとか否定したアリス。
「まだってことはアリスちゃんは好きではあるんじゃないかい。女は度胸だよ。アリスちゃん」
「ち、ちがっ……!」
底がニヤリと口をつりあげた。
「違うのか?」
底の一言でアリスが固まる。やがて切れかけたゼンマイ仕掛けの人形のように、ギギギと頭だけ底に向けた。その顔は耳まで真っ赤だ。
「あ、あのね、嫌ってわけじゃないの……寧ろ恋人なら嬉しいんだけれど、まだ早いというか、わ、わかるでしょ?」
ついには頭から煙が出そうなほどだ。若干涙目になっている。
「ほら、女がやすやすと涙を出すんじゃないよ」
「な、泣いてないもんっ!」
「ごめんな、アリス。やり過ぎたな」
目に溜まった涙を拭うアリスの頭を、底が撫でた。うー、うー。と唸ってはいるが、嫌そうどころか、寧ろ嬉しそうだ。尻尾があればブンブンと振っていたかもしれない。
お婆さんはにこにこと微笑んで眺めている。そして、なにかを思い出したような口調で言った。
「私は買い物の途中だった、それじゃあ、仲良くね」
「あ、お婆ちゃんまた今度ね」
「気を付けて」
手を振りながら去った。お婆さんの背中を見送り、また歩き出す。
「ちょっと疲れただろ? 休もうか」
「うん、ありがとう」
二人はちょうど、近くにあった甘味処に寄った。色々とバリエーションがあった。店主は元外来人だったらしく、ここで八雲の力を借りて『甘味処』を開いているらしい。最初ここに来たときはもうだめかと思ったよ。と優しくも爽やかな人柄と、絶妙な甘味とうまみ。幻想郷では類をみないデザートを一人で作っているらしい。
詳しいことは省こう。この甘味処はアリスが大層気に入ったようだった。逆に、底は甘いものをあまり食べないため、新しい発見が出来たみたいだ。
「さて、つぎは……?」
道の端で――子供だろうか――甲高い泣き声が聞こえた。二人は顔を見合わせて、声が聞こえる場所に向かう。
絶えず響き渡る。
外見的に、齢十二にもみたないような女の子が裏路地で泣いていた。他の人達は知らないふり。和服の所々は砂が付着して、女の子はみすぼらしい、といえるだろう。一応サイドに髪を結んでいるようだが、髪はボサボサで、髪を結ぶための赤い紐は髪の先になんとか落ちずに付いているだけだった。
「大丈夫……ではないな。どうした?」
「どうしたの?」
アリスがあやすように頭を撫でた。しかし、女の子は泣き止まない。底が、どうしたものか、そう考え出したとき、女の子は嗚咽を出しながらも口を動かす。
「……ぐ、れ……」
だが、声はなかなか出ない。落ち着くように、底が近くの民家から水をもらい、飲ませた。続いて底が深呼吸を促し、やっと嗚咽は止まりつつあった。
「おかあさんが、どこか行っちゃった……!」
どうやら迷子のようだ。そこらに座り、詳しい話を聞くと、およそ二時間前に母親と買い物していたところ、前日あまり寝てなかったこともあり、歩きながらうとうとしてしまったらしい。そして、気がつくと知らない場所にいた。
急いで戻ろうにも場所がわからないし、時間もどれ程経っているかわからない。今頃どこにいるだろうか……。そう考えたら不安が押し寄せてきた。
とりあえずさがそう。そう思い、動いたのはいいが、一時間経っても未だに自分のいる場所がわからない。
もう会えないのでは……。焦りが出たらしく、走って探しだすが、派手に転倒してしまい、服には砂が付着して、髪型も乱れてしまった。そして、起き上がり、限界で泣いてしまった。その数分後に底たちが現れた。ということらしい。
底は考える。
どうしようか。探さなきゃいけないんだろうけど……。
ちらっとアリスの顔を窺った。アリスからは母親を捜す気がありありと受け取れた。
底は短く息を出すと、二人に声をかけた。
「この子のお母さんを捜すか」
女の子はぱぁっと花が咲いたような笑みを浮かべ、アリスも、そうね。と頷きながら返事し、優しく微笑んだ。
「そうね」
「あ、ありがとう……」
お礼を言い慣れていないのか、恥ずかしげだ。
「名前は?」
三人で宛もなく歩いていると、ふと気になったのか、アリスが女の子に問いかけた。
「紗江だよ! お姉ちゃん達は?」
「アリスよ」
「底だ」
「へえ、アリスお姉ちゃんと……底兄さん」
二人の名を何度か呟いて、快活に笑った。「よし、おぼえたっ!」
因みに、既に和服の砂は叩きおとし、髪もアリスが結び直した。いつも肩につくかつかないかの長さの髪を、左に結んでいるようだった。それを聞き、アリスが髪を手櫛でととのえ、頭についていた赤い紐で結び直したのだ。
「紗江ちゃんは、いくつなの?」
「えっとね、十三歳!」
「そっかぁ。ならまだまだ遊び盛りだね。なにか好きなことはあるの?」
底は心の奥から思う。アリスがいてよかった。助かった。と。
それもそうだ。先程から、アリスは話が途切れたりしないように絶えず紗江に話しかけている。それのおかげで、空気はぽかぽかと楽しげだ。
底だけなら助けていたかわからないし、ましては助けても、きっと無言だっただろう。
「えっとね、花札! これでもあたし強いんだよ! えへへっ」
「花札、お姉ちゃん花札やったことないなぁ。あ、紗江ちゃんはお人形に興味ある?」
「だいすき! でも、お人形さんを買うおかねがなくて、いつも我慢してるの……」
「そっか……、じゃあお姉ちゃんがあげる!」
と、懐からいつもの人形となんら変わらないものを、取りだし、紗江に渡そうとした。
「え、でも……お姉ちゃんのお人形さんだし……」
「いいの、ほら。ほしいんでしょ?」
人形を紗江の目の前へと飛行させ、左右に動かした。紗江が目を輝かせながらも、目で人形を追う。
「ほら、お人形さんが紗江ちゃんに貰いたがってるわよ。『紗江ちゃん、わたしじゃだめ?』」
あたかも人形が喋っている、生きているかのように操って魅せた。
「ううん、だめじゃない……うー」
人形と喋る。
アリスがすると、本当にこれら人形は生きているのではないか。そう思わせることができるほどのものなのだ。それほどの魅力と精密さ、愛がこもっていた。