「ただいま」
深夜十二時。レミリアが館に帰ってきた。その表情は疲労に満ちていて、相等疲れてる事が窺える。玄関に十六夜咲夜が姿を現して、腰を曲げていく。
「お嬢様。お帰りなさいませ」
レミリアが長嘆息し、日傘を十六夜咲夜に渡した。
「こんなに外へ出たのは生まれて初めてよ……」
預かった十六夜咲夜が歩き出すレミリアに訊ねた。
「お嬢様……。それで、結果は……?」
「駄目よ。すぐにでも横になりたいけれど、底の顔を見てくる。寝てる?」
「はい。それと、今日は妹様がいました……」
恐る恐る。といった感じに伝える。
「なっ――!? あいつが!? 底は無事なの!?」
絶句して瞬時に十六夜咲夜の胸辺りの服を掴み問い詰めた。
ぐっ。と苦しそうにくぐもった声をもらす。無意識に力を入れてしまっていたようで、一言謝って離す。
「え、ええ。無事だと思います。話をしてましたから……」
「そう……。底の顔見てから寝るわ。行きましょう」
はい。と主の言葉に返事をして、底の眠る部屋へと足を進めた。
底の部屋は寝息に包まれていた。
扉が静かに開かれて、レミリアが顔を出す。眠ってることを確認すると、中にはいり、底の横に立つ。十六夜咲夜は扉付近で見守る。
「底。ただいま」
レミリアの小さな手が底の頬に触れる。小さい身長は、屈まなくても触れるのね。と思いながらも呟く。
「……ごめんなさいね。すぐにその目を治してあげるから……。待ってて」
底の目が緩やかに開かれた。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃったかしら……」
「その声は……、レミリアか」
そう言って頬に置かれた手を、底が大きい手で包んだ。
「……ふふっ」
レミリアがやわらかく微笑んだ。
「どうしたんだ?」
「いえ、声を聞いただけで私だと当ててくれたからね」
「わからないわけないさ」
手を離した。レミリアが、あっ……。と声をもらす。そして、手をベッドについて起き上がり、底がレミリアに目を向けて言う。
「こんなに優しい声をしてるのはレミリアしかいない」
「…………。ありがとう」
「なぁ、外で散歩しないか? 話がしたかった」
「え? いいわよ。行きましょ」
手を繋いで外へと出た。
今日は満月だ。大きく、丸い。ずっと見ていると、吸い込まれそう。そして、兎が餅をつく光景が目に浮かぶようでもある。暗いが、確かに見える紅い館の上を、蝙蝠が徘徊する。蒸し暑いが、汗をかくほどでもなく、夏にしては快適。
二人は庭に行き、ゆっくりと、歩く。
「咲夜から聞いたけど、フランと話をしたんですって?」
「ああ。部屋に来てな」
多くは語れないだろう。墓穴を掘るかもしれないから。
「そう。あの子は昔っから危なくて……。なにかあったなら謝るわ」
危なくて……か。しかし、実質いまの俺にはなにもしてないからいいか――底が心の中で溜め息を吐く。みっともなく命乞いをしてしまったと。
「そうだな。別になにもなかったぞ……。こどもらしくて。なによりも純粋に」
こどもは時として冷酷で残酷。フランドールはそれを体現したようでもあった。気に入らなければ怒る。手加減や死を知らないこども。
「…………」
それを聞いて黙った。
「レミリア。俺のために朝早くから探してくれてるんだろ?」
「えっ……」
底の問いに言葉を失うレミリア。
「責任を感じてさ。それも、俺の目を治せるところを一人で。違うか?」
止まって、横のレミリアに視線を移した。といっても、底は見えない。
「……ええ。私、私利私欲で貴方を――」
「いい。お前の気持ちはわかってるつもりだよ。後悔してるんだろ? 異変をおこしたことを」
「そうよ。運命が見えたからといって、後先考えずに戦わなければよかったと思ってる。結果がこれだったから……」
「俺は後悔してない。お前と出会えたから。たとえ盲目になってもお前といれるならそれでもいいよ。顔が見れないのは残念だけど」
「えっ? そ、それって……」
「秘密だ」
そう言ってはぐらかし、また歩き出した。一瞬我を忘れていたレミリアが走って追いかけ、並行して再度手を繋ぐ。
「無理して探さなくていい」
「いえ、これは私の数多い罪のなかのひとつよ。償うことなんて出来ないけれど、治す手立てを見つけてみせるわ」
上目使いで底を見つめるその目は、決意に満ちていて、美しいルビーを思わせる。
「ありがとう。だが、なにも、ここまでしないでもいい。もう少し早く帰ってきてくれ。……寂しいだろ」
歩きながらもそう言う底の頬は、少しだけ赤くなっている。
「うふふ。ありがとう。でも、やっぱりこれだけは自分を許せそうにないの。疲労困憊していても、朝でも、雨でも頑張るわ」
同じく嬉しそうに頬を赤くして、伝える。
「わかった。もうなにも言わないよ。帰ろうか」
「ええ。じゃあ玄関まで戻りましょう」
手を離して二人が振りかえる。そして、また手を繋いだ。
「なあ。レミリア。月がきれいですね」
「貴方見えないじゃない……」
くすくすと笑う。でも。と続けて。「月というものはね、いつも綺麗なところだけ映してるのよ?」
「それでも綺麗だよ」
「ふふ。変なの。でも、なんだかわからないけれど、幸せだわ。それこそ死んでもいいくらいにね……?」
