「まあまあ。うん。あまり出たくないんだよな。物騒だし」
視線を十六夜咲夜の背景にピントを合わせて、濁した。
「あら、ひきこもりかしら? 身体によくないわよ?」
「そうですねー。でも咲夜さん、底さんは私に武術を教えてくれってここまで来たんですよ」
底の斜め前に立つ紅美鈴がフォローした。
「そう。そう……ねぇ」
十六夜咲夜が考える素振りを見せる。なにか不都合でもあっただろうか。と底は思った。別に不都合なら魂魄妖夢のところか、アリスもいるから何ら問題はないのだが、それでも最初は武術を知りたい。何事にも武術が一番だとどこかで聞いたのだ。
少し間が空いて、ちょっと待ってて。と行ってから急に姿が消えた。その約一分後、もといた場所に姿を現し、小さく息を吐いて底と紅美鈴に話しかける。
「おまたせ。いいわよ。お嬢様のところに案内してあげる。美鈴も来て」
二人は返事をして、背を向け歩き出した十六夜咲夜に着いていく。
扉を開き、館の中に入る。
大きなシャンデリア。赤いカーペット。広い間の奥には階段。その下に大きな扉。どれも異変解決に来た時と変わっていない。まあ、あのときはあまり見ていなかったらしく、懐かしいな。なんて思わないみたいだが。
とにもかくにも、廊下を進み、一階のどこかにある扉を開けた。客室だった。
客室の赤黒いソファーに一人の少女が、紅茶の入ったティーカップ片手に腰掛けていた。
「底、ごきげんよう」
空いた片手でソーサーを持っているため、振ることは出来なかった。「貴方が此処に来るのも久しぶりね」
「……そんなに珍しいか?」
扉から移動して、底はソファーに座り、紅美鈴と十六夜咲夜はレミリアの後ろに直立する。
「いいえ。少なくとも私は凄く嬉しかったわ」
「そうか。悪いな。いつも家まで来てもらって」
「好きで行ってるから良いのよ」
そう言って、カップをソーサーにのせて、テーブルに置いた。
どうやらなくなってしまったようで、一瞬にして十六夜咲夜が淹れる。ありがとう。とレミリアが呟いた。一礼して応える。
「今日は、美鈴に武術を教えてもらいたくて来たんだ。前回の異変でなす術もなくやられた。悔しい訳ではないけど、紫に言われた手前、今度こそ負けないようにしないと駄目なんだよ」
「へぇー。そもそもなんでそこまでするのかしら?」
「え? 言われてるから……」
「前回の異変、霊夢達が解決したんだってね。その後、あの亡霊達は弾幕ごっこで戦うことを了承したわ。言い方は悪いけれど、貴方が出る幕ってあったかしら?」
「それは……」
なにも言えなかった。その通りだと底も思っているからだ。それに、実際のところ、底自身も何度か疑問に思ったこともあった。本当に俺は必要なのか? と。
紅い霧の異変で博麗が戦えばよかったし、説得や負けたりすればレミリアは素直に応じるだろう。なのに、力のない底に異変解決を命じた。結果的にレミリアは弾幕ごっこで勝負することを了承した。
この言葉を使うのもなんだが、“もしも”博麗と霧雨だけだったら、弾幕ごっこを了承していただろうか? 底だからこそ応じたのでは?
その思考がいまのいままで底の頭の片隅に浮遊していた。
もしも。とは色々な考えができる。もし底がいなかったら弾幕ごっこを了承しなかったかもしれないし、してたかもしれない。
無限にも思えるそれを、その言葉を、底は嫌っていた。考えても仕方ないからだ。
「実際、底。貴方、本当に死んでもおかしくなかったでしょ? あの半霊が貴方を気に入ったからこそ、いま貴方は生きている。気に入らなかったら殺されていた。そうでしょ?」
「そ、そうだ……けど、けど……なにか紫にも思うところがあったんだよ……。紫は頭がいい。それこそそんな言葉じゃ足らないほどに。それなのに意味なく俺を危険な場所に放り込むか……?」
「頭がいいからこそ意味なく貴方を――」
「さっきからなにを不穏な会話をしているのかしら?」
気が付くと、底の横の、空いているスペースに八雲が足を組んで座っていた。皆が、気づかなかった。
十六夜咲夜と紅美鈴は構えるが、レミリアがそれを制する。
「不法侵入とは、礼儀がなってないんじゃないかしら、幻想郷の賢者さん?」
レミリアが若干の威圧と皮肉を織り交ぜて、八雲に言った。
「やっと暇が出来たのよ。許してちょうだい?」
「…………」
八雲の視線が底に向かれる。心なしか、憤っているようにも見える眼差し。
「そうね、まずは、底、ごめんなさい」
頭を下げた。全員が呆気にとられた。それと同時に、愕然とした。
「なによその顔。私だって謝るくらいするわよ」
批難の目を、底から全員に向けていく。やがて、底に戻して、再度謝ってから話し出した。「あのね、本当はもっと早く謝りたかったけれど、遅れたけれど、話をさせてちょうだい」
「……なにを……」
「前回の異変の亡霊。西行寺幽々子は、私の古くからの友人なの。だから、本当は弾幕ごっこで平和的にやるつもりだったらしいの」
「……は?」
「でも、貴方のことを話す度に、幽々子が興味を抱いて、ついには妖夢にも弾幕ごっこで戦うことをやめさせたのよ。だから形式上、弾幕ごっこはしなかったけれど、霊夢達とも本気で戦ったみたいよ?」
