「お嬢様。本当に一人で大丈夫なのですか?」
「私を誰だと思ってるの?」
「ですが……」
「しつこい。これは私への罰でもあるの。貴方は底のサポートをしていて。私は行ってくるから」
「……はい。承知致しました」
「もし、私がどこへ行ったのかって聞かれても、言わないで。夜には帰ってくるから」
「はい。いってらっしゃいませ。お嬢様」
「ありがとう。じゃあね」
朝、レミリアが赤い日傘をさし、館を出た。
それを神妙な表情で見送った十六夜咲夜。
そして、十六夜咲夜は玄関から消えた。最初からいなかったかのように。
「底、なにかほしいものはある?」
消えた十六夜咲夜は、今度は底が横になっている部屋に姿を現した。
「いや、今はいいよ。ありがとう。でも、少し歩きたいかな」
落ち着いた声色で遠慮がちに言って、ずっと開いたままだと乾燥する目を何度か閉じ、潤いを与えてそうぼんやりと呟いた。
「わかったわ。じゃ起こすわね」
底の胸に置いてある手をとり、抱き起こした。そのまま手を繋ぐように引っ張って底と十六夜咲夜が部屋を後にした。
「すまないな。ちょっと、外の空気が吸いたい。お願いできるか?」
「ええ。お安いご用よ。お嬢様からもそう言われてるし」
廊下を歩く二人。底が申し訳なさそうに言った。それに十六夜咲夜が歩かせながらも気にするなと底に向けて声を出した。
少々だが、気まずそうに感じる。底は十六夜咲夜をよく知らないし、名前も『咲夜』としかわからない。話が続かないんだろう。それでもゆっくりと足を進め、館の屋上へと着いた。
ここは煉瓦の塀がでこぼこに建てられ、景色を堪能できる。結構広く、梯子があって、その上をのぼると時計台。今は午前八時。赤い太陽からすっかり燦々と輝く太陽に戻り、眩くすべてを照らす。高所なためか、風が吹き、涼しく感じる。
「さて、椅子を置いたから座りましょ。喉がかわいたら言いなさい」
「ああ。なにからなにまでありがとう」
マジックみたいになにもないところから二つ椅子を置き、座らせる。とりあえず底はお礼を述べて、深く、探るように手を動かして腰掛けた。
「よいしょ。なあ。俺は君の事を知らないんだ。教えてくれないか?」
「あら? 会ったことあるじゃない。思い出してみて」
その言葉に底がうーんと唸り、追憶。そして少し考え込んだあと「銀髪のメイドさんか……?」静かに聞く。正解よ。って、にっこりと、十六夜咲夜が微笑む。
「そうか。咲夜さんと言うのか」
刻み込むように口にする。
「十六夜、咲夜。よろしくね、繰鍛さん」
「よろしく、咲夜さん」
底が笑いかける。しかし、その顔、その目線は十六夜咲夜とは別のところへ向いている。十六夜咲夜は少し寂しそうに顔を俯かせて、影をつくった。
「そういえば、美鈴は?」
不意に、底が紅美鈴の様子を尋ねた。霧雨が気絶させてから会っていないもので、どこにいるか、まだ気絶しているのかすら知らないのだ。
「門番してるわよ? なんで?」
「パチュリーと小悪魔は?」
「図書館で本を読んで、小悪魔はうるさく喋ってるわ。どうしたの?」
「じゃあ、レミリアは?」
十六夜咲夜が息をのむ。
「えっと、出掛けてるわ」
「そっか」
誤魔化せた。と思い、十六夜咲夜は気付かれないよう、安心の息を吐いた。
「なんか、見えないってのは寂しいもんなんだな」
続けて、底が言った。寂しそうに、笑いながらも。
「…………」
「あ、すまない。空気を悪くしちゃったな」
「いえ」
「ごめんな、やることがあるのに。戻ろうか」
「…………いえ」
二人とも立ち上がり、違うところへ歩き出した底をとめて、引っ張って道を引き返した。そのまま部屋へと入り、底をベッドに安静にしたことを確認して、一言かけ、消えた。
「咲夜さん」
むなしく声が響く。この場にいないのだから当たり前と言える。が、確かめるように呼んだ名前に、返事がないことを確認すると、頷き一つ、思考の海の荒波にもまれるかの如く、熟考した。
これからどうするか。治す手だてはない。見えなければ生活することもままならない。ここにずっと世話になってることも――そこまで考えたところで、唐突に扉が開かれた。
「いた!」
可愛らしい、高い無邪気な声が底の耳に入る。
入いってきたのは少女。金髪のサイドテールで赤いドレス、ナイトキャップ。虹色の結晶が垂れた枯れ枝のような翼。写真に映っていた少女その人物だった。
「……ん?」
聞き覚えのない声に、起き上がる。
「私フランだよ! フランドール・スカーレット!」
屈託のない笑顔で小さくジャンプし、自己主張する。『シャラン』と結晶どうしがぶつかりあい、綺麗な音色を鳴らす。
「うん? フランドールか。俺は繰鍛 底だ。よろしくな」
ベッドに座り、声のする方。つまり、フランドールに顔を向けた。しかし、濁った目は、フランドールには向いていない。
「貴方が最近来た人間なのね。人間なんて“初めて”見たわ!」
その言葉を聞き、底は首を傾げた。
「ん? ここに住んでるのなら咲夜さんがいるだろう。パチュリーだって人間じゃないのか?」
「咲夜は人間じゃないんじゃないの? パチュリーは魔女だよ?」
