「こらー!」
底は、木の下へ身体を忍ばせた。チルノとは戦いたくないのか、それとも、体力を温存しておきたいのか。
どちらでもあるのだろうが、ともかく、チルノが手当たり次第に氷柱を放っている。次第には飽きたのか、一言二言叫んで何処かへ飛んでいった。
ほっと白い息が舞う。雪も舞う。
そういえば。と呟き、目を瞑って博麗と霧雨のことを脳裏に浮かべる。まあ、大丈夫だろ。そう結論付けて、辺りを警戒しながら空へと向かった。
雲を越えると、暖かいが、太陽が眩しかった。ちょうど目と鼻の先に、巨大な門がある。空に浮かぶ門。正面からは門以外見えない。
開くのだろうか。そう観察するが、一向にわかる気配がしないので、底は高度をあげ、越えることにした。
門をすぎると、そこは春に満ちた“和”の世界であった。底が足をつけた先には長い階段。その更に先は大きい屋敷に広い庭。一面桜の海が広がり、圧倒させる。ところどころに漂う半透明のもの。
底が階段をのぼっていく。先は見えない。それほど長いのだ。無限にも続くように見えるこの階段を、怠そうに飛翔して進んだ。
屋敷に着き、底は自然と庭へ足を進めた。なにかあると思ったわけではない。なにかがあるわけない。そう底は思いながらも、庭の、他の桜よりも一際大きい桜木の前に直立し、見上げた。
吸いとられるような感覚を覚える。こんな感覚は初めてだ。あってはならないものだ。そう感じた。なぜかは知らない。ただただ、そう感じたのだ。
「ん――ッ!?」
底の胸を『刃が貫いた』
背後には銀髪の少女が、刀を押し出し、底を貫いていた。酷く冷徹な目をしている。
底が咳と共に血を吐いた。絶えず胸からは赤い噴水が吹き出し、地面を赤く彩っていく。
少女が底の胸を貫く刀を抜いた。倒れゆく底を見下ろしてただ一言だけ吐き捨てる。不届き者め。と――。
心臓を止めた底の頬に、桜の花弁一枚がのった。
次に意識が戻った時に、底は振り向いた。後ろの少し離れた所に銀髪の少女がいて、刀を抜く直前だった。少女の目は冷めている。横にへんなものが浮かんでいて、そこらに飛び交うものにそっくりだ。
「ほう。気づきましたか。なかなかの手練れで」
「いや、まぐれだよ」
目を細め感心したようにほめる。どこか皮肉にも聞こえるその声色は、やはり目と同じように冷めていた。
「不法侵入者にかける言葉はありません。直ちに死んでください」
「おっと、凄い剣幕。でも俺は異変を止めたくて来てるんでな。簡単に帰れないんだよ」
「なにを言ってるんでしょう。帰るのではありません。今から、いくんです」
「ほう。その“いく”ってのは勿論?」
「死ぬことです――!」
銀髪の少女が姿勢を低くして駆けた。既に刀は抜いていた。
刀は長い。そして相当の業物だろう。
「だよ――なッ!」
すぐさまビー玉を刀にし、向かい打つように構えた。
少女が刀を振り上げ、下ろした。対する底は銀の刀を頭上に、横にして防ぐ。やけに軽い剣撃に違和感を抱く。
少女は足を前に出し、蹴りを底の腹に食らわす。ぐっ……。という声をもらし、腹部を押さえて後ろに退がる。
「どうやらさっきのは本当にまぐれだったみたいですね」
失望したように吐き捨てた。長い刀をおろした。長刀の柄頭にある、白い房が揺れる。
「……ここからだよ。死ぬなよ」
「戯言を」
精一杯の虚勢に見えたのだろうか、少女は一笑に付す。
「……まあ、信じないでもいいさ」
意味ありげに笑い、構え直した。その姿を目にいれ、少女は、無駄な足掻きを。と呟いて、同様に構えた。
少女を見据えた底は、刀に炎を纏わせる。それを見て、初めて警戒を露にした。
「……そんな器用なことが出来るんですね。私は魂魄妖夢。よろしくお願いします」
「俺は繰鍛 底。よろしく」
魂魄妖夢が礼をする。武術において、こんな言葉がある。
『礼に始まり礼に終わる』
意味は省くが、大事ではあるのだろう。
底は不意討ちしたことについて言及しないらしい。まあ、相手にとっては不法侵入者。不意討ちするな。とは片腹が激痛も甚だしい。
見習って、底も腰を深く曲げた。
「一応の礼儀はあるようで」
皮肉を言う。
「だから、俺はこのいつまでも雪がふる異変を止めたいだけなんだって」
「そうですか。私は知りませんね」
「ここが原因だと思うんだけど」
「さあ。知りません。そんなことより、早く終わらしましょう」
「ふーん。まあいいよ。負けたら教えろ」
何度かの口撃を交わし、二人は三度目の構えに入った。魂魄妖夢は桜観剣とやらを脇構えして。底は炎を纏わせた銀色の刀を正眼の構えにしている。
『脇構え』とは、簡単に説明すると、正面の相手に刀の長さを正確に視認できないよう、右斜めに向けて刀を右脇にとり、剣先を後ろに下げた構え方だ。
