広く、奥に何段かの低い段差。そこに無人の大きい椅子。所謂『玉座』のようなものがあった。玉座と扉の間にはレッドカーペットが、いつも座るであろう主までの道程を誇らしげに、惜しげもなくその『紅』を見せつけていた。天井には絢爛豪華なシャンデリアと紅目の蝙蝠。シャンデリアの光に反射して煌々と輝くその目は、何者かを待ち構えてるようにも見える。
そんな玉座の間に、一人の来訪者が扉を開けて入ってきた。
――底だ。
同伴の小悪魔は扉越しに手を振って、無事を祈ります。悪魔ですけれど。と笑顔で喋っている。底は覚悟を決めたように、頷いて扉を閉めた。
天井にぶら下がる蝙蝠が鳴いた。たったそれだけで、何処からともなく蝙蝠が湧く。あっという間に群れとなった蝙蝠達は、玉座に向かう。
冷静に何事かと底は注視し、不意打ちを受けないよう、扉に背をピタリとつけた。
玉座にて、蝙蝠がうようよと、バサバサと喧しく羽音を出しながらも形作っていく。
足を。
胴体を。
腕を。
羽を。
最後に――頭を。
底は眉に皺をつくりつつも見届ける。
最終的に、それは吸血鬼となった。しかし、底が思っていたほどの――畏怖していたほどの――筋肉隆々。もしくはモノクルをかけ、髪をオールバックにし、黒いマントとタキシードを着た知的そうな男でもなかった。
その姿はまだ未発達な、未成熟な四肢。故に地面には足が届かないし、足を組むのも慣れてなさそうに見える。頭にリボンのあしらわれたナイトキャップ。青っぽい肩までの髪。ドレスで彩られたその外見は非常に幼い。背中の大きな装飾品。リボンがあり、それ以上に大きい蝙蝠の翼は、見る者を威圧して、悪魔だと恐れおののかせるだろう。
足を組み、肘掛けに頬杖をして底を見下し、口を少しだけ吊り上げてるその姿は『悪魔の王』と名乗っても違和感をかんじないほどには様になっていた。思わず膝をつき、忠誠を誓ってしまうほど空気が重々しく、ビリビリとした視線は底の身体を攻撃する。
「お前が底か?」
この雰囲気の発信源である、吸血鬼の少女が口を開いた。見た目通り、まだ幼い声。しかし、威厳に満ちている。
底は心臓を掴まれたかのように全身から汗を吹き出させつつもなんとか返答する。
「待ちわびていたぞ。貴様が来るこの時をな」
「…………」
底が黙りこむ。どう返事をすればいいかわからないのだ。返答次第でこの先の人生が決まるかのように、重大な選択肢を選ぶかのように、慎重になっている。
「私が見た運命の中には、貴様と戦い、私が勝つ運命もあれば、私が負ける運命もある。貴様を惨殺する未来もあれば、私が瀕死にまで追いやられる運命もまた、あった」
椅子から飛び降りるようにしてレッドカーペットに立った。ドレスがふわりと舞う。底の元へとゆっくり、優雅に歩き出す。
「ただの人間が、この誇り貴き吸血鬼であるこの私を、どう負かせてくれるのか。楽しみで楽しみで仕方がないのだ」
愉悦とばかりに、口を吊り上げる。新月にも似た口元からは、吸血鬼の証でもある、八重歯が窺える。
「私の運命は、普段一つしか見えない。しかし、貴様のは無数に見えたのだ。これが不思議で仕方ない」
まるで劇でも行っているかのように身振りや表情をつくり、言う。
一方の底は、なにも出来ずにいた。動いた瞬間から死ぬかも知れないと思考が脳の信号を逆らっているのだ。
「なんだ? 怖じ気づいたのか? そんなことでは許さんぞ」
ついに底の目の前へと移動した吸血鬼。手を底の頬にやって、自らの顔の近くに引き寄せ「お前は私を楽しませるんだ」と、にやり顔でそう呟く。
引き寄せられたことにより、前屈みになる底は、吸血鬼を凝視しながらも必死に落ち着くよう自らを説破させる。
幾分か落ち着きを取り戻して、一度目を閉じ、すぐ開いた。
「私が見たいのはその顔だ。いいぞ。濁った目。その中には必死にもがきながらも生にすがり付く貴様が見えるようだ」
恍惚とした表情で底に目の前にいる底に語り掛ける。
「わざわざ待っていてくれてありがとう。お陰で少し落ち着けたよ」
皮肉を交えながら頬に当てられた手を握って離す。その顔にはもう、怖じ気はなかった。
「それはよかった。私としては普段の貴様と戦いたいのだ」
「戦って、俺が負けたらどうなる?」
「貴様が負けたらか……」
顎に手を当て、考える素振りをして、思い付いたように言う。
「生きていたなら私のものになれ」
「なっ――!?」
底は虚をつかれた。そんな言葉が出るとは思わなかったからだ。当然死ねば戻れるが、逆に死ななければ戻らないのだ。
生きていたならとは、それを知ってるからなのか、知らずに言ったのか。どっちにしろ警戒するに越したことはないだろう。いや、万に一つもこの吸血鬼の僕になることはない。そうならない術を俺は持ってるからな――吸血鬼の少女を見下ろしながらそう考える。
「いいぞ。じゃあ俺が勝ったら、どうしてこんなことをしたか、全て話し、その上弾幕ごっこっていう幻想郷の新しい戦い方を守ってほしい」
いいな? と吸血鬼に問う。
「良いだろう。この誇り貴き吸血鬼が約束する。で、勝敗はどう決める? 私は心が広いからな。貴様が決めてもいいぞ」