ますますわからなくなり、眉間に皺をつくった。
「え、逆に咲夜さん人間じゃないの? 魔女も人間じゃ……?」
確かに十六夜咲夜は人間だと明言していない。パチュリーだって種族は言わなかったし、魔女も人間の一部だと思うのも無理はない。実際、魔女も人間だ。と答える者もいれば、人間ではない超越したようななにか。と答える者もいるのだ。
「まあ、どうでもいいでしょ! あそぼー!」
「おー、元気だな。何して遊ぶんだ?」
微笑みを顔に出して、フランドールに聞いた底。
「えっと、おままごと!」
無邪気にそう提案するフランドールは、どこまでも純粋で、どこまでもこどもらしいのだろう。何度も死んでは繰り返し、死んでは繰り返しをする自分とは違う世界にいる。それを少しでも羨んでしまった底。振り払うように首を振る底を、フランドールは怪訝な目で見つめた。
「よし、じゃあ俺はなんの役をすれば――」
「死ぬ役」
遮って一言。理解出来ない底に、開いた手を向けて――握った。
底の肉片が飛び散り、ベッド、壁を赤く染めた。フランドールの服、顔につく返り血を触って狂ったように、死んじゃった。と笑う。嗤う。一頻りわらったあとは落ちた目玉を口に含み、舌で転がす。その様は、悪魔よりも正しく悪魔で、狂気をそのまま体現したかのようだった。
「まあ、どうでもいいでしょ! あそぼー!」
底はギョッとし、驚愕した。相変わらず真っ暗闇のその目で、声がする方に向く。的確にフランドールを捉えた。全身から汗がふきだし、心臓が早鐘を打つ。こいつは危険だ。と脳内から心臓からすべてが底を止める。すぐに離れないと駄目だ。殺される。という危機感を感じて断る。一刻も早く帰さなくてはと。
「…………。あっそ。じゃあいらない」
悪手だった。黒い時計の針を彷彿とさせるその黒い曲がった棒を取りだした。
「フランドール! 待ってく――」
「うるさい」
文字通り叩き潰す。振り上げ、下ろされた棒は、恐ろしい速度で底の脳天へと落ちた。食い込むと頭蓋骨をわり、大量の血を噴水のように、ぶちまけた。
「まあ、どうでもいいでしょ! あそぼー!」
もう、彼女を女の子としてみれない。ただの暴君。姿を見れない底からしたら、底無しの恐怖だ。いま、脳内ではフランドールの姿及び、声が死神に変えられている。身体は震え、汗は消えない。歯がカチカチと音を鳴らし、頭を抱える。まるでいじめられてる風。
そんな底を見てフランドールが問いかける。明らかに不思議そうにしているその声色は、しかし底には違う風に聞こえる。
「いや、別に怖がってるわけじゃないんだ! 殺さないでくれ!」
必死に懇願する底。
「え? なに言ってるかわからないけど、遊んでよ」
「わかった! 遊ぼう! だから助けてくれ!」
「やった。じゃあ鬼ごっこ! 私鬼ね!」
さっきとは全く違う遊びに底は急に覚めた。
身体も止まり、汗はまだかいているが、出はしないし、冷静に考える事が出来る。
「……わかった。でも、言わせてもらうが、俺は今、目が見えないんだ。動けない。ごめん」
この言葉に賭ける。なにも怖がることはない。必ずしも死ぬことはないんだ。ということを思い出した。当然、仕草や言動を変えれば相手も変わる。目まぐるしく変わっていき、果てにいまこうして底は生きている。
「えー。仕方ないなぁ。じゃお話ししよ!」
底はフランドールに知られないように心の中でガッツポーズをした。
「よし、じゃあ一人の男の話をしよう。死んだら巻き戻るという可笑しな人間の話をさ」
午後十二時。
「そうして異界の地に足を踏み入れて――」
語りを遮るかのように扉からノックがした。どうぞ。と底が声を張り上げる。
「底、調子は――妹様!?」
十六夜咲夜だ。扉を開け、底とベッドに座るフランドールを視界に入れた瞬間、驚きに身を包ませ、大声をだした。
「咲夜……。いま底と話をしてるの! むこういってて!」
「だめです。お嬢様に部屋にいてと言われていたではありませんか」
十六夜咲夜を見て、一瞬表情が曇るフランドール。拒絶するように言う。それに淡々と。平淡に言い聞かせる十六夜咲夜。
盲目の底からしたら一触即発にも感じれるので、気が気でない様子。
「咲夜さん、いいから。フランドールと話をさせてくれ。なんなら一緒に聞いていってくれ」
暗に、なんでもいいからフランドールを怒らせないでくれ。それに俺とフランドールだけにするな。と言っているのだが、二人は事情を知らないので、言葉そのまんまに受け取った。少しの閉口のあと、わかったわ。と椅子を取りだし置いた。
「ん。続きだが、異界の地に足を踏み入れた男は、負けないように短い間だけど修行する。その翌日――」
「知らないわねぇ……。紫も出てこないし……。私も探すのを手伝うわよ」
「いや、これは私の責任だから、頼れないわ。私が動かないと駄目なの。ありがとう。迷惑をかけたわね」
博麗神社で博麗とレミリアが話し込んでいた。
謝って、消沈しながらも日傘をさし、飛んでいくレミリアを博麗はじっと見つめ、底の名を呟いた。そのあと溜め息を吐き、中に入った。