「――ッ!?」
底の体が大きく揺れた。死んでしまった。誰がやったのかすらわからないまま。辛うじて、ナイフが三本刺さった事は覚えている。しかし、これだけでは有力な情報となり得ないだろう。だが、言っておくにこした事はない。噴水を越えた所にいる、紅美鈴を運んでいる霧雨と博麗に駆け寄る。
「霊夢、魔理沙。聞いてくれ!」
「ど、どうしたの?」
底の見たことがない鬼気迫る表情に博麗が驚きながらも聞いた。
「一先ず下ろそうぜ」
霧雨が博麗に提案し、博麗が頷いて、ゆっくりと地面に紅美鈴を寝かせた。
「ありがとう、二人とも。ここに入ったら気を付けてほしい。ナイフが飛んでくる筈だ!」
荒唐無稽、支離滅裂も承知。でも言わざるを得ない。
「お、おう」
訳がわからない。といった風に、返事をする霧雨。
「よくわからないけど、美鈴はここに置いといて、気を付けて行きましょう」
三人が顔を見合わして大きく頷いた。
底はポケットに入れておいたビー玉を取りだし、想像する。大きい、それこそ前面だけでも人を守れるような盾を。底の手には、いつのまにか大盾が握られていた。
博麗が吃驚して、構えている底に問う。
「な、なにそれ?」
「あ、これ俺がここに来るとき、紫にお願いしたやつだよ」
幾分か違和感のない構え方を見つけたのか、汗をかいてはいないが額を腕で拭った。
「へぇー。凄いな!」
ニカッと笑う霧雨。
「よし、行くか」
噴水の囲いに紅美鈴をもたれさせて、館に入った。
どうやってるのかはわからないが、あれは罠なのかも知れない。そう考えるのが妥当だ。でも、ここは幻想郷だ。能力というのも視野にいれておこう――と、底が注意しながらも、先行して館の玄関に足を踏み入れた。その次にお祓い棒を構えて、警戒している博麗。最後に箒を携えた霧雨が殿をつとめていた。
「気を付けろ。この辺りだ」
ヒソヒソと、声を潜めて後ろの二人に言う。二人が頷き、一層警戒を強めた。
その時、底の左三メートル先からナイフが一本。博麗の頭上に一本。霧雨の背後に一本。計三本のナイフが何もない所から、いきなり飛び出してきた。
「――ッ!!」
博麗が短く鋭い息を吐いて、お祓い棒の紙垂でナイフを絡めとるようにして別の方向に飛ばした。底は気付き、左に向けた。『カン』という音が響く。
霧雨はいきなりの行動に驚き、肩を大きく揺らした。結果、偶然にも、背後のナイフは箒のブラシに絡まって、動きが止まった。何かの違和感が手に伝わった様子で、箒に視線を移し、口をあんぐりと開け、目を見開いた。
「二人とも無事か!?」
「大丈夫よ!」
「なんとかな!」
今さっきとは違う位置にナイフがきた……。これは罠ではないんじゃないのか? そんな風に考え始めた時、銀髪の女性が底達の目の前に現れた。唐突に現れた女性に愕然とする三人。
「俺は繰鍛 底だ。君は?」
一番前にいるからなのか、代表として話しかけ、名乗った。
「侵入者に名乗る名前はないわ」
しかし、その女性は一蹴した。ナイフを指と指の間に一本づつ挟み、六本のナイフを構える。
「ここは任せてあんた達二人で行きなさい。この女に痛い目を見させてあげるんだから」
お祓い棒を中段に構えて言い切った。
「そうか、任せた。信じてるぜ!」
霧雨が応援して、一足先に箒にのり、廊下を進んだ。少し遅れて、底も言ってから後を追うように背を向けて飛んだ。
「あら、追いかけないのね?」
ジリジリと横に移動して、警戒しながらも問いかける。
「追いかける必要はないわ。貴女を殺してあの二人もすぐに逝かせるから」
六本のナイフを投げる。投げた瞬間には、もういつのまにか博麗の目の前に来ていた。面食らいながらも、冷静にお祓い棒と霊力を使って対処。
もう一度女性の所を博麗がみると、そこには再び六本のナイフを構えた女性が立っていた。
目を細め、首を傾げてなぜ、と呟く博麗。
「貴女の時間も私のものってことよ――!」
ナイフを投げる。その後すぐに懐から銀色の懐中時計を取りだし、紐を掴み、垂らす。そして、ゆらゆらと揺らして、まるで『時が止まった』かのように、博麗と、博麗が弾いたナイフが動きを止めた。女性も動きを止めたのかと思いきや、しかし動いている。何故か。それは彼女の能力によるものなのだが。
動かなくなった自分以外のものを一瞥して「はぁ。まだまだお皿もお洗濯もあるのに」愚痴を一人で言いながらもせっせと空中に浮いたナイフを拾っていく。最後の一本を拾い「本当。時間でも止めないとやってられないわ……」深い溜め息一つ。相当苦労している様子。ナイフを博麗の目の前で投げる。が、手から離れてもナイフは全く動かない。それを確認してからか、博麗と放ったナイフが突然動き出した。
危なげなく回避した博麗。無限のループとも思わせるそれに、うんざりとした表情で心底面倒くさそうに言う。
「もう本気出すわよ。精々頑張って避けなさい」
銀髪の女性が口を開いた瞬間、言葉を、唾を飲み込んだ。
というのも、博麗が半透明になり、その周りには、八つの陰陽玉が回っていたからだ。
「な、なによそれ……」