「そうだな……。じゃあ、殺しはありだ。当然ではあるな。殺し、もしくは瀕死から気絶、降参だ」
「よし。では、私が勝ったら貴様は私のもの。私がもし負けたら全てを話し、弾幕ごっこという遊びで戦うことを遵守。勝ち負けは殺しと降参ありの気絶瀕死、どれか。これでいいな?」
締め括るように聞いた。
しっかり聞いて、間違いがないことを確認すると、頷いて応える底。
底は背中に扉があるので、下がれないため、吸血鬼が下がった。一跳びで玉座の元へと下がった彼女は、指をクイっと曲げて底を挑発する。
「ブラドツェペシュの末裔。レミリア・スカーレット。いざ、参らん!」
紅く禍々しい槍を作り出し、身長よりも長いそれを両手で構えた。
「繰鍛 底。行くぞ」
ビー玉を取りだし、柄も刀身も銀に輝く刀を形作らせ、ダラリと腕を下げて自然体に構えた。尤も、構え方もあまりわからないのだから、これしか方法はないのだが。
二人の視線がぶつかる。さながら死闘を繰り広げるかのように思われる睨み合いは、しかし、すぐ終わりを迎えることとなる。
底が無鉄砲に、なにも考えず走り出したのだ。刀なのに対し、重さを感じないそれを、振り上げて、低い段差をのぼる。最後の一段をのぼりきって、振り上げた刀をおろした。レミリアは軽く。それこそただつばぜり合いのように少し力を入れ、槍を一振りしただけだった。
それだけで底のおろした刀をはじき飛ばし、ついでとばかりに底の頭が宙を舞った。
信号をなくし、倒れる身体。それを呆然として見下ろすレミリア。
「よ、よわい……」
そんなレミリアの呟きがこだました。
巻き戻り、レミリアは武器を構え、底は武器を持ってない状態。
「…………」
死んだ。呆気もなく。なにも言うことなくやられた。駄目だ。つばぜり合いは駄目だ。寧ろ身体能力で張り合うのは根本的に無理だ。なら――ビー玉を取りだし、銀の拳銃を作った。
「繰鍛 底だ。行くぞ」
ついさっきと同じ言葉を発して、動かずに腕をあげ、標準――目測――を構えたレミリアに向ける。
レミリアがその銃を訝しげに細目で見たあと、底の手を注視。
迷わずトリガーを二度引いた。ダブルタップだ。サプレッサーもつけていないのに、消音されて、撃った後の衝撃も無さそうなところをみると、本当に八雲が能力をつかっていたことがわかる。
銃身から放たれた銃弾をレミリアは見切り、身体をひねって避けた。
「避けた……!?」
銃を少し下げて、驚きを口にした底。
「私はこの前まで外に居たのよ? 銃なんてもの見飽きたわ。そんなものをつかって、戦ってるつもりかしら?」
ついさっきとは反対に、砕けた口調でそう話すレミリア。話をしても構えは解かない。
武道もなにもかも素人。その上銃も意味をなさない。ならば自分になにが出来るか。そこで、一つ、手立てがあることを思い出した。
銃を刀に変えて、その刀に霊力を纏わせる。へぇ。とレミリアが関心したような声を出した。
段差のところまで走り、短く息を切って、刀を斜め上に向け振った。すると、水の刃がレミリアへと飛んでいく。
そう。刀に水を纏わせ、それを飛ばして攻撃する方法を思い付いたのだ。これが流水になりうるかは疑問が尽きないが。
いまのスカーレットは油断をしてる。これで意表を突く事が出来るはずだ。と底は一抹の希望を胸に、レミリアを見る。
「こんなの、私にはなんの意味もなさない」
しかし、レミリアは傷一つなかった。斜めに放たれた水の刃を、レミリア素早く屈み、やり過ごしたのだ。そのせいで、玉座が濡れている。
舌打ちをする底。レミリアはゆっくりとした動きで槍を逆手に持ち直し、槍を投げる動作をする。
「攻撃というのはね――こうするのよッ!」
槍を投げた。それは恐ろしい速度で風を切り裂き、底に大きな風穴を開け、床に突き刺さった。
あれから底は十数回死んだ。幸い、どれも痛みを感じずに死ねたのは幸運だろう。もしくはレミリアの優しさだ。今はどう倒すかではなく、刀を扱う技術を上げていこうと奮闘している。幾度剣撃を交え――それでもレミリアは遊び感覚くらいだろう――上達はした。無心でレミリアに刀を振る様は別の意味で鬼気迫るものだったが、はてさて。
全く勝つ手段を思い浮かばないようだ。それもそうだろう。なんせ力の差は天と地ほどまであるのだから。策を労したとしても、それを力で跳ね返してくる。
今のところ打つ手は無し。よって、技術を上げようと、少し切りあっては死んでの繰り返しをしているのだ。
底が器用にも雷を足に纏わし、速度をあげて、刀に炎を包ませて火花を撒き散らしながらもレミリアに攻撃する。
それを軽々と槍を振ることで弾き、返す刀ならぬ、返す槍で底の胸を裂く。
鮮血がレミリアを塗り、口の端に舌を這わせて、ついた赤黒い血を舐めとった。
底は後ろに下がり、激痛に顔をしかめながらも、なお、立ち向かう。
どうせ死ぬんなら少しでも刀を振って扱いをうまくしたい。とのことだ。自暴自棄にも見えるこの行動。だが、たった一回。されど一回なのだ。生憎、槍による攻撃で殺されてしまったが。