危うくあの世に連れていかれそうになったって言ってたけど。とクスクス笑った。
「言おうとしたのよ? でも忙しかったの……。部下の藍が許してくれなかったのよ。本当にごめんなさい」
もう一度頭を下げた。申し訳なさそうにしているため、底は怒るに怒れなかった。怒っても意味ないのだろうが。
「……いいよ。ただ、聞かせてくれ。俺は本当に必要か?」
「必要よ」
即答した。なんの迷いもなく。
「そうか。なら信じる」
八雲が笑顔を浮かべた。十六夜咲夜とレミリア、紅美鈴は顔を曇らせた。
「ありがとう! あ、そうだ。今度異変がおきたら私も手伝ってあげるわ」
「本当か? それはありがたい。頼むよ」
「じゃあ、私は管理とかあるから。またね」
そう言うや否や、スキマをつかって消えた。
「底。気をつけなさい。絶対になにかあるし、嘘ついてるわ」
「お嬢様の言うとおりよ」
「私もそう思います」
底の向かいにいる三人が口々に言う。信用しようとしていた底だったが、ここまで言われては流石に警戒を再開せざるを得ないといった風だ。
確かに怪しくはいた。解せない点は挙げればキリがないだろう。
「そうだな。ちょっと警戒しておくよ」
早々に話題を切り上げて、本題に入った。結果、快く了承してくれて、底は早速、紅美鈴に武術を教わろうと立ち上がった。レミリアは見学するようだ。十六夜咲夜はレミリアの側に。ということで、結局その場にいる全員が客室を出た。
レミリア、底、十六夜咲夜と紅美鈴は気づかない。否、気づけなかった。監視カメラの如く天井角に配置された目玉の事に――。
「今日はここまで!」
「ありがとうございました!」
二人の張った声が庭に響いた。あれから三時間。基礎の基礎。足さばきを教えてもらった。底はすぐにのみこみ、身体に吸収させる。これには紅美鈴も驚きに目を見張っていた。
「いやー、素人とは思えませんよー。教え甲斐があります」
「教えかたが良かったんだ」
「ま、あの能力と底なら当然とも言えるわね」
お互いに誉めあっていると、日傘をさしたレミリアと、十六夜咲夜が割り込んだ。
「そんなことないよ、でもまあ、ありがとう」
謙遜した底に、レミリアは優しく微笑みかけた。その笑顔に底が見惚れていると、レミリアが、ある提案をした。
「そうだ、美鈴に武術を教えてもらってる間、ここに泊まっていきなさい」
「……魅力的な提案ではあるけれど、いいのか?」
「良いから言ってるのよ。寧ろずっと居てもいいのよ?」
ウインクをしてレミリアが言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくな」
底は考える。こう決めておいてなんだけど、なんか嫌な予感がするんだよな……。杞憂におわればいいけど――拭いきれぬ予感に、底は人知れず溜め息をついて空を仰いだ。
大した事もなく、レミリアと談笑していて、十六夜咲夜がディナーの時間です。と呼び出された午後八時ぴったり。レミリアと食堂に向かう。
食堂の、レミリアの隣の椅子に座り、真っ白のテーブルクロスの上に置かれた、中華と洋の料理。それらを適当に自らの皿に盛った。
「底さん。その『エビチリ』と『炒飯』。あと『酢豚』は私が作ったんですよ」
にこにこと紅美鈴が底に言う。恐らく、テーブルの上にある、洋の料理は十六夜咲夜、数品の中華は紅美鈴の手料理なのだろう。
「へぇ。食べてみるよ」
そう言って中華優先に口へと運んでいく。
「美味い……」
「えへへー。謝謝」
両手を合わせた。ありがとう。って言ってるんだな。と脳内で納得する。こうして、たまにだが紅美鈴は中国語を喋る。
一応、わからないでもないが、やはり発音も日本語とは異なるので、聞き取りにくい。現に、『ありがとう』という言葉だって理解するのに少々時間を要する。
そう考えたら、外で通訳の仕事をする人は凄いな。と改めて思い知らされる。そして、どうでもいいけど。で終わらせる。
因みに、中国語がわかるわけではない。『謝謝』という言葉を、たまたま知っていただけだ。
時は進み、翌日の午後二時。紅美鈴の教えを終わり、昼食を済まし、客室でレミリアと座っていた。
「明日、宴会よ」
底の隣で、手まで繋いでいるレミリアが言う。
「そういえばそうだな。なんだっけ、確か、異変解決の宴会と花見の宴会は別。だったっけ?」
「そうよ」クスクスと、優々たる笑みを見せた。「ここの住人はお酒が一番みたいだし」
「俺はあまり酒は呑めないな……」
というか、未成年だから呑めないんだよな。と心の中で呟き、気まずそうに頬を掻いた。底は宴会の時、いつも、ワインと見せかけて『パンタグレープ』という炭酸の飲み物をグラスにいれ、誤魔化している。もちろん、八雲が能力を使ってわからなくしているのもある。
それに、ここに来た時点で外の世界の、所謂『ルール』は無に等しい。
それを承知ではあるのだが、昔からそういう風に言われていたせい――もしくはおかげ――で、呑むのに抵抗があるのだ。
「私は嗜む程度なのだけれど、ワインが好きよ」
「血のように真っ赤な、だろ?」
「ええ。そうよ。この紅茶も――」
「お嬢様! 繰鍛さん! 大変です!」
雑談をしていると、唐突に扉が開き、慌ただしく、十六夜咲夜が叫んだ。