底は、紅魔館の庭に居た。というのも、パチュリーのアドバイスの真意というものを考えているのだ。これがなかなかどうして難解で、レミリアの助言を聞くまでは、よくわからなかった。しかし、それもようやく糸口が掴めたような気がしたのだ。
ここの庭は考え事において、おあつらえ向きかもしれない。程よい暗がりで、ベンチがあり、花壇には色とりどりのきれいな花が並べられている。明るい時間に来れば、癒されるであろうが、夜の庭もまた違う魅力があった。
「あれ? 底さんじゃないですか」
座り、花壇に植えられた花を眺め、確信に近づいてきた底に、紅美鈴が話しかけた。立ち上がり振り向く。
「美鈴」
「なにしてるんですかー?」
ほのぼのと、間延びした声色。
「考え事だよ。美鈴は?」
「私は底さんの気を感じたので……」
照れくさそうに、てへへ。と笑い、頭を掻いた。
「そうか。なあ、美鈴」
「はい、なんでしょー?」
「武術か刀術か魔法。どれを選べばいい? 武術も刀術も魔法も学んだほうがいいか?」
「そうですね……」
紅美鈴が答えを出すのに、少々の時間を要した。紅美鈴は魔法やらには滅法弱い。純粋な肉弾戦派。棒術も苦手ではない。そんな彼女が出した答えは、「好きなことをすればいいと思いますよ」と、極々簡単なことだった。
「やっぱそうなるか」
底は、確信を得た。パチュリーが言っていたことの真意は、いま紅美鈴が出した答えと同様だったのだ。
レミリアが言っていた、パチュリーの好きなこと。それは魔法や知識をたくわえること。紅美鈴だって同様に、武術が好きなのだ。
きっと、パチュリーが言いたかったのは、『好きなことじゃないと続かない。嫌々やっても良い結果にはならないし、上達しない。なら好きなことで強くなればいい』そう言いたかったのだろう。
あのとき、パチュリーが『貴方の好きなことをすればいい』と言っていたら、底は有益ではないと判断して、間違いなく他の人に聞いていただろう。
よって、遠回しに言ったのだと考えられる。しかし、誰に聞いても、こう言っていただろう。
『底の好きにすればいい』と――。
時間は進み、あれから数日の、五月十五日。
底は自宅で自由気ままに過ごしていた。あれから帰ると、玄関前には幾つかのチラシっぽいものと新聞が溜まっていた。それらを全て八雲から受け取ったごみ袋に入れ、台所に設置されたごみスペース。基、『八雲紫のごみ処理スキマ』と八雲が命名したスキマに全て放り込んでいた。
しかしまあ、紅美鈴との談笑やらを聞き、パチュリーの真意を知って、一度ゆっくりしよう。ということにしたのだ。
幻想郷に来てからというもの、女性関係や、異変やらで大して――主に博麗が原因で――寛げなかった。
思いっきりはねを伸ばそう。と考えた。博麗にはもう言ってある。勿論霧雨と紅魔館の住人にもだ。それ以外の者には伝えてないようだが、まあ、大丈夫なのだろう。
と、そこでインターホンが鳴る。
「来ないように言ったのに……」
溜め息一つ、呟き、玄関まで歩いて開けた。扉の前には、人形をひき連れたアリスが立っていた。その顔は若干、怒っているようにも見える。
「あ、アリス。おはよう」
「そうね、おはよう」
午前十時。まだ『おはよう』という挨拶ができる時間だろう。
アリスの顔は晴れない。
「今日はどうしたんだ?」
問いながらも壁にもたれた。
「もうっ! 人形劇してたのよ! その時寄ってもいいって言ってたじゃない!」
「なんだなんだ、なんでそんな怒ってるんだよ」
「べつに、見にきてほしかったなんて思ってないから……」
「ん? いや、でも――」
底が眉間を険しくさせて、人形劇の開催について記憶を遡る。確かにたまに人形劇をする。見かけたら是非、などとは頭にあるが、なにも今日開催する。なんてことは一切聞いていないし、情報もなかった。
俺の記憶は間違いないと思うが――底はうんうんと唸った。続けて底が言う。
「開催日なんて知らなかったぞ?」
「え……?」