冷や汗を滴しながらも、やっと言葉を発したが、それは呆けたような言葉だった。今、メイドの女性にはどれほどの戦慄が走っているのだろうか。
試しにナイフを投げてみても、それは博麗を通り過ぎるだけ。無駄。
人間の域を逸脱した能力をもった彼女でも、流石にこれは対処のしようがない。なんせ、いまの博麗は攻撃を“くらわない”のだから。
「攻撃がくらわない? だからなによ。私はお嬢様を守らないといけないの、負けられない――!!」
咆哮をあげて、残ったナイフ五本を投擲する。それに対抗するように、目を積むって浮いている博麗の陰陽玉から直線上に並ぶ弾壁が五つ射出された。一つの弾壁につき、十五という圧倒的物量。それが彼女を襲う。時を止めて、必死に避けていく。どんどん一秒毎に出てくる弾幕に彼女は食らいつく。さながらそれは『電光石火』を彷彿とさせる。ナイフの輝きが稲光のように。鋭い眼光は全てを見通すように確実に、着実に弾を避けていく。身体に生傷をつくっても止まることを、衰える事をしらないように。それも全て、主の為なのだろうか。
時を止めて、辺りを見回し、頭を総動員させ的確にルートを探る。
博麗が陰陽玉を出してから五分。弾が出る時間も短くなった。もう廊下いっぱいに。それこそもう動くところもないような。彼女は両手を挙げて、降参の意を表していた。
弾は彼女を囲んではいるがピクリともしない。
浮いている博麗が目を開く。手を一振りさせると、弾と陰陽玉が一斉に消滅した。
半透明の身体も実体を取り戻して、いつもの博麗に戻った。
「なんなのよ貴女」
頬に少量の血を流し、所々服が破けた彼女が、肩を竦め呆れ果てた。
「博麗霊夢。巫女よ」
一応。握手を求めた博麗。十六夜咲夜がそれに応じて名乗った。
一方、底達は幾度となく襲い掛かってくる妖精達に悪戦苦闘して、逃げるように地下へと入った。
「黒幕っていうのはな? 地下にいるもんなんだよ! 私はそれを見越してここに来たわけだ!」
「それはすごい」
必死に言い訳をする霧雨をあしらいながら階段を下りる。光源はわずか壁の窪みにある蝋燭の火だけ。壁に手をついて歩く二人。三歩とお先は真っ暗。地獄への階段にも感じるそれを、淡々と降りていく。
最後の一段に霧雨と底が足をつけた時、霧雨が派手に転けた。
「なにしてんだ? ほら、つかまれ」
手を差しのべる底。
手をとって、立ち上がる。幸い怪我はないようだ。
「いや、まだあると思ったのに無かったからびっくりしてこけたんだよ!」
一呼吸もしないでまくし立てた。恥ずかしいのか若干頬が赤くなっている。しかし、やはり薄暗いなかでは見えにくい。
「はは。まあ、先に進もう」
「ごめん。ありがとう」
廊下には松明が立て掛けられていた。横幅五メートル位あるこの廊下には、妖精一匹もいない。しかし、端には騎士の鎧が槍を持っていたり、斧であったり、戟であったりと多種類のものが立てられていた。関節は錆び、兜には埃が溜まって、どれもただの飾りとは思えないほど物々しい。今にも動き出しそう。
窓もない廊下は、然もありなん。埃くさかった。
歩いているが扉らしきものは見当たらない。あったとするならば、一つ、鉄の重々しいものだった。封印するように作られたと思えるそれは、明らかな異彩を放っていたのだ。二人はそれを無視し、歩を進める。
「見ろよ! 扉だぜ!!」
騒ぎ立てながら走りよる。
木の扉。左右に松明があり、プレートが立て掛けられている。それには『大図書館』と書かれ、ここが図書館であることを示していた。
そんなプレートがあるのを露知らず、「ここがきっと黒幕の部屋だ!」とそのまま押し開けた霧雨。目に映ったのは人間でも妖精でも玉座でもない。赤いカーペットに暗く、かび臭くて、それでいて本棚がずらりと列べられた部屋。正に大図書館と呼ぶに相応しい広さ。
「違う……、だと……」
うちひしがれたように床に手をつく霧雨。どことなく底が霧雨に冷たい視線を向けているように感じた。
すると、パタパタと悪魔のような羽をはばたかせ、赤い髪、黒い服の少女が霧雨と底の前に降り立った。
「もう! ここは図書館ですよわかってるんですか!? そして貴方達誰ですか? あ、もしかしたら咲夜さんが言ってた侵入者――!? それは危険が危ない! パーチュリーさまー!!」
彼女から織り成されるマシンガントークに二人は呆気にとられて返事が出来ずにいた。勝手に自己完結して勝手に飛んでいき『パーチュリー』という名を叫びながら勝手に何処かへ去った。
しかしこれは逆に好都合だと、二人は話し合い、いつのまにか閉まっていた扉に底が手をかけ、めいいっぱい引いた。が、開かれる事はなかった。なにかに細工されているように閉じられているのだ。
「魔理沙。開かない。多分なにか細工が施されてる」
霧雨のいる方向に振り向き、伝える。
「本当か……?」
苦虫を噛んだように顔をしかめた。
【貴方達はここから逃げられない。出たければ奥に来なさい】
図書館中に響き渡るウィスパーボイス。事務的にも感じるそれは、底と霧雨の耳を通り、脳に刻まれたような不思議な違和感。底と霧雨が視線をあわせて、頷いて歩き出した。目的地はただ一つ。図書館の奥。