両者じりじりとにじり寄る。その刹那、底が刀を横に薙いだ。炎が飛ぶ。それと同時に音をなるべくたてずに、まっすぐ走る。
広範囲にひろがった炎は、魂魄妖夢の視界を奪う。だが、全く動じない。冷静に目線を巡らせ、分析する。炎は魂魄妖夢の僅か一メートル先で消えた。
消えた炎から刀を振り上げた底が姿をあらわす。勢いよくふりおろした。しかし、それは軽々と長刀で防がれた。
「くそ――!」
おまけとばかりに正拳突きをしてくる。底は急ぎ、バックステップで距離を稼ぐ。
今度はなんとか食らわずに済んだが、一筋縄ではいかない。とった。と確信していたのに、それをあっさりと防がれたのだ。
「いまのはいい作戦でしたね。でも、私には一歩、いえ、二歩ほど足りませんでした」
「言ってくれるじゃないか。俺はまだまだ本気出してない」
「それは楽しみですね」
余裕そうに返す魂魄妖夢に、底は焦る。
さっきのはマジでいけると思ったのに……。でも、まだ隠し種はある。幸運にも、当てられたら相手の動きは鈍る――落ち着かせるように深く深呼吸した。次に、刀に極薄な水の膜を作った。
「でも、そこまで時間はありませんね。庭の手入れをしなくては」
底は気づく。あの変な物体はどこへ行った。と。
まあ、でもなにかできるわけでもなさそうだし、今はおいておこう――目の前の敵に目線を合わせた。魂魄妖夢は構えないどころか、勝負は決まった。といった風に自然体だ。
「おい、構えろよ」
思わず声をかけた。
「いいえ。もう勝負はつきました」
「どういう――」
言葉が続かなかった。いや、続けられなかった。
底の頭が飛んだ。首を刎ねたのだ。背後にいた“魂魄妖夢”が。しかし、底は見れなかった。背後の魂魄妖夢を。
どういうことだ。なんで。その言葉が頭の中で埋め尽くされる。空きがなくなるほどに。
底は正面にいる魂魄妖夢に目を離してはいなかった。それなのに、背後には魂魄妖夢がいた。なにかの術でも使ったのか。いくら考えてもわからない。情報が足りない。
「来ないんですか?」
脇構えをした魂魄妖夢が、正眼の構えをして、突っ立つ底に問いかける。
「すまんな。考え事をしてしまった」
「刃を交えるのに不要なものは捨ててください」
「じゃあその横に浮いてるものをどこかにやれよ」
「失礼な! この子は私の半身なんです!」
「へぇ。それは失礼」
良いことを聞いた――魂魄妖夢にわからないよう、にやりと不敵に俯いて笑う。
半身ということは、さっきの死因はあの物体がやらかしたことでいいな。なんらかで俺を殺したみたいだ。底はそこまで考え、終わらした。終わりそうにないからだ。
再び刀を交えていく。魂魄妖夢はまだ、余裕そうだ。一方の底は、一太刀一太刀、全力で振るう。火花がそこかしこに散り、刀のぶつかり合う音が響く。
「もう終らせましょう。庭の手入れをしなくては」
そう言って、脇構えで溜める動作をし始めた。嫌なものが底に付きまとう。それは濃厚な『死』の予感。
止めるために、足に雷をまとわせ、全力で魂魄妖夢に近づき、止まって袈裟斬り。
魂魄妖夢は、半歩退いて躱した。直後、浅く鋭く、息を吐いた。
まずい! 直感で、遁走するように背を向けて一直線に走った。
もしかしたらここに来て、底の中では一番を争うほどの速さだったかもしれない。
「全く。剣士が背を向けるとは何事ですか」
呆れ声がした。
――底の前から。桜観剣を振り抜いた格好で。
あろうことか、魂魄妖夢は、高速で逃げた底に追い付き、横一文字に斬りつけたのだ。
斬りつけられた底は、上半身と下半身がわかれて、地に伏した。
「な……んで……」
途切れ途切れにも、なんとか声を発した。しかし、底にその答えは聞こえないだろう。知り得ないだろう。
なんせ、発し終わると同時に、生命の活動も終わったのだから。
「…………」
また死んだ。短時間で何回も死ぬなんてこと、久しぶりだな――そう思った。
ここに来てからというもの、レミリアと戦ったとき以外、比較的平和ではあったのだ。それでも日常で死んだりしたが――これはもはや当たり前とかしているが――やはり異変では何度も死ぬことが普通なようだ。底にとってそんな普通、御免被りたいだろうと思う。
「来ないんですか?」
問いかける魂魄妖夢は先ほどと同じ。
「すまん。刃を交えるのに不要なものはいらない。そうだろ?」
「わかってるじゃないですか。それなら言葉なんて野暮なものはいりませんね?」
「ああ。刀で語ろう」
底が前回の、魂魄妖夢の言葉をそのまま言うと、魂魄妖夢は嬉しそうに顔を綻ばせた。
――そして、また刀を交えていった。