いまはまだ、面と向かって言えない。だからこうして遠回しに言ったのだ。それでも勇気を振り絞ったが。
しかし、なぜレミリアが底を。底がレミリアを好きなのかは二人自身、まだわからない。まあ、恋というのはそんなものなのだろう。
「行ってくるわ」
「ああ。悪いな。いってらっしゃい」
朝八時。レミリアが日傘を十六夜咲夜から受け取り、底とレミリアが挨拶を交わした。
日傘を広げ、飛び立った。見えないが、見送る底と十六夜咲夜。行ったな。と呟いて、十六夜咲夜に連れられ部屋へと戻った。退屈そうにする底が部屋に一人。程無くして、扉が勢いよく開かれた。
「おーす底! 来てやったぜー!」
「底! 寂しかったわ!」
意気揚々と箒を肩にかける霧雨と、会うや否や腕に抱きついた博麗。
「その声は、魔理沙と霊夢か。よく来てくれたな」
見事言い当てた底。ふふんと胸を張る霧雨と嬉しそうに顔を綻ばせる博麗。
「私寂しかったんだから! 会えて嬉しいわ!」
「え、う、うん。なんかそう聞くと久しぶりに思えるな……」
霊夢ってこんなスキンシップが激しかったか? と疑問に思う底。異変が終わったころからこの調子だ。なにかと底、底。と抱きついたりしている。
「なんだよ。会った瞬間から縺れ合っちゃって。私はどうしたらいいんだ」
拗ねるように陰でこそこそと言う霧雨。
「霊夢。最近お前おかしくないか?」
腕に絡み付く博麗を離す。
「え? なにが?」
底の問いにキョトンとして応える博麗。
「いや、異変がおきる前まではこんなんじゃなかっただろ?」
「いやなの……? いやならやめるから離れないで……!」
明らかに焦ったように言う博麗。いよいよおかしいぞと底は考えを改める。霧雨も驚いたように口を開け、眉間をしかめながら博麗を凝視していた。
「えっ、えーと、嫌じゃないけどさ。でも、好きじゃない人に――」
「好きなのよ! 底が好きなの! ねえ、寂しいの、お願いだから……」
気まずそうに頬を掻く底の声を遮って、どんどん目に涙を溜めてく博麗。
「わかった。もうなにも言わない」
博麗の言葉を聞いて、諦めた底。きっと、これでも断ったら確実になにか起こる。と思ってのことだ。
「んふふ。底、暖かい」
底と霧雨が同時に深い溜め息を吐いた。
「底ー! お話ししよー!」
博麗と霧雨が帰った昼下がり。フランドールが結晶の音を鳴らし、扉を開いた。
「フランドールだな。なんの話をする?」
座る姿勢を正す。
「えっとね、今日図書館から本持ってきたよー! 読書しよ!」
幾つかの本を見せつけるように、底の目の前に出した。
手をさまよわせ、フランドールを刺激させないよう、慎重に言葉を選んで、尚且つ優しく言う。
「ごめん。どこにある? あと、出来るなら聞かせてほしいな」
「あ、そっか。目が見えないんだね。忘れてた」
舌を出して自らの頭を小突いた。
「うん。ごめんな?」
「ううん。たまには読んであげるのもいいかもね。私……、ずっと地下にいたから……」
ぼそっと一人言のように呟いた。
「さて、何を聞かせてくれるんだ?」
心なしかわくわくしているようにも見える。
「えっとね、じゃあ……。これ!『因幡の白兎』!」
タイトルコールをして、咳払い一つ、語りだした。
それは簡単に言うなら、稻羽のしろうさぎがおきのしまから、稻羽に渡ろうとし、鰐を騙して、並べ背を渡ったが、騙したことを喋ってしまい、鰐に毛皮を剥ぎ取られ、泣いているところに、大国主神に助けられるというものだった。
あえて教訓を言うならば、白兎は人を騙してはいけない。というのと、最後まで油断してはいけない。
大国主神にとっては、困っている人を助けてあげれば、よいことがある。といったところか。
「いや、童話を聞かせてもらうのも楽しいもんなんだな。ありがとう。フランドール」
「へへん。でしょー? 私も楽しかった!」
天真爛漫に微笑む。その声色からは昨日何度か殺された事を忘れそうになるほどの無邪気さが溢れてやまない。
「さて、少し喉がかわいたな。休憩しよう」
「うん。なんか飲み物ないかな……? あ、そうだ。ねえ、底?」
提案した底に、フランドールが賛成とばかりに本を放り投げてなにか飲み物を探す。そして、見つけた。とでも言う風に底を見て名前を呼ぶ。それはなにかおねだりでもするかのように。
「な、なんだ?」
異様な空気を察した底は、吃りながらなんとか返事をする。
「――血。飲ませてよ」
フランドールからすればそれは普通なのかもしれないし、当たり前なのかもしれない。だが、底からすれば、命の宣告をされたように、狼狽をした。
「フランドール。気軽に血を飲ませろ。なんて言うのは駄目なんだぞ?」
狼狽えながらも、平静を保ち、フランドールを諭す。
「えぇー。いいじゃん。どうせ血液なんて後からいつでも――」
「駄目です。妹様。それは料理として持ってきたものだけでないと。繰鍛さんは大事なお客様。無礼はなりません」
徐々に近づくフランドールを制した。何処からともなく現れた十六夜咲夜が。その声を聞いて、ほっ、と安堵の息を吐く底。一言お礼を述べた。
「ちぇー、けちんぼ。いいもん。ワインか紅茶飲むもんねーだ」
あっかんべー。と、舌を出し、片目を指で開かせた。
そのとき、廊下から『咲夜、いないの?』というレミリアの声が聞こえた。咲夜が扉を開き、手招きする。
「底、聞いて! やっと見つけたわ!」