信じられない。そう言いたげな素振りと口調。「私、引き札おいたわよね?」
「引き札ってなんだ?」
「広告よ」
「え……?」
今度は底が信じられない。といいたげな表情にかえた。
「確かに貴方の家の玄関前に置いたわよ?」
「あ……」
ぱっと出てきたのは帰ってきて玄関前にあった紙の小山。大した面白味も感じられなかったので、新聞は以前からすてていた。チラシに関しては、まさかチラシがあるなんて思わなかったからだろう。紙の小山を、確認せず捨てたのだ。だがそれらの中にアリスのチラシがあったらしい。
底は見るからに焦り始めた。
「思い出したみたいね」
「す、すまん。まさかチラシだなんて思わなかったんだ……」
「ちらし……? まあいいわ。や、休みたいのだけれど、あがってもい、いいかしら?」
吃りながら言った。人形がもじもじしている。どうぞどうぞ。と底が居間へと案内した。
「わあ……っ! 素敵な部屋ね!」
両手を合わせてはしゃぐアリスを横目に、底は人形を視界に入れる。人形は何故かカウンターキッチンで踊っていた。
「そうか?」
「ええ。私、男の人の家に入るの初めてなの……。結構片付いてるものなのねぇ……」
どうやら感心しているようだった。
「こんなもんだろ」
本当は博麗が毎日欠かさず掃除しているんだけど。と思いながらも、そのことを黙っていた。
「ふーん」
見定めるようにキョロキョロと居間やらキッチンやらを眺めている。
いつまでも立たせておくわけにもいかないので、「座れよ」と、背もたれを立てている黒いソファーベッドを指差した。
アリスが返事をして、腰かける。カウンターで踊っていた人形は浮きアリスの膝の上に座った。
それらを見届けてから、冷蔵庫にある緑茶のピッチャーを取りだし、コップ二つに注ぐ。次に、緑茶入りのコップをテーブルに置いて、アリスに差し出した。
「お、おいしい……どうやって淹れたの?」
「ん? ああ、このお茶?」
底は、右手でコップを胸辺りの高さまで持ち上げ、聞き返す。コクコク。とアリスの頷き二つ。
「八雲紫から、初めてもらったお茶。それは茶鷹で、私は十六歳です」
――目をつむり、語る。それは昔話を聞かすように。
「そ、底?」
「その味は急須でいれたようなにごりの旨み。こんな素晴らしいお茶を貰える私は、凄く幸福なのだと感じました。市民、幸福は義務なのです」
「…………」
訳がわからず黙るアリス。底が目を開けた。
「……あ、ごめんなんだっけ」
「……えっ!?」
「あ、これ『茶鷹』っていうお茶ね。美味しいだろ? 因みにいまのは茶鷹のことを聞かれたらこう言えって」
「う、うん……」
釈然としない。そう言いたげだが、頭を縦に振った。
「なんか紫から支給されてるものの中の一つらしいんだよな」
なにもない空間をみつめて呟く。
底が言った通り、数ある支給品の中の一つ。八雲が言うには、未来の飲み物らしい。アリスには黙っておくようだ。衣食住。これらはしっかりと約束されている。今の底が着ているものも八雲からだし、食材も、この家も。
「ゆかり……、賢者の八雲紫?」
アリスの問いに、底が頷いた。コップにはいった緑茶を口にし、息を吐く。
「まあその話は置いといてだ。結局なにかあってここに来たのか?」
「あ、えっとね……」
もじもじしだした。それに合わせるかのように膝の上で倒れるように寝ていた人形が、急に起きあがって、底の頭にのっかり甘えだす。そして、おずおず。といった風にアリスが言う。「明日、二人っきりで里をまわらない……?」
「里か……いいよ」
一瞬、里になにかあったっけ。と頭の中を探ったが、大したものは見つからなかった。
何度も言うが、底は普段、八雲の手によって、必要な物は支給されている。それ故、里で買うものが別段あるわけでもないのだ。だが、この機会に里のことを知っておくのも良いかもしれない。そう思ったらしい。
しかし、二人っきりか。こりゃ霊夢に見つかったらどうなるか……だな。
底は悪寒に身を震わせた。これが杞憂に終わればいいのだが――――。